全17件 (17件中 1-17件目)
1
日本人がいちばん 力道山を知らない・・・プロレスラー・力道山を題材とした日韓共同映画が「力道山-Rikidozan-」であり韓国では2004年12月に公開され日本では2006年3月より全国上映された。太平洋戦争が終わった1945年。貧困の祖国を離れ、いい暮らしを夢見て相撲取りになり単身日本に渡ってきたシルラク(ソル・ギョング)。だがそこは先輩力士からの厳しい指導を耐え忍ぶ辛い日々が待っていた。そんなある日、力士のタニマチ・菅野(藤竜也)の世話で座敷に上がる芸者の綾(中谷美紀)と出会う。身寄りのないもの同士深い愛情で結ばれていく二人。心の支えを得たシルラクは力士“力道山”となり関脇にまで登り詰める。順調に綱取りを目指す力道山であったがそこには目に見えない民族の壁が存在していた。力道山はそんな相撲界に見切りをつけ国籍や人種に囚われる事なく自分の力を試せる場として西洋のスポーツ“プロレス”に活路を見出すのだった。この映画の主役の力道山役には韓国No.1の実力派俳優ソル・ギョングを迎え、彼は体重を20キロ以上増やし日本語のセリフという難題も見事にクリアしその類稀なる役者魂に世界中が絶賛した。更に力道山の妻に中谷美紀、後見人に藤竜也、マネージャーに萩原聖人など日本からも豪華俳優人が総出演するだけではなく数々の名勝負を演じるレスラーには木村政彦をモデルにした井村昌彦にパンクラスの船木誠勝力道山をプロレスに導いたハロルド坂田に全日本プロレスの武藤敬司大山倍達と共に海外遠征をした力道山にプロレスリング・ノアの秋山準ほか有名格闘家が多数出演。これは力道山の実子である当時ノア副社長百田光雄が協力して出来た作品であるためプロレスラーが端役で出演する事になった。また公開された7月に東富士役の橋本真也が急死してしまい、この作品が遺作となった。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村力道山 デラックス・コレクターズ・エディションソン・へソン
2013.03.09
コメント(6)
テレビの夜明け、それは街頭テレビによる力道山のプロレス実況中継から始まった。戦後、GHQ統制下も時代アメリカ人に頭が上がらない日本人だったが力道山はプロレスを通じて外国人を必殺!空手チョップで倒し国民は力道山の凄さに心酔した。そんな時代だった日本プロレス界に初来日したのが「ココバット」と呼ばれる頭突きで力道山を苦しめたボボ・ブラジルであった。テレビが普及していない1957年、お茶の間で見るのが困難だった力道山の試合をスクリーンにて実況上映したのが大映公開の「頭突と空手チョップ!!力道山対黒人ブラジルの血戦」である。真夏の東京体育館は1万人の超満員。メインイベントは力道山vsブラジルのシングルマッチ戦これは明らかに若さと力を持て余した初来日のブラジルは飛行機に弱く日本に到着するまで乗り物酔いが酷い所為か力道山の試合運びと噛み合わなくて混乱。1本目、2本目共にリングから降りてしまい試合放棄負けとなるハプニング。続く力道山vsブラジル第2試合目は同じく東京体育館での連戦。メインはタッグマッチ力道山&豊登vsブラジル&ロード・レイトンだが試合はあっけなく力道山組の勝利で終りボボ・ブラジルの日本における評価はブルファイター止まりであった。この映画はテレビ同様、実況中継で綴っており丁度この頃、日本テレビが毎週土曜日の夕方にプロレスの普及を図る目的の定期番組「プロレス・ファイトメン・アワー」を開始していた。また黒い魔神:ボボ・ブラジルは1966年にバディ・キラー・オースチンを破りWWA世界王座を獲得。1968年6月の来日では防衛記録を積み重ねていたジャイアント馬場を破りインターナショナル王座を獲得。直後に行われた再戦で馬場の必殺技「32文ロケット砲」三連発に沈みタイトルを奪回された。 1972年12月に空位となっていたインター王座を「頭突き世界一決定戦」と呼ばれた大木金太郎戦で勝利し再び獲得しました。大の飛行機嫌いで有名で、ジャイアント馬場の5000試合達成記念試合のスペシャルゲストとしてブラジルを招こうとしたが飛行機の件であっさり却下された。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村【フィギュア】レア品■力道山 タオル
2012.06.21
コメント(2)
