人物語 明日を紡ぐ~大島紬 森千晶さん
2011年03月27日
一心に織り機と向き合う。「ほかの織物もいいけど、やっぱり大島紬が一番」
=奄美市名瀬
ガタンッ、ガタンッ。
小気味よい織り機の音が、工場の中に響く。縦糸と緯糸を交互に合わせていくと、
少しずつ、花柄の模様が黒地に表れてきた。数センチ織っては、布地に手を置いて
模様がずれていないかを丁寧に確認する。
「根気のいる作業で大変だけど、今は織るのが楽しくて仕方がない」
奄美市名瀬の大島紬製造元の織り職人として、ひたすら織り機に向かう毎日。
午前8時半から午後5時まで工場で織り、夜は自分の試作を午後9時過ぎまで織る。
それでも、一日で織れるのは40センチほど。休みは日曜日に半日だけと決めている。
毎日織ることが、上達につながると信じている。
石川県白山市に生まれた。細かい作業が好きで、高校、短大と繊維工芸を学び、
機織りを仕事にしたいと思っていた。地元にも牛首紬、能登上布などの織物があったが、
後継者を求めていなかった。
京都で和装小物の販売をしていた時、今の織元が織り職人を募集しているのを知った。夢をかなえるため、2005年、親の反対を押し切り、縁もゆかりもない奄美大島に来た。
大島紬の名前は知っていたが、実際に見たのは初めてだった。今まで織ったどの織物
よりも糸が細く、模様が細かかった。生地の柔らかさにも驚いた。奄美大島で作られる
大島紬は、すべて手織りだ。感動すると同時に、作る大変さも直感した。
本場奄美大島紬協同組合の学校で2年間勉強し、織元のベテラン職人からも教わった。美しい模様を出すため、慎重に縦糸と緯糸を合わせていく。集中力が求められた。
「紬一筋」の生活になった。
初めて仕上げた織物は、一反織るのに4カ月かかった。だが、厳しい商品検査にも合格。そのときの達成感は今でも忘れられない。
大島紬を織り続けて6年。今では、最も糸の密度が高く熟練の技が要求される織物も
手がける。「やっとギリギリで満足できるものが織れるようになってきた」
だが、低迷する大島紬で生計を立てていくのは難しい。2カ月かけて織っても、織り賃は
1カ月何とか節約して食べていける程度。同じように織り職人にあこがれて奄美に来た
同年代の女性は、生計を立てるためにアルバイトに時間を費やしたり、島を離れたりして、紬の世界から去っていった。
工場の織り職人はほとんどが60歳以上だ。奄美全体でも、20代の職人は数えるほどしかいない。「伝統を絶やしたらいけない」と、織りだけでなく、大島紬の全工程を学び始めている。
今は、織れるだけで幸せだと感じている。「紬は天職。織れる限り織り続けたい」。
将来、自分でデザインし、自分で織った大島紬を着てみたいと思う。
彼女のような織りや染色に興味があり、人生を賭けようという方はまだ多いと思うが、
現時点では受け入れるベースが確率されていないし、商況も悪い、職人もすぐには飯を食えない…
今まで1000年以上続いてきた折角の伝統技法、これからもう1000年我々は
継承しないといけない。
今の世代、流行、考えに合わせ、大幅に製造方法も変えていくのか?
そうすべきなのか?
それで結果今後1000年続く織物として、残っていくのか?
変えないほうがいいのでは?
織元、問屋、小売店、プロデューサー、デザイナー・・・
皆、地域活性、伝統継承を掲げ、多くのそして様々な意見があり、個々の企業として、
個人としての展開がある。
“ぶれたら終わり” 何屋さん?か解らなくなる。。。
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