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串本・太地・紀の松島・那智の滝・熊野三山・熊野の古道(2024年5月3日~4日) 6
敦賀半島・中池見湿地・池河内湿原と加賀の旅(2022年5月) 5
安曇野ちひろ美術館・安曇野散策・無言館(2019年5月21~22日) 4
志度・屋島・高松・琴平・善光寺・丸亀城・銭形・父母ケ浜(2019年5月3~4日) 7
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安曇野では“山荘旅館 せきえい”に泊まりました!昨夏に泊まった旅館“せきえい”。今回も泊まりました。その訳は、周りが赤松林に囲まれ自然がいっぱいだから・・・翌朝、散歩をすると、ウグイスが「ホーホケキョ」でなくって「ホー、ホー、ホケッ、ホケッ・・・」って鳴く練習をしていました。旅館のご主人によると今年の春は20日ほど遅いそうです。夕食は、京風料理と地元の食材を織り交ぜての美味しさを楽しませてくれました。これは鹿の焼き肉。ご主人が知人のつてで北海道から取り寄せたそうです。川魚を一度からっと揚げて、煮込んだものです。骨まで食べれます。地元、山菜の天ぷらです。食後のデザートです。ここは安曇野温泉郷の中、旅館の湯船はかけ流しです。古びていますが檜の湯船。洗い場は畳が敷かれています。(写真は昨夏のもの)朝食も地元の食材を楽しめました。わさびとぜんまいです。部屋の窓からも緑がいっぱいでした・・・大変お世話になりました。
2011年05月16日
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安曇野めぐり 道祖神(有明・池田町) (Part6)引き続き安曇野の道祖神めぐり。有明山神社から、有明駅、安曇追分駅、池田町へ続きます。有明山神社入り口にあります。祝言酒器道祖神。慶応元年(1865年)作【場所】正真院から道をすこし県道へおりたところにあります。祝言酒器道祖神。嘉永4年(1851年)作【場所】大黒様も一緒に祀られていました。県道に出てきたところに、大きな大黒様と道祖神2体がありました。祝言酒器道祖神。明治2年(1869年)、宝暦9年(1759年)【場所】●大黒天について大黒天は、福徳の神、農作物・養蚕豊饒の神として奉られている。特に甲子の年に建立されたものが多く、穂高地区には60基の大黒天が確認されている。また、この碑の裏面には「一村安康・百穀豊登」の文字が保高翁拝書として刻まれている。●道祖神について悪病など災いの侵入を防ぐ神、道の安全を守る神、縁結びの神、子孫繁栄・五穀豊饒の神とじて奉られ、双体像、文字碑、自然石等、合わせると、穂高地区には187基が確認されている。●二十三夜塔について二十三夜講は毎月陰暦の二十三日という遅い月の出を立ったまま迎え、この晩に月を拝むとすべての願いが叶えられるといわれ、特に十月二十三日の夜は農業の収穫を祈念する講が各地で開かれていた。その年の当番の家で遅い月の出を拝み、この講の主尊である勢至菩薩の掛軸の前で念仏やお題目を唱え、飲食を共にしたという。二十三夜塔は、籍高地区には51基ある。そこからちょっと有明駅に寄った所に首塚堂があります。その脇の二十三夜塔です。【場所】祝言酒器道祖神。彩色。慶応元年(1865年)【場所】ここから有明山が望めます。香取神社の脇に道祖神があります。握手道祖神。明治12年(1879年)【場所】握手道祖神。文政10年(1827年)恵比須さんと大黒天も祀ってあります。大糸線をひと駅北側へ、安曇追分駅のすぐ近くにありました。握手道祖神。作は不詳。【場所】その道祖神の脇を大糸線の電車が走っていきました。一気にお隣の池田町まで足を延ばします。池田町。合掌道祖神。時にはわらで編んだ酒樽が奉納されるそうです。【場所】こちらは比較的有名な池田町相道寺の握手道祖神。【場所】池田町にも二十三夜塔があると言うのでやってきました。半在家の握手道祖神。【場所】最後に道祖神の番外として、NHKの朝ドラ「おひさま」に登場する道祖神です。後ろに銘が彫られていないので、撮影セットと言えばそれまでですが、昭和や平成になって作られた道祖神もあることですから、これも仲間にいれてあげていんじゃないでしょうか。【場所】次は安曇野で泊まった宿「せきえい」の紹介・・・