鈴木正文によって設立された剛柔流空手「正武館」は防具付き空手であり、合気道や剣道居合道など総合武道場と名乗っていた。「激突!殺人拳」に撮影協力をし出演していた鈴木正文・館長と日夜鍛錬に励む門弟達の汗と目を見はる技術を取材し少林寺拳法を始め沖縄古武道・空手道、剣道示現流、水鴎流居合剣法、宝蔵院流槍術、戸隠流忍法など様々な日本古来の古武道の真髄を紹介した映画が1974年公開の東映ドキュメンタリー映画「武道ドキュメント 拳豪の祭典」である。インタビュアーの広瀬義宣が日本一強い男、日本一強い流儀を求めて日本各地の拳豪たちを追いドキュメントは各パートに分かれている。空手道を究める正武館では空手九段の鈴木正文・館長が数十年に亘る修行と鍛錬のたまものである技を披露。「半ばは自己の幸せを半ばは人の幸せを」と唱う館長・宗道臣が一代で築きあげた「少林寺拳法」では撮影当日が試験日に当っており集った受験者500名による集団演武と講義高段者による組手模範演武をカメラは捉えた。空手の源流である沖縄古武道では本場、沖縄の現存する那覇の比嘉ゆう直、八木明徳、宮里栄一、コザの中里周五郎など大家を紹介。人間の力の限界とあいまって死に徹する一つの真意を養う為、極めて実戦向きに案出された古武術「小林流一尚礼館」居合、鎖鎌、剣法の水鴎流居合剣法第十四代宗家正木流鎖鎌術十一代宗家、剣道教士七段などの資格を持つ勝願光安を取材。槍一筋に錬磨研究している剣道教士、居合道教士、槍術師範の山本卓夫は人間性を浮彫りし宝蔵院流槍術の源泉を探る。未沢藩の稲富流の伝統・稲富流砲術は現在も旧藩士の子孫の人々によって受け継がれその古武豊かな砲術が勇壮、豪快に展開。伊賀流忍術・戸隠流忍法三十四代宗家など八流派の忍術宗家を継いでいる千葉県野田市の初見接骨院長の戸隠流忍法初見良昭氏は、武芸十八段、忍法十八型、合計“三十六単位"を修めて宗家となった達人。それぞれのインタビューや高段者による組手模範演技など迫力あふれる映像が満載なアクション映画となった。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村武道ドキュメント 拳豪の祭典
2012.05.31
コメント(2)
戦後日本のスーパースター力道山馬場、猪木の師匠で日本プロレス界の父力道山の初出演映画となったのが1954年に新東宝映画「力道山の鉄腕巨人」である。小児麻痺の保(小畑やすし)に、ある日力道山が見舞いに来た。それは力道山が保の父・兵六(柳家金語楼)の子供が小児マヒで足の立たないのに同情しレスリングを見せて保少年を喜ばせる為だった。感激した保少年はこの日、夢を見た。それはジャングルに暮らす山男・力道山と保少年が偶然遭遇しそのジャングルの中で光線銃の研究をしている天知博士(古川緑波)を襲ったギャングの殿村(富田仲次郎)に会った。ギャングをやっつけた力道山だが虫の息の博士は放射能を除去する装置を渡され秘密の半分を持っている娘・曉子(安西郷子)を守ってくれと言って死んでしまう。ギャングを追跡する力道山だったが乗っていた貨物車が海に転落してしまう。その後、魚河岸で汚染マグロと一緒に引き上げられた力道山は高濃度の放射能に汚染されていたので検査官(松本朝夫)は慌てて力道山を保護しようとするがパトカーに驚いた力道山は銀座方面へ逃走。東京の街に出て腹を空かせた二人が忍び込んだのはステージが終った少女歌手(松島トモ子)の楽屋で匿われて一安心した。しかし力道山が木の上で熟睡している隙にギャングが保少年を誘拐してしまう。 一味のボス(安部徹)は博士の助手・池島(小笠原弘)を買収して娘を誘き出させようとする一方で保少年を探していた力道山はギャングを発見、しかし殺人光線銃により再び取り逃がしてしまう。前世紀の怪物に間違えられた力道山は警察に捕われてしまい留置場で偶然、保少年の行方を知っている人物から行方を聞いた力道山は留置所の鉄格子を握って暴れ、警察署の建物を大揺れさせた。 所がこの警察署ではギャングの魔手から逃れた保少年と共に保護された博士の娘がいた。事情聴取していた警官(丹波哲郎)は地震に大慌て。保少年は放射能除去装置で力道山を救いギャング団の黒幕を突き止めた。この映画はラストで力道山がプロレスの試合で観客を沸かせるという趣向で当時のトップレスラーを出演させている。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村【送料無料】力道山の鉄腕巨人
2012.03.22
コメント(2)
