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翼状片(よくじょうへん)?多くの人は聞いたことのない言葉だが、これは病名です。体ではなく、「目」に発生する疾患です。検索すれば詳しく出てくるが、白目の表面にある結膜が、目頭の方(鼻側)から黒目に向かって三角形に伸びてくる病気だ。簡単に言うと白目が瞳孔に向かってゆっくり伸びてきて、いずれは瞳孔に被さると視界を遮り、見えにくくなる厄介なものらしい。原因は紫外線によるものらしが、であればなぜ片目(右側)に発生するのか、両眼じゃないのかがよくわからない。随分前から変なものが目にあるなと気になっていたので、眼科で相談はしていた。その時はまだ大きくないので様子見ということだった。実際痛くもないし視野には影響はなかったが、毎日鏡を見れば気にはなる。しかも、瞼を閉じて目を動かすとごろごろ感が残るので、どうせいずれ取るんだから眼科に行って「取ってください」とお願いした。町医者だったので、総合病院で手術をしてもらうよう紹介状を書いてもらい、手術を受けることになった。手術自体は30分かかるかどうかで、しかも日帰り手術とのこと。とはいえ、総合病院なのですぐには手術はできず、事前の検査を行なって、希望日をすり合わせて総合病院最初の診察から1ヶ月後にすることになった。手術なので、麻酔をかけるが、注射ではなく目薬のように液体を目に流すタイプで、眼球が動かなくなるのかと思いきや眼球は動く。不安になって麻酔は効いているのかと聞くほどだった。顔にカバーをし、目の中に何かを入れているが、麻酔が効いているので違和感がない。つまり眼球は動いても痛みなどは感じないよう神経に効く麻酔なのだろう。「右に目を動かして」、「真ん中向けて」、など指示を受けるたびに眼球を動かして手術は進んだ。「できもの」を除去するので、何か削ぎ落としている感じはするが、それ以上は痛みも何も感じない。そうこうしているうちに、20分程度だろうか、あっという間に終わって、眼帯をして待合室に戻った(手術室への往復はなぜか車椅子に乗っての移動で、足は普通なのに変な感じはするが決まりなので仕方がない)。戻ったらそのまま精算して、歩いて帰った。麻酔は手術後1時間ほどしたら急に効果がなくなり、痛いというほどではないが、目に何かあるような感じが強く(実際翼状片を削ぎ落とした部分に他の部分から白目を移植して、縫合しているのでそのせいかもしれないが)、涙が出て止まらない状態だった。そうした痛み止め用にロキソニンなど飲み薬をもらっていたが、マシにはなっても涙は勝手に流れてくる。眼帯をしているので、何もできないし、ガーゼの下から出てくる涙を拭くくらいしかできなかった。そんな状態でも夜は普通に寝ることができた。翌日は眼帯を取ってもらい、術後の様子を見てチェックはおしまい。2週間後に再度来てくださいとのこと。眼帯を外したら、普通に両眼で周りが見える。ただ目の内側の充血はひどいし、しょぼしょぼ感が強いのでまだ目を開けているのが辛かったが、それも徐々にマシになった。仕事は、手術日に有休、翌日の眼帯外しで半休、その後在宅勤務とスムーズに復帰できた。また、2週間指定の目薬をつけ続けることで違和感も日々なくなっていたった。ちなみに、この翼状片は再発の可能性もあるらしい。にほんブログ村
2024.09.18
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2015年に百名山踏破を目指していた中で北岳、間ノ岳を登るべく農鳥小屋に宿泊したが、すぐそばにある農鳥岳には登っていなかった。3000m峰を踏破する上でもこの農鳥岳(+西農鳥岳)は外せない。ようやく白峰三山、すなわち北岳、間ノ岳、農鳥岳の縦走ができる機会が訪れた。北岳から。中央は間ノ岳、その奥に西農鳥岳、農鳥岳が連なる(右奥は塩見岳)縦走の方法としては、主に2つ、奈良田から大門沢ルートで北上するコースと広河原から南下する方法を考えた。大門沢コースは結構きついとのことで上りがいいか、下りがいいかで迷ったが、宿泊先を大門沢小屋にすると翌日の行程が長くなる、農鳥小屋だと自炊の荷物で重くなる、ことから広河原から南下する方法をとった。1日目:広河原→北岳肩ノ小屋(泊)2日目:北岳肩ノ小屋→北岳・間ノ岳・農鳥岳→大門沢小屋(休憩)→第一発電所バス停という1泊2日のコースとした。まず、広河原へはマイカー規制のため奈良田からのシャトルバスで移動することになる。この時期1便(奈良田駐車場バス停)の出発が5:8:4030となっている。これに乗ろうとすると夜中に自宅を出発するか前泊となる。1日目の宿泊先が北岳山荘であれば迷わず1便だったが、肩ノ小屋なので2便(8:40発)でも十分間に合う。また、2便であれば早朝に家を出てもよかったが、前泊(早川町湯島の湯にあるコテージ)して慌てずバス停に向かうことにした。情報では2便は空いているとのことだったし。コテージに前泊。自炊だが、温泉は無料<DAY1>奈良田駐車場はバス停の側にあり無料で120台駐車できるとあるが、連休もあってかそれ以上の台数がわずかなスペースに停め、それでも収まり切らないクルマは道路脇のスペースに停めるなど溢れていた。宿泊を伴う行程なので1日でクリアになるわけではなく、前日出発分に当日出発分が加算される。以前はこの辺りに第2駐車場があったようだが、今は廃止されている。それだけ利用者が少ないのかと思っていたがとんでもない。なぜ拡張せずに縮小したのだろうか。せめてハイシーズンは臨時に設けるくらいして欲しいものだ。一方、広河原へはもう一つのルートとして、芦安から夜叉人峠経由でのシャトルバスがあるが、こちらを利用するための駐車場は350台と3倍近くの差がある。この扱いの差はなんなんだろうか?駐車場はともかく、これだけ来る人が多いと奈良田駐車場バス停からの1便のバスはもちろん1台では乗り切れるわけではなく、5台ほど出ていたようだ。2便目に乗るために7:30ごろ駐車場に行ったが、当然駐車スペースなどあるわけもなく、路肩に停めようかと思ったが、この段階になるとバス停からどんどん離れた場所となる。そこで、翌日下山後宿泊する予定の「民宿えびなや」さんにクルマを先に停めさせてもらえないか事前にお願いしたところ、快くOKをいただいた上に、バス停までの送り&下山後第一発電所から電話したら迎えに行ってあげるよと嬉しい言葉をいただいた。「えびなや」さんから奈良田駐車場バス停まで歩いて約30分くらいかかるので、快いサービスに感謝、感謝だ。この右上が駐車場だが、すでに所狭しと駐車している。バス停辺りは駐禁なので広々としている2便目の出発は8:40、1便目からすると3時間も後なのでかなり遅い気がするが、この時期のようなハイシーズン以外(土日を除く平日など)はこれが1便の時間だ。8時ごろ「えびなや」さんにバス停まで送っていただいたが、登山者のほとんどが5:30の便で行ったためバス停には4人の釣り人がいただけだった(この4人は1便が満車で2便に回されたとのこと。回されて3時間待ちはきついな。釣りだから?)。バスも1台すでに待機しており(時間までは乗れないが)、静かに出発時間が来るのを待つだけだった。2便の8:40発のバスが待機している。2便はこれ1台で空席有状態出発時間が近づくと、何人か登山者が来たが、全員座ってもまだ席が余っていた状態だ(ちなみにバスは路線バス)。このままの状態で広河原かと思っていたが、次の停留所の奈良田に着くとわんさか登山者が乗り込んできた。まあこの辺りまでクルマを路駐すれば乗り場はここになる。外国人も多くいた。ちなみにバス運賃は広河原まで乗車賃1300円+環境保全金300円の1600円。乗車賃はsuicaなどのIC乗車が可能だが、保全金の300円はバスに同乗している車掌さんに現金払いしないといけない。しかも一人一人回収しているので時間がかかる。出発地では出発までに精算できるが、次のここ奈良田では乗り込み者が多いので出発までに時間がかかっていた。以降は追加の乗車がなかったので良かったが、ザックが大きいのでその分車内のスペースが狭くなっていた。奈良田出発後は大門沢ルートを登っていく4人の外国人チームと出発時にいた4人の釣り人たち途中で降りて行った。8人減るだけでバス内はガラガラだった。バスは予定通り9:25に広河原に到着した。最初のつり橋を渡って、9:40にスタート吊り橋を渡ってまずは白根小池小屋を目指す。大樺沢ルートは通行止めのため、尾根伝いに登っていく。ある程度登れば傾斜の緩い横移動となるものの樹林帯の中なので淡々と進むだけだ。出発して2時間後、小屋に到着。これから登る人、降る人、テン泊する人で賑わっていた。水は無料で補給できたのはありがたかった。この先は「草すべり」を登っていく。名前からすると草、花があっていい風景をイメージしがちだが、とんでもない。上り、上り&まあまあな斜度。しかも太陽の熱い光を浴びながらなので疲労は増えてくる。小屋傍にある池の畔にはテントが張られているここから太陽を浴びながら高度を上げていく。結構急だ。ここも淡々と登ると「小太郎分岐」に着く。開けた場所で眼前には鳳凰三山、甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳などが広がり、疲れを癒してくれる光景に出会える。小太郎分岐からは宿泊地である北岳肩ノ小屋も見えてくるのでもうわずかだ。ただ、小屋直下あたりも楽に行けるわけではなく、momoは足が攣るなどペースダウン。14:00過ぎくらいに到着かと思っていたが14:30の到着となった。とはいえ、計画では15:00までに到着すればいいかと思っていたので、時間的には全く問題はない。小太郎分岐より甲斐駒ですね。手前の山が小太郎山本日ゴールの小屋が見えてきたが、すぐには着かない仙丈ケ岳をバックに歩くmomo小屋での手続き後、就寝場所に行ったが、僕らは上下段あるうちの下段端2つだった。また感染症対策もされており、パーテーションでの区切りや隣との間隔も狭くなく休みやすい環境だった。敷布団、毛布、寝袋が用意されているが、シーツ持参を言われていたのでそれを寝袋に挟んで利用する。ただ、周りを見ても果たしてシーツを持参する人はいたのかどうか。僕らはもともと持っていたので問題はなかったが、わざわざこのために購入する人は・・・どうかなあ。北岳は通過しに来ただけ下段の奥を指定された窮屈ではない間隔価値ある一品だ1泊2食(夕食+朝用の弁当)で12,000円。人によっては高く感じるだろうが、最近はビジネスホテル素泊まりでも同じような金額の場所は多々あるので、そう考えると決して高いわけでもない気がする。また、夕食は三交代制で僕らは二番目の17:30から。名物「肩ロース」焼きだ。うまいし、満足度が高い内容だった。水は白根小屋と違って1L200円となっている。白根小屋で給水したので購入しなかった。食後夕景を見に外に出ると富士山が姿を現し、北岳の上には三日月が光っていた。消灯は8:00だが、寝転がっていたら寝落ちしていた。<DAY2>山小屋の朝は早い。というか他者により起こされると言った方がいいか。相部屋なのでいびきの大きい人がいると耳栓をしていてもそれを突き破る爆裂音で目が覚める。3時に起き出す人がいて、僕らも3:20ごろから身支度開始。朝食用の弁当は事前にもらっていたので、それを平らげ、4:20北岳に向けて出発。小屋から北岳頂上まで約40分。日の出時間ごろの到着で、今日1日の始まりを日本2位の場所で迎えて、次に向かう。右側北岳。日の出町の人たちが多くいるのがわかるもう少し雲がなければいいのだが、こればかりは仕方がない人によってはそのまま広河原へ下山、間ノ岳で折り返して広河原へ下山など行程はいくつかあるが、いずれにせよ南に行くにつれて登山者は徐々に減っていった。北岳から間ノ岳までの縦走路は「天空の稜線」と言われ、富士山を見ながら心地よく歩ける、って言うけど正直どうかなあ。北岳山荘から中白根山まで一気に上がり、そこから間ノ岳までの道もなだらか&フラットではないので、心地いいかは微妙な気がする。そんなことを思いながら間ノ岳に到着。頂上は三峰岳方面から来る人や農鳥方面から来る人(わずかだが)もいて賑わっていた。北岳から200mほど下がって、間ノ岳に向かって200mほど登る。天空の縦走路ですけど…左に北岳。2位と3位間ノ岳から300mほど下降し、1時間ほど行くと農鳥小屋に到着する。以前泊まった際は有名な親爺さんがいたが、2022年に引退されたようで、もうその姿を見ることはできなかった。しかも小屋は素泊まり&テント泊のみで、大門沢小屋が管理している(ご家族のようです)。人は常駐しているが食事の提供はなし。缶ジュースなども売っているものの空き缶は持ち帰り。でも、ある意味こちらも有名なトイレは以前のままだし、小屋の雰囲気もそのままだった。さて、懐かしの農鳥小屋に向かっていったん下降農鳥小屋が見えてきた以前と変わらぬ姿だが、親爺さんはいない小休憩をした後、3000m峰残り2座である西農鳥岳、農鳥岳に向かう。農鳥小屋から40分ほどで西農鳥岳に着くが、200mを一気に登るのでまあきつい。頂上は広くなく、写真を撮ったら次の農鳥岳に向かう。ややトラバース気味に行くので多少はマシか。出発してから6時間40分。白峰三山最後のピーク農鳥岳に到着。この頃になると東側からガスも湧いてきて、富士山はガスで覆われ、間ノ岳も西側だけしか見えない。南に目を向ければ塩見岳はクリアに見えていたが、辺り一帯徐々にガスで覆われそうな気配になってきた。