がじゅまる希凛らんど

夫のお話

夫(みつるさん)の病気が発見されてから、旅立つまでのお話です。
平成14年1月31日、夫は旅立ちました。
あれから もう丸3年が過ぎ、最近は闘病当時の記憶が薄れてきています。

人は、辛い記憶は自然に忘れるようにできているのだそうです。
私だけは、そんなことは無いと思っていました。
でも最近、とても遠い思い出として封印しようとしている自分が居ます。
夫と過ごした「楽しい思い出」ばかりが思い出されるのです。

それでも 私達夫婦が闘った日々は、残して置きたい。
夫が、私が、息子が・・・頑張った証として。
当時 時々書いていた日記や、メモを探しながら、あの頃のことを書いていきたいと思います。

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夫について。結婚生活について。

夫は、とてもとても優しい人でした。
ちょっと気が弱くて頼りないところもあるけれど。。。

そして なにより親孝行な人。

40代後半で 脳内出血のために半身不随 車椅子生活になった自分の父親の
世話を きめ細かくしてあげるような人でした。

お風呂の介助、食事のお世話は勿論、土日はドライブに連れて行き、
その他、爪きり・耳掃除・鼻毛の処理に至るまで 

それはそれは 甲斐甲斐しく父親の面倒をみる人でした。

結婚して、夫の両親と同居。

私は仕事を辞め、義母は働いていたため、私が家事と義父のお世話を担当しました。

夫は、家に居る時は 義父の介助の大半を手伝ってくれ、

いつもいつも労わりの言葉を 私に掛けてくれたので、

義父を介助する精神的な負担は かなり軽く感じられたものです。



この同居生活中、私は、朝から晩まで 家事と義両親の相手で 時間に追われ、

折角の土日も、義母が「(義両親と一緒に)4人でお出掛け」を強要し、
それが定番となっていたために、二人で過ごす時間は ほとんどありません。

たまに 休日二人で出かけても、帰宅すると決まって義母が とても不機嫌な顔をして待っているので、
楽しかった気分が サーっと冷めて、とても悪い事をしたような 後味の悪さを
感じたものです。


長い間 子供にも恵まれなかったことと、夫の両親の相手を 二人で支えあって 努めていたせいか、

私と夫の関係は 夫婦というよりも、まるで「同じ釜の飯を食う同士」や「戦友」のような感じでした。

そのためか、私と夫は 義母が「本当にあんた達は お互いに労わり合っていていいねぇ。
私なんか、お父さんに そんな事 言われたこともないわ」と羨ましがるほど、

いつもいつも「ありがとう」「疲れたでしょう」「助かるよ」と

お互いに労わり合って暮らしていました。



夫のお陰で、夫の両親との同居生活は大分軽いものにはなっていたものの、
それでも、義母の生活観に合わせる生活は、私には厳しく、

結婚して3年が経った頃、

義母の声が聞こえただけで、咳が止まらなくなるようになり、
とうとう 義母と会話することも出来ないような状態に なってしまいました。


「結核だったらどうするの?気持ち悪い」という義母の言葉に、

何軒も病院の門をくぐり、検査を受けましたが、

どの病院でも「異常無し」。

そのうち、義母が帰宅する時間になると、頭痛と眩暈も起きるようになってきました。


私の異変に気付いた夫は、別居を決意。

夫の両親には、私のことは一言も触れず、

「自分は今まで 親父の世話をするために 遠くに転勤をしないように会社に要望してきたが、
これ以上、会社に我がままを言い続けるのも立場的に辛い。

でも、今のままでは 二人が心配で転勤することができない。

もしも俺が市外へ転勤になって 親父とお袋が二人で生活することになっても
本当に大丈夫かどうかを別居して試してみたい。

そうでなけれは、安心して 市外への転勤を希望できない」

そんな風に話てくれ、あっという間に円満別居することができたのです。


別居後も、私は日中 夫の実家へ通い、今まで通りに 義父の病院の送迎や介助、
掃除や 昼食の準備等の家事を続けるという生活でしたが、

それでも夜や 土日は、夫婦二人だけの空間で暮らせて、台所用品や食器を始め、
生活用品全てが、自分の好みの物を自由に使える開放感で

原因不明の咳や体の不調は 嘘のように治り、程なく 待望の子宝にも恵まれ、
本当に幸せな毎日でした。

夫も
「親父とお袋が居ないと こんなに楽なんだなぁ。

一緒に暮らしているとどうしても、色々目に入って 気になったり、考えたりしちゃうからなぁ。

あぁ、のんびりできて、幸せだなぁ・・・思い切って別居して本当に良かったな」

と言い、表情も柔らかくなって 仕事にも熱が入っているようでした。


夫の両親と別居し、夫の病気が発覚するまでの 「1年間」は、
他の人にとっては、普通の・・・当たり前の結婚生活なのかもしれないけれど、

私達夫婦にとっては、最高に幸せな至福の日々でした。


あの1年が無ければ、私達の結婚生活は 戦場で励ましあい 戦い続けるだけの
辛く切ない思い出しか残らなかったことでしょう。

あの 虹色に輝く 暖かで穏やかな1年は、神様からの贈り物だったのかもしれません。





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