日本プロレス界の父・力道山戦後、日本低迷期で不安に駆られていた国民に勇気を与え全国民の支持を受けた。そんな力道山の半生を描いたのが1955年日活公開の「力道山物語・怒濤の男」である。物語は長崎県の貧しい農家で生まれ育った百田光浩(力道山)は小結大村潟(澤村國太郎)の実父である作造(左卜全)のすすめで大村潟に弟子入りしたが取的としてコキ使われるばかりだった。5年後のある日、母・たつ(飯田蝶子)が九州から上京して力道山と名を改めた我が子にゆで卵を腹一杯食べさせた。その時、力道山は傍らの貧しげな男に食べ残しの卵を与えたが、それが後に彼の運命を大きく回転させるカギになっていた。母が土産にと持って来た手製の下駄を御守にひたすら練磨に励んだ彼は初めて番付の末尾に自分の名前が載った日、その下駄を出して拝むのだった。その後、厳しい角力の世界にあって力道山は母が死んだ時も郷里へ帰らず歯を食いしばって精進を続けまたたく間に十両になることが出来た。彼がかつて卵を恵んだ隅田新作(河津清三郎)に再会したのは戦争半ばの事であり軍需工場を経営している隅田が力道山の男意気に惚れ込み良き相談相手になった事は言うまでもない。やがて戦争も終り、角力も漸く復活したが戦時中、配給物資の不正で除名された大村親方は許されず力道山は隅田の力をかりて大村部屋を再建し大村潟を親方に迎えた。その頃、彼は西の関脇として横綱街道を進んでいたが大村親方の冷たい仕打ちに力道山は角界から身を退き建築会社隅田組の資材部長として働く事になった。妻・雪子(南寿美子)と亡母の墓参に出かけた日「駐留軍慰問外人プロレス試合」のポスターを見て力道山の心は燃え立った。ハワイで修業を積んで帰朝以来、プロレス界の王者となりシャープ兄弟、ルー・ニューマン、ハンス・シュナーベルと闘いプリモ・カルネラ、ジェス・オルテガを破った彼に美空ひばりが花束を持って力道山を応援にやって来ていた。そして世界選手権保持者ルーテーズ挑戦の快諾が待っていた!この映画で力道山の出身は九州となっているが実際は朝鮮半島の出身であり、相撲界も二所ノ関部屋出身である事から映画用にリメイクされている。制作、音楽を担当したのが古賀政男であり力道山とは親交があったと思われる。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村【送料無料】力道山物語
2011.11.10
コメント(2)
劇画「空手バカ一代」で梶原一騎のバックアップを受けた極真会館は知名度を上げ、更に梶原が創設した三協映画が第1回全世界空手選手権をドキュメントした「地上最強のカラテ」第2回全世界空手選手権を描いた「四角いジャングル」を制作した事で極真はメディアでの大成功を得た。しかし昭和55年、ウィリー・ウィリアムスVSアントニオ猪木の世紀の試合が発端で極真会館創設者大山倍達と梶原一騎の間で確執が生まれてしまい梶原は極真を除名されてしまう。梶原を失った極真は広告塔もなくメディアもない完全に陰に潜めてしまった。しかし大山倍達は第3回全世界空手選手権をメディアに公開すべく急遽、有志を集めて極真映画製作委員会を設立。1985年、今までの極真カラテを描いた作品より、もっと真の極真を見せるために大山館長が自ら総指揮に立ち製作し松竹配給として上映したのが「世界最強のカラテ キョクシン」である。世界に冠たる極真カラテは巨大な組織を誇り世界最強のカラテ集団である。空手オリンピックと称した4年に一度しか開催されない第3回オープントーナメント全世界空手道選手権大会が1984年1月20日~22日に開催された。参加国は60余ヵ国、参加選手215名出場選手は前回の第2回大会で国と政府の関係で参加不可となった南アフリカの巨人ケニー・ウーテンボガードが念願の初出場を果たし、アメリカのポリスマン・クルジェビッツネパールから来た東南アジア・チャンピオンのゴーチャン破門を解かれ極真会館に復帰したウィリー・ウィリアムス対する日本勢は南海の牛若丸といわれた三好啓二現・極真会館松井派館長・松井章圭第2回選手権チャンピオンの中村誠らが出場した。この大会を開催するに当たり大山館長は内弟子達に日々、過酷な鍛練と地獄の特訓で鍛え上げていったが中村誠は選手権大会から退く事を宣言し兵庫支部の運営に専念、1983年の第15回全日本選手権にも出場せず周囲は完全に引退したと思っていたが大山倍達の命により第3回オープントーナメント全世界空手道選手権大会に推薦で出場する事となった。方やライバルであり全日本3連覇を達成した三瓶啓二は万全なコンディションで大会に挑み初出場となる松井章圭は若干21歳の選手であり今大会に向けて極真最古参の加藤重夫に師事していた。そして大会当日、大山館長は演武として“百目ローソク正挙突き"“ビール瓶の手刀斬り"をメインに一撃必殺技の極致が披露される。本大会は前回に劣らない接戦であり、まず第3回大会で乱闘を繰り広げたウィリー・ウィリアムスは4回戦、日本勢の田原敬三と再々延長まで戦うが判定5-0で初めての完敗を喫した。第2回大会で注目されていたウーテンボガードもあっけなく敗退し、残るは中村、三瓶、松井の日本勢だった・・・この映画で注目したいのが監修として映画界の重鎮監督・五社英雄が監修を務めていた事であり彼はテレビドラマ「刑事」や「ジキルとハイド」をプロデュースし「ひらけ!ポンキッキ」の企画にも携わり企画書を提出した人物でもある。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村MED-966(DVD)王者たちの戦い キング オブ キョクシン