momoが雷鳥を発見!間ノ岳を隠しにかかってきた雲3000m峰をこれにて踏破降りるだけなので眺望は関係ないけど大門沢下降点に着くと進行方向はガスで白くなり、眺望はもう何もなかった。あとは淡々と樹林帯を下っていくだけ。この時点では体力もまだ十分だったが、水分は摂っても、塩分を摂っていないので徐々にバテが出てきた。休んで塩羊羹を食べようと口にした瞬間吐き気が襲ってきた。何も食えないので、しばらくじっとするしかない。脱水気味?ナトリウム不足?だったのか。下降点から2時間ほどで大門沢小屋に到着。ここで休憩と行動食補給で多少持ち直す。この先ゴールの第一発電所まで約3時間との表示だったが、ずっと樹林帯の中というのは気が滅入る。キツさは大門沢小屋までの下りほどではないにしろ、変わり映えのしない中を歩いていく。小屋から2時間ほどで登山口に降り、あとはバス停まで30分ほど歩く。大門沢小屋からは川沿いを歩き、再度山中に入っていく取水口に到着。ゴールはあと少しここからバス停まで約30分。バテてはいるが、気分的に違う第一発電所バス停には16:50に到着。スタートして12時間30分、22kmか。時間も距離も長かった。〜メモ〜・水だけではだめだ。経口補水液などハイポトニック飲料(パウダー)を用意しておくべきだった。塩分摂取するにも行動食を食べられなかったら意味がないので、飲料で補給できるようにしておかないとバテた時のリカバリーが大変だ。・疲労軽減を考えたら大門沢小屋でもう1泊がいいのだろうが、こればかりは歩いてみないとわからない。下山後の宿を予約してたのもあるし、小屋から3時間以内で下山できるのであれば多少疲れていても降りるという選択をしてしまう。小屋で14時すぎの時間であれば、やっぱり行ってしまうな。・大門沢下降点からの下りは斜度があるので地面が乾燥していても滑りやすい部分はあるが、雨が降ったりするともっと滑りやすい状態になる。そういう意味では地面の状態で危険度も変わる。かといってチェーンスパイクつけて降りるわけにもいかんしねえ。・民宿「えびなや」さんにはHPがない。Googleマップで見つけて、口コミもみて予約をとった(この辺りには宿泊施設が少ないので、他のHPには紹介されている)。宿なので風呂はあるが、近くの温泉(奈良田温泉or湯島の湯)の無料入浴券をいただけるのでありがたい。夕食の時間は指定されたが、朝食は指定できる。6時と言ったら、その時間に用意してくれた。1泊2食で8,800円。食事も美味いし、登山口への送迎付きなどコスパ良すぎ。「民宿えびなや」さん。この日は僕らだけ。このログハウスには3組泊まれる。
2024.08.11
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東京上野にある国立科学博物館で開催されている「昆虫MANIAC」。昆虫博物館などこれまでも昆虫の展示は色々とみてきた。しかし今回の展覧会の内容は、普段お目にかかれない珍しい昆虫からカブトムシなどよく知っている昆虫までテーマごとにやさしい解説と関連する昆虫を標本と動画で構成して、大人も子供も楽しめる内容になっていた。ムシが苦手な人でも大丈夫ではないかな。また、普段の展覧会では写真撮影禁止だが、標本などはフラッシュ撮影をしなければ自由に撮れる。夏休みの子供の自由研究にも使えるという意味では撮影許可はありがたいだろう。だからこそ親子連れが多かった。気持ち悪がらずに見てみてみると意外と面白い展示だ刺す、刺さないで分類しムシにも社会性があることを解説しているボードは勉強になるデカい昆虫などは、標本で見るからいいものの、実際に遭遇すると間近で観ようとは思わないし、逃げてしまうだろう(自分が)。実際標本でも「キモっ!」となる。逆に拡大鏡で見ないとわからないような極めて小さい昆虫もあり、よくこんな小さいものまで見つけたなあ、と感心してしまうものまであった。写真は蝶だが、大小さまざまな種類の昆虫標本がこれでもかと展示されているカブトムシも小さいのから大きいものまでサイズ別にまーるく展示(この隣にはクワガタもある)そういえば、展示室に入ってすぐに、昆虫とムシの違いについて説明しているボードがあった。昆虫は定義があるが、ムシは定義がないようだ。「虫」とは節足動物や爬虫類の一部、両生類の一部などを指す言葉らしい。なので、クモの展示もあったが、これは昆虫ではないらしい。虫の中に、昆虫がいるということのようだ。展覧会は、知らないものを見ることもそうだが、知らないことを知るいい機会だ。デカイ模型も気持ち悪さを感じさせないにほんブログ村
2024.08.06
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先週は大峠から黒岳経由で大蔵高丸・ハマイバを歩こうとしていたが、momoの調子が今ひとつだったため断念したが、今回再度ルートを変えて登ることとした。大蔵高丸・ハマイバへは湯ノ沢峠から行けば最短で到達可能だが、往復2時間少々、登り下りも少ないため山歩きには物足りない。そこで、大峠に行く途中に湯ノ沢峠に出る登山口があるので、そこから行くことにした。駐車スペースはあるものの、トイレ等はない。あまり利用する人が少なく踏み跡もないのかと思っていたが、人はいない(往復誰ともすれ違わず)ものの踏み跡はしっかりあるので迷うことなく湯ノ沢峠まで辿り着ける。画面の右側に数台駐車可能。ゲートを越えて進んでいく舗装区間は一部だけ。ゲートから10~15分くらいで登山道に入る橋があっても朽ちて危険だ湯ノ沢峠に着けばあとは穏やかな道を進むだけ。途中草原帯を通っていく心地よいルートだ。遠くに南アルプスを見ながら進んでいく。峠から程なく大蔵高丸に到着。正面に富士山、はまあ見えたが、雲がかかっていてクリアな姿ではないものの、秀麗富嶽十二景に相応しい(?)姿が眼前に広がっていた。頂上はさほど広くはないし、日差しを遮るものもなく休憩にもならないのでそのまま次のハマイバへ向かう。この辺りは植生を保護しているためか所々に扉があり、鹿等野生動物による食害を防ぐ措置が取られてる。そのためお花畑(手入れされているわけではない)は色とりどりの花が咲き乱れて、癒しのエリアとなっている。南アルプスが広がっていた。しかしこの後雲隠れ雲がなければいいのだが、なかなかそうもいかない写真ではわかりづらいが、色とりどりの花が、草の中から顔を出しているハマイバに向かう途中から富士山には雲がかかり、頂上はなんとか見てとれたが、全体的に雲を纏った感じになってきた。ハマイバ、とカタカナで書くが本来は「破魔射場丸」と書く。由来は地元である真木の集落の人が破魔矢を射る神事を行ったところからの命名だそうだが、これに限らず山名と由来は不思議なもので聞いても上手く結びつかない。ハマイバの頂上は樹林帯に囲われ、樹林帯の一角から富士山を臨むということになる。しばらく頂上は見えていたが、遂には頂上も隠れてしまい、その後の帰路でも雄大な山容を見ることはなかった。頂上は完全に樹林帯の中一方向のみ開けているが、富士山の姿ももう限界だった帰りは元来た道を辿るだけ。昼飯込みで5時間。人も少なく天気が良ければ絶景を独り占め、二人占めが可能な場所といえる。
2024.07.27
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漢字しかないタイトルだ。秀麗富嶽十二景は読めても、雁ヶ腹摺山はすぐには読めない山名だ。「がんがはらすりやま」という。この山がある大月市が富士山を望む二十の山を選定したものだ。ちなみに、十二景だから12座ではない。一番山頂から十二番山頂まであるが、一部の番号山頂に複数の山が並列で選定されているため、合計20だそうだがよくわからん。さて、この日はもともと雁ヶ腹摺山に行く予定ではなく、三番山頂の大蔵高丸・ハマイバに行く予定で登山口のある大峠からスタートした。最初のピークは黒岳でその先にあるハマイバを目指す予定だったが、どうもmomoのペースが上がらず、黒岳に到着したところで大峠に引き返した。大峠にあるトイレ。この右に駐車スペースがあるが、満車でも左のように路肩に駐車できるまずは黒岳と目指したが・・・山頂のからの眺望は今一つ。この先は行かずに引き返す大峠まで戻ったら多少気持ちも取り戻せたのか、同じ大峠から目指せる雁ヶ腹摺山に向かうことにした。山頂までは1時間足らずで行けるので行程的にはしんどくはない。頂上直下は草原が広がっており、それまでの樹林帯とは異質で、そこだけ木々を伐採したのかという感じの空間だった。頂上からは天気が良ければ富士山の雄大な姿が広がっていたのだろうが、雲でほぼ見えず。まあ、よくいう「心の目で」見るしかなかった。黒岳から戻って反対方向に行くと雁ヶ腹摺山コース山頂直下に広がる草原帯。ここだけ開けていた。でもムシが多い。標柱の先に富士山がドーンと広がっている予定だったが、雲隠れ雁ヶ腹摺山とセットである姥子山も一番山頂で、ここから1時間ほどで行けるのだが、行っても富士山は拝めないと判断して、諦めた。今後姥子山だけ行くのはどうか微妙だが、秀麗富嶽十二景をコンプリートしようと思うと行かざるを得ないのだろうな。とはいえ、コンプリートしても自己満足だし・・・。帰るころになって、わずかに富士山が顔を出した
2024.07.20
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山に行かないときは暇を持て余してしまう。そんな時、momoが近隣の見どころを何かしら探してくれる。散歩方々東京、といっても八王子方面へ行ってみた。<日野>日野といってもピンとくる人は少ないかもしれないが、新選組ゆかりの地、いわば原点の場所だ。新選組副長土方歳三や六番隊組長井上源三郎らが生まれた場所になる。新選組というとどうしても活動の本拠となった京都を想いがちだが、その青春時代を育んだ場所だ。「新選組のふるさと歴史館」や旧佐藤彦五郎邸「日野宿本陣」に立ち寄って、一味違う新選組を感じ取った。内容は新選組のものばかりではなく、郷土歴史館的な感じだ個人宅でもあったろうが、本陣としての機能も有していたので設えとしては立派なものだ正面玄関からは入れませんが、内側からは見ることができる釘隠しなども工夫が凝らされていた<八王子>日野というと、自動車メーカーを思い出すが、本社機能は日野にあるものの歴代の日野自動車や航空機エンジンを展示している博物館が八王子にある。日野自動車21世紀センター「日野オートプラザ」(無料!)。日野はトラックのイメージしかないが、バス、小型商用車・乗用車(トヨタ自動車(株)よりの受託車)もあるし、戦前は戦闘機のエンジンなども手掛けていたようだ。なかなか足を運ぶことがない場所で、イメージしていないものを見ると驚きと感心が交錯する。見応え有の場所だ。八王子みなみ野駅から歩くには少々遠いかな台数は多くはないが見ごたえのある展示だ日野と言えば、コンテッサか戦前に使われていた航空機エンジンの展示カットモデルにしてくれると構造がよくわかる。ピストンの動きが回転運動になっている。<町田>最後に訪れたのは、泰巖歴史美術館。これはさすがにわからないだろうし、読めないか。かくいう僕も知らなかった。「たいがん」と読むが、そもそも「たいがん」って何?「総見院殿贈大相国一品泰巌大居士」という戒名が由来。この戒名の生前の名前は「織田信長」。信長は知っていても戒名までは知らないので、ピンとも来ない。マニアならわかるのだろうか?この美術館、個人の設立で、戦国時代から江戸時代初期に至る古文書・書画・武具・茶道具など織田信長にまつわる書類や信長が生きた時代の歴史的資料が展示されている。しかも最初はレプリカばかりかと思ったが、本物だわ。しかも、5階建ての博物館の中に1,2階のフロアを使って安土城の天守閣を原寸大で再現している。中には入れないが、内部をしっかりと見れるような造りになっている。なぜ町田市にあるのか、この美術館を設立した太陽コレクションの会長が町田で不動産業を営んでいるということらしいが、一不動産業者がここまで収集し、美術館まで立ててしまうとは脱帽です。町田の駅から近い場所にある。安土城の天守部分の再現1フロア上に上がると天守最上階部分がよくわかるにほんブログ村
2024.06.22
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先月の静浜基地航空祭に引き続き、川崎市制100年イベントでブルーインパルスが展示飛行を行うということで見に行った。会場の等々力緑地は、イベントの主催地のため航空ファンならずとも多くの人で埋め尽くされていた。ただ、飛行機は空を見上げればいいだけなので、人の多さは関係ない。前日の雨の影響もあり、快晴ではないが、14時過ぎにスモークを出しながらデルタ隊形で6機が会場上空に姿を現した。航空祭でないイベントの展示飛行は演目が限られているが、とはいえやはり実際に見ると鳥肌が立つ。会場のだれもが「来た!来た!」と叫んでる間にやってくる川崎上空で飛んでいたが、渋谷の方まで飛んで旋回してくるので多くの人が目にしただろう短い時間の飛行にもかかわらず、進路に報道のヘリが入ったとか何かで演目の一部がなくなり、6機は去っていて行った。僕らもそうだが観客はあきらめて会場を後にし始めたその時、突然轟音とともに6機が戻ってきた。進路がクリアになって、上空を通過するだけだったが、まさにサプライズだった。ありがとう!ブルー!また航空祭に行きたくなってきた。にほんブログ村
2024.06.09
