全6437件 (6437件中 1-50件目)
かなり、ご無沙汰しております。何とか、一人の生活も慣れて?、一応生きてます。まっ、相変わらず、時間が無いのは変わってませんが...(;^_^A今回は日記と言うより、YouTubeに投稿しているしゅんのベース動画が1万回再生over!悲しかな、直接聞いたわけでもなく、アイツがTwitterでUPしているのを見て、知ったという...なので、バンド活動も頑張っているアイツの援護射撃になれば...って感じでUPしました。年明けから、子供たちとはLINE、電話、一切こちらから連絡しても繋がらなくなって、アホらしくて全くコンタクトを取ってません。元嫁がそう仕向けているのかどうかもしれませんが、詮索してもしゃぁ~ないので…離婚する際は「子供にはいつ会ってくれてもいいから…」そんな言葉を信じた俺が馬鹿でした。元嫁の言いなりで第三者を立てずに、協議離婚となったわけですが、今更ながらそこら辺は反対を押し切ってでも、書面で残せばよかったと…元嫁が離婚ご連絡してくるのは金の請求ばかり。請求が最後の時に、「これで全てあなたの要求通り支払ったことになるけど、あなたが離婚切り出した直後の俺の給料を全てあなたは搾取しましたよね?それについてはどうお考えですか?」って、ムカつくから、LINE入れたら、逆ギレ!家の債務者変更にかかった費用を提示してきたので、「家の売却は一旦、あなたは同意して、不動産業者も呼びましたよね?それが、銀行の許可が出た途端、『売らない!』って言いだして流れましたよね?家を売っておけば、その費用は発生しなかったものですよね?」って、返したら、更に逆切れして、「幾ら払えばいいの!」って、切れてきたから。「俺は金の問題云々を言ってる訳でもなく、それを無きものとして、平気な顔して必要経費と言って俺にちゃっかり全額支払わせる、あなたの神経を疑っただけです。今更、あなたが支払う気もない金なんて要りません」って、返してやった。離婚したらあかの他人...分かっちゃいるけど、そこに血の分けた子供が居て...って考えると本当に子供の親権を争わなかったことが、良かったのかな?って考えてしまいます。
Jul 23, 2021
コメント(0)
昨日は穏やかに晴れ渡って、少し寒さも和らぎそうです。さて、この約半年、羽陽曲折が多々あり、難航してきました…『離婚問題』まぁ~様々な経験者の方には…「結婚するより大変!」「ドロドロする」「心労で大変」「精神的にしんどい」「人間不信になる」「揉めたら時間が掛かる」等々、仰る通り大変でした。ただでさえこの時期にクソなお袋、それに対して何もしなくて文句だけ言うクソ弟のことでイライラがMAX状態だったので、何度も”精神崩壊”しそうになりました。orzただ、ここ最近何か吹っ切れて、”元嫁”←(お、もう胸張って言えるね!( ´艸`))を許せる気持ちと言うか、諦めの気持ちと言うか…『一層のこと、もう何も期待しなかったらいいじゃん!』って思う心が俺のどこかに芽生えた瞬間から、”許せる”?でもないんだろうけど、広い視野で見ることが出来るようになったと言うのか…『ただ、子供の将来のことだけ考えりゃいいやん!』『俺はあいつらの”オヤジ”だし…』みたいなことだけハッキリしておけば、俺の今の立ち位置が分かった気がして、人間的に少しだけ次のステージに上がれた気がしました。そうなれば、話し早い!で、嫁との話し合いは一気に解決!当初の予定通り、『協議離婚』という形で、昨日正式に約21年半の結婚生活に無事ピリオドを打つことが出来ました!ホント、今はただ晴れ晴れとした気持ちと安堵した気持ちで溢れてます。さて、14日は引っ越しの日!約15年住んだ”我が家”から一人出ます。幸い14日の夜、「俺、金欠やから引っ越し手伝ってやるよ!」と息子が新居での荷解きを手伝ってくれるとの申し出がありました。素直じゃない、あいつの照れ隠しなのか?まぁ~そんな詮索はせず、素直に喜びました。ま、その代わりバイト代弾んでやらなければ…( ̄▽ ̄;)これで、心おきなく残り僅かかもしれないけど、俺の新たな人生をしっかり前を向いて進めると確信しました。『俺の残りの人生に幸あれ…』今は静かにそう願ってます…
