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先日まで会社を休んでせっせと絵を描いていた。今まではモデルを前にして、写実的に描くことに力を注いできたがこれからは、構想から全て自分の中で仕上げる課題である。人物と空間というテーマを与えられ、学生はおのおの自分の考える絵を頭の中で作り出してゆく。私の絵は、今までどことなく影のある憂いを帯びた作品が多かったのだが今回は精神的に多少安定してきたからか、これからの季節をあらわす静かで暖かな空間を表現しようと試みた。暖かな日の光を浴びてウトウトと眠りに落ちる女性と、部屋でくつろぐ男性、二人の間には強い日を浴びて長く伸びる影を描くことで、暖かな関係を表してみた。まだまだ完成には程遠いのだが、少し画風が変わったという意味で掲載したいと思う。しかし、頭の中には今まで見てきた素晴らしい景色や情景、人がぐるぐると入れ替わり、なかなか描きたいシーンがまとまらなかった。実際に、描き出すときには、まずは筆を走らせ、その後はキャンバスにいる二人に聞きながらアイテムを徐々に増やしていったという具合だ。目の前にモチーフが無いことがこんなに難しいとは思わなかった。影は何色をしているだろう、どこまで伸びるだろう、手は?足は?全て、日々の生活で目に映るものを大切に観察をしていない結果が難しさとなった。日常のワンシーンをきちんと目に映して、生きて行こうと思った授業であった。
2008.02.15
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デッサンに引き続き油彩、いわゆる油絵を毎日8時間x5日。完成はしたが久しぶりにどっぷりはまってしまって抜けられない。明日から会社だというのに、見も心も絵を描くモードから離れられない。人の身体も顔も無数の色の塊に見える。色彩・・明度、彩度・・今日も寝られないかもしれない・・
2007.08.19
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今の会社は休みが多い。お盆休みは丸々9連休、上司や同僚はこの連休を大いに活用してイベントや旅行に羽を伸ばしているようである。日系企業において”休暇の取り方”は一種の目に見えないルールがあるように思える。個人的に取る休みはイワユル”取りづらい雰囲気”なるものがついて回るようだが、会社を閉めるとなると皆満面の笑みで、後ろ髪を引かれることなく、さっさと仕事を忘れ深呼吸をしながら本気のお休みをする。難しいところは、この期間に会社に来てメールでも出そうものなら、それはそれで尊敬などは絶対にされず、無言で”裏切り者”扱いである。日本人のなかでの微妙な立ち回りは中々難しいものだ。前置きが長くなったが、この連休私のやることといったら一つしかない。スクーリングである。毎年この時期、一週間ぶっ続けで油彩の授業を受けている。2年生になった今回は試練の人体油彩である。私はドイツ在住時代、スペイン人男性モデルをデッサンしたことがあった。デッサンとは白黒写真のように詳細までハッキリ書き込む作業であるが、イキがって真正面に場所を決めてしまったため、スペイン人の男性器を一日7時間4日間、全集中力で凝視し、どういうわけか毎晩不眠に陥り身体を壊した経験がある。今回は日本人女性とは言うが、普段見慣れない人の裸体をギュ~っと観察することは思いがけなく神経と体力を使うので数日前からエナジードリンクを朝食に飲んで備えていた。何度も描いているとはいえ、ヌードモデルの質には、毎回期待と不安が走るものだ。一度は痩せぎすで、あばら骨の浮き出た気の毒なモデルさん・・この時は気のせいか生徒全員が暗いトーンの色で纏まっていた・・。またある時はキスマークだらけのモデル、前から描いても後ろへ回ってもマークから逃れられず、これも集中力を失った。また下着の痕がくっきり・・というモデル、これも生活感モロ出しでやる気が削がれる。「おはようございまっす!」やたらとアマ~イ声で本日のモデルさんはやって来た。目鼻立ちのくっきり整った、小柄だがぽっちゃりグラマーでバランスの良い美しい人だった。生徒全員目が潤むほど喜び、それぞれの筆を取った。そのモデルさんのプロ意識は素晴らしかった。さっさと服を取って、クロッキーの場面ではつぎつぎと難易度の高いポーズを決めてくれる。15分間全く動かずに目をパッチリと見開き可能な限り瞬きさえ我慢してくれるのだ。年齢は自分と変わらないくらいに見えるが、身体は非常に引き締まっており、ウエストには適度なクビレと筋肉がつき、腰から膝にかけては柔らかに肉付きが良く、膝小僧は小さめ、脹脛から足首まで真っ直ぐな骨と筋肉がきれいについている。誰もがこの人の日常生活、本業を聞きたくてうずうずするのだが、モデルさんには一切個人的なことを聞いてはならない。人は自分の前で全てをさらけ出している人間に対し、本能的に親近感を持ってしまうようだ。以前男性の学生がコゾッてモデルさんに恋をして、住所を聞いてしまったそうである。以来、私の行っている学校(他も同じだと思うが)モデルさんとは極力お話をしてはならないルールがある。人をずっと見つめていると、女性の私でさえその対象に興味を覚える。絵描きとは言え、若き男性に”彼女をモノだと思え”と言っても難しいのかもしれない・・。
2007.08.17
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仕事を変えてようやくペースがつかめてきた。すると、周りが見えてき始めこれはこれでストレスの原因となることが分かった。人間多少鈍感で、周りが見えていないほうがいいのかも知れない。私の場合は鈍感なところもややあるのだが、幼い頃から気性の激しい絵描きであった父親の顔色を見ながら成長したためか、人の波長を感じ取ってしまう性質にある。マイナス波長を一身に受信しっぱなしで、それが放出できない時があるのだ。そういう時は睡眠障害に陥ったり、また全てにおいてマイナス思考になるので、最近はすぐ分かるようになった。分かるようになったからには調整の仕方も知らなければならない。こんなときに絵を描いても駄作ばかりになるのが目に見えている。そこで、まだ経験したことのないリラクゼーションを片っ端から試してみようと思い立った。効果があるか無いかではなく、何か未知の体験をしてみたいのだ。思い立ったが吉日である。それからありとあらゆる情報誌とネット検索により、評判の良い店を自宅界隈で見つけ出し、早速予約して行ってみる事にした。まずはソフト整体+デトックスである。ソフト整体は今や珍しいものでもないが、ストレスで歪みまくった背骨や骨盤、首と顔までをリセットしてくれ、苦痛も感じずそれどころか心地よくもある。パキパキと鳴る音が、あ~あるべき場所に骨がはまっていく感じ・・と至福である。整体マイスターの手さばきによって、老廃物が流れ出したところで足をマイナスイオンに漬けるデトックスバスを試した。するとドロドロとみるみるうちに透明の水が茶色くなり、見るも恐ろしい浮遊物までが浮き出すではないか!ビジュアルに訴えられると弱い私は、それを見ただけで身体が軽くなり、肌が白くなり、また血がさらさらと流れるイメージに包まれた。大満足して帰宅、帰りにゲルマニウムバスというバスソルトを購入し、コントレックスと本を持ってお風呂場へ。先ほどデトックスをしたからか、汗が滝のように流れ出し、あれよあれよというまに本がウネウネと波打ってしまった。慌てて出て汗を拭き、そこで冷えたビールを一気飲みである。ふ~。。。こんなことで幸せになれるならストレスとは言わないのかもね。しかし、私にとっては引きこもって悶々と悩むより、間違いなく効果的だった。次は何を試そうかな~。
2007.07.22
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ドイツから突然メールが入り、「手続き漏れの税金を返金しますのでコレコレの手順で確認してください」とあった。一瞬手荒な詐欺か?と警戒したが彼らは私が現地でお世話になっていた税理士だったので、返事をした。すると2500ユーロが振り込まれるというではないか!このユーロ高で2500は有難いが、驚いたのはそのタイミングである。昔から湯水のごとく、お金には糸目をつけずに使ってきたが、何度か描いたように貯金はゼロに近いところで回している。最近は年齢もあり、また将来の野望もあるので、ゼロ・・にはできないことを学んだが、ドイツでもスリや泥棒のお陰で突然イチ文無しになったことも2度ほどあった。しかし、そんなタイミングでいつも大金が舞い降りるのである。1度目はカーニバルの帰り、家の前に50ユーロが置いてあった(落ちていた)。嘘のような話だが、このとき私はカーニバルの準備中に財布をなくし、カードの再発行手続き中で、手持ちのお金が全く無かったのだ。ドイツは食料品が安いので、この50ユーロでカードの再発行まで繋ぐことができた。奇跡はまだ続く。スキミングにあって、日本帰国用にようやく貯めた40万円がすっきりと無くなってしまった。会社から前借をして帰国し、途方にくれていたのだが、帰国すると会社が完全現地化するため日本人は総撤退するよう方針がだされていた。この流れにのって、私も退職金を積まれ日本の本社へ移ることが決まった。この退職金でまたすっかり生活が戻ったのである。そして、細々とこうした奇跡によって、私は「貧乏なくせに困っていない」という全く運任せの人生を送ってきた。今回は先の日記で説明したように、ボーナスがでたのでTVを購入した。その後、現在通っている大学の授業料がザックリ引き落とされてしまった。実はこれは予想外・・いや、忘れていたのだ。調子に乗って買い捲り、スッカリ夏の衣装持ちとなって浮かれていた一週間後にこんなことになるとは・・。友人との呑み会の誘いも断るしかないか?と思っていた矢先の出来事・・2500ユーロである。私は考えた。もし私が金の亡者になり、日々コインを数えてはにんまりしている人生であったなら恐らくこの金運(?)には恵まれなかったのではないか?一時期、株に手を出そうと本を買いあさったものの、仕事と画にかまけて全く手をつけられないでいる。これが正しかったのではなかろうか?神様有難う。今回の臨時収入で私はますます貯める気を無くし、また引き続き、日本経済へ貢献すべく・・いや己の快楽と欲求を満たすべく張り切って仕事をし、そして消費に燃えることを心に決めたのだ。
2007.07.16
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アルトマン監督が1990年に撮った作品。どんどん値の跳ね上がるオークションに掛けれたゴッホの代表作「ひまわり」。そして、時代はさかのぼり、どんな職についても定着せずに日々悩んでいた偉大な画家ゴッホの若かりし時代から始まる。気性が激しく突発的で自堕落な生活、しかしその破壊的な人生を送った彼が描く作品は意外にも長閑で柔和なものが多い。初めの頃の彼は殉教者であったように、常に世の中に貢献しようと絵を描いている。人々を幸せにしようという気持ちが彼の行動の原動力となっていた。美しいと思う対象は労働を慈しむ心であり、自然であり、光であった。不器用なその画家は対象物に向かい、追求する一方、あまりにも心を酷使しすぎて戻れなくなってゆく。生活苦や失恋などから初心からどんどん遠ざかって自分を苦しめることになる。無一文で絵を描く彼を支え続けた画商の弟テオドール・ヴァン・ゴッホ、この映画ではヴィンセントとテオの兄妹愛についても上手く描かれている。ゴッホは生きている間は一枚しか絵を売ることができていない。貧困と孤独に苦しみながら狂人のごとくキャンバスにだけ向かい合っただけの人生だったようだ。ただ彼の絵が生きている間に、もし、世の中に認められ飛ぶように売れていたら現在我々がため息をつくような、あれらの作品は生まれていただろうか・・。常に満たされず、しかし身体の中に燃え盛る炎をもてあまし、しかし誰よりも己の目と才能を信じ、救いを求め貪り続けるその目にだけ、止まる光景が彼の作品であったのはないかと思う。私はオランダ画家の中でも小さな子供の頃はゴッホが嫌いだった。父の部屋にかけてあったゴツゴツと厚塗りの、色の単調で人物画が奇妙に歪んだ彼の作品は怖かった。子供の純粋でやわらかい心には、彼の熱情は強烈過ぎたのかもしれない。だが、大人になり、それなりに経験を積んだ今、ここ数年は一番影響を受けている画風かもしれない。画はその人の見たものだけではなく、感じたものや欲望までも写し取ってしまう。ゴッホの威圧感のある筆使いに、その生き様をみる気がした。
