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日曜日にフリマで買った毛糸。極太と中細が交互になる変わり毛糸で2玉分。残念ながらストールになるほどの量はなかったので、単純にマフラーを編みました。 上の玉の状態のがほんとの色。 携帯のカメラではどうも紫が上手く出ません。 花は、芯が黄色で花びらが白のモヘア。 ちゃんとした色で写真が撮れたら、差し替えます。 ほんとはもっとずっと可愛いんだもん。
January 30, 2008
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心酔する童画家、初山滋 原画展へ行きました。会場は練馬区石神井にある いわさきちひろ美術館。 言葉にできません。画家のあまりの感性と才能に神様の存在を感じずにはいられず、目の奥につんとこみ上げるものを堪えながら見ました。大袈裟 ? いえいえ、本当に。何時間でも見ていられる、と思いました。・・・・・ この絵の1枚でもいいから自分のものにできたら、と思わずにはいられませんでした。物心付いた頃には家にあった、『 岩波のこどもの本 』。中でも、『 おそばのくきはなぜあかい 』 と 『 ききみみずきん 』 は大、大、大好きでした。初山氏の手になる挿絵をどれほどの時間眺めたことか。これらの本は、大人になってもずっと私の宝物です。しかし初山氏の絵に神様を感じるのは、郷愁とは関係がありません。幼い頃の思いと繋がっていなくても、初山氏の絵にはどうしようもなく心を揺さぶられます。以前このブログで 初山滋氏の経歴、作品など紹介 しているので、それも読んで頂けると嬉しいです。美術館にあるショップで何冊か本を買うことができました。初山氏の画集や何冊かの欲しかった絵本。特に 『 小川未明童話集 』 の挿絵集 ( 上の画像 ) と、『 子ども旧約聖書 』 の挿絵集はとても嬉しいです。その他、武井武雄の画集と、岡本喜一の画集、それから上に書いた岩波の 『 おそばのくきはなぜあかい 』 と 『 ききみみずきん 』 も持っているのに買いました。持っているのは、私が子供の頃から読んで読んで読み倒した本でぼろぼろなので、保存版として綺麗なのをつい欲しくなって。 初山滋展が31日までと終了間近なためか、いわさきちひろに人気があるためか分かりませんが、平日日中にも関わらずなかなかの人出でした。
January 29, 2008
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一日中雪でした。たかをくくって先延ばしにしていたタイヤ履き替え。タイヤを預けているお店に行って交換してもらいました。仕事で遠出をするので必要だったのですが、お店までつるつるのタイヤで行かなければならず、慌てました。 我家の子供たちが卒業した小学校。 ちょうど休み時間だったようで、子供たちが歓声をあげて遊んでいました
January 23, 2008
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日本画家、片岡球子さんが亡くなったと、今朝の新聞に。103歳であられました。大、大、大好きな画家さんです。昨年9月の日記でも球子さんの富士山の絵を紹介しましたが、富士山を見る度に球子さんを思うのです。片岡球子さんとは。知っていたこと、今回の新聞記事などから。 札幌市内の裕福な造り酒屋の長女として生まれるも、画家を目指して上京、女子美術 専門学校 ( 現・女子美術学校 ) へ進学、1926( 大正15・昭和元 )年卒業。 卒業後は横浜市内の尋常高等小学校に教師として勤め、画家志望に反対する両親が 勧める縁談を断り、勘当を受けながら画業を続けます。 帝展 ( 現・日展 ) に3度落選、1930( 昭和5 )年、第17回日本美術院展 (院展) に 『 枇杷 』 で初入選、1933年、同展に入選するも、その後何回も落選。 「 落選の神様 」 と呼ばれます。 「 落選がうつる 」 と画家仲間から道の反対側を歩かれたとか、落選作品には赤札が 貼られるため、赤恐怖症になったなどのエピソードも残ります。 