喜びの人生

喜びの人生

無差別殺人を超えて

幸福へ至る道

私はそれを見出したから、そのことを書いていこう。


幸福の土台は希望である。

いま世界が真に必要としているものは、富でもなければ温暖化対策でもない。心の希望なのだ。

すなわち、純粋な神への信仰なのである。

このサイトは、世界で最も深いメッセージを語るサイトである。

なぜなら、わたくし海光和幸の精神の土台は、キリスト教と

ヨガ哲学から来ており、そしてキリスト教とヨガ哲学より深いものは

、この世界には無いのであるから。

キリスト教は、わたしの命の恩人である。感謝。

そして今現在、わたしは中村天風先生の天風哲学で生きている。感謝。

ヨガ哲学の真髄を極めた中村天風先生の天風哲学とキリスト教

はあらゆる意味において対極である。

ゆえに、天風哲学とキリスト教を理解すれば、自ずと人類精神の

有り様も見えてくる。


       この世界は?

この世は、失望落胆の世界である。

だから多くの人々が毎日、自殺している。

この世界では、一年に100万人以上自殺しているから、

毎日、三千人が自殺している。

自殺の頂点が、無差別殺人である。

最近、日本でおきた秋葉原の無差別殺人や池袋の無差別殺人は、一種の自殺である。

ある大学教授が言っている通り、無差別殺人は、拡大自殺なのだ。

無差別殺人などという最悪の悲劇の根本原因は、心の失望落胆なのである。

だから必ず無差別殺人者は、自殺未遂を繰り返す。

無差別殺人者は、人生を愛しているから、独りでは死に切れない。

愛と失望落胆が、無差別殺人へと青年たちを追い詰めてゆく。

愛は人間の本質だから、消すことはできない。

しかし、失望落胆は、消す事ができる。

ゆえに、無差別殺人は、防ぐことができるのである。

この世界は、失望落胆の世界なのである。

つまり、無差別殺人の世界なのだ。

無差別殺人者を最悪の狂人と捉えてはならない。

無差別殺人者たちは、ことごとくナイーブな青年たちである。

ただ失望落胆の果てで、破滅しただけなのだ。

社会全体がこのことを深く理解したあかつきには、無差別殺人という悲劇は、

この世から無くなるだろう。



失望落胆を消す方法


老いも若きもみんな失望落胆の人生を生きている。

失望落胆を心から消して、希望と喜びの人生を生きるべきだ。

そのためには悟りと信念、理想が必要なのだ。

それを我々に教示してくださったのが、中村天風先生である。

悟りとは、大宇宙霊、すなわち神と人間は一体であると知ることである。

安定打座法という天風先生が編み出した方法を実行すれば、

神と人間が一体であると知ることができる。

こればかりは、自分自身で悟るしかない。

神と一体であると知れば、無限の可能性が人間に与えられていると判る。

そうすれば、そこに無限の希望が輝いている。

人間がこの世界に生まれてきた理由は、

世のため人のため進化と向上を実現するためである。

これが天風哲学の真髄であり、人生の目的である。

人間が神から与えられた無限の可能性を用いて、

世のため人のため社会の進化と向上を目指すなら、

心に希望と喜びが溢れてくる。

そして初めて、人間は失望落胆を超克できるのである。

失望落胆を超克しないと人生は地獄であろう。

心がすべてである。

心に希望と喜びを満たし、

幸福な人生を生きてゆこう!!!



 簡単に悟りを開く方法     「安定打座法」

これは中村天風先生が考案した最高の瞑想法である。

用意する物  目覚まし時計(電子音が出るもの)

