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お目出度い席では「終了」と言わずに「お開きにする」とか、結婚式のスピーチで「切れる」、「終わる」というような言葉を入れないように配慮したりします。これらは穢れのある言葉を口にすると良くないことが起こるという言霊信仰によるものです。言霊信仰についてはこちらをご参考下さい。このように、神道においても、清浄を尊ぶことから穢れを避けるために別の言葉に置き換える、いわゆる『忌詞』というものがございます。宮中や神社などの祭事に奉仕する者や参列する者が、その神事の特定の期間と場所で、神事において忌みを嫌う日常語に代えて、神事が清浄の状態で執行される為に、特別に用いられた言葉のことです。特に「死」や「仏」に関する語が忌み嫌われました。その言葉を口にするだけで、穢れてしまう…という考えから、どうしても話さなければならない時に他の言葉に置き換えて話したのです。~『延喜式』神祇に記載されている、伊勢神宮の斎宮忌詞~内七言(仏教関係) 仏・・・中子経・・・染紙塔・・・阿良良岐寺・・・瓦葺僧・・・髪長尼・・・女髪長斎・・・片膳外七言(仏教関係外)死・・・奈保留病・・・夜須美哭・・・塩垂血・・・阿世打・・・撫宍・・・菌墓・・・壤別忌詞堂・・・香燃優婆塞・・・角筈民間でも山詞、沖詞、正月詞、夜詞などがあり、日頃神や神霊の存在を念頭に生活している人々にとって、忌詞は重視されていました。今日では「アタリメ(するめ)」や「エテ公(猿=去る)」「数字の4をと読まずにとか」などの忌詞が日常語として使われている例もあります。
2006年02月26日
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今日は「雷記念日」と呼ばれる記念日の日です。930年(延長8年)の今日(6月26日)に平安京の清涼殿に落雷があり、大納言の藤原清貴が亡くなりました。この落雷は政治的な策略によって太宰府に左遷されそこで亡くなった菅原道真のたたりであると信じられ、道真公の学者としての名誉を回復し、学問の神とされ、またこのことで菅原道真は雷の神「天神」と同一視されるようになりました。「天神=学問の神」として菅原道真公がお祀りされるようになったきっかけの日なのです。ここで、菅原道真公の生い立ちをご紹介いたしますと・・・菅原氏は、古代豪族の土師氏の出身で道真公の曾祖父古人公が、土師を菅原と改姓するとともに、文道をもって朝廷に仕える家柄となったのです。時代は、嵯峨天皇の時代を頂点として、「文書経国」すなわち学問を盛んにして国を造るという方針のもと、唐風の文化の最盛期を迎えていました。道真公は清公公、是善公と続く文章博士(代々学者)の家系に生まれました。母は、少納言伴(大伴)氏の出身です。わずか5歳で和歌を詠み、10歳を過ぎて漢詩を創作し、幼い頃よりその希な文才をもって、神童と称されました。18歳で文章生(律令制度の国家公務員試験の科目のひとつ「進士」の試験に合格)、23歳で文章得業生(上級の「秀才」に合格)、26歳でついに方略式に合格し、30歳の頃、島田宣来子を妻に迎え、33歳で式部少輔、文章博士となり、学者としては最高の栄進を続けました。一時、讃岐守という地方官へまわされましたが、そこで、むしろ慈父のごとき善政を行い住民に慕われたのです。京へ戻ると宇多天皇の厚い信任を受け、蔵人頭などの政治の中心で活躍しました。50歳の時には、唐の国情不安と文化の衰退を理由に遣唐使停止を建議し、中国に渡ることはありませんでした。そして、55歳で右大臣、そして、ついに、延喜元年1月7日、藤原時平とともに従二位に叙せられましたが、そこで政治的な暗闘、学閥の抗争の黒い渦に巻き込まれてしまったのです。道真の異例の出世が、権力者藤原氏の鼻につき、延喜元年(901)藤原時平の讒言によって失脚し、北九州の太宰府へと左遷されてしまったのです。都を去るとき、道真は「東風吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」と詠みました。その道真の愛した梅が、あるじを慕って一夜にして京都から太宰府に飛んできたという”飛び梅”の伝説は有名です。大宰府では、左遷というより配流に近い窮迫の日々を送りながらも、天を怨まず国家の安泰と天皇さまの御平安をお祈りし、ひたすら謹慎され、配所から一歩も出ることはなかったようです。劣悪の環境のなかで健康を損ない、道真公を京で待っているはずの夫人の死去の知らせが届くと、ますます病は重くなり、太宰府に赴任して2年後の延喜3年に無念の思いを残しつつ、延喜3年(903)2月25日、白梅の花びらが散るように亡くなったのです。延喜5年、門弟によってその墓所に立てられたのが太宰府天満宮であります。ところで、雷が鳴ると「くわばら、くわばら」と昔から言いますが、この「くわばら」という言葉を唱える所以は諸説あります。この「菅原道真公」にも関係している説があります。雷により菅原道真が今日(6月26日)に平安京の清涼殿に落雷を起こし、これが道真公のたたりとすることより道真公の出身地が桑原で、そこには雷は落ちないという・・・。それにあやかって「くわばら、くわばら」と呪文を唱えると、雷が落ちないという説があります。雷は古語では「いかづち」といいました。語源は「厳つ霊」であり、「厳めしい」「怒り」の「イカ」と同じであるから、「怒った霊」ということになります。まさに、道真公の「怒り」の「霊」が「いかづち=雷」ということになります。全国の菅原道真を祀る天満宮では、この時期に“雷除大祭”が開催され、大正中期には、全国電気工事従業者が工事安全祈願をされるようになってからは、電気関係(電カ会社等)の崇敬も篤くなり、近年では雷を避けたいゴルファーや釣り人の間でも信仰が広がっているそうです。