2011年05月15日
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安曇野めぐり 道祖神(豊科・穂高・明科地域) (Part5)安曇野の道祖神。JR大糸線より東側の地域です。諏訪神社内。文字道祖神。文政7年(1824年)作【場所】文字道祖神。作は不詳。【場所】アルプス霊園内。文字道祖神。作は不詳。【場所】今度は少し北に移動して穂高地域・・・祝言酒器、彩色の道祖神。明治25年(1892年)作【場所】握手、彩色の道祖神。天保12年(1841年)作【場所】握手道祖神。明治18年(1885年)【場所】東光寺前、握手道祖神。文政2年(1819年)作【場所】東光寺境内、子連れ道祖神。作は不詳【場所】等々力家庭先。作は不詳【場所】握手道祖神(水色の時道祖神)。昭和54年(1979年)【場所】さらに、一気に明科地域に行って「接吻道祖神」があるっていうので探しましましたが、残念ながら見つかりませんでした。代わりに、道祖神ではないが同類のもの。庚申塔と二十三夜塔です。【場所】次に、有明山神社から有明地域、さらにお隣の池田町まで足を延ばします。
2011年05月14日
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安曇野めぐり 道祖神(豊科・三郷・堀金) (Part4)いよいよ道祖神めぐりの紹介です。スタートはJR南豊科駅の近くからです。弘化4年(1847年)作【場所】神代文字の一つ「阿比留(あひる)文字」で、ヤチマタヒコノカミヤチマタヒノカミクチトノカミと三柱の神を刻んだ碑。ここから、三郷地域と堀金地域が交互に出てきます。次は二十三夜塔と一緒にあります。祝言酒器の道祖神。常念が背景に望めます。弘化3年(1846年)作【場所】文字碑の道祖神。明治10年(1877年)作【場所】祝言酒器の道祖神。嘉永2年(1849年)作【場所】祝言酒器の道祖神。女性がひざまずいています。拾ヶ堰沿いにあります。天保4年(1833年)作【場所】文字道祖神。三角に飛び出さんばかりの勢いで書かれています。ここからも常念がよく見えます。天保7年(1836年)作。【場所】馬頭観音と呼ばれる碑です。【場所】祝言酒器の道祖神。文政12年(1829年)作【場所】道祖神ではないけど、こんな碑もありました。場所不明。祝言酒器の道祖神。文久2年(1862年)【場所】二人の上に松の線画が描かれています。握手道祖神。文化14年(1817年)作。新しい方は平成2年(1990年)作【場所】観光用に作られた常念道祖神。平成3年(1991年)作。右手の小さい方は不詳です。【場所】握手道祖神。天保14年(1843年)作【場所】文字道祖神。堀金地域で最大です。天保9年(1838年)作【場所】今度は大糸線から東側の道祖神です。
2011年05月13日
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安曇野めぐり 早春賦の碑、わさび田湧水公園、八面大王の足湯など(Part3)安曇野の見どころを観て回ります。最初は唱歌「早春賦」の碑です。ここからバックに北アルプスが見えます。「早春賦」の音色をオルゴールで聴くことができます。次に、わさび田湧水公園です。北アルプスの雪が解けて、安曇野の大地を潤しているんですね。次は、八面大王の足湯。安曇野温泉郷の中心にあります。八面大王の足湯八面大王は、昔から安曇野の人びととの間に語り伝えられて伝説の主人公です。有馬山山麓の魏石鬼(ぎしき)の窟(いわや)に住み征夷大将軍坂上田村麻呂に退治された鬼ということになっていますが、その名のとおり豪壮無比、雄大で、全国的にもまれでユニークな存在です。一方、八面大王は、この地方の正義の支配者とみる説もあります。この八面大王のモニュメントは、1985年「魅力ある温泉地づくり事業」により製作されたものを2003年4月に足湯として整備されました。安曇野市次は、朝ドラ「おひさま」の撮影ロケ地。松本から安曇野に引っ越してきたときに最初に住んだ家です。裏側はこんなになっています。そこからの安曇野の風景・・・安曇野では休耕田を使って、「レンゲプロジェクト」なるもをやっているようです。ここは、常念道祖神の前の休耕田。夏にはひまわりが咲き乱れます。安曇野の農村風景・・・熊倉の渡し跡の近く、春日神社前からです。