1 目覚まし時計をセットして、座禅する。あぐらで良い。


2 気持ちを臍下丹田に落とす。臍下の一点に気持ちを落ち着かせる。一点とは恥骨の上。


3 ピー、ピー、ピーと時計が電子音を出し始めたら、その音に集中する。

 多心から、一心、一心から無心と目をつぶって、心の中で唱える。

 目をつぶって、電子音を聞いていれば、自ずと多心から一心となるだろう。

 電子音に集中している状態が一心である。

 そしたら「一心から無心」と唱える。

 電子音に集中していた心を解放した瞬間が無心である。

 無心を味わったら、「心をば静かに澄ます、空の空」と唱える。

 無心から空の境地まで進んでゆく。

 これを繰り返してゆくと大宇宙霊との一体が悟れる。


判りづらい人は、電子音が消えるまで待って、無心を味わえば良い。

音が消えた瞬間、無心となる。

座禅で悟りを開くには、30年かかるが、安定打座法なら3分で悟りを開ける。

理屈はどうでもいい。心深く味わうことが大切であろう。















神は存在している。しかし、それは特定の宗教の神ではない。すべての宗教の神である。つまり宇宙大霊と呼ぶしかない絶対の神である。われわれ人類は宇宙大霊の分け御霊、分霊なのである。ゆへに人間は永遠で崇高な存在である。誰でも人間は無限の可能性に満ちている。最高に素晴らしい存在、完全、完璧で力に満ち満ちているのが本当の人間なのである。
子猫




      喜びの人生


 わたしたち人間は、どうしたら幸福になれるでしょうか?

 お金持ちになれたら。

 健康だったら。

 美しい異性と結婚できたら。


 はい。確かにそうした目で見える喜びも、一時は人間を幸福にしてくれます。

 でも、長つづきはしないようです。

 お金持ちでも苦悩のどん底で自殺する人もいるし、健康でも幸福とはかぎらない。美しい異性を手に入れることができれば、幸せですか?

 わたし、海光和幸(かいこう かずゆき)の友人は綺麗な女性と結婚しましたが、子供を4人も作ったあげく、喧嘩して憎み合い、地獄のような離婚訴訟を経て、やっと別れることができました。

 少し落ち着いたころ、友人はわたしへ呟きました。

「あの女は、人間じゃねえ」

 実際、その女性は聡明で美人でしたが、友人にとっては恐ろしい化物だったようですね。

 結論を申しますと、金持ちであるとか、健康であるとか、美しい異性を手に入れるとか、そうしたことは幸福の本質ではないということです。

 それらは、自分を取り巻く状況。環境に過ぎないんですね。

 人生の状況は、ころころ変わりますから、頼りになるものではないんです。

 第一、人生の状況は自分の外部にあるのですから、自分の力ではどうすることもできない。

 もちろん、状況は変えられます。しかし、力で変える事はできないんです。

 力で無理やり変えようとすれば、犯罪を犯すしかない。お金が欲しいからといって、銀行強盗すれば、お金は手に入るが、刑務所ゆきですから、決してお金持ちにも幸福にもなれません。

 人生の状況は、誰でも、良い方へ変える事ができます。

 でもそれは、力ずくで変える事はできないんです。

 ではどうすれば、人生の状況を良い方へ変える事ができるのでしょう。

「心のあり方を、良い方へ変えれば、人生の状況も必ず良い方へ変わるのです」

 これが人生の鉄則なのです。

 ですから、逆もまた真なりで、

「心のあり方を、悪い方へ変えれば、人生の状況も必ず悪い方へ変わるのです」

<人生は、心のあり方で決まってしまう>

 例えば、2003年の最新の免疫医学について、ある大学教授が言っていましたが、癌はすべて心のあり方が原因である。

 心のあり方(この場合は悪いあり方)しだいで癌になったり、炎症系の病気になってしまうという。

 これは大変な真実です。

 昔から、病は気からと申しますが、本当だったのです!!