2006年06月26日
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本日は冬至で、一年で最も昼が短く、夜が長い日です。日本では昔から冬至の日に「冬至かぼちゃ」を食べて「ゆず湯」に入る慣わしがあります。 「冬至かぼちゃ」を食べると病気にならない、長生きするなどといわれる他、厄除けや金運を祈願する意味もあるようです。 現在は季節に関係なく野菜が供給されていますが、昔は収穫時期を終えて不足していたため、栄養があって保存もきくかぼちゃは貴重な栄養源でした。これが冬至かぼちゃの始まりとなりました。 かぼちゃには肌や粘膜を強くし、感染症などに対する抵抗力を高める成分が含まれてます。 「ゆず湯」は風邪を防ぎ皮膚を強くするといわれています。これはゆずに含まれる成分によるもので、新陳代謝を活発にして血行促進や鎮痛・殺菌作用、そして美肌効果や、香り豊かなのでリラックス効果もあります。 ゆず湯は「冬至」と「湯治」をかけて、さらに「ゆず」も「融通がききますように」という願いが込められおり、一種の願掛けの意味もあるそうです。 冬至は二十四節気の一つで、春分・夏至・秋分などもあります。その一つに立春があります。立春の前日には節分が全国的に行われております。当社でも『節分祭特別参拝』(2月1日・2日・3日)を執り行います。節分祭特別参拝については改めてお知らせ致します。
2005年12月22日
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今日は御祭神の一柱「瓊々杵尊」についてのお話を致します。「瓊々杵尊」は、稲穂の神(穀霊)であり、主に農業の神、五穀豊穣の守護神として御祀りされています。瓊々杵尊は「天孫降臨」神話の主役です。「古事記」には本名「天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸尊」
2006年03月17日
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警蹕って、一体何のこと・・・?と思われるかも知れませんが。今日は祭典中に神職(神主)が「オー」と声を発する「警蹕」についてお話したいと思います。祭事に参列されている方から、以前、「何の為に『お~』と声を出しているのか。きっと何か理由があってのことだろうが、何でか教えてくれないだろうか・・・」と聞かれたことがありました。警蹕とは、祭事では御扉(神様のいらっしゃるすぐ前の扉)の開閉時に、又、身近な祭事では地鎮祭などの降神・昇神の際などに神職が発する「オー」という声です。「あの「おー」という声を出すことで、神様を呼んでいるのか?」という質問も以前聞かれたことがあります。神様に発するというよりは、むしろ参列者に発せられているのです。「警蹕」の「警」には、「警戒する」という意味があり、「蹕」には行く人を止めるという意味があります。もともと「警蹕」とは、天皇のお出ましや貴人の通行の際、人々が不敬の行為をしないようにと先払いが声をかけて注意をし、警戒するというのが本来の意味です。天皇の出御の際や、天皇のもとに御膳を運ぶ時、また貴人の通行の際などに「おお」「しし」「おし」「おしおし」などと言いながら、先払いするのです。「みさきばらい」「みさきおい」「けいひち」とも平安言葉では言われています。分かり易く、例えると、時代劇などで将軍や身分の高い人が通る際に「したにぃ、したに」などという掛け声をかけながら歩いている様子を見たことがありませんか?まさに、その「したにぃ、したに」の声かけが、神事の際の「お~」という声と同じ意味合いなのです。このことが神事においても、取り上げられ、警蹕の間には神職も参列者も頭を下げて敬礼するようになりました。「警蹕」の発声は一般的に「お」または「を」の音を長くのばすものとされています。
2006年09月04日
