私設黒ネコ同盟横浜・港北支部

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Dec 16, 2005
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昨日の日記の最後に書きましたが、オリックスバファローズ前監督の
仰木彬さんが70歳で亡くなりました。
ご冥福をお祈り致します。
仰木さんの経歴や功績についてはここでは省略しますが彼について筆者が
思い出に残っているのは89年の日本シリーズ、巨人対近鉄戦です。
近鉄は前年、最終戦で優勝を逃すという悲劇を演じていました。その無念
を晴らすべく猛牛軍団は戦い、西武、オリックスとの息詰まる優勝争いを
制しました。その原動力となったのは破壊力抜群の「いてまえ打線」。
本塁打王のラルフ・ブライアント、ジャーマン・リベラの3、4番を軸に

に金村義明、巨人から移籍してきたベテラン・淡口憲治など・・・。
投手陣はエース左腕・阿波野秀幸を軸に山崎慎太郎、小野和義、そして
リリーフエースの吉井理人がいました。こんな豪快で派手なメンバーを
まとめていたのが仰木監督です。彼は緻密なデータを駆使し、その一方で
選手の個性を重視するというやり方で優勝を掴んだのでした。

対するは藤田元司監督率いる巨人。20勝投手の斉藤雅樹に桑田真澄、
槙原寛巳の3本柱を中心とした強力投手陣が武器。打線は主砲・原辰徳に
首位打者のウォーレン・クロマティに駒田徳広、篠塚利夫(現・和典)、
岡崎郁らがいました。81年以来日本一から遠ざかっていました。
そんな両チームが日本シリーズの舞台で始めて顔を合わせたのです。
全7戦を振り返ってみましょう。


藤井寺球場で開幕したシリーズ。先発は近鉄が阿波野、巨人が斉藤のエース対決。
1回裏いきなり動きます。近鉄1番、大石がレフトスタンドに先頭打者
本塁打で近鉄が先制。だがその後続いたチャンスは淡口が併殺で加点できず、
すると2回の巨人、クロマティを一塁に置いて岡崎がライトスタンドに
叩き込みすぐさま逆転。4回には一死二塁で呂明賜(ろ・めいし)の

緊張していた阿波野は精彩を欠いていました。しかし中盤以降は調子の悪い
直球から変化球主体に切り替え立ち直ります。一方の斉藤も調子がいいとは
いえず、近鉄も打ちあぐんでいたが6回に鈴木の2ランで同点に。
これで流れは近鉄、7回には山下和彦の三塁打でチャンスを掴むと二死後
新井のタイムリーで再逆転。阿波野は結局5回以後は巨人を1安打に抑え
完投勝ち。近鉄先勝。

(第2戦)
先発は近鉄山崎、巨人が桑田。巨人は打線を組み替え、不振の原と
クロマティの4、5番を入れ替えました。両チームヒットは出るが点が
入らないという展開で6回。巨人は川相昌弘のバント安打を足がかりに
二死満塁とし、「満塁男」の異名を取る駒田がセンター前に2点タイムリー
を放ち先制。しかし近鉄はすぐさま反撃、その裏クロマティの守りのミス
などで二死一、二塁として淡口の二塁打で二人還って同点。さらに7回裏、
二死二、三塁の場面でブライアントに回ると巨人は敬遠で満塁策を取ります。
ここで打者はリベラ。4番の意地で右中間に二塁打し満塁の走者は一掃。
さらに鈴木も二塁打で続き6-2。これを加藤哲朗ー佐藤秀明ー吉井理人
のリレーで巨人の反撃を中尾孝義の本塁打の1点に抑え近鉄が連勝と
なりました。