2007.07.15
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入社3ヶ月目の私にも、お情けでスズメの涙ほどのボーナスが出た。両親へ借金を全てお返ししたこと、ストレスの泉と化していたこと、部屋に若干スペースがあったこと・・など自分に十分な言い訳を用意してプラズマTVを買った。これで貯金はまたリセットされ、毎月カード会社からきちんと請求がくるようになった。この貯金ゼロ作戦というのは、私がまともに社会人として貢献するための切符のようなものである。私のような人間に貯金が6桁以上あってはならないのだ。たちまち働く気を失い、世捨て人となってしまうだろう。そうして買ったTVの到着を夢見て、これまた衝動買いしたソファーに寝転んで悦に入っていると、両親からの電話が鳴った。「お父さん、ボーナス入ったんだって。お寿司食べに行かない?」何かとイベントを作っては、地元の”みつる寿司”のカウンターで家族で杯を交わすことを楽しみとしている我が家である。もちろんボーナスうんぬんも唯の後付の言い訳であるが、二つ返事でOKした。地元の駅には両親が車で迎えに来ている。中に乗り込むと「○○のファミリーセールに行くぞ」と勝手にセール会場へ連れて行かれた。定年が近い父親は、最近昔の友人らとのイベントが多い。定年後をいかに仲間と有意義に過ごすかに力をいれ、サークル活動や同窓会などをセッセと企画しているのである。そして、そのに着ていく洋服を最近激しく準備しているのだ。私は一瞬いや~な予感が走ったが、そのまま着いていくことにした。セール会場は体育館のような場所にブランドごとのテントが張られていた。父親の会社に招待状が届いたらしく、誇らしげにそのカードを見せ中に入る。だだっ広いその会場を、私はきょろきょろしながら練り歩く。父親の言うとおり物は非常に良い。良いといってもセンスまで良いとは限らず、見上げるとケ○ゾーブランドのカラフルなアロハシャツなどがぶら下がっている。「こんなの何処で着るんだか・・」私はお先に貯金をリセットしているので、もう購買意欲は失せていた。ただチリヂリバラバラに散っていった両親を出口の椅子に座って待つこと40分。彼らは二人でワゴン一個そのまま買ったのかと思わせんばかりの荷物を抱えて帰ってきた。さらに、一番上にあったのは、先ほど辟易しながら眺めたアロハシャツではないか!「お父さん、これ買っちゃったの~?!さっきこれは無いだろ~って思ったんだけど。。」無遠慮に物をいう娘に対して、さっきまで嵐のように試着を繰り返していた父は急に威厳を含みこう言った。「お前、人と同じものを着て楽しいか?ベージュ、黒、グレーを着て沈没して安心か?そうじゃないだろう?自分の目で物をみて、それを見たまま表現する。絵の話だ。その表現が他人と同じじゃ駄目なんだ。自分が見たものをどう感じるか、そこに常に意識をもってゆけ。そうすれば自分の意見は絶対に揺ぎ無いものになる。なぜならそれはお前の感性の現れだからだ。そこに間違いという言葉は存在しないからだ。そうだろ?」横を見ると母がニコニコとうなずいている。私は意味がいまいち分からなかったが、そうか、じゃあ、このケ○ゾーは父親の感性の現れであり、それに良い悪いを申し立てるな、と言いたかったのか?と妙に納得した。この一連の流れで、私は強いDNAを感じてしまった。最近のキーワードDNA,私は間違いなくこの両親の子供であるらしい・・。
2007.07.08
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先週の金曜日は久しぶりに以前勤めていた会社の同僚と会った。ここ数ヶ月、転職してからというもの、愛だ恋だの話は皆無。呑みに行っても上司の愚痴を聞くばかり。OL仲間とは社会保険庁の不祥事に関してもっともらしいコメントを誇らしく話す女性達に耳を傾けるだけ。そう、全く魂がゆすぶられない日々を送っていたため、服装にも体型にも気を遣わなくなっていた。F嬢はそんなときに会いたくなる、全身全霊で女性を楽しんでいる人物である。彼女は恵比寿駅の花屋の前を待ち合わせ場所として指定してきた。走って到着すると、長く黒い髪をきちんと巻いて、黒のレースのカーディガンにタイトなスカート、という自分を良く知り尽くした最高にフェミニンな出で立ちで斜めに立ってた。彼女を見つけて私は遠くから暫く見入ってしまった。「なんで、あんなに隙のない待ち方できるんだろ~な。」自分であれば子供らしさ全開でキョロキョロと辺りかまわず探すか、または疲れて仁王立ちか、どちらかだろう。さ~て今日はいろいろ教えてもらえそうだ、と期待をこめて声をかけた。「あら~!お久しぶりね。」かすかにフローラル系の香水が漂う。彼女は今無職である。毎日9時間睡眠だと笑っているが、それは彼女のツルツルの肌をみれば3時間睡眠でないことは明らかだった。全てのストレスから開放され、怖いものなしの健康美が、今の私には眩しかった。近況を話しながら歩き出す。以前から変わらないモンローウォークで器用に歩く。F嬢は一言で言うならば「計算されつくしたフェロモン」なのである。私の目から見ると、顔や身体の造りはバランスが良いとは言いがたい。小さい目、丸い顔に丸い鼻、日本人にしてはやや太めの身体など、コンプレックスになる要素盛りだくさん(ゴメン)なのだが、これが彼女の研究と努力の結果、今では素晴らしく都会的なセクシーを演出しているのだ。しかし、男性が声をかけやすいようにこれまた上手に隙も残しているのがニクイ。彼女とはスペイン料理で食事を摂った。スパークリングワインを飲み、お互いの対照的な近況を語りつくした。私は恋愛ネタはどの引き出しを捜しても出てこないので、もっぱら新しい会社の退屈な環境を涙ながらに訴えた。また、思い出したくもないがオランダの芸大に失敗したことも再び説明しなければならなかったため、テンションが急下降で落ちてきた・・。彼女はそんな私の心の中を察したのか、「いいところに連れて行ってあげる」と、これまた男だったらいろいろ期待すんだろ~オイ?という言葉を発し、トロリとイスから降りた。フリフリと歩き出し、連れて行ってくれたところはアイリッシュパブであった。私がアイルランドの思い出を大いに語ったからなのだろうか・・。ドアを開けると、其処は日本では無かった。英語が飛び交い、外国人バンドが音楽を奏で、国際人(?)達がハイテンションでギネスを交わしていた。「おおお!凄いね~!!」久しぶりに私もこんな楽しい場所に来ることができるとは!再び精気を取り戻し、カウンターへ急いだ。すぐさまギネスを買い、飲み物を悩んでいる彼女を残し、二階の席へ急いだ。嬉しさのあまり一段抜かしである。激しい音楽、キスするカップル、踊る人たち。今の会社の人間は絶対行かないだろ~な、こういう世界・・とまたもや退屈だった職場を考えウツになる。活気が欲しいな・・こんな活気でもいいから人生には熱が必要だよな・・。しっかし、来ないな~。そんなに飲み物悩まなくてもいいのになあ・・。とF嬢の様子を見に行くと、あれ~?なんとカウンターで彼女は外国人男性に声をかけられて動けないでいるではないか!「おいおい、何処の馬の骨だかしらない男を連れてくるなよ~・・」と祈るように見ていたら、振り切ってこちらへ歩いてくる様子。ホッとして私もテーブルへ戻り乾杯の準備をしているが、未だ来ない。ギネスの泡が無くなり始め、目の前でコーラのようになってしまっている。私は泣きそうになりながら、また下の階を除きに行くと、また違う輩に囲まれている。で、ふと考えた。・・・あれ?私このテーブルまで全くなんの障害も無く辿りついたよね?これがフェロモンの違いか・・と私は目から鱗であった。この後も彼女と座って話をしていると、何度もナンパによって会話を遮られた。決まって彼女のほうに声がかかるのである。私のほうに時々声がかかり満面の笑みで対応しようとすると「グラスお下げして宜しいですか?」である。どう考えても金曜日の服装は私のほうが露出度高かった(暑かったからね)。そして、彼女は男達に背中を向けており、彼らが見えるのは私の顔のはず。なのに、声がかかるのはF嬢なのだ。これは目力でも、肌見せでも、笑顔でも、なんでもない。まさしくオーラ!フェロモン!のパワーなのだ。終始出会いが無いことを嘆く私に、彼女は最後にトロンとした目で言った。「出会いはあるの。出て行けば必ず。自分を見てる男性に気がついて、その人に魅力を感じたら無言でその彼の目を見るのよ。3秒くらい。これで成立だから。」非常に濃厚なフェロモン講座であった。
2007.07.01
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普段TV画面をみながらコメントをぶつけ合うランチが通常であるが、私は勇気を絞ってOL仲間(?)に話題をぶつけてみた。テーマ「習い事」である。別に恋愛話でも、昨日食べた夕飯の話でも、彼女達の素性が見えてくればなんでも良かったのである。毎日顔をみる仲間が画面を見つめてワンクッションおいて会話をするという妙な図に耐えられなくなったのもある。ここ最近配られる無料情報誌には、6月から開催されるバーゲン情報のほかに、習い事特集が組まれていたのでそれを本日の話題として選択したのだ。司会者さながらに突如話題を投げかけた私の言葉を受け、促された一人は言った「私は昔からフレンチ(料理)を習ってて。今度はコールドンブルに入学しようかと思ってて」「・・・・」話を振ったまでは良かったが、よりによって私にとって突っ込みどころのない料理の話題へ突入してしまった。しかも口火を切ったのが白山にマンションを経営するお嬢様お局であったがためにコールドン・・という庶民派離れしたところから入ってしまったのだ。隣の同じく40前後のオネイサンは続けた。「私もしっかりしたお料理が習いたいんです、基礎ばかり教えてくれる教室には飽きたので、和食のレパートリーを・・」そして20代派遣社員も飛び込んできた。「私なんていつもあるもので作ってますけど結構傑作多いですよ~。毎日携帯でシャメとってブログに上げてます~」よっしゃ!ブログだよ。。シメシメ・・とその話題に方向転換を狙った瞬間、「Kさんもところで一人暮らしですよね?もう面倒だから一品料理でチャチャっと済ませるタイプですか?」とその20代派遣社員嬢は気を利かせ訊ねてくれるではないか!料理ができないことに類まれなるコンプレックスを持っている私は、彼女の発した「一品料理」という言葉が天から差し伸べられた天使の手のように思えた。そして、得意げに答えたのだ。「そうだよね~!一人暮らしだから一品料理で充分なんだよね~。うふふ、そうなのよ、昨日はトマトだけだったし、一昨日は水菜でね・・それからねぇ・・」あれこれ思いをめぐらせながら、指を折りつつ説明に励んでいると、なにやら冷たい空気を感じる。顔を上げると・・驚くなかれ、其処には鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした麗しいOL仲間が箸を止めて私をじっと見つめていた。皆、スパゲティとか、オムレツとかっていう返事を期待していたのだそうだ!あ、そ~いうこと~あははは~♪と笑い飛ばしたところで時既に遅しである、なぜだろう、私の約30年の人生、結構こうした「あぁ勘違いパターン」が多い・・日々勉強である。
2007.06.27