2011.09.16
コメント(3)
“東洋の巨人”ジャイアント馬場“燃える闘魂”アントニオ猪木その二人を育てたのが“日本プロレス界の父”“怒涛の男”力道山である。力道山は日本プロレス発足以来、その人気により映画各社から出演がオファーされておりその中でも東映が1956年に力道山の強さをアピールした英雄的映画を製作、それが「怒れ!力道山」である。ある日、子供達の人気者・力道山の控室から小型のチャンピオン・ベルトを盗み出された。犯人は貫一少年で小児麻痺の友達・晃を励ますためベルトを盗んだのだ。その事を知った力道山は早速、晃を見舞い元気づけるが姉の悦子(小宮光江)はひがみから彼に喰って掛る始末である。その頃、彦根市体育館の落成記念に力道山は大橋代議士(早川雪洲)に招かれたが主催する赤岩興業の社長・赤岩敬介(佐々木孝丸)に不快を感じ中座した。帰途、力道山は暴漢に襲われた米川老人を助け出し老人は娘・康子(星美智子)と共に小児麻痺学校の愛光学院を経営していたが、赤岩や大橋らは学院に出される市の補助金を使い込んでおり近づく選挙のため穴埋めに苦心していた。事情を知った力道山は試合を終えると直ぐ学校を訪れテレビとファイトマネーを全額寄附したのだ。そんな時、アメリカから強敵レッド・ドラゴンが来日。力道山は死闘を繰り広げたが引分けに終わってしまい大阪で第2戦を約束する。試合後、晃の見舞に赴いた力道山は歩み寄ろうと努める晃の姿に思わずかけ寄って抱き上げる。力道山は悦子と晃を大阪の試合に招待する事にした。しかし横浜のキャバレーにて力道山はヤクザ一味に襲われてしまい左腕を負傷してしまう。絶体絶命の力道山だが晃の為にとリングに上る!この映画は国民のヒーロー・力道山を取り扱った事で興行成績も良く大ヒットした。また国会議員に指示されたヤクザが鉄砲や日本刀で武装し、キャバレーで格闘して負傷するシーンがあったがこれは力道山の死に方に似ていると話題を呼んだ。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村【送料無料】闘え、生きろ、老いるな!夫・力道山の教え
2011.08.30
コメント(3)
1957年10月15日、後楽園球場特設リングにて行われた20世紀最大のタイトルマッチ・NWA世界ヘビー級選手権ルー・テーズVS力道山を当時、テレビが普及していない国民の為に東映が映画化したプロレス中継である。世界最高峰といわれたタイトル・NWA世界ヘビー級王座は1905年に世界王座を正当化させる為にフランク・ゴッチを初代王者とし、1939年にミズーリ州セントルイスで当時のチャンピオン・エベレット・マーシャルを破りルー・テーズは若干22歳でNWA世界ヘビー級王者となった。その後、ビリー・ワトソン、ディック・ハットンらにベルトを奪われるも6度に渡り王座に返り咲く事から“鉄人”と異名をとるほどになった。必殺技はバックドロップヘソ投げ式とブリッジをかけない落とし方の2種類がありまたフライング・ボディシザース・ドロップやSTF、空手の弧拳であるテーズスペシャルスマッシュと多彩でありテーズの連勝記録は引き分けをはさんで936連勝と偉業を成し“プロレスの神様”カール・ゴッチと共に正に世界最高峰として君臨していた。同じ頃、日本では“東洋の輝ける星”として海外で武者修行しプロレスで大成功した怒涛の男・力道山が必殺技・空手チョップを駆使してシャープ兄弟、木村政彦、キングコングを倒しアジア圏を制覇し世界に視野を広げていた。その後、力道山が創設した「日本プロレス」は全米レスリング同盟“NWA”に加盟、NWA世界チャンピオン・ルーテーズを招へいした。この世界タイトル戦に日本プロレスは後楽園球場、現在の東京ドームを抑えてのタイトルマッチを慣行。この模様を取材したのが若き日の梶原一騎で試合内容はルー・テーズが1本を先取するものの2本目は力道山がテーズの必殺技・バックドロップを破った“河津掛け”でテーズの戦意を喪失させ空手チョップで勝利。3本目は時間切れによる引き分けで試合は終了。世紀のタイトルマッチはこれで終了した。本作終了後、力道山は世界の強豪を終結させた一大イベント「ワールドリーグ戦」を開催し一方のルー・テーズはディック・ハットンに敗れNWA王座を明け渡すも世界各国を回り防衛を重ねた実績からNWA本部よりらインターナショナルヘビー級の初代王者に認定されたが力道山により奪取されその後、インター王座は日本の主砲として輝き現在では全日本プロレスの三冠ヘビー級王座の一つとして君臨するのである。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村【東映セール】ルー・テーズ対力道山 世界選手権争奪戦(DVD) ◆25%OFF!