 人生の状況(健康であったり、病気であったり、金持ちであったり、貧乏であったり)とは心のあり方の反映なのです。

 つまり、あなたの心のあり方が、現在の人生を創造したといえるのです。

 常に否定的、マイナス思考で、くよくよ悩み、怒り、恐れの心で生きていれば、必ず健康を損ね、あげくは癌を発症してしまう。

<人生の状況は、心のあり方で決まってしまうのです>


 わたしが高校一年生とき、両親が離婚して、家庭が崩壊してしまったのです。

 わたしは生きてるのが嫌になりました。

 人生に失望し、死にたいと思いました。

 希望のない暗い顔をしながら毎日を過ごしておりました。

 高校を卒業して、東京の大学へ入学したのですが、一人住まいをするうちに、わたしは病気にかかって倒れてしまったのです。

 腹が痛くて、痛くて、学校へ行くのもままならない状態になってしまいました。

 仕方ないので、大学病院へ行きました。

 いろいろ苦しい検査を受けました。

 バリウム液を飲まされ、尻からもバリウム液を注入され、パンパンに脹れたカエルのような状態で冷たい機械の上に乗せられたのです。

 レントゲン撮影、注射、投薬、など楽しいものではなかったですね。

 検査の結果、大腸過敏症と診断されました。

 3ヶ月ほど通院してましたが、病気は一向に良くなる気配を示しませんでした。

 ある診察日のことですが、担当の若い医師はわたしの顔を覗き込むようにして質問してきました。

「なにか悩みごとでもあるのかな?」

「・・・・・・・・・・ええ・・・・・あの・・・・まぁ・・・・・・」

 わたしは曖昧な返事しかできませんでした。

 相手が医師だとはいえ、赤の他人に自分の心の苦しみを赤裸々に語ることはできなかったのです。

 いくら検査を重ねても、いくら薬を飲みつづけても、病気は良くなりませんでした。

 毎日、腹が痛くてしょうがないのです。

 しばらくすると、肛門から血が出るようになってきました。

 自分の血を見たとき、わたしは恐ろしさを感じました。

 このまま死んでしまうのではないか?

 家庭崩壊の絶望で始まった苦悩に、こんどは病気の苦悩が合わさってしまったのです。

 いわば、苦しみのダブルパンチですね。

 わたしは痛みと孤独の底で、心底、死にたいと願いました。

 ガス管をかじったり、電車のプラットホームを行ったり、来たり。

 でもなかなか死ねないものですね。

 そりゃ、そうです。

 本当は、生きたいのですから。

 この心の真実は、わたしだけのものではありません。

 すべての死にたいと願っている人々は、実は生きたいのです。

 ただ幸せに生きられないから、それで死にたいのです。

 すべて死にたいと願う人は、本当は生きたいんだと気付いたほうがいいですね。

 そのことに気付けば、たとえどんなに苦しくとも、人生に一条の光が射し込むのです。

<苦しみにあったことは、良きことでした。それは真理を見いだすためです>

 わたしは絶望のどん底で、死にたい、生きたいを繰り返していました。

 死にたくなるのは、本当は生きたいから。

 でも現実は苦悩しか見えない。

 だから死にたくなるのです。

 どうすることもできない、死にたい、生きたいのシーソーゲーム。

 死ぬことも、生きることもできない、絶望のシーソーゲーム。

 否定的、マイナス思考の状態で、わたしは健康をそこね、病気にかかり、苦しみが増し加わっていったのです。

 心を否定的、マイナス思考の状態に置いておくと、ストレスが溜まり、誰でも必ず病気になります。肉体の免疫能力が弱まって、癌を発症する。

 ですから、健康で充実した人生を送りたいと望む方は次のことを悟っていただきたい。

   悟り  その一

 マイナス思考をつづければ、必ず病気になる


 今現在のわたしは中年ですが、健康です。

 なぜわたしの病気(大腸過敏症)は癒されたのでしょうか?

 悩み、絶望という否定的、マイナス思考をやめ、前向き肯定的な思考で生きているからです。

 つねに肯定的、プラス思考ですべてを考え、心を平安に保っていれば、健康を損ねる事は無いのです。


   悟り  そのニ

 プラス思考ですべてを考え、心の平安を保てば、いつでも健康なり!!

 心に平安があれば、いつでも健康でいられるでしょう。

 それだけでなく、まわりの人から信頼され、ビジネスでも成功するでしょう。

 心の平安を得た人こそ、人生の勝利者と呼ぶに相応しいのです。

 しかし、現実に心の平安を得るのは難しいと言わざるを得ません。

 心の平安を得る。

 それを東洋的に表現すれば、悟りを開くということになります。

 西洋的に表現すれば、神への信仰に徹するということです。

 どちらも大変ですね。

 でも心の平安を得ないと、人生は苦悩の連続となりますから、わたしたちは、高みを目指して、努力してゆきましょう。

 確かに悟りを開くとか、神への信仰に徹するのは、難しいと言えば難しいのですが、簡単といえば簡単でもあるのです。

 なぜなら要するに、自分の心が喜びを感じ、安らぎを感じるように導いてゆけばいいのですから。

 悟りは必要ですが、禅寺で修業する必要は無いのです。

 悟りとはなんでしょうか?