(第3戦)
舞台を東京ドームに移し、レーガン米大統領の始球式で始まった試合。
先発は近鉄は結果的にこのシリーズの主役の一人になってしまう加藤哲。
巨人は胴上げ投手になった左腕・宮本和知。初回、近鉄は新井の三塁打で
チャンスを作るとブライアントが右翼線を破って先制。さらに2回、一死
一塁で第2戦で負傷した山下に替わって捕手に入っていた光山秀和が
レフトスタンドに2ラン。シーズン中彼は実に12打席しか立っておらず、
いわば「伏兵」の一発で近鉄がこの試合も流れを掴みます。加藤は5回に
駒田に二塁打を打たれるまでノーヒットピッチング。しかし7回に2本の
ヒットと四球で二死満塁のピンチ、ここで近鉄は左腕の村田辰美にスイッチ。
村田は巨人の代打・福王昭仁をフライに打ちとって火消し成功。
8回からは吉井がパーフェクトリリーフで抑え、3-0の完封勝利。
近鉄が3連勝で一気に悲願の日本一に王手をかけました。
そしてこの試合後、加藤のこの発言が思わぬ事態を招くことになりました。


(第4戦)
後がない巨人は打てない打線をいじりました。1番に緒方耕一に替えて
ベテランの蓑田浩二を起用しました。また前日5番の岡崎を3番、6番
駒田を5番、3番篠塚を6番に。原は前日から引き続き7番。
蓑田が初回、先発の小野から二塁打。川相のバントで三進し、岡崎の浅い
外野フライでホームへ突入。光山のブロックを掻い潜ってホームイン。
この先制点で巨人の沈滞ムードが変わりはじめます。巨人先発の香田勲男は
やや制球に安定感を欠いて6回まで毎回走者を背負うもその都度切り抜け
無失点で凌いでいきます。小野は夏場にヒジを故障しており不安を抱えての
マウンド、5回までは1失点できたものの6回捕まります。一死二塁で
駒田に二塁打されて2点目を失うと続く篠塚にもヒットを打たれKO。
だが後を次いだ池上浩一が四球を出し満塁になると中尾にタイムリーを
打たれ、二死後蓑田に押し出し四球を与えて0-4。さらに7回木下文信が
駒田にタイムリーを打たれ5点目、これで勝負あり。香田に完封され近鉄は
待ったをかけられました。
巨人ナインは前日の加藤の発言に激怒、諦めムードは吹っ飛んでいました。

(第5戦)
近鉄阿波野、巨人斉藤の先発。5回に近鉄がブライアントの一発で先制。
しかしその裏すぐ巨人が反撃、斉藤のヒットから二死一、二塁として岡崎
の二塁打で逆転、2-1。そして7回。巨人はこの回から登板の吉井を
攻め二死一、三塁として打者はクロマティ。ここで近鉄は敬遠策を指示、
原との勝負を選びます。原はこの打席まで18打席(13打数)無安打。
しかし調子は戻っているとして5番に上がっていたのです。二死満塁。
2-1からの5球目、外角低めの際どい直球、しかし判定はボール。
吉井はこれで動揺しました。6球目、内角を狙った球が真ん中へ・・・。
原のバットが一閃、打球はレフトスタンドへ。グランドスラムで6-1。
近鉄はペナントを持って凱旋のはずが手ぶらで大阪に帰ることになりました。

(第6戦)
先発は近鉄山崎、巨人桑田。序盤はどちらも走者を出すが点を取れない
じれったい展開。動いたのは4回裏、近鉄がリベラの一発で先制。
だがすぐさま巨人が反撃、5回に吉村禎章のヒットから二死二、三塁と
すると2番に入った篠塚が一、二塁間を抜いて2者が還り逆転。追う近鉄は
7回新井のバント安打などで一死一、三塁としてブライアント、絶好の
チャンス(巨人の投手はこの回途中から宮本)。だが痛烈なライナーは
一塁・駒田の正面。そのまま倒れこむように一塁キャンバスにタッチ、
走者の新井が帰塁できず併殺。あまりにも不運な形でチャンスが潰れます。
8回巨人は佐藤から岡崎が本塁打して3-1。その裏リベラ内野安打、
代打の村上隆行もヒット。しかしリベラが三塁を狙い、この回からライトの
守りに入っていた強肩の井上真二からの好返球でタッチアウト。リベラの
走力では明らかに暴走と言えました。後続を水野雄仁に断たれゲームセット。
巨人が3連敗の後の3連勝で逆王手。近鉄は完全に浮き足立っていました。