2011.04.07
コメント(0)
「地上最強のカラテ」と「地上最強のカラテPART2」の二作品を世紀の真剣勝負というテーマから全く新しい形の映画に編集したドキュメント作品を1977年に三協映画が製作したのが「地上最強のカラテ・結集篇」である。極真空手の総帥・大山倍達が掲げた実践ケンカ空手、世界各国の極真会で行われている地獄稽古によりカワラ割り・板割り・ブロック割り・手刀ビン切り・氷柱頭割り・手刀氷柱割り・水ガメヒジ割り・火輪飛び・垂直壁面駈け登り・手刀自然石割りの技が出来る様になるのだ。極真会では世界各国の代表的段位者を集め1975年11月1日、大山倍達の悲願である「第一回・オープントーナメント全世界空手道選手権大会」を東京都体育館で開催した。世界中にある他流空手試合は“型”を重視していたが大山が目指した実戦に即した空手であった。本大会には参加36ヵ国、選手120余名。外国勢の優勝候補はアメリカ四代表選手のウィリアム・オリバー(元全米チャンピオン)チャールス・マーティン(連続全米空手チャンピオン)ウィリー・ウィリアムス、フランク・クラーク迎え撃つ日本勢は佐藤勝昭、廬山初男、佐藤俊和、東谷功、大石代悟、東孝、岸信行、二宮城光でありこの晴れの日まで参加選手は高度な瞬間の捨て身や人間の限界を越えると思われるほどの過酷な地獄ゲイコを積み重ねて来た。もし日本選手が敗れ、外国選手がチャンピオンになったら腹を切らねばならぬと大山は秘かに覚悟を固めていた。午前10時30分。各国選手団の入場行進が始まり大会のルール説明が終わると代表選手による極真空手の迫真的な技の数々が披露される。「手刀氷柱割り」「極真剣白刃取り」「氷柱頭割り」等それは人間業とは思われぬ練達の秘技である。そして試合が開始され二宮選手のダイナミックな蹴り技モエンタイ(キックボクシング)のバネ、オリバー選手の華麗な動き、マーティンの大技、東谷選手の左右回し蹴りの名勝負が展開したが、決勝戦に駒を進めたのは日本の佐藤勝昭、廬山初男の二人であった。両者の壮烈な試合は延長戦にもつれ込んだ末、判定により佐藤選手が史上初の世界チャンピオンの座についた。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村【25%OFF】[DVD] 地上最強のカラテ 結集篇
2011.02.25
コメント(0)
1980年に東映、三協映画による極真カラテの真髄を新たな角度から捉えて描くドキュメント映画「最強最後のカラテ」は週刊少年チャンピオンに連載された原作の映画化で監督は梶原一騎である。最強の空手家を目指して厳しい荒稽古に汗を流す大山倍達の流派・極真会館の道場生たち。その脅威は日本だけではなく世界各国にまで大山空手が広まっていた。本作は第10回全日本空手道選手権大会をドキュメントした「激突!格闘技 四角いジャングル」の続編的意味合いを持っており、今回は翌年に行われた世界大会を取材、その海外の極真空手家を追い、今まで日本に紹介されなかった外人の強者を取材し4年に1度開催される空手オリンピックオープントーナメント全世界空手道選手権大会に向けて日夜、稽古に励む道場生にスポットライトを当てている。まず「第4回全日本選手権」にて準優勝したイギリスのハワード・コリンズで、彼は15歳の時に極真を始め1971年日本に来日し本部道場で稽古を開始する。翌年には極真最大の荒行・百人組手を道場性で初めて完遂するなど快挙の多い空手家である。次に南アフリカのケニー・ウーテンボガードで彼は身長197センチ・体重98キロという大型で今大会の優勝候補の一人であったが南アメリカのアパルトヘイト問題を良しとしない国から圧力が掛かり外務省が出場を許可しなかった為ウーテンボガードは来日したものの直前に出場停止となりました。そして優勝候補の“熊殺し”ウィリー・ウィリアムスはアントニオ猪木が掲げる「プロレス格闘技世界一」を断固拒否!極真空手を地上最強と信じるウィリーは猪木に挑戦状を叩きつけての来日でありました。