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先月の24日に、大阪府教育委員会が主催する「教志塾」に講師として呼ばれた。「教志塾」とは、将来教員を目指している大学4年生を集めて育てるという取り組みで、今年で2期生になる。私は去年の6月にも呼んでもらい、1期生にも話した。今年のテーマは「あなたと子どもをつなぐこと」「子どもと子どもをつなぐこと」参加型を取り入れて、パワーポイントで私の実践を出しながら展開していった。いつも「ひきだし」でやっているので、特に緊張したりすることはなかった。「ひきだし」の方がかなりのプレッシャーがかかる。なぜなら、忙しい中を、貴重な休日にわざわざ来てくれるからである。「絶対に満足してもらわなあかん」という思いが、かなりのプレッシャーになる。当日は、大学生(現職含む)約80人の参加があり、たいへん喜んでいただいた。なにせ意識の高い人たちなので「先生になりたい!」という熱いエネルギーが充満していた。そんな空気を吸えた私も、学ぶところがたくさんあった。私を見つめる目がすごかった。しかし、この前向きな人たちが学校現場に出るとしぼんでしまう人が多い。私は今まで(現在も含めて)、たくさんの20代の先生を見てきたが(現場にはたくさんいるので)、言いたいことも言えないで、失敗を恐れてキュウキュウとしている人が圧倒的に多い。「なんでなんやろう?」と思う。あんなに前向きな熱い気持ちを持っている人たちが、現場ではしぼんでしまう。難しい問題やなあ・・・。最近、よくその参加者の方からメールをもらう。「もう一度話を聴きたい」「先生になりたいという思いがさらに高まった」と言ってくれる。私もうれしい。私が話すことでテンションが上がり、パワーが増幅されるのであれば、こんなにうれしいことはない。人に喜んでもらうことで、自分の喜びとする。これからもこうありたいと思う。参加者の方の「ふりかえり」を紹介します今日は、将来に子どもとの関わりでヒントになることを盗ませていただこうと思い、楽しみにやってきました。期待以上のお話しをおうかがいでき、とても満足しています。実践例はとても参考になりました。キズ事件のお話しでは、涙がこぼれてしまいそうになるぐらいに感動しました。プロだと感じました。そして、ますます教師への憧れが強くなりました。現場でお会いできますようにがんばります。今日は、すてきなお話しをありがとうございました。 (大学生 女性)「ふ」先生は、本当にいつも子どものことを見ておられるのだなと知り、教師という職業で一番大切にしなければならないことであり、一番忘れがちになっている「つながり」ということが実践されていて、とても参考になりました。私も国語の教師を目指しているのですが、「伝える」ということの大切さをいつも考えていて、先生の方法はとてもいいなと思いました。 先生が話されている時、ずっと目がキラキラと輝いていました。私も生徒に対して、学校でキラキラした目で話せるような教師になりたいと強く思いました。本当にありがとうございました。 (大学生 男性)「人に喜んでもらう」ということでやっていても、「自分も楽しんでいる」んだなぁと思いました。これからもこういう時間を持って行きたいと強く感じました。
2010.05.05
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長いこと書けなかった。3月末から精神的にかなり辛いことがあり、自分自身の気持ちを建て直すのに必死の状態になっています(今も完全には復旧していません)「手塩にかけた最愛の子どもから引き離される」という事態になってしまいました。それも、全くもって理不尽な理由で・・・。今は、何を目指していけばいいのか、自分でもまだまだ確かなものになっていません。真剣に「辞めよう」と思いましたが、年度途中での退職は関係ない人にまで大きな迷惑をかけてしまうのでとどまりました。しかし・・・、まだその気持ちは若干残っています。「誰に読まれているのかわからない」という恐怖を初めて感じたこともありました。私は、「建前」や「きれい事」が好きではなく(それは子どもとの関わりにも現れる)包み隠すことが少ないので、とてもコワイです。やっぱり、こういう場では「表面をなぞった表現」しかできないのだなと思いました。いい勉強になりました。「また書こう」と思ったのは一昨日。やっぱり教え子から・・・。4人(男ばっかり)と飲みに行った。私が28才の時、初めて3年を担任して卒業させた子ら。「おい、今年何才になるんや?」「先生、今年36ですよ」「え~、もう36か・・・。そら俺も年とるわな(笑)」4人中、3人はまだ独身。婚活の話題で盛り上がり、M雄に対しては「同級生のSなんかいいんやないか」という声も出た。みんなとても気のいい連中だ。Mは仕事の関係で、今は東京に住んでいるのだが連休で帰ってきたところでわざわざ来てくれた。Kは仕事の帰りにたちよってくれた。「中3の時、楽しかったな」と言ってくれていたのが、何よりも嬉しかった。そんな中で、「先生、最近ブログ書いてないですね」と言われ「いろいろあって、どうしても書かれへんねん」「楽しみにしてたんですよ」と言ってくれていた。これも、単純に嬉しく「また書こうか・・・」と思った。根が単純な人間なので・・・(笑)「今度は、安いとこに一泊して時間を気にせずに飲みましょうよ」ということになり、夏ぐらいに実現するかもしれない。「教え子とはなんとありがたいんやろう」と思う。彼らにはそんなつもりはないんだろうけども、私にとっては「励まされている」「元気づけられている」ような時間だった。Nが、別れ際に撮った写真を送付してくれました。それをパソコンの壁紙にしています。ありがとう、感謝の気持ちで一杯です。
2010.05.04
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今日は大阪府の府立高校の合格発表だった。前期試験は2月に行われすでに発表は済んでいる。後期試験は、普通科の高校の試験である。私の長男も受験した。願書を出した時点で定員を超えていなかったので、合格することはわかっていた。その通り、長男は無事に合格した。そして、午後からの入学説明会に行った時に高等学校の先生から呼ばれて「ちょっと頼みがある」と言われたらしい。何かと思ったら、入学試験の成績が男子でトップだったので入学式で「宣誓文」を呼んでほしいというものだった。それを聴いた時、私はうれしかった。今日は、気分の悪いことが続けてあった〈当然生徒のことではない〉んだけども、そんなことは吹っ飛んでしまった。合格した高校自体は、学力的にそんなに高いところでもなく有名な進学校でもない。長男がそこを「受験したい」と言った時、私も家内も全く反対しなかった。「高校なんかはどこへ行っても一緒」という思いがあったからだ。「ウチの子は○○高校〈有名進学校〉に行ってるんです」というのは「親の見栄」以外の何者でもないと私も家内も思っている。行くのは本人なので、本人の一番納得するところに行けばいい。そして、もう1つ私が重要に思っているのは、「行った所で上位に入っていること」である。どんなに進学校に行ったとしても、360人中で、300番目ぐらいに位置していたら、何の意味もない。しんどい3年間を過ごすだけだと思う〈それでもがんばる子もいるだろうが〉それよりも、集団の先頭に位置していることが絶対に必要だと思う。「鶏口となるも牛後となるなかれ」である。そういう意味では、長男の選択は偉かったし、事実、受験生の中でトップ合格したことは誇らしい限りだ。今まで〈中学3年〉の実力テストや定期テストの点数を見ていたら、有名な進学校に合格するに十分な点数を取っていることはわかっていた。私も、過去に何回も中3担任で進路指導をしているので、点数を見ただけですぐに判断ができる。長男がそういう学校を選ばなかったということに、大きな満足感を感じている。今日は家族そろってお祝いに焼き肉を食べに行った。「これからがたいへんやぞ。なんでかと言うと、もう落ちるしかないんやからな。守っていく方がしんどいんやぞ」とハッパをかけておいた。勉強も大切だが、高校時代というのは人生の中で最も面白い時期である。私自身がそうだったので・・・。クラブもやり、恋もし、ワルサもし、友だちもたくさんできた。長男にもそういう3年間を過ごしてほしい。勉強は五の次ぐらいでいいと思っている。健康で毎日かよってくれるだけで感謝しないといけないと思う。
2010.03.23
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この3連休は3日間ともクラブで、1日も休めなかった。土曜日が練習。日曜日に春期大会1回戦があり、勝ったので今日も練習。中学校の教師の宿命とはいえ、クラブで休日がつぶれるのはなかなかつらい。そんな中、とても楽しいことがあった。昨日〈日曜日〉の夜、同窓会があった。集まったのは、2000年度に教えた中学3年生のクラス。ということは、今年25才になるらしい。2000年度は、私が1年間学校現場を離れてそして復帰した年である。Y市のT中学校に赴任した。T中学校が私を拾ってくれたという形だ。私は1年3ヶ月ぶりの現場だったので、ヤル気にあふれていた。「今度、自分と関わる生徒は幸せやぞ」という思いを持っていた。T中学校はY市でも有数の「しんどい学校」である。行く前は、そういうウワサを山ほど聴いて行ったが、行ってみたら全然違った。まさしく「聴くと見るとでは大違い」である。確かにヤンチャな生徒はいっぱいいたが、仁義をわきまえていてキチンと一線をひいていた。4月1日に行ったらすぐに「3年生の学級担任をお願いします」と言われた。転勤の場合は往々にして「欠席裁判」だから、言われたことに対して「ハイ」と言う以外にない。そして8日に初めて出逢ったのが、昨日来ていた連中だ。3年生になって初めてやってきた教師に「誰やこいつは?」っていう目で見ていたが、付き合っていく中でこちらの掌中に入ってきて、クラスが固まっていった。昨日はY市の駅前の居酒屋に20人が集まっていた。全部で30人ぐらいだから2/3は来ていたことになる。「どうせ5、6人やろ」と思っていたのだが、驚いた。そして、嬉しかった。ほとんどの者が10年ぶりの再会だ。拍手で迎えられた後、私の乾杯の音頭で始まった。女子で、2人が結婚して子どもがいた。そのうちの1人は19才で子どもを産んで、今は5才・2才・0才の3児の母だ。「3年が一番楽しかった」「ふちゃんは、スカートの長さとかをゴチャゴチャ言わんからうれしかった」「先生のクラスニュース、今でも持ってるで」「最初はただのおっさんと思ってたんやけど、先生がいっかい本気で怒ってからは、ものすごく信頼した」→この男子は現在小学校の教師である。〈たぶんお世辞だと思うが〉ふ先生のような先生になりたいと思った、と言ってくれていた。仕事は、小学校の教師から、トリマー、印刷工場勤務、トラック運転手、庭師、保険代理店、フリーターなどなどさまざまだったが、みんな変わってなくてうれしかった。そんな中で私が最もうれしかったのが、K・Yが来てくれていたことだ。Kはクラスで一番のヤンチャだった。学校へはほとんど来ずに、校外で遊びまくっていた。決して悪いやつではなくて、話したら十分に理解できる。超がつくぐらいイケメンで、織田裕二をマイルドにしたような感じだ〈笑〉昨日、10年ぶりに会った。私はKに言った。「K、久しぶりやな、元気してたか。中学の時は申し訳なかったな。何もしてやられへんかった。ほったらかしやったな」Kはニコッと笑って「そんなん・・・、俺が勝手なことやってたから」と言っていた。それから自分から話し始めた。「あの時は、学校に行ったら絶対に怒られる。怒られるばっかりやったから行く気にならんかった」なるほど、そうやなぁと思う。1、2年の時に、先生に怒られまくっていたんだろう。いいところを評価されるなどということは皆無だったのではないだろうか。今は、小さな工場でマジメに働いているらしい。その仕事も自分で見つけてきたそうだ。「親とかに頼ったら甘えてすぐ辞めてまうから」と言っていた。本当にエライやつだ。Kが来てくれただけでもいい。本当に来てくれてうれしかった。同窓会は卒業式と並んで、教師冥利につきるものである。「先生、あの時俺をどついたやろ」「私、先生の言うたこと覚えてるで」と言われても、私自身が「そんなことあったかなぁ・・・」と忘れているのがほとんどだ〈笑〉でも、そういうことを楽しそうに話してくれるのを聴いていると「教師をやっていて本当によかった」と思ってしまう。我々は、人間を育てている。その人間は、私が死んだ後も残り続ける。影響力は小さいかもしれないが、そう考えると、この職は本当にありがたいなぁと思う。卒業生と会えるのは、こころからうれしいことだ。
2010.03.22