安曇野の有明地域、香取神社前からです。以前、安曇野の出入り口だった「熊倉の渡し」跡です。古来千国(ちくに)街道の最大の渡し場。川幅最も狭く流路大きく左折、熊谷橋修復費用は松本藩全村から徴収。舟渡の時期もあり、明治以降昭和30年代まで渡し舟が往復した。かなりの瀬もありますけど、この辺りでは一番狭いところです。その時の渡し舟も現存しています。20~30人ぐらい乗せていたのかな。当時としては交通の要所だったようです。堀金の物産センターまえでは鯉のぼりがひるがえっていました。こちらは、お隣の松川村の「川西の一本松」です。お昼に食べた信州のざるそばです。5月7日は「そば勝」「山菜天もりそば」、1100円。普通盛りでも面が太くって十分でした。2日目の5月8日は「仙寿庵」ここでも、「天ぷらそば」を食べた。天ぷらの中身は同じく山菜が主でした。有名なお蕎麦屋にも寄ったのですが、一杯で入れませんでした。次は、いよいよ道祖神まわりの紹介です。
2011年05月12日
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安曇野めぐり 神社・仏閣・庭園など(Part2)安曇野には山岳信仰を反映した神社や意外と洗練された庭園、大きな下駄のある東光寺などあります。最初は等々力(とどろき)家。江戸時代の松本藩主の本陣として使用された施設だ。庭園からはみ出した松。かなりの年代ものです。等々力家の庭園です。奥の方から撮った方が絵になりますネ。その斜め前の東光寺。大きな赤い下駄が目印です。次は山口家庭園。近くに朝ドラ「おひさま」のロケ地があります。ここも松がすごい。こちらは庭園の外にあります。長野県名勝 山ロ家庭園 山ロ家は江戸時代、岩原村の庄屋、長尾組内の村々を統括する大庄屋といった役職をつとめ松本藩主もたびたび当家に逗留している。 庭園は、天和~貞享(1681~1688)年間の作庭である。 池泉は、全体に「心」とい一つ字をあらわし、東西にやや長く、出島、亀島、板橋、切石橋を配し、東北角に滝を組み込んで、池水は東南に流している。滝の石組は桃山期の手法で、配石の妙を伝えている。 また、北西部に五重層塔を配し、それに続く後方の杉・檜の借景が庭園の奥深さをかもし出している。 元禄年間に建てたと伝えられる主屋と共によく保存され、文化財的価値が極めて高い。平成21年4月30日指定 長野県教育委員会平成22年10月設置 安曇野市教育委員会展示されている絵画も、安曇野を描いたものなどあり楽しめます。その脇には、宝筐印塔がありました。旧安楽寺の宝筐印塔 この宝簾印塔は、明和五年(一七六八)十月十日安楽寺十三世見住隆峯友巌和尚の代に建立された。 以前の堀金村・穂高町.豊科町・三郷村の女性二十名によって、関係係者百余名の供養のために浄財で建てられたものである。昭和六十二年解体修理の際、塔の下からは、三千数百個の経文を書いた経石と、戒名を書いた石九十七個が発見された.また塔の中からは寛永通宝十一枚が発見されている。 この塔は、異形宝筐印塔であるが、堀金地区唯一のもので、民問信仰の石造文化財として、貴重な建造物である.平成20年10月29日安曇野市教育委員会次は松尾寺です。松尾寺本堂の優れた特色について 松尾寺本堂は桁行三間、梁間三間・寄棟造りの堂として建てられているが軒の出を非常に深くし、軒支柱を建立当初から建てて五間堂の形式とも思われる構法をもつて構成されている。 このような建物は全国的に少ない。また化粧隅木の正面側の左右二本は下から見あげたとき、身舎丸桁を境に内部と外方とにおいて「く」の字型をなしている。これは平面の外陣部隅柱間を仕末するためになしたもので、この建物以外に全国に例のないものである。 舟肘木の形式も実に美しく、縁廻りに立つ支柱が縁柱を兼用し、面を大きく取り、室町時代の特徴をいかんなく発揮している。 地垂木の曲線においては反りが強く実に美しい。 巻斗が正方形であり不思議に思われるが、この例は当地方大町の盛蓮寺にも見られて、室町末期頃この地方における巻斗の地方色によったものと思われ、内陣虹梁の「サバシリ」木鼻、実肘木の絵模様、「カエル又」鬼板の彫刻等もよく室町時代末期の優れた特徴を有し、全体に形をよく形成し、豪壮優雅にして、信州における同時代を知るもつとも貴重な建造物の1つである。