 それは、あるがままの自分を受け入れ、愛することなのです。

「あなたは、あるがままで、素晴らしい」

「わたしは、あるがままで、素晴らしい」

 この言葉は、最高の言葉ですから、気分が落ち込んだ時は、何度も唱えてみて下さい。

 必ず気分が良くなってきます。

 悟りとは自分を愛すること。

 自分を愛するとは、自分を受容するということ。つまり自己受容ということです。

 ですから悟りとは、自己受容とゆうこともできるでしょう。

 決して自分を責めることなく、そのまんまでいいんだよ、このまんまでわたしは素晴らしい存在なんだと、あるがままの自分を受け入れ、愛して、大切にしてゆく。これこそが悟りの意義であり、人間にとって一番大事なことなのです。


   悟り  その三

 人間にとって一番大切なことは、自分を愛することなり



 自分を大切にできる人が、他人を大切にできるんですね。

「自分を愛するように、隣人を愛しなさい」 (バイブル)

 人間の内側については、自分自身をそのまんま受け入れ、大切にできればそれでいいのです。

 しっかり自分を愛して、自己受容いたしましょう。それが幸せになる秘訣なのです。

 そして自分を大好きになりましょう。

 自分が嫌いなままでは、幸せにはなれません。

 わたしは神様に作られた神様の作品であり、最高傑作だから、このまんまで最高に素晴らしい人間なのだと、自分を認め、受け入れましょう。

 そうすれば、心に平安が来ます。

 自分を責めたりしないで、神様によって造られた素晴らしい存在なんだと自己受容しましょう。

 なにより自分自身を大切にしましょう。

 自分を愛して大切にする。つまり自己受容が人間にとって一番大事なことなのです。自分が壊れてしまったら、他人を愛することなんてできないからです。わたしは壊れてしまったことがあるから、そのことが判るのです。

 自己受容が一番大切。

 二番目に大切なのが、自分の外側をどう捉えるかです。


       サムシング・グレイト (なにか偉大なる存在)


 この宇宙を偶然の産物と捉えれば、世界は虚無を土台として構築しなければなりません。

 そうなると人間存在の意義も混沌のベールにおおわれることになってしまいます。

 それでは生きがいを持って、力強く生きることはできないでしょう。

 我々が幸せになるためには、宇宙を偶然の産物と見なすより、サムシング・グレイトの創造されたものと認めたほうが良いのです。

 世界中の一流の科学者たちが、サムシング・グレイト(神)を認めているのですから、なにか偉大なる存在を信じることは非科学的なことではないのです。

 あるアメリカの哲学者が言っていましたが、「サムシング・グレイト(神)を信じないことは、非論理的である。なぜなら、神を信じることにより、莫大な報酬が期待できるのに、費用はタダなのだから」

 つまり、信じないよりは、信じた方が、得だよと言っているのです。

 わたしは自己啓発(セルフ・ヘルプ)の研究者ですが、大体の自己啓発家は、なんらかの形でサムシング・グレイトを信じています。

 ある意味で世界で一番有名な自己啓発思想家のジェームズ・アレン(英国)などは、サムシング・グレイトは人間の心の内に存在していると書いています。

 世界最高の自己啓発書といわれている、ジェームズ・アレンの著書は100年以上も読みつづけられているベストセラーであり、自己啓発の名著とみなされています。

 成功哲学、自己啓発を研究する者として、わたしはこの有名な書物を何度もじっくり読んでみました。

 100年以上前、イングランドで生まれたジェームズ・アレンの本を初めて読んだ時、正直わたしは感動しました。

 素晴らしい自己啓発思想であり、成功哲学だと思いました。

 ニ度目に読了した時も良い本だと思いました。

 しかし、三度目に読了した時、待てよと思いました。

 ジェームズ・アレンの言ってる事は、基本的には正しいけれど、はたして彼の成功哲学で現実に成功できる者がいるだろうか?

