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ズボンのポケットには千円札が3枚と、
100円硬貨を筒状に巻いた物と小銭入れ。
飛び出しては来たけれど、朝早くからやっている店も無く、
昨晩まで入り浸っていた雀荘も掃除のおばちゃんが来るには、
まだ時間が有り過ぎる。
「それなら朝飯専門の店も有る横浜かな」と電車に乗って、小田原駅を後にしたのは40年前の話。
今なら、いつでも飯が食える場所が至る所に有りますが、
当時は日雇いの労働者が集まる場所に、
まさにドヤ街の食堂いう店が、
朝早くから開けているくらいでした。
入口のガラス戸は外してあり、
外にまで酒箱で作ったテーブルが並んでいます。
勿論、水で割ったような安い酒も置いて有り、
いつでも、朝から出来上がったような連中で賑わっていました。
当時は朝定食で100円~120円くらいだった記憶が有りますが、
金の価値も今の3倍以上だったでしょうから、
牛丼が280円で食べられる現在の方が安いかな。
お櫃から丼に大盛りの飯を貰い、
甘い卵焼きに、更に生卵と味つけ海苔ですから、
栄養のバランスなどは、まるで無視、
それでも無料のキャベツと、
塩が効きすぎた味噌汁は食していました。
○○信用金庫と書かれた硬貨の棒、
店の釣銭用に何本か置いて有った内の1つを失敬して来たのは、
母親との喧嘩の後。
大学には殆ど行かずに雀荘暮らしでしたから、
問い合わせが自宅まで来て発覚。
しかも授業料の使い込みもばれては、母親が怒るのも当然。
自分が悪いのは百も承知ですが、勢いで飛び出した訳です。
麻雀では負けませんでしたが、
その以上に競輪でやられてしまいますから、
どうしてもお金が足りなくなる。
私が始めた頃の競輪は、有る意味では単純な博打で、
叩かれた本線が別ラインを捲り切れるかどうかで、
本命サイドか穴になるかが決まりましたが、
その内に段々と競争スタイルが変わり、
飛び付いたりする選手も出て来ました。
そうなると推理の幅も広がり狙い方次第で、
穴を仕留める事も出来るようになりました。
当時の万車券は今の10万車券となるくらいの確率ですから、
そうそうは簡単には取れません。
それでも天の邪鬼の私でしたので、他人と同じような車券、
特に人気になるような車券は買いませんでしたので、
結構な頻度で当てていました。
しかし滅多に出ないから穴で、
本線で仕方が無いと思ったレースでも、
無理に捻って穴を狙っては勝てません。
今思うと、2倍:3倍の車券を一所懸命に検討して狙っているオヤジなどは、
馬鹿にしていた節が有ったようです。安い配当を獲るのは恥だと思っていたようです。
[続]
麻雀と競輪に明け暮れた日々を、これから暇をみて、
少し書いて行こうと思っています。