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今、手元に30年前の白川郷の写真がある。この雑誌は旅行から帰ってきて偶然に見つけたのだが「風の旅人」という雑誌だ。創刊2号の巻頭を飾る写真だ。写真には「Origin 還るところ [岐阜県・白川村 加須良]」とタイトルがある。今回目にしてきた村の風景とは違い生活の場が写真からでも感じられる。家もあちらこちら傷んでいるような、そんな風情だ。屋根も多分傷んだり草などが生えているのだろう、゛線゛が滑らかでない。次のペ-ジには食事時の写真が載っている。家長制度の名残か主人は家族とは少しはなれて箱膳でひとり食べている。また子供が雑巾がけをしている写真もある。当たり前に家の手伝いをして家族の一員である子供。それから見ると現在の町の子供はお客さんだ。話がそれそうなので止めるが、この写真を見ていると現在の白川郷はやはり創られた里にしか見えない。生活臭が感じられない。守るためには仕方のない選択なのだろけど、その中で失われてしまった、失われていく物も多くある事実。複雑な気持ちだ。 白川郷
Dec 19, 2007
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少し風邪気味です。インフルエンザ、ノロウイルスもボツボツ流行りかけています。地域によってはすでに流行っているようです。うがい、手洗いに気をつけてください。 写真は雨に煙る白川郷の家々
Dec 18, 2007
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古川の写真をもう一枚写真をみてお分かりの通り家の前で子供が遊んでいる。ここは観光地でもあるが生活の場でもある。竹原の保存地区もそうだったが、やはり生活の場でなくてはいくら古い町並みが残っていてもそこはもはやテ-マパ-クに過ぎない。高山の町がそうなりつつある。確かにそこで生活も営まれているが、住居ではなく(住んでいる人もいる)テナント街に近い、そんな印象だった。これは今回の僕の印象であって、季節が違えばまた変わるかもしれないけど。写真下右の「モナカアイス」の旗がある店で一休みした。下左は店内から見た風景
Dec 15, 2007
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高山から隣の市である飛騨市に向かった。飛騨市、古川町にも高山の町並みに負けない趣のある町がやはり川沿いに軒を連ねている。高山は人が多く情緒に欠けるが、古川は観光客が少ないのでゆっくり散策できたのでこちらの町のほうが印象に残っている。お勧めなのは瀬戸川沿いの白壁の土蔵がある通りだ。もし高山方面へ旅行される予定のある方はぜひ古川まで足を伸ばしてみてください。写真は白壁土蔵街と なつかしい鉄橋
Dec 15, 2007
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高山の市内中心部をながれる「宮川」。その川辺のどこかなつかしい一枚です。子守半纏(ばんてん)、今時見られない光景ですね。子供の頃はおんぶされ、おんぶした光景をよく目にしてました。子供にとっては母の背中の暖かさは一番ですね。
Dec 13, 2007
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桜山八幡宮を後にした我々は次に国分寺へ向かった。国分寺とは言うまでもなく、聖武天皇が741年に各国に国分寺と国分尼寺の建立を命じた寺である。現在その形をかえ、再建も含めて全国に約63ほどの寺があるが、国分寺として当時の面影を今に残している寺は少ないのではないだろうか.ここ飛騨国、国分寺は当時の面影を色濃く残した寺のひとつだ。山門を入り、鐘楼をくぐって目に付くのが樹齢1250年といわれるオオイチョウだ。またその右手にある三重の塔も清楚な姿で秋の空にのびていた。写真はオオイチョウと三重の塔飛騨国分寺
Dec 12, 2007
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桜山八幡宮の写真をもう一枚今回の旅行で一番のお気に入りの写真だ。
Dec 10, 2007
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陣屋を見た後、桜山八幡宮へ向かった。このお宮の祭り、奉行祭と呼ばれていたものが戦後秋の高山祭りとなり、おなじみの絢爛豪華な屋台や祭行列が10月9-10日に行なわれている。写真は「桜山八幡宮の門と紅葉」