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今日は、長男〈中3〉の卒業式だった。自分の勤める中学校も卒業式だったが、今日は休みをもらって長男の卒業式に行った。9時開始。卒業生入場。長男は1組だから、一番早くに入場してきた。長男の姿はチラッと見たが、その他の生徒にものすごく目がいってしまう。髪の毛・服装・名札がついているかなどから、顔の表情や歩き方などまで食い入るように見てしまう。卒業式に至るまでの内部事情がわかっているだけに、ここ〈卒業式〉にくるまでに、どういう過程をふんできているかが、だいたい想像できる。「あっ、こいつは今朝黒彩ふったな」「このクラスは先生との関係がうまくいってないな」とかいうことは、すぐにわかる。どんなに表面をキレイに飾り付けてもわかる。吹奏楽部の在校生が会場内で演奏するんだけども、その在校生の様子・態度を見ただけで、学校の様子がだいたいわかる。今の現状では「しんどいなぁ」と思う。私が勤めている学校も、3年生の生徒と教師との関係は最悪だ。1、2年の教師の発想も最悪だが・・・このことについては、改めて書きたい。卒業証書授与が始まった。学級担任が1人ずつの名前を呼んでいく。呼ばれたら1人ずつ壇上に上がって校長先生から証書を受け取っていくというのが一般的だと思うのだが、今日は、担任が呼ぶとその場で返事して起立する。壇上にはクラス代表の1人だけが証書を取りに行くという形だった。この形だと20分ぐらいの時間を短縮できる。しかし、なんだが味気なかった。学校長式辞、教育委員会告示などが続いて、在校生送辞と卒業生の答辞。おきまりのパターンで流れていった。卒業生が退場する前に、「旅立ちの日に」を歌った。イントロが流れた瞬間に「これはあかんわ・・・」と思った。私は、涙がポロポロ流れた。押さえられなかった。なぜなら・・・6年前の3月13日。私が当時勤めていたY市立T中学校の卒業式で、卒業生が歌ってくれた歌だからだ。3年間担任し、私はあの子らを心から愛していた。あの卒業式は整然とした中、歌声が地響きのように響き渡った。涙・涙・涙の卒業式だった。今、これを書いている時も目が熱くなってきている。あの時を思い出したからだ。長男には申し訳ないけど、そのことで涙があふれた。見ていて思ったことは・・・、「もう一回だけ3年の担任をしたい」ということ。教師にとって自分のクラスを卒業させる日というのは、ハレ舞台中のハレ舞台。3年間いろんなことがあるが、それが一瞬にして吹っ飛んでしまう日。極端に言えば「この日のために3年間やってきた」とも言えるような日。過去、中学校で3年生を7回担任した。小学校で6年生を1回担任した。辞める前に、「もう一度だけあの卒業式の感動を味わいたい」と思った。今、1年生の担任なので、順調にいけば2年後に実現するだろう。卒業式と言えばもう1つ・・・、これは私がその場にいなかった卒業式で・・・。私がT町のS小学校で5年生を担任していた。そして次の年、私は転勤でその学校を出た。その子らが6年生になった時の卒業式でのこと。私はもう別の学校〈中学校〉にいたのだが、あの子らに祝電を打った。「今、壇上で胸を張っているみんなの姿が見えます。先生(ふ)が話した『火』のような人になって、今のこの暗い時代を明るく照らす人になって下さい」というような内容を送りました。それを教頭が紹介しました。これだけならどこにでもあるような光景なんですが、その日の夜に、私が懇意にしていた保護者の方からメールが来ました。「ふ先生、今日は卒業式でした。先生にこの場に居てもらいたかったです。でも祝電をいただきありがとうございました。あの時の子どもたちの顔はとてもうれしそうでした。それから、式が終わった後で、体育館の後ろで人だかりができていました。何かと思って行ってみたら、祝電の掲示板に掲示されている先生からの祝電を、たくさんの保護者がカメラや携帯で写真を撮っていました。子どもと一緒に撮っている人もいました」というものでした。私はこのメール読んだ瞬間に嗚咽しました。実際にこの目で見たわけでは決してありませんが、この出来事は私の誇りです。長く教師をやっていると「卒業式」には多くの思い出があります。教師冥利につきる日と言えると思います。「やっててよかった」と思える日です。
2010.03.12
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大阪府教育委員会が、将来教員を志望している大学生を対象にして「教志塾」を開いている。月1程度、いろんな活動をしたり講義を聴いたりして、将来の大阪を担う教員を養成していこうという取り組みである。たいへんいい企画だと思う。対象は大学4年生だが、とても勉強になり自分の力が高まっていくことだろう。なにより、こういうところに「参加しよう」ということだけで、その意識の高さが理解できる。2年前ぐらいにこの企画が始まったらしいのだが、発案したのは、府教育委員会指導主事のN先生。今は大阪府庁内の教育委員会に勤務している。私よりも1つ年上。私とN先生は、私が新任でN先生が4年目の時に同時に赴任した学校で知り合った。3年間同じ学年で苦楽を共にした。そのN先生から声をかけてもらって、昨年の6月にこの教志塾の大学生相手に「学級通信」というテーマで3時間ほど話をさせてもらった。N先生も参加して、2人でかけあいの形で進行した。参加者の大学生にはたいへん好評だったようで、その後数人が私の「ひきだし」に参加してくれて、現在も来てくれている人もいる。そして昨日・・・、府教育委員会指導主事のS先生(前回もお世話になった先生)から連絡があり「再度来て、教志塾の2期生にも話してもらえないか」という依頼を受けた。本当にありがたいことである。「私自身が感動しました。ぜひ2期生にも聴かせたい」と言っていただいた。私は常日頃「もう一度声をかけてもらってこそホンモノ」と思っている。理由は簡単。「なんやこれは・・・」とつまらない印象を与えたら、絶対に再度声がかかることはないからだ。「これはスゴイ、おもしろい」からこそ「もう一度」「もっと聴きたい」と思う。逆の立場で、私が主催している場合は、参加者がリピーターになってくれてこそホンモノである。「もう一度来たい」ということで実際に再度足を運んでくれてこそホンモノ。ありがたいことに「ひきだし」では多くの方がリピーターになってくれている。リピーターの割合〈初めて参加した人が2回目に来る率〉は8割を超えている。ありがたいことである。そういう意味で、今回の依頼は本当に嬉しかった。心から嬉しかった。また私の話を聴いてくれた教志塾の大学生のうちの何人かが「ひきだし」に来てくれるだろう。こうして、今は一歩ずつだけども、地道に根を張りながら広げていく。「天が導いてくれている」と確信している。前向きにやっているところには必ず光が当たってくる。この先どんなことが起こってきても、感謝の気持ちだけは絶対に忘れないようにする。支えてもらっている全ての物〈人〉に、ありがとうございます。
2010.03.06
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大阪市内に「ラスパ大阪」という「ゆとり健康館」がある。http://www.laspaosaka.com/フィットネスジムがあり、近くから温泉をひいていて運動した後はそこで汗を流す。1999年の4月にオープンした。開業してから2~3年は、テレビのニュースなどでも頻繁に紹介されていた。私はオープン1ヶ月後の5月から会員になって、現在までずっと利用している。週末の土日はほとんどで、平日でも時間に余裕があれば行く。フィットネスジムで汗をかくこともあるし、温泉に入りに行くだけの時もある。夏休み(8月)などは、かなりの時間的な余裕があるので、ほとんど毎日のように利用していた。大阪市内といっても最南端にあるので、私の自宅からはバイクで5分以内で行くことができる。もう10年近く利用してきて、私の40代のほとんどを過ごしてきた。ジムに行ったら、思いっきり汗かくので、私の体調の維持に大きな役割を果たしてくれた。そのラスパが、3月いっぱいで閉館してしまう。原因は当然ながら財政的なこと。2年前に大阪市が経営権を放棄して、サウナで有名な「ニュージャパン」に経営権が譲渡された。そして今回ニュージャパンも、経営を放棄するという形になった。会員は何人ぐらいいるのかは不明だが、かなりの人数はいる。ただ、一般の利用客があまりにも少ないのが現状だった。赤字がどんどんと膨らんでいったんだろう。会員による署名活動や平松市長にも陳情に行ったらしいが、なかなか厳しい現状だ。私は悲しい・・・。「なんとかならんのか」と思う。約10年、よく通い続けた。思い出があまりにも多すぎる。最近は玄関に、他のフィットネスジムのチラシ(ラスパ会員を取り込むための)が置いてあるが、見る気にもならないし、他に行く気持ちもない。「どうやって運動しようか?」と思ってしまう。散歩でもしょうか・・・。でも、長続きしないやろうな。急転直下、どこかが経営権を引き継いでくれないかと思うが・・・。私も2年後には50才になる。「健康」には留意していかなければならない歳になった。私の健康法は「汗をかく」ということなので、何かいい方法はないかなと思う。しかし・・・、今まで生活の一部だったものが無くなるというのは本当に悲しいことだ。
2010.02.28
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若手教員の交流&研修チーム「ひきだし」を月に1度程度の割合で開いている。今年になって、1月=24人、2月=19人と人数が増えてきた。大学生がその1/3ぐらいを占めている。小学校・中学校・高等学校・保健室の先生・大学院生もいる。1月から2月にかけて「保護者との対応」について、参加者と一緒に考えてきた。今、保護者の教師に対する見方は確実に変わってきている。一昔前は「先生に100%お任せします」「ウチの子を頼みます」という声をよく聴いたが、最近ではついしぞそういう声を聴くことはない。教師に対して厳しい見方が定着してきている。1月の「ひきだし」で、私は参加者に「子どもがムチャクチャに荒れた。金髪にピアス、学校でタバコを吸う、対教師暴力、ガラスを割るなどの行為を頻繁に繰り返している。こういう状況になった時、その非はどこにあるのかという割合を考えて欲しい」と問うた。全てを10とした時に、その配分はどうなっていると思うか?教師:子ども:保護者の割合である。もちろん、一概には決めることができるようなものではないが、自分がどういう感覚を持っているのか、人がどういう感覚を持っているのかを知ることは大切だと考えたからだ。1月の「ひきだし」では、参加者の大半が教師:子ども:保護者=7:1:2に近いものだった。中には8:1:1もあった。私も個人的には8:1:1だと思っている。子どもや保護者に非がないということはない。がしかし、その大部分は学校で関わっている教師にあると思っている。教師の扱いの悪さが子どもらにどれほどの悪影響を与えているかということを毎日のように目にしているからだ。これと同じ質問を職員室の教師にしたとしよう。大多数の教師は、おそらく教師:子ども:保護者=1:5:4あたりを答えると推測される。いや、教師:子ども:保護者=0:5:5も十分にありうる。「自分たちが悪い」とは絶対に認めないのが「先生」。これは、医者も政治家も同じ・・・。しかし、1月の時は、それとは逆の結果が出た。私の教え子で現在大阪市立の小学校教諭で6年生を担任しているTがいる。Tのいる学年は、今、大荒れ状態で、イジメ・対教師暴力・タバコ・器物破損などなんでもありの状態になっているらしい。Tの話によると、その原因は「教師集団(自分も含めて)の関わり方の拙さ」につきる、ということである。話を聴いていると「そら荒れるわ」と思えるようなことが多数ある。Tは常々「子どもは何も悪くない、悪いのは自分たち教師集団だ」ということを繰り返し言っています。私はTのその姿勢をたいへん評価しています。大いにほめてやっています。そのTが1月の「ひきだし」の後で、とても喜んでいました。「自分と同じ考えの先生(大学生)がこんなにもいてくれて嬉しい」と言っていました。現場にいると、職員室で子どもの悪口を聞くことが本当に多い。「あいつは・・・」「なんなの?あの子は・・・」などなど。そういう一面ももちろんあるが、「そしたら、あんたらは何をやっているのか?」と問うてみたい。プライドの高い人たちには絶対に理解できないとは思うが・・・。ただ、2月の「ひきだし」では新たな発見があった。この時は、実際に保護者の方に来ていただいて「ホンネ」を聴かせてもらおうという企画だった。いろんな話を聴かせてもらった後で、私は同じ質問を保護者の方(4人)にしてみた。するとその結果は・・・教師:子ども:保護者=0:0:10という答えに近いものが多かった。意識の高い(協力的な)保護者ということもあるが、意外な結果だった。理由も聴いたが、ホンネに近いものだと思う。「自分たち(保護者)が悪い」という感覚がほとんどだった。もちろん、こんな保護者ばっかりではないが・・・。1人の保護者は「『保護者に責任がない』というのは、かえって私たち保護者に対する侮辱のような気がする」という意味のことを言っていた。私は「なるほど、そういうことも言えるなぁ」と改めて気がついた。今回の「保護者対応」について、私は、「なぜ教師と保護者は協力できないのだろう・・・」と思った。どちらも「子どもが大切」と思っているのに。どちらも(一部かも知れないが)「自分たちの非」を感じているのに。学校現場ではいがみ合っていることの方が圧倒的に多い。保護者は「ホンネ」をなかなか言えないし・・・。「学校」って何なんやろう?「教師」って何なんやろう?と考えてしまう。
2010.02.27
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昨年の12月に家内が乳がんの手術をして、左の乳房を全摘した。手術はうまくいって、それについては何の問題もなかった。その後、切り取った組織を精密検査してから今後の治療方法を検討するということだった。その結果が今日出た。お陰様で、がんが移っているということはないようで、今のところは切り取ったということで全治と考えていいようだ。抗がん剤も放射線治療も今のところは必要ないようだ。がん自体は悪性のものだったらしいが、乳房の中の管内にとどまっていたために外には出ていなかったようだ。早い段階で見つけて切除してしまったことが功を奏した形になった。この2ヶ月間、「どうなるのか」とかなり気になったが、これでひとまずは安心した。次に病院に行くのは1年後らしい。本当によかった。自分をとりまいている全ての物に対して「感謝」の気持ちを持ちたい。形のあるものに対しても・・・形のないものに対しても・・・「ありがとうございます」今回のことで、「自分が好き勝手なことをやっていられるのは、家内がいてくれるから」ということを痛感した。ただ、家にいてくれるということだけで、私がやりたいことを自由にできる。クラスの生徒に対していろいろなものを投げてやることも・・・クラブの試合で采配をふるうことも・・・「ひきだし」の進行を考えて実行することも・・・校外で若い先生たちと飲みに行くことも・・・「やりたい」ことが自由にできる。もっともっとやれる環境を天が与えてくれたと思う。今回のことは「やらせてもらっていることに感謝しなさい」という天の声だったと思う。感謝の気持ちを忘れないようにして、「人のためになる活動」をやらせてもらおう。全てのものに・・・ありがとうございました。
2010.02.16
