本場奄美大島紬 新たなる伝統への挑戦

本場奄美大島紬 新たなる伝統への挑戦

Apr 3, 2011
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テーマ: 大島紬(518)
明日を紡ぐ(1)泥染め職人 金井さん




 流れるような手作業で、何度も何度も泥田に糸の束をつける。赤茶色だった糸は、やがて灰色に染まった。
 大島紬(つむぎ)の代名詞とも言える泥大島。その光沢を帯びた渋い黒色を出す製造工程が泥染めだ。絹糸を赤茶色に染めた染料が、島の泥に多く含まれる鉄分と反応し色を変化させる。細い糸を丁寧に扱う繊細さと、泥をもみ込む力強さ。相反する二つの作業を100回以上延々と繰り返すことで、独特の風合いに仕上がる。
 「紬は知れば知るほど奥が深い。ここまでのめり込むなんて思ってなかった」
 奄美大島・龍郷町の泥染め工場を営む家に生まれた。家業を継ぐつもりはなく、高校卒業後に上京。様々な仕事をしたが、自分が本当にしたいことは見つからなかった。じっくり考えようと、25歳の時に帰郷。実家の工場に出入りを始め、職人の技を間近で見て、引き込まれた。染めを繰り返すことにより色合いがどんどん変わっていく。職人ごとに出す色が違うのにも驚いた。
 ベテランの職人の手ほどきを受け、県の大島紬技術指導センターで学んだ。泥染めは想像していたよりも重労働だった。直射日光を浴びる夏も、手がかじかむ冬も、毎日、工場裏の泥田に中腰で入り、ひたすら染めを繰り返す。腰は悲鳴を上げ、糸を絞る両腕は腱鞘炎(けん・しょう・えん)になる。
 なぜこれほど手間をかけなければならないのか、初めは疑問だったが、手間をかけた結果があの色になっていることがわかった。
 ある時、泥染めの工程途中で出る様々な色を活用するアイデアがひらめいた。島に自生するテーチ木(シャリンバイ)の汁で作った染料で染める段階のピンク、赤、茶色。泥に染めてからの灰色、黒褐色、黒。染料の発酵時間や量、染める素材によっても色の加減は異なる。何度も失敗を繰り返しながら、これまでにない色を出せるようになった。
 ホームページなどでTシャツやジーンズを染めた作品を発表すると、個人から大手アパレルメーカーまで全国から注文が来た。本土の客から「奄美には行ったことがないですが、この色でどんな島かわかったような気がします」との便りが届いた。うれしかった。

 昨年、そんな思いをくじく出来事に遭遇した。島を襲った豪雨で工場が濁流にのまれた。染料を煮る釜が壊れ、泥田には赤土が流れ込んだ。あれから5カ月。まだ泥田に赤土は残っているが、使える箇所を区切って泥染めを続けている。「大島紬は島の自然のたまもの。災害も自然の循環の中の一つの過程」と前向きに考えている。
 最近ようやく、自分でも納得いく色が出せるようになってきた。いつか、自分にしか出せない色を出したいと思っている。

■大島紬
 1300年の歴史があるとされる奄美大島の伝統工芸品。鉄分が多い泥で糸を染め、黒地が基本。図案や泥染め、手織りと40近い工程があり、熟練した職人が分業で作る。明治後期から生産性が向上し、1972年のピーク時は年間28万4千反を生産し、奄美の基幹産業だった。近年は和装需要の減少と景気低迷で減産が続き、昨年は8919反と1万反を割り込んだ。





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Last updated  Apr 5, 2011 03:16:02 PM
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