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2006.01.09
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『日本国憲法誕生の序曲』

 大日本帝国憲法の改正は日本政府と総司令部では開きがあった。
 日本政府は変更したくない、総司令部は主権が天皇から国民(人民)に移る事を要求した。

 日本政府が総司令部の要望(「象徴天皇制」「人民の主権」「戦争の放棄」)に応じたのは、
 「極東委員会」により「天皇の安泰」の保障が困難になるとのマッカーサーの主張の為だった。

 憲法改正時のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の最高司令官は
 ダグラス・マッカーサーだが、米国と連合国の管理下にある。
 「極東委員会」は米・英・ソ・中などによる対日占領政策の最高決定機関で、
 マッカーサーも無視できない。

 既成事実として「極東委員会」の介入が始まる前にしておかなければならない事があった。

 マッカーサーは1946年2月15日に極東国際軍事裁判所の裁判官と裁判長を任命した。
 4月29日には極東国際軍事裁判「起訴状」を発布。

 マッカーサーは幣原内閣に2月22日、GHQ案に沿った憲法改正を行う事を了承させる、
 3月6日に「憲法改正草案要綱」が公表され、マッカーサーは全面的に支持すると声明。
 (「極東委員会」の承認を取っていないと思える、GHQは日本が独自で行ったのスタンス)

 天皇を守るためには、極東国際軍事裁判と日本国憲法をある程度進めておく必要があった。
 また「極東委員会」や「米国政府」を納得させる極東国際軍事裁判・日本国憲法が必用だった。

 天皇・皇族は裁判に起訴される事も出廷する事もなく、日本国憲法で地位を保障された。

 天皇を守ったのは日本国政府ではなくはマッカーサーだったと思える。
 何のためにマッカーサーは天皇(天皇制)を守ったのか、論理的帰結だったのか?



●大日本帝国の降伏から日本国憲法の誕生
 (「資料で考える日本国憲法/法律文化社」による)

○1945年10月04日:
 マッカーサーは近衛文麿国務大臣(東久邇宮内閣)に対して、
 「憲法は改正を要する。改正して自由主義的要素を十分取り入れなければならない」

 近衛と佐々木惣一博士(京都大学)は11日に内大臣府御用掛に任じられ、
 憲法改正案の作成に取りかかった。
○1945年10月11日:
 マッカーサーは幣原喜重朗内閣に対して、帝国憲法を根本的に改正するよう指示した。
○1945年11月01日:
 占領軍総司令部は、「近衛は連合軍当局から憲法改正のために選ばれたものではない」と声明。
○1945年11月23日:
 近衛案が上奏された。
○1945年11月24日:
 佐々木案が上奏された。
○1945年12月08日:
 松本烝国務大臣(憲法問題調査委員会委員長)は「松本四原則」を衆議院予算委員会で発表。
 (「松本四原則」:天皇が統治権を総攬する帝国憲法の基本原則変更しない等)
○1946年02月08日:
 「憲法改正要綱(松本案、甲案):天皇主権」が総司令部に提出された。
○1946年02月13日:
 総司令部は「憲法改正要綱(松本案)」を拒否。
 「総司令部案:人民主権」が日本政府に渡され、最大限取り入れた新憲法草案が要求される。
○1946年02月18日:
 日本政府は総司令部の再考を求める補充説明書を提出。
 総司令部は再考の余地なし、
 2月20日までに総司令部案に沿った日本政府案を作成するかの回答を求め、
 回答がない場合は総司令部案を直接国民に発表すると迫った。
○1946年02月19日:
 閣議の結果、幣原首相がマッカーサーに意志を確認し回答を22日まで延期を求める事となる。
○1946年02月21日:
 マッカーサーは幣原首相に「象徴天皇制」「人民の主権」「戦争の放棄」が総司令部の要点、
 取り入れない場合はやがて始まる「極東委員会」で「天皇の安泰」の保障が困難に成ると強調。
○1946年02月22日:
 閣議で幣原首相は総司令部の意向を受け入れないと
 「さらにもっと大きなものを失うおそれがある」
 と、総司令部案に沿った憲法草案が作成されることが決められた。
○1946年03月04日:
 「3月2日案」が総司令部に提出された。
 「3月2日案」は総司令部案を帝国憲法よりにして「人民主権」を曖昧にしたものだった。
 総司令部との「共同研究会」が設けられ、「最終案」が3月5日に完成。
○1946年03月06日:
 「憲法改正草案要綱」が公表され、マッカーサーは全面的に支持すると声明した。
○1946年04月17日:
 日本政府は「憲法改正草案要綱」を条文の形に整えて発表。
 民間有志の要望で文語体を平仮名・口語体に変更された。
○1946年11月03日:
 日本国憲法の公布
○1947年05月03日:
 日本国憲法の施行





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最終更新日  2006.01.09 16:03:13
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