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ブルーインパルスは姫路城や彦根城の400年祭での展示飛行で見たことはあるが、自衛隊の基地祭ではない。こちらの方が展示演目も違っているし、時間も長いようなので一度は行ってみたいと思い続けていたが、ようやくその日がやってきた。場所は静岡県焼津市にある静浜基地。航空自衛隊の基地としては最小らしいが、基地祭を見るのに敷地の大小は関係はない。焼津港にある無料駐車場(港が休みでもあるため、駐車場も広い)にクルマを停めて、無料のシャトルバス(バスに番号が振られていたが、相当な台数だった。70台以上はあったと思う。)に乗り込み、基地を目指す。開催時間は9:00〜15:00でT-7、T-4、F2、ブルーインパルスといった各機の展示飛行だけではなく、自衛隊ならではのヘリによる救難作業のデモや地上では装甲車の展示走行があったりと内容は盛りだくさんで飽きることはなかった(まあ初めてだからということもあるが)。間近で見ると迫力ありすぎる救助デモは自衛隊らしくてよかった1機でも爆音すぎる天気は雲が立ち込めていて、青い空に飛行機が映える姿を見ることはできなかったが、それぞれの機体が発する音は存分に堪能できる(とりわけF-15は1機だけでも胃の中が響くような轟音だ)。午前中のイベントのトリとしてブルーインパルスの展示飛行があったが、機体そのものは浜松から発進し、時間になったら基地上空に侵入してアクロバット飛行を行う。30分の展示時間だったが、一糸乱れず、といった隊形から披露される演目には感動しきりだった。デルタ隊形を崩さず、スモークを出しながらの進入あっという間のイベントだったが、凄かった今後も基地航空祭は続くので、行ける限りは行きたいと思う。にほんブログ村
2024.05.19
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平泉と言えば、中尊寺「金色堂」。行くまでは、中尊寺=金色堂だと思っていたが、中尊寺という広い境内の中に諸堂があり、その一つが金色堂となっている。金色堂以外の建物はどこの寺にもあるようにそのままの姿で建物が立っているが、金色堂だけは覆堂という建物の中にある。しかもガラス張り。そりゃあ、金箔が貼られているのでそのままでは傷つけられるのは必至なので仕方がないが、ガラス越しでもしっかりと華麗な姿を見ることができる。金色堂は写真でしか見たことはなかったが、実際に見ると意外と小さい建物だった。山門ではなく、柱があるのみ耐火性の覆堂の中に、金色堂がある以前の覆堂。中は何もない金色堂以外にも見るべき建物はあるので、古寺探訪としてもよい場所だ。能舞台なんかもある<毛越寺(もうつうじ)>創建当時の建物はなく、江戸期の建物になっているが、庭園などを見る限り、当時の浄土思想を色濃く反映している姿を見ることができる。山門。元は一ノ関藩田村家藩邸の中門だったらしいが、寄進されて山門となった本堂金堂円隆寺跡。今では礎石が残るのみ常行堂と石仏。江戸時代の再建出島石組と池中立石越しの大泉が池<観自在王院跡(かんじざいおういんあと)>毛越寺東隣にある、これも浄土思想を反映した庭園跡が広がる。建物はなく、庭園跡も遺跡発掘調査の成果に基づいて伽藍遺構と庭園の修復・整備が行われ、今日の姿となったそうだが、再建物などなく何もないのが想像力を掻き立てるので、このままでいい。後ろのお堂は遺構ではない池の広さが往時を偲ばせる<無量光院跡(むりょうこういんあと)>中尊寺の近くにある奥州藤原氏によって建立された寺院の跡地。宇治平等院鳳凰堂を模して建立された阿弥陀堂と、その周囲を取り巻く池を中心に伽藍が構成されていたそうだが、今では発掘調査に基づいた池の姿がそこにあるだけだ。基壇があるのみで後は何もない平泉は、奥州藤原氏の栄華と浄土思想が世界遺産として今に伝わっているんだなあ。にほんブログ村
2024.05.07
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宮城には、続・百名城も含めると百名城が3城ある。今回GWの連休を利用して、百名城記載の2城、仙台城と多賀城を訪れた。<仙台城>言わずと知れた伊達62万石の城。遺構は石垣と堀で、建造物は復元された大手門脇櫓と一部石垣上にある塀くらいだ。とはいえ、本丸石垣は高く重厚で見ごたえがある。また、今ある大手門脇櫓は今後大手門とともに復元されるそうなので、楽しみに待ちたい。このカットは定番ですね重厚感のある石垣大広間の遺構を礎石を配置することで再現している仙台城と言えば、この脇櫓以外には伊達政宗の騎馬姿の銅像が定番だな。おなじみの政宗公城とは別に、「瑞鳳殿」という政宗の霊屋も見どころだろうか。戦災で焼失し、現在の霊屋は復元だが、往時を偲ばせる華麗な霊屋だ。霊屋も権力を誇示する象徴のようなものか再建とはいえ日光東照宮のように豪華な造りだ手前が二代忠宗公、奥が三代綱宗公の霊屋<多賀城>奈良時代から平安時代にかけての政庁跡なので、「城」という感じはしない。平城京跡と雰囲気は変わらない。政庁跡の基壇を再現しているが、平城京と変わらないこんな感じだったのだろうメインストリートの石段門も復元中復元中の門や塀などがあるが、重要文化財の「多賀城碑」だけが歴史を感じさせる縁(よすが)になっている。この多賀城碑(重文)は、復元中の門のそばにある。にほんブログ村
2024.05.06
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2014年8月に登って以来の甲武信ヶ岳。当時は百名山踏破中で休みがある日を見つけて登っていたので、天気は賭けで、日取り優先のスケジュールだった。そのためか、天気も味方してくれず頂上付近は曇りで見通しもよくなく、ガスに覆われた頂上に行って降りてきただけの「でんつき」(関西弁のタッチしておわり)登山だった(もちろんここだけではなく、結構見晴らせない登頂はある)。10年前は辺りも真っ白。この面の標識は今では霞んで読めないが、この時はまだはっきりしている。登ったはいいけど、頂上からの見晴らしを堪能できなかった山には再度行きたいという思いは百名山踏破中もあったし、別に時間を置かずとも登り直そうと思えばできただろうに、ずるずるとここまで10年間先延ばししてしまった感じだ。前回は長野県側にある「毛木平」という場所から、千曲川源流を経て登頂した。この時はまだ奈良在住だったし、登山口も比較的登りやすい場所からの選択をしていたのでそうしたと思うが、今いる横浜からだと毛木平は遠回りになる。なので、今回は西沢渓谷にある「道の駅みとみ」から目指した(500mほど先に西沢渓谷駐車場もあるが、工事中の関係か駐車可能台数が少なく、道の駅が広くて安心して停められる(満車の場合の指定場所でもある))。この「道の駅みとみ」からは以前、山梨四天王の一角を占める鶏冠山(けいかんざん、ではなく「とさかやま」)に行った際に利用しており、その途中に甲武信岳方面の道があったのを記憶していてこの場所にしたまでだ。この他大弛峠もあるようだが、スタート地点が高いこともあり選択肢にはなかった。近丸新道を進むと昔使っていたであろうトロッコのレールが出てくる結構な斜面を流れ落ちる川だが、それをトラバースしていくヌク沢。渡渉地点なんだろうが、簡易の木橋があるので難なく渡れる途中残雪のように白い一帯に出くわす雪ではなく、石。珪石?というのだろうか往路は「近丸新道」から戸渡尾根に合流し、木賊山(とくさやま)経由で頂上を目指し、復路は「徳ちゃん新道」を通って下山。ただ、このルートはかなり足に来る挑戦的なコースだ。そりゃあ、「尾根」ってついているのでほぼ登ってばかり、降ってばかりを想像するのは難くない。また、近丸新道は徐々に高度を上げ、一部渡渉的な部分もあるなどひたすら登りではなかったが、下りに使った徳ちゃん新道は斜度もキツく、これを上りに使わなくて良かったと思えるコースだった。あと、雪が日の当たりにくい斜面や登山道(窪んでいるし)に残っていた。チェーンスパイクは事前の情報であった方がいいようだったので一応持参し、行けるとこまで行ってダメなら使おうという気持ちだった。でも、結局使わずに済ませてしまった。木賊山、甲武信小屋付近は結構残っていたし、使っている人もそこそこいたので、安心という意味では装着しておいた方がいいんだろう。面倒くさがりはダメだな。木賊山付近。所々踏み抜いてしまうような場所もある筋のように崩落の跡がわかる。こうやって見ると甲武信ヶ岳は特徴的な形はしていないなあ冒頭の10年前の写真と同じ角度から。この裏は読み取れるけど。金峰山の五丈岩が見えます。右にうっすら甲斐駒ヶ岳新緑が芽吹き始めた徳ちゃん新道をひたすら下りる。振り返ると壁のような斜面もある。頂上付近は遠くは北アルプス、八ヶ岳、南アルプスなど堪能できた。富士山も登っている途中は見えていたが、頂上では雲に隠れてその姿を確認することができなかった。やはり山は晴れて遠望ができる日に行くのがいいとつくづく思う。
2024.04.28
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横浜ベイブリッジスカイウォーク(→HPはコチラ)は横浜観光の場所としてはやや中心部から離れているため、クルマかバスを使って行かないといけないが、隠れたスポットとでもいえるかもしれない。お台場にかかるレインボーブリッジのようにすべて歩いて渡ることはできないがその一部を歩きつつ、横浜方面を見渡すことができる。無料だが人も少ないのでゆっくりとできる穴場スポットかも柵はあるが、海上側に出るとカメラ用に広く開けられた場所もある天気がよければみなとみらいの後方に富士山が見えるらしい静かに船が往来していた鶴見からバスで行ったが、本数が少ないので、帰りの時間を見ておかないと、結構待つ羽目になる。にほんブログ村
2024.03.30
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駐車場無料、入場料500円でこの規模のかたくりの群生を見ることができるのは、コスパは良すぎる。かたくり以外の花の名前はよくわからないが、どれも可憐で見応え十分だ。カタクリの群生は圧巻だ。踏み荒らされないように通路と植生地は区切られているただ写真を撮る場合は花が小さいので、どのレンズを持参するかは悩ましい。今回、OM-1にマウントアダプタを装着してキャノンのEF100mm macro ISを装着して臨んだ。マイクロフォーサーズのボディだと焦点距離が2倍になるので、200mmの望遠マクロになる。最短距離は変わらないから、アップを狙いやすい。近くてもよし、離れてもよし、と使い勝手が良かった。花は小さいが、通路脇(足元)にも咲いているので比較的撮りやすいトリミングではなく、Mフォーサーズにキヤノン100mmマクロを装着すると200mmになるので、アップも可能だにほんブログ村
2024.03.24
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長浜城というと、滋賀県長浜市に豊臣秀吉が築いた城を連想するが、この長浜城は戦国時代の北条氏が築いた水軍の拠点だ。駿河湾に面した岬にあり、今では眺望が良い場所だが、昔はここを拠点に武田軍と対峙していたのだろう。パネル表示などはしっかりとしている虎口と跳ね橋の土台。いざというときは橋を落とす仕掛けだな二ノ曲輪側。手前は堀切だが、下に続いていないので妙な感じだ本曲輪から降りていくと、海側に出る。眺望もよい。城の麓には安宅船の船底の大きさがわかる原寸大模型がある。船底だけだから実際の大きさ、高さや幅などはイメージしにくいけど。平面模型だと広さはわかっても、規模感がつかめない今は安宅船のような船はなく、ヨットが多く停泊する静かな佇まいだ。兵どもの夢の跡地も今は静かなヨット係留地だ興国寺城は続日本100名城の一つであるが、現場で見る限り規模の大きさはわかっても、曲輪等についてはわかりにくい印象だ。矢印の右側方向に駐車場もある。本丸より二ノ丸を望む。周囲は土塁で覆われているが、城跡と言われないとわかりにくい広場のようだとはいえ、本丸下の空堀の大きさ(深さ)や、一部残っている天守台の石垣遺構が見どころだろうか。天守台あとに礎石のような石組みがあるが、これは規模感がよくわからんな。天守台下の石垣。ここにしか石垣は見られなかった天守台の礎石か大空堀。結構深いというか両脇の土塁が高い。この日登城した2つの城でいうと長浜城の方がまだ城跡としての姿は良かったかな。にほんブログ村
2024.03.16
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久しぶりの鍋割山。寒波到来後しばらく日数も経ったので、雪はそうないだろうと思い登り始めたが・・・。鍋割山は大倉尾根方面から回っていくルートもあるが、今回は、というか、いつもだが長い林道を歩くコースを辿る。稜線途中まで雪はなく、稜線に入ってしばらくすると徐々に積雪が増えだし、頂上付近ではすっかり雪山の様相になった。万が一のことを考え、チェーンスパイクは持参していたので雪道上は問題はなかったが、下山時に雪が溶けて泥のぬかるみが出てくるとチェーンスパイクを外すタイミングに悩まされた。そんな些細なこととは関係なく良い天候に恵まれ、雪と青空と富士山、見飽きぬ風景が広がっていた。林道は長い。途中小さな渡渉もあるが、ほぼ平坦な道を歩いて行くもうすぐ稜線だが、まだ雪はない頂上に近づくにつれ、雪が出てくる。頂上はまだまだ雪が多い大倉尾根途中の展望エリアから正面に塔ノ岳、左奥に蛭ヶ岳日当たりがいいので雪が融けて、歩きにくくなってくる雪がほぼなくなると、歩きやすい。
