信州中野 と 飯山 ぶらぶら散歩

2024.01.18
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カテゴリ: 研修



















公民館の講座で分かったことや感想。
・中世までは窯が高丘にはあったが、なくなった。
・東国には平安時代でも竪穴住居に住む人がいて
バカにして土蜘蛛と呼んでいた。昼留守の時、いばらをまき脅す、人が住居に逃げ帰りそこで死んだ人もいるという。
・縄文の土器は大きくて重い。替佐でたくさん出た。なかなかすごい形のが出ている。中野博物館にある。
・やよいの土器はうすい。ろくろを使った跡が出ている。細かく割れていて組立が大変。壊れるまで使ったか。
・湖南先生は宮崎市定先生の師匠。
・高橋桂先生は発掘をよくやっていた。替佐出身。
・川久保遺跡は旧役場のそば。

・山城は集落に一つくらいあるが、逃げる場所であったかもしれない。(大倉の例、自分で考えた。)





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最終更新日  2024.01.19 09:18:37
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