 そんな疑問が頭に浮んだのです。

 ジェームズ・アレンの成功哲学は複雑なものではありません。

 人生の状況は、心の反映であるから、心を清く正しくしてゆけば、人生の状況も必ず向上してゆくというものです。

 基本的には正しいとわたしも賛同します。                                                                                                                                                            

悩という天使が、微笑みながらやって来て、あなたの心の扉をノックする時、あなたは呻き声を漏らして、真人生へと目覚めるのです。

 苦悩の底でもがきながら、光を探して、歩み始めるのです。

 真理を得ようとする者は、誰であっても、必ず苦悩の底を通らねばなりません。

 つまり、苦悩は真理への唯一の道案内なんですね。

 そうゆう意味では、苦悩は素晴らしい神からのプレゼントともいえるでしょう。

 ただ問題は、あんまり長年この苦悩と付き合っていると、病気になって苦しむことになることです。

 そして病気になっても悩みつづければ、早死にする訳なのです。

 なるべく早く、苦悩からは脱却すべきですね。

          その次に大事なことは、信念信仰に基づくプラス思考とゆうことになります。

 両親の破婚、絶望、孤独、ニヒリズム、ノイローゼ、自殺未遂、そしてリストラ、倒産。

 これでもか、これでもかとわたしは苦悩のどん底を通されました。

 ありがたいことですね!!

 そうした大きな苦しみのただなかで、もしわたしが信念信仰によるプラス思考をしなかったら、とっくの昔に病に倒れ、死んでいたでしょう。

 それは間違いありません。

 大きな苦悩を背負った人間は、ただではすまないのです。


読んでくれて、ありがとう。感謝。

天風哲学



  偉大なる哲人


 中村 天風 (なかむらてんぷう)

人間は、進化と向上という、
偉大で尊厳なる宇宙法則を実現するために、
この世に生まれてきたのである。



1.勇気の誦句注意;このテープは録音状態が余り良くありません
聞き取りにくい部分もありますので、テープを聞く会にご参加の方はこのページを印刷してお持ちいただきこの文と合わせてお聞き取り下さることをお勧めします。
無心の大切さ、生きていく上での重要さについて語る。昔から命がけの真剣勝負にとっても心が一番大切だといわれている。こうやって生きている刹那、刹那が真剣なのである。そんな時、心が何かにとらわれてしまっては何にもならない。
無念無想の境地でなければならない。
――――――――――ブザー―――――――――――
どんな時でも、現在あるがままの静かな気持ちでいてご覧、これが結局人生の極意。自分の心が何かにとらわれていたらおしまいだよ。だから、いつも自分の心の中をきれいにしておくこと、今自分の心が何かにとらわれていないか。
――――――――――ブザー―――――――――――
今日は人生を完全に生きる上に大切な事を教えよう。病や不運におかされるとたちまち心配したり悲観したりする。
しかもそれが人間として当然のことだと思っている、これは、厳粛に真理からいったら大間違いだ。
悲観や心配はどんな場合であってもしてはいけないことだ。不愉快や、不満を感じている時の気分はいいかい?。
100年生きてもわずかな日数の人生だ。自分の人生を短くする以外に何の効果もない。人間はこの世に一生を明るく生きるために生まれて来た。進化と向上という偉大な宇宙真理を現実化するために来た。病や不運の時は、命の力を大事にしなければならない時なのだから、何よりも命の力を強くするために心を積極的にしなければならない。
日常生活に於いて陥りやすい、心配、悲観という心の状態から抜け出すには常日頃から勇気の渙発を心がけることが 必要だ。勇気というのは「頑張ろう」じゃ無いよ、それはとらわれる心なんだ。そうじゃなくてその勇気とはどんな状態かというと、つかず離れず、怖れもしなければ怖れまいとも思わない。淡々として流れる水の如き心境、即ち晴れて良し、曇りても良し富士の山。この心境が勇気の姿だ。
山岡鉄舟は腕は出来て、鬼鉄と言われていたが人間が出来ていなかった。情け無いほど自惚れが出てきた。遂に慢心の極みで辻斬りを始めた。10人、20人と斬られる者が出てくると街で噂になり誰も夜歩く人間がいなくなった。そんなある闇夜に鉄舟は道場を抜け出して吉原八丁堀へと出かけた。丁度上野不忍池にさしかかった時に闇夜に突然人の気配を感じ いつもの型で刀を振り下ろした。しかし、その自分の得意の技を行使したにもかかわらず、いつもはある手応えがなかった。逆に相手の剣先を目前に突きつけられ後ずさりせざるを得ない状況に追い込まれた。背に腹は代えられず一歩、二歩と下がる内にとうとう池の端まで追いつめられた。しかし、それでも相手の剣先の勢いは変わらない。遂に池の中に落ちてやっとの事で命が助かった。蓮の葉の間から、やっと顔を出して池の端を見やると、「腕だけで腹が出来ていないからこのような始末になるのだ、もう少し心を練れ、心が出来りゃ少しはものになるだろう」とだけ言い残して立ち去る姿が見えた。暗闇の中では相手の面相も判らない。急いで池から這い出して後を追いかけたが、遂に見失ってしまった。それから道場に帰ったがくやしくて眠ることもできない。翌日、道場の友にこの事を相談すると「お前より強い人間はこの江戸にそんなにいるものではない、千葉周作先生ならそんな手の込んだことをせずともこの道場でお前をこらしめることはできる。後は浅井先生だけだ」。そこで、鉄舟は「それならこれから仕返しに行く」と言った。するとその友は「浅井先生はお前のように、腹が立ったらすぐかっとなるような人物ではない。いつも落ちついてとてもお前の相手ではない、やめとけ」と言った。そこで始めて鉄舟は、昨夜の自分の相手は浅井先生であったことを知りおのれの未熟さを悟った。
その後は辻斬りなどやめて人間としての修行に励み、歴史に名を残す人物になった。
これは講談の一節だが、実際この話の中には面白さ以上の真理があることを悟らなければならない。
人間が勝負をする時も、何事もなく座っている時も、常に同じ気持ちでいれるようでなければ本当に強い人間とはいえない。どんなときにでも、とらわれず、つかず離れず、そんな気持ちになれるのが勇気ある心である。
        ----勇気の誦句 唱和-----
さあ、たった今から本当に生まれ変わるんだ。