1979年11月23日から3日間で行われた日本武道館における第2回オープントーナメント全世界空手道選手権は母国日本の王座最大の危機と言われた大会であり日本からは二宮城光(現・円心会館)引退後の極真日本勢を守った中村誠、三瓶啓二の二人が大会に出場した。本大会は案の定、外国人選手が勝ち進みウィリーが優勝に王手をかけていた。しかし準決勝にてウィリーは度重なる掴みからの膝蹴り三瓶を投げた事からウィリーの反則負けとなる謎が謎を呼ぶ突然の暴走行為が勃発した。その真相については未だに不明だが結果的に決勝は準決勝で東孝を破った中村誠と三瓶啓二が相見える勝負となった。結果は中村誠が優勝し空手日本を守り極真日本勢の面目を守ったのであった。この二人は両者の名前を取り“三誠時代”と呼ばれる様になりました。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村【送料無料選択可!】最強最後のカラテ / 格闘技
2011.01.13
コメント(3)
1957年、東映が時のスーパースター・力道山を主演に同じく時代劇のスター・東千代之介と組んで世に送った明朗友情物語なのが「純情部隊」であり原作は玉川一郎、監督は日本映画の重鎮:マキノ雅弘。物語は太平洋戦争末期の郊外のとある兵営で召集ホヤホヤの補充兵達である力士上りの光田二等兵(力道山)元・会社社長の安永二等兵(進藤英太郎)浪曲師の虎沢(広沢虎造)流行歌手の谷村(ディック・ミネ)漫才師の小島(堺駿二)安永の社員だった塩見一等兵(杉狂児)といういずれも強さより愛嬌タップリなメンバーであった。ズッコける様な起床ラッパを吹いた塩見は罰に外出禁止令を食うが彼を呼捨てにした安永も外れたボタンが見つかかってしまい二重のお目玉。恐縮した塩見に古年兵の靴を抱え通り掛った光田も協力しボタン探しに努めるが、その間に靴が盗まれてしまった・・・そこで員数合せに盗んできた靴は何と宇野見習士官(東千代之介)の物と判明。しかし宇野の思いやりで事なきを得て翌日は揃って外出という次第に至った。こうした一同にも近く前線出動の命が下り、遺髪を切るやら大童わの処に折も折、玉音放送終戦となってしまった。男泣きに泣いた一同は5年後のクリスマスで両国橋での再会を約し懐しの我家へ戻る事になった。ところが約束の夜、橋に来たのは安永と塩見のみ?終戦後も社長と社員に戻った二人だけだった・・・料亭で飲んでいた二人に写り込んできたのは別室で人気スターである千代之介が飲んでおり彼は何と宇野見習士官とであり、更に足を伸したキャバレーでは人気歌手の谷村と再会。ここで千代之介の人気を妬む支配人のボス・杉山らと大喧嘩になるがサンタクロース姿のサンドイッチマンの光田の出現でボスは散々の態。ここにて一同の顔も勢揃いし光田は安永の忠告でプロレスラーに転向するのであった。この映画を演出したマキノ雅弘は生涯に261本もの劇場映画を監督・製作し日本映画の黄金時代を築きました。その家系は父は「日本映画の父」と呼ばれた牧野省三、その長女・牧野冨榮は映画製作会社を経営し四女・マキノ智子は女優で夫に歌舞伎役者の沢村国太郎その間に出来た子が長門裕之、津川雅彦沢村国太郎の妹が沢村貞子、弟が加東大介長男はマキノ雅弘で次男に映画プロデューサー・マキノ光雄三男に映画監督・マキノ真三といった正に大芸能&映画界一家であり更にそれぞれの夫・妻、子供なども芸能界であるのです。また漫才師の小島を演じた堺駿二とは喜劇の神様と称された昭和の名喜劇俳優でありタレントの堺正章の父である。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村力道山物語
2010.12.22
コメント(0)
