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台風でどうなるかギリギリまで延期があやぶまれたサムライブルーの北朝鮮戦に参戦して参りました!会場の埼玉スタジアムは我が家からは大変遠く通常の状態でも終電覚悟なので台風となったら最悪帰れないことも想定して簡易寝袋まで持参・・・!最寄り駅からスタジアムまで歩く間に「北朝鮮帰れ~!」と叫ぶデモ隊らしき声が轟いていたがスポーツは別なんじゃないかと違和感を覚える。スタジアムの入口でもなぜか隔離されたところに並ぶ別の人たちがいてあの人たちなんであそこにいるんだろ~???と不思議だったが入ってみた後でその人たちが北朝鮮サポーターだったことがわかった。そんなに隔離することないと思うんだけどねぇ・・・。試合開始直前の応援合戦↓向い側のスタジアム席にブルーと赤がくっきりと分かれている・・・。青と赤のスタジアムトラブル防止にわざと間の席を抜いている世界一への長い道のりの第一歩となる今日。友人がミラクルゲットしてくれた席はホーム側のコーナー真後ろ♪ウオーミングアップでは声をかけたら届きそうなくらいの距離に遠藤が!長谷部が!香川が!ウッチーが~~!どうせずぶぬれだからとカメラ持っていくのをやめてしまった自分を呪うxxx香川が観客に向けて投げたプレゼント用のボールもこちらに向かって飛んできて隣にいた女の子がゲット!!良かったね~~~♪前回の韓国戦の圧倒的な勝利が脳裏に焼きついていたが今回の試合は本田&長友ぬきの布陣で非常にハラハラした内容だった。途中の雨はスプリンクラーのようにピッチに振り注いでいたが私たちの席は風の方向が良かったのかほとんど濡れることなく観戦できてラッキーだった!残念だったのは期待していた遠藤のコーナーキックが少なかったことxxxなんで今日に限って~~?!!しかし押し合ったままもつれ込んだ後半のロスタイムの最後の最後に吉田がねじ込みスタジアムは大歓声!!!ホッとしたよ~~~(汗)帰りは予想通り終電になってしまったがなんとか無事到着・・・。ミラクルシートを引き当ててくれた友人とサムライたちの粘りに感謝!!
2011年09月02日
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魂には「格」があると思う。それは人間だけではなく動物も同じで我が家のカメにいつも会いにきてくれていた上級の「魂の風格」を備えたワンコが昨日大往生を遂げられた・・・。私は尊敬をこめていつも「先生」と呼んでいた。吸い込まれそうな黒くて大きな瞳はいつも憂いと希望を湛えていた。飼い主さんいわく抱っこされるのが大嫌いなのに我が家のカメを見たい時だけ「抱っこして~~!」とせがむとのことで我が家のカメたちと魂が通じていたことは疑いもない・・・。ここしばらく体調を崩しておられたがそれでもお散歩したい強い意欲があり夕方にはたくさんのお友達ワンコや人間に会うためにおでかけしていたようだった。最後にお会いした時にも身体は痩せてしまっていたけれど瞳はあいかわらずとってもキレイで強く輝いていた。お参りに伺うため家を出ようとしたところ先日注文していた総白檀の数珠がちょうど届いた。なんというタイミング・・・!夫には小さな指念珠を持たせ私はワンコさんのマークが入った飼い主さん作のブレスレットを届いたばかりの数珠と合わせて持参することにした。眠るワンコさんのまわりにはたくさんのファンからのお花が届いていてワンコさんの「犬徳」を象徴しているようだった。私の小さな花かごのアレンジも片隅に置いていただき夫と一緒にワンコさんに感謝とお別れをさせていただいた。もうあの瞳の輝きに出会えないのかと思うと淋しくて泣けるばかりだが飼い主さんに愛されこれだけ多くの人たち(+犬たち)から尊敬を集めたワンコさんの生涯は幸せだったに違いない。眠るワンコさんを撫でながら「天国でマメも待ってるから仲良くしてあげてくださいね」とお願いしてきた。魂の風格は生物の種類を超えて存在するものだと教えてくれたワンコさん。今までカメや私や夫と仲良くしてくれてありがとう!またいつか会いましょう・・・!語らずしてすべてを知る瞳
2011年08月20日
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母の新盆で実家に行ってきたがあいかわらずの部屋の片付けが終わらずお客様など大人数呼べる状態ではないため家族だけで普通にお参りするのみの中途半端なもので終わってしまった。本当ならいろいろ儀式的なものをやらなければならないのだろうが形式的なものを嫌い変人すぎて友達もいなかった母は許してくれるだろう。お盆なのに大掃除・・・ってこれだけ片付けてもまだ片付かない家ってありえね~~~(汗)お墓の建て直しも暑さで工事が遅れ気味のようでお盆をすぎてもあまり落ち着いた気持ちにはなれない感じ・・・。とにかく母がずっと自分でもいやだと思いつつついに自分では実現できなかった「片付いた家」を成し遂げるためまだまだ供養の片付け地獄をさまよわねばならない私なのだった。納骨までにはなんとかしたいものである・・・(汗)お盆の時期は終戦の時期にもあたり戦時中の記録をまとめた番組をいろいろ録画して見た。本当は誰も戦争はしたくなかったのに当時の内閣には力がなく海軍と陸軍は無意味な競り合いをし誰もが責任をなすりあい重要なことを決めずに先送りしなし崩し的に戦争を始めることになり1度始めてしまったら終結するための手立ては誰も思いつかず結局上層部の見栄と責任回避のために負けるとわかっていても戦い続けメディアはウソを書きたてて国民を鼓舞し広島・長崎の原爆投下での犠牲者を含めとうとう300万人の国民を殺す結果になってしまった。形は違えど震災と原発事故に揺れる今の日本と内容的には重なるものばかりのように思える・・・。表面的には今の状態のほうが良いように見えるが原爆よりもはるかに多量の放射能物質がバラまかれてしまった今の日本には未来への希望というものが当時よりも失われていると言えるかも知れない。ニュースでは原発事故現場から放出される放射能は5分の1程度に減少しているとは言うがすでに首都圏でも飛び地的にチェルノブイリの強制避難地区と同じレベルの放射能を検出している場所もありもう被曝することを前提とした生活を考えなければ生きていかれない現実が目の前にある。この期に及んで北海道の泊原発が営業を再開させるという。案の定メディアではこのことをあまり大きく取り上げないところを見るとまだまだ原発利権族の支配は強いと思わざるを得ない。原発という麻薬に毒されて抜けられなくなってしまっている立地地域の人たちが気の毒でならないがそういう人々の犠牲の上に今までの自分の生活があったことに自らを恥じ入るばかりである・・・。これから自分が何をしたらそれを償うことができるのか見つかりそうもない答えを探す日々がいつまで続くのだろうか・・・。
2011年08月18日
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今月も前年比39%減の節電達成!!なので昼間はどんなに暑くてもエアコンはつけないと決心しているが昨日今日は異常かと思える暑さ。。。。氷枕をストールにくるんで背中に背負って体温を下げている。暑さに強いエボたちもさすがに日が出ている間は木陰でじっとしているようになった。そして3時半くらいから気温が少し下がり始めると急に元気になり庭を歩き回る「ハッスルタイム」が始まり日が落ちるまでの間に待ってましたとばかりに庭を闊歩しまくる・・・!庭の一部にプール状態になる水溜りを作ったのだがたまにそこにも入って平泳ぎのようにチャブチャプと水遊びをする時もある。「カメ泳ぎ?」ウチのカメたちはあまり直接水は飲まないがエボは鼻をじっと水につけている時があるのでその時にはたぶん水を鼻から飲んでいると思われる。水を飲むエボこの水溜りプールを作って初めてエボとケメは「水」というものを理解したように思える。最初は水があってもまったく気にしないでジャボジャボ歩くだけだったがそのうち気にし始めてついに「カメ泳ぎ」を始めた時にはまるでヘレン・ケラーが初めて「水」という「言葉」を理解したシーンのように「これがWATERだぁぁ~~~!!!」と気がついた「意識」と同じものを感じた・・・(ホントかよ?)エボとケメは暗くなると自分から小屋に入って寝る習慣があるのだが最近は暑いせいか暗くなるまでハッスルしまくったまま外で寝るようになってしまった・・・(汗)毎日庭の中の違う場所で寝ているので夫はエボが庭のどこで寝ているかをものすごく楽しみして帰ってくる。「寝るところが変わるだけでカワイイと思える動物」っていないよな~~(笑)と言うが確かに夕方エンジョイしまくって途中で事切れて寝てしまう無邪気さはデカイだけにカワイイ・・・庭に蚊さえいなければエボの横で一緒に野宿したいくらいだ!(バカ?)しかしながらアフリカ生まれのエボたちがバテそうなこの暑さ・・・。毎日熱中症になってしまう人のニュースが続出している。東京電力は「電気足りない」ウソキャンペーンをずっとしてきて結局あまっているから水害で電力不足になった東北電力に余裕でわけてあげている。どうか具合の悪い方は無理をしないでエアコンを使ってください。絶対停電にはなりません!ここ数年で本当に異常気象が急激に多くなっているのも日本海沿岸にずらりと並んだ原発が冷却のために大量に熱を帯びた水を排出していることが絶対に悪影響を与えていると思う・・・。正常に動いている時ですら原発はものすごい「排熱施設」として環境を破壊しているのである・・・、東京電力へのささやかな反抗としてブレーカーのアンペア数を一段階落とす工事をしてもらった。東電の下請けのにーちゃんはとってもいい人で工事が終わった後わざわざ戻ってきて「カメの写真撮らせてもらってもいいですか・・・?」と言って目をキラキラさせながらエボの写真を撮っていった・・・。現場の人はいい人ばっかりなんだよな~どうして人間の組織って決まって上層部が腐るんだろうか・・・(涙)無邪気にデカガメの写真を撮る下請けのにーちゃんの屈託のない笑顔がやけに心に残ってしまった・・・。
2011年08月12日
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震災後初めての広島原爆投下の日に際して昨日ネットメディアで放送された東大先端研教授 児玉龍彦氏のインタビューを一人でも多くの方にご覧いただきたく動画と書き起こしを配信してくださっている方のサイトをリンクさせていただきます。8/5 Ust放送 児玉龍彦教授インタビュー 動画&書き起こし先日の衆議院委員会参考人としての怒りの発言とは別人のような優しい笑顔の児玉教授。私はこの笑顔だけでもう泣けてきてしまった・・・。しかしその提言は国会での発言時よりもさらに具体的で最先端技術と医学者としての両眼から被災者の心にどこまでも寄り添い多くの人々に共に立ち上がることを訴える素晴らしいものでした。先日の厚生労働委員会でのご発言も再度リンクいたしますのでせひご覧下さい!本当に優しく強い人は感情では怒りません。真の科学論理と被災者の立場に立った正義の憤怒を多くの方に受け止めていただきひとりひとりが動き始める一歩につなげていただけるよう願うばかりです・・・!
2011年08月06日
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福島第一原発で10シーベルト「超」の数値が出たと今頃になって恐ろしい発表があった。「超」というのがポイントだよ・・・それ以上計測できない線量計が振り切っている状態ってもう壊れた核燃料そのものが配管から屋外へ出ていると思うしかない。もうだいぶ前から友人との間では今後は米がやばくなるだろうと予想していたがここ数日からとたんにテレビで米の汚染についての話題が出始めた。いや米だけではない。すべてのものにもう放射能物質は拡散していてすでに人間の手には負えない状況になっていることを覚悟しなくてはならないだろう。昨夜は浜岡原発のほんのすぐ脇を震源とした震度5の地震が起こりもし浜岡を運転していたらと思ったら背筋が凍った・・・。歩いて帰れない距離へ出かけるときには災害セットを必ず持参している私・・・(汗)地面が心もとない気がするのも気のせいであってほしい・・・。衆議院の厚生労働委員会に招かれた内部被曝のエキスパート東大の児玉龍彦教授の発言が注目されている。怒りを込めた訴えに私は涙が出てきた。YouTubeに掲載された動画が突如削除されたりして税金を使ってネット監視をする利権族の言論封鎖の手が伸びていることを感じる。先ほど見たらまた復活していたのでまた削除される前にぜひ多くの方にご覧いただきたい。楽天の機能で動画埋め込みができない(タグが許可されない)のはなんでだ~~???!(怒)東大 児玉龍彦教授 国の内部被曝対策への渾身の訴え母がのこしたマックス・ヴェーバーの本を読み進めているが人間という存在そのもののパラドックスが頭の中をぐるぐると渦巻いている・・・。それはおそらくヴェーバー自身もわかっていてもどうしようもなくわかってしまったからこそ辛く自らの精神すら病んでしまうものだったわけで没後100年を超えてこの日本の状況を空からどのように見ているだろうかと思ってしまう・・・。マックス・ヴェーバー入門【中古】afb価格:750円(税込、送料別)楽天では写真がなかったが一読の価値ある真の訳本学べば学ぶほどに深い闇が見えてくるパラドックスをかみしめつつ昨日今年2回目の産卵をしたピッコロの清廉なるタマゴの美しさを眺める・・・。清らかなオーラがあるタマゴ「パラドックス」といえば「アキレスと亀」人間は永遠にカメには追いつけないのだ・・・。
2011年08月02日