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バンクーバーのオリンピックが開会した。というニュースよりも、私が注目したのはスノボの国母選手。日本選手団の正式な服装を、ネクタイをゆるめ、腰パン・シャツ出しでみんなの前に現れた。ニュースでチラッと見たが、完全な今風の若者のスタイルだ。これに抗議が殺到して、スキー連盟は推薦を取りやめて出場辞退という方向に向かったのだが、日本選手団の団長の橋本聖子さんが「出場させることで責任をとらせる」ということで一件落着した。私が注目したのは、これが「授業で使える」ということである。まずはスキー連盟などの組織のことを生徒に説明してから、私が国母選手と同じ服装で生徒の前に現れる。次に、もう1人の先生(誰か頼みやすい人)に依頼して、正式な服装をしてもらう。2人が生徒の前に立って、今回の出来事を一緒に考えていく。「国母選手の言い分は?」「なんで抗議が殺到したのか」「国母選手の行為は許されないのか」「服装とはいったい何なのか」を考えさせたい。なぜなら・・・、髪型・服装については、中学校の教師にとって永遠の課題だからである。小学校の先生には、このことは理解できないだろうな。違反する者が必ずいて、校内では「シャツを入れろ」とか「茶髪はあかん」とかを言い続ける(私はほとんど言わないが)私は「服装などなんでもいい」し「髪の色など茶でも金でも赤でも紫でもいい」と思っている。ただ、「式」の時とか、学校にお客を招く時などはピシッとした、いわゆる正調なものを身につけるべきだと考えている。自由な服装や髪型は個人の嗜好であって、それは尊重されるべきである。が、学校という集団の中では当然のごとく「集団のルール」がある。「決められたルールを遵守していく」ということは大切なことだと思う。しかし、頭ごなしに「こうしろ!」「こうでないとあかん」などとは絶対に言わない。生徒が納得の上でしか、行動を起こさない。その「納得させること」が本当に難しい。その「納得」の手助けに、今回の国母選手のことがなるのではないかと思った。「国母選手はみんなから非難された。だからお前たちもちゃんとしなさい」などと言うつもりは全くない。いろんな意見はあるだろうが「生徒自身が考える」きっかけになると思う。ニュースを見た瞬間に「これは使える!」と感じた。しかし、全体(学年や学校)に提唱しても相手にされないのは確実である。「考えさせる」などという思考はなく、「やらせる」「やりきらせる」のが大多数の先生の発想だから・・・。またこっそりと、自分のクラスの中だけでやるしかないな・・・
2010.02.13
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先週からHRの時間などを使って「性教育」をやっている。第二次性徴を教えるというものだ。私は、そういうことを教えることも大切だが、それよりも「いのちの尊さ」を考えさせる時間にしようと思った。と言っても、学年全体(5クラス)で、内容を統一しなければならないので、表面的には最大限の譲歩をして内容を合わせて、それ以外では自分独自の内容を組み立てていった。各クラスの担任が、それぞれの裁量で思うような授業を展開すべきだと私は考えている。ただし、着地点(目指すゴール)だけは統一しておかなければならない。それがバラバラだと子どもが狂ってしまう。「担任が独自な色を出さない」から子どもの気持ちが離れていくと私は考えている。日本式のチームワークというのは、弱者を救済するという意味なのだ。本当のチームワークとは、個体がそれぞれ強くなっていった上に築かれるものだ。これは、私が尊敬するイチローの言葉である。全くその通りだと思う。それはさておいて・・・。性教育の授業は、今日で4時間目になる。その4時間の流れをここで書くと莫大な時間がかかってしまうため、後日HP上に書き込みたい。自分でも、「ものすごくうまくいった」と自負できる内容だった。4時間とも、子どもが食い入るように私の話を聴き、今日はディベート形式も取り入れて「大討論会」の様相を呈した。うまくいったのは、私が授業を練って練って準備したことと、それともう一つは「生徒の協力」である。なんと言っても生徒が抜群にいい。反応がバンバン返ってくるし、勝手なことして遊んでいる者など1人もいない。全員が「いのち」という難しいテーマを自分の頭で考えている4時間だった。今日の授業を終えて、1人の生徒の感想を紹介します。これは、私が毎日出しているクラスニュースに載せました。「ふ」から後は、私がつけたコメントです。生きてることは楽しい。苦労などがあるが、うれしい幸せなことがある。生きてから付き合って、また新しい子ができる。それからまた子ができていって、それが生きていることになる。産まれた子からまた子へと、つないでいく。それが、産んだ人にはとてもうれしいと思う。だから、生きていった方がいいことなどもある。「ふ」これは「いのち」を次から次へと受け継いでいくということです。「いのち」というバトンを次へ渡す。バトンをもらったら必死で走って、また次へ渡す。そう、まさしく「いのちのリレー」だ。人間はそこに喜びを感じる。バトンをもらったら、次へ渡す前になくしたらあかん。自分からバトンを放り投げる行為(自殺)などは、絶対に許されない。こんな意見が出るなんて・・・。授業をやってよかったです。感謝しています。涙が出ました。私は、この感想に「いのちのリレー」というタイトルをつけました。私は、こういうこと(受け継ぐとか)を授業の中では一言も言っていません。これはどんな子が書いたと思いますか?中1の私のクラスで一番ヤンチャな男子です。ケンカをよくします。文を書く時など「あぁ」とか「わかった」ぐらいしか書かなかった子です。それがこの感想です。私は涙が出そうでした。これを見た瞬間に「この授業は成功!」と確信しました。学校ではヤンチャで通っています。「悪い子」と見ている教師もたくさんいます。どこが悪い子なのか教えてほしいです。これから後、約2年はこの生徒とつきあうと思いますが、彼がどんなに周囲から攻められても私は彼を守ります。こんな「感性」を持っている子が心底悪いはずがないと思うからです。今日もまた生徒に教えてもらいました。本当にありがたいです。しんどいけど、やっていて良かったです。他にも、ものすごくいい感想がたくさん出ました。「産まれてきて良かった」「産んでくれて感謝している」「生きてるっていうのはすごいことなんやな」などなど・・・。この後、産んでくれた母親に手紙を書かそうかという発想が出ましたが、私のクラスだけそれをやるとダメなので、それは断念しました。これから後、「生きているということ」から、もっともっと発展させたら「死ぬということ=死とは何か」(death・education)までもっていけます。しかし、学年でやっている以上できません。自分の思うままにやってみたいです。なんと言っても子どもが協力してくれるので、どんなことでもできるんですから。言ってはダメですが、20代の若い担任教師に言いたいです。「何にも授業を練らないで、安易にビデオだけ見せていて『はい終わり』ではあかんやろ」最後に愚痴になってしまいましたが、生徒たちには心から感謝しています。
2010.02.02
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今、大阪女子マラソンが行われている。長居陸上競技場をスタートして大阪城・御堂筋などを通って競技場に戻ってくるコースだ。長居陸上競技場は、私の家からバイクで5分の距離にあるので、毎年沿道まで見に行っている。今まで一番すごい歓声が上がったのは、有森選手の時だ。確かオリンピックでメダルを取った後ぐらいだったと思う。今日も、見に行こうと思う(あいにくの雨模様だけども)あと2時間後ぐらいには、今里筋から長居公園通りに先頭集団が帰ってくるので、その時に沿道に出ているつもりだ。しかし、私が注目しているのは先頭集団ではなく、はるか後方にいるであろう「松永由水」という選手だ。松永=旧姓は小鴨。20年近く前のこの大会で彗星のように現れて優勝し、バルセロナオリンピックの代表になった選手だ。オリンピックでは、平凡な成績しか出せなかった。私がなぜ彼女に注目しているかというと、一度はマスコミに大きく取り上げられて「時代の寵児」となったが、成績が平凡に終わるとあっという間に忘れ去られて、その後はものすごく苦労して、そして何年か前からまたこの大阪女子マラソンに復帰しているという彼女の経歴にある。オリンピック出場という絶頂期から、地獄のような苦労の日々に墜ちて、そこからまた復活してきている。11年前に地獄を見た私にとって、感情が移ってしまう選手です。当時はチヤホヤされたろうけども、今や走っていても誰もその存在にすら気がつかない。どんなことをしても応援してあげたい選手です。数年前に私が沿道で見ていたとき、小鴨(松永)選手は先頭集団から40分ぐらい後れてやってきた。沿道にいた鈴なりの人たちは、もうとっくに解散してほとんど誰もいない。私はひたすら小鴨選手がくるのを待っていた。そして、小鴨選手が私の前を通りかかった時大声で「小鴨、がんばれ!応援してるぞ!」と声をかけた。小鴨選手がチラッとこっちを見た時に目と目が合った。私は、とてもうれしかった。あなたのことを忘れずに応援している人間もいるんやぞということを伝えたかった。痛んだ時代から復活してきた人には、とことん応援してあげたい。さぁ、今日もあと2時間ぐらいしたらバイクで出かけよう。そして小鴨選手に声をかけてあげるんだ。
2010.01.31
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今日は、午前中にクラブがあったので学校に行った。肋骨がまだ痛むけど、身体は動くので、休みにはしていない。まだまだノックを打つまではできないが、生徒らがランニングなどのトレーニングをするのを見ている。練習は9時に開始。そして、今日は10時から体育館で吹奏楽部が「ふれあいコンサート」を開いていた。地域ネットの人たちと協力して、地域の人たちを招待してその前で演奏する。小学校の有志の児童たちも合唱団を作って参加していた。最近はこういう形で地域の人たちと交流するのが流行だ。「形だけ」になっていることは否めないが、何もしないよりかはマシである。管理職が中心になって、もっともっと身のあるものにしていかなくてはならないと思う。吹奏楽部の子らは、それこそ今まで一生懸命に練習していて、昨日なんかは、私のクラスの子が「先生、明日は見に来てや」と言っていた。そこで、クラブの途中に短時間抜けて、体育館に行った。ちょうど演奏中だった。美空ひばりの「愛燦々」やジェロの「海雪」など、高齢者の方を意識した選曲が多かった。招待した方が高齢の方が多かったからだ。アンコールで「六甲おろし」も披露した(さすがに大阪である)部員はとても熱心にやっていた。何かに熱中しているというのはとてもいいことだと思った。終わってから楽器をかたづけている時に行って、最大限に評価してやった。「お前らうまかったぞ!美空ひばりには感動したわ」「ほんま?」「ほんまや、もっとしょぼいと思ってたんやけどな」と笑いながら言うと「失礼やな~」といいながら、生徒も笑顔である。人間なら誰でもそうなんやけども、何かをした時に「よかったぞ~」と評価してもらいたいものだと思う。何かをやった時、人がそれをどう評価しているかということが心配だと思う。その時「よかったで」「よくがんばったな」「みんな感動してたで」という声をかけてあげることが大切なんだと思う。しかし、なかなかこの声がかからないことが多い。「それぐらいやって当たり前やろ」という発想が、先生の中にはある。「当たり前」なんやけども、それでも「どうやったかな」と不安な気持ちを子どもは持っていると思う。その時に賞賛と労いの言葉は絶対に必要だと思う。吹奏楽のメンバーの中にK(女子)がいる。Kは、性格的には特に何の問題もないが、最近は化粧をする、髪を染める、授業中の態度も悪くなってくるといった、生活面の乱れが出てきている。これは、学級担任(男性=27才)との関係の悪さが大きく影響している。学級担任はとにかく「管理」「管理」「管理」「管理」の人である。傍目から見ていても「かわいそうやな」と思うことがいくつもある。もちろんそれだけが全てではないが、それが大きな因となっている。そのKが、とてもよくやっていた。演奏中も楽器の運搬なども協力してよくやっていた。もともと音楽的な才能はとても長けているらしい。私は終わった後でKにも声をかけた(当然だけど)「K、よかったぞ、よくやってたな」Kは、ちょっとうなずいただけだったが、それで十分だ。もっともっと大勢の人間がKに声をかけてやったら、Kの「自己肯定感」はもっともっと高まるのだ。過去に世間から叩かれまくった私にとって、この「自己肯定感」ほど大切なものはない。「お前はよくやってるんやで」と言って(示して)もらった時の喜びというのは、心底痛んだ人間しかわからないと思う。ここで、憤りをひとつ・・・。このコンサートをやっている間、同じ学年の若い教師が職員室にいて体育館に出てきていない。担任はサッカー部の引率で、これはいたしかたなかった。しかし、職員室にいる教師はいったい何を考えているのだろう。自分のクラスの子もいるのだ。もちろん学年の子も大勢いる。少しでも足を運んで見てやって、「ご苦労さん」の一言をかけてやるという感覚はないのかと思ってしまう。それを実行していたのは1人だけだ。あとの教師は・・・。普段、どんなに偉そうなこと言ってても、そらあかんわ。こんな時に「思いやり」を示してやれないような教師(人間)はダメやと思う。私の感覚がおかしいのかな?土曜日に学校に出てきているだけでも評価してやらないといけないのかな?冷たい人間とは話もしたくないと思ってしまう自分がいる・・・。
2010.01.30
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教え子のU(男性)は今年29才。中学校時代の3年間とも、私が担任した。今までに、3年間全て担任したという子は10人弱ぐらいである。中学校時代は硬式野球のチームに入っていて、高校でも野球を続け、大学では阪神タイガースの林選手と同期だった。大学を出てから社会人のチームに入っていたが、去年辞めてプロ野球のオリックスのキャンプに参加した。それは選手としてではなくて、打撃投手としてである。ローズやカブレラ相手に投げていた。どうしても野球に関わる仕事がしたかったようだ。しかし、正式には採用されずに4月から大学の野球部の先輩が経営している会社に就職した。Uとは卒業後ほとんど会っていなかったが、2年前に私が前任校にいた頃に、ひょっこりと学校に訪ねて来てくれた。学校が荒れている時期だったのでとても嬉しく、それ以後、定期的に会って飲みに行っている。温厚でやさしく、体育会系で礼儀正しく、とてもいい好漢である。そのUが、昨日結婚した。結婚式に招待してもらい、梅田の結婚式場に出かけた。お母さんに再会した。お母さんは「肝っ玉母さん」というタイプの人で、とても協力的な方だった。「ふ先生に3年間もってもらって本当によかったです」といつも言ってくれていた。少々老けられたけども、全然変わってなくうれしかった。相手の女性は小学校の先生である。私が以前勤めていたY市の小学校に勤務していて、私も以前から面識がある。式はホテルの中での教会で行われた。賛美歌を歌うのが少々苦しかった(笑)それから披露宴が約3時間。笑いあり涙もありで、とてもいい式だった。最後に新郎のUが挨拶の中で、ご両親に「今まで好きな野球をやらせてもらってありがとう。それやのに野球で大成できなくてごめん」と泣きながら、自分の思いを伝えました。私は今まで、いろんなことでUから相談を受けていたんですが、その時にも「こんなことやってられるのも両親のおかげです」といつも言っていた。私はこのUの挨拶を聴きながら、涙をこらえるのに精一杯だった。心やさしきやつ・・・。それと、「両親に感謝」「こんなことしてられるのは両親のおかげ」ということを再認識させてもらった。私の両親は87才と81才。ありがたいことにまだ健康でいる。これほどありがたいことはない。「ありがとう」という言葉はなかなか言えないが、感謝の気持ちは絶対に忘れないようにしたい。定番だけども、式の最後に2人の生い立ちがスクリーンに映し出された。誕生時からずっと続いてきて、中学校時代になった時、卒業式でUと私とお母さんの3人で撮ったものを映してくれた。「ふ先生、3年間ありがとうございました」のメッセージをつけて。もう、こんなに嬉しいことはない。思い出したら、今、また涙が出そうです。教え子から結婚式に招待してもらえるというのは、先生という職をしていて「最高の栄誉」だと思います。ありがたいことだと、心から感謝しています。死ぬまでにあと何回かあったらいいなと思います。