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現在の会社に入ってから職業柄アジアへ出向くことが多くなった。韓国では精神的に耐えられないほどの苦痛を味わい、そこで私という人間はアジアには合わないに違いないと確信を得たのだ。なんでアジア担当になんかなってしまったのか・・。しかし、入社当初は好奇心が災いして大喜びで二つ返事で請け負ったのである。これは欧米しか知らない人間が、アジアの神秘に魅せられてただけの全く浅はかな行動であった。自業自得である。さて、今回は恐るべき中国、上海への出張である。今回は製薬業界ではアジア最大の展示会に参加するために3泊4日の訪問であった。空港を降りると流石に長~い列がタクシーを待っている。タクシーは古いフォルクスワーゲンと中国の合弁メーカーといった車で、シートは染みだらけ、窓は閉まらない、助手席はリクライニングが戻らないという有様である。助手席に座った上司はなぜかリクライニングにゆったり横になるしかないまま、街へ走りだした。これが恐ろしく速いのだ。ドライバーは20代だと思われ若さとエネルギーを全て運転にぶつけている。古い車のドアはビシビシと音を立て、閉じない窓からは黄砂を含む排気ガス臭い風が顔に叩きつける。前の上司は無口ながらも、窓上の手すりをギューと握り締め、手が白くなっている・・。で、当のドライバーは隣を走っている友人ドライバーと窓を開け会話をしながら150キロですっ飛ばし、何台も追い抜き、”ひゃっほ~!!”とアドレナリンを放出させまくっているのだ。私は目が開けられず、あまりのスピードに口も開かず、街も見られないまま気がつけば爆発現場から助け出されたかのような髪型でタクシーを転げ降りたのであった。部屋で少し時間があったので真っ黒な顔でも洗おうと流しに行けば黄色い水が当たり前の顔をして出てくる。ネットを繋いでメールでも確認しようと思えば、ウンともスンとも言わない。ここは4スターじゃなかったか?!気分をとり直して、今回私のメインイベントである現地代理店候補に会いにいった。95年に日本人の奥さんと会社を設立していらい、プラント、物流センターなどを次々と設立し、確実に急成長をしている若い会社である。韓国ではまだまだ女性の社会進出は未熟であったが、中国ではその逆で空港を降りた瞬間から女性の多さに気がついていた。思ったとおり先方はある種のリスペクトを持って自分とも接してくれ安心をした。一通り話し、食事は上海料理を頂いた。中国料理というと油が多いイメージがあるが上海料理は比較的あっさりしているのが特徴らしい。紹興酒と美味しいお料理でスッカリ気分を良くした単純な私は、この時点で中国悪くないかも・・と思い始めていた。満足顔の私を見ても接待し足りないのか、この代理店候補の社長は二次会を申し出た。私と上司2人は言われるままに着いていくと、私一人だけがマッサージ券を手渡され、違うビルへ案内されるではないか。”女性には是非中国マッサージを経験してほしいです”というので、こりゃ願ったりかなったりだと、するすると吸い込まれるようにマッサージルームへ入った。実際身体はボロボロに疲れていたのだ。60分、チョイ痛めの指圧を受け、むくみもスッカリ解消し、上機嫌でみんなの待つ”バー”へ戻ると、チャイナドレスの若いお嬢さんが”イラッシャイ、ダレ一緒・””あー、こんばんは。あの、上司が来てると思って・・””アタラシオキャクさんです~””ハイ~オネイサンこちらドゾ~”今時、勢い良く周るミラーボールと、チャイナドレスの可愛らしい娘さん達にクラクラしながら、一番奥の席に案内された。そこにはブランデーでスッカリ酔っ払い正体を無くした自分の上司が、中国人女性をはべらせ、いとも情けない格好で目じりを下げているではないか!マッサージが終わってホテルに直行すると思っていた私が急に目の前に現れ度肝を抜かれた上司は、一瞬で酔いが冷めたかすぐに自分を取り戻し、それらしく仕事の話を始めた。が、もう遅いっつーの。私はあ~、こうやって貧しい国の娘さんたちを良い様に食い物にしてきた下品な日本人が、アジアの今のビジネススタイルを作ってしまったのか・・と一人手酌でたそがれた。中国の娘さん達に話をきくと、やはり田舎からでてきて家族にお金を送るのだそうだ。ホントか嘘かは知らないが、こんなに綺麗な子が日本に帰ったら絶対モテなそうな気色悪いおっさんに体中べたべた触られて、日本語はそれなりに上手だが、その、おっさんに仕込まれただろう卑猥な単語をうけると思い悪びれもなく口にするのを目の当たりにし、吐き気がしてきた。私はソファーに埋もれている上司をさっさと促し、一刻でも早くホテルに帰ってお風呂に入りたくなった。中国の風は脂ぎっている。しかし、最後の夜長年お世話になっている中国人コンサルタントと食事をする機会に恵まれた。上海の夜景が一望できる豪華絢爛ホテルシャングリラのレストランである。味はもちろん涙が出るくらい上等で、あれほどゆっくりと夜景を見た記憶は最近なかった。なんて気の利く演出だろう・・。ここは別世界だった。昨日の悪夢が嘘のよう、私はすっかりそのゆったりと上質な空気に酔いしれた。レストランにも仕立ての良いスーツを着た中国人がオットリと食事を楽しんでいる。中国人のリッチって、半端無さそうだな・・一度こんなホテルに食事だけじゃなくて泊まってみたいよ・・と目の前の海老ワンタンと一人会話をするのであった。総じて言えば、今回は上海のいろいろな顔を見ることができ、実り多い出張だったと思う。
2007.06.24
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4月から勤めている会社は地方に本社を置いている。営業だけが地方にいては拉致があかないので東京に事務所を持っているという構図である。私は入社した当初から奇妙な空気を感じていたが、その職場環境は私にとって非常に特殊・・異様なものである。社員のほぼ90%が生え抜き(新卒で入ってずっとその会社で勤務している)であり、会社は社内恋愛を奨励し、成就した暁にはお祝い金がタップリ出るというので若者達は常に敷地内で出会いを求めている。実際カップルも多い。10代の高卒採用者に将来の夢を聞くと、”早く嫁さんもらって家が欲しい”と、信じられないくらい現実的な答えが返ってくる。田舎なので結婚しても両親と暮らし、お爺ちゃんらが喜んで子供の面倒をみてくれるケースが多いので夫婦で同じ会社に共働きという形も多い。二人でさっさとお金をためて車を買い、家を買い、子供を生み、良い大学へ入れるのが彼らの唯一の理想の人生なのかもしれない。彼らと話すと大体、話題は”車”、”結婚”、”大学”の3拍子に尽きる。実際高学歴であり日本を代表する優秀な学校をご卒業されている人も多い。そして人事は人柄云々よりも今時大学名に採用基準を置いている。最近私は正社員になったということで、晴れて労働組合に入ることになった。労働組合などとは縁がなかった私はちんぷんかんぷんである。事務所に行ってキョトンとしたまま話を聞き、渡された封筒の中を見ると真っ赤なハチマキとアンケートが入っている。”あの~、この真っ赤なハチマキはいつどこで使うんですか??”私は恐る恐る聞いてみた。どんな回答が帰ってきても、アタシは絶対御免だと思いながら。”春闘のときに皆で巻いて、正門のところで大声で叫ぶんですよ!”気合十分に答えたこの担当者はどこにアンテナが反応したのだか不明だが僅かに上気して唾を飛ばしながら説明している。”シュントウ?・・ハァ、そうですか・・”最後まで全く意味不明な単語が盛りだくさんの説明を受け、最後にアンケートを書かされた。1番目の質問:あなたは結婚がしたいですか?したければ何時までに?私は瞬間大きな文字で 「ハァ?」 と書いてしまった。ここは結婚相談所か・・?頭がくらくらしてきたので、そのままペンを置き、クシャクシャと封筒にしまうと、ヨロリと立ち上がり「これは後日ファックスしますんで」と言い残しオフィスへ帰った。海外営業の仲間はそれなりに”外”を知っている人間だけあり、大いに同情してくれた。だが、「ハァ?」は無いだろう、大人になれよ、と諭され仕方なく修正ペンで書き直した。私は入社して2ヶ月経った今でも、この会社で受けるカルチャーショックは後を絶たない。どのような国で生活しても一週間で慣れたというのに、今回は前途多難である。
2007.06.17
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台湾へ出張してきた。ベテランの上司にくっついて客先周りの二日間であった。一日前に寄って来た韓国では、会う人会う人皆目を血走らせて値切り交渉に明け暮れた。だが、この台湾はどうやら空気が違うらしい・・。会う人全て仕事の話をしようとしないのだ。”値段が上がりますよ”と伝えれば、おかしな日本語で”ハイ、ソーデスネ。ダイジョブ。ダイジョブ”。これで会議はものの2秒で終了である。その後彼らの専らの関心事、力の見せ所は”接待”にあったと気がついた。紙の契約よりも人間関係を重視する彼らは、会議で契約にサインをするよりも会議の後如何に杯を交わし、親睦を深めるかに命をかけているように見えた。弊社の現地法人スタッフの李さんは、ちょっと怪しげな日本語を話す台湾人である。恐らく日本からの出張者(中年男性が殆ど)を、然るべき時間に然るべき場所へ期待通りに案内していたと見え、夜の街を案内させたらピカ一との名高い人物である。だが、今回は訳の分からない日本人女性がやって来たもんだから、明らかに対応に困っている様子であった。私は海外出張の経験は多いほうでは無いし、ましてやアジアは初めてであるので、何にも期待などしてはいない。さっさと仕事を終えて一人で街を見学する時間があればラッキーくらいだ。できれば早く部屋へ帰り一人で晩酌でもしながらブログを更新しユックリお風呂に入って寝るのを唯一の幸せと考えていた。だが、今まで数々の社内接待で好評を得てそれを誇りにしてきた李さんはそうはさせてくれず、今回もどうにかして私を喜ばせようと必死である。なにやら北京語でブツブツ言いながら暫く考え、突然”クルマ取りますぅ~!”と言ってソソクサと居なくなってしまった。その5分後トヨタの新車で颯爽と現れた李さんはクルマの窓から”オマタセシマス~!”と時制が全く無視された日本語で叫び、私達を”DIN TAI FUNG"という小籠包の有名店に招待してくれた。日本人観光客で一杯のこのお店は台湾で一番の人気店らしく、決して高いお店ではないが、これが小籠包か!とうなるほどの美味しさだった。その後李さんは得意げに噂の”台湾お茶マイスター”のところへ連れて行ってくれた。マイスターは初老の笑顔の優しい男性で、いかにもウーロン茶を飲んで何十年といった皮膚から油の飛んでしまったようなスリムな風貌である。彼は2時間に渡り、我々に台湾式茶道で高級なお茶をもてなしてくれた。台湾ではお茶で身を滅ぼすほど高いお茶に興じる人が少なくないらしい。私は即座に”ワイン”で身を滅しかねない自分と似たようなもんだと納得した。いつお茶菓子が出てくるのだろうと思っていたが、結局最後までひたすらウルトラ級に濃いお茶を飲んで、感想を言い合い、終わってしまった。例の李さんは我々をここに連れてくるからには、相当のお茶通だろうと思って聞いてみると、”ワタシハ、イツモハ コヒー ノミマス”と言い放ち興味無さそうに外のチャオチェに見とれている。利尿作用があるからか何度もトイレに失礼しながら、漸くしてその場を立ったが、クルマの中で自分の体調の変化に気がついた。お茶に酔ってしまったのである。これは台湾ではままあることで、あまりに強いお茶を飲みすぎると血圧が急に下がってしまい、気持ちが悪くなりめまいが起こるのだそう。(早く言ってくれ!)その後に訪問した客先ではほとんど集中できず、朦朧としたまま議事録すらかけなかった。そんなときに限って上司がいろいろ喋らそうとするもので、ワタシは目を白黒させながら冷や汗を書き、真っ白な顔で何だかやたらと抽象的な会話をして終わってしまった・・いったいどういう印象を持たせてしまっただろう。翌日の朝は早く、我々は5時半にホテルのロビーに集合し、順調に空港へ到着した。チェックインでクレジットカードを出そうとしたが、”あれ・?”財布がない!!!私はその場でまさに預けようとしていたスーツケースを人目も憚らずパッカリと開き、自分が半分ケースへ入らんばかりの勢いで必死で財布を探した。が、無かった・・。慌ててホテルへ電話をして”黒の財布を捜してくれ”と泣きつくと、奇跡的に10分後”見つかった。部屋にあった”と連絡が来た。この瞬間、私の指差し確認は全く意味を成さないことを確認した。その後李さんに電話をして、ホテルへ取りに行ってもらい、後日出張者に持ってきてもらうようお願いをした。そして一文無しのまま帰国、しかたなく上司にお金を借りるがこの週末は一歩も外へでられないという展開になってしまった。このブログの更新率がやたらといいのは、実は他に何もできないからであった・・。
2007.06.04
