キャラベル初回の授業、塾という物を完全になめていた私は、塾内の空気を吸って驚愕します。
「俺の知ってる塾じゃない(恐)」
もうなんか雰囲気が違うんです。とにかく静か。
授業を受けてまた驚愕。
「俺の一年間で習った事が一時間で終わった(恐)」
スピード感と分かりやすさが段違いでした。ほんとに。
授業の最後には単語テストが言い渡されました。
内容は簡単なものでしたが名詞の前に必ずaまたはanをつけるというルール付き(単語は冠詞とセットで覚える)。あの時は気付きませんでしたがこういう事が後に生きてきます。
※「なんでこんなことをしなければならないんだろう」と思うことは三年間いろいろあるでしょうが、それに対して私の現時点の答えは「後から使うことになるから」としか言えません。まだ勉強が進んでいない段階の子たちに、今やらせている作業の有用性について説明するのは大変難しいのです。しかし一つ言っておきたいことは、基本的に無駄や面倒なことは私も好きではない、ということです。にもかかわらず、一見無駄に思えることや面倒なことを強制する場合は、それに素直に従ってください。めんどくさがり屋の私が面倒なことをやらせるということは、そこに必ず意味があり、それが後々の重要な伏線になっていることがほとんどです。
入塾最初のテストという事で、これには流石の私もやる気を出して勉強しました。結果は七割!これまでで最高の点数!これは良いんじゃないかと思っていましたが、先生はなぜか怒っていました。
低すぎる、満点を取れと。
これがキャラベルに入って最初の自分の常識が覆されたエピソードです。ホント恥ずかしいことですが。
この後の中一の様子は、まぁ酷いものでした。石崎先生が何かに対して怒る時は、それに該当する何人かに対し説教をします。その面々は場合によって変わるのですが、その別々のグループのほとんどに私は入っていました。
説教の内容は、多すぎるので割愛しますが、強く記憶に残っているのは、私がテストと宿題の両方で「やらかした」時、先生に
「君達が自校作成高校に合格したら、こっから西武柳沢駅まで逆立ちで行ってあげるよ」(← 近い内にやってくれるらしいです)
と言われた事です。
(いま、手首を怪我してるのでちょっと・・・)
この学年はそういうレベルだったんです。
私は退塾勧告を二度受けた事があります。二度です。自分でもよく辞めなかったと思います。石崎先生なら救ってくれる。逆にキャラベルを辞めてしまったら、本当に終わりだと思ったからです。
そのようにして中学一,二年生は去っていきました。もう一年しか残っていないと思うと少し焦りました。それでも夏休み途中までの四ヶ月また勉強をしませんでした。まともに勉強を始めたのは、夏休み半ばからですが、
結局夏休み400時間勉強は達成できず。ここで難関三校(日比谷、西、国立)の受験は完全に諦めました。ここから自分が出来る限りの努力をして受ける高校として新宿高校を設定しました。
それからは毎日塾に行き夜の十時まで勉強をしました。塾が空いている時に通わなかったのは二日程度だと記憶しています。キャラベルでは最高の環境が揃っています。仲間も先生も雰囲気もです。そんな場所だからこそ基本的に勉強嫌いの私でも集中することができました。寝てしまうこともありましたが。すいません。
卒塾生の皆さんも書いているように私の成長したきっかけの大きな要因には、ハイレベル演習があると思います。先生が厳選した数学百題は全て八周しました。国語と英語は、予習と復習を繰り返しました。これがなかったら私の合格は絶対になかったでしょう。
一月最後の自校作成模試、結果はD判定。偏差値も平均50台でした。普通の人だったら、志望校を下げるかもしれません。しかし、私は絶対に下げないと決めました。理由は多くありました。単純に新宿高校が気に入っていたこともありますが、一番の理由は、石崎先生の
「ここから逆転合格したら最高にかっこいいんじゃないか?」
というものです。
ここからの一ヶ月私は人生で一番勉強しました。
もちろん塾には毎日行きましたし、過去問は国数英から毎日二年分からと理社から二年分をこなしました。毎朝のリスニングに国語の演習も加えました。ノートは一週間で四冊使うこともありました。賢く正確にをモットーに勉強すると一ヶ月はあっという間にに過ぎました。
試験を終えて自己採点の結果を先生に電話した時には、泣いてしまいました。落ちたとしても完全にそれは努力不足でした。始めるのが遅かった。泣く資格はない。そんな事はわかっていました。しかし泣いてしまいました。やっぱり悔しかったんです。
最終的に私は受かりました。もちろん嬉しかったです。しかし、私が受かった半分は運だと言っていいでしょう。平均点が低かった事が要因だと思います。また、自己採点から見ても最下層での合格だということは確実です。先生からの評価は「受かっちゃった人」でしょう。先生はいつも合格者のことを「受かっちゃった人」と表現していました( ※
)。その通りだと思います。たった半年間の勉強で受かった人なんて所詮「受かっちゃった人」です。大学受験はそんなに甘くない。そのことを意識して高校生活を送りたいと思います。
※厳しいようですが、私はその志望校にふさわしい勉強をしていない子は、高校受験に関しては不合格になった方が良いと思っている面もあります。高校受験と難関大学受験の大きな違いは、「高校受験は物量作戦が通用してしまうこと」と「高校受験は追い込みが効いてしまうこと」です。
高校受験におけるそうした下手な成功体験が、むしろその後の大学受験、資格試験に悪影響を与える面を私は危惧しています。
また、全然勉強していない自塾生がいた場合、その子よりも真剣に努力している他塾生が合格した方が良いとも思っています。逆説的ですが、だからこそ塾生には厳しく接しています。保護者の方から預かった塾生に対し「落ちた方が良い」なんて塾長自らが思うことにならないよう、厳しく接し、努力できる人になれるよう指導しています。そして、それは同時に、周りから応援してもらえる人間になったことも意味します。世の中には周囲の人がなぜか応援したくなってしまう不思議な人がいます。塾生にはそんな存在になってほしいとも考えております。
私は、日比谷、西、国立に合格した人達と同じぐらいまたはそれ以上に努力したかと言われると、それはちょっと怪しいところです。もしそれができていたなら、そのどれかに受かっていたでしょうし、まず中一中二が酷すぎました。そんなだったから本当はこの合格体験記を書くのは少し躊躇しました。
しかし、こんな自分だから伝えられることもあるだろうし、高校への決意表明としても良いんじゃないかと思い書きました。
先生は世の中は■●と□●で満ちているが、▽〇と▲〇があればなんとかなる。とおっしゃっていました。●と〇。合わせて「●〇」。
言い得て妙。
世の中は真っ黒ということでしょうか。それもちょっと楽しみなような気がします。塾じゃずっと静かだったので最後にポエムをかましときます。
P.S
稚拙な文章で失礼しました。慶応女子のSさんと比べると少し恥ずかしいぐらいです。誤字脱字があったらすいません。先生には本当に感謝しています。三年間本当にありがとうございました。
合格体験記(慶應義塾高校) 2025年02月25日
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