



いつもつつましく平凡に暮らしていると、物見遊山でもしたくなる。祭りがあるのも無礼講というその時だけの開放感が味われるからでもある。一年に一度の祭りに情熱を燃やす人たちがいる。普段はおとなしくして、日頃の鬱憤を晴らす。農閑期に温泉の湯治場に行くのを楽しみにしている農家の人たちもいる。伊勢参りが、庶民の一生一度の巡礼にもなっていたという。その名残が、庶民の心にミームとして残っているのだろう。
・鬱というのは、或いは何もせず洞窟の中でじっとして耐えている事が、生き残るための重要な形質だった時代があったのだろう。人と話すだけでもエネルギーが必要であり、腹も減る。食べ物が少なかった時代には、何もしないでいることも戦略になり得る。無事とは、何も無い。事が無い。「事」は善いことも悪いこともある。犬も歩けば棒に当たる。普段は、何もしないで家にいたほうが間違いが無いと思っても、そうはいかないのだ。
・へ2・・・遊びたいという欲望は、時として身の破滅にもなる。煩悩とは、愛することでもある。愛するから何かあると裏切られたと思う。凡てが良い方には向かないという。一つの行為も、或る人はよくてある人にはよくないことは沢山ある。楽しい旅行に行って死ぬ人もいる。非日常だから、ツアーも心がハイにもなるが、そのために却って、反動が来たりする。
たった一度の危うい思い付きによって自滅するのだろう。「日本の歴史」を現代から読み始めたが、どこまで過去の日本史に遡れるだろうか。「昭和史発掘」も3巻目を読んでいる。蔵書棚を見るとやりのこしたものばかりある。どうせ終わりそうにない。