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久しぶりにDVDを借りてみた。最近の創作意欲の減退に、何か刺激を与えようと考えたのだが、近所のヴィデオ屋さんの新作コーナーで即決した。”KLIMT”である。映画をやっていたのは知っていたのだが、観そびれてしまった作品だ。ご存知、1900年初めオーストリアのウィーンで活躍したスキャンダラスな画家である。時代の価値観に真っ向から逆らい、良くも悪くも注目を集めた彼であるが、彼の”美”に対する拘りと苦難が良く描写された作品ではないかと思った。しかし、グスタヴクリムトを演じたジョン・マルコビッチの美しいことったら。初老のクリムトを演じている彼は若く美しいモデルを次々と自分のものにしてしまう。そしてあの目!狂気と情熱、愛と悲哀をたたえたあの瞳にクラクラ来てしまった。この映画で彼に言葉はいらないくらいだ。男の色気炸裂である!モデルの身体に触れないと絵が描けないとは良く言ったもんだがこれは男性からするとなんと都合の良い言い訳だと思われるかもしれないが、私も絵を描くものの端くれとして、この気持ちがよ~く分かるのだ。果物を描くときは食べてそのみずみずしさを確かめたいと思うように、質感を自分で知らない限り、それを表現することは不可能。クリムトの描く女性の官能的な表情、透き通るような白い肌、その柔らかい質感と熱を帯びた視線、これは女性という生き物を理解しない男性画家には描けないだろう。そしてモデルにそのような表情を作らせること(もちろん自分の中で作る部分もあるが)も不可能なはずだ。彼は恋人が居たが彼女とはプラトニックだったと言われている。彼にとってその行為は日常、またはリアルであってはいけなかった。夢であり空想であり美しくあり、瞬発的な熱情でなければいけなかったのであろう。(これは非常に自分にかぶる・・)そのため、常日頃傍にいる自分を理解する人間には魂をささげていた。そこには精神的な拠り所が必要だった。とにかく私はこの現実社会にどっぷりつかって数字ばかりを扱っている毎日から、少しだけ本来目指す世界へ手を引いてもらえた気がした。偉大な芸術家のその集中力と情熱、そして絶えることのない対象物にたいする愛情、絵であれ何であれ、私はそれ自体が本当の芸術”だと思う。■KLIMT公式サイト■ http://www.klimt-movie.com
2007.06.03
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先日弟夫婦の家に招待され、甥っ子を初めて抱っこした。6ヶ月のベビーである。首が据わったのをいいことに、両親が嫌がる私に強引に突きつけたのだ。自分でいうのも何だが、子供に愛を感じたことは無かった。ビジュアル的にもハッキリ申し上げて”可愛い”などと思ったことは無かった。まあ、演出で”きゃわゆ~い”とはしゃいだ振りをしたことは若かりし日にあったかもしれないが、まあ、その程度である。それが、まん丸の甥っ子をこの手に抱いた瞬間、異様な感情が沸き起った。この丸あるく柔らかい生き物は、自分で寝返りすらうてない様子、お座りも”腰が据わっていない”?から不可能らしい、、なんてこった、あぁ怖い怖い・とその小さな顔を試しに恐る恐る覗き込んだ。すると、その真っ黒で湿っぽい黒目で私を真っ直ぐに、懸命に見上げている。三角の口で何やらモノを言っている。そして、何が嬉しいのかしらないが、ふわーっと笑うのである。天使とは良くいったもんだ・・はい!よし、分かった。この子は私が守るしかない。。とわけのわからない責任感により思わず手に力が入った。どんなにピントがづれた感性を持ち合わせようともどんなに無機質で現実離れした生活をしていようとも、体内の奥底に封印された生々しい”母性”が反応したのだろうか。これは果たして私のいわゆる”母性の目覚め”なのだろうか・・。ぎこちない抱き方をし、じーっと甥っ子を観察する私に、義理の妹がヤキモキするのを感じながらも、私はその小さい人を暫く離せなかった。その横で狙い通りに反応した私を見て、両親が満足そうに相槌を打っていたのであった。
2007.05.12
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糖尿病で入院していた叔母が亡くなった。昔から身体は弱かったので、病院にいることが当たり前のような感覚になっていた。それでも叔母はいつも明るかったのを覚えている。人間は病気になると精神的に弱くなり、つい人にあたったり、悪態をついたり自分の不幸を呪う傾向にあるが、彼女はいつも冗談ばかり言って人を心配させなかった。私も、本気で心配などしていなかったのに、急に一人で逝ってしまった。入社式をキャンセルし、お通夜へ行った。まともに叔母と会うのは何年ぶりだっただろうか、久しぶりに見る彼女は小さく、冷たく目を閉じていた。私は何故かとても怖くなったが、実の妹である母親が隣で悲しんでいたので、感情を見せずにいた。母が静かに化粧品を取り出し、”昔は綺麗だったんだから、きちんとお化粧をしなくちゃね”といって口紅を塗りだした。私は涙を堪えながら、頬紅を薄っすらと塗った。翌日の告別式も、一人の人間が居なくなったということを実感しようと努力したが、なかなか死を理解することは難しいものだ。斎場で叔母の遺体は火葬された。小さくもろくなったお骨を親戚で拾い骨壷へ大切に入れる。この一連のセレモニーを通しても、冷たくなった叔母のほほに手を当てても、泣きじゃくる家族を見ても、やはり、”死”を受け入れることは困難だった。私は、いつ彼女がもう二度と私に笑いかけなくなったということを理解できるのだろうか。しかし、それでも彼女に”お疲れ様でした”といいたい。今の日本の延命治療に何の対策も持たないまま、彼女は苦しむだけ苦しんだのではないだろうか、食べたいものすら限られて、最後は何を思っただろうか、せめて、自分の人生で一番華が会った時代を想い、旅立っていったのだと信じたい。そして、心から満足し安らかに70歳の人生の幕を閉じたのだと私は願っている。
2007.04.03
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昨日は友人の結婚式に招待された。日本画家の奥様とドイツ人コンサルタントの旦那様、とてもおっとりした上品なカップルである。私は二人の共通の友人となるわけだか、ほかに知人がおらず、一人で東銀座の会場に向かった。実は日本の結婚式に参加するのは19歳のとき以来である。諸々のしきたり云々を一通り母親に入れ知恵してもらい、いそいそと出かけた。一番乗りで到着した会場はしっとりとした和風の料亭であり、受付を済ませ、ロビーへ向かうと新婦の絵画が飾られていた。日本画の世界では多少名前の通った人物だということをこのときの料亭スタッフの話で初めて知った。私は日本画は専門ではないので良くわからないが、色がとても鮮やかで、骨の太い作品が多かった。暫くすると着物姿の新婦(これがメチャ似合う!)と袴姿の新郎がロビーへ挨拶に出てきた。新郎の袴姿も最高に違和感なしである。彼は12年前に慶応大学に留学しており、そのころから日本お宅(オタク)と化した。彼の日本語は読み書き共に間違いなく私よりも遥かに上等である。追求型の彼は日本の文学についても、歴史についても、全てを日本人並み、またはそれ以上に勉強している。私などは自分の興味のある学科以外の勉強は全く無視して生きてきて、しかも日本での社会経験も無いまま海外へ逃亡してしまったため、恥ずかしながら日本に関する知識が乏しくドイツ人の彼から教わる始末である。それでも彼は呆れはすれど飽きもせずに面倒を見てくれる、寛大な友人である。披露宴が始まり、新郎新婦が入場してきた。これ以上マイペースな二人は見たことがない!くらいのカップルであったが、それでも緊張をするらしく、スピーチはシドロモドロになっていて笑いを誘っていた。今回は同時通訳として、NHKドイツ語講座で活躍していた長岡ナターシャ嬢が頑張っていた。彼女の機転の利く通訳で会場はかなり盛り上がった。さて、ここでびっくり仰天である。私は”ドイツ関係”というテーブルに席を設けられ、新郎の仕事関係でコンサルティング会社がらみの集団に囲まれた。少し彼らと会話を進めると、私の以前の職場関係の話題が出てくる出てくる!なんと前職場の最大のライバル会社勤務Rの人たちだったのだ!○○部のOマネージャーはどうしている?だの、元人事のI田氏はあれこれ、こーなってあーなったんだよ、などと裏話がどんどん入ってくるのだ。私はもう辞めているが、愛すべき元同僚達の立場を不利にすることはもちろんしなかった。が、全く世界は狭いな~と感じた瞬間であった。たった2時間で多くのサプライズがあったこの結婚式だったが、とても楽しく過ごすことができた。やっぱり、思い切り笑えるこのセレモニーは大好きである。
2007.04.01
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欧州での野望がポシャってしまったので、日本で仕事をすることにした。以前お世話になっていた会社の上司の口利きで、就職活動をする間もなく次の職場が決まり、そして入社日は4月2日とまったく余裕のない日々が早速始まった。先日は一泊、地方にある本社へ事前研修というものに参加させられた。本来この研修は社会人一年生にを対象にしたものだが、同期の親睦会を兼ねて参加してくださいとの連絡を受け、しぶしぶ新幹線に乗ったのだった。これが・・度肝を抜かれるほどのカルチャーショックを受けることになった。今まで世界数カ国を旅してきたが、このような文化の違いを感じたことも久しぶりだった。まず、散々社会で揉まれた中途採用を形式どおり事前研修に参加させる考え方。旅費、宿代がもったいないと思わないのだろうか・・?そして、その事前研修”輝ける社会人への第一ステップ”というテーマで講演を提供してくれた、地方では大変有名だと紹介された女性講師(最高に胡散臭い)!ビビッドな青いスーツにキティちゃんのついたスリッパという服装で颯爽と笑顔で登場。私は一瞬目眩を覚えたが、能登半島地震の余震だと自分に言い聞かせひたすらその有難いレクチャーを受けた。◇挨拶の仕方(元気に大きな声で笑顔で!)◇歩き方◇敬礼の仕方などがカリキュラムに組まれているのだが、まず、朝からフロア中に響き渡る声で満面の笑顔で一人ひとりに挨拶する社員を現実社会で見たことがない。はっきり申し上げて鬱陶しいことこの上ない。電話をしてる社員にとってははた迷惑な話である。歩き方・・というが、まるで軍隊のように歩き方を一人ひとり指導される。背筋をまっすぐ、歩幅は広く、立ち姿はうんぬん・・誇らしく指導する彼女だが、このスピード社会においてそんな歩き方をする人間はファッションモデルくらいである。背筋強制ベルトでもしているのかと疑われ、気味悪がられるのがおちである。最後に閉口したのは、敬礼の仕方。歩きながら敬礼をする場合、室外で敬礼をする場合・・。これから東京の日本橋で働く私は、いつどのような場面で”敬礼”をしたら良いのだろうか・・。一体この”敬礼”は人生でする場面に遭遇するのだろうか。私は朝9時から5時までのこのマナー研修において、すっかり骨を抜かれてしまった。命からがら割り当てられたホテルの部屋に戻ると、すでに二人部屋にいるではないか!そう、相部屋である・・。”ありえない”心も身体も拒否反応を起こした。おまけに一人は嬉しそうに浴衣を胸に抱き、無邪気に”お風呂行きませんか?ここは高台なので露天風呂がきれいみたいですよ。”と裸の付き合いに誘ってきた。私は100回くらい頭を激しく振ってお断りした。彼女達が嫌な気分にならなかったことを願うばかりであるが、自分にとって、職場の人間とそんなに密着した世界を過ごすなど考えられないことである。一日の疲れをどんなに狭くてもホテルの一室で一人でゆっくり過ごし、朝は気分を入れ替えたかったのだが、そのまま眠れないまま翌日を迎るのか。。食事の時間も恐るべき状況であった。大広間という畳20畳ほどのだだっぴろい空間に15人分小さなお膳がコの字型に並んでいる。そのうち二席は金屏風の前である!一体これは何の会なのだろう・・。目の前の人と親睦を深めようとしても、3メートルくらい離れているので声が届かない。下手に話そうとすると皆に注目される・・。せっかくのお食事ものどを通らないまま、次の催しへ移動することになる。カラオケである。覚悟はしていたが、やっぱりだ。ボックスではなく、スナックのようなカラオケパブに移動し、”銀座の恋の物語”などベタベタなカラオケソングに手拍子を打ちながら私は泣きたくなってきた。この私がアルコールを一滴も飲まず、(飲む気が起きず)すごすごと部屋に帰り、ほかの2人と床についた。もちろん眠れなかった。朝、朦朧としながら新幹線にのり、泥のように眠った。お陰で越後湯沢で乗り継ぎ時間ぎりぎりに目が覚め、気違いのように走った。上野の改札をくぐると、満開の桜が待ち構えており、少しだけ気分が癒された。先が思いやられる・・。
2007.03.29