2010.01.24
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大学生の方と3時間半ほど話す。彼女は、内定していた就職先を断念して「教育」の道に進むことを決める。「教育」というと、我々はすぐに学校の教師というものを想像するが、彼女はそうではなくて何らかの形で外部から現在の教育を変えていきたいということだった。そのために、3月に卒業した後4月から1年間ロンドンに留学し、そこで教育学から授業方法などいろんなことを学び、そして帰国してそれを生かしていくということだ。それを語る時の彼女の表情はイキイキしていた。私は感心した。普通は、教員採用試験に合格することを最大の目的とすることが通常だけども、ロンドンに行って学んでから外部から教育を変えるという発想。「すごいなぁ・・・」の一言である。話していて、常に前向き。どんなことでも「吸収しよう」という意気込みがひしひしと伝わってくる。私にいろいろなことを質問していたが、全て的を射ていて舌を巻いた。彼女のやろうとしていることは、かなり困難な状況があると思うが、彼女の持っている使命感がなくならない限り実現に近づいていくと思う。「教育を変える」ことについては、私も同様の考えを持っている。協力してやっていきたいと思った。「若いのに」という言葉は使いたくないが、若さに似合わずしっかりとした考え方の基に行動していることに大きな刺激を受けた。素晴らしい人材だと思う。私も負けないようにやりたいと思った。
2010.01.23
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バイクで転倒して、肋骨骨折が判明した次の日。教室で・・・。アイタタタタタタ・・と黒板の上の方に板書する時に思わず口をついて出た。「どうしたんや?」と生徒らが聴く。「実はな、昨日バイクで転倒して肋骨が1本折れてるんや」「え~」「ほんまか」「なんか演技みたいやな(笑)」「ほんまや、道路が凍ってて、滑って転倒したんや。病院行ってレントゲン撮ったら骨折やったんや」と言って、シャツをまくって胸部に巻いているコルセットを見せる。「おっ!」という雰囲気で、ほとんど全員が「ほんまなんやな」という表情になる。その次の瞬間、「そんなわけないやろ~、そんな簡単に骨なんか折れへんのや(笑)」と言うと、「な~んや」「まただまされた」と笑いが起こる。またその次の瞬間、アイタタタタタタ・・・、やっぱり痛いわ。「どっちやねん」「ほんまに折れてるんか」という声が起こる。学級委員の女子(成績は学年トップ)が「先生、そんなことしとったらますます信用無くすで」と笑いながら言う。「ほんまや、ほんまや」という声が女子から起こる。「ふ」「ほんまにそうやな」と笑う。「でも、ほんまに痛いんやからな」「なんか信用でけへんな・・・」というようなやりとりが教室でありました。やっぱり生徒と話している時が一番楽しくて仕方がないです。今も骨折を信用している者と疑惑を持っている者が半々ぐらいです(笑)
2010.01.20
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骨折してしまった。何年ぶりだろう・・・。確か、9才(小学校3年生)の時に遊んでて、砂地に右足が入って、くるぶしの骨にヒビが入って以来だと思う。約40年ぶりか。年末にも腸炎からくる高熱が続いて、最近は病気やケガが多い。でも不満を言うのではなくて、「これぐらいで済んでありがたい」と感謝している。事の顛末は・・・、今日は暖かくなるということだったので、久しぶりにバイクで学校に行った。家を出てから5分ぐらいの所にS字のカーブがある。最初のカーブを曲がって、次のカーブを曲がろうとした時に「あっ」という間に右側に転倒した。路面がツルツルに凍結していたからだ。そこは普通のアスファルトの道路ではなくて、新しく高速を造るために鉄板で足場を組んでいる道である。そこが凍結しているのに気がつかなかった。時速は30kmぐらいは出ていたと思う。まさしく「あっ」という間の転倒だった。バイクは10mほど横滑りし、ヘルメットは吹っ飛んだ。右側に転倒したので、右の脇腹を地面に強打した。しばらくは立ち上がれなかったが、後ろから車が来るので、なんとかバイクを起こして側道に止めた。手袋は摩擦で穴が空いていた。「家に引き返そうか」とも思ったが、そのまま学校に行った。学校では脇腹が痛んでスムーズな動きがなかなかできなかった。顔をしかめて、イタタタタタ・・・っていう感じだ。「先生、どうしたんや?」と生徒がきいてきた。「朝、バイクでこけてな・・・」「また、スピード出しすぎてたんやろ」とか言いながらも心配そうにしてくれていた。3時過ぎに学校を出て、すぐに病院に直行した。レントゲンを撮った結果、肋骨に骨折が判明。「別に手術とかは必要ないけども、1ヶ月ぐらいはコルセットを巻いて下さい。痛みは残るかもしれません」ということだった。なんでも、周りの組織が盛り上がって、1ヶ月ぐらいで骨折は完治していくらしいのだが、そんなもんなんだろうか。「あ~あ、仕方ないな・・・」という感じだ。ただ、あの時、私の後ろを併走するように車が走っていたとしたら、私はもしかしたらひかれていたかもしれない。命がなくなっていたかも・・・。と思うと、これぐらいで済んでありがたいという感謝の気持ちです。「なんでも慎重にやれよ」という天の声だと、私は解釈しています。皆さんも事故にはくれぐれも気をつけて下さい。
2010.01.18
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1月17日、阪神大震災のあった日。あれからもう15年たつのか・・・。あの時33才。4つ前の学校で中3を担任していた。長男(今年15才)が12月27日に生まれて、家内と一緒に実家に帰っていた。私は2階で寝ていて、ものすごい揺れで目がさめた。以前の木造の家だったので、揺れがすごかった。私はめったなことでは目を覚まさないんだけども、さすがにあの時は目がさめた。とっさに「たんすが倒れる」と思って、身をかがめた。電球が大きく左右に揺れていた。揺れがしばらく続いたので「家が崩れるのではないか」と、とっさに思った。余震が2回ぐらいあったことを覚えている。テレビで、神戸の町が火の海になっているのを見た。阪神高速が横倒しになっているのには驚いた。学校までの道路がメチャクチャ混んでいて、倍ぐらいの時間がかかった。本当にすごい地震だった。たくさんの方が一瞬にして亡くなられたし、住む家を無くされた。もう15年もたって、ずいぶんと記憶の方も薄れてきてしまっているが、いまでも教訓として残していかなければならないと思う。
2010.01.17
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今日は寒かった。本当に寒かった。最高気温5度、最低気温1度。冷凍庫の中に入ったようだった。午前中には吹雪のような状態になって、学校のグランドにも一部雪が積もった。今日は午前中実力テストだったので、私も教室でテスト監督していたのだが、外が吹雪き状態になったら、ほとんどの者が窓の外を見ていた(笑)大阪では非常に珍しいことだから・・・。ここでこれだけ寒いんだから、北陸・東北、北海道なんかはどれだけ寒いんやろうと思う。私は基本的に寒いのは苦手だ。暑いのはどれだけ暑くても我慢できるが、寒いのは耐えられない。大阪の夏は異常な程暑いので、身体がそれに慣れてしまっているようだ。午後からはクラブで、2時~4時までの間グランドにいた。もう冷え冷えで、身体の芯が冷え切ってしまった。つらかった・・・。今日は学校へは車で行った。いつもは愛車のバイクで行くのだが、寒さに負けてしまって車で行ってしまった。どうも年末からの発熱で身体が弱っているような気がする。今までだったら、少々寒くてもバイクで行って、車を使うことなどなかったのだが、やっぱり病気すると体力と気力が弱まるんだなぁと実感した。明日も最高気温6度、最低気温0度らしい。たぶん明日も車で行ってしまうと思う。早く春になって欲しい・・・。
2010.01.13
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火事のニュースを見た。家屋が全焼して、一家4人のうち3人が亡くなった。亡くなったのはお父さんと2人の子ども。お母さんだけが生き残った。お母さんは火事に気がついた時、2人の子どものうち長男を連れて一度は外に避難した。その後で、その長男〈確か7才〉が「中にお父さんがいる」と言って、燃えさかる家の中に飛び込んで亡くなった。なんなんやろう?と思う。この子の純粋な気持ちと、それ故に死ななければならなかったこと。亡くなったお父さんの無念さ。そして何よりも、1人残ったお母さんの心中たるや察してあまりある。この長男は、新聞記事によると支援学校に在籍していたらしいので、何らかの障がいを持っていたのかも知れない。このことからも、いろんなことが考えられる。このニュースを聴いた人ごとに感じ方は違うであろう。「こうなんだ」という明確な答えなどはないと思う。この長男のとった行動について。それから「いのち」「生きている」というのはどういうことなのかについて。この2点は、私は生徒に問うてみたい。どんな風に考えるのだろうか?正しい答えなどはない。ただ「生きていること=いのちがあるということ」に対して感謝の気持ちを持つことは必要だと思うのだが・・・。どうでしょうか。
2010.01.11
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昨日は午後1時から、今年最初の「ひきだし」を開催した。1時少し前の時点で5~6人の人が部屋の前で待ってくれていた。今回は、私も初対面の人が多いので、まずは名前を確認してから「忙しい中をありがとうございます」とお礼を言ってまわった。もちろん「ひきだし」の常連メンバーも来て、人数はなんと24人になった。これは過去最多の人数である。部屋の中のイスが20しかないので、「貸してほしい」と受付に頼むと「20人部屋だからダメです」と断られた。このあたりが市立のお役人的なところである。仕方がないので廊下に置いてあるイスを黙って部屋に運び込んで使った。まぁ、ばれなかったからいいだろう〈笑〉いつもはだいたい4人のグループが3つか4つなんだけども、昨日は6つもできた。やっぱり人数が多いというのは活気があっていい。内訳は大学2年生が2人、大学3年生が2人、大学4年生が5人、大学院生が1人。この中には、教員採用試験に合格して4月から正式に教諭として教壇に立つ人が4人いる。「来てよかったです」と言ってもらえたのは、とてもうれしかった。現職では小学校が4人、小学校の養護教諭の先生が1人、中学校が6人、高等学校が3人である。遠くは三重県の名張市から2時間半かけて来てくれた人もいる。内容は、いつものアイスブレイクからグループワーク、そして「気になるあの子」から「問いを変えてみること」「生徒指導」では、持ち物違反を見つけた時の対処の仕方から家庭連絡一考。「保護者対応」では「保護者の信頼を得ること」「保護者に聴いてみたいこと」などを、完全な参加型で展開していった。終了はいつも通り午後6時。ほとんど5時間の長い時間だけども、全く長く感じない〈少なくとも私は〉参加者の方もきっと時間のたつのは忘れていると思う。感想を読ませてもらったんだけども、大部分で満足していただいているようなのでとてもよかった。内容と当日の展開は練って練って多くの時間をかけて構成していくので・・・。三重県から来てくれたNさんがメールで、「たいへん有意義な時間でした。なぜ今まで、この会の存在を知らなかったのかと思うと、もったいない気持ちで一杯になります」という文面を送ってくれた。私にとっては最高のプレゼントになった。しんどい思いをして構成して準備してという苦労が一瞬にしてふき飛んでしまう瞬間である。生徒もよくこういうことを返してくれる。こういうことがあるから、しんどいことも厭わずにやれるんやろうなぁと思う。「ありがたいこと」と深く感謝しています。ただ、この結果に満足していては、前進はないと思います。慢心しているとすぐに参加者が1ケタに戻ってしまいます。まだまだ改善するべき余地はたくさんあるので、また今まで以上にいいものができあがるように尽力していきます。休日の貴重な時間を割いて来ていただいた方、本当にありがとうございました。
2010.01.10
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昨日は3学期の始業式。久しぶりにクラスの子らと会った。女子が1人金髪になっていた〈笑〉別に反抗しているとかではなくて、自分のポリシーがキツイ子だ。「なんで表面だけで見るねん」っていうような意識を持っているので、私は別に強く怒ったりはしない。彼女の言うことにも一理あると思うからだ。でも、集団の中ではそれは許容されないので、そのことを今までから噛んで含めて話をしてきた。昨日も始業式にも出れないし、教室にも入れなかった。そのことについては本人も納得している。「Kちゃんが教室にいてなかったら俺はツライわ」とだけ言ってある。来週からどんな行動をとっていくかは、ある意味彼女に任せている。「やったらあかんことをやっている」という意識は十分に持っている子やから・・・。年賀状もちゃんと送ってきて「先生、今年もいろいろ迷惑かけます」と書いてあった。物事のとてもよくわかっている子なのだ。ハンドリングの難しい子ではあるが、「なんでもかんでもダメです」という学校独特の感覚を私自身が持ち合わせていないので、なんとかやっていけている。私は、基本的には髪の毛の色など茶でも金髪でも赤でも緑でも紫でもいいと思っている。問題は「こころ」の中にある。でも、「集団〈学校〉の中で生きていく」ということも伝えてやらないといけない。校則についてはいろんな考え方があるが、自分の信念を持って子どもと接することが大切だと思っている。今日〈午後1時~〉の「ひきだし」ではそのあたりの話もしようと思う。さぁ、そろそろ出かけようか。気合い入れていくぞ!!
