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2009.03.28
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カテゴリ: カテゴリ未分類
DIALOGUE AVEC MON JARDINIER
Jean Becker
105min(1:2.35)
(桜坂劇場 ホールCにて)

(つづき)
庭師に教わって知ったばかりの「ヅィー」(草刈りのための、死神グリム・リーパーが持っているような大鎌)のことを話題にして、展覧会でマグダに紹介された若いスノッブな批評家をやり込めるシーンにしても、都会人の知らないことを持ち出して、「自分のペース」で相手を煙に巻いているだけの自己満足だ。だいたいこの展覧会で知人の絵を理解しようと少しもしない主人公の態度自体、都会的なことの無意味を表すより、画家の自己本位性を表している。

なるほど最後には、庭師が希望したように、庭師の好きな物ものばかりを描いて個展を開き、そこで庭師に教わったナイフと紐を持ち歩くことの有用性を実践するシーンもあるが、それもこれも結局のところ画家にとって自己本位性の新しいアイテムでしかないのだ。詰まるところ、庭師との出会いによっても画家は一向に変わることはないという物語なのだ。

そしてこの対立、つまりこの映画では画家と庭師や妻や娘との対立は、都会(端的にはパリ)と地方の対立でもあり、主人と使用人との対立でもある。画家は呼び捨ての「マグダ」でいいと庭師に言うが、庭師は「マダム・マグダ」としか言おうとはしない。画家の優雅で気ままな生活が描かれる一方で、退職前の庭師の過酷な労働の様子が描かれる。定期的に医療検診を受けながら手遅れになるほど病気を悪化させる庭師に対して、画家は設備の整った病院の有能な医師を友人に持つ。都会の楽した金持ち、つまりは画家の同類として、娘の恋人は高級スポーツカーで登場させている。

庭師はと言えば旧式ののろいバイクで小さな犬にもバカにされている。バイクを新調すると犬もバカにはできず、庭師もご満悦。でもこれを可能にしたのは庭師の仕事での小遣い稼ぎであり、大して腹も痛ますに画家はその給金を払ったのだ。互いに異なっパリと田舎の存在はフランスという社会の構造なのだけれど、両者は誇りを持ちながらも、対立をも内包した共存だ。他のベッケル作品にも見られることだが、ある種プロレタリア映画的側面があるとも言える。そう考えるとヴェルディのオペラ『ナブッコ』を登場させたのも意味深だ。ナブッコ王の正統の娘フェネーナと奴隷の子アビガイルレの対立の物語だからだ。








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Last updated  2009.03.28 00:27:36
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