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ロンドン◇小百合家キッチンダブリンからロンドンを経由し帰国した。ロンドンには5年ぶりに会う友人が住んでいる。かつてドイツで勤務していた日系会社のUK本社で社長秘書をしていた小百合ちゃんである。縦も横も大柄で、日本で生活していたら少し目立つかもしれない。キリリとした一重の眼に、存在感のある鼻と口、それに真っ黒で真っ直ぐな髪と大きな声が特徴的である。彼女は学校を卒業後、若くして単身UKへ渡った。ご他聞にもれず、語学留学への憧れからである。3ヶ月語学学校に通ったところで、得られる英語力などたかが知れている、だが、貯金も心細くなった彼女は日本食レストランでアルバイトを始めた。よくある、アンチョコ着物を着てのサービス業であるが、彼女は持ち前の親分気質を発揮し、期待以上によく働いた。タイトな着物をものともせず、走り、叫び、跳び、とにかく我武者羅に働いた。彼女は言う”別にサービス業が好きなわけじゃなかったんだけど、目の前のことにのめり込むタイプなのよね(笑)”そのうち、このエネルギッシュで強烈にキメの荒い動きをする日本人女性にあこがれる英国紳士が現れることになる。今の旦那であるマイケルだ。マイケルは孤児として育ち、孤独がどういうことか、その意味すらも知らずに育った物静かなオトコだった。口数が少ないが、誠実で思いやりがあり、責任感のある人物。初めて社員として採用されらロンドンの某大手食器会社に入社してからうん十年も勤め続け今ではマネージャーになっている。その10才年上の彼が、大きな若い日本人女性に恋をした。唯一の楽しみであった、週一回訪れる寿司屋で猛烈に働く女性に。彼は週一回の楽しみを週3回にし、5回にした。収入の全てをはたいて彼女に会いに。そして何ヶ月か経った後、小百合ちゃんを清水の舞台から飛び降りる覚悟でデートに誘った。そのころを思い出して、小百合ちゃんは言う”びっくりしたよ~!オッサンだったしね~!でも、彼の顔見て、可愛い子が産まれるかもって瞬時に考えてた(笑)。あたしなんて日本じゃモテないって確信あったし、一発でOKしたよ!あはははは”二人には現在8歳になる見目麗しい女児がおり、ロンドン郊外の一軒家で温かな家庭を築いている。世界で戦いながら生きている、愛すべき友人の一人である。
2007.03.27
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ダブリンで活躍中のモダンアーティスト◇ ダラ・ハイデ ◇繊細な筆使いと豪華な色使い。ベルベットのような滑らかな質感に惚れ惚れします。
2007.03.16
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もう少し時間があるかと思っていたが、あまりにも楽しかったので時間はあっという間に過ぎてしまった。ダブリン編ももうエピローグである。アイルランドは今、韓国人にとって留学先として人気があるらしく、私の通っていた学校にも半数以上が韓国の学生だった。私のクラスにも偶然年齢の同じ韓国の女性がおり、練習でコンビを組んでいたため最後にはかなり仲良くなり、使える韓国語も教えてもらった。英語より韓国語のほうが上手になったかもしれない。彼女は韓国で化学の先生をしていたらしく、知的な雰囲気漂う左脳肥大系の女性である。私とは全く正反対の性質を持ち合わせ、どこかで聞いたことがあるようだが物欲ゼロ、ファッションに対する興味もなし、関心事は地球温暖化対策などの環境問題のみ、といったところ。常に小難しいことを考えている様子。出会った当初、化粧気が無く、愛想の悪い彼女に会ったとき「うわ~距離置いたほうがいいな。戦争の話とか持ち出されたら敵わんわ・・」と思ったのだが、運命の悪戯か、彼女が会話レッスンのパートナーになってしまった。隣でハンサムなポルトガル人と楽しげに会話しているクラスメートを傍目に、仕方がなく彼女と向き合ったのだった。しかし彼女は面白かった。少なくとも私にとっては非常に刺激のある人間だった。本当に、不器用な彼女が抱く、私とは違う方向へ限りなく広がる将来の夢などを、あるときは教室、あるときはパブ、そしてあるときは終電を追いかけながらとことん話した。つたない英語で一生懸命。大人になると、友人関係をキープするのは難しい。特に自分はマメなほうではないので、心から大切に思う人間にですら言葉足らずになってしまう。それでも、可能な限り、遠いアイルランドの地で偶然見つけたこの出会いを将来も大切にしていけたらと思う。貴重な出会いがあると、その人に会うためにここに来たのかもしれない、とすら考えることがある。出会いは貴重である。
2007.03.14
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写真: 最寄のバス停アイルランドに到着したのが昨日のようだが、あっという間に残すところ一週間となってしまった。あー。。。もっと長く計画するんだった。やっぱり貯金は必要かも、と31年生きてきて初めて思った。今回はダブリン以外に旅行をする計画をキャンセルし、結局ずっとダブリンにいた。ここは小さな町ではあるが、無料の美術館や博物館が充実しているし、見所が満載。下手に欲をだして遠出すると移動時間で一日も二日もとられてしまう。よくよく考えた結果、今週末もダブリンを観光することに決めた。しかし、今回も思いがけなく多くのことを学ばせてもらった。英語の勉強のため、比較的物価の安いと思われたアイルランドを選んだ。ただの通り道だと考えていたアイルランドという場所でホームステイを通じてローカルファミリーと触れ合い、地元のものを食べて生活し、多国籍な友人を作り、英語の勉強どうのというより、思いがけなく貴重な人生勉強ができたと思う。まったくナメまくってやって来た割には、この国の原点であるケルト文化やその美術、悲劇的な歴史、ゲール語、そしてアイルランド人についてとてつもない興味を掻き立てられてしまった。なぜなら、アイルランド美術にすっかり骨抜きにされてしまったからだ。ダブリン市内にある国立美術館は無料だが、オランダ絵画、ドイツ絵画を含むヨーロッパ美術、またアイルランドの近代美術にいたるまで粒ぞろいの作品を収めている。もともとはオランダ絵画の素朴さが好きであったが、アイルランド絵画が意外とツボにはまってしまった。宗教画ばかりでなく日常のひとこまをドラマチックに描いた作品が多い。これに関しては残念ながら文才のない私にはいかにすばらしいものが文字にできないのを許して頂きたいが、現在所属している芸大での研究に間違いなく影響するだろう。今日も4冊ほどアイルランドの画家に関する本を買ってしまった。なんだか今回は通常と違って本ばかり買ってしまったが、ぜひ本棚を埋めるばかりでなくちゃんと習った英語を振る活用して読破し知識としたいものである。そもそもスーツケースに入るのか?相変わらずの無計画である・・。
2007.03.04
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始まりましたよ、英語の授業が!最初にクラスわけテストを行うが、曲がりなりにも英文科を卒業し、文法を詰め込んでいる日本人の私は不幸なことに全く会話ができないというのに上級コースに配置されてしまった。私はこのパターンを経験済みなので、すぐさま校長先生の部屋をノックし、「私は読み書きはなんとかできるが、話すことができない。だから今のテストはまったく当てにならないと思う。」と伝えると容赦なく「なるほど、分かった。まずは受けてみてください。どうしても難しければ下のクラスへ移そう」との結果。翌日私は下のクラスへ移動した。国籍は、フランス人女性、チリ、韓国、ポルトガル、そして日本、うまくミックスされたクラスだ。おまけに焦っている私は午後にインテンシブコースを取った。これは主に2時間ぶっ続けで会話力を高めるためのコースで、イタリア人、ポーランド人、そして私の構成である。私はその会話コースが一番気に入っている。トレバーという、まったく気の狂った先生がいて、彼の投げるトピックは非常に興味深い。宗教や生活習慣の各国のタブーぎりぎりのところで会話をし、結構みんな適度に熱くなったりする。各国で食する肉の種類。各国で過去に起こった残虐極まる事件について。自分が受けた今までで最悪な侮辱について。など、ネガティブなテーマばかりで、耳を覆いたくなるような表現もドシドシ勉強するが、人間の本質で自分の知らない世界の出来事やその心理や傾向を知ってみたかったりする、その好奇心を煽ったうまい授業である。生徒は「理解を超えている!ばかげている!」と怒りつつもきっちり考えて辞書で調べつつコメントをしてしまう。耳は覆いたくても、目は背けられない、そんなテーマばかりが続く。トレバーは一度パキスタン人の生徒に本気でナイフを突きつけられたそうだが、狂ったふりをしているのか、本当におかしいのか、いつも生徒を煽っている。私はとても満足していた。スーパーマーケットで使う表現、料理をするときに使う単語、パブで人に話しかけるときの話題、各国の行事に関する説明には、いい加減飽きていたからだ。もちろん、多国籍があつまる授業では、日本語教師のときにも覚えがあるが無難なトピックを選択する必要がある。教師の手引きにはそう書いてある。でも、これだけある程度経験を積んだ人間たちが各国から集まったのであれば、そこでしか出来ないちょっとディープな話もしてみたい。特にここに一ヶ月しかいない私は、聞くだけ聞いて帰ろうという好奇心の塊と化している。でも、本当に面白い。いろいろな国の生事情を聞くのはフィクションよりももっと面白くて、もっと知りたい。苦手であった英語に漬物にされているというのに、この私がペーパーバックを3冊も買ってしまったのだから笑える。ただ、私にとって英語もドイツ語も頭の中では同じ部屋にあるので時々単語がめちゃくちゃに絡まってしまい、先生を困らせてしまう。その単語に唯一反応を示してくれるのは、皮肉なことにポーランドの女の子だけなのだ。
2007.02.19
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いよいよ、初のアイルランド着陸だ。初めての国へ入るときほどウキウキする瞬間はない。ヒースローではダブリン行きのゲートは遠く、ひたすら歩いた。宇宙ステーションのような構造をしたヒースローの端っこにやたら細長いスペースがあり、発着が同時に同じ出入り口から行われている。ほんとにローカル空港といった雰囲気だ。喉が渇いたので、早速ギネスでも・・と思ったがここはまだ英国だった。私は£をもっていなかったのでもう少しの辛抱だとぐっとこらえた。少しすると後ろから日本語が聞こえてきた。まさか!こんな僻地で同胞に会うとは、なんて奇遇なのだ!私は満面の笑みを作り勢いつけて近づこうとおもったが、会話の内容が薄っすら聞こえてきた。A「へー、○○さんも英語勉強しにアイルランドへ?」B「そーなの、もう年なのにねー」A「マジですか?若く見えますよ。いくつか聞いていいですか?」B「もう26歳だよー。」私はすっと前を向きなおし、持っていたウオークマンを聞き始めた。ラララー♪ どの国にも、空港に降りた瞬間感じる独特のにおいがある。ダブリンの場合、それはフワッと暖かななんともニュートラルな空気だった。一歩表にでて、私はここに住めると感じた。車も日本と同じ方向から走ってくる、人も妙に馴れ馴れしくなく、かといって、無礼でもない。巨人でも巨漢でもなければ、やたらと色が抜けてもいない。生粋のアイルランド人は結構黒髪、黒目が多い。イギリス人像を思い描いていた私は不意打ちを食らったが、私のホストファミリーは両親そろって黒髪黒目、背も小柄である。遡ればケルト民族の血なのだろうが、他国に比べて驚くほど特徴的だと思った。ホストマザーは29歳で妊娠中、ころころとした体系ときれいな額をしたまあるい顔に大きな黒い目と、よく笑う大きな口をしていた。ひまわりのような陽気な雰囲気漂う、誰もが魅了されるだろう雰囲気をもって私を迎えてくれた。旦那さんは、どういう運命のいたづらか、立派な画家であった。奥さんより7歳年上で神経質そうなタイプだ。好きな画家はクレーとピカソ。なるほどね。だた、彼の描く絵は素敵だった。作り出す色が繊細で私は自分の部屋にある絵が一目で気に入ってしまった。幸いなことに部屋にはシャワールームがついていた。三度のご飯の次にシャワーがすきな私にとって、家族に気兼ねなく使えるシャワールームは、ひざまづきたいほど嬉しかった。少しだけキッチンで軽く自己紹介をしたあと、疲れていた私はそのまま明日早朝の英語レッスンに向けて眠ってしまった。明日から始まるぞ、地獄の英語付け生活だ!