2024.02.12
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品川駅からすぐの場所にある「アクアパーク品川」。2回目の来場だ。1回目は平日だったせいか、多くても混雑しているという感じはなかったが、今回は休日でもあるため、親子連れで混雑していた。まあ水族館は親子で楽しめるテーマパークだし、イルカをはじめとするパフォーマンスショーは誰でも楽しめるので、人が多く来るのは至極当然だな。前回のリベンジを兼ねて、イルカショーの撮影に挑んだが、いかん。上手くいかん。ボールにタッチのシーンは、あらかじめボールにピントを合わせておけばいいんだが・・・にほんブログ村
2024.02.11
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大山は何度も登っているので、今回登っても前回から少し時間が空いたかな、という程度だったが、振り返ってみると1年ぶりだった。1年ぶりに登ってみても見るもの、見えるものは変わらない。世の中は1年経てば変わるが、山も、山で見るもの、見えるものはそう変わらない。そう、変わらない、のがいい。表参道からではないので、いつも静かだお地蔵さんも変わらずに横浜に来て17回目の山頂塔ノ岳はくっきり見えたが富士山はかろうじて、という感じ
2024.01.27
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金時山から足柄峠を挟んだ反対に矢倉岳という山がある。高さは870mほどなので、ハイキング程度なのであるが、山頂が開けていて、富士山ほかの展望がすこぶるいい。足柄古道にある地蔵堂。このそばの駐車場からスタートこの先の川を渡ってあとは登っていく道標は十分時々明るい場所に出るがほとんど樹林帯左に愛鷹。それほど寒くもなく、天候にも恵まれ、2024年の初登りとしていいスタートだそんなに標識はいらないがかわいい、天狗のマスコットも標識に括りつけられていた
2024.01.06
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長篠設楽原古戦場は、織田・徳川連合軍が武田勝頼率いる武田騎馬軍を三千丁もの鉄砲で打ち破った戦いの場として有名だが、今ではここで激戦が繰り広げられたのかと思うほど静かな田畑が広がっている。跡地には騎馬軍の侵入を防ぐために設けられた「馬防柵」が一部再現されている。三千丁ともなると鉄砲の雨で突撃も難しいだろうが、突撃しないという選択肢もあったろうに溝を掘り、その上の土塁に柵を設けて、騎馬の突撃を防いだんだなあこの戦で失った命を弔うかのようにお地蔵さまが置かれているその前に、この戦いのきっかけにもなった舞台である長篠城跡にも立ち寄った。遺構としては空堀と本丸跡地、土塁程度であるが、川を挟んで、鳥居強衛門磔の石碑がある。恥ずかしながら、鳥居強右衛門という人物を昨年の大河ドラマ「どうする家康」を見るまで知らなかった。しかし、命懸けで味方に援軍が来ることを伝えたその運命を知ると、当時の侍のブレない忠義の心に感嘆する。主郭と堀の一部が残っている程度だった本丸跡という標識はあるが、ないと何かはわからない内堀跡土塁を囲うようにあるのでわかるけど本当は逆さ磔だったのだが、説明上向きを変えているそうだこの石碑の奥は本丸が見える。なので味方の目の前で磔になったんだが、勇気ある侍だ高天神城は徳川と武田の間で攻防が繰り返された城で、難攻不落とも言われた名城。西の丸側に高天神社という神社があるが、本丸他、横堀や堀切、その他の曲輪など良好に残っている。今では階段を登っていくだけだが、当時はなかなか攻めにくかったんだろうな。そんな難攻不落といわれた城も徳川軍による東側に築かれた六砦により補給路が絶たれ、孤立し、武田本軍の後詰もなく見捨てられ全滅という末路を辿る悲劇の場所でもある。搦手口から登城する。この先結構急な道だ本丸跡(東峰)には、何もない西峰には、結構遺構があった袖郭跡だ、堀切などもこの先残っている空堀も長く残っている高天神城遠望(駐車場付近から)。左が本丸方面になる。
2024.01.01
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大坂夏の陣までは城としての機能を有したようだが、当時統治していた福島氏という大名が改易され、城は破却され、その後織田氏が入ってからも用いられることなく現在に至る遺構となっている。当時は石垣もあったのだろうが、破却されるということは当然石垣も壊されるので、一部残存していても多くは盛土の状態だ。春日神社入り口ある春日門跡。ただし松山城時代のものではないらしい(その後の織田氏時代のもの)大手門跡。石段と虎口の一部を偲ぶことができる天守台跡。石垣があればもう少し高いのだろうが、長い年月とともに低くなっているのがわかる天守台から大門跡という石垣跡も見えるそのかわり、宇陀の街並みは城下町として重要伝統的建造物群保存地区に商家町として選定されており、現在も風情ある軒並みを見ることができる。関門というくらいだから、城門ではなく城下町の出入り口としての役割を果たしていたのだろう宇陀の街並みをします写真としてよく出る構図。板塀に囲われた先に古民家とはいえ、随所にこうした古民家は点在して雰囲気はいい。年末だったので誰もいない。
2023.12.31
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長崎には戦争遺構が多く残されている。限られた日数で全てを見て回ることはなかなか出来ないが、今回行ってみて圧倒されたものをいくつか紹介したい。・旧佐世保無線電信所(針尾送信所)1922年(大正11年)に完成したという巨大な電波塔。鉄筋コンクリート造りの136mもある煙突のような塔が3基、上空から見ると正三角形に配置されている。近くで見ると不気味なほど圧倒される。戦後も1997年まで使用されていたというが、よくもまあ、攻撃されずに残っていたものだ。ということを現地の方に聞いたら、「戦争中は日本の無線はすでに米軍に解読されていて、その内容を傍受するためにあえて攻撃せずに残していたらしい」とのこと。電波塔の中や当時使用されていた電信室などは見学(無料)できる。煙突かと思いきや、電波を送信していた塔。上から見たら正三角形に配置されているそうだ136mもあるので、傍に行くと圧倒される内部の様子。何か不気味さを感じる電波送信用の電源室跡廃墟ではあるがきれいにしている・無窮洞(むきゅうどう)外から見るとただの防空壕かなと思うが、学校でもあったそうだ。太平洋戦争中に旧宮村国民学校(現市立宮小学校)の防空壕として掘られたもので、当時の校長の発案により昭和18年(1943)から昭和20年(1945)の終戦の日まで掘り続けられたそうだ。驚いたのは掘削は教師に指導された高等部の生徒(今の中学生)たちが行い、男子がツルハシで掘り、女子が整形を、下級生が運び出しを担当したとのこと。つまり子供達で造ったということだ。攻撃から身を守り、一方で勉強の場も自分達の手で確保したというのは頭の下がる思いだ。洞窟入り口のようにも見えるが、防空壕兼学校施設教室で、奥に教壇がある鍬やツルハシで掘っていったんだなあ。しかも子供が作業していたっていうのだから悲哀を感じる・旧佐世保海軍工廠(佐世保重工業)造船所というだけでも、見ることがないので、そのデカさに圧倒される。元は海軍工廠というだけあって軍艦を作っていたのだろうが、今は巨大客船などを造っている。行った時は「飛鳥2」の造船の模様を眺めることができた。平屋もなく、全てオープンなんだな。近づけないが、道路脇から見るのが上からなのでよく見える。道路わきのフェンス越しにしか見ることはできないそれでもドックのでかさはよくわかる・魚雷発射試験場跡片島公園という、公園感をあまり感じることのできない海沿いの場所に外側だけ残っている建物がある。戦争の遺構であることを言われないと波止場跡か何かかと勘違いしそうだ。魚雷発射試験場というが、名前からイメージのつかない遺構だ。そばに行っても桟橋という感じ何かの製造工場だったのだろうか
2023.12.27
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長崎には100名城、続100名城のうち5つの城跡がある。このうち、対馬にある金田城は2020年、島原城・原城は昨年訪問した。あとは平戸城と福江城だが、福江城は五島にあるので、また別の機会として、今回平戸城を訪問した。この城も唐津城と同じく模擬天守なんだなあ。櫓も当時の名前で復興されているが、中は休憩所であったり、宿泊所だったり、喫茶店といった形で利用されている。唯一当時の遺構として、狸櫓(多聞櫓)、北虎口門があるが、狸櫓は土産物売り場だし、門の窓にはガラスがはまっているので、現存遺構としての扱いがちょっとねえ・・・。海からの姿など見栄えはとてもいいのに、残念感が漂う城だった。正面に狸櫓、その横に北虎口門。いずれも現存らしいが、扱いがねえガラス窓がはまっている。現存感なしだわこちらは模擬天守見奏櫓というが内部は休憩所城内にある亀岡神社に通じる桝形虎口跡城外には、幸橋(みゆきではなく、さいわい)といった当時の石橋が残っている。これに限らず石垣遺構はせめてもの慰めだ。あと、この近くに寺院と教会が見える場所がある。ただここもよく見ると寺とお墓と教会なんだな。平戸市役所そばにある幸橋門と幸橋眼鏡にはなっていないただの石造アーチ橋。でも重文遠望するといい感じですけど寺院と奥に教会。ザビエル教会という。内部の見学はできるこちらは参考までに。長崎には眼鏡橋があるが、これは天然の眼鏡岩。佐世保にあります
2023.12.26
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佐賀には100名城、続100名城のうち5つの城跡がある。このうち、福岡県との境にある基肄城(きいじょう)を除く4つの城跡を訪問した。・佐賀城現存建築物としては鯱の門及び続櫓、本丸御殿の一部である御座の間だが、天守台や石垣、堀、土塁など綺麗に整備された遺構を見ることができる。本丸御殿も一部復元され、歴史博物館として「無料」で公開されているのは嬉しい限りだが、全てを復元しておらず、一部は平面で表示されている。予算の関係らしいが、中途半端なままで終わってほしくはないな。現存の鯱の門脇扉の上部には佐賀の乱の際に打ち込まれた鉄砲痕がある本丸御殿玄関内部は畳敷きで、いろいろなイベントにも使えるようになっている現存の御座間内部。鍋島直正パネルと記念写真が撮れるようになっているが、微妙な感じだ御座間外観。復元建築物との調和がとれているので一体感がある天守台。そばに行くとこの上に建物があれば結構な大きさだろうと実感できる・吉野ヶ里遺跡およそ城跡とはイメージできないが、環濠集落としての防御性を備えた遺構から古代の城郭として認定されたのだろうか。戦国期の城跡をイメージしていると違和感があるが、弥生時代あたりの自分達のムラを守るため堀や柵を巡らしたのだろう。当初は竪穴式住居などの復元遺構がある遺跡公園としてサッと見ておけばいいかという思いだったが、見ていくにつれ次第に引き込まれ、その規模や当時の生活など窺い知ることができ、サッとどころか、ジックリと見入ってしまった。ここは見応えがあり、行く価値がある場所だ。当時の天守に相当するのだろうか。主祭殿。内部には祭礼の様子を人形で展示している物見櫓。すげての櫓に登ることはできないが、一部階段があり、展望できる城下町のようなムラを再現している。一軒一軒内部を見ることができるがほぼ同じ造り・唐津城ん〜、遠くからの見栄えはいいのだが、模擬天守はねえ。その他の建築物も体裁は整っているが、コンクリート建物だし、何だかなあ。その中で、復元されたという三ノ丸辰巳櫓は、本丸からずいぶん離れた場所にポツンとあるが、往時の面影を残しているかのようで街中にあるにもかかわらず雰囲気は良かった。松浦川河口にかかる城内橋から定番の構図見た目はいいんですけどね。模擬ですからね三ノ丸辰巳櫓。離れた所にひっそりとある。現存ではなく、復元ですけど三ノ丸辰巳櫓から天守側遠望・名護屋城秀吉の朝鮮出兵の拠点となった城跡。石垣は残ってはいるが結構破却されている。とはいえ綺麗に整備はされており、協力金という名の入城料100円を払うと付いてくるパンフの順番に従って巡るとくまなく見て回れる。大手口。きれいに整備されている。破却された状態も悪くない遊撃丸跡から天守台を望む。壮麗な石垣があったんだろうが、盛土状態天守閣跡碑。展望はいい二ノ丸船手口付近にある石垣。当時はこの上に土塀か多門櫓があったんでしょうね
2023.12.25