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ピッコロが歩き回って元気だな~と思っていたがもしかしてまだタマゴを産みたいのかもしれないと思い産卵スペースにまた戻してみたら今日になってついに穴を掘り始めた!ピッコロまた産気づく産気づくと食べなくなるのだがここ数日は食べるものはちゃんと食べるのでただ元気がいいのかタマゴがまだあるのか判別に迷っていたがやっぱりまだタマゴがあるようだ。しかし今日は穴を掘っただけでやめてしまった。明日雨だったら掘れないしな~~(汗)昔使っていたハンカチが捨てられず大量に余っていて何かのカバーにしようかと思いだいぶ前に6枚をはぎ合わせたまま放置していたものが出てきたのであと2枚付け足したらスカートになるんじゃないかと思いつきやってみたらまあまあいい感じになった・・・!ハンカチスカート?ハンカチなので透けてしまうが下に木綿のペチコートをはけば大丈夫。ちまたでは今年は「透けマキシ」というロングスカートが流行っているらしいがそれが出来てしまった・・・!?隣家のおしゃれ女子高生にも「そのスカート可愛いじゃん!」と言われたのでハンカチで作ったんだよ!と言ったらオドロいていた(笑)手拭いバックに続き貧乏素材の手作りシリーズがまた増えてしまった・・・。でも見た目も涼しそうでけっこう気に入ったぞ!!最近はタオルハンカチしか使わなくなってすっかり普通のハンカチがあまってしまっている・・・そういう方にはぜひオススメです。今日テレビで数珠を売っているのを見てお盆までに数珠を買わなきゃな~と気がついた。高野山で自作した高野槙の数珠はかーちゃんを火葬する時に手にかけてあげてしまったので手持ちのものはひとつしかなくなってしまった。この際水晶のめっちゃイイやつを買ってしまおうかとも思ったがふと考えた・・・。今回母を見送った時に遺体の手にかける数珠が必要なんだということが納棺の時になって初めてわかり結構衝撃的だった。私が高野槙の数珠を持っていなかったら燃えない素材のものは棺に入れられないので葬儀社が用意したその場しのぎの数珠を入れることになってしまっただろう。本人にとっては本当のお別れのときに使うものが葬儀社のものではイヤだろうしこれは結構葬儀時における大きな盲点なんじゃないかと非常に重要に思ったことだった・・・。なので夫用と自分用に白檀の数珠を買うことにした。ひとつはとりあえずネットで購入しもうひとつは鎌倉のどこかのお店で選ぼうと思う。一生ものの良い数珠を買うのもいいかもしれないが木製のものを二つ用意しておいてリレー式(といったら縁起が悪いかもしれないが;汗)につないでいくのもひとつの方法なんじゃないかと思った。夫は臨済宗の寺の檀家なので宗派用のものをちゃんと選んだほうが良いだろうと思いそこは形式を重んじることにした。(本人はまったく自覚はないが:汗)母の仏壇選びにもまた行かなければならない。母の実家があった台東区の稲荷町は仏壇屋のメッカなのでその中から選んであげるのが筋だろう・・・。・・・と自分のことにかまけているが頭の中には原発のことが離れない・・・。
2011年07月30日
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昨日の夜妹から電話があり母のために工事に入る前の墓所の先祖供養を急にやることにしたらしく今日は朝から多磨霊園までまた出かけることになった。片道2時間ほどかかるので母の読んでいた社会学者マックス・ヴェーバーについて山之内靖氏が解説した本を電車の中で読むことにしたがまたもやすごい書き込みの嵐・・・(汗)線ひきすぎです。赤線引きまくりで欄外にまた読めない字でいろいろ書いてある・・・。「ガーン!!」とか「ソレハチガウ!」とか「能天気ダネ!」とか「コワイヨ~!!」などの感嘆詞に毛が生えた部分だけしか判別はできない。一生懸命読んでるのはわかるが全部に線引いちゃったら意味なくなっちゃうよね~(笑)・・・と爆笑しながら読んでいたが読み進めていくうちにその本の内容そのものに次第に脅威を覚えはじめる。。。1世紀前の世紀末をまたいで生きたヴェーバーが指し示したものは今また世紀末をまたいだ現代と恐ろしいほど重なる部分が大きい。その予言書のような内容は表面上は進化をしているように見えても結局は同じところを堂々巡りする人間の業をあぶりだしているようだった。母もこのすさまじい赤線を引きながら私が感じた同じような怒りにも似た虚無感を感じていたのだろうか・・・?母がこういう本を読んでいることを知っていたならもっともっと話せることがあったのにもっともっと話したかったのに・・・今となっては本にぶつけた殴り書きの読めないきったない文字をたどるしかその術はない・・・。そうこうしているうちに多磨霊園に着き石屋さんが車で園内まで連れて行ってくれた。工事のために石を撤去した場所に出てきたご先祖様たちの骨壷は11個。そのうち非常に小さいもの4つは赤ちゃんのうちに亡くなったのだろう。昔はまだ子供の死亡率が高かったことがうかがわれた。妹が事務所の過去帳で調べたところによると昭和6年に改装した記録がありもしかしたらその時に32平米あった大きな墓所を親族で4分割して施工しなおしたのではないかと予想された。祖母の話では蔵がいくつかあって大正時代には強盗が入って来たことがあると子供の頃に聞いた記憶があるので金融業か商売をしていた家だったらしいが詳しいことはもう他の親戚に聞いてもわからなくなってしまった。母からもついにそういう話は聞かずじまいでご先祖様の記憶をとどめきれなかったことが今更ながら申し訳なく心から悔やまれる・・・。お坊さんにお経をあげていただき今までほったらかしにしてしまっていたことを心からお詫びしながら母のことをよろしくとお願いした・・・。先祖供養をしないで工事をしてしまう人もいるらしいがやはり気持ちの問題としてもきちんとしておいたほうが良いに決まっている。母に尋ねなかった私も悪かったがやはり子供には先祖のことはきちんと伝えておかねばならない事なんだなと先祖のデータを失ってみてあらためて思った・・・。昼前に供養は終わったので父と妹と一緒に食事をして途中まで一緒に帰って来た。母が亡くなってはじめて家族で行動するようになり本当に皮肉な感じがする・・・。帰り道で横浜に寄って靴を一足買い家に戻って片付けをして花火に持っていく枝豆やらおにぎりを準備して会社帰りに直接海岸に来ると言っていた夫と待ち合わせをした。今年は鎌倉も逗子も花火大会は中止になってしまったので葉山も当然中止かなと思いきや鎌倉や逗子のような大規模ハデハデ花火じゃない田舎ののんびり花火だったことが功を奏して開催できたのだ。資本主義・功利主義の限界を示していた山之内版ヴェーバーの本の内容を思い出してしまった・・・。昔ながらのスローテンポの花火だが海に映る美しい夜空の華は今年はひときわ心に染み入るものがあった。津波によって失われた多くの命を思い地震の前に星になってしまったマメを思い花火などついぞ一緒に見ることはなかった母を思い私は夜の浜辺の闇にまぎれてずっと泣いていた。夫はいつもと変わらず横でビールをがぶ飲みして枝豆を「がぶ食い」していたがこうして普通に花火を見れることのありがたさいつもの生活が奇跡であることをあらためて感じながら今年の葉山の花火は夜空に咲く華が多くの失われた魂に届くよう祈る鎮魂の夜となった。
2011年07月27日
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ついに来てしまった恐怖の誕生日・・・(汗)若い頃から特に誕生日でうれしいという感覚はなかったがもうホントにうれしくないよ~~~!なので夕食をちょっとだけ豪華メニュー(ビーフシチュー)にしたくらいで他にはな~んにもしなかったが自分の誕生日プレゼントのつもりで買った今日ついに発売のCD↓↓↓【送料無料選択可!】【試聴できます!】佐村河内守: 交響曲第1番 HIROSHIMA / 大友直人(指揮)/...価格:2,940円(税込、送料別)被爆2世でもある全聾の作曲家が20年の月日を捧げまさに命がけで書き上げた渾身の作品である。壮絶な闘病の日々の中で絶対音感だけを頼りに独学で作曲した背景は筆舌に尽くしがたい。その凄まじい苦難を受け入れさらにその先の光を見出す過程は震災前に買い求めた彼の著書で涙しながら読んだ。(2月21日の日記参照)大震災を経て多くの命が失われまたふたたび「核」の問題に向かい合わねばならなくなった今この時にこの曲が世に出ることになるのは時の宿命と言えるかもしれない。受け止めきれないほどの重みを持って迫り来る楽曲は夜にはつらすぎて聴くことができない程・・・。本当の闇を知る人しか見えないものと本当の闇の先だけにわずかに灯る光の美しさが織り込まれた深いテーマはとてもCDには収まりきれない。ぜひ生のオーケストラでできれば小沢征爾指揮のウイーンフィルで演奏を実現してもらいたい・・・!佐村河内さんは生きている間には評価されなくていいとおっしゃっているがこの曲が多くの傷ついた人たちの心の救済となりまた「核」という人類が生み出した最大悪に立ち向かうための「鐘」になるのであれば世に広まることも許して下さるだろう・・・。死の闇を見つめ死の闇の淵から帰って来たことのある方はぜひ手に取ることをお勧めしたい一枚である。庭にいるエボもまるでその音に耳を傾けているようだった。聴こえているのか?
2011年07月19日
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昨日母の49日を家族だけで集まりとくにお坊さんも呼ばずに簡単に済ませた。形式にこだわらない母もそれで納得してくれたことと思う。部屋もとりあえず2つは片付けにメドがつき残すはあと一部屋・・・。そして明け方眠い目をこすりながらアラームをセットして観戦したなでしこジャパンのワールドカップ決勝戦!前半最初はデカくてスピードもあるアメリカにグイグイ押されっぱなしで何度もゴールを脅かされるがこれがなぜかことごとく入らない!!そのうちに次第に流れが変わって取られては追いつきまた取られては追いつく日本人らしい地道ながらも粘りのある試合展開に!最後の澤選手のカンフーシュートは何が起こったのかわからなかったが彼女の努力と執念が込められた見事なゴールだった!巨体のライバル(?)ワンバック選手の胸をかすめてゴールしたのもなんともドラマティック!得点王、MVPのキャプテン澤選手に注目がいくのは当然のことだが私が一気にファンになったのは「女遠藤」と呼びたいほどの冷静で正確なボールを繰り出す宮間あや選手!!PKでも最初のキッカーに選ばれたのは最も信頼されている証。遠藤顔負けの「コロコロPK」!!確実すぎます!!(それになんと遠藤と宮間は誕生日が一緒だ~!!驚!)それに優勝した瞬間彼女だけはその足でアメリカのチームをねぎらいに行っている。自分の勝利よりも負けた相手を思いやる心の広さに男惚れせずにいられようか・・・!!!そういえばその前の試合でゴールした時も真っ先に控え選手のところに飛び込んで行ったのも宮間選手だけだった。そういうことが自然にできる人間性の高さ!本当に素敵な人だ!!!インタビューでも頭の良さが言葉に光る。決して美人じゃないのに(ゴメン)クールで本当にカッコイイ!余計なインタビューが多いテレビにも出てこないところがますます好きになってしまう♪そしてなんとこのなでしこ金メダルの陰でサムライジャパンの宮間こと(?)遠藤が体調不良を訴えて検査に入ったとのニュースが・・・。彼なしの代表チームはありえない・・・。大病でないことを祈るばかりだがもし万が一ダメなら宮間を投入しておくれ~~~!!本当によく頑張ってくれたなでしこに心から感謝!!野に咲く小さな花は強く美しく咲く世界一の花になった!!ありがとう!なでしこジャパン!!
2011年07月18日
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ついに菅さんが「脱原発宣言」をした・・・!四面楚歌状態の土俵際で延命の人気取りと言われているし細かいことはたぶん何も考えていないかもしれないがそれでもいい。早期に方針を打ち出すことが大切なのだ!ダメなところはそれこそたくさんあるけれど最後の最後にたぶん今本当にやらねばならないことが見えてきたのだろうと思う。これから「菅下ろし」という名目で脱原発への妨害がすさまじくなるだろうが持ち前の鈍感さ(?)で乗り切って「原発に頼らない社会」への道筋をつけてほしい。戦後どのようにして原発が日本に入り込んだのか民営テレビの導入をからめたアメリカとの関係を早大教授の有馬哲夫氏が解明した本を読んでいる。【送料無料】日本テレビとCIA価格:700円(税込、送料別)一時期マスコミにいた自分を悔いてしまうおぞましい内容だった・・・。「原子力の平和利用」と「親米」をセットにして戦後の日本に浸透させるためテレビを導入させたアメリカ。それに乗って自らの野望を実現しようとした正力松太郎。正力を担ぎだした利権族。最初から誰も責任を取らなくて済むようにいいかげんに導入された原発。これでは真実が国民に知らされないのは当然だろうと納得できる一冊である。本には書かれていなかったが当時まだ弱小だった読売新聞を買い上げるために正力にお金を貸したのは関東大震災の復興の先頭に立った後藤新平であったこともなんとも皮肉なことである・・・。その後藤新平は現在の葉山の「海狼」のとなりに別荘を構えていた。正力も逗子に別宅があったと聞く。この美しい海と自然を彼らも同じ目で見ていたと思うと複雑な思いが押し寄せてくる・・・。同じ「日本の復興」というステージをむかえた日本がこんどこそ世界に先駆けて正しい道へ舵を切れるようこの海が変わらず美しいままであるよう祈るばかりである・・・。
2011年07月14日
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週末にいつもより早く梅雨が明け海開きもして葉山は一気に真夏モードに入った。梅雨明けが早い分今年は長い夏になりそうである。我が家は昼間はクーラーはつけないが暑い夜は夫が帰ってくる時間の少し前からクーラーをつけている。夜は窓を開けていると夫が音楽を聴いたりテレビの音が外に出てしまうから・・・。(それに私のデカいダミ声がうるさいxxx)原発が止まっているから節電を!と大キャンペーンになっているが実はこんなに過剰に節電しなくてもいいということをマスコミはほとんど報じない。前年に不祥事を起こし2003年に東京電力は全部の原発を止めたことがあったがその間まったく停電はおこらず何事も無いように世の中は動いていたので今回もこんなに激しく熱中症になるほどに節電はしなくても良いはずなのだ。原発を全部止めても電力は充分足りている。でもそれをおおっぴらに言ってしまうと原発は必要ないものだということがわかってしまうので「原発がないとこんなに辛い生活なんだぞ~!」と言わんがためここぞとばかり節電大キャンペーンをしているのだ。電力が本当に足りなくなる可能性があるのは一年間の間でも「夏場・平日・昼の2時~4時・気温31度以上」の時だけでそれは年間でわずか10時間しかない。365日でたった10時間。その時のためだけに原発を作る必要があるのだろうか・・・?気温の予測などは前日には確実にわかるのだからその時にはピークを出さないようにあらかじめ調整すればいいだけなのに・・・。日本はそれでなくても世界一国民が節電している国らしい。体調の悪い方やご高齢の方はぜひエアコン使ってください・・・!そこまでして節電しなくていいんです。特に夜は・・・!節電はあくまでも節約と環境のために!