2010.01.09
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熱は完全に下がって、もう大丈夫だと思う。ただ、お腹の調子がまだ完全ではなくて、時々痛んでくる。「まぁ、急には治らんわな・・・」と思う。ここ2,3日は9日の「ひきだし」のことで頭が一杯だ。ほとんど毎日、1日5~6時間は内容と進行方法を吟味している。「これで喜んでもらえるのか」頭に浮かぶのはそのことばかりである。昨日もある大学生の方から「参加してもいいですか」という連絡があり、これで現在のところ全員来たとすれば19人になる〈たぶんドタキャンが出て15人ぐらいになると思うが〉うち初めての人が6人で、大学生の人は7人である。mixiのコミュニティに宣伝広告を出したんだが、これが結構効果的だったようだ。今のところ進行内容は1まずは私の「あいさつ」→これは約30秒2それから、アイスブレイク→2人組での「ペアコミュニケーション」3次にグループワークの実践紹介4次に1つめのメインである「気になるあの子」 ↓ 1人ずつ出し合い、聴き合う5次に私から「視点を変える」という話6次に私の実践紹介→「クラスを2本の糸でくくる」7次に2つめメインである「生徒指導」 ↓ ある事例を出して、それを基にしてトーク〈グループで〉 「あなたの指導スタイルは?」という部分に踏み込む8最後に3つめのメインである「保護者対応」 ↓ 「保護者の信頼を得るのは」 「保護者に不信感を与えるのは」 「保護者に聴いてみたいこと」 などをブレインストーミングしていく。この保護者対応については、来月に実際に保護者に「ひきだし」の場に来てもらい、普段では絶対に聴けないようなホンネを語ってもらうという企画を考えている。とまあ、こういう感じなのだが、時間にして4時間~5時間。この時間が「あっ」という間に過ぎていく。毎回そうなのだが、今回もそうなるように、今は内容を練って練って練って、自分自身が満足と納得いくように仕上げている。自分自身が納得できなければ絶対に客には出さない。これが私のこだわりである。もちろん8日の始業式を迎えるにあたっての準備もしておかないといけない。そっちがおろそかになったら本末転倒だからね。今まで、参加者の方々には満足を与えることができてきたように思う。その証拠にほとんどの人がリピーターになってくれている。今回も、絶対に「来て良かった」と思ってもらう。そのための準備は整えている。さぁ、9日が今から待ち遠しいです。
2010.01.05
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正月の2日・3日は、毎年恒例で親戚20人ぐらいで新年会を兼ねて一泊で旅行に行く。私が大学生ぐらいの時に始まったので、かれこれ30年ぐらい続いている。最初は、どこかの家に集まっていたのだけども、「どうせやったら一泊にしよう」ということで始まった。この30年で、もちろんメンバーは大きく入れ替わっている。結婚もあったし〈もちろん出産も〉死別もあった。一番年長のいとこが毎年幹事をやってくれている。もう、30回近くになるので、近畿周辺では「もう行き尽くした」という感じだ。一番遠くでは浜松まで行った記憶がある。ウナギが信じられないぐらい美味しかった〈笑〉私はもちろん初回から参加している。今までに不参加だったのは11年前の1999年、私の人生の中で最も苦しい時期だった。そして、今年は2回目の欠席。だいぶんよくなったのだが、まだ腹痛と若干の立ちくらみがするので大事をとって行かなかった。中3の長男だけが参加している。「受験生やのに?」とかは全く気にしない。「息を抜く」というのも、勉強していることだから。私はずっと抜き続けているんですが〈笑〉今回は淡路島に行きました。私は家で3学期の教材作りと9日の「ひきだし」の進行を考えたいと思います。
2010.01.02
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みなさん、新年あけましておめでとうございます。どのような元旦をお過ごしでしょうか。私は年末から発熱し3日間、38度以上の熱が出てダウンしていましたが、その熱もようやく収まってきて、後は少し腸炎からくる腹痛があるぐらいです。いつもの元旦は近くの川〈大和川〉の堤防まで初日の出を見に行くのですが、今年はその気力もありませんでした。年賀状も年内に出せなかったのは、今まで生きてきて初めてのことです。今日、必死で作成して投函しました。ここ4.5日、ほとんど飲まず食わずで、身体を動かすことすら苦痛だったので、熱が引いても「動こう」という気持ちがわいてきません。1日におかゆを2口だけとかいう状態だったので、かなりきつかったです。そのかわり一ついいことが。お腹の肉がゲッソリと落ちました。ベルトの穴が1つ縮まりました。なんとかしてこの肉をおとさなければ・・・と常々思っていたので、この点についてはラッキーでした。リバウンドしないようにしなければ〈笑〉とりいそぎ、ご心配いただいた皆さんにお礼と新年のご挨拶を申し上げます。ありがとうございました。そして、今年1年が良い年になりますように。
2010.01.01
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パソコンを触るのが4日ぶりになります。29日に発熱して、今日までずっと熱が続いています。今もまで37.6度あります。病院に行ったら、腸炎からくる熱ではないかと言われました。年賀状もまだ出せていません。とにかく体力の回復に努めようと思います。みなさん、1年間ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。それでは、よいお年を!
2009.12.31
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先週の金曜日〈25日〉から今日まで、午前中にクラブの部員を集めた。クラブといっても野球の練習をするのではなく〈野球は冬はシーズンオフ〉勉強をさせるためだ。午前9時に集合。全員を図書室に集める。入り口で靴を脱ぐ時は、もちろん靴をそろえて置かせる〈こういう所から建て直している〉「おはようございます」朝のあいさつを交わしてから、冬休みの宿題を机の上に出させる。それから10時までは、まず自分自身で勉強をさせる。各教科から出ているワークブックの宿題を年内に完成させる。私は図書室内に座って、ジッと様子をうかがっている。この1時間、ほとんど私語はない。誰1人しゃべる者はなく、黙々と宿題に取り組む。シーンとして、コツコツコツという、シャーペンの音だけが響いている。しゃべったりしたら私に怒られるということを全員がよく知っている〈笑〉1時間たって休憩。職員室の冷蔵庫で冷やしていたジュースとエクレアを出してやる。みんな大喜びだ。「えっ、先生がそんなことしてくれるのか・・・」という顔している。私は野球の練習の時は鬼のようにやらせるが、それ以外では優しいのだ〈笑〉15分間の休憩の後、次の1時間。次の1時間は、シーンではなくて、「聴き合う」学習をさせる。まずは4人で1チームを作る。4人の中の1人は、成績がよく数学の問題を簡単に解ける生徒。あとの3人は、数学が苦手で、点数で言えば20~30点ぐらいの生徒。こういうチームを2チームほど作って、別の部屋に移動させる。それ以外は図書室でシーンの状態でやっている。この2チームに、私が宿題の中からある問題を出す。例えば5X+3+7X=12+2X+1これを3人に写させてから解かしていかせる。その時、よく理解している1人に、解いていく過程を十分に観察させる。そのうち3人の中の1人が、正解を出すことができる。そうしたら今度は、先生役の1人にプラスして、その最初にできた者も先生役になって残りの2人に教え始める。そして残りの2人も理解できる。このやり方が以外とよかった。60分という時間があっという間に過ぎてしまい、3人の生徒は「あれっもう終わりか」とほとんどの生徒が言っていた。「これ結構おもろいな」とも言っていた。先生役の生徒は、とても熱心に一生懸命に説明している。「お前、そこにそんなん書くからあかんねん」とか「これ先にやった方がやりやすいやろ」とかを普通に言っている。聴いている3人も、素直によく聴いている。そして3人の中で一番最初にできた1人は、いきいきとして後の2人に教えている。「あぁ、子ども同士でやるっていうのはいいもんやな」と思った。やっぱり先生はしゃべりすぎるというか、なんやかんやとやり過ぎるのではないか。子どもに任せてドーンと構えて座っているというのは、忍耐がいるけども必要なのではないか。子どもっていうのは、子ども同士で「学び合う」ということが可能なんだな。もちろん先生が教えることは必要なんだけども、それが100%〈一斉授業〉というのは少し変えていくべきやなと思う。子どもは可能性を内に秘めている。
2009.12.28
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昨日の土曜日は、「ひきだし」のメンバーとの忘年会を開いた。私を含めて11人の参加があった。この年末の時間のない時にありがたいことだと感謝している。6時30分から天王寺の居酒屋で。九州料理がメインの、とてもいい雰囲気の店だった。参加してくれたのはM先生(小学校4年生担任)N先生(中学校2年生副担任・英語科)T先生(小学校6年生担任)U先生(小学校3年生担任)Yさん〈大学4回生〉Mさん〈大学4回生〉K先生(小学校養護教諭)O先生(小学校6年生担任)K先生(高等学校・国語科)T先生(小学校4年生担任)と私の11人だった。ちなみに、私以外は全員が20代で、全員が経験5年未満である。学校以外の私生活のこととかも話題になっていた。学校のことで言えば、「校則を納得して守らせるには」とか「保護者への家庭連絡」とかの話題について、いろいろと意見を交わしていた。若いだけあって発想が柔軟で、聴いていてとても楽しかった。時間があっという間に流れていった。若い人は打ち解けるのも早いなぁとつくづく感じる。若いということは、もうそれだけで大きな武器を持っているに等しい。なのに、学校現場にいる若い先生たちは、なぜその武器を有効に使わないんだろう。我々の年代の者が「使わせない」ようにしているということが大きいと思う。もっともっと伸び伸びとやらせてあげたらいいのになぁ・・・。「好きなように、自分の思う通りにやってみい。マズイ結果が出たら、その時は俺が出たる」自分ならきっとこの姿勢で行くと思う。失敗の責任などは、全部自分がかぶってやる。なぜなら、自分は一度死んでいる人間なので「責任を取る」ことについては全く何の恐れもない。若い人にとっても、「言われたようにやった」ことは、結果がうまくいってもいかなくても身につかないと思う。自分の決断でやったことが、経験として残っていくのだと思うのだが・・・。思えば、私は自分の思う通りにやってきた。それが自分の財産になっている。若い人にもそれを経験して蓄積していってほしい。そしてそこで得たものを子どもに返していってほしい。そんなことを考えていました。
2009.12.27
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私が主催し、毎回企画・運営で実施している、若い先生の交流チームである「ひきだし」も、11月末で13回を終えた。7月から現役の大学生の参加が始まり、現職と〈将来教師を目指す〉大学生の交流の場となっている。10月は14人、11月は13人と、人数的には10人と少しの状態が続いている。「常時20人ぐらいいればなぁ・・・」といつも思っていて、あまり底辺が広がらないので、先月の初めぐらいには「このあたりで幕を引こうか」とも思った。しかし、よくよく考えてみれば、始めたのも自分が勝手に始めて、終わる時も自分の気分で勝手に終わるというのは、あまりにも身勝手なのではないだろうかということです。何人かのメンバーに「幕引き」を言ったところ、「なんとか続けてほしい」というありがたい言葉をもらった。毎回、楽しみにしてくれている人がいる。大阪市内の小学校〈6年生担任〉のT先生は「市教委の研修なんかより、こっちの方がよっぽどためになりますよ」と言ってくれているし現在大学4年生で来年の採用試験を目指しているMさんは、堺市のやっている「教師塾」のメンバーなんだが、前回は「ひきだし」と日が重なった時、こっちに来てくれた。「迷ったけども、ひきだしの方が得るものが多いと判断しました」と言ってくれていた。こういう人たちがいる限りは、勝手に辞めたらあかんと思いました。参加者がたとえ1人であっても続けていこうと思っています。その人は、休日の貴重な時間を割いて、私の話を聴きに来てくれるのだから。来てくれる人に感謝この気持ちを無くしかけていた自分に気がつきました。1人いてくれている以上は続ける。確かに準備などで、とても労力はいるんだけども、「お返しさせていただく」つもりでやる。次回は1月9日〈土〉にやります。現在のところ12人の参加希望をいただいています。この12人を「こんなに来てもらって」ととるか。「なんでこんなに少ないねん」ととるか。コップに半分だけ入っている水を「半分も入ってくれている」ととるか、「半分しかないやんけ、なんで一杯に入ってないねん」ととるか。幸運は前者の考え方にやってきます。1人でも来てくれたらありがたい。今は、素直にそう思うことができます。mixiのコミュニチィに宣伝広告を出しまくって、これまで5人の方がそれを見て来てくれました。うち3人はリピーターになってくれています。次回にも2人来てくれます。1人は、大学3年生で、なんと三重県の名張市在住の方です。もう1人は、高等学校の理科の非常勤講師で兵庫県の方です。「ひきだし」むには現在、大阪府はもちろん、奈良と和歌山の方がいるので、あとは京都と滋賀で近畿を制覇できます〈笑〉本当にありがたいことです。来てくれた人には「絶対に満足して帰ってもらう」ことを、第1回からの座右の銘にしています。冬休みに入ったらすぐに次回の準備にとりかかります。26日にはひきだしメンバーの忘年会があります。私にとっては気持ちの安らぐ瞬間です。こういうことをやらせてもらっていることを心から感謝しています。
2009.12.23
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13日の日曜日に家内が退院した。3日に手術したので、10日間の入院だった。10日間のうち、2日ほどは行けなかったが、できるだけ病院には行っていた。家に帰ってきてくれて、まずは一安心だ。キズは痛むだろうが、それは日々回復していくことで心配はしていない。手術の時にリンパ節を1つだけ採ったらしい。そこは、もっとも移っている可能性が高いリンパ節だったが、術中の検査ではそこには移っていなかったようだ。なので、そこから先のリンパ節は採る必要もなくそのままの状態だ。その採った部分の組織を検査してみて「どんなガンなのか」を詳しく調べて、その後の治療方法を考えていくらしい。場合によっては抗がん剤や放射線治療なども必要なのかも知れない。そうならないことを祈っている。検査の結果は2月9日に出るようだ。あれこれとは考えてしまうが、こればっかりは考えてどうにかなるというものではない。だから、極力考えないようにしたい。流れに任せるしかない・・・。毎日、感謝の気持ちを忘れずに過ごしていきたい。
2009.12.19