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富士山の周りを取り囲むようにある山はどこを登っても雄大な富士の姿を臨むことができる。なので、そう何度も行かなくてもと思いながらも、同じ方向から見るのであれば、別に違う山でもええやんと思いながらも、やはり登ってしまう。今回もそうした思いがあるにもかかわらず、懲りずに登って眺めてきた。三方分山(さんぽうぶんざん)、妙な名前と思ったが、そもそもは山頂から均等に三方向に向かって張り出している大きな尾根が、かつてあった3村(八坂、精進、古関)の境界線になっていたことから、この山名になったらしい。まあ、由来はともかく、精進湖湖畔にある駐車場(他手合浜駐車場)に車を停めてスタート。丁度日の出前に到着。ダイヤモンドでなくても、逆さ富士もあいまっていい時間だスタート地点は、駐車場からすぐにある。目指す山の標高は1,422mと低山ではあるが、スタートの精進湖の標高が911mと、実質300mくらいなので登りごたえのない感じだが、富士山の雄大な姿を堪能するのが目的なので、まあ標高差は目をつむるとして、登っていく。コースはパンラマ台経由時計回りか、女坂峠経由反時計回りになるが、今回はパノラマ台経由で行くことにした。落ち葉が多いくらいで、傾斜も緩く登りやすい。1時間ほどでパノラマ台に到着。何度見ても素晴らしい。写真を撮るにも逆光なのでそこは設定に悩まされるが、その雄大さには言葉を失う。「ハ」ノラマ台になっているが、御愛嬌。眼下には樹海が広がる頂上真上に太陽。逆光がきついが、これはこれで絵になる次に向かう三方分山その後、三方分山へ向かう途中に南アルプス展望所(標識はないけど)があるが、天気がいいので、八ヶ岳から甲斐駒・・・と名だたる南アの山々を見渡すことができた。右に甲斐駒、左に仙丈ケ岳お目当ての三方分山頂上は、パノラマ台と違い頂上付近は開けておらず、南東方向に少し開けたところがあるのでそこから眺めることができる。標識側の展望はないが、振り向けばこの角度からのみだが、絶景を見通せる滞在時間10分程度で、女坂峠経由で下山した。手前に大室山。子抱き富士という構図らしいけどにほんブログ村
2023.12.09
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茨城、栃木と3日連続城巡りをして来たが、その最後。埼玉の城。埼玉には他にも川越城や鉢形城があるが、すでに登城したので、残りの三城になる。<忍城>映画「のぼうの城」の舞台になった城。当時は湿地帯だったのだろうが、今は当然のことながらその面影はない。遺構も土塁やどこかの門くらいだし、御三階櫓といっても城風博物館なのでかなりイマイチ感がある。とはいえ、御三階櫓も外から見れば立派な雰囲気を出しているので、これはこれでいい感じだ。現存門かと思いきや、別の建物にあったとされる移築門まあ実際のものとは違うが、江戸期の城郭を感じさせる造りにしている。石垣はちょっとねえ。向きを変えても同じような意匠。裏は博物館からの渡り廊下で繋がれている。鐘楼櫓、ではない。鐘はあるが何なんでしょう。<杉山城>築城年代についてははきりしない部分もあるようだが、戦国期の城であることはその作りから見ても確かだろう。実際、以降を見ても戦国時代の山城の構造がよくわかる縄張になっている。大手口から馬出郭への動線は細く、橋がかかる構造だったり、土橋にしていたり容易に侵入できないように工夫されている。また、空堀(というよりか切岸という人工的な崖)も随所要所にあり、防御面と攻撃面を兼ね備えた造りだ。本廓からの眺めもよく、綺麗に整備もされ一見の価値のある城跡だ。大手口跡から。左に折れて馬出郭へと続く切岸というんでしょうか。結構な高さになっている馬出郭。 今は一旦降りて登るが、本来は橋がかかっていたそうだ。奥には土橋が見える本郭には石碑と祠があるのみ本廓から南2の郭方面を望む本郭北虎口 狭い土橋になっている井戸跡。今でも水が出ている。廃城の際に再利用できないように石で塞いだらしい<菅谷館跡>鎌倉時代の畠山重忠の館跡ということだが、その後も城として使用されたのだろうが、跡地を歩いても木や草が生い茂り、「・・・廓」とプレートがある程度で城跡を感じさせる部分が少ない。水堀や空堀などいくつか配置されているので、それらしい雰囲気は掴めるが、先程の杉山城のようにはっきりとわかる城の姿とはまた違う趣だ。散歩、散策するにはいい公園といえる。郭の構造からすると城を感じさせるが・・・紅葉は綺麗だが、跡地は散策路と草木だけが残る本郭手前に石碑本郭とニノ郭の間にある土塁と空堀本郭跡も木と更地で何もないにほんブログ村
2023.11.25
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茨城の逆井城を後にして、1時間ほど栃木に向かって走った。<唐沢山城>山城だが、山頂に神社があるせいか近くまで車で行ける。神社としての雰囲気が強く、本殿のある本丸跡には石垣があるが、これが城なのかどうかは城跡として行かないと認識しづらいか。南城跡は下に降りて行くと石垣が現れ、城としての雰囲気を出していい感じだ。紅葉もいい具合に色付いている食い違い虎口 こう言った遺構があると城、という感じがする本丸跡の高石垣 この上には神社の本殿がある社殿があるので、城跡としての遺構は特にない写真よりも実際に見た方が紅葉の良さがよくわかるのはいうまでもない南城跡の石垣 メイン通路にはないのでひっそりとした佇まいの中にしっかりとした石垣がある<足利氏館>城というより、鎌倉時代前後の武士の館跡で、現在は鑁阿寺(ばんなじ)という国宝の本殿を持つ寺院になっている。周囲は土塁と水堀で囲われているが、戦国の城とは趣が違う。行ったのが秋ということで、境内(城内とは言い難い)にある黄色に色づいた銀杏が見事で目を奪われてしまう。振り仮名がないと読めない寺名。読めても書けない寺名。でも本堂は国宝国宝本堂も見所だろうが、やはり境内の色づきに目がいく多宝塔の周りには紅葉や銀杏が綺麗に色付いている外堀とでもいうのでしょうかね。<足利学校>ここは城とは違うが、学校というより殿舎という感じ。屋根は瓦葺きではないので、大名の御殿とは言えないが、内部は広間や奥座敷があるなど雰囲気はいい。これが足利氏館にあればなお一層見栄えはいいだろう。とはいえ、鎌倉時代にはない建築だろうからミスマッチになるけど。ここにも見応えのある銀杏が最高の状態でお出迎え屋根は民家風で、内部は寺風。学校とはいえ、イメージする学校ではないにほんブログ村
2023.11.24
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茨城には100名城と続・100名城に選定されている3城がある。水戸城、笠間城、土浦城だ。このうち土浦城は以前行ったので、今回残りの2城と名城には入っていないが遺構としては素晴らしい、名城にも匹敵する逆井城に“登城”した。水戸城は、ご存知の通り徳川御三家の一つだが、名古屋城、和歌山城と違って遺構がはっきり言って“しょぼい”。ダイナミックな石垣や堀で囲われた曲輪があるわけではない。もちろんその分土塁や空堀などは戦国時代の城を思わせるような造りで、それはそれでいいのだが。また曲輪としての遺構の片鱗はここかしこにあるが、中核には学校がありすぎて遺構を巡るという感じにはならない(通行できるように通路が作られ、その両側は柵で、その奥にある学校敷地内が見えないようにしている)。現存する薬医門、復元された大手門や二の丸隅櫓などは城としての雰囲気を醸し出しているが、学校の敷地内に点在しているのでなんだかなあという感じ。御三階櫓跡などは学校敷地内で近づけもしなかった。遺構整備は進められているのだろうがこれからに期待したい。大手門 復元だが重厚感がある薬医門 現存する遺構だが、高校の敷地に門だけがある。違和感しかない。二の丸隅櫓 ここに行くまでに塀で覆われた学校の敷地内を通っていく。で正面はというと夜に行ったのだが、駅前の歩道橋から臨むことができる。下からは確認しづらいだろうな笠間城明治維新まで続いた城だが、解体され草木に覆われすぎている(まあ廃城になると自ずとそうなっていくし、手入れをきちんとしないとすぐに荒れた感じになっていく)。天守跡には神社があるが、東日本大震災により、天守曲輪の石垣や石段が崩壊するなど大きな被害があったため、立ち入り禁止になり、放置状態だ。しかも震災による崩壊後10年以上が経つのに有効な整備事業が進んでいないように見受けられる。確かに山城は重機を入れるのが難しいだろうが、10年以上経っているのにこの様子ではこの先も復旧が期待できるのかどうか・・・。大手門跡という碑がなければ、わからないなあ櫓台跡だが、石垣があるわけではない天守ではなく、天主天守入口付近 ブルーシートで覆っているが、何年放置しているのか・・・本丸東門下の石垣 駐車場でもある千人溜り跡逆井城豊臣の小田原征伐後に廃城になったので、荒れ果てていてもおかしくないが、先の笠間城よりもはるかに整備され城としての雰囲気を醸し出している。復元遺構の物見櫓や井楼、門、御殿などは実物に近いかどうかはどうであれ、雰囲気としてはいい感じだ。空堀や土塁も戦国の城を感じさせるものだ。何もない方が想像を掻き立てていい場合もあるが、きちんと検証して復元したものは違和感なく受け入れられる。フォトジェニックな城だ。逆井城の天守ではなく、物見櫓 検証しての復元のようだが、正直わかりませんでも、雰囲気はいいです。井楼矢倉 こちらの方が物見櫓感があるけど主殿にある城門 本来のものではなく、関宿城からの移築らしいこれも考証した結果の建築物 けどこれも雰囲気はいい奥に櫓門がある 物見櫓から離れた場所にあるにほんブログ村
2023.11.24
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那智の滝、華厳の滝と日本の三名瀑に数えられる袋田の滝を見に行った。ただ滝を正面から見るだけでは面白くないので、北側にある生瀬富士(406m)に登り、その尾根道にある展望所から滝を見る(真上から)ことにした。駐車場は観光用の無料駐車場が二つあるが、第一は滝に近いこともありすでに満車だったので、第二に停めて登る。生憎この日は雨上がりだったためガスの中を進むことになったが、道自体はなだらかに高度を上げていくので、それほど苦も無く行けそうな感じだった。しかし、上がるにつれて斜度が増すのと雨上がりなので地面の状態がイマイチなため、お気軽登山という訳にはならなかった。登りは緩やか&最後に気持ち急坂視界は絶望的。しかも狭い。頂上部は狭く、視界がガスで遮られているため長居は無用ということでとっとと滝の展望所へ行くことにした。展望所へ向かう下りは斜度もあるせいか歩きにくい。しかも木の根が湿っていて滑りやすく、慎重に行かないと足を取られる。下りは急坂もあるが、紅葉が綺麗で気持ち良く歩ける展望所からは袋田の滝の全てを上から眺められる。ドローンで見るような感じだ。なかなか滝を上から見ることがないので感嘆しきりだったが、この場所には柵があるわけでもなく、足を踏み外すと「さようなら」になってしまうような場所だ。人がいない分景色を堪能できるが、身を乗り出しすぎないようにしないといけない。上から見ると構造がよくわかる。なかなかない光景だ。紅葉と滝がいい感じ展望所から下っていくと袋田の滝につながる滝川に出る。ここから渡渉になる。水量は多くはないが、朝方雨が降っていたので、流れがあり、どこに足を置いて進むか一瞬立ち止まってしまう。軽い気持ちで登って降りてきたので、この渡渉の対策はできていない。ストックもないし、靴もローカットだ。とはいえ、迂回ルートもないので意を決して浅そうなところを狙いながら渡渉した。多少靴は濡れたが大事には至らなかった。写真では苦もなく渡れそうだが、流れがあり、足場に迷う浅いところをジャンプしているが、結構慎重に跳んでいる袋田の滝正面に出るには一旦月居山方面に登り、途中から階段で降りていく。降り切ったらあとは観光の流れに沿って観瀑台方面に歩いていく。が、この観瀑台は有料だったため、そのまま引き返した。その手前でも十分ダイナミックな滝を見ることはできるし。上から見るのと正面から見るのとでは迫力は違う。無料でここまでなら十分だ暖かい日が続いていたせいで紅葉もちょうど見頃だった。にほんブログ村
2023.11.23
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百名山を終えてから、2カ月ぶりの登山となる。再開後の最初は、茅ヶ岳(二百名山&山梨百名山)と決めていた。やはり、百名山の創始者でもある氏が、その生涯を閉じた最後の山に行き、報告もしておこうという理由からだ。山自体は1704m、駐車場からの標高差は800mくらいなので、サクッと登れて、サクッと下山できる。とはいえ、緩やかにスタートして徐々にその斜度を上げていくので、サクッと言ってもお気楽にはいかない。緩やかに登っていくが、ず~っと樹林帯徐々に急斜面も現れてくる頂上までは、ずっと樹林帯で、展望がほぼない。真夏だと蒸し暑さを感じそうな行程だ。でも、頂上に出ると、360度視界が開け、富士山、南アルプス、八ヶ岳を展望できる。頂上は展望がいい。遠くに八ヶ岳雲はあっても富士山の雄姿はしっかりと見える左に甲斐駒、鳳凰山と続く茅ヶ岳の隣にセットで登られることが多い金ヶ岳(1748m)があるので、足をのばして行ってみた。ところが、一旦降りて、再び登って、頂上かと思いきやそこは南峰で、また下って登るという、しんどさを伴う縦走になる。しかも頂上からの展望がよければ、来てよかったと思えるが、一方向のみでその方向に茅ヶ岳が見えるのだが、松が邪魔して全貌が見えない。ピークかと思いきや南峰。しかも手作り標識。わかりにくいけど途中から見る方がよく見える。茅ヶ岳の後方に富士山金ヶ岳頂上だが、標識は逆光で見にくく、茅ヶ岳も松が邪魔して見えない昼食をここで済ませ、あとは来た道を引き返して下山した。もちろん、深田氏終焉の地(登山道の途中にある)で報告をして帰ったのは言うまでもない。深田先生、無事に百名山完登しました。ありがとうございました。メモ:3連休の初日だからか、渋滞がひどかった。6時前に横浜を出たが、遅かったようだ。8時ごろには登山口に着くと踏んでいたが、10時前になってしまった。やはり連休初日はさらに早いスタートか、前泊が必要だ。