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平成26年度 烏森神社節分祭特別参拝の御案内 2月1日・2日・3日の3日間に限り「節分祭特別参拝」を行います。社殿の中にお入りになり「開運・幸福の鈴」でお祓を受けた後、ご参拝頂きます。参道「Bonne Chance烏森」にて、「清めの神露」をお召し上がりいただきます。節分祭特別参拝の授与品として、写真の福豆をお受け頂きます。どうぞこの期間にご参拝頂き、開運招福を祈願致しました授与品をお受け頂きますよう御案内申し上げます。 ※ご参拝作法は二礼二拍手一礼です。~特別参拝日時~2月1日 10時~18時2月2日 10時~17時2月3日 10時~19時※節分当日の3日 15時から責任役員・総代参列のもと節分祭を執り行います。この間は、鈴祓はお待ち頂くことになります。 初穂料1,000円 授与品 開運招福祈願「干支伴天」・福豆1 初穂料2,000円 授与品 開運招福祈願「干支伴天」・福豆2 開運・厄除け御守 恵方開通護符 授与 ※尚、申し訳ございませんが、授与品には限りがございます。 ~鈴祓について~当社の御祭神のひと柱「天鈿女命<あめのうずめのみこと>」が神話(天の岩戸)にて「鈴」を持って舞ったといういわれから、それに倣い「鈴祓」を行っております。~恵方開通護符について~その年の恵方(歳徳神様のいる方位)から、幸運を通し開き、より一層のお力を頂けるよう御祈願した護符です。立春の日(2月4日)に恵方にお貼り下さい。↑節分祭特別参拝の紹介動画です。
2014年01月20日
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普通の御祈祷(厄祓い祈願)はちょっと、、、初穂料も、時間も気になるな、、、という方に・・・日程・時間内にお越しいただければ、予約なしで御社殿にてお祓い、参拝して頂けます。2月1・2・3日の節分特別参拝に起こし頂き、御守・鈴祓い・福豆などの授与品をお受け下さい。※初穂料1500円より(厄年御守+鈴祓い+福豆などの授与品込)
2014年01月21日
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烏森神社本社神輿渡御を仕える為に、地元新橋を中心に組織された神輿の会。「志ん橋烏森 皐月會」二年に一度の本社神輿渡御を「め組」と共に仕切っております。※「め組」…今からおよそ280余年前、最初江戸市中に「いろは四十八組」の町火消が江戸に設けられた。当社氏子地域は「め組」の持ち場であります。「め組」に関しては、後日UP致します。「皐月會」は30年を越える歴史があり、後久氏が現在、5代目の会長として務めておられます。神社の諸々の行事に脇を固め、お手伝いいただいております。元旦、当社に初詣なさる方々に「甘酒」の無料接待を行っております。本年も元旦午前零時より、甘酒の無料接待を予定しております。(午前零時より午前1時半頃まで)
2005年12月06日
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~「大豆」~日本では漢字で「大豆」となるわけですが、これは「大いなる豆」の意味から付いたとされています。ここでの「大い」は第1番目のという意味で、大豆は1番目の豆という訳です。 奈良時代に書かれた日本最古の歴史書「古事記」にも「豆」という字が記されています。当時、大豆は特別な食物だったようで、一般には普及していませんでした。平安時代の漢和辞書では大豆は「万米(まめ)」 、黒豆は「久呂万米」 と記され 大豆は味噌の原料に黒豆は薬に用いられる豆と考えられていたそうです。 昔から大豆は穀物として重宝され、霊的な力が強いとされてきたので祭礼などの行事に頻繁に用いられました。全国に大豆にまつわる俗信があるそうで、大豆を囲炉裏で焼き1年の天候を占う「豆占い」というのもあります。豆まきの豆で重要なのは、「煎り豆を使う」ということです。万一、生豆を使って、拾い忘れたものから芽が出ると良くないことがある、といわれから「煎り豆」をまくのです。日本の大豆の中でも、甘さと風味で折り紙付きなのが薄緑色をした北海道産の『袖振大豆』です。緑色に近い綺麗な大豆です。量販店で売っている様な黄色い大豆とは見た目は勿論、風味、味ともに大違いです。香りが良く、風味が強く、こくのある味で定評がある大豆の種類です。農水省の「2001年度国産大豆品種の品質評価結果」によりますと、北海道産10品種99年、2000年度産平均の成分分析で全糖が23.5%と最も高い数値でした。甘みのある「袖振大豆」は新潟では「菓子豆」とも呼ばれる位と聞きます。この「袖振大豆」はその名の通り、昔「豆まき」の際、着物の袖を振って豆をまいたことから、「袖振大豆」という名になったとも、言われています。当社の福豆はこの「袖振大豆」をお入れしています。
2006年01月30日
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参道掲示板の横に、大きな奉納板が出来ました。これから、電灯などが入る予定です。~現在の様子~現在、奉納板にはご奉納頂いた方のお名前は勿論ですが、例大祭のポスター他、例大祭の役員、神輿渡御委員、各町会の神輿責任者・警備の方のお名前などが掲示されております。
2008年04月21日