Nov 16, 2020
コメント(2)
日記ご無沙汰しております。近況報告です。時間は掛かりましたが、やっと新居も決まって、来週引っ越しの予定です。とは言え、仕事もプライベートもやること多すぎでパンク寸前。正直、目の前の事を淡々とつ日していく日々に費やされている。で、そんな中、嫁には振り回されている…昨夜の夜、嫁からlineが入った。 家の名義変更をしようとして、誰も考えても分かるが、所詮パートの嫁には無理だった。 これまで、話を二転三転させて、当たり前のようにそのlineは一言の謝りの言葉もなく... 俺はこういう無神経なところがもう許せない。 昔から自分からは 「ごめんなさい」 とは滅多なことで言わない。 全て自分が正しいという大前提で物事を考え押し付ける。 この半年、家は共有名義だから、俺から色んな提案もし、査定を出した不動産会社との交渉で、家を出るまでの期間の猶予まで貰い、おまけに引き渡す間に引っ越し費用等になるような手付金も支払ってもらう交渉まで引き出していた。 この約半年、嫁の機嫌を伺いながら、気を遣って無理強いもしなかったが、何の準備もせず、家では暇が有ればゲームしてるかYouTubeの動画を大音量で掛けて、寝転んでいるのが見ていてイラついていた。 で、嫁の口から出る言葉は… 「忙しい!」 「もう、精神的に一杯一杯…」 『よく言うぜ!』 と思っていたが、極力黙っていた。 時間に追われて仕事も親のこともそして離婚の事も常に頭に置いておかないといけない。 家に帰ると俺のことは無視するのが基本姿勢。 俺は一人で部屋に籠って過ごすことしか出来なかった。 それなのに... 「子供の事は考えているの!」 十分考えての交渉。 親権を争わなかったのも、それが最善と思ったから。 だが、こんないい加減な嫁に子供達を任せて良いのかと… 子供達も表面には出さないが、不安なはず… 俺は離婚が決まって、タイミングを見計らって子供達と話し合ったし、個別にもフォローして、息子とは二人で飯に行ったりもした。 そうやって、言い難いだろうが、俺なりに子供達の気持ちに寄り添う努力はしてきた。 これまでも、ことある毎に俺に対して嫁は… 『子育てに参加しない、ダメ夫』 のレッテルを張り続けてきた。 俺からしたら嫁は目に見えている表面的なことしかしていないと思ったので、俺は子供達の内面に向き合うことに徹してきた。 そんな事は嫁が知る由もない。 それでも俺は良かった。 本当に俺は子供達が好きだったし、この世に二人が生まれて来てくれたことで、明らかにこれまでの人生は子供達が豊かにしてくれて、俺も成長させられたことに感謝していたから… 子供達に色んな事を気付かせてくれることも有ったし、成長を傍で見守ることで、この16年様々なことが有ったけど、息子なんか自分の意見をしっかり言えるまでに成長して、もう『一人の男』として認める様な存在にまで成長してくれた。 でも、まだまだ『子育て半ば』ではある。 だから、離婚したって、離れて暮らしたって、俺は絶対にお前たちを見捨てないから、俺はいつまで経ってもお前たちの”オヤジ”だからと言ってきた。 娘なんて未だ13歳。 大人の階段を上り始めたばかり。 寧ろここからの方が大事。 ま、取り敢えず、家を売ることは決まったので、また不動産会社と交渉再開だが、俺はようやく来週に引越を決めたタイミング。 忙しくて荷物も詰めれないから、結局業者に頼んだし、前日に荷造りに来ると言っていたので有給を貰っていたが、俺にしか出来ない仕事が入ってしまったため、有給を撤回して仕事を優先したので引越業者に無理言って1日で全て済ませて貰うことにした。 今の俺にプライベートも仕事も関係ない。 ただ淡々と目の前の事をつぶしていく作業に徹している。 正直、心なんてもうとっくにパンクしている状態。 寒さだけが身に染みます…
Nov 6, 2020
コメント(0)