2023.10.07
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このシリーズ、前回の記事は6年前の2017年。長生きしたなあ_その3はコチラその後も長生き電化製品の買い替えをした(記事化していなかった)。22年間!使った炊飯器(内釜のコーティングが剥げてしまった)23年間!使った洗濯機(洗濯槽から長年のゴミが頻繁に出てくるようになった)どれも、使えるから使用していたが、消費電力を考えればもっと早くに、故障に関係なく交換しても良かったのだろうが、ついつい使い続けていた。これで長生き家電は終了かと思いきやラスボスがいた。冷蔵庫だ。購入が1997年なので、26年になる!最長老だが特に不具合もない。まあ、たまにインバーターの音が耳障りなくらいで冷え自体問題はなかった。ところが最近はエコ家電に買い換えるとポイントが付与されたり、自治体のプレミアム商品券的な「○○ペイ」といったキャンペーンが張られたりして、消費拡大を促している。今回我が家もそのキャンペーンに乗っかり、ついに買い替えることにした。26年間お疲れ様でした。見た目は古さを感じさせないんだが、老体に鞭打ちすぎたかな。今は亡き、サンヨー電機。しかし、改めて見ると消費電力がすごいな。26年も経てば、消費電力の違いが歴然で、以前のものが月50kWhだったが、今回は月20kWh程度だ。そりゃあこれだけの年月が経てばはるかに省エネになってるのは当然だ。使えるからといって、使い続けても無駄に電気を消費するだけなので、程よいところで交換しないといけないな。あとは思い切りだけだけど。専用の製氷室や、瞬間冷凍室など今時の機能が備わっている(別に目新しくはないけど)ということで、これで我が家の最長老は旅立った。もう終わり?いや、冷蔵庫の半分13年選手がいる。テレビだ。FHDには対応していても、昨今の4Kなんて当時はそんな言葉すらなかったので、当然非対応だ。でも、スマホもPCもそうだが、機械系は追いかければキリがない。長生きしたなあ_その2 → コチラ長生きしたなあ_その1 → コチラにほんブログ村
2023.10.01
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五百羅漢は、さまざまな表情や姿が滑稽で、見ていて心が和むし、見飽きることはない。これまで、京都の石峰寺や埼玉の喜多院でその多様な姿を見てきたが、この神奈川にも五百羅漢を拝める寺があるではないか。大和市にある常泉寺。灯台下暗しだな。静かな住宅地の中にある寺この常泉寺は花の寺でも有名で、四季折々の花を愛でることができる。この時期は彼岸花や萩がその境内を彩り、写真を撮るにもいいアクセントになる。羅漢像以外にも仲良し夫婦の石像も多い萩もひっそりと咲いている五百羅漢像も境内の随所に置かれ、河童の石像(水に縁のある寺なので祀っているそう)も随所に見られる。なのでその羅漢さんも河童と戯れる姿のものも見ることができる。また、時代を反映してか、マスクをした羅漢さんなどさまざまな姿を見ることができる。河童は随所に羅漢さんの邪魔を使用するカッパやなぜか相撲をするカッパかまってほしいのかな、このカッパはコロナが明けても、マスクは外せませんにほんブログ村
2023.09.30
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2011年8月から始めた夫婦で百名山踏破の旅。12年の時間をかけてようやく完登した。振り返ってみれば、あっという間、ではなく、結構時間がかかったなという印象だ。前の日記にも書いたように早い、遅いは関係ないのだが、早く終わらせて縛りのない山旅をしたいという思いがここ数年は強くなっていたのは否めない。とはいえ「やっつけ」で登ることはしなかったことだけは言える。以下簡単な振り返り。<良かった点>百名山は、深田久弥という作家個人が設定したものだから、と否定的な見解を持つ人がいる。捉え方は個人の考え方なので色々とあるのは当然だ。ただ、登山をしていて、地元以外でどこか登ろうと思った時の一つの指針としてみれば捉え方も変わってくる。僕らにとって、百名山として選定されたその山を登る計画を立てるときに周りにどんな山があるのか、このルートはどうだろう、こういう山もあるんだなと色々と気づきを与えてくれるきっかけとなった。おかげで低山〜高山まで様々な山に興味を持てたし、百名山以外の山々にも行くようになったことを考えると僕はむしろ肯定的に受け止めている。<反省点>山行スタイルは、厳冬期で高度なスキルを要求されるような時期を外す、といった以外は季節を問わず、時間があれば登りに行ったが、結構無茶な行き方をした事もあり、それは反省点となった。例えば、2015年に頂上付近が大荒れの八甲田山(出発時点から雨模様、近場であれば止めている)、谷川岳のトマの耳までは天候は良かったが、その先吹雪いて視界不良になりつつあるのに強引に行った谷川岳(オキの耳)。いずれも「ここまで来たのだから」という考えがあったから、強引な山行となってしまった。事故が起こらなかったから良かったものの、あってからでは遅いのでこの2座は反省の山行となっている。しかも登頂しても何も見えず、行っただけで何の感動もなかった。写真ではわからないが、横殴りの雨。当然山頂には誰もいない(八甲田山)雨がたたきつけて視界が悪い(八甲田山)オキの耳。途中まで晴れていても山の天気は急変するので引き返さないといけなかったホワイトアウトに近い状態だったしもちろん天気はできるだけ晴れ、あるいは曇り、と雨のない日を選んでいく計画を立てるが、長期ロードになると出発前の予報通りになることはない。天候の変化が分かった場合にgo/no goで迷うのは当然だが、2015年以降は折角行くんだったら晴れてる方がいいよね、と考え方を変えて日程変更や撤退するようにもなった(特に北海道は4年がかりで5回ほど行くなど効率が悪い(コスパも悪い)移動にもなったけど)。しかし、変更することでいい天気に恵まれ、いい眺望を堪能できたなど、“災い転じて福となす”ことにもつながった。<移動と費用>山は自宅エリアに近い場所ばかりではなく、遠征が伴う(ことがほとんど)。遠隔地は当然宿泊が必要なため、土日の休みだけではなく長期休暇がないとなかなか厳しくなってくる。必然的にGW、夏のお盆前後、冬の年末年始あたりになってしまう(北海道は早くてGW、ほぼ8月の期間限定)。時期の限定は仕方がないが、移動に伴う交通費(北海道であれば飛行機&レンタカー、自走でも燃料代や有料道路代)や宿泊費といった金銭的な問題は時間をかけると大きくなっていく。なので、少しでも費用を抑えるため、宿泊は車中泊、ビジネスホテル泊、小屋泊、テント泊などその場、行程に応じて選択した。また、食事も可能な限り自炊をするようにした(ホテルは休息日や登頂後など限定的に使ったが)。旅費交通費以外でかかる費用といえば装備のアップデート。登山を始めた時点と同じ装備でずっと使い続けられればいいのだが、そういうわけにもいかず、季節に応じてウェア、靴の買い増し、劣化による買い替え、山行によって容量の違うザックを揃える、といったことも余儀なくされる。登山そのものに費用がかかることはほぼない(一部登頂するのに支払う場合はある)が、登山以外での費用が結構かかった(誰もがそうだろうけど)。特に冬仕様は大きい。ということで、百名山踏破(に限らず、日本の山々を登る)には「時間」「お金」「天気」の三条件を意識しないといけなかったが、なかなかその三つがいい条件で揃うのは稀だ。それでも一つ一つの山を登ることで、一つ一つの違った喜びを得られたことからも、やめずに続けられたし、今後もやめられないんだろうな。今後200、300名山は意識的に追いかけることはしないつもりだ。山頂からの景色が良い、花が綺麗、変化に富んだコースがあるなど「楽しみ」を見つけながら山と向き合って登っていこうと思う。ポチッとできるよ↓
2023.08.18
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遂に百名山100座目への日が訪れた。ここまで12年の月日を費やした。人によってはもっと短い時間で完登しているだろうし、もっと長くかかっている人もいるだろう。ただ僕らもそうだが、別に誰とも競争しているわけではないので、早い、遅いはこの際関係ない。無事に夫婦揃って登頂〜帰宅できることに喜びを感じるのみだ。さて、幌尻岳を下山後、トムラウシ山登山の起点ともなる東大雪荘に前泊した。この宿舎自体は綺麗で温泉もあり、食事も美味しく、「宿泊代が高い」以外は満足できるところだ。ただ、ここに至る道が未舗装路なのが難点だ。デコボコな道ではないが、小石が多く、車には優しくはない。必然的に速度が抑制される道となる。この辺りだけ舗装されているが、いったん道路に出るとそこは小石のダートな道が続いている宿舎を4:00過ぎに出発。短縮登山口までこれまた未舗装路&デコボコのある道を進んでいく。時間にして15〜20分ほどだろうか。先行車、後続車がいないので登山口の駐車場は空いているかなと思ったが、甘かった。やはりそのエリアだけ混雑していた。幸い駐車スペースはあったが、結構な台数だ。駐車場にはバイオトイレが設置されているので、車中泊する人もいるのだろう(ちなみに、東大雪荘の手前にもトイレ付きの駐車場がある。こちらの方が舗装されているので車中泊にはいいかと思う)。4:50に登山口を出発。しばらく緩急の混ざった道を進んでいく。カムイ天上を抜けると視界が広がるところに出るが、雲海が広がって良い感じだ。十勝連峰も雲の上にあり、朝早いとこうした景色を堪能できる。コマドリ沢分岐までは結構なぬかるみを進んでいく。しかも一旦沢まで下降して行くので気分的には良い気がしない。また、コマドリ沢では綺麗な水が流れており、水場になっているが本州ではそのまま飲めそうな水もここでは煮沸や濾過が必要になる。さあ、最後の一座に向けて木道はあるが、けっこうぬかるんでいる十勝連峰と雲海。右に美瑛岳、そのすぐ左に十勝岳。左のピラミダルな山は下ホロカメットク山コマドリ沢分岐から再び登り返していくと岩稜帯に出る。すると「チッ、チッ」と動物の鳴き声がする。辺りを見回すと、いました。エゾナキウサギ。結構近い場所で動き回ることもなく、愛くるしい姿で岩の上で鳴いていた。見ることができてラッキーだ。きれいな水が流れているが、飲めない…蝦夷ナキウサギ。北アルプスで雷鳥を見るのと同じぐらいラッキーだいよいよ近づいてきた。頂上は左奥前トム平を経てトムラウシ公園あたりまで岩稜帯が続くが、疲れを感じさせない雄大な風景が広がっており、歩いていて気持ちがいい。トムラウシ公園は様々な形をした岩や池が織りなす自然の庭園で、見る者を圧倒する。岩稜帯を登っていくトムラウシ公園は自然が織りなす日本庭園だ最後の上りトムラウシ公園を過ぎ、南沼キャンプ指定地分岐からは最後の登りが待っている。ゴツゴツした岩を登っていくと、遂に100座目の頂上に到達だ。時間は9:30。ガスが時々湧いてくるが晴れた日に完登できてよかった。この日のために横断幕を用意し、三脚をセットして記念撮影。その場に居合わせた人たちからも、祝福の声をいただいた。みなさん、ありがとうございます。ようやく完登当初10年ほどで完登できると踏んでいたが、天気や噴火などの気象条件の悪化で予定変更を余儀なくされたことも多々あり、結果的には予定を超えた。それでも無事に大きな怪我をすることもなく踏破できてよかった。これまで色々と計画や宿舎の手配など骨を折ってくれたmomo さんに一番の感謝を捧げたい。あとは無事に下山するのみ。途中オコジョにも遭遇し、ナキウサギと共にご褒美をもらった感じだ。13:50、登山口に帰着。9時間という長い行程だったが、とてもいい山行だった。いい100座目だったこれで一区切りがついた。300名山は・・・、目指さないだろうな。
2023.08.12