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7月20日(木)・21日(金)と「新橋こいち祭」が今年も開催されます。詳しくはコチラをご覧下さい。このこいち祭の当社社名が入ったうちわが出来上がりました。このお祭は神社の祭礼とは直接関係ありませんが、新橋の街をあげてのお祭りです。今回で11回目のこいち祭は、毎年大勢の人たちで大変賑います。会場の駅前SL広場、櫻田公園などの屋台では、色々な種類の屋台が出てお祭気分を存分に味わえます。尚、当社境内では「JassinTokyo」さん主催のライブが予定されております。
2006年07月15日
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現在、社殿上、右の掲示板と参道の掲示板にはH16年度のものとH14年の大祭のポスターの掲示をしております。本年度のポスターについては現在、作成中でございます。出来次第、御案内致します。参道掲示板の横には奉納板を設置。~神輿渡御に関して5月5日~「本社大神輿」「氏子神輿」「女神輿」の三基にて宮出、新橋駅(ニュー新橋ビルの周りを一周。宮入に関しては「本社大神輿」の宮入の前に「氏子神輿」が先導神輿として宮入予定。本年度より「氏子神輿」の蕨手に「烏」が付きます。
2006年03月14日
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茅の輪守り 初穂料1000円(※茅の輪守りを受けられた方に、清め菓子「水無月」の引換券をお渡ししております。)清め菓子 水無月 について・・・水無月とは、古くから六月に食べられている和菓子です。夏越の大祓と深くかかわり、邪気と暑気を祓うという意味が込められています。当社お休み処「色ごよみ」にてお出ししております、「水無月」は特製のもので、市販されております「水無月」とは一味違います。 ~境 内 の 様 子 ~毎日、夜遅くなっても、茅の輪をおくぐりになり、ご参拝される方が 多くいらっしゃいます。形代は、賽銭箱横の掲示板のところにございます。
2009年06月18日
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日本では、旧暦6月を水無月と呼び、現在では新暦6月の別名としても用います。水無月の由来には諸説あり、文字通り、梅雨が明けて水が涸れてなくなる月であると解釈されることが多いのですが、逆に田植が終わって田んぼに水を張る必要のある月「水張月」「水月」であるとする説も有力です。他に、田植という大仕事を仕終えた月「皆仕尽」であるとする説、水無月の「無」は「の」という意味の連体助詞「な」であり「水の月」であるとする説などがあります。「な」を「鳴」とし、水の力が鳴り出し、鳴り響く月の意とし、水の力で物事を成らしめ、物事を新たに生みだし、物事を為さしめるのが水無月であるとする説などもあります。○「水無月」の異称○風待月、常夏月、鳴雷月、建末月、水月、未月、旦月、季月、伏月、遯月、焦月、涼暮月、松風月、松風月、風待月、鳴雷月、弥涼暮月○旬の魚○鮎、鯵、穴子、いさき、かつお、きす、鱧、鱒○旬の野菜・果物○かぼちゃ、しゅんぎく、ピーマン、かぶ、キャベツ、きゅうり、さやいんげん、さやえんどう、そらまめ、たまねぎ、とうもろこし、トマト、なす、梅、さくらんぼ、桃○季節の花○紫陽花、花菖蒲、泰山木、夏椿、銭葵、鈴蘭、どくだみ、雪の下、敦盛草、九輪草、岩鏡 今日は、衣替えの日でもあります。衣替えとは、「季節に応じて衣服や調度をかえる」こと。平安朝では、4月1日と10月1日にそれぞれ夏装束・冬装束に改めました。室町・江戸時代にはさらに細かい決まりがありました。現在は制服については、6月1日と10月1日を目安として行われています。和服も袷から単 に変わります。今日の東京のお天気は大変カラッとしており、衣替えには打って付けのお天気です。☆6月行事予定☆6月30日(金)午後2時より「夏越の大祓」神事斎行昨年末、大変多くの方が「形代」をお納め頂きました。「形代」は6月15日頃、お賽銭箱右横の掲示板あたりにこのようにご用意致す予定です。半年の穢れを祓い、元気に夏を乗り切りましょう。
2006年06月01日
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神輿庫の扉を替え、大変神輿がご覧頂け易くなりましたので、早めに神輿に「蕨手」<わらびて>と「烏」をお付け致しました。蕨手とは、写真をご覧になって頂くと良くお分り頂けると思いますが、神輿の四隅、グルンと蕨<わらび>の様な形になっている部分のことです。その上には、当社の社名“烏森神社”の「烏」にちなんで、鳳凰ではなく「烏」がのっております。当社の本社大神輿の特徴のひとつです。 また、今年は氏子先導神輿の蕨手にも烏がのります。八羽の烏が宮出・宮入で舞います。5月4・5・6日烏森神社例大祭のご案内はこちらです。
2006年04月23日
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