旅に出よう 思い出は語らず。

旅に出よう 思い出は語らず。

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2004.11.14
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その師匠は、今度は、沖縄に、移り住むから、と、のたまった。

こんど、タイに遊びに行くからというので、
知り合いの唯一の国会議員秘書(当時は、私設秘書、今は、落ちたからただの人?)に、特別、タイで、
大きく会社を、やっているという、その会社の、人を、紹介してもらった。

そのように、はなっから、私のタイ行きは、怪しい、
思惑があったようなたびであったが。

何とか、お会いできた、その会社は、今はなくなっているが、
バンコックの日本航空と同じビルに在った。

この会社に拾われたような話であった。
忙しいそうなので、私も、其処に、長居しては、と思い、
ちょうど、Yさんのところに遊びにきていた、Sさんに、誘われて、近くの、日本食の居酒屋さんに、ごいっしょしたのであった。
どういうわけか、そこの、居酒屋さんの店主と、意気投合して、その後、其処を、タイ旅行のたびに、訪れるように、
なっていました。
そこは、三井銀行の裏手にあるお店で、結構、当時としては、
流行っているように思いました。

そして、その後、そのお店のマスターに、誘われて、
今の師匠のお店に、行くようになったのである。
そこは、パッポンと、タニアのちょうど中間にあって、
そこには、シーロムでお店を、構えている、旅行代理店の方や、たぶん、もっといろんな人が、出入りしたと思う。


昭和天皇「謝罪詔勅草稿」
の発見, 加藤恭子/著, 文芸春秋,
のちに、1冊の本になっている
その内容のことについて、話したら、
ずっと、東京裁判についても、

反撃が、ソンクラーンからあったこと、
そして、日本人が、捕虜になって、カンチャブリに、収容されていたということなど、初めて聞くことも多かった。
結局、そんな話を、田舎でしても、
返事返ってこないから、
マスターが、特別なのかもしれませんが。

アジアに出て、忌憚なく、話ができる人を、
見つけたのでしょうか。

帰りに、残りの本を、読んでいると、
日本の、金型技術が、どんどん中国に盗まれていて、
大田の、町工場の、技術者の、仕事がなくなったという話も、
出ていた、
そういえば、サリカコーヒーの、路地の置くのお店で、
よく、話を、させてもらった方も、豊田市から来ているという、金型の技術者だったでしょうか。

太平洋戦争についても、詳しかった。
参考のホームページ ?
門外漢の政治経済学…

海運はアジア任せになるのか…

http://www.randdmanagement.com/c_econom/ec_092.htm


ほとんど、アジアの、風に吹かれての内容では、
なったかもしれませんが、
ひろい 意味で、アジアに行って、
外国で、がんばっている日本人に会うのも、
いいかなって、思います。

今回、私の場合は、向こうから来てもらったようなものですが。
本当は、姪御さんの結婚式で、来られたそうですが。

おまけ、
マスターの話で、「中国に出て行った、企業も、(多分、中小企業のことだと思いますが、)100社出て行って、本当に、成功しているのは、ほんの2,3社だという、あとの、20%くらいが、何とかいられる、あとは、日本に、帰っている」だよと、

そこで、伺ったり、いっしょに話した、10分の1も、書けませんが、

言葉ができて、パタヤの、オープンバーで、いろんな、外人と話ができれば、
また違う、タイも、あったでしょうが。
私にとって、
「日本人が、海外に住む方法」とか、
「華僑といわれている、中国系タイ人って、
どんな方法で、タイにきて、広がっていったのかとか、」
少し興味がある問題で、

それが、何とかクリアーできれば、
海外で、旅ではなく、住みたいかな。

それと、結構、曲りなりに(一応、5年以上同じ方と)、タイ人のお姉ちゃんと、付き合っていても、ある、物足りなさが、共通してあるだよなあ。

さあ、これで、友人と、お会いする項は、一応完で、
来週からは、日本で、パソコンやさんと、仕事というテーマで、
動ければいいかなあと思います、

最後まで読んでくれてありがとうございます。

さいごに、恐れ多いことでは在りますが、

昭和天皇の御かれましても、この、文章を、書かれた
当時、宮内府長官だった田島道治 との御関係は、
勝手に、一部を、引用させていただくと、
安部能成 氏 によると、引用の引用で、はなはだ申し訳ありませんが、
安部能成 『戦後の自叙伝』(新潮社 1959年)
「田島君が、長官になって以来、我々、志賀直哉、小宮豊隆、和辻哲郎、私などが、天皇陛下、時には、皇后陛下を、前にして、くつろいでお話する機会が多くなった。纏(まと)まった話は、和辻君の国史や、文化史についてのものが多く、我々は、気楽に準備もなくお話するのだが、たまには、仲間のすっぱ抜きまで、申し上げて、陛下のお笑いをまねくこともあった。こういう集まりは、我々にも楽しい思い出になっているが、田島がやめてからは、この催しなくなった」と、語っている。

心置きなく話せる、人を、得るということ、
どんな人にでも、自分を、見出せることなんだろうなと、
考えます。

それと、月刊文芸春秋は、私の、好んで読む、雑誌です。
今月号も、いま、枕もとにおいて、寝ようと。
キーワードで言うと、話題の、西武の堤氏、読売の渡辺氏、
そして、中国と、まあ、もっと別の人が、
もっと深く書き込んであるでしょうから、

その、古い文春には、司馬遼太郎についても、扱っている。
よみがえれ、「坂の上の雲」
実は、わたしは、読んでいないのである、
幕末に比べると、明治のものは、ちょっと、言って、
いまだに避けてきたが、
自信を、失った日本人にとって、司馬遼の、小説は、
元気が出る、自信がつく、本だったんだという。

私も、ストーリーは、だいぶ忘れたが、
坂本竜馬像は、「竜馬が行く」で、作られたんだと思う。

昨年発行の、文春のなかでも、定価の710円以上の価値があったと思う。

ほとんどは、ほかの人の受け売りみたいな文で、どうもでした。

参考
天皇の国民への「謝罪意志」はなぜ封印されたのか?
昭和天皇「謝罪詔勅草稿」の発見
ショウワテンノウシャザイショウチョクソウコウノハッケン

加藤 恭子    

■内容紹介■
「朕ノ不徳ナル、深ク天下ニ愧ヅ」衝撃の文言を含む田島宮内府長官の詔勅草稿に、天皇の意志は反映されたか。『文藝春秋』で話題騒然

http://www.bunshun.co.jp/book_db/html/3/65/53/4163655301.shtml






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最終更新日  2004.11.15 02:26:08
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