2011年07月12日
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いろいろなことがあって以降なぜかカメの可愛さは倍増している・・・。・・・というか何にも動じないカメのマイペースさに救われている。常に一定の位置(?)にいるカメたちを指標にすると自分がどういう位置にいるのかがわかる不思議な感覚がある・・・。母が亡くなった日の午後にはチビガメのオドが初産卵で3個のタマゴを産み落とす。 初産卵で穴掘り中のオドまだ身体が小さいのに産卵モードに入れるようになったことにオドロキ!先輩ガメのマルを追い越してのギャルママか?(汗)マイペース感ナンバーワンのエボは最近また何かが一段上がったように可愛くなった。デカくてズボラなように思えるが実は気配を敏感に感じてこちらを必ず見ている。エボと目があうとそらせなくなり時間が止まってしまう・・・。見上げるエボエボは夕方がハッスルタイムで庭を存分にエンジョイするのだがその間にも木陰でじっと空(くう)を見つめている時がある。瞑想するエボこれ以上近づいて写真を撮ろうとすると「ハッ」として我にかえって私に近寄ってきてしまうので遠くからしか撮影できない「瞑想の時」なのだ。友人が紹介してくれた「見えないものが見える」人が我が家のカメを見にいらしてくれた時にエボから「マントラのようなものが出ている」と言われた・・・!その方もはじめて遭遇した現象でそのマントラのようなものが何なのかわからないので説明もできないけれどとにかくすごく強い癒しの気が出ていると絶賛してくださった・・・!私もなんだかわからないがエボとピッコロの2匹からは他のカメにない成熟したカメだけが持つ「何か」が出ているのはわかる気がしていたがそれを証明してくださるようなお言葉に感激してしまった♪マントラとはサンスクリット語で、真言「神に通じる言葉」のことを指すようでマントラの『マン』は「思考する」『トラ』は「器」という意味らしい。なんにも考えていないであろうカメは「思考の器」なのだろうか???世界中のいたるところで神の化身として象徴的にとらえられているカメはその存在自体がすでに世界共通の「マントラ」になるのかもしれない・・・。神聖でありながらとっても間抜けで愛らしい我が家の守り神は今日もマイペースな姿で多くの見物客の皆様を魅了しているのだった。今日はピッコロが今年2度目の産卵をした。前回は2個しか産まなかったのでまだお腹にタマゴが残っているのではと懸念していたのでちょっと安心した。ピッコロ産卵直後元気なピッコロエボに触っている時とピッコロを胸に抱いている時にはものすごい「α波」が出ているのがわかる。呼吸が深くなり副交感神経が活性化している感覚が実感できる。ちょっとくらいの頭痛なら治ってしまうくらいのパワーがある。やはりカメでも20歳を超えるとステージが一段上がるのだろうか・・・?泉のごとく見えない「マントラ」を放ち続けるカメたちはやはり我が家にとってはもはやペットとは言えない大きすぎる存在なのだった・・・。
2011年07月08日
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母関連でドタバタしている間にも友人との情報交換やセミナーなどに参加して原発事故や電力問題、果ては人類の未来について深く考える日々は続いていた。3月11日以来すべての日本人は放射能汚染という死のベールに覆われることになった。時間の経過とともに「慣れ」という人間が持つ恐るべき順応性からか表面上は震災前と変わらない時間が流れているように見えるが忘れてならないのは今もまったくフクシマの現場は収束されておらず綱渡り作業の危機が続いており今この時も変わらずに災害は進行中だということである。最終処理の方法が確立されていない「核」をこれ以上使い続ける愚を断ち切り自然再生可能エネルギーについて世界一の技術を持つ日本が原爆、フクシマの被害を経てなお一部の利権族の既得権益のために進められてきた原発政策を転換できないならばもう本当に日本は終わりを迎えてしまうに違いない。幕末、戦後以来の大きな転換期に今立っていることをひとりひとりが自覚しなくては巧妙に推し進められてきた利権の構造がまた復活してしまうだろう。原発は麻薬のようなものだ。建てれば莫大な交付金が地元に落とされそれに頼って他の産業は衰退する。ニーズに見合わない公共施設をどんどん作りそれを維持していくお金がなくなればまた次の原発を作る。地域で何かお金が必要になれば電力会社に交渉するとすぐに出してくれる。こうなるともう原発なしでは存続できなくなって当たり前だ。電力会社はすべての経費に3%の利益分を上乗せして国民への電気料金に回している。莫大な費用を投じた結果まったく電力を生み出さないまま止まっている「もんじゅ」や関連会社まであわせると1500億円にものぼる日本一の広告宣伝費もすべて3%上乗せをして国民への電気料金として請求しているのである。事業でいくら失敗してもマイナスにならずかえって焼け太りをする仕組み。競争相手がいないなら必要もない宣伝費はマスコミ封じに使われそれらはすべて私たちが支払いをさせられているのである。東京電力から被害の賠償に送電網をとりあげ電力自由化による地産地消の電力の供給網をつくればそれぞれの地域は必ず活性化される。もちろん原発のように命の危険に脅かされることもなく災害にも強い電力網が構築されるだろう。この夏も電気が足りないからまた停電になると大騒ぎだが果たしてそうなのかも疑わしい。鉄道会社や様々な企業では自家発電を持っているところがたくさんあるしそもそも大口の企業契約をしているところは電力が足りなくなった時には止めることもあるから一般家庭よりも安い料金で電気を使える約束になっているのだ。アラをあげればキリがない・・・。とにかく今この時点から自然エネルギーへの転換へ舵を切り持てる技術のすべてを集めて安全な地産地消の電力網の構築を確立していかねばならない。自然エネルギーというと太陽光、風力、地熱、バイオマスというくらいしか国としてはカウントしていないがアメリカと日本の海にしかない強い海流の流れを生かした「海流発電」というものが安定していてコストも比較的安いものであると聞いた。太平洋側の黒潮の流れを利用するので各地域でそれぞれに使えるではないか!筑波大の研究チームが発見した重油のような炭化水素を作る藻類「オーランチオキトリウム」は水中の有機物をもとに化石燃料の重油にあたる炭化水素を作り出し深さ1メートルのプールで培養すると、1ヘクタールあたり年間約1万トンを作ることができるそうである。国内の耕作放棄地などを利用して生産施設を約2万ヘクタールにすれば、日本の石油輸入に匹敵する生産量になり、大規模なプラントで大量栽培養すれば、自動車の燃料用に1リットル50円以下で供給できるようになるだろうと発表されている。しかもこの藻類は汽水域(淡水と海水が混在した水域)で作られるものらしく日本のような島国には非常に適していると言われているのだ。他にも有益な技術を持った科学者がたくさんいるのだと思う。どうかその英知を原子力に使うのではなく命を脅かすことのないエネルギーのために集めて欲しい。震災の起こる前からずっと「究極のエコは人類滅亡だよ・・・」と冗談交じりの本気で言っていた私は根本的には悲観論なのかもしれないが母の死を経て命の歴史や未来についてあらためて考える時希望を見出さずに生き続けることはできない・・・。自然に対して人間は常に謙虚であらねばならないこと、どんなにIT技術が進んだとしても絶対に自然をコントロールすることはできないと自覚すること、そしていざという時人間にはひとりひとりの「人力」しかないのだということをあらためて思うのだった・・・。腐った世の中の構造を正す機会を天が多くの命の犠牲と引き換えに与えたと言うのなら日本がこの機会に真の正義を取り戻し世界に先駆けてあるべき人類の未来の姿を提示しなければ失われた多くの命の意味がなくなってしまうのではないか・・・。日本がどうかこの分岐点で正しい方向に進めるよう祈りながら私にできる小さな一歩から日々を重ねていきたいと思う・・・。
2011年07月04日
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今日も実家の母の部屋の大掃除の続きにいってきた。往復で5時間かかるので実働できる時間も短く相当なスピードで作業してもガレキ状態をすべて解消するのは一度では到底無理な状態である。母の部屋といっても3つあり最後に寝ていたのは結婚前の私の部屋で今日作業したもともとの母の部屋はいつから堆積したかわからない物が地層となって(?)片付けといってもまるで古墳の発掘調査のような状態なのだった。タオルでハチマキをして汗どろどろになりながらの発掘作業でようやくなんとか人間の部屋の状態になってきたが部屋の一番奥の地層(?)から母の汚い文字で何か書いてある紙が見つかった。「TO 朝まで生テレビ」田原総一郎の朝まで生テレビあてに送ったと思われるFAXだった。使い古しのカレンダーの裏紙にビッシリと埋められた文字。早く寝ろといつも注意しても夜更かしをやめない母は朝まで生テレビにもFAX攻撃を仕掛けていたのだった・・・。 田原総一郎への攻撃?!しかしそのきったない文字を読み進めていくうちに愕然とした。以下きったない文字をやっとの思いで解読・・・(汗)「次代の子供達(全人類)と 人類を支えてくれるすべての地球上の生物、 宇宙、太陽系において 唯一の生命体と水の星である選ばれた天体地球の アイデンティティを守るために 平和利用の原発を含めての核廃絶 パンドラの箱のフタを閉じるために 全人類の英知を傾けるべきである。 人間は地球上における生命体のたったひとつの「種」 であるに過ぎないことを 我々ひとりひとりが自覚すること 地球環境の全種が無事に存続可能となるために 人類が他の種に害を及ぼさないための科学的シュミレーションを行い 周知せしめること! (そのために人類の数を大幅に減らさねばなるまいことを覚悟すべき) あるいは太陽エネルギーの利用開発を!」当時FAXで送ったとしてもこの文字では田原総一郎には読んでもらえなかったかもしれないが内容的にはまさに今この瞬間の問題と合致しているメッセージで驚いた。家に帰ってから「朝まで生テレビ」について調べてみたらチェルノブイリ事故の2年後に「原発」をテーマにした討論を行なっていたようだった。日本ではじめて放送された原発をテーマにした原発推進派と脱原発派が向かい合った討論番組だったらしい。田原総一郎は当時から原発についての著書なども書いていたので取り上げてもおかしくないテーマである。母の部屋の地層具合(?)から逆算してもおそらくその番組に向けて送ったメッセージであることは間違いなかった。それが25年を飛び越えて今のこの状況下にしかも亡くなってちょうど1ヶ月の命日に再び出てくるとはなんとも言えない思いがよぎった・・・。文字はきったねーし文も長すぎて意味不明だが母が田原総一郎に言いたかったことはわかる。母の言うとおりにこの時期から原発をやめ太陽エネルギーの開発を真剣に行なっていたならば今日のフクシマはなかったに違いない。えらいぞ!かーちゃん!!でも、なんで読める字で書かないんだよ~~~意味ないじゃんか~~~!!それに・・・この部屋のガレキもフクシマ並みなんだけどxxx!!!(大汗)
2011年06月30日
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母の遺品整理(というかただの大掃除)はまだまだ終わりそうにないものすごい量なのでしばらくは週1~2で実家に通わねばならない。葬儀後に葬儀社とこれ以降の手続きなどについて打ち合わせをしたが位牌を作ることについての話し合いになった時に篆刻ができる父が「自分で作れる」と言い出した。打ち合わせをしていた待合室の壁にかけてあった彫字の額を業者に見せたら「いや~位牌を自作するというのは 私も今まで聞いたことはないんですが これができるのなら位牌も充分彫れますね~」と太鼓判をもらえてしまった・・・。しかも葬儀社の方の話では家族が位牌を自作できるのならばお坊さんを呼んで供養するよりも位牌に魂が入ることになるので49日法要をする必要すらなくなるとのことでドケチな父は大喜び・・・(汗)まぁ、こういうことはいろいろしきたりはあれど気持ちの問題が一番なので「オール型破り」のこの両親にはちょうど良いスタイルなのかもしれない。「ついでに仏像も作る」とやる気満々の父・・・。しかも「死にそうなヤツがいたら紹介するから そっちは位牌の仕事こっちに回してくれよ」と悪魔のような取引までふっかける始末xxxもうやめてよ~~そういうことするの!!、、、、(恥)49日はやらないとしてもさすがに墓地は決めないわけにはいかない。今日は母が曽祖母から引き継いでいる多磨霊園の下見に行って来た。嫁入り前に曾祖母の養女になっていた母がひっそりと持っていた墓所でその存在は私も知ってはいたものの母本人ですらほとんど墓参をすることなく管理費だけを納めていたという未開の墓所である。本人は隅田川のほとりの寺に入りたいなどと言ってはいたが宗派も違うしなんの縁もないお寺にはどうにも入りようがない・・・。せっかく受け継いでいる多磨霊園は都営でお金もかからないんだしまわりには著名人がワンサカいるだろうしミーハーな母にはピッタリなんじゃないかととりあえず場所の確認くらいはしなければということで家族で下見に行くことになった。事務所で名義変更手続きをするが担当者の方にこの区画はいくらお金を出したとしても二度と手に入らない場所ですよ!!絶対に手放さないで大切にしてくださいねと強く念を押されキョトンとしてしまうがその意味が場所の確認に行ってみて初めてわかった・・・。母の墓地の区画の正面に来るとやたらどでかいまるで石のビルのような墓が見えてきた。東郷平八郎、山本五十六両元帥が並んで鎮座していて恐れ多くてもう倒れそうになる・・・(冷汗)軍人大好き&超軍国主義の父は大喜び。。。地図を見ると母の墓所はその特区の裏手に当たる場所なのだがわかりにくくウロウロしてしまう。やっとたどり着きそれを思しき古い墓石を確かめるが江戸時代からの墓石らしく劣化が激しくて読み取れない文字も・・・。まったくほったらかしにしていた母も母だが曾祖母が亡くなってから40年も放置していて本当に申し訳なく、墓石に向かって平謝りだった・・・。石に詳しい父は墓石の素材についてこれは今はもう手に入らない良い素材の石のはずだといいこの石を生かして彫りなおしできないかとまたまたドケチ精神を発揮する発言をしていた。そんなことを言ってもおそらく石材店に行けば新しいものを作ったほうが儲かるんだから絶対に新しい石にしろと勧められるに違いないと私は思ってしまったがとりあえず場所の確認はできたので昼食を取りがてら石材店をどうするかを話そうと来た道を戻ることにした。そうは言っても初めて来た場所で石材店などにアテがあるはずもなく2~3軒まわらないと決められないかもしれないと覚悟していたが霊園から一番近い石材店のウインドウに「アンパンマン」の石像が並んでいたので他にも見てみようかと思ってウロついたものの結局「アンパンマンのところに行ってみよう」という結論になった。お店に入りなぜアンパンマンの石像を並べてあるのかとたずねると店主さんがとにかくアンパンマン好きで自分の墓もアンパンマンにしたいと言っているんですよととても笑顔がチャーミングな奥さんと思しき方が説明してくれた。その一言ですでに決まりかなと思えたが店主さんはやはり常識的にはそれだけ古い墓石なら通常はもうお弔いをして新しいものに取り替えたほうがいいですよとやっぱりそう言うだろうなという答えが最初は返ってきた。それでも父が「いや、でもこの石はたぶんいい石のはずだし、 なぜか側面がツルツルでなにも彫ってないので ここを正面に回転させて彫りなおせばできると思うんですよ。」とねばったので、では一度場所を確認しましょうと店主さんを連れて墓石のところに戻ることになった。私と妹はお店で奥さんと話しながら待っていたが本当に感じの良い方でこのお店にもう決まりかなとこの時点で思えた。そしてしばらくして店主さんと父が戻ってくるとなんと父が言ったとおりで墓石の素材は小松石という今では非常に希少性の高い墓石の王様と言われる石で天皇家の墓石も小松石が使われているほどの激レアな素材だったらしく父が指摘したとおりなぜか側面にまったく何も彫られてない場所があったので回転させれば使えると店主さんも納得されたようなのだった・・・。「ホ~ラ、お父さんの言ったとおりだろ~~!」と自慢タラタラの満足気な父・・・。店主さんも「いや~、ビックリしましたよ~ なんであの側面に何も字が入ってないのか まったくわかりません・・・。 後で使えるように空けておいたとしか思えない・・・」と通常は彫りなおすことはめったにしないはずなのに店主さんも快く対応してくださることになった。型破りな母の墓はやはり型破りな先祖がそうしろと言っているのかとそう思わせる恐るべきシンクロが起こっていた。アンパンマンの石像に釣られて入ったお店で良かったと父も納得。やっぱりあなどれない・・・アンパンマン!!!こうして母のアンパンマンパワーにひきずられて(?)オール型破りな母の「型破り墓地」の手配はあっという間に終了した。帰りの電車の中で多磨霊園に埋葬されている著名人のリストを照らし合わせてみたら母の場所と同じ区画には大岡昌平、隣の区画には有島武郎私が崇拝する新渡戸稲造も眠っていることが判明した・・・!母の「追っかけ攻撃」の最初の餌食になるのかこの方々である・・・。冷汗が出るほど恐れ多い墓所に人間として何の功績もない私はとても入れる資格はない・・・。嫁に出て良かったかもしれない。墓地の中で著名人を次から次へと追っかけまわる母を永遠に羽交い絞めしつづけるのは至難の業である・・・。ちょっと離れたところに眠っているゾルゲ(ソ連軍のスバイ)の手助けが必要かもしれない・・・(汗)
2011年06月26日
