三三七拍子♪

三三七拍子♪

2023.01.05
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​​みなさん、明けましておめでとうございます。
​​本年もあまり変わり映えしないと思いますが、どうぞ気長にお付き合いくださいませ。


​​
年明け初っ端から、奈良県にある大き目の神社に初詣に行ってまいりました。
​​うちの初詣はいつも、朝五時半ごろ出発し、有料駐車場がガラガラの時間にタダで車を止め、
古い御札を納め、新年のご挨拶をし、開き始めた詰所で新しい破魔矢を買い、
もちろんこんな時間に出店があるわけもないので、そのまま車に乗り込み、
どこにも寄らずまっすぐ帰宅しておりました。

駐車場には係員すら来ていない時間なので、無人の駐車場に待たずに出入りできるこの時間が一番いいと
おとーさんが言うので、うちはそういう形で初詣をしていました。
が、私は毎年訪れるこの神社に親しみも何も感じないので、合わせる手に心も入らず、とっても失礼な事をしています。

でも今年は、初詣に行くという時「いつも早過ぎへん?」と異論を唱えてみました。
打合せもないのに、娘も参戦して「たまにはどこかに寄ろうや。いつもまっすぐ帰って全然おもんない」と。
お、なかなか強気な発言するやないの、と感心していたら、おとーさんが珍しく
「ほんなら八時ごろ出ようか?」

うん、その時間は確実に混雑するな……と頭の中に暗雲が立ち込めてきました。
が、極端な時間を提案するクマさんに別の時間を提案する事に何故か疲れて、そのまま決定となりました。

案の定、現地に着く頃には辺り一帯渋滞の帯。
歩道には人がいっぱい。
コートを着たおっちゃん達が能面みたいな顔で赤い棒を振っています。
いくつかの駐車場には『満車』の看板。
時間を見ると九時を回ってます。

うわぁ……。
と思ったら、口からも「ぅわぁ……」と同じ声が洩れました。
うちの家族は、どこに行くにも行列には絶対参加しない家族なので、こういう光景が苦手です。
並んで待つぐらいなら、例え目的が変わろうと空いてるよそに行くタイプです。
なので、行列に加わって待つ人達の気持ちは理解できません。

そういう家族が行列に加わってカメの歩みを進めつつようやく見つけた駐車場に車を止めました。
静かな神社の雰囲気などとっくになく、ざわざわと うるさい 賑やかな参道を進み、 参拝を済ませ、
破魔矢を買い、いつもならそのまま帰るんですが、今回は時間が遅いので出店がわんさか並んでます。

思い入れのある神社なら神聖な気持ちがあるので、寄り道などせずすぐ帰宅するかも知れませんが、
おとーさん以外はこの神社に敬意を持っていないので、迷わず出店に向かいます。
めっっっちゃ失礼や!

カラアゲとかタコ焼きとかリンゴ飴とか、出店には必ずある店にたかり、
小腹も空いているのでその場で買い食いをし、
この年でこんな事をしている自分にちょっと眉間にシワを寄せつつ、
ま、たまにはいいかと開き直って食べるアメリカンドッグも美味しいもんだな、と。

そんな感じでウロウロして帰りました。
別に出店に行きたいとか寄り道したいとか、神様に挨拶しに行くのにそういう気はないのですが、
おとーさんにくっついていく神社に気持ちが込められないので困るのですね。

あまり出来の良くない頭で歴史を追うと、この神社が祀っているご本尊と言うかご神体と言うか、
それに反感を覚えてしまうのです、私。
​なんや、神様じゃなくてヒトやないか、と。
なんで同じ人間を拝まにゃならんねん、と。
しかも、ああやってこうやって、こんな事をしてきたあれな。
道理で上のあの人らも何年かに一回来るはずだわ、と。
あの人らもあれだもんな、と。

凡そ、新年のご挨拶にはほど遠い心境でもって足を運んでいるので、
どなたに対しても失礼極まりない​存在なわけです。
おまけに、ここにいっぱいお賽銭を投げろ、と言わんばかりに、本堂一面に大きな白幕を張ってあるのを見ると、
なおさら新年早々不謹慎な事を思うわけです。