Dec 10, 2007
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旅の二か目は高山へ行く事になった。ゆっくりと起き出しパンとコ-ヒ-で朝は済ませ出発した。彼の運転で高山を見物しその後、実家がある神岡へ行き泊めてもらう計画だ。やや曇り空の下呂温泉を出て昼前に高山に着いた。古い町並みを散策しながら名物の゛みたらしだんご゛を頬張り、造り酒屋では新酒を少しだけ試飲して写真をパチパチと撮りながらのあわただしい散策だった。昨夜の酒が残っていて試飲は少しだけだったのが心残りだ。街は観光客であふれまるでお祭りか縁日のようで風情など感じる雰囲気ではなかった。いつもこんな感じらしい。ただ夜になると人は少なくなり違った雰囲気になるそうだ。今度来るときは高山で一泊して夜の街を歩いてみよう。その後「陣屋跡」へ行った。「陣屋」、名前は聞いたことがあったが「役人が来たときに泊まる所」くらいの認識しかなかった。また高山へ来て町を歩いているうちに一つの疑問が湧いてきた。山の中の辺鄙なこの地がなぜ栄えたのかと言う疑問だった。陣屋を見学していて陣屋の認識を新たにするとともに疑問も解けた。高山が江戸幕府の直轄地となる以前は城があったらしい。しかし直轄地になると城は壊され変りに陣屋が建てられた。以下は自分の考えで確かではないが・・・・。城は敵から守るための建物、直轄地にそれがあることは矛盾するということか。各藩は幕府の管理下にありながらも独立していた。経済的にも自治と言う意味でも。だから敵を迎え撃つための軍事施設であり政治の場である城の存在も許されていたのだろう。しかし直轄地には必要ない。幕府が直接介入するからだ。城のかわりに幕府の出先機関としての存在が陣屋なのだろう。陣屋にはもちろん中央の役人を接待するための部屋もあったが台所をはじめとする生活空間、政治を司る部屋また罪人を取り調べるための゛責めの道具゛や裁判所の役割をする「お白州」もあった。要するに行政、財政、警察などの政務をおこなった役所というところか。なぜ高山が繁栄し直轄地となったかと云えば、鉱山資源があったからだ。金・銀・銅が採れた。また豊かな木材資源もあった。幕府はこれに目をつけたのだろう。写真は古い町並みと赤い欄干の「中橋」、陣屋
Dec 6, 2007
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この夜は居酒屋を2軒まわり帰ってからも焼酎のお湯割りを飲んだ。彼は学生時代の時からの親友で出会ったときから気があった。一年目は僕が寮に入っていたので別々だつたが二年目からは彼の居る下宿のひと部屋がたまたま空いたのでとなりの部屋に越していった。卒業までの三年間はほぼ生活を共にしていた感じだ。性格見た目はま反対、でも内面的なところで通じるものがあった。だから彼の内面的な部分を知らない人からは「なんで合うのかわからない」とよく言われたものだ。そんな彼とは卒業してからは数えるほどしか会ってない。お互い用事があったときに連絡しあって会っただけだ。しかしいつも心は通じていたような・・・・そんなことは意識もしていないが会った瞬間いつもの二人になれるそんな友だ。写真は高山の桜山八幡宮にて
Dec 6, 2007
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友と10ねんぶりに再会してまずは彼の宿舎へ行き風呂に入ってから飲みに行った。***************************今朝、気が付いたのだが今日はブログ開設600日目だ。記念にというわけではないが下呂温泉での友との写真を載せる。下呂温泉へ着いた夜二人で飲みに出たときの写真だ。気恥ずかしいのでぼかしたから見えないけど僕は随分といい目をして写っている。(自分で云うのもおかしいが)どれほどいい゛目゛かと云えば、例えば今僕に夢中になっている女性がいるとしての話だがその女がこの写真を見て普段自分を見る僕の目と比べて嫉妬するほどにいい表情だ。やはりその時の心が出るものだろう。2軒目の居酒屋なので二人ともいい気持になっている。
Dec 5, 2007