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母の葬儀後定期的に実家の片付けに通うことになった。私も大して整理整頓ができているわけではないが母は「物を収納する」ということがまったくできない人だったので片付けなければ遺骨すら置くスペースがない状態だった。アンパンマングッズや子供みたいなキャラグッズも引き出し2つ分になり追っかけの成果の写真やもらったサイン色紙は裏書がないと誰だかさっぱりわからないものばかりでその裏書すら字が汚すぎて読めない・・・(汗)五島みどり&龍姉弟とメッチャ仲良さそうに映ってるのがすごかった・・・五島みどりが楽しそうに笑ってる・・・?!(驚)歌舞伎のほうの追っかけ写真の中の「出待ちシリーズ」(?)には楽屋から出てきて黒塗りの車に乗り込むいろいろな役者の写真が・・・。アノ市川海老蔵の襲名披露公演と思しきものは芸能レポーター並みの近距離に突撃していた・・・(汗)海老蔵もさすがに今よりちょっと初々しい(笑)よくもまぁこれだけ突撃したもんだよな~~~歌舞伎やオペラや相撲や美術館系の本は崩れそうなほど山積みにしてもまだ収まらない。CDなどは封すら切っていないものがゴッソリ出てきた。貴金属類を入れていたと思われる引き出しにお菓子の箱から切り抜いたアンパンマンの顔やアンパンマンの飴を食べた後の袋がいくつも入っていた・・・。アンパンマンのお菓子の包装を貴金属と同じ価値だと思っていたらしい・・・(汗)1000円のアクセサリーをしていても高いものをしていてもキャラが濃すぎてアクセサリーにまったく目がいかないので高いものを買ってもムダな人だったしブランド物などにも一切興味がなかったが追っかけ用に使うために備蓄していた未使用の色紙やファンレターを書くための便箋や封筒や絵葉書類が山のように出てきてあっという間にダンボール3箱くらいになってしまった。たまに書きかけのファンレターの下書きのようなものも出てきたがやっぱり字が汚すぎて何が書いてあるかわからない・・・やたら「!」マークがあって感情が高ぶっていることだけは伝わってきたがつねづね私が「お母さんさ~、、、字って読めないと意味無いんだよ!」と言っていたのにとうとうその字のまんまいろんな人に「!」しか伝わらない手紙を出しまくっていたんだろう・・・。クラシックのCDは家族の誰も他に聴く人がいないので全部私のところへ。チェリビダッケ、クライバー、バーンスタインetc・・・聴く耳は信頼できる母セレクトのCDはどれもやっぱり母が入っている音がしている(笑)母が持っていた本も整理して中に読みたいのがあったらもらっていこうかなと思っていたらどれも読んでみたいものばかり・・・興味の方向性は似ていたんだなと本の整理でわかるとは思わなかった。その中で一番ボロボロで一番汚い本に朱墨で何かが書いてあった。ボロボロの本「クラシック名盤&裏名盤」それはたぶん唯一母が遺した遺言らしき言葉だった。大切な本なのに・・・?大切な本なのに表紙には通販で売っていたらしき枕の名前や「セサミン」を頼むためのフリーダイヤルなどどうでもいいメモが汚い字で殴り書きしてある・・・(汗)最後までワケわからん母らしい遺言かもしれない。この本はいわゆる音楽評論家ではないクラシック愛好家が優等生的名盤をコキおろしこれぞ通の裏名盤という録音を紹介した本だった。型破りな母らしい本・・・なのに扱いはボロボロですxxxホントに変な母だった・・・。このきったなくてボロボロの本は母のメチャクチャ加減が凝縮されているようで見るたびになぜか泣ける・・・。この本の中にまた読めない字で何かが書いてある母オススメCDは全部聴いてみようと思う。大切なものは見てくれじゃないってことにしとくよ!お母さん。。。(爆)
2011年06月16日
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まだ身体の小さいチビガメのオドが昼間に初めての産卵をして驚いた5月30日の夜、トイレに入っている時にタイミングの悪い電話が鳴った。出られなかったので着信を見ると実家にいる妹からだった。母が吐血して意識がないという連絡。先日から検査入院で病院に入っていた母は、疑われていた肺の影も腫瘍ではなく前々日に退院をしたという連絡をもらっていたのに・・・。妹には「夜遅いし遠いし大変だから無理してこなくていいよ」と言われたが普段は私に来るようにとはほとんど言わない父が私も呼んだほうがいいと言っていたらしいので、これはもしかしたらかなり重篤なのかもしれないと思い、急いで支度をして夜遅いのぼり電車に飛び乗り都内へ向かった。東京駅で乗り換えをした電車の中で母が心停止したというメールが入った。どうしてそうなるのか理由がわからない私は事態を認識できずに、勝手に進んでいく現実に置いていかれるような気持ちだった。病院の最寄り駅から小走りで救急部へ入るが、もう母の心電図はフラットだった。身体はまだ暖かかったが表情はすでに固くなぜか私には地震の2日前に亡くなったマメと同じように見えて仕方がなかった。「間に合わなくてごめんね」と母に謝るが、もう母には届かない言葉だった。いつかはこういう時がくるのであろうと思ってはいたが、前回の入院時よりも体調は良さそうに感じていたので、まさかその日が今日であるとは思いもしなかった。母を搬送し深夜まで葬儀社との打ち合わせを行い、父と妹達と実家に戻りその日は応接室で一晩眠れないまま過ごした。翌日は一睡もしていない状態で葬儀社との打ち合わせ。交渉している間に後から出てきた新しい葬祭場を妹と下見に立ち寄った。駅からは少し歩くがわかりやすい場所なので距離感はさほど気にならない。それにパンフレットで見たよりもさらにキレイで設備の整った葬祭ホールだった。遠方の遺族が泊まれるよう旅館さながらの部屋を提供してくれるサービスもあった。このような時にも業者の言いなりにならずに冷静に交渉しなければならないことを痛感・・・。葬儀の段取り、必要なところへの連絡など、生まれてこの方ほとんど会話をしたことのない父ともこのような事態になってはじめて「ひとつのこと」に向かって協力していくことになった。私は一度自宅へ戻り、葬儀は1日あけた2日と3日で執り行なうことになった。その間に式場にディスプレーするための写真を探しておくように言われた。遺影にするものも選ばねばならないので妹たちは普段まったく振り返ったことのない過去の写真探しを始めたが、家族全員が一緒に映っているプライベートの写真はたった1枚しかなかったことに気がついた。なんだかこの家族のこれまでを象徴しているようだったが、それほど私たちは家族の時間というものをほとんどもたない家族だった。母の祭壇は生花だけでしつらえたものにした。花など愛でる生活などは、ついぞしたこのない人だったが、仕事以外のすべてを注ぎ込んで「追っかけ」をしていた歌舞伎俳優やクラシックの演奏家たちなどにはいつもどデカい花束を渡していたのだろうし身体が弱ってきた晩年には生まれ育った下町の川べりに咲いていた桜をとくに見たがっていたので、花の祭壇にして良かったと思った。選んだ母の遺影も市川猿之助を囲む会を行なったどこかのホテルで撮ったもので、これ以上ないだろうという楽しそうな、遺影に使うのはまずいんじゃないかとすら思えるような満面の笑みだった。写真の加工をしてくれた葬儀社の方が「これは消さなくて良かったんですよね・・・?」と恐る恐る聞いて来たのは、母の胸にある「アンパンマンのバッチ」だった。とにかく子供っぽくてどうしようもなかった母は幼児並みにアンパンマンが大好きだった。部屋の中にはいたるところにアンパンマングッズがあふれ、食べたお菓子の箱や袋のアンパンマンの絵まで切り抜いて取っておくほどのマニアぶりにあきれていた私だったが、この遺影の胸にある小さなアンパンマンバッチにはなぜか泣けてしまった・・・。どこにいくにもアンパンマンを連れて行っていたんだなぁ・・・それさ~普通は変なんだよ~お母さん・・・。ディズプレイ用に慌てて選んだ写真には母が自分で拡大していた市川猿之助氏と並んだ写真や、いつ撮ったのか謎な世界三大テノールの一人プラシド・ドミンゴ氏とのツーショット写真など、本人が自慢するに違いない「オバパワーを注ぎ込んだ追っかけの成果」を選んで飾ってもらった。その下には「かろうじて家族写真に見える」小さい頃の私たちと母の写真を集めた額を作って置いた。小さい頃の私たちは無邪気に笑っているが、仕事と家庭の両立ができず、夫の協力も一切もらえなかった生活にいつも母は苦しんでいた。その上病弱だった私を別の病院にしょっちゅう入院させていて、当時の私としては見舞いに来ない母に不満でいっぱいだったが、今から思えばそれは無理だったことだろうと思う。戦前に生まれて現代のこのIT蔓延の時代までの目まぐるしい変化の中にあった母の人生は、振り返ればワンクールの連載ギャグドラマが出来上がりそうな、良くも悪くも濃い内容だった。今まで聞いていなかった武勇伝なども従業員の方から聞いたりして、それにも泣き笑いで・・・本当に変な人だったが客観的に見ればスゴい女だった。私は両親を例えるのに「北極と南極」と言っていた。それほど相容れるところがなく、まともに会話しているのはほとんど見たことがない。お互いを理解しあえているような状況はこれまで1ミリもなく、独裁者の父に虐げられてついていくだけの母が気の毒に見えるだけだった。しかし、仕事の面では父の技術と知識を頼っていたところはあったので、離れることもできなかったのかもしれない。そんな父が泣いていた。通夜が終わり、弔問客が帰り、薄明かりに照明が落とされた祭壇の前で棺に入った母に一人で話しかけている父の背中には声がかけられなかった。何を話していたのかはわからないが、たぶん母に謝っていたのだろう。初めてちゃんと話をしたんだろうと思う。死ななきゃわからないことが死ぬまで伝えられないことがこんなにあるなんて葬儀での父の挨拶は御仕着せの文章を読まずに母の病状経過の解説と母がどんな信念で仕事をしてきたかということをきちんと説明していた良い挨拶だった。父は何もわかっていないと母は最後まで思っていただろうがそんなことはなかったのである。私もそのことにこの期に及んで初めて気がついたのだった。葬祭場の宿泊部屋に夫と共に泊まった私は、母と最後に二人きりになる時間があった。棺の中の母は本当に肌がキレイでやわらかさが残っていて、それにはどの弔問客も驚いていた。極端な風呂ギライで、化粧をせす、出歩くのは夜だけだった母は本人はまったく意識していなかったが、結局は肌を刺激するものをほとんど排除する生活を通していたことになりこうなったのだ。「美肌の秘訣は風呂に入らない(爆)」という恐るべき美容法を確立して最後にこれだけの美しさを残した母は、あらゆることに感性のまま突っ走る人だった。私のような大したこともない娘を産んでしまったことだけはマイナスだったろうけれど、そんな母の人となりを魅力として捕らえてくれた夫のような人が伴侶になってくれたことくらいは母を超えらかなと思うしかなかった。天国には仲が良かった私の上司たちやボランティアでお世話した子供たちやチビガメのマメもいるから大丈夫だよ。高野山で作ってきた私の名前の入った数珠も最後に母の手にかけられたので役に立った。今まで私がプレゼントしてきたものはほとんど放置されてたもんねxxxお父さんのこと怒ってると思うけどお母さんのことちゃんとわかっててくれたみたいだよ。今更あやまっても許せないかもしれないけど反省してると思うからさちょっとは許してあげな・・・!これからは誰も止める人いないんだから思う存分追っかけして歴代の芸術家に迷惑がられて来なよ!!通夜の夜に家族と初めて「ちゃんと話した」母。告別式の読経が始まった直後に突然かなりの揺れの地震が起きた。お坊さんは動じずにそのまま続けてくださったが私には母がドタドタ歩きながら「わかったよ!」と言ってくれたようにも感じられた。母の死という門をくぐらねばわからぬことがその門をくぐってはじめて築かれるものがあることに今頃になって気がつく親不孝極まりないダメな娘の涙を母はひねくれずに受け取ってくれるだろうか・・・。妹が以前に作って母にあげていたキャラ人形夫が遺影の代わりに置くべきだ!というほどに母に超ソックリで笑える。胸にはしっかりアンパンマンのバッチが・・・。「お母さん、またね・・・!」上手い別れの言葉がひとつも見つからない私はいつも別れ際に言っていた言葉をそのまま繰り返すだけだった・・・。
2011年06月03日
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ぎっくり腰と並行して継続中のひじ治療のためパソコンはあまりできなくなった。原発事故はなんとなんと今日になって1号機の核燃料がほとんど溶けていることが発覚・・・!穴が開いているので水棺作業は見直しxxxここがもし再臨界を起こして爆発してしまったら人が近づけなくなるので他の原子炉の水の注入もできなくなり1~6号機までが全部吹っ飛ぶまで見守るしかない。この最悪のシナリオに近づいていることをテレビはどこも指摘しないだろう・・・。神奈川県の足柄茶からセシウムが検出されるという事態にも涙・・・。なぜ南足柄に・・・?ほうれん草とかには出ていないのに??!!今調べているようだが不安はますます広がるばかりxxx今日は1年前に行なったシロアリ駆除の定期点検だった。地震で水周りの配管がおかしくなっていないかも見てもらえたので良いタイミングだった。家のほうは大丈夫で一安心。今日も雨だし不安な気持ちを抑えるためか最近はすっかりミシンにハマりつつある。縫い物をしていると落ち着く・・・。今日はウエストがゆるくて体型に合わないユニクロのジーンズをバッグにリメイクしてみた。ジーンズリメイクバッグあまり布でお花も着けてみた。ひじを早く治さないと・・・(泣)
2011年05月12日
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夫ばかりが遊びまわるGW。私はいじけ半分と憂うべき原発問題とエネルギー問題の閉塞感でどこにも出かける気分になれず家で縫い物ばかりしていた・・・。どんな世の中になれば解決するのかはわかったけれど今それを実現してくれる政治家がいない・・・。いったいこの先どうなるのか・・・と同じ憂いをもつ友人と今日はいろいろ話したが結局は今を生きるしかないという漠然とした答えしか見つからないまま帰り道に接骨院に送ってもらい腰と肘の治療をしてから家に戻った。肘にも良くないのでここ最近あまり書く気になれなくなってしまったブログも私のテンションとともに停滞気味になってしまった。。。しかし!夜のニュースの前に速報で浜岡原発をすべて停止させるよう管首相が要請を出したとのテロップが~~!!!これまでトンチンカンなことばかりの管さんが初めて下したまともな決断!!うれしくて友人に思わず万歳メール♪浜岡原発停止の署名をした甲斐があったというものだわ~~!!浜岡原発の想定最大加速度は原発では最強ではあるのに600gal。そこいらの新しめなマンションでも980galを想定して建てられているというのに!(なんと福島原発は370galしかなかった;汗)そして今回の地震はなんと2000gal!!!!!原発は全部マンション以下の強度なんだぞ~~~もう迷ってる余地なんぞまったくない数字のはずなのに・・・。よく考えてみれば隠れていた小沢氏が管さんの引きずり下ろしにとりかかる動きが出てきたからかもとも思ったがまぁこの際理由はどうでもいい!!産業界からも発電と送電を分離する案の要望が出されたらしくやっとマトモな動きが出てきて一筋の光明が~~~!!!とにかく送電線を公共化して電力事業に競争原理を持ち込み自然エネルギーを使った地産地消の電力システムへと今大きく舵きりをしなければ日本のみならず世界は核とエネルギーの問題で壊滅する。今こそ日本が世界に先駆けて歴史に残る正しい決断をしなければならないその時なのである。
2011年05月06日
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昨日カメの世話をしている時に気をつけてはいたものの身体をひねった瞬間に腰に激痛が走った。。。これはいよいよヤバイかもしれないと思い接骨院の午後の診療で肘の治療は休止して腰の冷却と整体と電磁波治療をしてもらった。軽度のぎっくり腰のようだが油断は禁物・・・帰宅してからはアイスノンをあてて依然使っていたコルセットで固定して安静に・・・。今日は少しずつ良くなってきているようで早めに対処してよかった。チビガメたちは世話の軽減のため家の中で過ごさせた。以前使っていた氷嚢も復活させてアイスノンと交互に活用。デカガメたちのごはんもチャップままさんが畑の雑草をクロ発見祝い(?)にもってきて下さり大助かり~~(涙)昼前くらいからは昨日よりだいぶ楽になってきた。無理せずしばらくはおとなしくしていよう・・・(汗)今週は読書三昧で安静にしてGWまでには治したい・・・。
2011年04月26日
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行方不明になり今日で6日・・・。もうダメだろうとあきらめかけていたが今日なんと数軒先のお宅のパパと小学生が「いたよ~!!いたよ~!!」とクロを持って飛んできてくれた!!駐車場の隅の植木鉢の陰にかくれていたのを見つけてくれたのだった!「えぇ~~~っっ!!!!!」思わぬ救出劇に半泣きで父娘に抱きつく私・・・(汗)まわりにもいつのまにかたくさんの村の仲間が集まってきて「よかったね~!!よかったね~!!」とみんなに声をかけてもらった。。。クロは最初バツが悪そうにちょっとおとなしくなっていたが茹でニンジンをあげるとパクパク食べた! 発見直後のクロどこいってたんだよ~~クロ~~~!!!本当に見つかって良かった・・・。寒い日も結構あったしすごい嵐の夜もあったのにクロはものともせず元気だった・・・。カメの生命力はやっぱりスゴイ・・・。クロは家の庭の中でお気に入りの坂道を行ったり来たりしてそのうちに気が済んだのかリラックスモードに入っていた。のびのびクロもうどこにも行かないでよ~~~!!!と言いながらクロをお風呂に入れて今日は一緒に寝ることにした。夜は友人に誘われていた田中優さんという脱原発派の大学院講師の方の講演会に行ってきた。先日の地質学者の講演会とは比較にならない非常に充実した内容で参加して良かった!!この内容についてはまた後日・・・。まだ読んでいないが田中優さんのこの著書はぜひ多くの方に読んでいただきたい!【送料無料選択可!】原発に頼らない社会へ~こうすれば電力問題 (単行本・ムック) / 田中優/著価格:1,050円(税込、送料別)非常にわかりやすく現在の状況の問題点と放射能に対する対策と自然エネルギーへの転換の具体的な展望が見えてくる本である。ただし・・・それを実現してくれる政治家が今は誰もいないであろう現実が問題・・・河野太郎さんだけは別だが彼も自民党では異端児とされているだろうし、、、ネットを使った市民レベルでの横のつながりを高めて大きな世論にしていくしか道はないかもしれない。講演は大変意義あるものだったが個人宅を会場にしていたので立ち見で2時間が結構キツくクロがいなくなってからちょっと調子が悪かった腰を本格的に痛めてしまったようだ・・・。うぅ、、、一難去ってまた一難・・・(汗)
2011年04月24日
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あれからまた探したけれどクロは見つからない・・・悲しくて泣きすぎて頭痛と腹痛が一気におこり昨日は半分寝込んでしまった・・・。夕方チャップままさんからメールがきて「泣いてる場合じゃない!張り紙しなきゃ!」と猪木ビンタのような励ましがきたので今日はがんばって「たずね亀」のポスターを作って近所のスーパーに貼ってもらうよう頼んできた。クロを入れていた家の中のカメボックスを見ることができない・・・。まだかすかにクロのにおいが残っていてそうじもできない・・。元気でやんちゃでよく歩き回って目が大きくていつも私のほうを見上げてとっても可愛かったクロ・・・。顔を思い出すたびに泣いてしまう・・・。どこいっちゃったの?明日は雨なのに・・・お願いだから帰ってきて・・・!!