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今日は朝からクラブの練習。正直、身体が疲れていて少し風邪気味のこともあってツライが、テストでかなり長い間休んでいたので休みにすることができない。午前中に終了して、すぐに帰宅し、長女と私の母の3人で車で病院へ。家内のお母さんが来ていて、病室で1時間半ぐらい話していた。もう身体は術語だけども、ずいぶんといいような感じだ。後は再発しないかどうかだ。これからは、病院で切り取った組織を調べるらしい。「どんなタイプのがんなのか」ということを。それによって、これからの治療方法が決まっていくらしい。放射線治療をするのかしないのか。抗がん剤をうつのかうたないのか。などが、その組織を調べることで決定されるようだ。それがわかるまで、約2ヶ月かかるらしいので、それまでは特別にどうこういうことはないようなのだが、心配なのは変わらない。その組織の検査によって、「もう特別な治療は必要ないですよ」と言ってもらって初めて安心できるという感じだ。手術自体はうまくいってよかったのだが、それを聴くまではなかなか安心できない。なんと言っても「がん」なんだから・・・。明日も、午前中はクラブで、昼から病院に行こうと思っている。できるだけ毎日行ってやろうと思っている。
2009.12.05
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今日は4時30分すぎにクラブを終えて、すぐに学校を出て病院に行った。バイクで45分かかった。まだ寒さがそれほど厳しくはないのでいいが、もう少し寒くなってくるとツライ。手術の次の日なので、さすがに元気はなかったが点滴はもうはずされていた。傷口に管が差し込まれていて、そこから出てくる液体を出し切った時が退院の目処になるだろうという話だった。10月中旬に聴いてから、手術まで長かったので、その間に転移していないかということがとても心配だったが、まずは一安心だ。最近はずいぶんと落ち着いてきたが、当初は何を考えることもできなかった。クラブの練習でノックをうつんだけども、力なんかまるで入らない。「俺はなんでこんなことやってんねん?」と自問自答しながらやっていた。「むなしさ」しかなかった。将来的な不安もあった。子どもが3人。21才、18才、15才だから、さほどたいへんなことはない。小学校低学年ぐらいの子どもがいたら、それこそパニックになっていただろう。しかし、3人の子どもの将来を自分1人で見てやっていけるのか?と思うと不安は大きかった。子どもたちは明るく、家内を不安がらせることはなかった。特に長女〈保育士〉は、仕事から帰ってきて疲れているのに、家のことをよくやってくれている。15才の長男はこれから受験のまっただ中だ。再来週には、私が個人懇談に行かなくてはならない。同業者で、進路の内幕をほとんど知っているので、担任の先生は嫌がると思うが〈笑〉病院を決める際にも紆余曲折があった。最初の医者はとても態度が横柄で、「こんな医者には命は預けられない」と思った。次に、とても有名な医者を紹介してもらうチャンスがあったのだが、あえてそれは外して、別の知人からの紹介の医者に頼った。その先生も結構高名な先生で、私も一緒に2回診察を受けに行ったのだが、とても人柄がよく信頼できる感じの先生だった。医者も教師も「人間性」やなぁとつくづく思った。今のところ、他への転移は認められないが、この先どうなるかはわからない。一日一日を大切に感謝しながら生きていかなくてはならない。「生きていることのありがたさ」普段思っていてもついつい忘れがちになってしまうので、このことだけは肝に銘じていたい。
2009.12.04
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久しぶりに「書いてみよう」と思いました。少し気持ちがゆるんだからかもしれません。実は、家内がガンであることがわかりました。乳がんです。10月の中旬に眼科の検診に行った時に、たまたま乳がん検診を受けて、何か影のようなものがあることがわかりました。がんであることは確実でした。それから紹介されたF病院に診察に行ったのですが、医者の対応があまりにも悪いので、知人の紹介でK病院に変更し、とても評判のいい先生に診てもらえることになりました。2回の診察を経て、今日が手術日でした。もちろん今日は学校を休んで、朝の7時前には長女と2人で家を出て病院に行きました。手術は8時30分から約3時間かかりましたが、無事に終わりました。左の乳房を全摘しました。こうすることによって、再発の危険性がグッと少なくなるからです。それと、一番心配していた「転移」についても、がんから最も近いリンパ節への転移は認められなかった〈手術中の検査で〉ということで、ホッと一安心しています。事前の検査で肺と肝臓への転移はありませんでした。しかし、まだまだ油断はできません。これから転移する可能性も残っています。しかし、ひとまずは安心しました。この一月半の間、いろんなことを考えましたが、それは思い出す度に書いていこうと思っています。一つだけ確実に言えることは、今まで自分が好き勝手なことができていたのも「家族が何事もなくいてくれていたから」ということが痛いほどよくわかりました。「感謝」の気持ちをさらに強くしました。これから少しずつですが、自分自身の生き方を再考していきたいと思っています。ご心配いただいていたブログ仲間の皆様・・・、本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。
2009.12.03
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今、気持ちが大混乱していて、日記を書ける精神状態にありません。しばらくお休みします。
2009.10.24
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昨日早退した転入生のS君が、今日は来るのかどうかが最大の関心事だった。朝、8時30分に教室に行ったら、S君はいなかった。「そうか、よう来んかったか・・・、まぁ仕方ないな」と思った。クラスのみんなには、体調が悪く緊張感もあって疲れも出たみたいやということを言っておいた。職員室に帰ってすぐに母親に電話ふ「もしもし、お母さんですか」母「あっ先生、おはようございます。今日は行ったでしょ」ふ「えっ??来てませんよ、さっきまで教室にいたんですが、S君は来ませんでしたよ」母「え~~、私が無理矢理車に乗せて、正門の近くまで送ったんですよ。確か8時20分ごろには着いたと思います。どこに行ってるんでしょう」ふ「とにかく、私も今から探しますから」ということでバイクに乗ってそのあたりを探し回った。1時間目に授業がなかったので助かった・・・。探している間に母親から電話「先生、家の近くまで帰ってきたのを見つけました。これからもう一度学校に連れて行きます」ということで、学校で母親と本人と、それに兄も来た。10分ほど話して、母と兄には帰ってもらい、私とS君と2人で話した。S君は、「どうしても教室には行けない」と言い張る。理由を聴くと、「わからない」誰かに嫌がらせを受けたり、勉強がわからないからなどという理由ではなくどうやら本当の理由は「人と接することができない」というものらしい。S君本人も「行かんなあかん」という気持ちは強く持っているのだが、どうしても教室には行けないみたいだ。それは前にいたK中学校であったトラブルで、強烈な「人間不信」に陥っているからだ。上級生に対して・・・先生に対して・・・同じ学年の友だちに対して・・・母親や兄に対してまでも・・・自分の周囲にいる人に対する「信じられない」という思いから、人と接することができなくなっているようなのだ。よっぽど酷かったことが推測される。私は「教室に行く」ということを強制しなかった。彼がポツリポツリと話すことに「そうやなぁ」「それはしんどかったなぁ」と共感を繰り返していただけである。これが私の「生徒指導」のスタンスである。絶対に頭から「こうせなあかんやろ」とは言わない。だから「指導」ではなくて「支援」である。人のこころを踏みにじる行為とかの場合は、烈火のごとく叱るが、それ以外では絶対に「こうしろ」とは言わない。ただし、「こうしたらこうなる」「こうしなかったらこうなる」という状況だけは説明してやって、後は子どもの判断に任せることが多い。こんな教師は、現場では本当に生きていきにくい〈笑〉結局6時間目までS君は教室に行けなくて、そのまま帰宅した。でも、こころなしか、最後の方ではかなりこころを開いてくれていたような気もした。放課後、母親に再度学校に来てもらい、約1時間、これからのことについて話し合う。「教室に行ってみんなと同じようにワイワイ言いながら活動する」ということが私も母親も共通の願いだが、本人の様子からどうもそれは難しい状況だ。とりあえずは、市が主催している適応指導教室〈不登校の子の受け皿的な教室〉をすすめてみた。まずは対人関係を修復することを目指していこうというわけだ。これは今や、ほとんどの自治体が設置している。行くか行かないかは家族での話し合いで決まる。どういう結論を出してくるのだろうか。明日を待つしかない。
2009.10.14
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転入生のS君が来た。8時前に母親と一緒に登校。かなり緊張している様子だったが、受け答えはごく普通の様子。私は一度教室に行って、クラスの生徒に「今から教室に来る」ことを告げる。教室は期待感で一杯になった。好奇心というか・・・「どんな子やろう・・・」という気持ち。大人でも一緒やね。転勤でやってきた人には、思いっきり好奇の目を向けるでしょう・・・。私はもう職員室には戻らずに教室に残って、生徒を2人、迎えに行かせた。1人は学級委員。もう1人は、先月に転入してきたOだ。Oには、教室に連れて来るまでの間に「俺も転校生やってん、緊張せんでもええで」と言ってやれと指示した。そして、3人かぎ教室に来た。みんなの視線が一斉にS君に向く。S君は前で「Sです、よろしくお願いします」と挨拶。みんなからは一斉に拍手。とまあ、ここまではごくごく一般的な歓迎の風景だ。この後、ごく普通に授業と休み時間を繰り返して昼休み前になった時、S君が来て「頭が痛いので早退したい」と言った。私は、許可して早退させた。お母さんには、その旨連絡を入れた。そして放課後にお母さんから電話があり、たいへん申し訳なさそうな言い方で「明日、学校に行きたくないと言うんです」と言った。私はとっさに、誰かが嫌がらせのようなことをしたのかな?と思ったが、なんぼなんでも来てすぐの友だちにそれはないやろうと思い返した。お母さんからも、「それはない」ということをきかされた。そしたら「なんでやろ?」と思ったが、お母さんが言うには「なにか、人との関わりがわずらわしくなっているようで、人間不信のような感じなのかも知れません」ということ。前のK中学校で上級生とのトラブルや、先生からの頭ごなしの指導を受けてきて、すっかり「人との関わり」に嫌気がさしているらしい。私の見た感じでも、そういうような部分は見てとれた。これは不登校になってしまう可能性が極めて高い。私自身は、不登校自体は悪いとは思っていない。「学校」が全てではないのだ。究極至極の存在では決してないと思っているから。でも保護者にとったらなかなかそうは思えないらしく、電話でお母さんは「明日はどんなことをしてでも連れていきます。そうでないと不登校になってしまいますから」ということだった。お母さん自身も、自分を見失っているようだった。「この子のしんどさがどこにあるのか?」をまずは考えるべきだと私は思う。さあ、明日はどんな展開になるだろうか。それとクラスにもう1人、叔母の家に預けられていたTが家出して和歌山へ1人で行ってしまったんだが、その母親と連絡がとれた。どうやらTはたった1人で〈母親と別れて〉和歌山へ行くらしい。当然学校は「転出」ということになる。Tは親の都合であちこち引っ張り回されて、本当に気の毒だった。どこでもいいから、彼の安らげる環境を作ってやってほしい。「転入」と「転出」とで大騒ぎだ。23年目になるが、こんなことは初めてだ。生徒にとって「いい結果」になってくれることを切に願う。
2009.10.13
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明日から転入生が来る。9月にも1人、私のクラスに入った。今度も私のクラスに来る。人数が少なかったからだ。9月の転入生のO君は、両親が突然死で相次いで亡くなったという経歴を持つ。お父さんが3年前に、そしてお母さんがこの7月に亡くなった。しかも、お母さんが亡くなったのは本人が朝起きて確認したという、なんとも言い難い経験をしている。最初はどうなるかととても心配したが、本人はいたって明るく、周囲も温かく〈経歴は知らないが〉接しているので、今のところは何事もなく過ごしている。父親方の祖母と住んでいるのだが、おばあちゃんも高齢にも関わらず、よく関わってくれている。今度の転入生は隣のH市から来る。上級生とのトラブルがあって、6月ごろから不登校になったらしい。金曜日に初めて会ったのだが、かなりのヤンチャな様子だった。髪はリーゼント風でピアスをしていた。兄〈16歳〉もいたのだが、兄も茶髪にピアス。別に外見で判断するわけではないが、かなりたいへんな状況であることは間違いない。母親は新しい父親と再婚してまだ3ヶ月。子どもへの愛情が薄れているのは明らかだった。母親は、以前にいたH市のK中学校に対して強い不信感を持っていた。「先生は何もしてくれない」「頭ごなしに言うだけ」というのが母親の言い分だ。K中学校で担任していた先生に電話で聞いてみると「母親が神経質で・・・」という返事が返ってくる。本人は、ガラスを蹴って割ったり、自転車通学が見つかって逃げたりということもあったらしいが、「本人には何も問題はないですよ、どこのクラスに入れてもらっても大丈夫です」とも言う。両者の言い分が180度違う。どちらも当たっている部分があり、どちらも違う部分があるのだと思う。一つ確実に言えることは、「どちらも、都合の悪いことは言っていないということと、お互いに不信感を持っている」ということである。「なんで信頼できないんだろうな」と思う。責任を相手になすりつけているという印象を強く受けた。その間で、子どもが被害者になっていたんだろうなと思う。だから荒れたんじゃないかな。とにかく明日からクラスにやってくる。金髪を絶対に押し通すKちゃんや、母親〈当然父親は離婚していない〉が家を出て叔母の家に預けられているのだが、そこもイヤで家出しているTとか、いろいろいる中に、関わってやらないといけないヤツが1人増えた。私の力もそうだが、そんなものは微々たるもので、周囲のやつらがどのように接してやるかが大きなことだと思う。私自身は、今までのスタンスを崩すことなく、全く白紙の状態で迎えてやろうと思っている。さて、どうなることやら・・・。
2009.10.12