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名古屋を14時に出た特急「ひだ2号」は西へ海岸沿いにほぼ直線に岐阜まで走る。岐阜からは高山線に入り木曾川に沿って走っていく。車窓右手には「日本ライン下り」として有名な川下りが13キロにわたってみえる。そのライン下りの終着を過ぎてまもなくやがて木曾川から飛騨川へと線路は変わる。この辺りまでやく一時間。白川温泉、飛騨金山を過ぎやがて下呂温泉に着いた。名古屋からはちょうど2時間の距離だ。途中の車窓からの景色は絶えず木曾川、飛騨川の渓流の景色とそれに色を添える山々の木々の紅葉が見る目を楽しませてくれた。やはり四国の山並みとは違い山が深い。16時に着いたものの約1時間あまりは一人だ。まだ仕事中なので17時過ぎに電話をすることにしていた。駅にコインロッカ-に荷物を入れ、カメラを手にぶらぶらと下呂温泉の町を歩いてみることにする。駅から道を一本隔てた向こうに飛騨川が町を貫くように流れている。橋を渡ると少し小高くなっていて旅館が立ち並ぶ旅館街が川に沿って軒を連ねている。道路や案内板は新しいものの旅館街のたたずまいは一昔前の風情を漂わせている。かってはパチンコ店や映画館ストリップ劇場などが彩りを添えていたらしいが今はパチンコ店が2軒細々と営業をしているだけだ。かつては団体客、それも男の客が大半を占めそれらの歓楽街が幅をきかせていたが団体旅行から個人旅行へまた男の客から女の客へ時代とともに変りそれによって街も変った。現在は温泉ブ-ムも手伝って若い女性客の動員を期待できる温泉場は繁盛しているが、女性にそっぽを向かれた温泉は取り残されつつある。岐阜から富山まで高速道路がやがて全線開通するここ下呂温泉は外れているそのこともありここも取り残される運命にあるようだ。このところ旅行していて感じることはいつであろうが、何曜日であろうが圧倒的に女性客が多い事だ。それも熟年層の数人連れの女性、または母娘の二人づれなど男同士の旅行客などはめったに見ない。たまに趣味の会などでカメラを片手にした男同士を見かけるくらいだ。周りを見回しても定年後にどこか働き口はないかと探しているような人(男)ばかりなのに女房族は旅だ、趣味の会だと元気が良い。この違いは経済的なことばかりでなく生きがい、生き方の問題だろうか。小さな町なので1時間も歩けばほぼ見て廻ることができた。薄暗くなってきた17時半頃、電話があり駅で待ち合わせる。
Dec 3, 2007
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11月の始め学生時代の友人を訪ねて飛田路を旅してきた。日程は11月9日から12日の3泊4日だ。学生時代名古屋に居たにも関わらず貧乏学生だったので旅行には行っていない。つい目と鼻の先にある飛田路、木曾路などへも行かずじまいだった。今回は友人の家に2泊し最後の夜だけは旅館に泊まった。松山空港を10時に出て中部国際空港には11時に着いた。中部国際空港は初めてだ。友人は夕方まで仕事なのであまり早く着きすぎても時間を持て余すので中部国際空港の中をゆっくりと見学して廻った。作りはやレイアウトなどは関西国際空港とよく似ている。小さくした感じだ。ともに人工島に作られ島までは鉄道やバスによってアクセスできる。空港から直接鉄道で移動できるのが便利だ。名古屋から南へ突き出た知多半島の常滑市に空港はある。常滑と云うと焼き物の町として知られ「常滑焼き」が有名だ。常滑焼きは平安時代末期には、常滑を中心にして知多半島の丘陵地に窯が築かれてて「日本六古窯(常滑、瀬戸、信楽、丹波、備 前、越前)」の一つとして中世常滑窯はその中でも最も大きい生産地だったようだ。ここ中部国際空港は、右に北ウイング(国内線)、左に南ウイング(国際線)が配置され折り鶴をイメージしたT字形の構成となっていて、移動距離が短かいのが特長だ。到着は2階部分、出発は3階部分に別れていて分かりやすい。愛称のセントレア (Centrair) は、中部 (Central Japan) と空港 (Airport) を組み合わせた造語であるとか。またここは空港内に温泉があり、レトロ風な土産物の店やレストランが集まっている一角が開港当初TVでよく紹介されていた。どんな所か話の種に一応は見て廻ったが昼時という事もあり食事をする人や店を冷やかしている人でごった返していた。土産もの店に並べてあるものは特に珍しい物はなかった。昼食は名古屋へ出てから食べることにして名鉄特急に乗る。空港、名古屋間は便によって多少違うが40分くらいだ。直行便だと30分で行けるので非常に便利だ。名古屋に出て、まずは腹ごしらえを。駅の食堂街で味噌カツを食べた。いつもなら酒をというところだが友と一緒だから酒浸になることが予想されるので昼は飲まないでおくことにした。食後、みどりの窓口へ行き丁度よい時間の特急を手配した。14時3分発のひだ11号高山行だ。僕は高山までは行かず途中の下呂温泉で降りる。
Dec 1, 2007
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