2011年04月22日
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昨日夕方に病院から帰宅してクロがいないことに気がついた。午前中に庭に出してエサをたべた後掃除をした時に庭の扉の閉め方が甘かったのかお昼過ぎに扉が開いていたことに気がつきケメが家の裏に出てしまっていたのであわてて庭に戻してさらにエサを追加してから病院へ出かけた。その時クロを確認すればよかったのだがクロはひととおり歩き回ると庭の隅っこにいる時間も長く今まで一度も自分から外へ出たことはなかったのでまさかいなくなっているとは思わなかった。クロは運動量が多いのでもしかしたら出入り口の段差を乗り越えてしまう可能性も絶対ないとは言い切れない・・・。出入り口にレール式の取り外し可能な柵を作るつもりで材料までは用意していたのに肘を痛めてしまったためできなかった・・・。夫にやらせておけばよかったと今更後悔してももう遅い・・・。今日太陽が出てきたらどこかからひょっこり出てくるかもしれないと期待したがダメだった。外に出たとしても段差を登ったりはしないのでそんなに遠くには行かずにどこかにもぐってしまうと思うのだけれど今日も見つからなかった・・・。近所の奥さん達にも心配と迷惑をかけてしまって申し訳なさで身が縮まる思いだった・・・。これだけ探してもいないということは考えたくはないけれど誰かに連れ去られたという可能性もあるかもしれない・・・。いずれにしても私がちゃんと病院に出かける前に横着せずにクロの姿を確認しておけばよかったのだ・・・。今日は出入口に扉が開いていてもカメが出ない高さに板を打ち付けて塞いだ。肘が痛いのでレール式のものはすぐには作れないのでとりあえずの応急処置・・・。でもこれでもよかったから早くやっておけばよかったと本当に後悔してしまった・・・。夕方近くなるともうダメかもしれないと悲しくなりひとりでずっと泣きっぱなしで頭が痛くなってしまい寝込む・・・。それでもまた頭痛で目が覚めてしまい身体に力が入らなくてフラフラ・・・。先月はマメが死んでしまい今度はクロがいなくなってしまうなんて・・・クロは本当に元気で可愛くて大好きだったのに・・・。今回ばかりは自分を責めずにいられない・・・。 クロどこにいっちゃったの・・・
2011年04月20日
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カメがリラックスしている時にするポーズ「卍」(まんじ)。チビガメたちは結構よくするのだが巨大ガメのエボがこのポーズをするのは珍しい。今日は久々にエボが「卍リラックス」をした!!デカ卍!!カメがリラックスしているのを見るとこっちまで脱力~~~~横から見るとまたカワイイ。でっかいので卍も大迫力!! 横から見たところしばらくは「カメ頼み」・・・(いつもか?)深いところに届くちょっと笑える「カメセラピー」よろしく~エボ先生!!
2011年04月15日
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震災後、カメを思う気持ちはより一層高みへ上がった気がする・・・。「かわいい」とかいう言葉だけではなく「崇拝」に近い思いは普通のペットとはまったく一線を隔したものがある。しかしこの気持ちはおそらくカメたちと20年を共に生きてきた私と夫以外には理解できないものであろう。巨大なエボは我が家にとってはまさに「大仏」太陽をたっぷり浴びたあったかい甲羅に抱きつくとその優しい暖かさとこちらを見ないようで見ているエボのまなざしにえも言われぬ安堵感と至福感に包まれる・・・。(庭でこの状況を見られたら恥ずかしすぎるが・・・汗)巨大なエボよりも実はお姉さんのピッコロは最近脱皮がキレイに完了していて今までに例をみないみずみずしい肌になっていることに昨日気がついた。いつも脱皮しかけた皮がポロポロしているのが普通なのにこんなキレイな肌になったのは初めてだ。(なんでだか原因はまったく不明・・・)一番の長寿ガメでもあるピッコロは安定性抜群なので抱っこすると本当に気持ちが安らぐ。カメの黒い瞳は本当に美しくて愚かな人間には決して見えないものを見ている気がする。腐りきった社会構造をこの震災を機に変えることができるのだろうか?尊い犠牲を無駄にすることなく新たな正しい世界を作ることができるのだろうか・・・?それができるのが日本人だからということなのだろうか・・・?そう思いたい・・・けれど・・・根暗な私は絶望しかけている。だからこそカメたちに救いを求める気持ちがこんなにも深くなっているように思えてならない・・・。その目で何を見ている?崇高なのかバカっぽいのかわからないところが深い・・・(?意味不明?)マメのお墓の梅の木にも若葉が・・・マメは震災前に神様のところにいってきっと何かを伝えてくれていると思う。毎日お墓に手を合わせて祈る日々・・・。
2011年04月14日
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震災からひと月が経った・・・。このひと月、なんだが時が止まってしまっているように私ですら感じる・・・。夫に「ゆうべ寝言で『被爆!被爆』って言ってたよ・・・」と言われてしまうし・・・週末に足を運んだ地質学者のレクチャーはすごい人数が集まっていたがそのほとんどが高齢者・・・。子育て世代の人は私と友人しかいないような状態・・・。いいのか??これで??有料なので少しは詳しい資料ももらえるのかなと期待していたが誰でも見られるHPの内容の転載しかも文字がつぶれていたり不鮮明だったり・・・箇条書きの大雑把な内容・・・。本当に欲しい数字の入ったものはよく見えないプロジェクター画面にボヤっと映るのみで資料には結局先生のプロフィールと実績だけが一番大きく見やすく書いてあった・・・(汗)自分で研究することと一般にそれをきちんと伝えることはまったく別の次元であることが痛感された・・・。それでもいくつかは参考になる事項もあったので良しとすることに・・・。三浦半島の活断層は連動して動く可能性が高く3つのプレートが重なっているので地震の危険度も3倍となる。葉山は関東大震災の時には地震発生後13分で第2波が5.8mの高さで押し寄せている。元禄地震のときには120分後に3.5mの津波が来ている。時間の差は当然震源の遠近によるものだが13分で最大の津波が到達するならば瞬時に最寄の指定避難所である葉山小に向けて出発したとしてもたどり着けないかもしれない。資料にあった不鮮明な活断層の地図と自宅にある詳しい葉山の地図を照らし合わせて角度でおよその位置を見ても自宅から葉山小へ向かうまでの間の山まわりのバス通りには完全に活断層が横切っている・・・。ここで道に割れ目や段差などができてしまっていたらそこから先に進めなくなる可能性もあるかもしれない。また最も近い高台である仙元山も角度から見ると活断層が地下にあるかもしれない。このあたりの地層は北側へ傾いているそうなので自宅から最寄の北側の坂からは崩れて登れなくなる可能性も考えられる。あじさい公園方面の高台の方も三ヶ岡山の下に活断層が走っていそうなので危ないかもしれない。・・・となると先日避難した相福寺の先の高台が自宅からは一番近く安全な高台と言えるのか?・・・とすれば前回避難先としてお世話になったのは結果として良いシュミレーションになったのかもしれない。月曜日あたりから反対側の肘も痛くなり始め今日やっとまた接骨院に通院を開始したが治療中にまたかなり大きな余震が・・・!ひと月後の同日に・・・。本当にもう祈るしかない・・・。
2011年04月11日
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昨夜の余震でもう本当にヤバいと思い今日は静岡県の浜岡原子力発電所の即時停止を求めるネット署名ができるサイトに署名をした。この原発は活断層の真上にあり地震がきたら直撃を受けて電源喪失どころか配管等の破壊もほぼ間違いなく起こると予想され現状津波を防ぐのは「砂浜」というぞっとするような原発である。ここがいかれたら首都圏は確実にアウト。今回も静岡で連動した地震があったではないか・・・。週末に地元で開催される地質学者のレクチャーに参加することにした。住んでいる地域の情報は大雑把には把握しているものの活断層については一度きちんと押えておきたい。月末には原発と自然再生エネルギーについて学識者を囲んだ会合があると友人から連絡があったのでそちらも参加する予定である。福島原発の冷却システムを外付けで回復させる方法を提案した上原さんという佐賀大学の元学長が熱交換器を政府に推奨したそうだ。5mほどの高さの機械1台で原子炉ひとつの冷却が可能だという。はやく他の分も増産するようにお願いしたい。そしてその熱交換器を作っている会社は佐賀の伊万里にあり海水の温度差で発電するシステムを作っているらしい。海水の温度差だったら昼も夜もないしいいところに目をつけたなぁと思って見ていたらなんともうこの会社は韓国に買収されてしまっていたらしい・・・(悲)こんな大切なことをしている企業を外国に取られてしまうなんて・・・。昨日旅行に行ってしまったので今日はその分カメ小屋の掃除と補修に手間取ってしまった。カメたちは相変わらず・・・。庭の工事もようやくひと段落したがもうすでに汚れが目立つようになってしまい・・・(汗)頑張ってそうじしたいがまた肘が痛くなってきたのであまり無理もできず・・・。日本の危機を尻目に完全マイペースのカメたち。その落ち着きぶりだけが私を安心させてくれるのだった・・・。な~に~か~?
