無色透明

無色透明

2008.12.11
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カテゴリ: スピリチュアル
昨日、郵便局へ行った。
用事を済ませて車に戻ると・・・
エンジンがかからない。
アレ・・・?

もしかしてバッテリー切れ?
しばらく待って、再度チャレンジする。
しかし、何度やってもエンジンはかからなかった。
そう言えば、ここ数日エンジンのかかりが悪かった。

しかたがないので、自動車修理工場へ電話する。

しばらく待つも、連絡がない。
忙しくて人出がないのだろうか・・・

連絡がないので、再度電話を入れる。
電話に出ない。
まいったね。
さてさて・・・

待てど暮らせど連絡がないので、別の修理工場に電話するしかない。
こちらもかかりつけだが、あいにく電話番号がわからなかった。
郵便局で電話帳を借りる。
こちらは、すぐに来てくれることになった。

電話をかけ終わって車に戻ると・・・

最初に電話をした工場の人。
オイオイ・・・

「電話してから来てくれよ」と言いたかったが、あまりにも笑顔がすてきだったので言いそびれてしまった。
感じの良い人で、すぐに修理を始める。
と言っても、携帯のバッテリーで充電するだけ。


ヤバイ!
二番目の工場に連絡しないと。
ところが、電話が繋がらない。
たぶん、もう出かけてしまったのだろう。

最初の工場の人が帰ってしばらくして、二番目の工場の人が到着。
既にエンジンはかかっている。
まいったね。
事情を説明するしかないか・・・

ところが口から出た言葉は、「エンジンがかかってしまった」
うまいこと言うなと自分でも感心。
二重連絡では、気分が悪いだろう。
ウソも方便?

もちろん、手間賃は払うつもり。
ところが、別にいらないと言う。
ハー、良心的だね。
それでは、別のことをお願いしようか。

ハンドルを木製のものに替えようと思っていた。
既に新しいハンドルと必要部品は、購入してあった。
ただ時間がなくて、二ヶ月ほどそのままになっていた。
それに、タイヤも前後を取り換えたかった。

せっかくの機会なので、そのことを話す。
バッテリーと一緒に見てくれることになる。
午後に新しいハンドルを持って工場へ行くことに。
ここまで来てくれた手間賃も一緒に請求してくれるように話す。

午後になって、修理工場へ行く。
まずタイヤの前後を交換してもらう。
本当は新しいタイヤにした時に、前後を交換してもらうことになっていた。
ところが、新しいタイヤを取り付けた人が、交換するのを忘れてしまった。

こちらも交換してくれたものと思い込んでいたので、数日後に気がついた。
交換してくれた人が心もとない感じなので、別のところで交換したいと思っていた。
ガソリンスタンドではなくて、ちゃんとした修理工場で。
そういう意味で、ちょうどよかった。

次にハンドルを交換してもらう。
エアバックは、交換する時に爆発する恐れがある。
バッテリーを切って、慎重に作業が進む。
新しいハンドルを取り付け、試運転も無事に終了。

次にバッテリーを見てもらう。
まだ使えそうなのだが・・・
ここのところ調子が悪いので、新しいのに交換してもらう。
思ったより値段も安かった。

いろいろ話をしているうちに、エンジンオイルも交換してもらうことになる。
前回交換してから、既に1万キロぐらい走っている。
せっかくなので懸案事項は、みんな処理することに。
これで車に関する気がかりは一掃された。

お客さんを乗せるので、車は定期的に点検してもらっている。
もう11年目なので、いろいろガタがきている。
部品を取り換えることも頻繁にある。
それでも、まだ十分に乗れそう。

すべて終わって、さて支払いは・・・
これだけやったのだから、3~4万円ぐらいかなと予想していた。
ところが、請求されたのは、1万7千円。
安い!