しゅんが春から高校に入学。当時は正直、冷めていた。内申点を気にして、取り敢えず入った部活は”軽音部”だった。そこで、感銘的な仲間と出逢い、しゅんは一気に音楽活動に飲めり込んでいった。俺としてはもう一度野球の夢を取り戻すか、そうでなくても何か身体を動かして欲しいと思っていたので、何か運動部に入ってくれれば…という思いはあったが、ベースを手にしたしゅんが見る見るうちに見違えるほど表情が明るくなり、毎日充実している様子が伝わってきたので、『高校時代に打ち込めることが見つかって良かったな!』と思っていた。しゅんは出逢った仲間をリスペクトし、家でも「凄い奴が居るんだ!」と嬉しそうに言っていた。音楽なんて、ずぶの素人だった、しゅんはベースを手に取り、家でも片時も離さず練習するくらいののめり込みようだった。コロナで高校に入ったものの、自粛期間はずっとゲーム漬けだったしゅんが、彼らと出逢い、今やすっかり、ゲームなんてしているところは家でも見なくなった。しゅんは必至でベースを練習して、そのリスペクトした仲間に誘われ、本格的にバンド活動が始まった。これまで、既に何度かLIVEにも参加したようで、自信も付けてきた。そんなしゅんが、数日前に嬉しそうに…「オリジナル作ったんだ、良かったら拡散して!」と言うので、さっきようやくその動画を見た。未だ、当初の音源だけ聞かせて貰った時はあまりピンとこなかったが、YouTubeにUPされたこの動画を見て、正直完成度の高さに驚いた!(はい、親バカです...(;^_^A)宜しければ、青春真っただ中の彼らの音楽を聴いてやってください!何か、中学時代は野球絡みで人間不信にもなって、正直腐っていたしゅんが、自分の足で希望を持って、今、一歩、一歩着実に前進してくれている姿を見られて、本当に俺は嬉しい。かけがえのない、高校の3年間で思いっ切り、自分のやりたいことに打ち込んで、enjoyしてくれたら俺はもう何も言う事が無いよ!ホント、アイツ成長したなぁ~俺は今までアイツの成長していく姿を間近で見れたことが幸せだったなってしみじみ思う。これからは離れて暮らすけど、俺はいつまでもお前のこと見守っているからな!いつまでも、俺はお前の”オヤジ”だから…
Oct 2, 2020
コメント(0)
少し前に書いた日記に実家の処分って話を書きましたが、先々週辺りから市の指定業者に見積もりを依頼して、ギリギリセーフで先週の半ばから実家のゴミ屋敷の処分に取り掛かってもらってました。で、昨日がほぼ作業完了で、一旦確認のための立ち合いとなりました。昼前に実家について、中の様子を業者が来る前に確認…その伽藍堂となった、光景はもはや実家の面影はない。ここの家には大学に入って直ぐに引っ越しして、25歳位の頃まで暮らした。阪神大震災がきっかけで家を出た俺は、殆ど帰らなかったから当時のままだったが、今年のG.Wに必要な物を取り出しに行こうとしたが手の付けられる状況ではなく、ただ呆然と立ち尽くしていた。目に付くもので、必要最低限の物だけ何度か持ち出したが、結局その程度しか出来なかった。もう今となっては何がどこにあったのか分からない。ここ数日、『何十年も必要がないと思っていた物だから、今後も要らないだろう…』と自分に言い聞かせて今回の作業に当たったが、実際何もなくなった実家を目の当たりにすると正直虚しかった。『これで、俺が戻るところはもう無いんだ...』いつまでも、”ゴミ屋敷”のために空家賃を払う余裕もないし、何処かでけじめを付けきゃなんないとは思っていたけど…暫くして、業者の方が来られ、「何もないですね?」と各所を点検して回って、15分も掛からない時間で書類にサインして終了。理解はしていたけど、呆気ない終わりが更に虚しさが増す。今未だ、俺は自宅に家庭内別居と言う形を取って、元嫁に無視されながら仕方なく暮らしている。何度か家を見に行ったが、決まらず、やることが多すぎて家を出られない状況。早く出ないといけないとは分かっているけど、物理的にその時間は無かった。何としてでも、今月中に実家の事務作業も終わらせて、来月中に家を出ないと俺自身の本当の居場所がなくなる…俺の”安住の地”って何処にあるんだろう?