2011年04月08日
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夫が休みを取ってくれたので今日は久しぶりに遠出をしてみることにして山梨県身延町にある久遠寺の桜を見に行くことに。前回行ったのは夏でここはもう一度桜の時期に来るべきだなと思っていた。ガイドさんに脇寺から周って見るといいよと教えてもらい少し遠回りをしてみた。たくさんの枝垂桜が本当に見事だった。脇寺の桜日蓮宗の総本山である久遠寺の立派な境内!まずは本堂でお参り。ほとんどの方々は本堂の中までは入られていなかったが私は一礼をしてお堂の中央まで入らせていただき夫とふたりで正座をしてお参りさせていただいた。上を見れば加山又造筆の龍の天井画が・・・これは本堂の中からでないと拝見できないものなのだった。大小様々な種類の桜がありその美しさは本当に心に染み渡った。桜のカーテン風情たっぷりで時のたつのを忘れる。御真骨堂の脇にある大きな枝垂桜は本当に迫力満点だった。↓迫力の枝垂桜行き帰りの車の窓からは富士山が大きく見えた。自然へ感謝することなく傲慢な破壊を続けてきた人間の愚行を手を合わせて謝った・・・。家に着いたのは21時をまわってしまった・・・。あわてて夕食を済ませて夫は先に就寝。しかし11時をすぎてからまた大きな余震が・・・!!東北地方の他の原発も非常電源での原子炉冷却になってしまったというさらなる非常事態に・・・。NHKの仙台市内の地震発生時彼方にすごい光の青い閃光が見えたのだがあれは何だったのだろう・・・?夫は落ち着いているが「覚悟はしている。何も起こらないほうがおかしいくらいだよ」と言っている。笑顔や冗談も戻ってきてはいるがやっはり心の中には不安が消えない。美しすぎる桜の残像がまだ残っている中に容赦ない余震の連続・・・自然への畏怖はますます強くなるばかりだがどうかどうかこれ以上被災者の皆様に被害が及ばないようこれ以上日本のダメージが広がらないよう願うばかりである・・・。
2011年04月07日
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今日は横浜市大の呼吸器科へ定期通院の日だった。数日前からタンがからんで少しだけ呼吸がしづらい・・・肺機能が落ちてる感覚が出てきているので新しい薬も出してもらった。呼吸器のほうは絶対に悪化させないよう注意していかないと・・・。病院の帰りに昨年の今頃に参拝に行った横須賀の「走水神社」に行かねばと思い足を伸ばした。原発での「水の矛盾」をかかえた闘いを思っても海と水にかかわりを持つ2000年近い歴史のこの神社に今行っておかないと・・・。本殿に参拝の後いつも立ち寄る裏手の「水神社」にまわって驚いた・・・。今までいつ来ても一面水が染み出していたこの崖が乾ききっている・・・!!こんな状態を見たのは初めてだった。 今日の神社裏の崖 一年前の同じ場所いつもはどんなに晴れていても崖一面このくらい濡れている・・・。やっぱり何かがおかしいのか・・・ここの水脈は富士山に通じている。貞観(じょうかん)11年(869年)に起きた貞観地震と今回の地震が酷似していることは聞く。貞観地震の5年前には富士山が噴火している。 走水神社を見上げる科学的な解決策はもちろん望みながらも人の手ではどうしようもない力に願いをかけずにはいられない・・・。その後裏山にある奥宮にも忘れず参拝。諏訪社と須賀社と神明社が3つ並ぶというミラクルな奥宮はさまざまな御宮が合祀されてきた長い歴史の結果だろう。そして下に降りてくると境内で遊ぶ3人の女の子たちが稲荷の前で集まって私に声をかけてきたので一緒にお祈りをした。最後に引いたおみくじに載っていた歌はのどけきと見えし海原風たちて小舟危うきおきつ白波というもの・・・う~~ん今の日本が小舟のようだと言うのか・・・。でも!中に入っていた招福御守りが「亀」だったから大丈夫!!!とにかくこれ以上の被害が出ないよう強く強く強く祈り続ける・・・。帰り道の走水水源地の桜は今週末が満開になるだろう。昨年と同じはずの桜も今年は違って見える・・・。
2011年04月04日
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昨年の今頃何をしていたかなとふと振り返ってみた・・・。すると3月10日に鎌倉の鶴岡八幡宮の大銀杏が倒れて翌日と翌々日見に行っていたことをカレンダーを見て気がついた!翌日の11日は一人で行き翌々日は友人と一緒に行っていた。(前からその日に会うこといなっていた)2日も続けて行くのはアホかと思われそうだなと思っていたが気になって行かずにはいられなかった。まさかそのちょうど1年後にこんな大震災が起こるなんて・・・.11日にはまだ倒れた姿がそのまま見えていたが翌日に行った時には覆われてしまって見えない状態になってしまっていた。すごくショックだった。関東大震災にも耐えた1000年を超える大銀杏が見るも無残な姿になって何かの予兆だったらやだなやだなと思いながら写真は撮ったもののブログに載せるのはやめたほうがいいと思い記載しなかった記憶が蘇ってきた・・・。大銀杏は1年後に起こる事を知っていたのか?それとも身代わりになってこの地を守ってくれたのか・・・?倒れた木にも今はひこ生えの枝が伸び始めている。倒れた木から伸びる新しい芽は感動的でまさに復興のイメージに重なる・・・。それに引き換え例の会見ではシドロモドロが相変わらず続いている。もう会見やる意味がなくなってる状態・・・。この最悪の対応が日本のトップ企業と日本国としての対応だと海外にも思われてしまう・・・。水は放射能を封じ込めるものでもありまた汚染を拡大させてしまう媒介にもなってしまう・・・後手後手の対応でさらに事態が悪化しそうでこの原発問題がいかに人災であるかということを思い知らされコントロールできないものをコントロールしようとしてきた人間の慢心を今になって知ることとなってしまった・・・。
2011年04月03日
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図書館で借りていた小野田寛郎さんの本をやっと読み終えて返してきた。究極の危機管理を30年間ずっとしてきた人の言葉は重い。その名言をいくつか抜粋させていただいた。礼儀は挨拶ではない。家庭や社会で筋道をつけること。自制や自律は筋肉と同じ。鍛練すれば強くなり放っておくと、生まれた時の自我に戻ってしまう。叱りすぎてもだめ、褒めすぎてもだめ。叱りすぎると叱った人が慢心し、褒めすぎると誉められた人が増長する。それでも、子供たちは叱るより誉めてやりたい。日本に帰還した時、やたらと「権利と義務」という言葉が目についた。私が少年の頃は「まず義務を果たすこと」を教えられた。権利は義務を果たせば自ずと与えられるもの。努力しても方法を間違えては、失敗する。夢や希望を語るのは思っているだけ。それを目的に変えなければ達成できない。「したいと思います」から「やります」に変えるべきだ。強い人ほど優しい。強い人は余力があり、弱い人を助けたくなる。誰でも「他人のために働きたい」とは思っている。それには強くならなければ。豊かさは自分の心で感じるもの。不便さは何とでもなる。最後は自分の五体で何とかなる。やってしまったことは「しかたがない」。これからどうするかだ。くよくよ負け犬になってしまう。負け犬は遠くから吠えるだけで向かってこない。コンパスは方向は教えてくれるが、川や谷の避け方は教えてくれない。コンパスばかり見ていると川や谷に落ちてしまう。自分で考えて判断しなければ。約束の時間に遅れれば、その時間の分だけ待たせた人の人生を無駄にさせる。約束を守れない人は信用されず、自分の人生を無駄にすることになる。馬鹿な人は嫌いだ。馬鹿な人とは頭のわるい人のことではない。自分勝手で思いやりや常識のない人のことだ。人は一人では生きられないのだから。紐を結ぶ時、手際良く確実に締まりやすくすることは当然のこと。しかし、解きやすいことも大切。何でもやれば良いと言うものではない。何をやるにも経過も結果も大切。結果の先のことはもっと大切。世の中には出来そうにないことでも、やらなければならないことがあるし、できることでもやってはいけないことがある。この判断基準こそが、その人の価値を決める。小野田さんは福島の山あいで子供達のための自然塾をされている。きっと地元の子供達も多く集まっていたであろうしこの地震でどんなに心を痛めておられるだろうか・・・。
2011年04月02日
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東北の受け入れがたい現実をまるで感じないような暖かな春の陽光が葉山には降り注ぎ始めた。穏やかであればあるほどこの暖かく優しい光と数え切れない人たちの命を飲み込んだ地震と津波の残酷さとをを併せ持つ自然への脅威と畏怖を覚えるばかりである・・・。今日も我が家の救援物資であるカメのエサをわざわざお届けくださる方々が・・・近隣の大地主でもあるおばあちゃまは久しぶりにご自身でお作りになった春キャベツを台車に乗せて運んできてくださった。徳のあるお顔は観音様のようで大好きなこのおばあちゃんのことを私はいつも「お母さん」と呼ばせていただいている。季節の野菜ができると我が家のカメのことを思い出して下さることに感謝してもしたりない・・・。「あなたの顔みると元気になるのよ」とも言ってくださったがそれはそのまんま倍にしてお返ししたいくらいである・・・!おばあちゃんの愛情たっぷりのキャベツはエボたちも食いつき方が違いとっても美味しそうにたべていておばあちゃんもそれを見て嬉しそうだった。お礼に先日買ったあんこ入りの玄米パンの詰め合わせをお渡しした。本当にありがたくゆっくりゆっくり歩いていく後姿を見送りながら涙がでてきた・・・。先日も畑の雑草を袋一杯にお届けくださったチャップままさんもまたもや「伊達直人」配達・・・!!奥ゆかしいにも程があります!!黙って置いてあったこの袋にも手を合わせて拝みながら感謝の思いをかみしめた・・・。すばらしい人生の先輩たちからの愛のあふれる「救援物資」・・・。本当に本当に幸せです・・・。何もお返しできるものがない・・・。いただいた愛情をまた誰かに注ぐことができるようそういう形での恩返しだけしか私にはできそうにない。春の草を爆食するカメたちカメたちは美味しい春の草をモリモリと食べることで愛を分けてくださったお二人に「ありがとう」と言っているようだった。
2011年04月01日
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通称「村」と呼んでいる我が家の分譲地。当初は4~5軒だったが一昨年くらいに20区画すべてに家が建った。町内会では圧倒的な最大派閥(?)となったわが「村」だが軒数が多いがために回覧が期日を過ぎてしまったり組長さんが年に何回も集金に回るのが大変になりすぎていた。本当は一昨年前くらいに2分割を考えてはいたのだが仕事が忙しすぎたのと目の手術もあったりで手がつけられなかった。それまで組長さんをされたいたお宅には大きな負担をおかけしてしまっていることをいつも心苦しく思っていたがこの期末にちょうど良いタイミングでその件について相談が来たので期末ギリギリにはなってしまったが昨日町内会長に相談して了解をいただいた。いつもいつも余計なお世話になってしまい恐縮してはいるものの一斉メールでこの件を村のメンバーにこの件を提案して名簿づくりに必要な項目をお返事いただいた。世帯主の名前だけでなく家族の人数や子供や高齢者の有無なども添えて個人情報には配慮しながら災害時にもなるべくこまかく対応してもらえるような形を考えて名簿を作成してみた。災害時は町内会単位で物資が配布されるのでその意味でも今改善をしておくのは良いタイミングかもしれない。今回の地震でもそうだったが夜以外は村は女性と子供しかいない。夫たちはみんな町外や都内へ出勤しているのでいざという時でも男性たちがいない確立のほうが高い。即帰宅難民と化す男性たちには自分の身を守りながら交通手段の復帰後に早期に帰宅してもらうしかないが村や神輿の仲間たちには公共交通や電話会社、海洋調査、自衛隊など緊急時に帰宅できない重要性の高い仕事をしている人もいるのだ。数日は女性と子供だけで窮地を切り抜けなければならないことを想定しておこう。共働きのお宅の子供は他の家に飛び込めるようにしておかねばならない。もちろん我が家もそういう意味では「避難所」である・・・。今回の地震でも普段の奥さん同士のネットワークが本当に支えになり心強かった。村は総勢62名になっていた。別荘のため町内会に未加入のお宅も入れたら65名?!町内会長には2分割したとしてもまだ多いくらいだと言われた・・・(汗)人数が多ければそれだけ助け合える手も多いということである。行政には期待できない葉山で生き残るには普段からの気持ちの通いあう生活が一番大切だということをあらためて強く感じる今回の経験であった。
2011年03月31日
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一刻の猶予もない原発の危機的状況・・・。当事者意識がまったくない人が説明に立っている。頭の中は「なんでオレがこんなことしなきゃいけないんだ。あ~メンド臭い。」という意識であふれかえってることが顔つきからわかってしまう・・・。こういう人は質問者の話も被災者のことも自分がその場さえしのげればという意識だからほとんど理解していないだろう。体面だけを気にして自己防衛をはかる・・・そういう人間にこの厳しすぎる現状を打破できるわけがない。本当に向き合わねばならない問題から逃避する。本当に救わねばならないものが見えていない。危機的状況での優先順位が全くわかっていない・・・。そういう人間に危機管理を預けることはかえって被害拡大につながる可能性すらある・・・。こういう人たちの下で命をかけて働く人たちが本当に気の毒でもう涙にもならない・・・。
2011年03月30日
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カメたちは相変わらずマイペース。トラック販売の八百屋さんが置いていってくれたキャベツの葉っぱと畑の雑草をわざわざエサ用に持ってきてくださったチャップままさんのおかげで地震でもエサにまったく問題なし!!カメたちはいつも多くの「伊達直人」さんたちに救援物資をいただいて本当に幸せ者です・・・(涙)原発のほうは放射能への注水と汚染水除去を同時に行なわねばならないという矛盾した事態になってしまいさらに憂慮は続くが今日は大阪の長居スタジアムでの日本代表vsJリーグ選抜チームの試合の日。地震がなかったら今日は国立競技場でニュージーランド戦のホーム側の前から4列目で観戦できていたはずだった私。手元にあるプラチナチケットは幻となってしまったが画面で選手達の顔を見ただけで今までにない感慨が・・・(涙)まずは選手達と一緒に料理の手を止めて被災で亡くなった方々への黙祷を捧げる・・・。試合の流れは速かった。前半早いうちに遠藤の絶妙フリーキックがゴール右端に吸い込まれた!!「エンド~~~ぉぉぉぉ!!!!!キメたぁぁ~~~!!!」カッコよすぎる~~~!!!すぐさま喪章を手に取り天高く掲げてメンバーの輪が燃え上がった!!もうここで涙涙涙。。。。。その後本田→岡崎の名コンビでの得点とJリーグ選抜でも44歳のカズが技ありのシュートを決めて十数年ぶりかと思うほど本当に久々のカズダンスを見た!!カズがちょっと笠智衆にも見えてしまったが(←ごめん)素晴らしいシュートだったよ~~!!おじちゃんにはなったけどいい顔してたね!地震のあととてもサッカーを楽しんで見る気持ちにもなれなかったが今日はやっと素直に応援することができてすがすがしい気持ちが戻ってきた。被災地の方々はとても大変な状況であろうけれどそれでもこの試合の中にあふれている「思い」は試合を通してきっと伝わったと思う。一日も早く東北地方でこのような夢のような試合ができる日が来ることを心から祈りたい・・・!