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百名山踏破まであと二座、幌尻岳とトムラウシ山を残すだけとなった。幌尻岳を最終にする人も結構いるので、僕らも99座目トムラウシ山、100座目を幌尻岳でフィニッシュとしようと計画を立てたが、週間天気予報では曇りや傘マークなど今ひとつパッとしない。雨の日で最終を迎えたくないため、少しでもマシな天候で登るため、順番と日程を変更し、先に幌尻岳を登ることにした(予報的には晴れ間も出る感じだった)。ルートは3つあるうちの、とよぬか山荘からバスで登山口まで移動し渡渉を繰り返して幌尻山荘に至る額平川ルートにした。とよぬか山荘は、以前学校だった校舎跡を宿泊施設に改装したもので、2段ベッド6つの2部屋(男、女別)と浴場、食堂で構成されている。僕らは素泊まりで自炊の準備をして行ったのだが、管理人曰く、自炊によって火事になりかけたことがあるとのことで、現在はガス缶の使用を認めていないとのこと。雨も降っていないので外でしてはいけないか、など交渉をしたら、カセットコンロを貸してくれるとともに別部屋でするようにしてくれた(HPにも記載があったのを見落としていた。すいません・・・)。最大24人しか泊まれない。車中泊は禁止しているようだが…。内部は学校の様相翌朝出発は4:00の第1便。早い人は2:30に目覚ましをセットして準備していた(はやっ!)。着替えて準備するだけなので、そんなに早く起きなくてもいいのだが相部屋だと自分のペースよりも他人の早いペースに飲み込まれてしまうのが難点だ。この時期の4:00は明るくなりかけているがまだ暗い。出発して50分の林道走行で終点の第2ゲートに着く頃にはようやく明るくなっていた。第2ゲートには簡易トイレが2台設置されてあり、トイレットペーパーも完備されている。この先幌尻山荘までトイレは携帯トイレ用ブースが1箇所あるだけなので、思い残しがないようにして行く必要がある。前日に撮った時刻表第2ゲート。右の小屋は下山時の待機場所(靴を脱ぐ)。その左にトイレが2つ(携帯型ではない)第2ゲートから先は林道を歩く。轍があるが、管理用車両の跡だ2時間ほど歩くと、渡渉地点に出る。ここで渡渉用の履物に変えるのだが、行く前は履物の選択で結構悩んだ。ソールにフェルトが付いている沢靴がいいか、KEENのサンダル(爪先が保護されている)がいいか、海水浴で使われるようなアクアシューズ(ネプレーンの生地にゴム底)がいいか。結局、一度のことなので新たに購入するのはやめ、随分昔に購入し、お蔵入りになっていたアクアシューズで渡ることにした。この日の水量は、やや多めのようで流れも結構あった。そのため、膝辺りまで浸かることになった。幸い、水温はそれほど低いわけでもなく、むしろ心地い感じだった。パンツはこの渡渉に備えて膝までのハーフパンツとし、ふくらはぎ保護用にサポーターをつけていった。で、アクアシューズはというとそれ自体は歩きにくいものではなく、むしろスムーズな足運びが出来る。しかし、一旦川から出るとソールがない、単なる1枚ゴム底なので、次の渡渉までの移動で大小の石を踏んでいくと結構足裏に石の角が当たったりして痛くなる。天然の足ツボマッサージだ。最初の渡渉地点。ここで履き替えるハーフパンツもさらにめくっていくmomoは膝上まで浸かっていた。渡渉回数は他の方が言うように、10数回ある(数えるのも面倒なくらいだ)。とはいえ、浅いところ、膝上までくるところ、流れの早いところなど色々「楽しめる」。ただ気をつけたいのは、水中の石に足を置くと滑る危険がある。この場合フェルトの沢靴だと問題ないのかもしれないが、ゴム底のアクアシューズだとヌルッと足を取られそうになる。それさえ気をつければ、転けずに渡って行ける。ストックは深さ確認のためにあった方がいいが、流れの早いところに刺すと水の勢いで持っていかれそうになるので、こちらも気をつけた方がいい。1時間45分ほどの渡渉の終了地点は幌尻山荘すぐ下になる。そのため、山荘到着まで靴を履き替えることはない。9時に到着。先に宿泊手続きをしてシュラフを敷いて、場所確保。幌尻山荘に到着したら、先に手続きをして寝床の確保をしておく必要がある。完全予約制なので下山後でもいいのだが、スペースがなくなって行くので先に済ませたほうがいい(場所は指定された)。手続き終了後、幌尻岳を目指して登山開始(この時で9:30)。最初から結構な急登が続く。稜線に出て視界が広がると左手に戸蔦別岳を見ながら北カールの縁を巻くように進んでいく。幌尻岳の頂上も最初はガスに覆われていたが、次第に晴れていき、天気予報に反して晴れ間と青空が見えるくらいに天気が回復していった。稜線に出ると戸蔦別岳が見えてくる(写真は進路に対して後方になっている)カールの縁を頂上へ向けて進んでいく。ただこの辺り、クマの生息地で糞があった。ガスも消え、幌尻岳の全貌が現れた頂上は二人占めだった。頂上には12:30に到着。滞在者は誰もおらず、momoと2人だけの状態だった。ガスも消え、遠くの山々も臨める状態になっていた。ひとしきり堪能したら、下山開始。2時間半ほどで山荘に到着。15:30に到着。ブルーシートはここで座って食事をしてねという場所のようだ。椅子がないので。山荘内は寝るだけのスペースがあるのみで、食事は外で自炊となる。結構な山奥にあるので、ビールや水は売っているがかなり高めの設定だ。ビール350mlが800円、水500mlが500円。水は沢から引いたものがあるが、煮沸や濾過が必要になるので、それができない場合は購入することになる。消灯は19:30とかなり早い(電気の節約でしょう)。シュラフは持参で山荘がパタパタマットを貸してくれる。ただ、このマット、薄すぎて結構お尻あたりが痛くなる。僕は痛くてほとんど寝られなかった。荷物に余裕があれば、マットを持参するのもありかと思う。翌日は5:00に山荘出発。いきなり渡渉がスタートするが、昨日経験しているので躊躇することなくドンドン進んでいける。とはいえ、回数は変わらずの10数回。その後の林道歩きを経て、8:30にバス停に到着。小屋で休んで9:30のバスに乗ってとよぬか山荘まで戻った。明日はいよいよ100座目のトムラウシ山となる。天気も晴れてくれることを願いつつ、短縮登山口の麓にある東大雪荘へと向かった。*熊・・・幸い見かけることはなかったが、稜線にでてからの北カールあたりは生息地域で、登山道の途中に糞や餌となる草を掘り返した跡が何箇所か見られた。山荘で途中熊に唸られたと話している人がいたので、危険と隣り合わせの山行になる。*アブ、ブヨ・・・他のレポートではいるような記載があったが、渡渉エリアも登山道もいなかった。虫除けにネットも持参したが使うことはなかった。ただ、虫除けのフマキラースキンベースミストを身体中にかけて一応の防御はしていった。
2023.08.10
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お台場というと観光スポットや娯楽施設、T V局があるなどレジャーで楽しめるエリアのイメージが強い。確かに、そのエリアはそうした施設が集まっているので間違いはない。しかし、「お」はともかく「台場」が何かを考えると見方が違ってくる。歴史好きの人には周知の事実だが、芝浦からお台場にかかるレインボーブリッジから下を見ると四角い島のようなものが見える。車で走るとわからないかもしれないが、このレインボーブリッジは歩いても渡れるので、歩いてみるとよくわかる。エレベーターで上がって、歩道を渡っていく。この四角い島のようなものが「台場」で幕末のペリー来航以降幕府によって設置された砲台跡地の一つだ。残念ながらこの台場は立ち入り禁止で中も木々で覆われて内部を窺い知ることはできない。レインボーブリッジから見る第六台場。「立ち入り禁止」と看板があるが、陸とはつながっていないお台場側から左に第三台場を臨むしかし、そのまま橋を渡り切ると、もう一つ同じような台場が見える。こちらは「お台場」という人工島から歩いて渡れるようになっており、綺麗に整備されている。四角い台場の内側は建物跡や弾薬庫跡など史跡を見ることができる。一応「続」100名城の1つとなっており、正式名称も「品川台場」となっている。この石碑を見ると「参番」と書かれているが、当然、当時は壱番、弐番とあったはずで、先ほどのレインボーブリッジから見下ろした台場は六番となっている。じゃあ、他の台場はどうなったのかということだが、海に見当たらないこととから、埋め立てられて存在しないことになる。実際十二番まで計画されていたようだが、六番までは完成したが、七番以降は未完成、未着手で終わったようだ。第三台場。こちらは史跡として公開されている。品川台場 三番 だがこの石碑海側に向いている。上から見ると石碑はこんな感じである。「かまど場」跡だが、レプリカだそうで・・・砲台跡。こちらもレプリカ今のお台場は旧台場の側に造営された埋立地を当時にちなんで名付けられたようだ。そんな歴史的背景を感じながら、ガンダムU Cや南極観測船「宗谷」を見て周り、帰路についた。みなとみらいのガンダムと違ってうごかない。陽に当たりすぎて、ずいぶん色あせている初代南極観測船「宗谷」。穴場スポットだ。管制室操舵室*「宗谷」は船の科学館横にあり、無料で観覧できる当時の船だ。みなとみらいに行くと日本丸や氷川丸が有料で内部の見学ができるが、この宗谷はタダで見学できる。しかも人がいないので、超穴場スポットだ。台場も人はいないので、人の少ないところを好む人にはいい場所かもしれない。にほんブログ村
2023.07.22
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那須岳という山はないが、那須連山の総称として、その主峰である茶臼岳=那須岳と捉えられている。一方、朝日岳、三本槍岳を含めて那須岳ともいうこともある。3つとも登ってしまえば問題はないのだろうが、8年前に訪れた際は茶臼岳しか登っていない。そのため、何か引っかかった感じがずっと心にあり、ようやく朝日岳、三本槍岳を含めた三座を登る機会が訪れた。前日に那須湯本に宿泊し、登山口のある峠の茶屋駐車場も早くに満車になるとのことだったので、駐車難民にならないよう6時前には出発した。行き交うクルマも見当たらなかったため、大丈夫かと思って駐車場に入った。しか〜し!なんとすでに満車だった。100台以上駐車できるのにスペースがない。聞くところによると4時30分ごろにはもう満車だったらしい。恐るべし、那須岳!そんなに人気があったのか。天気も良く、3連休の中日だから押し寄せたのかもしれないが、なぜそんなに那須岳に集まるのか?結局僕らは少し下がった道の路肩に停めて行くことにした。ロープウェイの駐車場もまだ空いていたけど・・・。駐車場はすでに満車。路肩に停めて登山口まで歩く。右手は朝日岳まずは、茶臼岳へ準備を済ませ7時ごろに登山口を出発。樹林帯を抜けると強風に煽られながらも、1時間ほどで茶臼岳に到着。特にゆっくりすることもなく次の朝日岳に向かう。茶臼も岩が多いが歩く分には特に問題なく進める。しかし、朝日岳方面は所々クサリを設置してあるなど、同じ岩場でも少し様相が違っていた。ただ、それほど危険度が高いわけでもないので通常の注意力を持って進めば問題はないレベルだ。ただ、茶臼と違い人が多いので、すれ違いや抜いていくのに気を使う。樹林帯を抜けると風が強い。正面の鞍部は避難小屋だが、休憩エリア多少雲はあるが展望は悪くはない北側はガスっている次の朝日岳。こちらはまだ晴れている。朝日岳側から見る茶臼岳。旧火山だけあって頂上部は荒涼としているのがよくわかる多少岩場もあるが、通常の注意力で行けば何ら問題はない茶臼岳と違ってこちらは人が多い。ようやく来ました。朝日岳茶臼から朝日岳まで1時間ほどで登頂(移動だな)したが、人が多いのでここでも休む間もなく次に向かうことにした。茶臼、朝日は距離的に近いのでセットで登る人も多いのかもしれないが、三本槍までとなると途端に人が減少する。特に危険があるわけでもなく、距離的にも朝日から1時間程度なので足を伸ばせる距離かとは思うが、なぜか行く人は少なかった。三本槍への途中から右に茶臼岳、左に朝日岳1900mピークを越えて、清水平に差し掛かるとようやく三本槍が見えてくる。朝日岳あたりまでは晴れているがこちらの方面はガスっている。結局頂上に行っても晴れ間は見えず、展望も味わえないまま元のルートを引き返した。三本槍まで3時間ほどで到着できた。意外と短時間で回れるもんだなと感じた。清水平から見る三本槍岳。別に槍といっても尖っているわけではない他の2座と違って結構樹林帯が長い、多い眺望0三本槍岳から登山口へ戻る途中も人は絶えずやって来た。もちろん下山する人も多いので、前後左右、人、人、人だった。ゾクゾク登ってくる。三連休の中日だし天気もいいしねえ。この山、ホントに人気があるんだろうな。2時間ほどで下山したが、駐車場はというと相変わらず満車状態。しかも空車待ちで渋滞までしていた。何がここまで人を惹きつけるのかよくわからないまま帰路についた。渋滞はこの付近だけではなかった。那須I Cへ向かう途中那須高原を通過して行くのだが、那須高原に向かう車(反対車線)で渋滞ができており、しかも飲食店はどこも駐車場が満車の様子で、コロナ規制の反動がよく現れているようだった。
2023.07.16
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先日、買い物に行ってそのあとは・・・お決まりのビールタ~~イム立川駅から徒歩5分ほどの坂道ブルイング。食べ物持ち込みOKがうれしい好きなものが食べられる!手前が自社醸造の柴崎セッション(IPA)美味いミニチュアです。↓坂道ブルイングは、イギリス出身のマシューさんとアメリカ出身のダニエルさんが趣味の自転車をきっかけに知り合って、醸造所を経営することになったそうです。雰囲気がよくて、とても居心地のよいお店です。遠いのでそうそう訪れることは難しいですが、近くに来たらまた行きたいお店です。
2023.07.09
