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2008.07.21
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カテゴリ: 生きる
母(義理の母)が亡くなってはや二カ月と少し経とうとしている。私にとって

初めての親の死であった。母の死に当たりいろんな経験や思いを記憶のうせない

内に書き留めておくことにする。

母はかなり前から糖尿を患い、三年前からさらに腎臓も悪化し、人口透析を

受けることになった。そのときに主治医の先生から良くてあと三年の命という

宣告を受けていたので、母が亡くなったことに対しそれほどの大きいショック

があったわけではない。

 五月六日(火)、ゴールデンウイークの最後の日のことである。この日は、

私は午前中だけ勤務のため会社にいた。ただ、会社には私一人だったので、



れた」というひと言を残して電話を切った。私は一刻も早く病院に駆けつけ

たかったのだが、あいにくと社内は私ひとりだったため空にするわけにも

いかなかった。すると、その日勤務でもない社員が残業のため出社してきた

ので、彼女に理由を話し、勤務の交代を願いでた。早速、病院に駆けつけた。

集中治療室に家内とベッドに横たわった母がいた。医師は私に向かってこう

言った。「すでに脳死の状態です」と。そのことは家内にはすでに伝えられ

ており、治療方法、要するに延命についての話がされていた。家内は積極的

な延命治療は不要と医師に伝えていた。私も同様の意見であった。すでに

脳死の状態であり、人口透析の患者であればどれだけ延命処置を施しても、

結果はさほど変わらないからだ。しかし、ベッドに横たわる母の姿を見て

いると、呼吸をし、脈も正確に刻んでいた。今まで脳死という言葉そのもの



まるで普通の病人患者のようであった。この姿を見ていると、「脳死

すなわち死」という状態であることを信じるわけにはいかなかった。

肉親としては、もっと生きていて欲しい。一分でも一秒でも長く生きて

欲しいと思った。先ほど医師に対し、積極的な治療は必要ないと言ったが、

はたしてそれで良かったのだろうかという思いが湧いてくる。もし、



脳死だからといって、積極的な延命治療は必要ないと申し出ただろうか。

母には申し訳ないが、多分そんな言葉は出ていなかったように思う。

肉親にとっては「脳死」は決して「死」とは認められないものであること

を母の死を通じて初めて理解した。

また、その日の一日について少し述べてみたい。母が倒れたのは早朝で

あった。母が危篤という知らせは親戚中に連絡が行き、お昼前から親戚の

人たちが見舞いに来てくれた。交替で母の様子を見に行った。しかし、

夕方近くになると、見舞いの人たちにも早くも疲れが出てきた。また、

夜になると自分の家のことも気になりだした。これはもちろん当然の

ことである。母の容態がいつ最悪の状態になるかわからず、時間だけが

過ぎていった。一人二人と帰る人たちが出てきた。もちろん私たちに

してもあまり親戚の人たちに長居を強いるわけにもいかず、「夜も近づ

いてきたので今日のところはお帰りください。もし、急変すればお知らせ

します」からと言わざるを得ない状態であった。このときの親戚の人たち

の心理状態について少し述べてみたい。大変不遜な思いであるが私は

このように感じた。親戚の人たちは自分たちが病院にいる間に母の容態

が悪化し、自分たちが見守る中で母が死に至り、母のベッドの周りで全員

が泣き悲しむというシナリオを描いていたように思う。しかし、母の容態

がいつ悪化するかわからないまま時間だけが過ぎていくので、まわりの

人間がどのように取り繕えばいいかわからなくなり、疲れが出てきたのだ

と思えてならない。

 実際、私も家内と夜をどのように母を見守るかを相談した。とりあえず

交替で家に帰りシャワーでもしようということになり、私と三男(長男・次男

は県外に在住)が家に戻った。父は母が倒れたショックからか、少し様子が

おかしかったので夕方から家に戻してあった。私がシャワーを浴びている

ときに、壁にかけてある石鹸ボックスが外れて落ちた。この家に住み二十年

経つがこの石鹸ボックスが外れたのはそのときが初めてだった。そのときに、

何か嫌な感じがした。その数分後に息子が風呂場に来て、今「おばあちゃんが

亡くなったという電話があった」と告げた。早速、シャツを着て病院に戻った。

病室に入ると、家内と叔母の二人だけが病室にいた。母は今看護師さんに

よって死に化粧を施されているそうだ。わずかな時間が経ったあと、看護師さんが

どうぞといってベッドに横たわった母のところへ案内してくれた。ベッドの母の姿

を見ると母の顔には白い布が掛けられていた。(この白い布のことをなんと呼ぶ

のでしょうか?知っている人がいたら教えてください。)その布をとって

母の顔をみたとき、私は「あっ、仏様」だと思った。

昔から人間は死者を仏様と呼んでいたそうだが、このときは私も本当に

そう思った。仏像をつくる人たちは生きている人の顔はもちろん、死者の顔

を参考に作ったのではないかとこのとき思ったほどである。

 この母が病院で亡くなるや否や、次は葬儀に向けて怒涛(と呼んでいいくらい)

の忙しい時間を迎えることとなる。




この久しぶりの投稿にあたりこのような実験をしてみた。

この投稿は数ヶ月ぶりの投稿となる。今まで私のブログにコメントいただいた方に、

強い念を送った。もし、何かそのようのものを感じて、私のブログを見た方が

いらっしゃたらコメントいただけませんか。

7月21日  18時5分





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Last updated  2008.07.21 18:04:33
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