2011年03月30日
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今日は少しだけ春を感じる陽気で私も少しだけ緊張する気持ちが落ち着いてきた気がしてきた。近くの広場でイベントをやっているから見に行こうと夫にいわれて外に出たが少し歩いたところで神輿会の仲間2家族がカメを見に来てくれたのでまた家に引き返した。かわいい柴犬も一緒にきれいになった庭にみんなを入れて草をたべているカメたちとふれあい大会開始!柴犬ちゃんはカメが大好きでとうとう一緒に草を食べはじめてビックリ~~!!カメにつられて草をたべる柴犬みんなとっても楽しそうだった。チビッコたちは「かえりたくな~~い!!!」とダダをこねる・・・(笑)地震ですっかり気持ちが落ちていたが仲間達の笑顔のおかげで私も元気をもらえた気がして本当にありがたいなぁと感謝の気持ちでいっぱいになった!広場でやってたイベントよりもみんなどうやらこっちのほうが楽しかったようだ。福島原発は2号機近くのタービン建屋の水がものすごい放射線量になってしまったようでまたもや危機的状況に・・・。そして余震もまだ続いている・・・。ムダだとわかっていても緊急地震速報が出てしまった瞬間には「揺れないでくれ~~~!止まってくれ~~!!」と念じる・・・。すると・・・震度3で済んだ?!(マジで?!)昨日接骨院の帰りに地元で一番古い1300年の歴史を持つ神社にお参りしてきた。たまたま社殿の扉が開いていて中を拝見しながらお参りができたからか?(・・・んなわけねーよ;汗)でも1000年に1度の地震は1000年以上歴史のある神仏じゃないとカバーしてもらえない気がする・・・。科学的視点も大切だけれどやはり人の力の及ばない何かに委ねられているものも大きいと思えてしまう・・・。それでもエボは今日も庭を悠々と歩きその姿を陽光の中で眺めるひとときの幸せを仲間達の笑顔を今日はあらためて深く感じどうかこの平凡で大切な幸せが壊されることがないようそして被災地でいまだ闘う人々の健康と救済を重ねて祈り続けたい。
2011年03月27日
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地震の時には海岸からあがったばかりだった私。当日にテレビで津波情報がどんな風に流れたのかが気になってYouTubeで見てみると地震発生時の緊急地震速報からしっかり放送を切り替えられたのはNHKだけで民放はなかなか切り替わらずCMを流し続けたり誰もいない椅子だけがユラユラしてるスタジオを映してしまったりで緊急時の差は大きかった。今までも地震がおきたらすぐにNHKにしてはいたが今回これほどひどいとは思わなかった。。。これは下手をするとその時に見ているテレビで命が左右されるかもしれない。NTVの地震当日の放送分を見ていたらミヤギテレビのスタジオが写って後ろのほうに友人の姿を偶然発見した・・・!あわてて再生しなおして一時停止で再確認したがまちがいなくSくんだった!よかったよ~~!会社にいたんだね~~!忙しいだろうから連絡はしないけどどうかどうか頑張ってほしい・・・。計画停電のグループ分けも新たに25分類になる。葉山の当家の地域は第3グループの「D」。このところずっと計画停電を免れているが3時間程度なら毎日やってくれていい。その分病院や復興に必要な物資を生産する企業などの電気は止めないような配慮のできる形にできないだろうか?葉物野菜などの出荷制限で被災地にはさらに苦難が上乗せされてしまった・・・。カメの主食でもある葉っぱは食べさせないわけにもいかない。洗えば大丈夫!排泄する力もあるんだからもともとの体の力を落とさないことを意識しよう。実家の父はアイソトープを使った体内研究で博士号を取っているらしく一応その方面での知識はあるはずなのだが今回のことを聞こうと思っても取り付く島もない・・・(会話不能:汗)それは大丈夫ってことだと判断するしかないのかも・・・。あの父から「やばいからこうしろ」的なアドバイスが来た時が本当の危機かも・・・。しかし娘を簡単に見捨てるであろう父よりも私が信頼しているのは科学ジャーナリスト瀧澤美奈子さん。ご自身も物理学を極めた上に多くの科学者を取材されている。難解な専門知識や用語を一般人にも大変わかりやすく解説してくれている。海外の学術文献も適切に引用して下さっているので実際の環境測定値とあわせて今後も私は彼女の指針を参考にしていきたいと思っている。何よりも実際にお会いしてお話させていただいてこの方なら!と心から信頼できると直感した人であるから・・・!!http://blog.goo.ne.jp/minacraft/瀧澤美奈子の言の葉・パレット多くの情報が飛び交う今個人個人の価値観や何を持って良しとするかという基準が問われている。自分は何も専門知識はないが私は私の信じるところに従ってただ不安をあおるものよりも科学の目を持ちなおかつ人の力を信じてより良い方向を目指す意志のある人の言葉を信じたいと思う・・・。
2011年03月25日
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覚悟していたがついに水騒動に発展してきた。葉山の水はどこから来ているのかなと気にはなったが役場に聞いてみたってどうせたらい回しだろうと思いながら今日お誘いを受けて湘南国際村のレストランに連れて行ってもらったら同じビルの1階に横須賀市上下水道局の「よこすか水道 水の広場」という広報のための施設があった。まったくなんというタイムリーさ?!!ここの資料から葉山の水の取水源を電話で問い合わせると浄水場は神奈川県綾瀬市にある「綾瀬浄水場」で相模川から水を取っているという説明があった。大もとは「相模湖」「津久井湖」「宮ヶ瀬ダム」になる。同機関の以下のサイトで定期的に放射能測定値を公表している。http://www.kwsa.or.jp/suisitu-rinji.html神奈川県内広域水道協議会の水質調査結果また神奈川県の安全防災局で大気中の放射能の測定値を公表しているサイトは以下のところ。http://www.atom.pref.kanagawa.jp/cgi-bin2/telemeter_map.cgi?Area=all&Type=WL神奈川県安全防災局危機管理対策課環境放射能モニタリングシステム上記を参考にしながらもともとの体調を保持するよう心がけたい。マメが死んで地震が起きてなんだかんだでやっぱりダメージを受けているのか皮膚の調子が一気に悪くなってしまい夕食前後になると体中にミミズ腫れ状の発疹が出るようになってしまった。でもおととい薬をもらってきたから大丈夫!皮膚のバリア機能を保つことは非常に大切・・・。カメと夫はいたって平常心!見習うべき「鈍感力」かもしれない・・・(汗)私はマメのお墓の前にいくとまだ泣いてしまう・・・。
2011年03月24日
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テレビ報道はもうすっかり平常時の編成にもどりつつある。とくに民放は協定があったのだろう数日前から横並びで通常の編成に戻った。昨夜福島原発で放水活動を行なった消防庁のハイパーレスキュー隊が任務を終えて戻り会見したがこれも中継したのはNHKのみ。しかも最も大切なところにさしかかった時にカット・・・!!民放は中継すらなかった。佐藤康雄部長の冷静かつ明瞭な現地での作業行程の説明、冨岡豊彦・高山幸夫両隊長の感情を抑えた過酷な任務の報告・・・今まで説明してきた政府、東京電力、大学教授たちの誰よりも説得力のある会見だった。信頼できる仲間と命を賭けた仕事をしている人はまったく人間の質が違う・・・!!日本国民の命を救うため自ら志願してこの任務についてくれた方々に感謝の気持ちでいっぱいになり画面に涙で手を合わせて頭を下げた・・・。新聞によれば今もまだ500~600人の人たちが原発事故現場での復旧に命がけで働いている。今日もまた余震があったし空も雨雲で暗くなってきた・・・。どうかこの人たちの作業の妨げがもう起こらないよう全身全霊で祈り続けるしかない・・・!!菅総理は今日は横須賀の防衛大の卒業式に来て訓示を述べていったという・・・。生きるか死ぬかの局面の陣頭指揮を取らねばならない1秒も無駄にできないこの時そんなことしてる場合なのか??!!あの「届かない言葉」をわざわざこっちまで来て薄っぺらく語るなんて・・・一体どういうプライオリティなんだ・・・?(怒)明日は被災地を視察するらしいがそれってかえって現地に迷惑になるんじゃないのか?役に立たないからかやの外に出されているとしか思えない・・・(汗)消防庁のヒーローたちとの差がありすぎて言葉もない・・・。
2011年03月20日
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昨日も夕刻に予定していた停電が昼の時点でなくなった。他のグループでは1日に2回も停電がある地域もあったそうで申し訳ない・・・。東京電力のHPは大変見づらい。。。葉山町役場のHPも情報もの日付が古くてたまにしか更新されていない・・・。昨日は地元のビーチfmが逗子市のHPを情報ソースに発表していた。昨日は実際にその通りになった。葉山町役場HPの情報は結局停電直前に更新された。ウチのある地区は覚悟していた時間に停電せずなぜか同じグループの他の地区だけが停電してここは今日も停電しないらしい・・・。う~~~ん、、、周囲の友人からもよくわからないという声がいくつもあり事前にわかる把握のしかたを探してみようと思ったがいろいろやって結局は停電予定1時間前にどんでん返しの停電中止になってしまった。これは今後も葉山の同じ第3グループ内でも「堀内地区」と「下山口・一色地区」は分けられる可能性があるということだ。昨日今日の状況から考えると結果的に「堀内地区」は逗子の第3グループと時間的にはリンクしている。でも明日からの連休は逗子と葉山の第3グループはまたそれぞれ違っていて逗子は停電なしで葉山は停電あり・・・。それでもまた今日のように当日直前になって一部停電しない場所もあるのかもしれない。。。追いかけるだけ追いかけて結局当日直前にならないとわからないんだという結論・・・。最初からいつでも停電していいように覚悟しておけという話である。東北の人たちのことを思ったらそんなことは当たり前だ。氷河期を乗り切ったカメの生命力を信じてカメたちにも東北の人たちのためにがんばろうと言い聞かせるしかない!避難している方々の中に亡くなる人が増えてきている・・・。もう本当に命がギリギリのところだよ・・・。何とか物資を早く早く届けてあげてほしい!!!これまで福島の原発のおかげで首都圏は電気を使わせてもらっていたことを忘れてはならない。だからもう買いだめやめて節約しよう・・・!原発のほうは特殊な消防車が消防庁から派遣されることになったようだ自衛隊の放水をバックアップする体制ができつつある。電源も一刻も早く確保してほしい・・・。命がけのまさに人類の命を背負った仕事である。勇気と使命感を持って臨んでくれる人たちの力に託すしかない!がんばれ!がんばれ!がんばれ!本当に祈るしかない・・・!!以前入手していた「葉山町津波ハザードマップ」を探し出した。これは見ておいたほうがよい資料である。想定地震の中で最大の津波被害を起こすと予想される1703年に発生した「元禄地震」から予測したハザードマップである。最大津波高は5.73mを想定していて私が住んでいるところは地図上ではバッファゾーンと呼ばれる確実に避難できるとされる領域ギリギリのところだな・・・。津波の到達時間は80分~153分以内と想定されている。県のホームページにもこの地図掲載されているが画像が粗すぎてよくわからないんだよね・・・(意味ないよ:汗)町にはこのマップはもうないだろう。ご近所さんで見たい方いらしたらどうぞご連絡ください!
2011年03月18日
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家の中に何か使えるものは残っていないか停電しない間に家捜しを開始!死ぬほど昔の壊れた「ウォークマン」(古っ)カセット部分は壊れていて使えないが電池を入れてみたらラジオだけはちゃんと聴ける!!捨てなくて良かったよ~~(汗)よっしゃこれで夫に私が使ってる小型ラジオを持たせられるぞ~屋根裏で小型だけど電気ストーブも見つかり昔カメ用に買って使わなかった滑り止めマットや100円ショップ他で買っていた耐震粘着マットも発見!水を汲みためておくポリタンクも掘り出した。あるものだけでなんとかしないと!何かしていないと原発事故のことが恐ろしくて持たないよ・・・。どうかどうかメルトダウンだけは避けてくれ!!!がんばれ!がんばれ!がんばれ!
2011年03月17日
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地震・津波・原発事故・火災・寒さ・・・被災地の何重にも重なった悪条件がせっかく命が助かった方々にさらに過酷な状況が襲い掛かっている・・・このままでは避難者も凍死か餓死してしまうかもしれない。暖かいものが食べたいだろうな・・・お風呂に入りたいだろうな・・・ここも地震や津波はこわいけれどまだ普通の生活ができている自分。被災者の人たちに申し訳なくて湯船に浸かっていても泣けてくる・・・。買いだめ現象がすごいことになっている。私はおっちょこちょいが幸いして生協で前の週に頼んでいたのを忘れて連続して買ってしまったお米やティッシュが火曜日に届いたのでこれでしばらくはなんとかなりそうだ。連続して買ってしまったことがわかった先週は無駄買いしてしまったと後悔したがまさかこんなことになるなんて・・・。周辺のスーパーもすごいことになっているようだ。小売店のほうが落ち着いていて物も残っていたがもう時間の問題か・・・?みんなもう買いだめするのはやめて工夫をすることを考えたほうがいいだろう。捨てようと思ってギリギリとってあったアロマキャンドルがなくなったら空き缶とサラダ油とアルミホイルとティッシュでつくる簡易ライトの作り方を覚えたぞ!車は使わないで歩くかチャリ!ティッシュを今までつかっていたことも考えて水が出るんだから雑巾で拭いたり鼻水だってガーゼでかんで洗って乾かせばいい!生理用品は布ナプキンで代用できる!いらなくなったTシャツは切って雑巾!新聞紙もいざとなったら洋服!チラシもいざとなったらお皿!ダンボールも断熱材!ゴミを運ぶ車のガソリンを減らすためにもゴミはなるべく出さない!見方を変えて工夫をして少しでも節電して被災地にエネルギーや物資が届くようにしないと!!
2011年03月16日
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地震後日数を経過していくうちに被害の甚大さが鮮明になり死者の数は万単位になるという予想すら出てきた・・・。本当に言葉もない・・・。今日は買出しのついでに些少だけれど現地への募金もしてきた・・・。また福島原発の放射能漏れの事態は刻々と悪化している。地震の前には友人から原子力発電について意見を求められ話す機会も多かったので想定していた最悪の事態が目の前で起こってしまっていることが現実として受け止めきれない・・・。「使いたい時にいつでも電気が使える」という人間の生活は原子力発電で作る電力が基礎を担っているから成立している。その基礎の上に火力発電が乗っかりそれでもさらに足りなくなった場合に水門を開ければすぐに発電できる水力発電を足して大量の電力需要をまかなっている現実。(火力は燃やすまでに時間がかかるからすぐに起動できない)作り置きできない電力はこのようにある意味非常に不安定な構造で生み出されることを多くの人は知らないだろう・・・。以前友人が誘ってくれた東京電力の資料を見せてもらうミーティングに参加できたことで私は本当に勉強になった。自然の力は人間がコントロールできるようなものではない。今回も設計上想定していたものをはるかに上回る地震と津波が来てしまったことでこのような事態になってしまった・・・。でも自分自身がいつでも電気が使える生活をしているのに原子力に反対だとは言うのは矛盾してしまうだろう・・・。携帯も便利にならなくいい。宇宙にもいかなくていい。電気もたまに数時間停電したっていい。世界中の科学技術者の頭脳をすべて効率的な太陽光発電の開発に集めてもらえないだろうか・・・?スリーマイル島の事故に匹敵するこの深刻な事態がどうかどうかこの先最悪の事態に進まぬよう祈るばかりである。過去の事例を見ても原発施設の事故の発表は事実を矮小化したりすぐに発表しなかったりしていたことが多いので今回もすべてを信用することは正直できないが命をかけて施設を守ってくれている人たちの力が本当の意味での「最後の砦」であることには違いない。どうかどうか踏みとどまってほしい・・・。地震の直前にマメのお墓の石を拾いに行った時はじめて拾ったワカメとひじきを冷凍してある。マメが「海草をたべて放射能から身を守ってね」と言っているように思えてならない・・・。
2011年03月15日
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夫も戻って村のみんなも怪我もなく帰宅した。みんな無事でよかった・・・。でも・・・・ニュースで見る東北の様子は原子爆弾を受けたかのように壊滅的な被害を受けてしまい村ごと全滅した場所も複数あるようだ・・・。この地獄絵図のような光景の中に一体何人の人の命が埋もれてしまったのか・・・。とにかく今は自分と家族の安全を守るための手立てをしなければと今日は夫に家具の固定をやってもらった。実はもうずっと前にこの固定するための用具を買っていたのにダメな私は放置していたのだったxxxねじを使わない家電家具の地震対策、転倒防止に!ガムロックnewBB オフィス向け家具タイプ 3...価格:4,200円(税込、送料別)「ガムロック」高かったけど命には代えられない。。。壁に穴をあけずに大型家具を強力固定できる。まだ足りなかったので発注もした。これでやっと一安心。。。名残惜しいしずっと一緒にいたいがマメをやっと今日庭に埋めることにした。まさかマメが死んだ後にこんなことになるなんて・・・地震当日はもし生きていても停電になってしまったので私はマメを暖めながら抱えて逃げただろう。そうさせないようにそして庭の工事の予定にも迷惑をかけないように亡くなっていったとしか思えなかった。 マメのお墓昨日から掘って準備していた穴を今日夫がさらに掘り拡げてその中にマメを納める。マメが死んだくらいで泣いていたら被災者の方々にもうしわけない・・・でもやっぱり自分の手で土をかけたときは悲しかった・・・。今までありがとう!マメ・・・。