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マウンテンハードウェア(MHW)のHPでよさげな帽子があったので、在庫のある昭島アウトドアビレッジへ。試着してみるとどれもデカイ!!あれやこれやとかぶってみるもののどれもしっくりこない。。。そしてやっとみーつけた(手前が新しい帽子)NORTHFACEでちょうどいい帽子がありました!つばが大きくなく、被り心地もいいMHWの帽子ともさようなら。初めて被ったのは2017年の北アルプス裏銀座縦走の時でした。 ↓ちょーヘロヘロでもう歩きたくなーいと思ったけれど、最終日、太郎小屋で食べた行者にんにくラーメンの味は格別だった!!あ~懐かしい。思い出がいっぱい詰まっていて、捨てるのは忍びないな。。。5年間ありがとうまた新しい帽子をかぶって、いろんな山を歩くぞ~
2023.07.09
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9:31出発!渋滞で出発が遅っ!家を出るのも遅かったしね。。。くるくる~~~ウリノキ。コアジサイ。かわいい愛らしい💛しずかちゃん山頂到着~~!!富士さーーーーん、ヤッホ~~~~いつもより出発が遅くルートも確認していなかったので、ルートのチョイスミス…💦ロードが長すぎた〜😭山頂で富士山が見えたのでよしとしよう👍 15.1キロ 6時間12分おつかれしたっ
2023.06.18
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鎌倉散歩と決めていましたが、雨がやみそうにないので、ご近所散歩カサブランカ?気品がありますヤマユリさん。アガパンサスアガパンサスはギリシャ語の「アガペ(Agape)」「アンサス(Anthos)」が組み合わさったもので、アガペは「無償の愛」を、アンサスは「花」を指すそうですしっとりキレイフィーバーヒューにカマキリさんのってます。2センチほどのちっちゃい君。大きくなるのだぞ~~~雨の日は違った趣の写真が撮れるので、これはこれで違う楽しみができました。
2023.06.13
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いつものチャリで行きたいところですが。。。雨がふると鬱陶しいので、電車で移動。しっとりいい感じキボウシさん。蜂が蜜を求めて行ったり来たり。トキワツユクサ。ふさふさです。苔の上にひっそりと。夏椿。うさぎちゃん。ウサギゴケといいますが、苔ではないそうです。食虫植物え―ーーーー 梅雨の時期はなかなかお山に行けませんが、近くを歩いてもいろんなお花との出会いがあって、鎌倉散歩楽しいです
2023.06.12
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裏高尾から歩いたことがありましたが、表から行くのは初めて!気合を入れて朝一の電車で出発!!が・・・やはり人気の高尾山、たくさんの人で賑わっていました。イナモリちゃん💖健気さが👍ユキノシタ。 可憐ね💛オトシブミちゃ~ん成虫に会えました🌲ウリノキ。 花びらくるくる〜🌀先日の大雨でお花はほとんどなくなってました。。。それでも元気に咲いているお花を見つけることができました
2023.06.11
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成就院へ紫陽花に会いに行きました参道から由比ガ浜が一望できます。すてき~八重咲のドクダミカワ(・∀・)イイ!!イワタバコ。葉っぱがタバコに似ているからこの名がついたそう。もっとかわいい名前がいいなぁ💧雫が宝石のよう。きれい~総距離38キロ。久しぶりのロングライド。ロングってわけでもないけど。。。年々距離が減っていく果たして奈良に戻ったあと、琵琶湖1周できるのか???1泊2日が妥当なところか…Σ( ̄ロ ̄lll)おつかれしたっ
2023.05.30
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駿河小山駅からスタート!金時公園から登山道へ入ります。新緑が清々しいきのこちゃん発見お!第二きのこ発見ササクレヒトヨタケかな?君、つくしっぽいね。ニシキウツギヤブデマリ かわいいお花山頂、到着~お~咲いてた~~~サンショウバラちゃん上の方に咲いているので、撮るのがなかなかムズイ。。。絶滅危惧Ⅱ類(VU) に指定されていて、日本固有種。神奈川、山梨→静岡にまたがる富士箱根地区に分布していて、ハコネバラとも呼ばれるそうです。まだ蕾もあるのでもうちょっと楽しめそうオトシブミ~かわいいフミコと名付けよう。フミコおかあさんがくるんだ葉っぱに卵を産み付けて、その包まれた葉っぱを食べて大きくなるのです。内側から徐々に食べて大きくなるので、だんだんと重くなって下に落ちる。クヌギの下には、たくさんのフミコがいっぱい。気づかず踏まれちゃう~~~登山道から救助がんばって大きくなるのだぞ~”おとしぶみ(落文)直接言えないことを手紙に書いて、伝えたい人の近くの路上に落としておく文のこと。平安時代から鎌倉時代には行われていたようです。昔は巻紙に手紙を書きました。オトシブミの作る揺らんが巻紙の落文のようだというので、オトシブミという名前がつけられたのです。”なんて素敵なお名前がんばって大きくなるのだぞ~~~今回は、同僚のさく~んちゃんといっしょに山歩きフミコの存在や植物の名前を教えてもらったり、新しい発見がいくつもあってのんびり野草を撮りながらむっちゃ楽しい時間を過ごせました。ありがと~~また行こうね
2023.05.27
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十勝岳を下りてきて、ホテルのある旭川へ戻る途中、いくつか名所に立ち寄った。・白ひげの滝地下の雪解け水が地表に現れた先が丁度川の上の斜面であるため、滝のように流れ出ている。似たような滝は富士山の近くにもあり、こちらは白糸の滝という(流れ出る水量は違うが)。河岸からは見ることができず、橋の上からの眺めとなる。バックに十勝岳、美瑛岳が望める地層の間から吹き出すように流れ落ちている・白金青い池確かに青い。トロピカルブルー?コバルトブルー?エメラルドブルー?写真に撮ると一層ブルーが際立つが、実際もブルーだ。バックに十勝岳や美瑛岳が見え、いい景観を成していた。ただねえ、滞在時間の割に駐車料金が500円というのは、いささか躊躇した。空の反射ではなく、本当に青い。iphoneで撮るともっと青く写る(これは一眼)・ケンとメリーの木畑の中に立つ樹齢100年ほどのポプラの木。1976年に放映された4代目スカイラインのCMでのロケ地。ナビで「ケンとメリーの木」で検索できる。そばには無駄に広い駐車場。結局、YouTubeで検索してそのCMと照らし合わせて、そうやな、という感じ。リアルタイム出来みた記憶がないので、おー!ともならない・・・。すぐそばにケンとメリーのペンションがあるが、営業していない感じだった。広大な畑の中に1本立つポプラの木(通称「ケンとメリーの木」)樹齢100年。所有者の思いを大事にして、残していきたいですね。そばにあるから、同じ名前になるのはよくあることだ。・セブンスターの木こちらはもっとわからない。タバコを吸わないし、言われても、行っても特に感動もなかった。畑にある柏の木です。以上。まだ、葉もついていないのでなおのことわかりませんにほんブログ村
2023.05.14
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2週間前から天気予報とにらめっこして、予報は、ほぼくもりのち雨。あーーーあかんかも。。。キャンセルするのはもったいないし、曇りでもやむなし…と思っていたところ、前日まさかの快晴予報!最高の登山日和でした。十勝岳は天気がよくても山頂付近はガスっていることが多く、強風ということだったのでうれしい想定外。7:23 望岳台スタート!駐車場も広く、トイレもキレイ標高差はここから1040mほど。ほぼ直進大正火口からの噴煙避難小屋までは雪があったりなかったりで、避難小屋付近からチェーンアイゼンをつけて歩きました。モモ夫は夏道を行き、私は最短距離優先で雪道。避難小屋から先はキックステップで行けるところまで行くことにしたが、頂上直下の急登は流石にチェーンスパイクで行った(byモモ夫)最後の急登はなかなかの傾斜で、下を見るとコワイくらいでした。写真では緩やかでも、結構な斜度がある。そこをスキー担いで登っている人もちらほら。硫黄のにおいは多少しますが、風向きにって変わるようです。頂上エリアは広くはないが、人がいないので落ち着いて展望を楽しめた山頂到着!!山頂は360℃の大パノラマ!遠くまできれいに見渡せます。あ~来てよかった!!いつもは山頂についても、すぐ下りてしまうのですが、この時はめずらしく30分ほどのんびりして、下りてしまうのがもったないと思うほどでした。後ろは大雪山12:17 下りてきました。終始、晴れて風もなく穏やかでとてもよい山歩きができました。山の神様ありがとうございます。残す百名山は2座。幌尻、トムラウシもよろしくおねがいします!
2023.05.14
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旭川にあるから「旭川動物園」と間違えやすいが、旭山にあるので旭山動物園(知ってるわ!と言われそう)。常々行きたいと思っていたが、北海道訪問5度目にして、ようやく念願叶った。それぞれの動物をよく見せるための仕掛けや造りができている。通常、動物を上から眺めるスタイルになってしまうが、ここ旭山動物園はできるだけ低い位置、極端な話し、下から、地面レベルから見えるように工夫がされている。また、山の斜面に動物園があるので、坂をそのまま上がるのではなく、螺旋状に回りながら、次第に目線の位置を上げていき、色々な角度から見えるようにされている。下から見ると高い位置に座っていたが、こちらが上に進んでいくと目線の高さに現れるガラス越しではあるが、カバを真横から見ることなんて、そうないなオラウータンやテナガザルなどはその高所移動能力を見せるために檻と鉄塔を鉄棒やロープで渡し、移動している姿を見ることが出来るようにしている。これは初めて見るスタイルで、猿にはフツーの高所移動でも見る側は感心しきりだった。もたれかかって休んでいる姿は人間と変わらない。しかし、平板ではなく丸棒なので人間にはまねできないか。この鉄柱は結構高く、10m以上の高さを平気で(当たり前だろうけど)ぶら下がり、横移動している。キリンも通常したから眺めるものだが、ここではキリンの立ち位置を下げ、人間の目線付近にキリンの首が出るようにしていて、間近にキリンの頭を見ることができる。後ろを見れば構造がわかるが、高い位置からキリンを見ることができるようにしているあと、スタッフや関係者が作った説明版の数がめっちゃある。1枚1枚読んでいたらそれだけでも時間がかかるが、伝えたい、知ってほしいという思いが詰まったもので、冊子にして欲しいくらいだ。このような「手書き」の説明ボードが随所にみられる。テーマもいろいろあるので、読むだけでも時間がかかりそう。入園料が1000円 年パスが1400円 北海道に住んでいたら間違いなく年パス購入だな。にほんブログ村
2023.05.13
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JR菊名駅から徒歩30分横浜はアップダウンが激しい…電動チャリンコが多いのもうなづける。馬場花木園 posted by (C)momo、ときどきモモ夫こいのぼりが泳いでます。馬場花木園 posted by (C)momo、ときどきモモ夫都わすれ。都わすれ posted by (C)momo、ときどきモモ夫私の好きなオダマキ。オダマキ posted by (C)momo、ときどきモモ夫のんびり散策もよいな。GW後半、那須に行こうと思ったけれど、雨っぽい。。。今年のGWは、どこにも行けそうにない。残念
2023.04.30
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山梨百名山、要害山。全国には27の要害山がある。要害は、防衛に有利な場所、重要な場所の要塞を意味することのようで、だから27もあるのかな?甲府の要害山にある城は、1991年に国の史跡に指定されて要害城、積翠山城ともよばれているそう。ツツジが鮮やかでした!登山口から1.6キロ。30分ほどで登れます。山頂では、富士山が拝めます!が・・・・雲の中。登山口に行く途中で見えた富士山。ちょっと霞んでいる感じが映像チック
2023.04.24
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秀麗富嶽十二景高川山へ。 posted by (C)momo、ときどきモモ夫7:34 道の駅つる出発。近くにリニア見学センターがあります。無料で入れるようです。今度行ってみよ~!秀麗富嶽十二景高川山へ。 posted by (C)momo、ときどきモモ夫つくしが行儀よく並んでます!(^▽^)/秀麗富嶽十二景高川山へ。 posted by (C)momo、ときどきモモ夫8:00登山口に着きました。秀麗富嶽十二景高川山へ。 posted by (C)momo、ときどきモモ夫1時間半ほどで山頂到着!秀麗富嶽十二景高川山へ。 posted by (C)momo、ときどきモモ夫ヤッホー富士さーーーーん!!(ノ^∇^)ノ来てよかった~ありがとう富士さ~~~ん。これから湿度が高くなって、霞んで見えなくなる日が多くなるなぁ
2023.04.09
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