介子の徒然日誌

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2005年12月29日
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実家は、もともとは井之城にあった(写真)、というかそこが居城だったのだが、江戸時代あたりに異動したようである。
井之城
http://www.town-takajo.jp/syoukai/onko/onko-200106.htm
僕の名前もそこの城の名から来ている。
地名から名前を変えるのは通例らしい。

町のホームページでは「平家の落人(おちうど)の城か?」となっているが、とんでもない。ひっそり隠れて暮らす「落人」が城の建設のような目出った行動など論外である。たちまち鎌倉幕府の勢力によって叩き潰れるのは自明のはず。 地元の人への取材をちゃんとやってもらいたい。

僕の先祖たちの名前は「河越」・・・埼玉県の川越市(もとは「河越」と書いていた)ゆかりの豪族だそうな。
河越氏

関東に勢力を拡げた平氏のことを「坂東平氏」(「ばんどうへいじ」と読む)と言い、その一族で平安・鎌倉時代に同族の北条氏らと源頼朝を擁して勢力を上げた河越太郎重頼が有名(あの源義経の岳父=平泉で亡くなった本妻の父でもある)。たぶん重頼(本人と長男の小太郎重房は義経に連座して誅殺!後年、疑いが晴れ無罪となり家は復興)の4男か5男くらいが鎌倉時代に北条家からの指示で地頭として派遣されて来たようである。河越氏は他にも派遣されていて兵庫県の豊岡市(「鞄の町」として有名。偶然にも僕の前職との因縁がw)や大分県にも同族がいる。

近隣には都城に派遣された島津家(頼朝の落胤説もあるが、たぶん同族の畠山家の出が有力)がいて、合力して外敵と戦っていたようである。

資料を見ると当時から主な産業は農業で蕎麦や米、養鶏業、林業(後年はお茶なども盛ん)などである。「大工、中工、小工・・・数多あり」という記述もあり、昔から建設関係(工人ではなく武士の仕事)が盛んであり、築城・架橋技術などの普請が公共事業としてよく施されていたことが伺える。なので実家含め隣人たちはそういう建設関係が昔から家業として盛んだ。





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最終更新日  2005年12月29日 10時40分05秒 コメントを書く
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