Sep 27, 2020
コメント(0)
一昨日のこと。 夕方から、会議だった。 相手はうちの26歳の術者。 会議の前に仕事に対する考え方などの話で盛り上がって、結局会議が終わったのは9時半頃だった。 彼は営業に関してはずぶの素人だったけど、最初の頃一緒に営業に回ったり、色んな質問を受けたので、それに対して俺は真摯に答えた。 今では信頼関係もバッチリで、彼を放っておいても自分で仕事をしてくれるし、困ったときは相談の電話が直ぐ入る。 ちゃんと報告もしてくれるので、今の仕事で彼は欠かせない”相棒”である。 彼のキャラクターも良く、人当たりも良いので営業には向いている。 本来の仕事は鍼灸の術者なので、今は俺が取ってきた仕事に対して、その仕事のポイントを伝えるとそこをうまく解決して、まぁまぁ困難な案件でも獲ってきてくれる。 例えば、女性術者が希望と言う患者様でも、彼が行って体験させると、逆に彼じゃなきゃダメと言われるくらいのある意味”人たらし”。 彼のルックスも良くて、俺と同年代のケアマネなんて目をキラキラさせながら、彼の話を聞いているくらいだから、ある意味”熟女キラー”でもある。( ´艸`) 彼は仕事に対しては本当に勉強熱心で、日々鍼灸に関して勉強していて向上心も有るし、偶に俺がその”実験台”になって新しく学んだ技術を実践してる。 まぁ~俺はその恩恵を受けているから、win winの関係は成り立ってる。 俺も彼から技術者目線の話も聞けるので有難い。 俺は彼の親父位の年齢だけど、絶対に命令口調では話さないように日頃から心掛けている。 あくまでも、”同僚”と言う接し方を崩さない。 それは俺が昔彼くらいだったころの年齢だった時、そういう上司はやはり敬遠していたから。 それに、俺自身がそんなに誇れる人間じゃないし...(;^_^A 俺は長年営業をしてきたからか年齢関係なく、その人の人間性を見る。 で、その人の長所、短所を見出し、その人がどういうタイプの人間か見抜く癖がある。 彼は褒めると伸びるタイプだと気付いた。 彼の場合、ある程度の困難を与えても、ポイントだけ教えておけば、自分で突っ込んでやってくる。 それで、成功したら必ず褒める。 大手柄を挙げたときは根回しして上司に 「彼はこういうことに成功したので、褒めてやってください」 と伝えて、彼に成功体験を経験させて、次のステップに挑戦させる。 でも、絶対にそのことは彼には言わない。 その上で、彼が悩んでいるようだったら、 「俺がケツ拭いてやるから、思い切ってやってこい!」 って言って送り出す。 その言葉は俺が昔そう言われて嬉しかったことだから。 そうやって、”後ろ盾”があることを意識させて難題に挑む力を付けさせる時期だと思うから。 そういうやり方で仕事をやってきて、ここ3,4ヶ月で彼は目を見張る成長をした。 『彼を育てる』なんて言うと烏滸がましいが、俺はもう年齢的に考えてもそういうポジション。 でも、さしでまかしいことはしない。 客先で彼が結果的に問題をクリアして、喜ばれたときには素直に 「私は何もしてません。彼を褒めてやってください」 と言う。 勿論、営業的な思惑も有るが、そうすることで彼を客先に印象付けるアシストは出来るし、客先で彼の評価が挙がれば、継続的な付き合いもできる。 でも、それ以上に 「うちの若い奴凄いでしょ!」 とちょっと自慢したい。 考えると俺なんて定年まで10年を切った。 今更、ポジション争いに加わることも出来ないし、俺のやるべきことを考えたとき、将来この会社を担える人材を育てられたらいいと思う。 地位も名誉も無いけど、俺には”人の痛み”は分かるし、長年生きてきた経験則はある。 それは”持論の押し付け”は絶対にしない。 困っている奴が居れば、救ってやりたい、そんな感覚だ。 この間も今まで余り関わりの無かった、二十歳の今年社会で出たばかりの子が、とある事情で第一線から離れざる終えなくなって、悩んでいたので、助言はした。 「話を聞いたら、今は一点だけしか見ていないよ。ちょっと視線を外して、今は『鍼灸師になりたい!』