ウェールズは グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国 (イギリス)を構成する4 つの「国 (イギリスのカントリー)」 (country )のひとつ。
かつて 石炭を代表とする豊富な地下資源を産出し イギリスの産業革命を支えた歴史をもっています。
ウェールズのブリトン系住民は ローマ帝国の支配を受けましたが アングロ・サクソン民族に征服されたわけではなかったのです。
イギリスのアーサー王伝説は アングロ・サクソンに抵抗したブリトン人の王の物語とされています。
中世には小部族国家が群立し やがてグウィネズ王国ポーイス王国 デヒューバース王国などの地方王権が形成。
13 世紀中葉にグウィネッズ王ルウェリン・アプ・グリフィズが ウェールズのほとんどの領域を支配下に収めるなど 幾度か一時的な政治的統一がなされましたが イングランドのような恒常的な統一王権が確立されることはなく 実態としてはリズラン法典に従うマナー家臣団による統治でした。
伝統的にウェールズは侵略者に対して頑強な抵抗を示し続けています。
1066 年に征服王ギヨームがイングランドを征服しましたが (ノルマン・コンクエスト)ノルマン朝によるウェールズへの侵略・植民政策は ウェールズ南東部を除いて恒久的な成功とはなら 以降もイングランドから度重なる侵略を受け続けましたが その都度撥ね返して独立を守ってきたのです。
ウェールズの事実上の統治者グウィネッズ王ルウェリン・アプ・グリフィズがウェールズ大公 (プリンス・オブ・ウェールズ)を名乗り ウェールズ公国 (Principality of Wales )が成立。
しかし イングランドからの圧力に加えてウェールズ内部での権力闘争の激化 オックスフォード条項以降のコモンロー支配によってウェールズは弱体化していき 徐々にイングランドに臣従せざるを得なくなったのです。
1282 年 ルウェリン・アプ・グリフィズがイングランド王エドワード1 世に敗れてからは ウェールズはイングランドに占領され その支配下に置かれることになったのです (Conquest of Wales by Edward I )。
ウェールズはイングランドの一地方となり エドワード1 世は長男エドワード (エドワード2 世)にプリンス・オブ・ウェールズの称号を与え ウェールズの君主としてウェールズを統治させた (これより以後 イングランド王太子は代々プリンス・オブ・ウェールズ (ウェールズ大公)の称号を引き継いでいく)。
このような過程を経てウェールズはイングランドに征服され その統治を受けることになりましたが このことが逆にウェールズ人の民族意識を強めたのです。
ウェールズ人は頑なにイングランドと化を拒み続け この地に植民した異民族のほとんどは ことごとく ウェールズ人化していったそうです。
イングランドの中にあってもウェールズの長弓 (ロングボウ)隊は 強力な戦力として名を馳せイングランド王の軍勢にとって欠かせない戦力でした。
薔薇戦争 (1455 年 - 1485 年)の際には ウェールズはその政争争奪の舞台になり 1485 年のボズワースの戦いで勝利したリッチモンド伯が ヘンリー7 世として即位し ウェールズ人のウェールズ大公の血統から出てイングランド王家に収まった (テューダー朝)。
後世のテューダー家は 1536 年の合同法によるウェールズ統合により 単一国家 「イングランド王国」あるいは「イングランドおよびウェールズ」とし この王朝の家臣団ではウェールズ人が重要な地位を占めたのです。
こうした経緯から ウェールズ人は同王朝のヘンリー8 世からエリザベス1 世までの国王が推進したイングランド国教会創設などに協力的な姿勢を見せることになったのです。
クロムウェルによる独裁 (イングランド共和国)の後は 政治的に力を落としたものの ウェールズ人としてのアイデンティティは失われることはなく21 世紀になった現在でも非常に強いと言われています。
ウェールズは 13 世紀に公国を形成。
しかし ウェールズ公国は 同じ世紀の末にイングランドの統治下に入って以来 次期イングランド王 (後にはグレートブリテン王)となるべき最年長の王子 (王太子)が プリンス・オブ・ウェールズとして戴冠するのが慣わしとなっています。
ウェールズは 1536 年の合同法による統合から長らく 単一の国である 「イングランド王国」あるいはイングランドおよびウェールズの一部として扱われ 連合王国の中でもスコットランドや北アイルランドと事情が異なっています。
イギリスの国旗にウェールズの国旗だけが含まれていないのは そういう事情があるのです。
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elsa.さん
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曲まめ子さん
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alisa.さん