2007.02.18
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やってきました、カーニバル!私はこの日のために今回ドイツへ来たといっても過言ではない。なぜこのカーニバルにこんなにイイのか?一言で言えば「開放感」。日本でも踊りにいけるし、飲みにいける、でも私が初めてこのカーニバルを経験したときはそれ以上の何か、とにかく燃え尽き感を感じた。何にもない草原で素っ裸で大きく呼吸をするような、そんな開放感とともに・・。その朝私は朝からメイクに忙しかった。日本からもってきたウサギの耳に、特殊メイクばりのリアルな顔を作りあげようと鏡と2時間くらいあーでもない、こーでもないと睨めっこ。私の友人であるマイケはフィフスエレメントの赤毛の女性を演出するらしい。なんとまあ、ピンポイントでマニアックな選択だろうと傍目に見ながら私は私であまりにもオーソドックスすぎる「ウサギ」に本気でなろうとしていた。二時間後、なんとか形になり二人で意気揚々と表で出たが、期待に反して仮装している人間が周りに見当たらない・・。私の顔にスーッと影が差したのを見て取ったのか、マイケは最近の若者間でのカーニバル熱が冷めたのだと説明し始めた。最近のヤングは夜にドレスアップして(決してウサギなどではなく)友人宅のパーティに繰り出すのだそうだ。結局、集合地点である市庁舎前まで仮装している人間をあまり目にしなかった。気を取り直して我々はもう一人の友人シルビアと待ち合わせし、地元のビールであるアルトビアで乾杯をした。シルビアもシルビアで顔に魚とイソギンチャクを描いてくるようなマニアックさを極めていたのだが、これまた好評で、中には知らない人だが写真を取らせてくれと言う人まで出てきた。ドイツ人のツボは全く持って謎である。そのまま、アホみたいに繰り返し流れるカーニバル音楽とともに夕方5時ごろまで飲み続ける。夕方暗くなるとだいたい救急車がけたたましく走り始める。何しろ朝から飲んでるんだから、自分でうまく調整しないと夜のハイライトまでたどり着けないのだ。夜のハイライト、それは大きなラインテラスで行われるディスコのこと。ここには昼間ウォーミングアップした若者たちが集い、狂ったように踊りまくる。一人で悦に入って踊り狂っているものもいれば(私)ナンパに明け暮れている者、またディスコの真ん中で議論に夢中になっているグループもいる。ここでは誰でもスターであり、誰もがこのスペースで一番輝いていると、(少なくとも自分では)信じているのだ。私はそのまま踊りつかれ、お腹がすいたのでこれも禁じていたジャンクフード○○キングでバーガーを買って食べた。味そのものは酷いものだったが、踊った後のジャンクフードは、オールナイトの飲み会後のラーメンと同じくらい最高だった。朝5時、これ以上体が動かなくなるまで騒いで、始発を捕まえ家に帰った。翌日はすっきり目が覚めて、あれだけ夜中に大量に食べたのにむくみもせずに9時に目が覚めた。私は心も体もこのイベントを愛しているようだ。
2007.02.15
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昨日までの悪夢のような日々から開放され、本日は朝から故郷デュッセルドルフへ移動した。お昼は以前勤めていた会社のそばで、以前から仲良くしていた同僚とランチの約束を取り付けることができた。私は昔からあらかじめ予定をいれることが苦手で、常にその日の気分で動く癖がある。彼女は私の訪問を知らなかったので飛び上がって驚いたが、このカーニバルの時期になると私がやってくるような気がしていると言った。それほど私はこのカーニバルに命をかけていたのである。今回も日本から十分に仮装グッツを準備し、鞄に忍ばせている。デュッセルドルフの駅を降りると、あたりはすっかりカーニバル気分で仮想の衣装があちこちで売られている。毎年出現する、一日カーニバル開始の日を早まって仮装してしまったお惚けさんももちろんいて、一気に懐かしい気持ちになった。彼女とのランチを終えると小雨が振り出した。ふっと昔すんでいた場所を訪ねてみようと思い立ち、8年間で住んだ場所4箇所を電車で回ってみることにした。それぞれの部屋の窓から中を見ると違う色のカーテンが引かれ、また別の人の、別の新しい生活が始まっている、当時はこの部屋でいろいろなことを考えた。外国で一人になり、自分の人生のあり方について、様々な思いをめぐらせたものだ・・と一人感慨に浸ってみたりした。最後に回った場所、そこは私にとってドイツのスタート地点でもある場所だ。言葉のわからない私を寛大に受け入れてくれたホストファミリーが住む家。時間がないだろうとアポを取らなかったが、結局こうして玄関の前まで来てしまった。彼らは私が日本で働いていると信じている。私は衝動的に玄関のベルを押した。3秒待ってみた・・返事はなかった。期待はしていなかったが、かなりがっかりし、あと15分だけ待ってみようと考え直した。時間は16時、みんな学校と仕事で帰宅する時間でないことは分かっていながら次の予定もないのでその場で手紙を書きながら待った。5分くらいたって、道の向こうに見慣れた赤いルノーが止まるのが見えた。心臓がどきどきした。なんて言おうかと思った。ホストマザーは私の方に怪訝な顔をして近づき、真正面に立つと無言で立ち尽くした。私は彼女の髪の毛がグレーに変わっているのを見た。何も言えずに黙って彼女に抱きついた。私が帰国したあと、彼女は彼女の母親を亡くしていたがその悲しみがどんなものであったか、その髪をみて理解した。その夜は昔と同じように家族団らんの食事と協会へバレンタインの蝋燭をつけに出かけた。昔は言葉が分からなかったため、何度も同じ言葉を繰り返すしかなかった私に、何度でも彼らは応えてくれたのを思い出しながら。昨日までの、ネオンぎらぎらのヘビメタナイツとは打って変わって暖かな、蝋燭の光のような夜だった。
2007.02.14
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教会の鐘の音で目が覚めた。そうだ、ヨーロッパだったんだ。コーヒーのいい香りに誘われてキッチンへいくと友人がドイツの朝食を用意してくれていた。食欲よりも、その懐かしさにしばらく馴染み深い食べ物たちをシゲシゲ眺めてしまった。今日のプランを聞くと、今度は母親と最近離婚した自分の父親の家を案内してくれるという。昨日はお母さんの家で悪夢のような歓迎を受けたが、父親は社会の先生をしているというくらいだからまともだろうと、余所行きのワンピースを着て、失礼のないように出かけた。彼、つまりその父親の部屋は女性の裸の写真で埋め尽くされていた。一瞬5メーターくらい引いたが、ここで叫ぶわけにもいかず、歯を食いしばって、まるで美術館の写真を眺めるように、極力笑みをたたえながら眺めていると、彼は窪んだ目をほころばせて自分の彼女なのだと言った。恐ろしいくらいやせこけた彼女を公園だか、どこかの森だかしらないが屋外で裸の写真をとり、拡大して部屋に飾りまくっているこの親父さんが同僚の尊敬してやまないという父親だったわけだ・・。彼は私が手持ちぶたさにしているのを見て取ると、ところどころ破れて綿の飛び出したソファーに座るよう勧めた。断るわけにもいかず、仕方なく腰かけるとオレンジジュースのようなしかしちょっと薄い感じの色をした飲み物が差し出された。これだけは飲めなかった。私たちはその家であまり会話のないまま、パルクフィクションを観賞、友人の親友という男からの電話によって救われ、その場を後にした。悪夢はその後もつづく・・。
2007.02.11
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ドイツの一週間は思いがけずかなりドスの効いたものとなってしまった。今回の滞在先はドイツ人の友人の家で、私が2005年まで生活していたデュッセルドルフからは少し離れている、いわゆる村である。空港に降りたら友人が少し丸くなった顔をほころばせて待っていてくれ、そのまま彼の住む村まで移動、車内からドイツ語会話が始まったのだが、いやーなかなか出てこない、さすがに一年半の日本語ばかりの生活は予想以上に私のドイツ語を奪ってしまったようである。ドイツのアウトバーンと表札、猛スピードで走るボロボロのベンツを見たときに、初めてドイツに帰ってきたんだと思った。不思議な感覚で懐かしいというよりも、一時帰国を終えて再び帰ってきたような妙な気分だった。その友達はもと同僚だが、アウトローな奴で仕事はできるが生き方がかなり無謀。ラブに関しても、趣味もすべてホドホドという程度をしらず、今までもいくつか問題を起こしてきた。今回彼の家にお世話になったのは、そのもと同僚であった彼のなぞに包まれたそのリアルな生活を見てみたい興味もあった。その夜はその友達が自分の母親に私を紹介してくれるというので、時差ぼけが抜けぬ頭で、最近離婚して一人で暮らしているというその母親を訪問した。手厚い歓迎を受けるかと思いきや、無関心にタバコをふかす彼女はソファーに深く腰掛けて冷たくなったコーヒーを飲んでいる。気の利いた会話をしなくちゃと構えたていたのがすっかり拍子抜けし、私もソファーに腰掛けようと思ったとたん、自分よりも大きなアフガンハウンドが別の部屋から歯をむき出して飛び掛ってきた!私は時差ぼけで反応が鈍く、飛び掛られるままに無言で仁王立ち、しかし心の中では悲鳴をあげていたが、友人もその母親もお構いなし。ようやく犬が落ち着いたところで、その母親の家を出た。なんなんだ!この家は!?疲れたうえに追い討ちをかけられ、しかも寝不足もあって顔も頭もボロボロです。ようやく友人が、今は彼女と別れて一人で暮らしているという大きな家に落ち着き、部屋をあてがってもらい部屋着に着替えてほっと一息。ドイツビールを飲み、チップスをつまみながらお互いの無謀な近況を語り合った。ドイツのビールが入ると条件反射で猛烈にドイツ語が口を突いて出て到着二時間目にして昔のノリを取り戻した。その日はとにかくシャワーを浴びて、泥のように睡眠を貪った。この後の自分の運命を知るわけもなく・・。
2007.02.10
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さて、いよいよやって参りました、旅立ちの時が!スーツケースの内容は現在20キロ。ドイツで参加するカーニバルの仮装グッツと、現地友人へのお土産、そして画材で埋め尽くされました。殆どガイドブックに載っていた、”重要持ち物リスト”に記されていないものばかり。準備万端といった感じでしょうか。思い起こせば、退職の決定も今回の計画も決定も前回のドイツ行きよりも早かったな~。今でもはっきり覚えてるけど、都庁のランチタイムで元同僚から投げられた、”オランダ行ったら?”っていうキーワードから、頭の中で何か化学反応が起こって、全てがマッハの速さで始まった気がする。いつも自分を突き動かすものはキーワードだったりする。それに、”情熱”と”妄想”が引火して行動に繋がるって感じかな。その日の帰り道、オランダ美術に関する本を3冊買ってほぼ徹夜で読破し、翌日には○クシーのオランダコミュニティへ登録し、英会話学校へ申し込み、大学の先生との交渉い挑み・・(不成立)、紆余曲折があったけど、ボッと火が点いたように、背中を押されたようにまさにトリツカレタように、そう、弾かれた様に(しつこい)今に至るわけだ。そう簡単に運命の女神は私に微笑むとは思わないけど、ここまではホント楽しかった!話変わるけど、この間銀行に行って始めて”記帳”してきたら、なかなか終わらないの。だって今までの取引内容全部書き込まないといけなかったから大変よ。で、出てきた金額をみて愕然としちゃった。これで欧州から帰ってきたら殆ど”ゼロ”なの。あ~、これだよ~と思ったね。私が求めていたのはこれなんだよ、この”危機感”待ったなしのセイフティネットなしの、この”スリル”!私は今まで全て”スリル”を求めて人生ゲームをやってきたんだな~と思ったわよ。だから安定し始めるとリセットしたくなり、溜まって(貯まって)くると不安になっていたのね。常にドラマチックなことを狙ってたし。ただ一度だけ、もうスリルはいらないと思ったときがあったね、それは、ドイツで首絞め強盗に遭遇したときでもなく、泥棒に全財産奪われたときでもなく、それはドイツから帰国してドラマチックにも”結核”になってしまったとき。このときは羽をもがれたようにやる気ももがれた。こればかりは堪らなかったわよ。半年間の療養生活、感染病患者としての肩身の狭さ、血を吐き出すビジュアルの厳しさとか、汗とか涙とかが薬のせいで全てが真っ赤になるの。もう、このときはホント早く治して普通に働いて普通に結婚して、子供産んだりしたい~って心から思ったんだけど。でもさ、お陰様で当時はドクターとの恋話にも恵まれ(妄想?)、感染症だっつーのにお見舞いに来るような命知らずな友人、知人にも励まされ、すっかり元気になったってわけ。そして、またムクムクと冒険心をくすぐられるままに動いちゃってるわけだけど、人間いつかは必ず身体が動けなくなる時がくるのよね。いつ天からスイッチを切られてしまうか分からないのよね。それならば、今、動く身体を持っているうちに何でもチャレンジしてしまおうって思ったところで・・行ってくるわ。百聞は一見にしかず。では、また、いつかね。
2007.02.09
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アイルランドに経つ前に、どうしても冬の日本を旅したいと思った。あまり周到な準備をせず、着の身着のまま上越新幹線に乗り込み、黒部峡谷を目指した。去年の3メーター級の積雪を予想したが、現地は春のような晴天!雪の降る中露天風呂で日本酒という私の図は悉く崩れたが、お陰で立山連峰が奇跡のように美しく、またクリアに姿を見せていた。食事はもちろんお魚メイン。寒ブリの時期は少し過ぎたらしいが、それでも油の乗った分厚いぶりは最高に日本酒とマッチしている。また、新湊で取れた白えび、蛍イカ、こぶ締めなど旬の名産を堪能し、夜は予定通り温泉へ。露天風呂は外気が暖かかったので、いまいち個人的に盛り上がらなかったが、遅くに到着し、ほかのお客さんも出払っていたので、まるで貸切風呂。やっぱり日本もさいこーと、一人悦に入る。翌日は回転寿司へ。このあたりの回転寿司は、東京の一流寿司屋に相当すると、かつて富山出身の知人が豪語していたことを思い出し、タクシーの運転手さんのお勧めだというお店へいざ出陣。確かに魚の種類は多いし、ねたの新鮮味がぜんぜん違う(涙)もうこれ以上DHAは摂取できませんレベルまでいただきました。”白えびの軍艦巻き”お勧め!現地には上手く市内をめぐれる電車も無く、バスは一時間来ないし、歩いて回るには遠いし、携帯の充電器を忘れたのでコンビにに入っても充電サービスはないし、情報を取るため”この辺にネットカフェありますか?”と聞いても、”はて?”という返事が返ってくるばかりで、フラストレーションをためてしまった自分が情い。。二進も三進も行かなかったので、しぶしぶホテルに戻ってお風呂に入って読書にふけった。もっぱら情報はホテルのフロントか、タクシーの運転手さん、または飲み屋でとった。でも皆人懐っこいし、郷土愛の塊だから何でも喜んで教えてくれた。本当にどうも有難う。いい旅になりました。ようやく、退職以来のばたばたをリセットできそうな頃、帰りの新幹線を予約し東京への帰路に着いたが、お土産に買った日本酒”立山”が予想以上に重かった。。。