梶原一騎の原作「四角いジャングル」を三協映画が制作しシリーズ第3弾と銘打ったのが「格闘技オリンピック」でありアントニオ猪木対ウィリー・ウィリアムスの世界ヘビー級格闘技戦を中心に世界一を目ざす強者たちの戦いとハードトレーニングの姿を描くドキュメンタリー映画である。物語は1人の予備校生から見た格闘技を語る映画で黒崎健時が主催する「腕っ節日本一決定戦」の予選が拓大体育館で行われていたが香港より参加のカンフーの使い手林白竜が登場した。(実際は日本人で梶原一騎のヤラセである)そして極真空手では中村誠による地獄の百人組手を公開。逸話として映画という事もあって大山倍達が中村に「挑戦しなさい」と命じ挑んだ。しかし35人で断念した。プロレスではアントニオ猪木対タイガー・ジェット・シンキックでは藤原敏男対ビラチャート・ソンデンを公開。そして極真・第2回全世界選手権前にウィリーは「プロレスこそ最強の格闘技」を標榜するアントニオ猪木に対し“地上最強は極真カラテ”の思いから挑戦を表明した。猪木・ウイリー戦が正式決定し記者発表を開いた。猪木はパラオで秘密特訓、ウィリーは黒崎健時の道場で師・大山茂と共に特訓を開始していた。しかし大山倍達の「門下生の他流試合を禁止」という考えからウィリーは破門されてしまった。後楽園ホールにて公開スパーリングの際猪木はウィリーがスパーリングの相手がいないという事で自分がスパーリング相手になるとウィリーを挑発し両雄は触発した。向かえた1979年2月27日 蔵前国技館新日本プロレスvs極真空手の格闘技世界一決定戦アントニオ猪木対ウイリー・ウィリアムスルールは3分1Rで寝技は5秒以内、ウィリーはグローブを着用両陣営の選手や関係者がリングサイドに陣取り結果は4R1分24秒、両者がもつれたままリング下に転落。ドクターストップによる引き分けに終わった。最後は両陣営の乱闘となったが添野義二は新間寿を蹴飛ばす時に「新間さん蹴りますよ・・・」と耳打ちしたそうです。これは添野がファンサービスの為の乱闘を繰り広げるという配慮から新間に対しての気配りであったと後に語っているのです。この実況を担当したのが古舘伊知郎であり彼は入社と同時に「ワールドプロレスリング」担当に配属され入社1年目のアナウンサーが実況デビューするのは極めて異例なほど大出世でありました。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村必見!必殺・衝撃の見せ場!格闘技オリンピック ~四角いジャングル~”熊殺し”ウイリー・ウイリアムスVSアントニオ猪木 [DVD] RAX-103
2010.10.29
コメント(2)
1976年、梶原一騎が設立した三協映画が制作した「地上最強のカラテ PART2」は人間の能力の限界に挑戦を試みる極真空手のドキュメンタリー映画「地上最強のカラテ」の第2弾である。梶原一騎は予てより映画界進出を狙っており映画会社に企画書を通して制作するぐらいならいっその事、映画会社を作ってしまえと言う事で東京ムービー社長の藤岡豊、石原プロ映画のプロデュースを行っていた川野泰彦と「三人で協力する」という意味で三協映画を設立しました。本作は北米、南米、欧州、東南アジアなど海外数カ国ロケを敢行し極真門下生によるハードで凄絶な修行、即ち地獄稽古での過酷な鍛錬を紹介。大山泰彦と三浦美幸(現・USA大山)による空手の武器・トンファーと日本刀の実演や芦原英幸(芦原会館)の手裏剣の演武と言った幻の技を唯一見る事が出来るのです。そして大山倍達総裁が極真の黒帯五人を相手に実践組み手を敢行した“神技5人掛け”を披露し豪快な超秘技と歳を感じさせないパワーで現役黒帯たちを追い詰める。またケンカ十段・芦原英幸の組み手も収録されており幻の神技“サバキ”を見る事が出来ます。注目なのはアメリカのペンシルバニア州で黒人選手ウイリー・ウイリアムスが狂暴な野性熊と素手で戦うデス・マッチを行いました。この熊との戦いにより“熊殺しウィリー”の異名を取り後にアントニオ猪木に挑戦を表明するのでした。ちなみにウィリーは現在、格闘家を引退しバスの運転手に専念している。にほんブログ村地上最強のカラテ DVD-BOX~地上最強のカラテ公開30周年記念(DVD) ◆20%OFF!