(第7戦)
近鉄加藤、巨人香田の先発。まさか加藤はこの登板の機会があるなんて
思ってもみなかったでしょう。その加藤から2回、絶好調の駒田がライト
スタンドに叩き込み巨人先制。4回には一死一、二塁のチャンスを迎え
打者は吉村。ここで近鉄は左腕の小野に交代(吉村は左打者)。小野は
期待に応え一ゴロに打ち取ります。しかし併殺を焦った遊撃手・真喜志康永
が一塁に悪送球。二塁走者が還って2-0。さらに巨人は中尾、川相が
長短打でたたみかけて4-0。その裏近鉄もミスを犯した真喜志の一発で
追撃開始、5回には村上も本塁打して2点差。だが6回巨人はヒットの駒田
を一塁に置いて原が2ランで6-2。さらに投手は村田から吉井に変わると
この試合限りでの引退を表明していた中畑清が代打で登場し本塁打して
流れは完全に巨人。裏に大石(第1戦の本塁打以降26打席無安打の
シリーズ記録)がホームランして香田をKOするも(2番手宮本)7回に
巨人はクロマティの本塁打で8-3。9回近鉄はリベラ、鈴木のタイムリー
で2点を返しますがもう間に合いませんでした。最後の打者、村上がライト
フライに倒れジ・エンド。近鉄は3連勝の後まさかの4連敗でまたしても
日本一の座につくことが出来ませんでした。

・・・以上が89年日本シリーズの7戦までのストーリーでした。
筆者が6歳の年のものです。当ページとリンクしている方の中にはこの当時
生まれていらっしゃらない方もいるくらいの昔の話なのです。
試合後「藤田監督以下巨人全選手におめでとうと言いたいと思います」と
悔しさを堪えて語った仰木監督。その声を聞くことはもう出来ません。
改めて故人のご冥福をお祈りします。





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Last updated  Dec 17, 2005 12:02:55 AM
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Re:1989年日本シリーズ(12/16)  
この日本シリーズの時、僕は確か中1か中2の頃でした。
加藤哲郎の例のコメントがこのシリーズの運命を変えた・・・と色々言われましたが、それよりもシリーズ終了後の日テレ関連番組の「加藤いじめ」とも言えるバッシングの嵐に当時恐怖すら感じました。
その時から「ジャイアンツは永遠に好きにはなれない球団」になったものです。
話がそれてしまいましたが、仰木監督は僕の中で「ベスト監督」であることには違いありません。
ご冥福をお祈りいたします・・・。 (Dec 18, 2005 12:58:27 AM)

Re[1]:1989年日本シリーズ(12/16)  
鬼神道  さん
「リバプールの風」。さん
書いた通り自分はこの時6歳、幼稚園の年長でした。
文中では報道された発言をそのまま書いたのですが
実はこんな事実際には言ってなくて、マスコミが
言葉の切れ端をくっつけて創作した言葉だという
説もあります。
仰木さんの凄さとしてこの後はオリックスも指揮
しましたがイチローなどが去って戦力がボロボロに
なっても最下位にはなったことがなく後を石毛が
継いだ途端に最下位になったということがあると思います。
野球に一生を捧げた本当の意味での名将だったと
思います。 (Dec 18, 2005 11:02:16 PM)

No title  
有働里音 さん
口は禍の元ですがこの時の巨人は最早魅力は無かったです。 (Feb 2, 2020 09:36:12 PM)

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かりんとう@ Re:三重の幻の強豪~ジ・オリオン高校(03/02) 三重県に幻の野球強豪高校があったのを初…
有働里音@ No title 口は禍の元ですがこの時の巨人は最早魅力…
鬼神道@ Re:ゆきぽ派?・・・レイ~田村ゆかり武道館 CHERRYさん 初めまして。訪問有難うござい…
CHERRY@ 初めまして こんにちは、初めまして。 田村ゆかりで…
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