親不孝日記

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じゅん2550

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2010年06月05日
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5.26 りんご.JPG

未だに、信じられない。

約束というものが、こんなに簡単に違えられるなら、

曲がりなりにも、民主国家を外見上でも繕う国(アメリカと日本)が、政府機関が、沖縄の繰り返し決議される意思表示をなかったものとし、無視し、踏み付けにするなんて、期待はしてない、といっても、ゼロではなかった。何かの形で反映するのではないか、と思わせた。

ところが、出てきたものは、なんだ。

これは、なんだ。

鳩山政権は、アメリカにゴーカンされて、言うことを聞く子どものようだ。

政府に言うことを聞かせるには、何が必要だったのか。

疑いようなく、政権はアメリカに服従したのだ。それが、よく見えた。

従属とは、どういうことか、よく分かった。

この屈辱感が、そうなのだ。

あれだけ、沖縄が"運動"しても、無視された、誰に?

または、アメリカの言うなりになった。なんでか。何か、弱みがあるのか。

または、押し切られた。

何が、足りなかったのか。

国会に押し寄せる、百万の群集。鳩山の車を止めさせる、道路に溢れ埋め尽くすデモの群れ。

合意なるものを、させない、アメリカからの特使の会場入り阻止。

数という暴力の行使。

ーそうなのか。

それとも、「我々は、鳩山を支援する。アメリカはごり押しを止めろ!」といって、国会を10万人が取り囲めばよかったのか。

政治の暴力に抵抗するのは、数の決起が必要だ。

人口1%にしか過ぎない沖縄人と違って、我々には、それができるはずなのに。

なぜ、そうならない。あまつさえ、安保は必要などと思ってしまうのか。

基地はいらない、どこにも。と、日本人が決起する日は、作り出せるんだろうか。

それぞれの自治体は、基地誘致に反対した。

それを、つなげて、軍事同盟はいらない、軍隊は持たない、となぜ、ならないのだろう。

なぜ、沖縄ならいい、沖縄に負担をお願いする、となるのだろう。言い換えれば、米軍は必要だ、といっているのと同じなのだが、日本人が、今回も、そう願って「沖縄に負担をお願いする」お願いをしているのか。そうなのか?わたしは、お願いしたことはないが。

この、より根本的な、しかし、今回の流れの先に見える必然的な政治的問いを、なぜ、国民に問わないのか。

中央の政治の動きは国家間の力で決まるのかもしれないが、

ー辺野古をみよ、2000日以上座り続け、基地を作らせなかった。

国家権力が取り決めたことも、地域の自治、自決の前には、実現不可能だった。

60年安保のような、ブームではなく、もっと、深く自らの体験に根ざした、歴史認識に裏打ちされた、行動が、簡単には挫折しない、胡散霧消してしまわない何かが、現実を揺るがすのだ。

彼らはこう語っている、幼子を教え導くように話しかけなさい、と。

沖縄戦を経た彼らの、地域での、非暴力の抵抗が、勝った、いまのところ。

沖縄は闘った、充分。

今も。

ヤマトよ、次は、自分のことだ。

ましてや、安保は、「日本」国体護持を願ったヤマト支配層が、アメリカと結んだ条約だ。

(沖縄はその国体護持のために、差し出された供物だった。)

我々の父を、祖父らを戦場に駆り出し、アジアの民衆2000万を殺させた、その直系のヤツラが取り決めた。

そんなもの、いらない、これを壊す、これは我々の責任だ、となぜ言わない?

これが、我々の世代の、戦争責任の取り方だ、わたしはそうおもう。

誰も、戦争を止められなかった、そうだろうか。

命を賭して止めようとした人々もいた。弾圧されて、壊滅させられたけど。抵抗の歴史は、ちゃんとあった。

いつからだって、止めよう、といえる。

今日からだって。

わたしは、同意しないと言う。今なら、治安維持法下のような弾圧を受けずに言える。

声を挙げる、限りなくゼロに近い歩みでも、一歩理想に近づく。

こんなことはおかしい、と芯から思えば、説明できなくったっていい。

沖縄が目の前にないから、他人事なら、いつ、自分ごとになるのだ。

目の前に爆弾が落ちてきたときか?

隣の人が、死んでからか。

被害者にならないと、だめなのか。

戦場が遠い、でも、加害者にされることは、自分へのダメージではないのか。

基地被害。基地からの被害。

基地からの加害、侵略。

外に向かう攻撃。

内で分断され、差別されるものと差別する側、抑圧される側とする側。

そういう構造を、支配層は必要とするのだ。

少数民族差別は、大多数の群集に、そっぽを向かれず、負担を見えなくし、隠蔽し、大多数の支持を得ておくために、必要なのだ。

彼らは、常に、犠牲を必要としている。

自分達の利益の矛盾を、誰かーそれは、大多数の人民からは、見えない人々でなければならないーに押し付けねば、収支が合わないようにできているから。

自分達の姿を知りたければ、沖縄を見ればよい。

沖縄という鏡に映った自分の醜い姿に驚愕するだろう。

そういうふうにして、得た利益は、本当に、我々の、利益なのか。

沖縄の基地は、戦争の足場だ。

戦争は、我々の利益なのか。

軍隊を置くことは、我々の利益なのか。

軍事費を、軍需産業に、自衛隊に、アメリカの軍産共同体に、思いやり予算に、使うことは、我々の利益なのか?

彼らは、何から何を守っているのか。

沖縄戦は、如実に示したじゃないか。

軍隊は、住民を守らない。

では、何を?現行権力を。

大多数の住民の利益にならない政治をしている権力。

権力の主たる資本を。

戦争に行って餓死したり、人殺しをさせられたり、逃げ惑ったり、人生を狂わせられるのは、彼らじゃなく、我々なのに、なんで、戦争を、「抑止力」などという虚構を、支持する。

やはり、そうであった、というのと、もともと政治など、期待していない、のと、政治に期待して待つのではなく、市民の運動として政府を動かすまでにならなければダメだ、というのが入り混じって。

でも、どこかで期待してた。

沖縄の人は、こんなことで、うなだれたりしない。

自決権を求めて、立ち上がろうとしている。






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Last updated  2010年06月05日 07時42分42秒 コメントを書く


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