2010.05.12
コメント(3)
1979年に東映が配給し梶原一騎の三協映画が制作した「激突!格闘技 四角いジャングル」は少年マガジンに連載されていた同名の劇画をドキュメンタリータッチで映画化したものです。この当時はUFO、オリバーくん、ネッシーと超常現象を取り扱ったドキュメンタリーがナレーションによる解説を中心に番組が編成される手法が流行っており梶原一騎もこの手法で四角いジャングルを盛り上げている。プロレスからは新日本vsフリー選手による「プレ日本選手権」で、アントニオ猪木vsヒロ・マツダという名勝負を筆頭に全日本を脱退したサンダー杉山とストロング小林の対決、坂口征二vs上田馬之助があり、中でも異種格闘技戦のアントニオ猪木vsミスターXは史上最低の煩試合と言われておりこれは梶原一騎が漫画「四角いジャングル」でミスターXをウィリー・ウィリアムスを倒した物凄い格闘家として奉り、この試合の前評判を誇大してしまったのが原因で実際は動きが鈍く良いトコなしで呆気なく負けて知ったのです。ちなみに漫画ではミスターXは替え玉であったと言い訳に近い補足をしている。極真空手からは「第10回 全日本空手道選手権」を収録し大山倍達のビール瓶斬りを筆頭に現・円心会館の二宮城光の決勝進出シーンと言う貴重な試合と、ケンカ十段・芦原英幸による手裏剣の演武と二宮城光の組み手と言う現在では見る事の出来ないシーンがあります。キックからはベニー・ユキーデがシーソンポップ戦で得意の空中殺法を封じられた上にローキック攻撃を浴び、更には反則技である顔面へのヒザ蹴りをされて判定負け。初めての敗北を喫する試合とそのユキーデの仇を討つべく藤原敏男がシーソンポップを倒す試合が収録されていました。にほんブログ村アントニオ猪木 真の王者への道 四角いジャングル激突!格闘技
2010.02.19
コメント(4)
極真会館が第1回世界選手権大会を記念して三協映画が制作した「地上最強のカラテ」は現在、空手界にとって伝説的な映画となっています。その厳しい荒稽古に汗を流す練習風景と選手の横顔、世界各地で最強の空手家を目指す人達の姿が紹介される。中でも人間技とは思えぬ試し割りの数々は必見で添野義二(士道館)による瓦割り中村忠(誠道塾)大山茂(USA大山)による真剣白刃取り芦原英幸(芦原会館)の氷柱割り、自然石割り大石代悟(大石道場)による車の飛び越え真樹日佐夫(真樹道場)の抜き手による畳付き刺しそして大山倍達による見事なビール瓶水平手刀割りまた第1回・オープントーナメント全世界空手道選手権の記録を見る事ができ、ウィリー・ウィリアムス、廬山初雄(極真館)二宮城光(円心会館)の試合や世界大会覇者・佐藤勝昭(佐藤塾)の優勝シーンを見る事が出来、極真大全盛期の高弟たちの演武を見れるのはこの映画しかないのです。注目するのは大山倍達が「日本選手が破れ、外国選手がチャンピオンの栄光を手にしたら、腹を切らねばならん」と大山が道場生たちに講釈するシーンは必見です。にほんブログ村地上最強のカラテ 結集篇(DVD) ◆20%OFF!
2009.10.28
コメント(6)
日本プロレス界の父・力道山この映画は力道山の全貌を描くドキュメンタリーで作家・村松友視が監督である。冒頭ではジャイアント馬場vsスタンハンセンアントニオ猪木vsハルクホーガンの試合が流れ「馬場、猪木を育てたのが力道山」と村松のナレーションでドキュメントはスタートする。この映画では力道山の名勝負で綴られ、私が力道山の試合を見るのはこの映画で初めてなのです。街頭テレビで民衆が見ているのは「力道山、木村vsシャープ兄弟」日本中が熱狂したタッグマッチでした。他にも黒い魔人・ボボ・ブラジル、銀髪の悪魔・フレッド・ブラッシーの試合も収録されていますが中でも伝説と謎で綴られた「力道山vs木村政彦」戦は昭和の巌流島対決と言われた一戦でした。しかし「ザ・力道山」ではこの謎が何なのかを追求してました。柔道王・木村政彦といえばグレイシー柔術の祖・エリオグレイシーと対戦し腕固めで勝利しているほど強い格闘家なのですがこの世紀の一戦は当初、引き分けで終わらせるつもりだったのですが木村が誤って急所を蹴ってしまい怒った力道山が試合前の引き分けという申し合わせを破り一方的に攻撃したのです。この木村に対する力道山のパンチはガチンコそのものでした。力道山が勝利してレフリーに手を上げてもらっている所で試合終了。ここで謎も終わっています。しかし力道山を見たことない私にとって強さを確認できる映画でもありました。【ぐるのバーゲン】 必殺の空手チョップ 今甦る!力道山(DVD) ◆25%OFF!
2009.08.02
コメント(7)
『四角いジャングル』は原作:梶原一騎で週刊少年マガジンに連載されていた劇画の映画版である。実際の格闘技界と劇画が同時進行するという前代未聞の企画を映画化!これは梶原一騎しか出来ない荒業である。劇画で掲載された試合を、そのまま映像化しているだけなのだが、アントニオ猪木vsモハメドアリや極真空手の全日本選手権、空手の演武、キックボクシングでムエタイに勝利した試合など今ではDVD化出来ないようなものが映画化されている。当時はアントニオ猪木の異種格闘技戦が主流でアンドレ・ザ・ジャイアントやボブバックランドなど懐かしい試合も見れます。なんと言ってもこの映画で主役級?なのがマーシャルアーツの帝王・ベニーユキーデ現在のK-1の元祖と言ってもよい全米プロ空手マーシャルアーツユキーデはローリングソバットを得意技とし、華麗な動きで多くの観衆を魅了しました。ドキュメンタリータッチの四角いジャングルを見てみるべし!四角いジャングル DVD-BOX
2009.07.06
コメント(7)
全17件 (17件中 1-17件目)
1