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2.思考作用の誦句、信念の誦句

心の重大性を悟っていない人が多い。世の中の人は知らずして生きている。
心の持ち方ひとつで積極、消極の両端に分かれてしまう。
心は生命の支配権を持っている。
心はその持ち方でその人の人生を良くも悪くもする力があるというのが気が付こうが付くまいが真実だ。
生きている以上、その刹那、刹那生き甲斐のある人生に生きようとするのが、 より価値高く生きようとするのが自然なのである。
その達成のためには生きている刹那の瞬間、瞬間の心の働きをどんなことがあっても消極的にしてはいけない。
悲しい時は悲しむ、問題が眼前に現れたら悩むのが当たり前だと思うだろうが、それは当たり前ではないのだ。
そんな場合でも、どんな場合でも心を積極的にする生活を実行すると、現実において健康も運命もよい方向に働く。何故そうなるかは心と神経系統の働きを理解すれば「あっ、そうか」と納得できるはずだ。
神経系統は心の支配を受けている。
神経系統は宇宙の力を受け容れて全身にくまなく行き渡らせる働きをしており、 その働きそのものが心の支配を受けているとしたら、如何に心の持ち方、思い方、考え方が お互いの人生に重大な関係を持っているものかということが理解できるはずだ。
宇宙霊と自己との結びつきを支配しているのは心なのだ。
人間の心で思う思い方、考え方こそ人生万事を支配している。
心の持ち方一つで宇宙霊との共同活動が出来るのだ。この荘厳な事実を理解しなくっちゃいけない。
判ったらこの法則に則って生きればたちまち理想の人生に生きられる。
人生を支配する法則。
然からばこの法則はどこにあるのか。因果律、即ちこれである。
撒いた種の通りに花は咲く。善因善果、悪因悪果である。
この消息を知ってこの法則を尊重して厳格に生きていけば運命や境遇に自分の力以上のものがでてくる。
考えてもみるがよい。宇宙霊はこの宇宙全体を作るぐらいの力があるのだから、 計り知れない霊知があるということを理解しなければならない。
春夏秋冬の移り変わり。宇宙霊の計り知れざる霊知の働きである。宇宙こそ偉大なる霊知の生命体である。
私は思う。宇宙の始まりは何も存在していなかった。宇宙霊という氣体のみであったと思う。
その氣体の働きで、今の宇宙が出来たと思う。
魚は水から出されて初めて、水がなければ生きていけないこと、水の存在に気付くだろう。
我々も又宇宙霊からの力を与えられて生かされているのが事実だ。
生かさせていただいているのが事実なのだが、それが無くなった時にしかその事に気が付かないだろう。
しかし、現実はそうである。
まさに、生きている世界である。この生きている世界に我々が存在するから、我々も生きているのだ。
人がものを思ったり、考えたりするとき、その背後に宇宙霊の力が働いていることを忘れてはいけいない。
我々の人生の後ろには宇宙霊が常に活動しよう、活動しようとスタンバイしている。
自分は少しも人生が良くならないと悩んでいる人の原因は自己認証にある。
つまり自分にはそれを実現する力があると思っていないからいけないのだ。
10年前と変わらないと嘆きながら、自分には変わる力がないと思い込ませていないか。
自己認証が極めておろそかにその心に施されていると、実現できるものもできない。
誰でもひとかどの人間になれるようになっているのだ。そのように出来ているのだ。
健康も運命も生きている限りは最高に生き甲斐のある人生を生きるためにも自己認証をベストの状態にし、 常に最高の自己認証を自分に与え続けるべきである。
―――――思考作用の誦句 ―――――
悲しい時、怒りたいときに積極的な気持ちになる。
そんな時になれないのが普通ではないのだ、という事をもう一度忘れるな。