って思った時のことを思い出して、自分が将来的にどうなりたいかを考える良い時間だよ。余り深く考えると自分を見失うぞ!」 って助言したら、彼も少し考え方は変わったようだ。 『人を育てる』 って言う事は本当に簡単ではない。 会社が継続するのもそこに働く人に大きく左右される。 うちは幸い、”人に優しい会社”だ。 その考え方が俺も好きで、そこに集う人たちも生き生きしている。 コロナ渦のこの最中、誰にも明確な将来像なんて描けないし、極端なこと言うと明日のことすら分からない。 経済的にも回ってないし、営業が厳しい環境に置かれているということも身をもって分かっている。 だからと言って、指をくわえている訳にはいかないし、会社継続のためには営業がその最前線に立たないといけない。 そう考えると、給料が大幅にカットされずに取り敢えず生きていける最低限の報酬が有れば、今は文句を言わず頑張らにゃッて思う。 そりゃ、上を見たらキリがない。 でも、今は自分の立場を弁え、我慢する時期なんじゃないかと思う。
Sep 19, 2020
コメント(2)
大坂なおみさんが二度目の全米オープンに優勝した。 本当におめでとう! 今回の彼女が問題定義した 『人種差別』 と言う大きな問題。 あのマスクに犠牲になられた方の名を入れたマスクに込められた想いは本当に心打たれた。 当初はボイコットしようとした彼女。 しかし、それを吹っ切って、『自分が今出来ること』を信じて大会に臨んだ。 それが、あのマスクだった。 被害に遭われた方への想い、人種差別というアメリカが抱える社会問題、政治をスポーツに持ち込む問題… 恐らく相当なプレッシャーだろう。 ただでさえ、試合前から注目を集めている。 そのどう考えても逆風の舞台に彼女は臨んだ。 それは『一人の黒人女性として…』と言う彼女の想いを伝えるために。 これまでの彼女のテニスはどうしてもメンタルが弱い面が露になった。 一度頂点に立ってからは相当の苦悩があっただろう。 恐らく純粋にテニスなんて楽しめない状況。 だが、今大会の彼女は明らかに違った。 信じられないような速さろパワーのあるサーブ。 サービスエースを取るときの打球は群を抜いていた。 それだけではない。 リターンエースが決まるときの爆発ある威力。 それに加えて、全てのゲームを自分が主導権を掌握する展開に持ち込めていた。 更に加えて、今までのような危うい場面は殆どなかった。 『鬼気迫る』 と言うのはまさにこのことだろう。 俺も昔、1度だけ大学の卒業旅行で西海岸へ行ったことが有る。 それが、初めての海外旅行だった。 サンフランシスコの空港に降りて直ぐのことだった。 友人たちと空港のカフェに入ったときのこと。 店内はガラガラで一人のホームレスのような身なりの白人男性に声を掛けられた。 「Chinese?Korean?」 と聞かれたので 「Japanese」 と答えると、返ってきた言葉は… 『OH! JAP!』 だった。 それは約30年前の話だけど、当時は 『未だ有色人種に対して未だそんな差別が有るんだ』 と実感した瞬間だった。 アメリカに滞在したのは約1週間だったが、俺にとっては初めて見る世界。 それと色んな意味で、この国は何てでっかいんだろう!って実感した。 とにかく人種が多いし、サンフランシスコにはマイノリティの方が住む町が有ったり、俺のそれまで持っていたイメージと全然違った。 旅の後半にDFSにツアーで連れて行かれた。 それは、サンフランシスコのダウンタウンのかなりヤバイスラム街に有った。 建物は常にシャッターが閉まった状態でバスか横付けされ、 「危険ですから、直ぐに店の入ってください」 とのこと。 確かに、その道中で見たスラム街の雰囲気は異様で大阪のあいりん地区を100倍怖くしたような感じ。 勿論、そこには黒人しかいない。 それが、アメリカの闇の部分だと思った。 人種差別問題は白人至上主義の者から見れば、我々日本人も他人ごとではない。
Sep 13, 2020
コメント(0)