1939( 昭和14 )年第26回院展に 『 緑陰 』 が入選し院友に推挙され、以後は毎回 入選し順当に評価されるようになります。 型破りな構成、大胆な色使いなどにより、当初は 「 ゲテモノ 」 とも評されましたが、 持ち前の負けん気で信念に従った創作を続け、従来の日本画の概念を揺るがすような 力強さとユーモアを持った独特の画境を確立しました。 『 富士山 』 シリーズ、60歳を過ぎてからのライフワーク 『 面構 ( つらがまえ )』 シリーズでは 特に高い評価を受けています。 1976 ( 昭和51 )年勲三等瑞宝章、1982年日本芸術院会員、1986年文化功労者賞、 1989 ( 平成元 )年文化勲章を受章。 まさに巨匠であり、気骨ある明治生まれの最後の女性画家でした。「 北海道の大地のような、でっかい、 人が私の絵を見たら息が詰まるというような、 そういう迫力の絵を描きたい 」 と若い頃に語られたということです。まさにそういう絵でした。私は若い頃、球子さんの作品紹介とインタヴューで構成されたTV番組を見ました。もちろん作品に衝撃を受け感動しましたが、インタヴューでも大変強い印象を受けました。エネルギーに満ち溢れ豪快で飾り気のない、それでいてユーモアのある方でした。それ以来のファンなのです。展覧会へ足を運び、画集も大切に持っています。( 絵を買うことはもちろんできませんが )ご冥福をお祈りします。
January 22, 2008
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今月のネコタン。 ↑ プリントゴッコの箱と ↑ だるまさんと ↑ ゴーフルの箱 ↑ 「 ありがとうございます 」 ↑ お顔ないない番外。 ← 妹の家のネコタン (♀) 更に番外。 昨日見かけたワンコ。 自分のお家 ( 多分 ) の屋根のてっぺんに凛々しく立ってあたりを睥睨する姿が あんまり可愛かったので、写真を撮らせていただきました。 お他所のワンコだけ載せるのも何なので、うちのワンコ。
January 21, 2008
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初雪。 ←うちのワンコ 息子にメールを出しました。「 雪が降ったよ。そっちは ? 」すぐに返事。「 ほんの少し降ったらしいよ。 19日のレギューラーは調整に入ってて朝錬なかったから、おいらは見てないけど 」19日は、いよいよ全国選手権県予選。頑張れ。頑張れ。その19日は、センター試験初日でもあります。頑張れ。頑張れ。
January 17, 2008
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予備校から帰ってくる娘と待ち合わせて夫と3人で、恒例、だるま市へ行きました。先ず地元の氏神さま神社で、去年買っただるまさんと、人から頂いたのやそれ以前の焼きそびれただるまさんを全部お焚き上げして頂きました。それから急な階段を上って本殿に初詣を兼ねたお参り。絵馬に、娘の志望大学合格と息子の三冠 のお願いを書いて札所に掛けてきました。 それから市の並ぶ街道を、だるまさんを物色しながらぶらぶら歩き。生憎の小雨模様で、街道も神社も例年より人出は少なめ。残念ながら、だるまを売る店も少なかったようです。だるまさんは紙の張子だからね。売られているだるまさんは、小さいのは高さ3cmくらいのから大きいのは5、60cmくらいのものまで。赤いのがメインですが、最近は、白、緑、黄色、ピンク、金、銀などのも売られています。それぞれご利益が違うことになっていて、白色は、学業成就 すなわち 合格桃色は、恋愛成就などはどの店も同じなのですが、その他は、お金、安産、勝負事など、どの色が何ってばらばらで、まあちょっとこじつけっぽい。店によって、だるまさんの顔もまるで違います。鼻の高さ、目の大きさ、おでこの出加減、顎の長さ、顔色 ・・・・ 髭の形に至っては誠に千差万別。とにかくそういうだるまさんを山のように積んだ店が、街道沿い1kmくらいにずらりと並んで、おじさん、おばさん、兄ちゃん、姉ちゃんが大声で「 おねえさん、おねえさん、ねえ、そこの綺麗なおねえさん、見てってよ 」「 まけるよ、まけるよ、大まけだよ、こっち来てよ 」などと叫んでいます。