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ビーズを作るとき、この色とこの色を合わせて作ったらどちらもとてもきれいな素材だから、きっと合うはずだ。と思って作り始めると、どちらの色もくすんで見えることがある。反対にどちらもあまり目立たないけれど、合わせてみるとお互いがお互いの色を引き立てて、とても美しい輝きを放つことがある。強い色の隣に持ってくるのは光を吸収しやすい素材にする。なるべく隣の色を吸い取ってくれるような。夫婦や恋人の組み合わせも同じかなと思う。猫たちは人間よりもいろんな組み合わせに順応しているような気がする。きれいな色どうしを組み合わせて両方がくすんでしまったらどうするか。合間に違う色を入れて、少し遠ざけてみる。そうすると調和が取れるときが多い。全体が主張し過ぎず、穏やかにまとまる。予想とは違ってとても柔らかい色調になってくれる。
2003.03.28
アウシュビッツの後に詩を書くのは野蛮だとアドルノは言ったけれど今日も私の日常は続いていて詩どころか日記を書いている。なんという平安な日常だろう。猫のために行動できることがいくつかあって猫のために行動することにためらいはないがではなぜ人間のために行動できないのかもう少し考えたほうがいいようだ。
2003.03.27
今日、新野ノアさんの日記で知りました。殺処分される猫がガス殺される前にこうして網の袋に入れられることを。犬も猫も人間もガスで殺されるときは苦しみます。即死ではありません。「安楽死」されると思ってこれから保健所や動物愛護センターへ持ち込む人たちは自分がガス殺されることを想像してみては。(3月28日記)http://www.tanteifile.com/tamashii/index2.html
2003.03.26
シーチがもう一度ベランダへ行きたいと言うので一緒に行った。日光を浴びているうちに空腹がつのり、ベランダに朝食を持ってきて食べた。お皿一枚で運んで来たので紅茶もミルクなしで飲むことにした。このごろ2杯に1杯はストレートで飲んでいる。いまだにミルクティを飲んでいることに非常な後ろめたさを感じる。高めの牛乳を買っても工場的畜産による製品であることに変わりはない。人間に搾取され続けたあげく動物達は殺され続けている。動物の痛みを感じられない人間が人間の痛みを感じることができるのだろうか。それがいつも思うことのひとつ・・。
2003.03.23
動物の保護活動をしている人と知り合うようになってときどき考えることがある。彼らの魂はきっととても美しい。動物たちに守られているからだろうか。わからないけれど、きっとそうだと思う。(魂という言葉が宗教的で、うさんくさい響きを伴うこともある。どんな宗教にもヒエラルキーがある。どんな宗教団体にもといったほうがよいかもしれない。それが見えた時点で宗教はとてもうそくさいものに見える。)↑そういうわけでわたしは無宗教であるが、たましいを否定するのは難しい。それがあると考えたほうがないと考えるより自然だからだ。わたしにとっては。
2003.03.20
誰のものでもない猫は生きていてはいけない。誰のものでもない猫は戸外を歩き回ってはいけない。誰かのものである猫は家の中で生きましょう。誰かのものである猫は戸外を歩き回ってはいけない。この地上は等しく人間のものだから。猫は歩き回ってはいけない。アスファルトの路面も畑の裏の雑木林もすべては人間のものだから。地域猫のプランを推し進める中でいろいろな弊害が出てきています。猫は必ず誰かが管理し、管理されない猫が外を歩いていたら捕獲し、保健所へ連れていく。これを条例で可決した地域があります。「猫は外を自由に歩いてはいけない」らしい。人間に決定権があるとは知らなかった・・・。アニマルライツセンターからの報告です。京都で条例が可決され、4月1日から施行されるということです。私たちは権利を持っています。いろんな権利を。http://www.arcj.info/cgi-bin/diaryj/diaryj.cgi 今日はアニマルライツセンターのボランティアに行く予定です。相模大野駅前でパネル展が開催されます。短い時間ですがお手伝いしてきます^^。
2003.03.15
お風呂から出て、脱衣室にいる私をしーちがずっと待っている。私をどこかへ案内するために。髪を乾かして廊下へ出ると、しーちが身をひるがえして歩き始める。南側の窓へ向かって。南側の窓からベランダへ行ける。皆、ベランダから戸外を眺めるのが好きだ。けれど、今日は風が冷たい。だからしーちを窓のそばのワゴンに乗せて照明を消した。外がよく見えるように。しばらくいっしょに外の世界を眺めることにした。多くのひとびとが人間以外の動物の知性を信じないのは悲しい。それは偏見というより無知によるものだ。少しでも知る機会があれば彼らの知性にふれる機会があれば人も変わっていくだろう。外の世界はしーちにとって美しいだろうか。
2003.03.12
言い忘れておりました。野薔薇さんはやはりうちの子になります。おととい、半休とって午前中家にいたのです。そしたら、野薔薇がふうちゃんの寝ている椅子に乗り込んで一緒に寝ようとしてた。隣にはしーちゃんの椅子があって、しーちはそこですでに眠っていました。のんちゃんの椅子は?そうです、こりゃあんまりだ。猫の数と椅子の数が合ってない。それでようやく言えました。のんちゃんの椅子も用意しようね、ずっとここにいようね、のんちゃん。やっと野薔薇に言えました。野薔薇さん、遅くなってごめんね。ずっと一緒にいようね。というわけで、3猫の姉弟妹になりました。きっとなんとかなるでしょう。
2003.03.07
夕方、知り合いからメールが入り、近所の猫が車にはねられて死んでいるという。今も放置されているなら引き取りに行こうかと返信すると大丈夫という。朝のことなのか、いましがたのことなのか判別できなかったが、とにかく行ってこようと思い会社帰りに現場へ寄った。そのあたりをぐるりと回ってみたが猫はもういないようだった。誰かが引き取ってくれたのだろうか。野薔薇を初めて獣医につれていったときも国道で猫が亡くなっていた。同乗者が役所に連絡してくれて通りすがっただけでそのまま帰ってきたが、連絡したのが午後だったので引き取りは明日になるということだった。一度帰宅したものの明日までそのままそこに放置されているのはしのびなく友人に車を出してもらって再びそこへ行った。猫はいなかった。誰かが既に引き取ってくれたらしい。飼い猫だったのかもしれない。遠めに見た姿はやせている様子ではなくあごをあげて苦しそうに横たわっていた。何よりそこは国道で車がひっきりなしに通る。ほこりもひどいし、路肩とはいえもう一度ひかれたらと思うといたたまれなくなり、来てみたがいなかった。道端で亡くなった猫が手厚く葬られたと信じたい。死んでからもモノのように扱われるのはつら過ぎる。帰りがけに小さな花束を買って猫棚に供えた。現場に供えた方がよかっただろうか。猫棚にいるうちの小さな子ども達と向こう岸で遊んでくれるといいと思った。
2003.03.04
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