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2015.07.19
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カテゴリ: 閑話休題
 「キングダム/原泰久」の39巻は2015年7月に発売された、とりあえず全巻そろっている。

 秦で王号が採用されていたのは恵文王から政(始皇帝)の途中まで(+子嬰)、王の治世は
 恵文王:前338-前311、武王:前311-前307、昭襄王:前306-前251、孝文王:前250、荘襄王:前249-前247、秦王政:前246-前221、<皇帝の治世>、子嬰:前207

 皇帝の治世は
 始皇帝:前221-前210、二世皇帝:前209-前207

 昭襄王と秦王政の治世の間には2人の王がいるが期間は5年、秦王政は25年間王であり統一後に皇帝になっている、前漢の初代皇帝である高祖(劉邦)が皇帝に即位したのは紀元前202年、三国時代を経て司馬炎が西晋の初代皇帝として即位するのが紀元後である265年、卑弥呼が登場する三国史(魏書に魏志倭人伝が記されている)の著者は西晋の陳寿。

 39巻では「加冠の儀」の最中、秦王政の成年式で各国へのお披露目も行なわれている、「ロウアイの乱」の黒幕は呂不韋の設定になっている。
 呂氏四柱の昌平君が呂不韋と袂を分かつ事を表明し「ロウアイの乱」を鎮圧する、昌平君は楚の公子で人質として秦に赴いている。

 「キングダム/原泰久」は原泰久氏による創作物であり、歴史の定説との違いは重要ではなく「キングダム/原泰久」の世界を楽しめばよいと思う。




 主人公は李信と秦王政、他の登場人物も丁寧に描かれている、また必ずしも勧善懲悪ではない所が面白い。

 「東周英雄伝/鄭問(著), 徳田隆(翻訳)」では、王翦(王賁の父)の扱いが「キングダム/原泰久」とは異なっている。
 また、「王翦/ウィキペディア」では、「紀元前223年(始皇24年)、(王翦は)蒙武と楚を攻める。楚王となった昌平君は戦死し、項燕は自殺した。」
 「項燕/ウィキペディア」によれば「紀元前225年、秦の武将李信が20万の大軍を率いて楚に進攻したが、楚の大将軍項燕はこれを破り、秦軍はほとんど全軍が覆没した。」

 原泰久氏はどのように料理するのか、現在の不安材料として秦王政を完璧な人間として描きすぎているように感じる。

 また、呂不韋と秦王政の対話(39巻)では、経済による支配を広める事を主張する呂不韋に対して、秦王政は武力による統一で戦国時代を終わらせる事を主張、人間の本質は光であり呂不韋の主張は人へのあきらめだという。

 呂不韋の考え方は大東亜共栄圏とEUが混ざったような方向性と思う(ただ始皇帝は統一後に各国貨幣の統一を行なっている)。
 呂不韋の考えは楚以外の国を秦国に従属させるのが前提ではないか、「キングダム/原泰久」では「合従軍」は呂不韋の野望に各国が対抗したものであり、李牧(趙)・春申君(楚)の認識が存在している、秦の昌平君の発案のように書かれているが昌平君は呂不韋四柱の一人であり呂不韋の承諾が得られていたと考える。

 呂不韋は最も魅力的な人物として取り上げられている、また呂氏四柱の4人(蔡沢、昌平君、蒙武、李斯)は秦国の出身ではない、史実として呂不韋失脚後も秦王政は彼らを重用する、始皇帝が偉いのか呂不韋が偉いのか。

 勝手な要望として、始皇帝といえば徐福(徐市)・長生不老(不老不死)があるが使ってほしくない、焚書坑儒や韓非(「韓非子」の著者)は正面から取り上げてほしい。





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最終更新日  2015.07.19 23:08:21
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