2005.04.02
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「アンパンマン」

デ・アミーチス


自己犠牲のお話。
自己犠牲は美しい。
だから人は、自己犠牲のお話に惹かれるのだろうか。


猫のことで、自分の時間を削って、
少なくない労力を割いて、
かかる費用を負担し、寝る間もなく動いていると
周囲からは奇異に映るらしい。
それでも、いろんな人から応援してもらったり、支えてもらったりして、
非難されることはあまりない。

サイトに記事を掲載するにあたっても、独りよがりな書き方をしないように
留意して書いているつもりだ。
記事を読んで、共感を寄せてくれる方がいると、
猫のために動いている(つもりの)、この方向が間違っているわけではないのだと
ちょっとほっとする。

最近まで、猫のために行動することが自己犠牲だとは思っていなかった。
知人にそう指摘されるまでは。



みち猫さんとわたしは、偶然なことに、時を隔ててR社の同じ仕事に就いていた。
1分1秒を争う職場。というと大袈裟だが、週刊誌の仕事に時間の余裕はない。
わたし達が所属していたのは制作の部署だったが、
営業の管理者の合言葉は、「煙が出るまで働かせろ」だと聞いたこともある。

猫のことも、知らず知らずのうちにR社方式で動いていたような気がする。
動けることはすべて今対処して、一段落したらご飯を食べましょう☆という方式。

余裕のなさが判断の誤りを生む。
創を死なせてしまって、ようやく気がついたこと。
死んでから創を自分の家の子にして、
なんてひどいことをしているのかといまも思う。

けれど、
余裕がなくなっているのは、
猫のための行動を最優先した結果である。
それともそれは言い訳に過ぎないのだろうか。




アンパンマンもしょくぱんまんも、自分の体を食べさせた後は、
パン工場でおじさんに修復してもらえる。
なんてうらやましい。
なんて都合のいい。

誰かにすべてを引き受けてもらえるから自分を犠牲にできるのだ。
それを自己犠牲というかどうかは別にして、
もしもそんなシステムがあったらどんなに楽か、どんなに汚いか、それはわからないが、
少なくとも修復可能な肉体をもっていたならば、
今より少しはいいのかもしれない。

自己犠牲の物語が好きだったのはなぜだろう。
子どものためのイタリアのお話、「クオレ」に惹かれて繰り返し読んだのはどうしてだったのか。

誰かのために自分を犠牲にして、
たとえば自分が死んだあとに、周囲から褒めてもらいたいのか。
もっと単純に、じぶんが生きていたことは無駄ではなかったと確認したいだけなのか。



「アンパンマン」の中で一番好きだったのは、ドキンちゃん。
いつも自分に正直で、言いたいことを率直にいい、
要求をはっきり口にする。

あなたはいつもそうしてるじゃん。
と、誰かに言われそうだ。














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最終更新日  2005.04.09 18:58:41


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