4.和の気持、その他
個人の日常生活に於いても、又団体組織に於いても、平和ということが大切なのだが、 そのことについて今日は考えたい。
実際に於いて、個人及び団体に於いて平和というものが実現されていない真の原因は、「和」の気持ち、即ち穏やかに、、親しみ、解け合う気持ちが我々の心の中に極めて少ないからだと断定される。
これが無いから、どんなに立派な理想を掲げても、土台が無い建物と同じで、 砂上の楼閣に等しく、平和なんぞ実現できるはずがない。
政党間の政争しかり、労組間の紛争しかりである。
先ず、自分のことばかりを考え、「和」の気持ち、即ち穏やかに 親しみ、解け合う気持ちなんぞは無い。
然し、政党や労使といった組織の間のことだけではなく、個人の生活に於いても和の心を持った 貴い心で、精神的にも高い境地で毎日を生きることが大切だ。
この事は、それ自体が貴いことなのだが、心身に様々な好影響を考える時、 ますますおろそかに出来ないことが分かる。
そればかりか、人生成功の秘訣も実は和の気持ち、即ち穏やかに、親しみ、解け合う気持ちと 密接な関係にあることに気づいていない人が多い。
論より証拠で、現実に成功し人の周囲を見ると、その周辺の人との関係が非常に理想的であることを 発見するであろう。
いつも言うように、正しい理解は徹底的に実行すべきである。
従って、日常の人生生活に於いて、どんな場合でも和の気持ちで行動し、 争いの気持ちを起こさないこと。この事を徹底して実行して欲しい。
不思議な因縁があって親兄弟となり、職場の同僚となったお互いではないか。
あだやおろそかにするべきではない。
第一に、和の気持ちを持った時と、争った気持ちを持った時とどちらの気持ちを持った時が 気分がいいか思い出して見たらすぐに分かるはずである。
これが分かったら、常に和の気持ち即ち穏やかに、親しみ、解け合う気持ちを豊かに持って 日々行動して下さい。
このように生きる生き方こそ、完璧な意味の正しい生き方であり、人のためになる生き方であり、 当然心身にとっても理想的な生き方である。
つまり、100点満点の生き方といえるので、もう、諸君は、天風会員として、 実行されていることとは信じているが敢えて、もう一度念を押してお願いする、
是非実行に励んで欲しい。