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昨日の朝、雨の音で目が覚めた。それもかなり強く降っているようだった。窓から外を見ると空は黒い雲で覆われていた。「あぁ、今日はあかんなぁ」とふとんの中で思った。午前7時に家を出る時も、空は暗く雨がパラパラと降っていた。中止→延期を覚悟して学校に行った。7時20分に学校着。雨はやんでいたが、グランドを見ると完全に「海」状態。延期かと思ったのだが、管理職の判断は「決行」私はめったに管理職を評価しないが〈笑〉この判断は最高によかった。中止か決行かは管理職の腹一つなのだ。中止したら、来週の水曜日に延期になり、台風の影響で天気予報は悪く、そして何よりも子どものテンションが下がってしまう。この「子どものテンション」が最も大切なのだ。近くの学校でも延期した学校があったようだが、気の毒である。そして、7時30分に集合している全クラブの生徒が一斉に準備にかかる。イス運びからテント張り。そして、一番たいへんだったのが海状態のグランドから水を抜いていく作業。スポンジで水を抜いていくのだが、これが本当に大変な作業だった。生徒らは本当によくやった。感謝したいです。このことは火曜日に学校に行った時に、クラスのやつらには話してやろうと思っている。「陰でこういう働きをしていた者がいたことに気持ちを向けなあかん」ということを。幸い水はけがいいので、午前9時30分ごろには、なんとかできる状態になり10時にはスタートした。クラスのKちゃん〈女子〉の頭に黒彩をふって〈笑〉スタートの頃には青空が広がってきてグランドも完全に乾き始めている。そして12時前に、待ちに待った「ムカデ競争」のスタート。6つのチームがリレーするのだが、ウチ〈3組〉はスタートからダッシュをかけて、最初からトップを奪う。一度も2位におちることなくぶっちぎりで首位を独走。しかし、最終チームがストップを何度か繰り返している間に、2位の1組が猛追してきた。待っている生徒らから「はよしろ!」「がんばれ!」の声があがる。私も内心あせった。しかし抜かれるということはなく、なんとかタッチの差でゴールイン。「やった!」歓声があがる。私もガッツポーズ〈笑〉正直言って、順位などは何位でもよかった。朝練〈7時30分〉に全員が参加するという快挙を成し遂げているのだから・・・。このことに勝るものはないと私は思う。1位になったのはよかったが、結果ではないと思う。総合順位では5クラス中4位だったが、何の問題もない〈子どもは悔しかっただろうが〉火曜日からは事後の指導を開始する。私は行事を使って、必ず子どものこころの部分に訴えていくことにしている。「あぁ、やっと終わった」ではあかんと思う。行事は、こころを育てていくための手段だととらえている。次の「ひきだし」では、この部分のノウハウを若い世代の教員に伝えていきたいと思う。本当に生徒には心から感謝しています。
2009.10.04
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明日は体育大会の日だ。今日は朝からかなり強い雨が降っていて、昼からの準備もあまりできなかった。グランドの水はけはものすごくいいので、早いうちに雨があがったら十分にできると思う。学校の体制としては、少々開始時間を遅らせてもやる方向でいくらしい。本当に延期なんかせずに、明日やれればありがたい。1年生の学年種目〈クラス対抗競技〉は「ムカデ競争」だ。6つの班〈5~6人〉でリレーしていく。私は、今週の火曜日から朝練を始めた。それも、私が言い出したのではなくて体育委員の男子からの提案という体にしてみんなに知らせた。体育委員の男子が「朝練をせなあかんから先生に頼んだ」ということに設定した。私はそこで「朝練なんかせんでいい、どうせ全員集まれへんやろ」と反対したというところからスタートした。もちろん体育委員の男子には、そのようにするということわ噛んで含めて説明した上でのことだ。1日目、7時30分に開始なので、私は7時10分ごろにグランドに出た。まだ誰も来ない。20分ごろになって男子が3人やってきた。3人ともかなり眠そうだった〈笑〉それから30分までの間に、三々五々集まってきて、初日は結局2人が来ないだけという結果だった。私は、「ええとこ半分ぐらいかな」と思っていたので、内心ではとても喜んでいた。しかし、帰りの会の時には、あえて体育委員の男子を叱責して「全員そろってないやないか」と言ったりした。これは完全な芝居なのだが〈笑〉2日目は、初日に来なかった2人が来たが、女子が1人来なくてまた全員がそろわない。「全員そろってこそ意味がある」ということを通信などを使って、子どものこころに訴えかけていった。「先生、なんでそんなにムカデに必死になるん?」と何人もの女子が聴いてきた。私は、体育大会という行事を使って集団〈クラス〉を高めようとしている。その為に最も効果的な場が「ムカデ競争」なのだ。べつにムカデ競争が好きなわけでも何でもない〈笑〉今の学校には、クラス対抗の応援演技も組み立て体操もない。だから、クラスのまとまりを作るのはムカデしかないと判断したからだ。「朝練に全員そろう」ということをテーマにして、クラスの協力意識を高めようと意図したのだ。明確なビジョンの元に、綿密な計画を立てて子どもにいろんな側面からそれを投げかけていく。そして、今日3日目、見事に全員が朝練にそろった。32人が1人のサボリもなく、朝練に参加した。これは素晴らしいことだと自負している。体育大会で優勝するよりも尊いことだと思う。今日のクラス通信では「ありがとう」の感謝の言葉を何回使ったかわからない。〈例えは悪いが〉笛を吹いたら、その通りに子どもが踊ってくれた。こんなありがたいことはない。「朝練なんかイヤやな」と大多数の生徒が思っていたと思う。その気持ちを乗り越えて、全員がそろったということは賞賛に値すると思う。よかった・・・。これで明日のムカデ競争の結果など、全く関係なくなった。元々、順位などは何位でも関係ないが・・・。たとえ最下位になったとしても、私はほめまくる。「朝練に全員がそろったのは15クラス中でウチだけや」と。結果よりも過程が大切なのだと。みんなのとった協力的な行動は素晴らしいものであると。明日が楽しみである。
2009.10.02
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昨日、午後から「教育みらいフォーラム」というのに参加した。20代前半の女性が主催しているもので、いろいろな人に来てもらって話を聴かせてもらおうというような主旨のものだ。昨日は、インフルエンザの学年閉鎖でクラブができなかったので行けた。心斎橋にあるお寺が会場だった。参加者は12人ぐらい。大学生が多かったが現職の先生もいた〈20代の人〉フリースクールの校長先生が来ていて、自分の学校の作文指導の取り組みなどを発表していた。「ひきだし」では、いつも私が前に立ってやっているので、時には参加者の立場に立ってみるのもよかった。見えてきたものがたくさんあった。時には違う立場に立ってみるのはいいことだと実感した。これを今後の「ひきだし」に活かしていきたいと思う。
2009.09.27
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5連休明けの今日。自分自身が、とてもしんどかった〈笑〉ふつうの土日休みでの月曜日でもしんどいのに、5連休の後なので、心身ともにしんどかった。教室に行くと、生徒は全く変わらず元気いっぱいだ。「先生、どっか行ったんか?」とか「どうせやったら今日と明日も休みにしようや」とか、ワーワー騒ぎまくっていた〈笑〉しかし、なんとそれが現実になってしまった。ウチのクラスの欠席は、今日は2人だったのだが〈2人とも新型インフルエンザ〉他のクラスでは8人休んでいるクラスもあり、1年生全体では20人を超した。規定では1クラスで5人以上インフルエンザが出ると閉鎖というものがあるらしいが、学年全体で20人を超していることから、3時間終了時点で閉鎖になった。明日はもちろん休み。土日も部活動などは禁止ということである。これで9連休ということになった。9月に入って2回目の学年閉鎖で、授業の時間などがすごく少なくなっている。私の国語科はあまり影響はないが、数学とか英語などでは大きな影響が出るようだ。生徒はもちろん喜んでいるが・・・。10月3日には体育大会がある。もしも来週にまで続くようなら、最悪の場合、体育大会が中止ということも考えられる。1年生が復活しても2.3年生で閉鎖が出たら中止になってしまう。こんな事態は全くもって初めてだ。気候もそうだけども、何かがおかしくなってきているような気がしてならない。
2009.09.24
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先日、Kさんに会うために京都に行った時、少し早く出て、自分が通っていた大学に行ってみた。もうかれこれ27~28年前になる。大学時代は下宿と通学が半々で、2年間は自宅から通っていた。自宅から2時間弱かかっていたが、よく通っていた。電車を3本乗り継ぐ〈近鉄-地下鉄-阪急〉阪急を降りたらバイクで大学へと向かう。京都の交通の足は市バスだが、あちこちへ行くにはバイクが圧倒的に便利だ。阪急の駅を降りた所に駐輪場があったのだが、料金が確か月7000円ぐらいしたと思う。そこで、私の叔父が近くのお寺に交渉してくれて境内の空いているスペースに置かせてもらうことになった。月3000円と格安だった。その叔父も2年前に他界した。叔父に「ありがとう」と感謝の言葉を贈った。涙が出た。駅を降りてからそのお寺にも行ってみた。歩いて1分ぐらいの所にあったが、今もほとんど変わっていなかった。懐かしさでいっぱいになった。「あぁ、ここにバイク止めてたなぁ」あの当時のことがよみがえってくる。30年ぐらい前のことだ。それから市バスの停留所に行った。すぐにバスがやってきた。忘れもしない「46番系統」のバス。乗りながら左右の風景にキョロキョロして、ブツブツつぶやいている自分がいた。バイクで何度も往復した道。新しい学校の校舎が出来たりして大きく変わってしまった部分と、小さなお店が並んでいる全く変わっていない部分。「あぁ、ここへよく行ったな」「確か、このへんにスーパーがあったはずや」頭の片隅に残っている当時のイメージと目から飛び込んで来る現実の風景を比べていると、また涙が出てきた。約15分で大学に着いた。「おいおい、正門がないやん」「当時の場所に正門がない。場所が変わっているのだ。ようやく見つけて中に入る。地形はなんとなく覚えているのでその通りに歩いていく。校舎などは大きく変わっているが、面影も残っている。掲示板の前で「ここでよく休講がないか探してたな〈笑〉」食堂のメニューを見て、「もうきつねうどんはなくなったのか・・・」夕方の5時過ぎだったので人はほとんどいなかったのだが、当時の様子が鮮明によみがえってきた。また泣きそうだった。20歳前後のあの4年間を過ごした場所。おそらく、もう生きている間に行くことはないだろうと思う。30年近い年月がなんとなく埋まったような気がした。行ってみて良かった。
2009.09.22
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昨日〈19日〉は、午前7時集合でクラブの練習試合。前日が講師の先生2人と飲みに行っていて、帰りが0時を回っていたので朝がキツかった。練習試合は午前中で終わって、午後からは京都まで出かけた。目的は、知り合いのKさん〈女性〉と飲むためだ。Kさんとはブログで知り合った。Kさんは写真屋さんで、学校現場にも出入りして行事や集合写真・個人写真を撮って卒業アルバムなどに仕上げていく。学校に出入りしている関係で教師や生徒とつながっていて、その関係でよく話を聴く。ヤンチャな女子のSちゃんと関わった話などはとても興味深かった。教師にもできないような深い関わりを続けていて、話を聴かせてもらってとても考えさせられた。今回もいろいろな話を聴かせてもらった。午後6時から午後10時ごろまでの時間だったが、あっという間に過ぎた。Kさんが学校〈特に教師〉を見ている目は本当に鋭い。「写真屋さんに傲慢な態度をとる教師は生徒に対しても傲慢」そうやなぁ・・・。教師は学校の中では絶対に自分が一番エライと思っている。外部の人間などは下々の人たちとしか見ていない。写真屋さんや校務員さん、購買部の人たちなど、外部の人たちに支えられてやれているという感覚が薄い。Kさんが見ている目というのは本当に参考になる。最後に話題になったのが「保護者との関係」について。Kさんは、自分が作る卒業アルバムを「保護者の人に喜んでもらえるものに」ということで作る。Kさんはそれが「1」だから、保護者の要望にはできるだけ応えようとする。そこで自分の「こだわり」との衝突が起こっても、とりあえずは要望を優先させる。それを聴いた時、自分が子どもに対してやっていることは、「保護者に喜んでもらうため」にやっているのかどうかということだ。私は、保護者に喜んでもらうためにやっているのではない。「自分が納得できること」をやっているのだ。自分が納得できることをやっていると、それが結果的に子どもや保護者を喜ばすということにつながっていく。だから「保護者に喜んでもらう」というのは「3」か「4」なのだ。副次的なものなのだ。大多数の保護者に喜んでもらっているという自信は持っている。がしかし、これでいいのか?という疑問が湧いた。「自分のやりたいようにやる」というだけで、保護者の要望にはほとんど耳を貸さないというのでいいのだろうか?Kさんは「折れる」と言っていた。自分のこだわりもあるけども、折れるべきところは折れる。なぜならば「私は民間の人間で、先生は公務員だから」と言っていた。なるほどなぁ・・・。民間ならば折れざるをえない部分ってあるんやろな。保護者が「あの写真屋を替えてくれ」と学校にねじ込んだらそれで終わりやからな。我々教師にはそういう心配がない。だからある程度好き勝手なことができるんやな。「先生は写真屋じゃなくて、自分の作品にこだわる写真家タイプなんです」と言われた。ギクッとした。なるほどそうやな。自分のやることには絶対的にこだわるからなぁ・・・。そのかわり、いい作品〈授業とか学級活動とか〉ができるまで膨大な時間をかけるし、寝てもさめてもそのことを考えているようなところもある。これでいいんかな・・・。ちょっと疑問に感じた。保護者の要望を聴いても〈私は極力聴くようにはしているつもりだが〉絶対にホンネは言ってくれない。なぜなら・・・子どもを人質に取られているからだ。いらんこと言って先生の心象を害したら人質が殺されるという意識を、多かれ少なかれ保護者は持っていると思う。でも、聴かなくていいのだろうか・・・。「先生は能力給にすべきだ」ということでも意見が一致した。基本給があって、そこからは働きに応じて給料が決まる。「保護者や子どもが教師を選ぶ」ということも一致。絶対にそうなっていかないとダメだと思う。外部の人の話を聴くと、本当に考えさせられる。自分の姿を見ることができてありがたいです。
2009.09.20