買う側は思いっきり値引き交渉をすることになっているようです。 たこ焼きやらチョコバナナといった屋台もたくさん出るので、子供が小さい頃は、小さいだるまさんを買って、お祭り気分でぶらぶらしたものです。息子が中1の冬、この市の1週間後に行われる東京都大会に向けて闘志めらめら、ぎんぎんに気持ちを張り詰めていたので、私たち親は「 んじゃひとつ、でっかいだるまさんでも買って、お願いしよう 」と半ばふざけて高さ20cmほど、3000円くらいの我家としては画期的に大きなだるまさんを買いました。その東京都大会で優勝。当時は誰も予想だにしない、驚きの結果でした。「 これはこれは、なんというご利益 」と私たちはだるまさんに目を入れました。息子は、「 おいらのお手柄なのにぃ ・・・・ だるまさんのお手柄じゃないのにぃ ・・・・ 」と拗ねてましたが。そのだるまさんは次の年、初めてちゃんとお焚き上げして頂きました。息子は、「 おいらのだるまさん、燃えてるところ 」 と携帯で写真を撮って。 その時の写真“ おいらのお手柄 ” なのはもちろん百も承知でしたが、こういう縁起ものって、一度ちょっとでも “ ご利益あったかも ” みたいな気がしちゃうと止められないもののようです。それ以来毎年大きなだるまさんを買ってしまいます。ご利益 ?そうねぇ、あったと言えるのではないかしら。さて今日は。大きなだるまさんを二つと小さなだるまさんを三つ買いました。大きいののひとつは、いつもと同じ赤いだるまさん。息子の ” 三冠 ” を願って。 小さくて赤い、起き上がりこぼしになっているのは、息子がこっそり寮の机の上にでも置けるようなのを。大きいののもうひとつは、白いだるまさん。お腹に大きく ” 合格 ” と書いてあるの。もちろん娘に。で、あとの小さい二つは父母の家と妹の家に。 ” 身体安全 ” というのを。 娘はよーく見て、好みの顔のだるまさんを選びました。鼻が高すぎず、( 顔が真っ白で髭が濃いから、鼻が高いと外国人みたいに見えるのよ )眉が濃すぎず、( 濃すぎるとおやじっぽいので )、少したれ眉なのが多い中で、勇ましい表情をした顔。んで、 ” 合格 ” の文字が太くて力強いのを。 ↑ これが今日選んだだるまさん ↓ ちなみにこちらが去年のだるまさん ね、ずい分顔が違うでしょう この地のだるま市について去年調べたものを転記します。 この市のだるま市の起源は、文禄5年 ( 1596年 ) 室町時代に起った 『 六斎市 』 ( 毎月6回、2と7のつく日に街道で開かれた、織物を主とした物々交換市 ) とも、 嘉吉元年 ( 1441年 ) から開かれた市ともいわれます。 市ではもともと産業の中心であった養蚕の繁栄を祈り、『 まゆ玉 』 ( 米粉を繭の形に 団子にしたもの ) を笹の枝にいくつもつけたものが売られていましたが、約180年前 から縁起物としてだるまも売られるようになりました。 戦後、化学繊維の台頭にこの地場産業は衰退し、昭和20年代の終り頃にはまゆ玉は 姿を消し、『 だるま市 』 としてだるまだけが売られるようになりました。 達磨は本来仏教文化ですが、この達磨人形は、『 神仏混淆 ( しんぶつこんこう ) 』 といって、神社仏閣とは関係がありません。 このため他のほとんどのだるま市が神社や寺の境内で行われるのに対して、ここの 市は街道で開かれます。 近年になって古い達磨の処理に便宜を図るために神社の境内、鳥居の前に注連縄を 張ってお焚上げ所が設けられ、『 お焚上げ 』 を行うようになりましたが、神仏混淆で あったことの名残で、神社と関わることに違和感はないということです。 この達磨人形は江戸達磨とも呼ばれ、東京では多摩地区でしか製造されていません。 製造は完全に家内制手工業で、1月から3月に販売し、その後は翌年分を製作します。 張子の達磨を作り、ひとつひとつ手描きで顔や模様を入れるので、店によって、更に ひとつひとつ微妙に顔が違います。 眉毛は鶴、頬髯は亀、顎鬚は富士山 をモチーフにしているということです。20年近く住んで、私も知りませんでした。鶴、亀、富士山。
January 12, 2008
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