2007.02.08
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自分でいうのも何だが、恥を承知で言わせてもらえば、私は合コン受けが抜群に良い。美女というわけでもなければ、アイドル並みに愛らしいわけでも、グラマーなわけでも、セクシーなわけでもない。また甲斐甲斐しく食事を取り分けるような気も利かないし、話題性に富むわけでもない。どちらかといえば新橋の高架下で手酌で飲むことを一番の幸せと感じるような、おっさんキャラだと自認している。コンパへは頭数を合わせるためにお邪魔して、専ら人間観察を楽しんでいるのだが、これまた最後は必ず電話番号を頂戴する。以下、何故なのか分析してみた。甲: 本能で間接照明を採用している店を選んでいる。 自分は上のマスカラは多めに乗せているので、 大抵マツゲの影が顔に下りて、眼を1.5倍には大きく、 魅力的にみせているに違いない。そして絶えず笑顔。 この笑顔はかつて経験したアルバイトに起因する。乙: 途中でトランスしている。→そんな暗がりのバーで一人グラス片手に 静かに相槌をうつ姿がおそらく男性の想像力を刺激しているに違いない。丙: トランスしながらも、条件反射でキーワードに対し応答可能。 ”料理”→”意外にできちゃう”(実は全くもって駄目) ”休み”→”結構アウトドア派”(実は引きこもって油絵) ”スキー”→”教えてもらいたいです”(実は神経痛を恐れて絶対行かない)こうして、世の中の男性を勘違いさせてしまうが、これは一見お得なようで全くそうでない!だって、全く別人ですから!大抵めでたく付き合うことになっても3ヶ月ほど経ったころから、男性は何かが違うと気がつき始め、俺は男と付き合っているのではないかと錯覚を覚える。4ヶ月目から魔法は切れ始め、長くて6ヶ月目にして全ては幻となるのだ。今年はもう、こんな時間と労力の無駄を防ぎ本物に出会うべく対策を変える必要がある。元同僚にも相談をしたが、人と初めてあうときはお天道様の下か、蛍光灯を選び、料理は出来ませんと手の甲に書くなど工夫をするか、うかつに言ってしまっても即座に訂正する、くらいの勢いで生きたいと思っています。
2007.02.03
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ヨーロッパに居たとき唯一見られなくて悔やまれた、パリのオルセー美術館が 今上野に来ている。 私が絵を描くとき大変参考にさせてもらっている、20世紀のフランスで 活躍した印象派の巨匠たちがお揃いでやって来たらしい。 ということで昨日は渡航準備の合間に、絵のことは知らないが 時間ができたので付き合ってくれるという友人とともに行ってきた。 本当は昔駅舎だったというあの細長く自然光の降り注ぐ パリのオルセーでそれぞれの絵を観たいところだが贅沢は言えますまい。 一歩入るとまずは女流画家でありマネのモデルでもあった、ベルト・モリゾの 作品”ゆりかご”がお出迎え。育ちがよく、また家族愛にあふれるモリゾの 暖かい筆使いに見とれた。 また非常に有名なゴッホの”アルルのゴッホの寝室””アルルのダンスホール”など も 来日していて面白かった。”寝室”のほうはゴッホいわく、日本の影響を受けた作品 らしいが どの辺りが影響受けてるのか、私にとっては謎。浮世絵のカラフルな色使いかな?と 思っているが どうなのかしら。”ダンスホール”は一緒に暮らし対立していたゴーギャンと一瞬仲 直りした 際に、ゴーギャンの手法を用いて描いたとされる記念すべき作品である。 孤独な画家、ゴッホは和解を心から喜び不器用にもゴーギャンに歩み寄ったのだろう かと 思いをはせた。 もっともっと観たい絵があったのに、来ていないものもあった。 ただ、アメリカ人画家の描いた絵が日本にきていたのは貴重かもしれない。 久しぶりに血が騒いで騒いで仕方がなかった。 たまたま一緒にいた友人の話も上の空で、とにかく自分の世界に浸ってしまった。 欧州へいったら、是非自分の見たものを自分の色で残したいと思った。 _________________________________________________________________ Hotmail に直接アクセス!MSN がさらに使いやすく http://jp.msn.com/
2007.02.02
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”赤坂見附でランチでもいかが?ご出発前に”と突然メールが入ったので、アキバの部屋の立会い検査前に会う約束をした。駅をでると、タイミングを見計らったようにまた携帯メール。”前方ホテル上方をご覧になって”見上げると、そこにはホテルのテラスで、春のように柔らかい光の中で大きく手を振っている友人Kさんがいたずらっ子のように笑っていた。慌てて彼女のもとへ階段を登り駆け寄ると、いつものごとく唐突に会話は始まった。彼女との会話はいつも突然で主語がない。”アイルランドよね、いっちゃおうかしら”洋画家で自由な彼女は次に絵を描く国を探している。パリは3年、ロンドンは2年通ったし、もうパリの色には飽きた。次はもっと自然色多い町がいいと言う。Kさん ”または、モロッコとかね、憧れちゃうわ”私 ”でもKさん、モロッコはきっと白と青とベージュしか使えないかもね”Kさん ”・・ねえ、このブラウスどう思う?この間お安く買ったのよ。”Kさんと会話をするのはコツが要る。1. ひとつの話題に固執してはならない。2. 当然の反応を期待してはならない。3. ネガティブなことをいわれても素直に凹んではならない。彼女は56歳。小さく色白な卵型の顔に真っ黒で大きなつり上がり気味の瞳、肩までのカールした漆黒の髪。目は常に感情を映さず落ち着かずに揺れているが、常に笑みだけはたたえている。私はつくづく得体の知れない人だと思う。彼女は最近自分の歩いてきた人生について少しづつ話してくれるようになった。ある著名人と結婚したが、身分が違うと旦那の両親に散々嫌味を言われながらの結婚であったこと、旦那とはDVがきっかけで10年前に別れたということ、娘が二人、一人はNYに住んでいて左の脳みそが発達しているらしいということ、自分は末娘と気が合うという話。ツラツラと強弱の無い話し方、突然変わる話題、止まる会話、相変わらずだ。だが、彼女には、強い感性がある。水溜りを見ても、銀杏の枝を見ても、心から美しいと思い時間を忘れる感性。そして、何気ない日常に”美”を見出して感動して泣いてしまう感受性がある。彼女の描く絵、それは街中のワンシーンが多い。具象とも抽象ともいえる表現を主に色調でする。私は、彼女を空気を描く画家だと思っている。ひとつひとつのモチーフは決して形を留めず、消え入りそうにそこに存在している。だが、100号キャンバスに全ての材料が纏まった瞬間、それぞれの色が調和し、その街の”雰囲気”を切り取ってしまう。光、音、ざわめき、温度を。人の感情、動きを、すっかり切り取って観ている者に伝える。身体全体をアンテナにして、あらゆる情報を吸収し自らの内でアレンジして自分の色で表現してしまう。Kさんはやはり得たいの知れない人。遠慮の無い評論家であり、休まず常に女性であり、明るい情熱家であり、そして、私にとって、大切な友人の一人だ。
2007.01.31
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終わった・・。体中が痛いです。応援してくれた皆さん!ありがとー(マダム大○○風)!今日は両親と近所で打ち上げ、家族三人で日本酒を大量オーダー!(うちは本当に酒豪一家なのよ)家に到着するやいなや、推理小説を読みふけり、気がつけば朝の3時だった。明日も早起きなのに~・・おやすみ。 むにゃむにゃ・・
2007.01.28
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昨日は元同僚とドイツ料理屋さんで送別会を開いてもらった。一日家でふてくされて引越し作業をやっていたので、朝から楽しみで楽しみで、何もほかに手につかなかった。(って結局作業ははかどらなかったのよ)レストランに着くと、元同僚はなんとも憮然とした表情で、一瞬そこだけカウンターのライトが切れているのかな?と思ったほど顔に影が差していた。事情を聞いて納得し、そのまま勤務していたころと同じノリで、また同じ話をして愚痴と野望を語るだけ語って、盛り上がって帰ってきた。わざとらしく一年の思い出を語るより、将来の抱負を述べてみるより、このメンバーなら、そういう感じの送別会のほうがシックリくるなと思いながら・・。適当に相槌うって、人を持ち上げることは簡単だが、お互いの未熟なところを無遠慮に突っ込んで笑いとばすことはパワーがいる。こんなことが出来る友人達が、会社という微妙な感情が渦巻く組織の中でさえ、確立出来たことを嬉しく思った。さて、そんなこんなで一人悦に入って部屋に帰れば、そこは中途半端な荷物の山。そのままふて寝と行きたい所だか、引越しを手伝ってくれるという父と弟、その友人の顔が浮かび、夜な夜な作業に取り組んだ。ベートーベンの第九4章をかけ、自分を奮い立たせて頑張った。気がつくと両親からの電話で目が覚めた。”後20分で到着するぞ~。準備は大丈夫ぅ~?”いつの間に寝てしまったのか!!ベットから飛び起きて急いで着替えあちこち身体をダンボールにぶつけながら残りの箱詰めを大慌てで始めた。ピンポ~ン!オーマイガ~!!早いっ!私の様子をみた両親は開口一番、”髪の毛・・”はっ!私としたことがパジャマから着替えることと、残った箱詰めに夢中で身支度をしていなかった~。最近短くした髪の毛は好き勝手にあちこちに向いてるし、お顔のパーツもかいていないから、様変わりしてるし、父 ”今、○○(弟)の友達が来てくれるからさぁ~、あんまり驚かせないようにねぇ~はっはっは”うおお~!いか~ん!!弟の友達にこんかカッコで初対面では、姉、絶対にいかん!いや・・待てよ・・確かその子とは初対面ではなかったかな?弟の結婚式で受付をしてくれた子か・・なんだ会ってるじゃないの。ほっ・・いや、いや、」いや、それはもっとイカン!けしからん!!あのとき私、姉はそれなりにおめかししていたよ。”お前のお姉ちゃんいくつ?”って弟が聞かれたと聞き、浮き足立っだったんじゃないの!このギャップを!現実を!いたいけな青年に突きつけてしまってはいけない!小刻みに震えながら洗面所に閉じこもり、マッハの速さで顔のパーツをとりあえず描き、髪の毛をビショビショに濡らして、ぜ~ぜ~言いながら登場。しかも、低血圧のうえに慌てたものだから、気もそぞろに黙々といきなり作業にとりかかった。さわやかに現れ、手際よく手伝ってくれて弟の友人達よ、相当怖かっただろうね、ごめんよ。_________________________________________________________________Windows Live & Windows Vista の最新情報を更新中 http://promotion.live.jp/
2007.01.27
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恐るべし引越し!22平米だからとなめていたが、まんまと泣かされるはめに。大体、私はなにゆえにここまでモノを増やしたのだ!もわもわ~・・思い出すよ、一年前。ドイツから帰国し、初めての東京一人暮らし。平和で口笛しかやることがない海外生活で、人から聞く東京生活は余りにきらびやかだった。親から送ってもらった一昔前の日本のドラマVHSを赤ワインの呑みながら何度も観ては、なんて華やかな世界なんだろ~!なんて刺激的な毎日なんだろ~!・・そうだよ!これだよ!これ!私は迷わず8年間住んだデュッセルの60平米のレジデンスを引き払い、親から送ってもらった”週間○貸”に赤丸をつけながら成田行きの飛行機に鼻歌♪まじりに乗っていた。就職も決まり、さて家探し。直感を信じる私は、一軒目で即決。なんかおかしいな・・と思ったその違和感が部屋の面積とロケーションだということに気がつかなかった。違和感はあったものの、とにかく憧れの一人暮らしイントキオ!私は思い描く生活を現実にすべくあらゆるものを買い揃えたのだった。まずは調理器具!一人暮らしで器用に”あるもので”料理をするの図が浮かび、もちろん彼氏や友人を招いておもてなしをしちゃったりして、”へ~意外と家庭的なんだ。”なんて言われたいが為に、おそろいのワイングラス、お皿、調味料ケース、お鍋、ティーポット、これだけ揃えれば、フランス料理でも日本料理でもカナリのモノができると信じ買いまくった。トドメに、料理本を30冊くらい買った。はあ・今私は全く新品同様の状態でアホみたくダンボールに詰めています。次に画材!絵が趣味の私は、とにかくキャンバスと絵の具を無意識に増やす傾向がある。行きつけ新宿の画材屋さんでとにかく買いあさり、画集とイーゼルとキャンバスで足の踏み場が無くなっていた!持ってるつーのに、また同じ色を買ってしまう、誰か精神鑑定してほしいくらいの購買意欲です。おまけに数度しかデッサンしないのに、メディチの石膏像や剥製まで買ってしまった。かなり怪しい部屋となるに十分なアイテムが勢ぞろい。なんだかんだで、この1年、思い描いていた部屋とは正反対の方向へもうダッシュしてたみたい。次に引っ越すときは30平米以上を探そう・・(面積の問題じゃないって?)