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イチローが9年連続の200安打を達成した。100年近くも破られていなかった記録だ。年間で200本の安打を打つということがどれだけたいへんなことなのか・・・。メジャー全体でも、年間で5~6人しかいないのである。それを9年間も続けるということは、もう言葉では表現できないほど素晴らしいことである。私はイチローを心から尊敬している。彼の発想・考え方にものすごく惹かれるものがある。「孤高の天才」という表現も大好きだ。さっきテレビで彼のインタビューが流れていた。そこでの彼の言葉「自分の体内で、時には意識を分散させて取り組むんです。集中力と言われますが、分散することも大切なことだと思います。ずっと集中していると、分泌できないんですよね。感覚的に、なんとなく「わかる」意識を広範囲に広げることで、何かが産まれ何かが排出される。全くの感覚的なものだけども、なんとなく「わかる」この映像を見ながら「スゴイ」と何度もつぶやいてしまった。全く「スゴイ」の一言である。それから、こうも言っていた。「僕の場合は、野球が大好きであるということ。そして、常に最高の力が出せるようにどんな時でも最善の準備をし、そして自分を最高の状態に置いているということ。この二つが自分の中で共存していることなんです」と。彼のことを「自己中心的で協調性がない」という人もいるらしいが、私はそうは思わない。そういう人は、彼のことが理解できないんだと思う。レベルは全く違うが、全く違うが、全然違うが、比べようもないが〈笑〉私も学校では「孤高の人」状態である。私の場合は単なるワガママかもしれないが〈笑〉周囲の人が私の意識についてこれないし、私も周囲の人の考えについていけない。でもイチローは多くの人に喜ばれている。私などとは全然違う。私も自分の生き方をしっかりと見つめ直してみたい。
2009.09.14
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インフルエンザが広まって、昨日と今日、学年閉鎖になってしまった。先週ぐらいからポツポツと出始めて、今週に入ってから少しずつ増えていった。私のクラスでは最大4人が感染した。学年全体〈165人〉中、17人が感染した。ある女の子は42度まで出たらしい。ただ、発熱している期間は以外と短く、だいたい1日前後で平熱近くに戻っている。昨日は32人全員の家庭訪問をした。5月の休校中にも2度行っている。4月には当然のことながら家庭訪問期間があり、今回で通算すると4回目になる。通常なら〈何事もなければ〉4月の1回だけなんだけども・・・。完全に家を覚えてしまった〈笑〉来週あたりから体育大会の練習が入ってくる。このあたりで広がりを見せたら、本当にたいへんなことになる。今でよかったが、2年生・3年生はこれからどうなるのかわからない。最悪の場合、体育大会が中止などという事態も考えなければならない。こんなことは今まで全く経験がなかった。早く沈静化してほしい。
2009.09.11
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昨日、Uさん〈女性〉にあった。Uさんは今年40歳まえぐらい?以前は小学校の先生をしていて、私の中学校の隣の小学校にいた。Uさんは、聴覚障がいを持っている。今は退職されて専業主婦らしいが、いろいろな方面で活動されている。大阪府立高校に週に1回、講師という形で選択授業に行っている。そこで約20人の高校生に、手話を通じて障がいについてのことなどを教えている。私との出逢いは10年前。私がどん底に落ちてもがき苦しんでいた時に出逢った。それから時々あって、話を聴いたりメールをしたりしている。5年ほど前から、この夏休みの時期に会うことが定期的になって、年に1度会って話している。彼女の話を聴くと、考え込んでしまう。「深い」としか言いようがない。詳しく書くことはできないが、「障がいは『特長』だと思う」とか「人を喜ばせるためにやっているんだけども、結局は自分が喜んでいる」とか、彼女と話していると、自分自身の姿を完璧なまでに確認することができる。私は、言いにくいことも突っ込んで言う。彼女はそれに真剣に答えてくれる。私は質問をぶつけながら、それと同時に自分自身のことについて考えている。彼女には、素直にどんなことでも言える。「自分は人を喜ばせようと思いながらも、自分を認めてもらいたいという欲を持っている」「ふさん、それで当然ですよ。欲がなくなったらお釈迦様やから」「ひきだしで若い人に話しているのも、喜んで欲しいという思いと同時に、自分のやっていることを認めて欲しいという気持ちもある」「でも、それだけやったら、休日に出てきて4時間近くも参加するということを何度もしないですよ。参加者の人には何か得るものがあるんですよ」とても心地よく答えを返してくれる。彼女は聴覚に障がいがあるんだけども、店の壁際に席を取ることによって音の反射を大きくすると少しはきこえるようだ。それに私の唇の動きで会話の内容をほぼ読み取ってくれるので、ほとんど支障なく話せる。私が時々使う全く拙い手話など何の役にもたっていないが、私の言うことをよく聴き取ってくれる。高校生には、手話を教えるのではなくて「障がい」そのものについて話をしているらしい。その「障がい」についての話になった時、私は言った。「今の小学校や中学校での教え方が悪いんや。障がいの話をする時に必ずベースになっているのが『かわいそう』ということだから。支援学級の子はかわいそうやから手助けしてあげようとかを必ず言う。それから、テレビでのドキュメンタリーなどのDVDを見せて『こんなにたいへんなのにがんばっている』みたいなことを強調する。なんでやねん!と思ってしまう」Uさんは、「先生も健常者だからわからないです。それは仕方ないでしょう」と言う。「Uさん、全ての学校をまわって訴えるべきやと思う。あっ、無理か、訴えても教師にはそれがわからんわな。支援学級の担当の教師ですら『かわいそうやから』と言う人もいるぐらいやから」私は、障がいのある子に対して、学校で教師が「○○くん、××ちゃん」とよぶことに対して大きな違和感を感じている。他の生徒はほとんど呼び捨てなのに、なんで障がいを持っている子に対してだけ○○くんと「くんづけ」なのか?これこそが「この子は特別な子」という見方なのではないか。以前の学校で、こういうことをチラッと言ったことがあったが「アホか」という視線を向けられた。それこそが特別扱いなんじゃないのか?と私は疑問に思っている。私は、障がいを持っている子でもダメなことをした場合は怒りたおす。ダメなことに障がいのあるなしは関係ないと思っている。そういう意味では、全く同じだ。ただ、不便な面を多く持っていることが、他の子とは違う。その不便さをみんなでカバーして、不便が不便でなくなるような環境を整えてやることなのではないだろうか。なんでもかんでも「かわいそうやから」じゃないやろうと思う。Uさんは言う。「私は耳が聞こえないことを不幸とは思っていない。むしろこのことで多くのことを学ぶことができた。にんげんとしてのベースにあるものは同じなんです」「障がいを持っていることによるツラサや悲しさなどは当然ある。でも、ツラサや悲しさならどんなにんげんにだってある」「障がい者だから」ということなど存在しないのではないかと私は思う。Uさんはさらに言う。「私は、耳がきこえないことで困るということは全くない。むしろ、私の周りの人が困るのではないかと思う」と。確かに周りの人は気を遣うことが多い。バリアフリーとはいったいどういうことなんだろうと思ってしまう。まだまだここには書ききれないことを延々と話した。店に入ったのが4時10分ぐらいで、ふと時計を見ると9時30分になっていた。約5時間半。「あっ」という間に過ぎてしまった。Uさんはいつも「一度ひきだしに行ってみたい」と言ってくれている。去年の今頃あった時、私は初めて「ひきだし」の構想を話した時も言ってくれたが、あの時は「ひきだし」自体がどうなるか〈いつ消滅するか〉わからなかったので何とも言えなかったのだが、1週年を過ぎて少しずつ定着してきた今では、「来てや」と堂々と言える。彼女には必ず来てもらい、若い先生方に話してもらいたい。ものすごく貴重な話を聴けることになると思う。自分の魂が洗われた時間でした。
2009.09.06
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1週間が終わった。25日に2学期が始まったから、約2週間が終了。もうすでにくたくた状態だ。この間、いろんなことがありすぎた。女子の茶髪に始まり、転入生の対応〈家庭訪問など〉、クラブのダラダラ状態の改善、体育大会のメンバー決めで、ジャイケンをやって走るのが苦手な子が長距離になってしまったことに対して烈火のごとく怒ったり・・・、インフルエンザでの欠席者が出てきたり。いやもう・・・、怒濤のような2週間だった。短縮期間中にも関わらず、帰宅はいつも9時前後。クラブやクラスでは、気持ちの部分を大切に話すので、とても準備が必要だし〈生徒への根回しも含めて〉、精神的にクタクタになってしまう。この日記もなかなか書けない。やっぱり学校が始まると、本当にたいへんだ。まあ、あれだけの人間が1カ所に集まっているんだから、何もない方が不思議なのだと思う。これからもいろいろと起こると思うが、誠意をもって対処していきたい。明日は野球部の公式戦1回戦で、朝の7時に集合。あさっては練習試合で、朝の7時30分に集合。休む時間というものがほとんどない。やれる時にやっておく。いつかやれなくなってしまうんだから・・・。
2009.09.04
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25日〈火〉に学校が始まってから、時間がいくらあっても足りない状態になっている。やっぱり、学校が始まると夏休み中とは全然違う。今はまだ短縮中で午前中には授業は終わるのだが、午後からは会議がありクラブもみないといけない。そこへもってきて、クラスの女子のIさんが茶髪登校し夜も家に帰っていないということで、身体がいくらあっても足りない状態だった。さらにさらに転入生のOの対応と、学級通信でその他の子どものこころに迫っていくことをしないといけない。さらにさらにさらに授業の準備とテスト作りなど。今日、やっと一息つくことができた。茶髪のIさんについては、家庭訪問して母親〈31歳〉と話し、午後8時前に帰宅して「シャワーを」と思った瞬間にその母親からTEL。父親が話を聴きたいと言っているので、悪いけどももう一度来てくれないかということなので、再び家に行き、父親と話し10時前に帰宅。父親〈30歳前後〉は実の父親ではなく、母親が離婚後に同居しているらしい。「自分たちではも茶髪の改善はできない」「学校のやり方もおかしいのではないか」という意見。じっくりと話を聴いてあげて、こちらの考えも伝えて、納得してもらう。「娘は先生のことが好きで信頼していますから」というのが、交渉成立に大きな要因となった。普段からの子どもとの関係がいかに大切かということを再認識させられた。どの学校でも、もっとたいへんな思いで毎日やっている先生がたくさんいると思う。その時に、子どもとの間で「こころの関係」が築けているかどうかというのが本当に大きなことだと思う。築けていない場合・・・、子どもは転落へと突っ走る。もちろん家庭にも原因があるが、そんなに裕福・円満な家庭ばっかりではない。全国学力テストで、大阪の中学校がまた45位と低迷した。テレビなどでいっぱいいろんな意見が出ているが、こういう現状で先生たちが走り回っていて、学力もへったくれもないやろうと思う。そのあたりも話題にして欲しいとは思ってしまう。手を抜いて適当にやっている先生もいっぱいいるが、日々奮闘している先生もいっぱいいる。いつも思うけども、給料を一律に減らしたりするのは絶対によくない。ダメな所から削って、フル回転している所に手厚くするという制度を一刻も早く確立して欲しい。「自分はやっている」とか「お金がほしい」ということではない。身を削っている先生が報われる制度を作って欲しいだけ。しかし・・・。心身ともに疲れきった。今日でいくらかは回復できるかな。今日はクラブもないし・・・。
2009.08.30
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あさってから2学期が始まる。その日に転入生が来ることになった。そして、私のクラスに入ることになった。そのO君は、3年前にお父さんを病気で亡くした。その後お母さんと一緒に大阪市内のT中学校の校区に移った。そしてつい最近、そのお母さんも亡くなったらしい。断片的にしか聴いていないので、詳しいことについてはなかなかわからないんだけども、朝起きたら亡くなっていたというような突然死のような感じだったらしい。おばあちゃんの所へ引き取られるということで、こちらに来ることになった。これも詳しくはわからないが、生活が荒れ始めているらしい。当然やと思う。中1という時期で両親を亡くしてしまうというのは、どういうことなんだろう。私には全く想像もつかない。2日後に初めて会うことになるが、私は「たいへんやったな」とか「がんばれよ」とか言う言葉は絶対に言わない。想像もつかないことに対して、さもわかっているような口ぶりで言うことは相手に対して失礼だと思うからである。むしろ「教えてもらう」ということである。どんな子どもで、どんな状態にあって、これからどうなっていくかなどは全くわからないが、「寄り添う」「聴いてやる」という姿勢を持ち続けていきたい。ただ、怒る場面がきたら真剣に怒る。関係を築いていきながら、O君が「この人にやったら怒られても仕方ない」という気持ちを持たせてからになるが・・・。先生が大好きな〈笑〉頭ごなしの「指導」と言われるものだけは絶対にしない。常に、サポートしてやり、その中で間違っていることについては厳しく指摘するという姿勢でいきたいと考えている。10年後に私が定年退職するぐらいの時期にO君は23歳になっていて、その時に彼がどういうような生き方ができるかということを見据えて関わってやる。あさってが楽しみです。
2009.08.23
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今日で夏休みのクラブの活動が終了した。今日はK中学校と練習試合。ウチもK中学校も地区大会の初戦で敗退したので、今日は試合を組んでみた。新チーム〈1.2年生だけの〉になってから約1ヶ月たつので、ちょうど気持ちがゆるんでくる頃で、今日は朝からダラダラ状態だった。それを一喝してから試合に入ったが、試合中に相手のプレーに対して笑うなどという行為もありまた一喝。どちらも2年生の行動だが、つくづく「今まで何も教えられてこなかったんだな」と思う。「こころ」が全く育っていない。悲しくなるぐらいに・・・。私は、怒ったりじっくりと話したりするのだが、あまり効果があるような感じはしない。やっぱり「日頃のつながり」というのは本当に大切なんだとつくづく思う。1年生とは、日頃からいろんな活動をともにしてつながっているので、私の言葉が心の中に染み込んでいくが、残念ながら2年生にはそれがない。決して悪いヤツらではないのだが、そういう経験もないし考えたこともないんだと思う。先生の責任っていうのは重大だなと思う。本気〈マジ〉で関わってやったら、どの子も心を開いていくのになぁ・・・。子どもの心を豊かにするのも周りの大人。子どもの心を歪めてしまうのも周りの大人。そんなことを教えてもらった。大人の責任って大きいなぁ・・・〈特に先生は〉とにかく夏休みのクラブは終わった。練習に試合に・・・、この炎天下の中、自分でもよくやったと思う。ほめてやりたい。明日とあさっては最後の休日だ。悲しいことに25日〈火〉から2学期が始まってしまうから・・・。学校が始まったら、クラブだけに関わっていられない。学級担任としての仕事が山ほどある。明日とあさっての2日間でも、スタートの準備をしなければならない。それに、来週〈29日〉の「ひきだし」の準備も・・・・。「やらせてもらっている」という気持ちを忘れないでいたい。それを忘れると不平・不満だけになってしまうから、常に「ありがたい」という気持ちを忘れないようにしたい。
2009.08.22
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