ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2008.01.29
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 ・自己否定といっても、自分たちの生きてきたルーツを消去してしまうことはできない。部分的に削除はできても、両親やその先の祖先たちの存在を無視することは、それはできない。どれだけ批判すべきものがあろうと、存在そのまでリセットすることは人生の否定になるからだ。それは、盲目的になることではない。あるがままに受け入れる許容性を持つという意味だ。学問を深くしても、拘りをもってはならないものと、拘り続けるものがあっていいものがあるだろう。併し、それは、宗教戦争を肯定するものではない。絶対神を信じるのは個人の内面の問題であり、その拘りは捨てねばならない。誰と付き合うべきかは選択の問題だ。偶然ではない。そこにその人の意志があり、信条があらねばならない。人生は、墓穴を掘ることではないはずだからだ。



 ・へ2・・・自分が、どれだけのものか知らないではない。それでも知らない部分はある。これから自分がどう変わっていくかだろう。「男子三日逢わざればかつ目すべし」、という。どうも、女性も同じだろう。樋口一葉の例もあるようにジャンプがあるのだろう。しかし、それは、死を賭したものであった。世を儚んだ封建社会が存在したからでもある。夢を見ていいものと、そうでないものがあるのはヒトがもつ宿命でもあるだろう。生き残るために、捨ててきたものがすべて価値がなかったものばかりではないように、それは人間の温かさであったかも知れないからだ。私たちもいま目にしている物は一瞬のシーンでしかない。やがて、海は枯れてしまうだろう。それは、自分の肉体の水分がやがて無くなるように儚いものでもある。だが、忘れられないものがある。それは、自分が育ってきた人生そのものであろう。





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最終更新日  2008.01.30 04:10:17 コメントを書く


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