広い境内を見渡せば、お金のいる所ばかり。
とっても可愛いバイトの巫女さん達もニコニコ笑ってよく教育されてます。
札所のお兄ちゃん達も白い着物でアラを隠して愛想よく笑ってます。
なんか、ついつい「こういうバイトもエエなぁ」と思ってしまいます。

ほらね、澄んだ空気感を何も感じない……。
あんたの心が汚れてるからじゃないの?とかは言わんでもええよ。
それを踏まえて言うてるから。

神社によって、色んな雰囲気の違いがありますね。
おとーさんは、前は違う神社に行ってたんですが、良くない事はあっても良い事はなかったようです。
それで、この神社に来てから仕事がうまく運ぶようになったので、毎年ここに参るようになりました。
なので、私がごちゃごちゃ言う事じゃないんですがね。

いや、良い事って神社のお陰か?とか思うんですが、ま、本人がそう思い込んでるので、そこに口出しはしません。
もうおとーさんはこのままやろうな…と思います。
いやいや、私だってきっとこのままですもん。

ただ私は、少ない知識をちょっとでも増やしていきたいといつも思ってます。
でないと、人生が小さいままでつまらない。
知識は多いほど面白い。
知識の少ないのを「引き出しが少ない」と言いますね。
色んな例え話ができる人は引き出しがベラボーに多いのです。
私はそういう人を尊敬します。

その延長線上に、この神社の話がでーんと居座っています。
みなさんは、これと思う神社がありますか?

息子は、数年前にふと思いついた神社があって出かけてみたそうです。
誰にも道順を聞かず、閃くままに道を選んで最短でその神社に辿り着き、
境内を散策してる時に変わった形の虫と蛇に遭遇したそうで、
その時、自分の参る神社はここだと思ったそうです。

それ以来、そこを自分の神社と決めて、しょっちゅう足を運ぶようになり、
去年はとうとうその地に引っ越しました。
ボロボロの家だけど、仕事も順調、環境も二重丸、人間環境も文句なし。
とても平和で幸せそうです。
そういう人に対しては優しい気持ちで見守るのみです。

新しい知識を得ると、一つの事に対する考えが変わってしまう事が何度もあります。
私は神人さんを知るようになってから色んな疑問が消えたんですが、
実際の事と信実を知らない社会との間にギャップがあるので、自分の処し方が宙ぶらりんになる時があります。
それが神社問題です。

神社はこういう所。そこに祀られている存在はこういう方々。
神様の眷属だったり、ヒトだったり、全然別のものだったり。
神社に対する思い癖や、反発や、頼りたい習慣や、
そういう未熟なものを抱えて参拝するのを、祀られてる方はどう見てるんだろう。

神社では願い事をするんじゃなくて、日頃の感謝や決意を伝えるんだと教わります。
でも、そこに居る存在に聞いてもらわなくても、自分の家や部屋で、
心の中の神に言えばいいのだと神人さんに教わりました。
すると、今までの色んな疑問やモヤが消えて、納得できたのでした。

こういう経緯があるので、本当は初詣に行く気はあまりないのですが、
たいていの人は神社には思い入れがあり、それにケチをつける気はさらさらありません。
ご利益があったと言う人も否定なんかできません。

現に、初詣に行った時、私もおみくじを引きました。
中吉でした。
こういうものは、神様からの私への言葉として真摯に受け止めます。
なので机の横の壁に貼ってあります。

と言うことで何がいいたいかと言うと、中庸でええな、と。
色んな考えがあって、その人にとってはこの考え、私はこの考え。
色んな人や段階があるので、どれが正解というのはほぼない。

なので、今年は特に、思いは秘めて口にせず(いや、いっぱい言うとるやないかぃ!)
黙って世間を眺めて自分の処し方を見つけていこうと思います。
ウマシカでもいいから嘘のない、正直なヒトを目指して生き抜きたいと思います。

​相変わらずのルッチニコフですが、みなさん、今年もよろしくお願いします。​





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最終更新日  2023.01.05 08:54:36
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