しかも、2万円出したら、お釣りがないと5千円返してきた。
それで利益があるの?
ちょうど二千円あったので、渡す。
向こうも恐縮していたが、こちらも恐縮してしまう。

東京では考えられない料金。
いくら屋久島でも、これは安い。
屋久島の修理代は、かなり安い。
しかし、部品代は、全国共通。

しかも、フェリー代が加算されるので、割高になる。
それを含めてこの値段では、利益はいくらあるのか心配になってしまう。
この工場は、新しくできたところ。
兄弟二人でやっている。

感じがいいので、時々行っている。
本当はバッテリーが上がった時、最初にこちらに電話したかった。
しかし、電話番号がわからなかった。
また定期点検の時に来ることを約束して別れる。

バッテリーが上がってしまった時、よりによってこんなところで・・・
とは思った。
でも、冷静だった。
しばらく様子を見た。

でも、回復しなかった。
そこで、修理工場へ電話を入れた。
なかなか来てくれなかった。
それで次のところへ電話した。

電話を切ったら最初の工場の人が到着した。
二度目の工場の人へ断わりの電話をした。
しかし、繋がらなかった。
二度目の工場の人も到着してしまった。

事実関係を書けば、そんなところ。
別に何ということもない。
冷静に対応すれば、なんとかなる。
しかし・・・

ここで興奮することもできる。
あたふたと慌てたり、身の不運を嘆いたりすることもできる。
今日はツイてないと落ち込むこともできる。
イライラして車に八つ当たりすることもできる。

どんな対応も可能。
その対応によって、気分も変わってくる。
心が動揺することもあり得る。
心が沈むことも起こり得る。

事実は、事実。
しかし、反応はマチマチ。
怒ることも、嘆くことも、イライラすることも、何でも可能。
それによって、心の状態は千変万化する。

冷静に対応するのが、一番スムーズに進む。
しかし、冷静過ぎると面白みに欠ける。
まったくドラマは体験できない。
感情的になることによって、ドラマは生まれる。

事実ベースで淡々と事を進めたら、波風は起きない。
波風がないと、興奮もない。
ジェットコースターのようなハラハラドキドキは体験できない。
静かに事態が推移するだけ。

感情は、人を興奮させる。
盛り上がるドラマを体験させてくれる。
些細なことでも一大イベントにしてくれる。
感情による興奮効果。

冷静であると、そんなことは体験できない。
ハラハラドキドキは、まったくない。
ただ事が淡々と運んでいくだけ。
それでは物足りないから、人は目いっぱい感情ドラマを演じているのだろうか。

どちらでもいい。
どちらでも選択できる。
しかし、実際は選択の幅は小さい。
なぜなら、冷静である選択は稀。

大多数の人は、感情ドラマを選択する。
事を自分で脚色して盛り上げる。
「たいへんなんだから・・・」
「もう、どうしようもないんだから・・・」

傍(はた)から見ると、どうでもいいことに見える。
しかし、本人は真剣。
おおいに興奮している。
まるで人生の一大事のように。

感情は、自己増殖する。
興奮は、興奮を呼ぶ。
怒りは、更に怒りを増幅させる。
恐れは、更なる恐れに繋がる。

人は、感情のドラマを自ら演じてきた。
しかし、そのことに気づいている人は少ない。
ほとんど自動的に反応しているだけ。
親からの刷り込みや人類の共同無意識のままに反応している。

もうそろそろ冷静に対応することをマスターしてもいいだろう。
感情に振り回されるのではなく、冷静さと共に生きること。
感情よりも深い次元で生きること。
冷静さ=霊性さと共に生きること。

落ち込んだり、嘆いたり、悲しんだり・・・
怒ったり、イライラしたり、心配したり・・・
そういう自分のパターンに気づくことだろうか。
オートマチックに反応する自分の感情に気づくことだろうか。

何か問題が起きたら、それを活かせばいいだけ。
バッテリーが上がって、結果的に懸案事項が一掃された。
バッテリーが上がることは、良いこと?
それとも、悪いこと?