重要文化財松尾寺本堂復元工事監督 広瀬沸その近く、有明山のふもとにある有明山神社。 有明山をご神体とし、全国に崇敬されている祭神は「手力雄命(たちからおのみこと)」「八意思兼命(やこころおもいかねのみこと)」「雨鈿女命(あめのうずめのみこと)」「大日貴命(おおなむちのみこと)」他数柱が祀られている境内の神楽殿には橋本雅邦の筆になる花鳥風月の絵があり、また日光陽明門を模した祐明門には眼猫12支24孝の彫刻がある。開運・招福の石 この記念碑は明治24年に全国から集められた短歌が当神社の社宝として保管されてきましたが、今度「残月集」として発刊され、これを記念して作られたものです。東面に「吾唯足知(ワレタダタルヲシル)」(分に安んじて貪らない)西面に「吉呼員和(キチヨンデカズワス)」(喜びを集めて和やかに)(石の中央の□をそれぞれの字の上下左右に付けて読む)開運・招福の石としてこの四角をくぐりぬけて吉運を集めてください。日本に一つしかありません。尚、怪我の内容にくぐってください。有明山神社社務所有明山神社(吉呼員和) posted by (C)きんちゃん有明山神社(吾唯足知) posted by (C)きんちゃん百体観音(佛法寺)_01 posted by (C)きんちゃん最後は、佛法寺の百体観音です。熊倉の渡し跡の近くです。百体観音(佛法寺)_02 posted by (C)きんちゃん百体観音(佛法寺)_03 posted by (C)きんちゃん物静かな顔をしているでしょう!次は、ちょっとしたお遊びスポット。安曇野のお蕎麦です・・・
2011年05月11日
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連休の最後の土日は安曇野に残雪の常念岳と道祖神めぐりに行ってきました(Part1)【5月7・8日】昨年の夏に続いて安曇野に行ってきました。今回は北アルプスに残雪が残り、田植えが始まる時期。一年のうちで一番いい時期という季節です。昨夏は下調べが不十分だった道祖神も十分下調べをしてルートマップも作っての紀行となりました。まずは、安曇野の素晴らしい自然から・・・拾ケ堰からの常念岳 posted by (C)きんちゃんまずは、拾ケ堰(じっかせぎ)から望む常念岳だ。この脇を自転車遊歩道が走っている。常念岳と水田(南豊科) posted by (C)きんちゃんこの辺りには水田がひろがり、田植えが終わったばかりの水田(豊科地域)に写る常念岳が素敵だ!常念岳と水田(堀金) posted by (C)きんちゃんもう少し西側の堀金地域は代掻きをしていた。ここからの常念岳もなんともいえない。菜の花と北アルプス(堀金) posted by (C)きんちゃん堀金の土産物センター脇には菜の花畑がひろがる・・・常念岳(常念道祖神) posted by (C)きんちゃん常念道祖神の脇にも菜の花が咲いている・・・常念岳(雪形・常念道祖神)_01 posted by (C)きんちゃんここから、常念坊(雪形)がよく見えた。常念岳(雪形・常念道祖神)_02 posted by (C)きんちゃん北アルプスと水田(大王わさび)_02 posted by (C)きんちゃん朝ドラ「ひまわり」に登場するシーンにでてくる「大王わさび農園」前の水田と北アルプス。北アルプスと水田(大王わさび)_03 posted by (C)きんちゃん有明山と水田(有明) posted by (C)きんちゃんすこし北側の有明地域からの有明山と水田・・・北アルプス遠望(長峰山)_01 posted by (C)きんちゃん最後に、長峰山からの北アルプス遠望だ。北アルプス遠望(長峰山)_02 posted by (C)きんちゃん常念岳(雪形・長峰山) posted by (C)きんちゃん常念道祖神より遠くなるので雪形は小さくなるけど、午前中に登ったこともあり、雲もすくなくクッキリと見えます。横通岳(雪形・長峰山) posted by (C)きんちゃん蝶ケ岳(雪形・長峰山) posted by (C)きんちゃん北アルプス(雪形・長峰山) posted by (C)きんちゃん引き続いて、朝ドラ「ひまわり」の撮影ロケ地や神社・仏閣、庭園など紹介していきます。
2011年05月10日
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