32.坐右箴言無念無想の境地からもう一つ上の三昧の境地に入ると、宇宙の先天の一気と合致し、霊的境地になる。
そうすると、日常に生きる刹那刹那、順動仮我境に生きれる。
磨けばダイヤモンドになる心も何もしなければ泥石と同じである。
ダイヤモンドを貰いながら、泥石を貰ったのと同じである。
だから、折角貰ったダイヤモンドなのだから、しっかり磨いてダイヤモンドにしなければならない。
天風教義の目的は、人生を第一義的な生き方に生きることである。
第一義的生き方とは、どんな場合でも、病があっても、運命に非なるものがあっても、 心の中に幸福を感じせしめて生きる生き方である。
そうでなく、悲しい事柄があるから悲しい、苦しいから苦しい、つらいからつらいと感じる生き方は、第二義的な生き方である。
天風会では、そのように第一義的に生きる生き方として積極的な生き方をするように教えている。
何時も言っているように「強く、正しく、清く」である。
現在只今の境涯を感謝しない人はますます不幸になる。
自分で、「もっと不幸になれ、もっと不幸になれ」と自分を煽っているような人だ。
逆に、それ程でもないのに、今を感謝して生活する人は、立派な天風人である。
どんなに金や地位があってもそれだけで幸福にはなれない。
人生の幸福はその人の心を切り替えない限り感じることが出来ない。
人はだれでも幸福に生きられるように平等に神様はお造りになった。
この人は幸福に、この人は不幸になんて不公平なことはしない。
にもかかわらず、そのように感じて生きている人は少ない。
同じ時代、同じ所に住みながら、それこそ同じ家庭で育っても、一方で不幸だと感じる者がおれば、 一方で幸福だと感じる人がいる。
幸福なんて、「もの」じゃない「心」なんだ。
「そんなこと言ったって、とても幸福だなんて気持ちになれない」なんて思ったら駄目だよ。
病気とか、悲運とか何か非なるものがあるのは幸いなのだよ、相手があるからね。
何もなければ、暖簾に腕押しだよ、何もかも満足していたら、こんなつまらない人生はないよ。
人間は習慣の動物だ。何にでも感謝する習慣をつけ、何事に対しても感謝出来るように生きなさい。
実際死なずに生きており、こんな人生の真理を考えることが出来ることを喜ばなければいけない。
こんな事に気づかない人はあわれだ。間違った考え方が神の無限智との冥合を妨げている。
とにかく、宇宙真理をもっと大切に考えなさい。人間が作ったものじゃないんだから。
人間自身思い方考え方が左右しているのだ。
普段からそのように習慣づける事が必要だ。
何事に対しても歓喜と感謝の世界に生きなければならない。こんな人には幸福が来る。
もし苦しい事情があってもそれに関せず、それに関わらず生きれる事を感謝するべきである。
苦しいことや、悲しい事柄を考えずに、真なること、善なること、美なること以外は考えないようにしなさい。
これさえ悟れば暗闇のトンネルから明るい陽光の中に飛び出したような気分で生きられる。
病や不運はあるべき姿ではない。あるべき姿ではないから病は治るのだ。
あるべき姿であるならば、治るはずがない。
完全で有り能う様に出来ているのがこの世界なのだ。
この世に実在するのは宇宙霊ただ一つである。
これから生み出されたのが肉体であり、心である。
自分の心の中に消極的なものが発生したら直ちに、
そのことが誤りであることに気付かなければならない。
2024年07月31日
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今、世界では空前のヨガブームが起こっている。

数十億人がヨガを修行している。

ヨガの起源を訪ねれば、5000年前のインダス文明となる。

5000年の歴史だから、仏教やキリスト教よりずっと古い。

ヨガは最も古く、最も深い宗教哲学であろう。

宗教哲学を海に例えるなら、ヨガこそが大海の中の大海と言えるのだ。

最も深い海だから、その底に眠る本質を得ることは難しい。

しかし有難い事に、日本にはヨガの達人がいて、その本質を喝破しておられた。

「ヨガの目的は臍下丹田と信仰(信念)を養うことなのである」



沖正弘先生は日本におけるヨガの草分けであり、日本ヨガの父と呼ばれている。

この沖正弘先生のお言葉がヨガの核心であるのだが、数十億人のヨガ修行者の中で、

何人が核心を理解しているのだろうか?

ほとんどいないであろう。

世界の数十億人のヨガ修行者たちは、本当はヨガの海の中で溺れていたのである。

本来のヨガは悟りを開くためにある。

それなのに現代のヨガは、痩せるためとか、バスト・アップのためにある。

そんなものは、ヨガでも何でもない。

本当のヨガはもっと素晴らしいものであった。

永遠の喜び。

それがヨガであった。



ぜひお読み下さい。

「ヨガ真髄」 海光和幸 著
アマゾン・キンドル出版





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Last updated  2024年08月01日 10時44分10秒
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