どちらにでも使える。
一つの事実で、嘆いたり八つ当たりしたりもできる。
怒ったり不安になったりすることもできる。
一方、チャンスを活かして、懸案事項をなくすこともできる。

問題というものは、ない。
問題は、問題と思う本人がつくるもの。
問題と思うこと自体が、問題をつくり上げる。
問題と思うこと自体が、問題そのもの。

問題は、ない。
何も問題は、ない。
ただ事実がある。
解決する必要のある事実があるだけ。

それに冷静に対処できれば、次へ進むことができる。
そこで引っ掛かると、新たなトラウマをつくってしまう。
潜在意識のお荷物が、また一つ増える。
未完了のものが、どんどん蓄積されていく。

冷静に、クリアーに処理することだろうか。
いつまでも興奮ドラマをやっていてもしかたがない。
もうそろそろ感情のドラマは卒業してもいいだろう。
いつまでも感情に振り回されていてもキリがない。

感情は、ほとんどパターン化している。
明らかに反応パターンがある。
何か特定のことを言われると、オートマチックに反応する。
思い込みから感情は沸いてくる。

冷静にサラサラと生きるのが、アクエリアスの生き方。
ドロドロと熱くなるのが、魚座のパターン。
もう魚座は卒業してもいい頃。
魚座を卒業するには、感情をマスターする必要がある。

感情に振り回されている間は、アクエリアスの時代には入れない。
アセンションは、遥かな夢。
冷静でクリアーな意識だけが、次の時代へ行ける。
次のアクエリアスの時代は、霊性でクリアーな時代だから・・・


『感情に 振り回されて 二千年 感情超えて 時代を超える』

『感情は 思い込みから 沸いてくる 単なるパターン 反応パターン』

『感情に 流されないで 気がついて 踏みとどまって 冷静に見る』

『冷静に 事実ベースで 生きていく 事実だけ見る 脚色しない』

『事実だけ 見据(す)えていけば 淡々と 事は運んで 問題消える』

『きっかけに すればいいだけ 何であれ 問題にせず 機会を活かす』


これが日記を書き始めて1439日目の心境。






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Last updated  2008.12.11 13:57:11
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人生ドラマ  
mihonanohana さん
>傍(はた)から見ると、どうでもいいことに見える。
>しかし、本人は真剣。
>おおいに興奮している。
>まるで人生の一大事のように。

わーっ、私のことだ!ぐさっ。
自意識過剰かな?

確かに...そうです。大したことじゃないのに、ひとりで勝手にドラマの主人公のような気分になっていたんだと思います。浅はかですよね。

その渦中にいる時は、すごく辛くて苦しいと思っていても、後になって、少し離れたところから自分を見るようにしてみると、いかに、自分が自分のことしか見えていなくて、ネガティブな思考の為に、わざわざ重大にとらえて、深刻になって...結局、私は悲劇のヒロインになりたかったのだ、とあらためて思いました。

それでも、やっぱり、私はまだまだ人間ドラマを体験したがっているのだと思います。ただ、これからは、もう少し、マシなドラマを演じられたら...。
(2008.12.12 09:51:25)

事実ベース  
私は、まだまだ感情に支配されているところがあります。
やっぱり、パターンがありますね。
そのパターンにくると、感情が動く ということは、冷静にみられるように
なってきたのですが・・・ (ーー;)

でも、我が家族は、なかなか事実ベースで生きられているのではないか・・・
と、思います。(手前味噌なのですが)
周りが、「これは絶対怒るべきだ」 とか、「もっと心配するべきだ」 とか、
私たち家族のことをあきれ加減で、よくあれこれ心配してくれます。(~_~)

でも、事実ベースでいると、別に何の感情も湧いてこないのですね。
ただ事実が進んでいくだけで、そうすると、ただすーっと事が流れていくだけの
ように思います。

それから先日のことですが、おなもみがよく同級生にいたずらされるので
(問題視すればいじめととれる?) 私が冗談で、「怒ってみたら?」 と言ったら、
「おなもみ、怒り方知らないもん」 と言いました。
我が子ながらなかなかおもしろい子供だ と、思いました。