2007.01.26
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昨日で最後になった職場はドイツ系企業でした。 ドイツから帰ってきて病気を克服して、漸く決まった職場でした。日本にある外資系っていう場所で働くのも初めてで、 どんな人達と仕事をするんだろう、と思っていたら 想像を超えて強烈だった。 まずは一言、女性が強かった。着物の国の女性とは思えないほどのダイナミックな歩き方、走る、声は皆大きい(内緒話ができない)、会話に英語が混じる、たまに使う日本語は現在使われておりませんという感じのいわゆる死語。服装も凄かった。 まずは、丸の内のOLを想像してみてね、淡い色のカーデガンにタイとスカート、ストッキングにリボンのついたヒール。 私の勤務していた会社では、ム~ム~(ハワイアン)、ペルーのポンチョ、ビーチサンダル、ギリシャのイカロス風サンダル、45歳の超ミニスカート、キョンシー風ワンピース、 社交ダンサー、真冬にノースリーブ、手の甲まで毛むくじゃら(これは服じゃないか)、など驚くほど自由でした。 皆ある程度長く外国に居た人が多かったから、時間が止まってしまっているんだな、私は大丈夫だろうか・・ここで。 と一抹の不安が過ぎったが、気がつけばそれが普通の光景になってしまった。たまに誰かが彼氏とデートがあるだのと綺麗なお洋服を着てくると、誰もが激しく反応。 ”うわ~、可愛いね、綺麗だね~”と目をきらきらさせて 褒めちぎった。でもそれは世の中では至って普通の服装だったりするかもしれない。 社長はといえばドイツ人だが2メーターの巨人で、細い。人より一つ関節が多い様子。 半分以上が足だけあって、社長室のソファーに腰をかけると ひざが高くて本人の顔が見えない。 学者出身だけあって、思考回路が浮世離れしており、 何を話しても通じない。たまに言うギャグは本当に意味不明だが本人は言ってるそばからなが~い上半身をのけぞらせて奇声を発して大爆笑・・。それをみて社員は無遠慮に大爆笑。でも、傍からみれば一同大いに盛り上がっているの図。 ドイツ人の同僚はいつまでたっても日本語が上達しない。 辞めていく同僚に”よろしくお願いします”と満面の笑みで送り出し、メールが入ってくれば”初めまして”とつぶやいてしまう。それでも周りは普通に会話ができる。 ここには書ききれないほどの、本当に不思議な経験をした会社だったが、私は好きだったな。 強くて怖い人が多いのだけど、全て思ったことを言っているからお腹に悪いものがない、というか、黒くないっていうか、無邪気なんだと思う。 正直に体当たりで生きているんだと、私は思う。 ここで得た縁は今後も大切にしていきたいと思っています。
2007.01.25
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1年勤めた会社を辞めた。今送別会を終えたけど全く実感なくて。何しろ愛情を素直に伝えることが苦手だし、寂しさを隠すためにさっさとお煎餅だけを配って、ヘラヘラ笑いながら会社を後にしてしまった。あ~。けじめがなくて嫌になっちゃう。勤続年数ではなく、勤続濃度では私の今回は濃かったな~。忘れられないと思う。なんかね、ワケモワカラズ何故かここに引き寄せられて出会いを設定されてまた、一年で去ることも運命づけられていたような感覚があるのよね。大げさ?それだけ、どうしても、短期でも通り過ぎなければいけなかった場所なのかも。これは私のワールドでの感覚だから気にしなくていいけど。有難うね、毎日同じこと話して怒ったり笑ったり、くだらない事で眉毛を潜めたり、社会人になって、こんなに無邪気に過ごせた時を心から貴重だと思ってる。上手く文章で書けないけど、こればかりは代筆も頼めないから、ひたすら何度でも何度でも、今、力いっぱいお礼を言いたいです。本当にありがと。ひとまず、ここで区切って行って来るね。次は少し冷静に、私にとって4件目になるその会社について考えます。
2007.01.24
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建物が好きです。工程表を作るのも見るのも、土地をならし基礎を造り構造を組み、設備工事、外装、内装、塗装、全てが大好きです。もっと言っちゃえば基礎工事はもっと好きだし、建設許可申請が下りるかどうかのスリルさえ好き。それが難しければ難しいほど血が騒ぎます。着工から竣工まで工事現場を見ると涙がでます。自由に思うが侭に建設できたらどんなに素敵だろうな~って思う。ガウディみたくね。でも、今日はまた談合に関するニュースを見ました。建築物はロマンだと思うのに、談合ばかりが付きまとって悲しいわ。それでも、今日も秋葉の工事現場を見に行ってしまいました。一日一日、建物ができる過程は非常にロマンティックです。もっと良く見えればいいのに。夜じゃ見難くて残念。
2007.01.22
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昨日、ふっと迷い込んだ先に見つけた、巨大どら焼き。流石に東京芸大の学生さんの考えることは違うな~と、ただただ関心し、”どら焼き”を見上げながら、無言で寒空の中ひたすら佇んだ。家を出るときから面白いものがあったら撮ってやろうと、意気揚々と鼻歌交じりに大事に首に下げたカメラの存在も忘れ、己の目の前に突如出現したこの巨大な存在を口を開けて見上げるしかなく。シゲシゲと、後ろへ前へ、眺めること15分、やっと我に返って、”まいったまいった”と独り言をつぶやき、ため息混じりに頭を振りながらおもむろにカメラを構えた。シャッターを押したが、あれえっ!カメラの電池は切れかかってる!それでも電源を入れては電気がわずかに通っている2秒の間に超スピードでシャッターを連打作戦を繰り返し、ようやく捕らえた一枚がこれ。ごらんあれ。いや~、しかし構内で見かけた芸大生の有様もかなり怪しかったが、どら焼きの周りを凄い形相で異常にゆっくりと、グルグル眺め回し(しかも頭は上下している)中腰で歩き回った挙句、最新型のデジカメのシャッターを電光石火の勢いで連射している自分のの姿を客観的に省みると、さて、今日のところは長居は無用と、ソソクサとその場から退散するしかなかったのでした。この”どら焼き”が何故うまれたのか、ご存知の方は教えてください。
2007.01.21
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昨日で一山越えたということで、本日は気を取り直して早起きして上野公園周辺を探索しました。都内とは思えないほど落ち着いていて、お寺や美術館、また古い旅館が多くあります。森鴎外が住んでいたお屋敷が、今は温泉旅館になっていたりして思いがけず新しい発見がありました。東京芸大があることもあり、画材のお店や額を売るお店なんかもあって、派手さはないけど趣深かい、素敵な場所でした。満足しながらカメラを片手にウロウロ、キョロキョロ探索していると・・気がつけば芸大の陶芸制作室に迷い込んでいました(なんでや!)。中には誰も居なかったけど(一応叫んでみたよ)、学生さんが一生懸命作ったと思われる、ちょっと意味が良く分からないけど綺麗な石のくっついた陶器が並べてあったりして、これ、心無い人に盗まれないのかなあ?と心配になりましたよ、って、忍び込んでいるのはお前だろう!って言われそうだけど。その綺麗な石のついた陶器に後ろ髪を引かれながらも(かなり葛藤が・・)振り切って作業室を抜けると信じられないものが!!巨大などら焼きタワー!!(写真は後ほどアップします)だれか、何故ここにどら焼きが積み重なっていたのか、教えてください。なぜなぜなぜ・・と考えながら歩くこと40分、気がつけば夕方。場所はお馴染み神田駅。お腹もすいて参りました。昨日で目の上のタンコブも取れたところで、今日はパーッと焼肉でも食べたいな~と思ったところに、おっと!”焼肉ホルモン道場”!!!即効友達に電話をして、即席打ち上げ焼肉パーティ開始!なんと、入ってから気がついたが、ホルモン道場は焼肉食べ放題のお店。しかも激安でしたの。3500円で飲み物つきの食べ放題。私、31歳、もうすぐ32歳になろうかというのに、友人(男性)も舌を巻く、ティーンエイジャーばりの食欲をご披露してしまったわ。さすがに暫くはお肉はいらないや。でも、これでもか~っていうくらいモリモリ食べたい人には、”神田:ホルモン道場” お勧めです。http://www.hotpepper.jp/A_20100/strJ000000245.html
2007.01.20
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まもなく退社しようとしている会社で最後の1大仕事がようやく終わった。背に腹は変えられず、必死で七転八倒しながらの二日間、もしかしたら途中で脳震盪の一つでも起こしていたり、泡を吹いていたり・・したかもしれない。それほど私にとっては清水の舞台から飛び降りる覚悟でした。ずっと神経張り詰めていたから、身体の疲れは感じなかったけど、今終わってホッとしたら、身体のあちこちに痣があったり、全身クタクタなことに気がついた。でも、こういったチャレンジって人生大事よね。面白くない目にもあったけど、苦手意識を克服するためにあえて設定された試練のように思えるわ~。これから、また新しいことに挑戦しようと思うから、”朝一番でカエルを飲み込め”(そうすれば、一日これ以上辛いことはないから幸せに感じる)の諺じゃないけど、怖いもん無しでガンガンいくよ!今日は乾杯!そして次は第二関門、社長への報告。
2007.01.19
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また長い髪をあきらめてしまった・・。今回ばかりは密かに描いていた、長くてまっすぐな日本人の健康な髪の毛。”髪型が落ち着かない人は、人生全般において移り気な人”て祖母が言ってたな。そして、この私は美容院に行くたびに同じ髪型を注文したことがない。ヘアモデルではないんだよ。今回はまんまとサッパリ短くし、二度とかけるものかと誓ったパームまであててしまった。でも流石に健康な髪への執着だけは多少残っていたと見え、美容師1押しの、”超スペシャル奇跡のトリートメント!でも値段もスペシャル!”を注文してしまい、出費のかさむこの時期にまた散財してしまいました。そして,ここでいつもの言い訳”そう、私は経験を買ったのよ・・”明日から毎日ランチは都庁で・・。
2007.01.17
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今月末で退職するので同僚皆が送別会を開いてくれました。場所 :都庁32階 社員食堂メニュー:本日のおすすめ生姜焼き定食 550円眺めは良いし、気取らないし、何より人間観察し放題!結構混雑するので11時半頃到着するのがベスト。送別会や、歓迎会でこちらを利用するのは別として、お勧めです!
2007.01.16
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