2011年03月13日
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懸案事項だった庭の工事が終わり今日はやっとマメの埋葬の準備に入れた。ゴムチップ舗装の際を保護するための大量のブロックを水洗いし日光に当てて乾かし敷き詰めて保護する板を取り付け直した。それだけの作業ですでに2時になってしまった。美しい海岸まで歩いて5分ほどの我が家だがなぜかめったに海に行かない私・・・。しかし今日だけはマメのお墓の石を探しに行かねばと決めていてかならずこれと思うものがあると思い一人で海を目指した。晴れわたった海は風が強かった。自宅から最寄の海岸への入口から入り葉山マリーナをめざして石を探しながら歩く。いつもなら広がる海の景色を見渡すがなぜか今日は一度も海原を見なかった。マメのお墓にちょうどよいと思われる石をひとつだけ発見。丸くて真ん中に丸い窪みがあってカワイイ。これに決めて袋に入れ少し先で打ち上げられたワカメとひじきを拾いついでに葉山マリーナで買い物をしようかなと立ち寄るが結局何も欲しいものがなくガラス張りのビーチFMのスタジオでディレクションをしているKさんの横を相変わらず忙しいんだろうなぁと思いながら通り過ぎ海岸線の道路を渡ったバス停で時間が合えばこのまま接骨院に行こうかなと思い時刻表を眺めるとちょうどあと3分くらいでバスが来そうだった。「じゃ~乗っていっちゃおうかなぁ・・・」と思いかけた瞬間に・・・目の前がグルグルしてきた。周りには誰も人がいない・・・目の悪い私は自分が脳震盪でも起こしかけたかと思ったが「これ、地震じゃないのか?!!」ととっさに感じた。外にいてこれだけ揺れを感じるというのはヤバいかもしれないと思い誰もいない道を家に向かって走り出した。突き上げるような揺れではなかったのですぐに津波が来るとは思えなかったがとにかくすぐに家に戻らないと!途中で夫から電話が着信したが取ったらすぐ切れてしまった。しかし、夫は都内の会社でとりあえず生きてはいるということだけはわかった。すぐにかけなおすが何度かけても通じない。「今海岸にお墓の石を探しに言って戻るところ。大丈夫。」とだけメールで打ち返す。村の前まで来るとママ友が声をかけてくれた。やっぱり地震だったんだとしかも相当の揺れで停電までしているととを知り青くなる・・・。冬場にエボたちが暖房なしでどうなるんだ・・・?!!家の中がどうなっているのか確認しなくてはと思い覚悟をしてドアを開けるが食器用の引き出しが半分くらい飛び出していただけでほとんど何も動いておらずホッと胸をなでおろす。しかしやっぱり電気はつかない・・・。まずは非常用リュックを寝室から取り出して電池の携帯ラジオで情報確認をする。家の外に村の女性達が集まっていたので東北が震源でこのあたりの津波は今のところ2mくらいだという情報を伝える。「明るいうちにできることをやっておこう」と声かけをして解散しカメたちにホカロンを貼り付け子ガメたちはフリースでくるんだ。とりあえず水は出ること確認しポリタンクとペットボトルに水をためる。お風呂には水が入っていることを確認し水が出るうちにできることをとりあえず済ませておく。テレビがつかないので津波の情報はラジオからしか聞けない。近隣の津波の高さは2mと想定されていた。「海岸付近と河口近くの方は避難してください」という放送があったが海抜4.5mの当家地点は河口に当たるのか?避難すべきなのか?津波の到達時間の詳細の放送もなく地元ラジオと他の局を交互に聴いてみるが東北では10mの津波だと聞いてこれは震源地は大変なことになると思った・・・。災害初期は自分と周囲の人たちの判断しか頼りにならない。長い横揺れだったことを思うと津波が来るとしてもすぐではないと判断しとりあえず物が買えるかどうか近くのスーパーへ先に足を運んだ。しかし停電のためすでに閉店していてダメだった。また村に戻ると学校から帰ってきた中学生たちが駆け寄ってきた。親御さんがまだ帰ってない子供もいる。今日横浜へ新しい学校の制服を取りに行っている子は弟からとりあえず無事だということだけが確認できて一安心。彼らは同じ部活なので一緒にいたいらしくそのうちの一人のお母さんと行動を共にするようだった。9時ごろ6mの津波が来るという子がいて驚く・・・。ラジオの情報と違うのでもしかしたら情報が錯綜しているのか?それでも念のため避難したほうがいいかもしれないのでとりあえずお隣さん親子と一緒に一番近い高台へ行くことにしたがそこは正式な避難場所になっていないらしく先に行っていた人たちが正規の避難所である小学校へ移動をしていた。とりあえずそちらへ行ってみるとまだ4割くらいの人かなという感じで水が出ないらしくそれなら明るいうちに家に一度戻ろうということになりまた自宅に戻る。すると同じ村で薪ストーブがあるお宅の方が一緒にいようと声をかけてくださった。あとから何人も村の仲間が集まってきた。子供達はいつもより楽しそうなくらいだ。あたたかい食べ物やお菓子も出していただいてストーブだけでもありがたいのに本当に村の仲間のありがたさと心強さをこれほど感じたことはなかった。しばらくたつと他のママが呼びにきて下さり別の高台の避難所へいこうということになった。村の中で声をかけあってまとまって移動。ひとりじゃないありがたさ。この頃になってドッとメールが入ってきた。心配していた横浜で帰れなくなっていた子も消息が入ってきて一安心。夫も会社に泊まると連絡があり夫の自宅ともようやく電話が通じた。私の実家や妹たちも無事だとわかった。津波到達時間を1時間経過した22時をまわっても避難所にいたが他の方々も引き上げていくようだったので私たちも自宅へ戻ることにした。津波が来なくて本当に良かった・・・。自宅に帰りガスが使えるうちにカメ用と自分用の湯たんぽをつくりポットにお湯を作ってためた。さらに本格的な避難を想定して荷物の準備をしているうちに夜中の2時ごろに電気が復活!!これでカメたちは大丈夫だ。本当にありがたかった・・・。しかし・・・テレビをつけると東北地方の信じられない光景が・・・これ、、、本当に現実なのか・・・?あまりの光景にショックを受けて眠れなくなってしまった。とりあえず風呂に入って身体を温めたが眠れなくなってしまった・・・。これじゃ阪神大震災以上の死者が出てしまうよ・・・。神様・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2011年03月11日
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マメが亡くなり今日は近所のみなさんからお花やお悔やみの言葉をたくさんいただいた。きれいなお花にかこまれて今日は庭のゴムチップ舗装の工事があったので泣いている暇もなくかえって気がまぎれて助かった。カメ庭完成については水のみ場の仕上げが終わってから発表いたします♪お菓子のようにとってもキレイな明るい庭になりました。24時間はそのまま養生することになりマメを埋葬するための大きい植木鉢と側に植える梅の木を買ってきた。しかし植木鉢にマメを入れてみるとやや小さいことがわかり夫もやっぱり大地に返したほうがいいから直接地面に埋めようと言われ養生中の庭に入れない今日は無理なので週末まで埋葬は延期することにしてそれまでゆっくりマメとのお別れの時間を過ごすつもりだった。。。すると中学生の男の子達が弔問にきてくれた。まだ身体より大きい学ランを着たまま横一列に並んでそっと鉢植えの花を差し出してくれた時は泣けてきた。なので急遽お寿司を買ってきてお通夜のもてなし!あっという間になくなったお寿司の残骸に笑う夫・・・。私にとってはいつものことだが夫は子供たちとのこういう状況はかなり新鮮に感じたらしかった(笑)子供達のおかげでしんみりした夜にならずに済んだ。帰り際にはこちらが何も言わないのに恥ずかし気にそっとマメに手をあわせてくれた男の子の真心には本当に心を打たれた。こういう品のある行いをさりげなくできる男の子を育てられた親御さんを尊敬しちゃうなぁ・・・。あと2日マメと一緒に眠ることができる。最初開いていた目はもう閉じてきた。小さな甲羅にはまだかすかに太陽の匂いが残っている。マメの世話がなくなるとずいぶんカメに使う時間が減ったような気がする・・・。小さな1匹がいかに存在が大きかったかをこの時間が教えてくれるようだった・・・。
2011年03月10日
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昨夜遅くに滞りがちだったおしっこをたくさんしてくれたマメ。良かったと思ってきれいに掃除をしてから寝たが今朝起きて夫を送り出してからカメボックスのカーテンを開けるとマメが目を開いたまま動かなくなっていた・・・。ゆすっても反応しない・・・まさか・・・ウソでしょ・・・「マメ!マメ!マメ!」いくらよんでも動かない・・・昨年の夏の終わりからまた体調を崩して半年年末には入院もしたけれど肺炎の古傷はどうしようもなく主治医の先生にも手の施しようがないと言われもうあとはわずかの時間家で看取るだけかと思ったが3ヶ月以上もがんばって命をつないでくれたマメだった。昨日もオクラをたべてウンチもして昼間と夜と2回もオシッコを出してくれたので良い方向に向かっているとばかり思っていた・・・。博多にいる頃に我が家に来たマメ。ちょうど流産をした頃で生まれてこなかったわが子の代わり以上の存在だったかもしれない。今までたくさんのチビッコたちとも友達になりみんなにかわいがってもらった。博多から逗子への引越し直後のゴタゴタでたった1日だけ温度管理に失敗して肺炎にさせてしまったことが今から何度悔やんでも悔やみきれない。それでもマメは危篤状態から見事に復活してその後は一番の元気ぶりを見せてくれていた。他のカメたちは好きなものから食べてしまうのにマメはエサもちゃんと栄養のあるものから選んで食べるような賢さがあった。自分の身体をしっかり立て直そうという意識が常にあった優等生チビガメだった・・・。博多にいる頃携わっていた難病の子供のボランティアで担当した男の子がマメをとても気に入ってくれて「誰よりもかわいい!」と言ってくれてからそのセリフを私もたびたびマメにつぶやいていた。その男の子も過酷な難病を克服して今は元気に大きくなって留学までできるようになった!マメはまだ私のひざの上で生きてるようにしか見えないがもうすぐお別れしなくちゃいけないと思うと涙が止まらない・・・。昔、肺炎にさえしなければと本当にマメに申し訳なくあやまってもあやまりきれず悔やんでも悔やみきれない・・・。泣いていてもしかたないのでマメを埋めるお墓に植える木を買ってこようと思い立ち亀岡八幡と延命寺にお参りをしてから逗子のお花屋さんに行きちょうど良い紅白梅と桃の木の両方を買ってきた。梅はもう花が終わっちゃったけれど桃のほうは濃いピンクの花がきれいに咲いている。今日3月9日は「サンキューの日」と呼んでいる人もいるようだ。そんな日に旅立ちを選んだのはマメらしい。雲のない青空はマメが笑っているように思えて私も空に「サンキュー♪」とつぶやいた。 さよならマメ 今までありがとう!
2011年03月09日
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昨夜も午前様だった夫は今日もまたバンドに行っちまったのでマメの介護とカメたちの世話を一通り終えた午後から金沢文庫で今日が最終日の「運慶展」へ行くことにした!横浜市大への通院のたびに「金沢文庫」(って駅名じゃなくて博物館+図書館)に行ってみたかったのに通院日がいつも休館日だったり時間が遅かったりで行けずにいた・・・。本好き勉強好きの北条実時が作った日本初の私設図書館が元になっている金沢文庫は北条氏の菩提寺「称名寺」の敷地内に作られている。このお寺も一度行ってみたいと思っていたところだったので今日は一石二鳥!テキトーに行ったのにあまり本数のないバスも合わせるように到着♪すぐにお寺の前まで着いた!門をくぐると仁王門までの道は横にお店なども並んで小さな門前町のような風情もあり。仁王門を超えると素敵なお庭が目の前に開ける。 称名寺「浄土庭園」平安中期以降に盛んになった「浄土曼荼羅」の構図に基づいて作られた美しい庭園・・・。白い梅の花も咲いていた!池のほとりの白梅寒空につつましく咲く梅のほうが桜よりも好きだなぁ・・・。運慶展庭園の左側にあるトンネルをくぐった先にある「金沢文庫」運慶展最終日の今日はかなりの込み具合だった。運慶作の仏像3点は厨子や台座からはずされて別々に展示してあったが確かに裏側まで良く見えるけれど本来はあわせておいたほうがいいんじゃないかなぁ・・・とも思った。仏像の中にはちょうど心臓のあたりに水晶玉が埋め込まれているそうだ。う~ん!納得!本当は浄楽寺所蔵の運慶の不動明王と毘沙門天が見たかったのだがこの2点はもう展示期間を過ぎてしまっていて残念・・・。昨年浄楽寺の御開帳の時に行きそびれてしまって後悔したがやはり本来あるべき場所で見るほうが良いということだろう。今年こそは行こ~っと!あまり時間がなかったが常設展もささっと見て北条氏の覇権と金沢界隈の歴史を再確認しなかなか楽しかった!称名寺のほうにもお参りに行きたかったので展示見学を切り上げて再び浄土庭園へ・・・浄土へ渡る橋?池の中央を貫く大きな赤い太鼓橋は階段になっていて安全に渡れるようになっている。本堂にお参りした後脇にある茅葺の立派な釈迦堂を見上げる。ものすごい厚い茅葺屋根と細めの御堂の絶妙バランスのフォルム!てっぺんには北条氏のミツウロコが刻まれておる~!ちょうど御堂にお参りした時に脇にいた柴ワンコがあまりにかわいくてめったにそんなことは言わないが「すみません~とってもカワイイのでお写真撮らせてもらっていいですか?」とお願いしてみると快諾してくださった♪そしてその後しばらくするとそのワンコちゃんと飼い主さんが釈迦堂の扉を閉めに行った・・・!ひえ~~もしかしてお寺のワンコなのか?!なんともありがたや~~♪思わぬ福ワンコとの出会いに感激しつつ素敵なお寺を後にした。この称名寺では5月に薪能を行うのでこれも昨年行けなかったから今年はぜひ行ってみたい!狂言にはあの野村萬斎が出るぞ~お寺での能は本来の姿。ホールで見るよりずっと幽玄な舞台となるであろう・・・!ヒマなうちにいろいろやることやらないと~~~(汗)
2011年03月06日
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今日は先日収録を終えていたテレビ朝日の番組のオンエア日だった。数人の友人たちにだけ直前に「万が一ヒマだったら見てみて~」とメール。妹にも教えるのを忘れていたのでメールすると下の妹も明日テレビに出るって言うからビックリ。仕事のことかなんかかと思ったら松本清張の映画「ゼロの焦点」にエキストラで出てるらしい(汗)「ヒロスエと共演~♪」・・・って共演ぢゃねーだろxxx花粉症で鼻水と涙ドロドロの顔が出てしまうかと思ったがなんとかうまくごまかしてくれたようだったけれど相変わらずの肉まんフェイス全開&年齢まで大発表・・・(汗)友達からは「ちょっとしか映らないのに年齢まで出すことないよね~~!」と私以上に不満の声が・・・(笑)しかしやはり長寿番組だけあって作りも安定していて良い番組になって良かった!なんせ主役のご夫妻が素晴らしいので私は脇役(お笑い担当)で足を引っ張っただけで終了・・・(汗)それでもしばらく連絡をとっていなかった友達からオンエア後にメールが来たりしてやっぱりかなり見てる人いるんだなぁ~~とうれしいようなコワいような・・・(汗)夫はバンドにいっちまっていていつまでたっても帰ってこない。しかたなくテレビでも見ながら待つことにしたがちょうどNHKで小野田寛郎さんのインタビュー特番にぶつかって見ていたらその壮絶な内容に圧倒されまくり・・・。フィリピンのルパング島で太平洋戦争終結後も30年間ずっと戦い続けた人である。「上司の命令がなければ撤退はできない」とどんな説得にも応じなかった小野田さんがやっと帰国しそのピンと伸びた背筋と黒く焼けた肌が飛行場に降り立った映像だけは私も幼心に記憶がある。数年前に収録され何度も再放送されている番組のようだったが今は本当に穏やかで優しいお顔つきの小野田さんが語る言葉はものすごい体験をなんでもなかったことのようにあっさりと語られる。本当に強い男というのはこういう人なんだなと笑顔で語る壮絶体験の一言一言にたとえようもない重みがあった・・・。戦争と孤島での極限状態を30年間過ごした小野田さん。救出されるのをただ待っていたのではない。諜報活動を継続しながらずっと戦闘状態にあったのである。やっと帰国してもしばらくすると全国から集まってきてしまった寄付を固辞して(自分は生きて帰ってきたのだからこれから働けばいいだけで お金を恵んでもらう必要はまったくない)戦死していった仲間を思い寄付を靖国神社へ納めると今度は軍国主義だと非難を受けてしまう・・・。やっと帰ってきた祖国なのにこのままではとても普通の生活はできないと判断してブラジルへ渡り借金をして一から牧場を開拓していく・・・。この時すでに50代!!それでも気象状況の判断力やどんな植物を植えると育つかなど予想をはずしたことはないと密林での30年間の体験が無駄にならなかったと笑顔で語る小野田さん・・・。なんというスーパーポジティブシンキング!状況に応じて即座に柔軟に適応する頭の柔らかさそしてその芯には高い誇りと譲らない信念が固く守られている。これだけ時代に翻弄させられながらひとつも時代のせいにしていない!すべて自分の人生として引き受け過酷な時代をねじ伏せてきている人である。そんな彼も昨今の子供達の悲しい状況には心を痛めているようだった。今は講演活動や子供達のための自然塾などをされておられるようで私も同じような危機感をもつ一人としてこの貴重な体験を持った人生の先輩の言葉を一人でも多くの人たちに共感してほしいと願うばかりである・・・。【送料無料】小野田寛郎の終わらない戦い価格:1,470円(税込、送料別)飢餓状態を経験した人の目つきはこういうギラギラした光を放つ・・・。今の穏やかなお顔も素敵だが・・・。「人生の楽園」という番組に出てしまった私だったが本当の楽園というのは「自分の力で作る場所」にしかないということを小野田さんの貴重なお話をうかがってあらためて強く感じさせられた・・・。あ~~自分がまったく恥ずかしい限りであるxxx(汗)
2011年03月05日
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