その時、
じゃあ、怒りという感情がわくのはなぜだろう?
なぜ人は、あれやこれやと怒るのだろう?
と、ふと考えました。
怒るというのは、自分可愛さから、自己保存の最たるものなのではないか?
と、その時思いました。
そしてやっぱり、反応する過去のパターンがあって、出て来るものですよね。

事実のみを冷静(冷静という言葉もこえた意識で)に、静かに見ていられたら、
何にひっかかることもなく、その都度その都度を、完了させていけるのでしょうね。
過去を見なければ、今、今があるだけだから。

(2008.12.12 14:45:19)

感情の力  
ベル@kaoru  さん
私も怒りについて考えました。

私は相変わらず、怒ります。まさに自己保存が理由だと思います。

「馬鹿にされた」「苛められた」「みそっかすになった」「損した」

その主体は誰よ?バカにされたのは誰?と思い返せば、
実体の無いものに対してだとわかります。

そこにあるのはただ、誰かの瞬間の「いたずら心」だったり「悪意」だったり。
それも消えていくものですね。
馬鹿にされる人はいない。

もうひとつ、公共心っぽい怒りもあります。
世の中の悲惨に見える出来事に対して。義憤みたいな怒り。
それも大きく見れば、拡大された自我に対してなのかな。

今までの私たちの行動の大部分の動機は、感情のエネルギーによるものだったのですね。あと欲。

圧政からの独立運動にしろ征服支配にしろ、
人が動くのは殆ど、感情か欲を動機にしていたんですね。

じゃあ、感情が重要じゃなくなったら、人は何を原動力に行動するんだろう?

自ずとわかる意識なんでしょうか?

感情や個の目線の利害によらず、行動を決める時、
静かで透明な意識は自ずと「すべき最善」がわかるのでしょうか?

私はほとんど、防衛か欲得で動きます。つくづくそうです。
もしかしたら、これも感情にしがみつく理由の一つかもしれないと思いました。
(一見理性的に判断して行動する時も、結局損得だったりします)

自分は今まで、感情か欲得以外から何か構想したことがあったかなと考えると、ブチウツになります。

↑それも「立派な人間だと思いたい」自我がウツになるだけですね(笑)。 (2008.12.12 15:58:08)

Re:事実ベース(12/11)  
訂正

>過去を見なければ、今、今があるだけだから。

今、なんとなく自分のコメントを読み返していたら、
ちょっとひっかかったこの一行でした。

過去を見なければ という条件つきではないですよね。
今、今は。

自分で書いておきながらなんだかヘンだったので、訂正します。
今があるだけですね。
その連続。


それにしても・・・
良心的な修理やさんですねえ~~・・・(いいお話だあ~~)

(2008.12.12 16:55:19)

十分 面白い。  
えっちゃん さん
何も、気持ちを激するドラマ仕立てにしなくても、この日常的、淡々ドラマは十分面白い。

感情や想いが全く動かないわけではなくて、
静かな心の動きはたっぷりある。
私は映画も、こういうさり気ない日常的物語が好きです。
感情は十分、穏やかに揺れて、この日常的ドラマを盛り上げてくれたようです。
私は、とても楽しい映画を観た気分で楽しめました。
(2008.12.13 13:32:55)

私のコメント、ポイントが違う?  
えっちゃん さん
パソコンにお茶をこぼして、キーボードが動かないので、
携帯からパソコンアドレスにメールしてコメントしています。

だから、言葉不足かも知れないけど。
でも、感情について書きたくて。

冷静であっても感情は皆無というわけじゃない。
感情はけっして困った想いなんかじゃないって思う。
日々を彩る想いです。

でも、感情に振り回されたり、流されたり、
溺れたり、激したりするのでなく、
いろんな感情の機微を楽しみたいと思うのです。

見守りの心と道連れで…。 (2008.12.13 23:34:20)

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