お袋を生保にしていることで役所の担当者と揉めている。 8月の最終金曜日の夕方電話してきて、8月一杯で実家を処分しろ、しかも、処分したら年金で賄えるから以後の保護費は打ち切り、実家の市営住宅の家賃は申請してまた減免を受けてくれ、それはご勝手に!あ、家財の処分費は出ませんから! と言うような態度にブチ切れたのが事の発端。 担当者は8月31日に何度も電話してきたが、こちらは昼休み返上で車で移動中で、耳には仕事の携帯と繋いだヘッドセットをしているので、プライベートスマホには出られない。 なのにしつこく何度も掛けてきた。 僅かな時間で昼飯にありついた時にも電話が掛かってきたので出ると、 「間違ってました9月一杯です...」 と一方的に言いたいこと言って電話を切ろうとするので、 「こっちはオタクと違って、昼休みもまともに取れないし、しかも何度も電話を掛けてきたときはクルマで移動中。夜だってお役所仕事とちゃうので、定時速攻で終わりなんてことはないので、今後、の連絡はSMSでくれ!」 と言うとそれは出来ないの一点張り。 このやり取りすらこいつと時間を割くには勿体ない。 で、結局書面で送ると言うのでそれを待った。 因みに、この電話の際にも一切の謝罪は無し。 で、書面が送られてきたのは9月3日。 内容を読むと、初めて謝罪の言葉は有ったが、いちいち理由を付け言い訳がしてある。 おまけに出ないと言っていた実家の家財処分は出るが、9月一杯で指定する業者から見積もり取ってからやるのであれば出すと言う条件。 家財の処分費が出るか出ないかは事前に調べて出る事を知っていた上でそいつを試すために言ったのに出ないと言うし、休日出勤も有るような状況で、土日祝日だけ利用して処分するなんて到底無理。 勿論、8月の末に 「お前じゃ話にならんから上出せ!」 と言ったが、頑なに拒んだ。 本来なら当然役所に乗り込んでいく事案だが、生憎俺は今月まで試用期間で有給はない。 それより以前に、仕事は切迫していて休めない。 保護費が始まる前に家の処分の話は勿論出てはいたが、具体的な日程を示されていなかったし、向こうも断言はしてなかった。 しかも、そうなったらお袋を施設に入れないといけないからそれは向こうで探すとのことだったが、何のアクションもなかったし、こちらも事前にそうなると実家はお袋がごみ屋敷にして手を付けられない状態なので、かなり余裕をもって連絡ください。それに、弟も居るので俺だけの判断では処分できないのでとちゃんと伝えていた。 この担当者は当初から横柄。 どうせ、 『保護を受けてるのだから、こっちの言う通りにせーよ』 と言わんばかりの態度がひしひしと伝わってきたが黙っていた。 確かに自分の親を保護費で賄うのは情けない。 俺にとってお袋はクソで、金に汚いトラブルメーカでしかないから野垂れ死にしようとどうでもいいが、税金でお世話になっていることは分かっている。 しかし、役所の奴らも逆に言えば、税金で飯食わせてもらっている立場でしかない。 この件にこのまま指をくわえて見過ごすことも出来ないのだが、役所が空いてる時間に電話する事すらできない。 で、苦肉の策で市のHPを探しまくって市民からの意見を聞くみたいな1つのメールアドレスを見つけたのですがる思いで、そのアドレスに9月6日にメールを打ったが、9月10日の段階で何のリアクションもない。 これじゃ泣き寝入りと思って、朝からもう一度市のHPを見てコールセンターが8時からだったので直ぐに電話して相談した。しかし、大した情報は得られなかった。でも、ガイダンスで会話は録音されていると聞いたので、その担当者に俺の身分を明かすので伝えて欲しいと言ったが無理だった。 で、夕方の閉庁前に少し時間が出来たので、直接保護課に電話してそいつの上司に直談判しようとしたが、今日は外出してて戻らないと言うので、メールで送るのでアドレスを教えて欲しいと言ったが、個人情報なので無理と拒む。郵送しろと言うが時間がないと言うと、FAXなら良いと言うが、それならメールと同じじゃん!と言ったけど頑なにに拒みやがった。 こいつらホンマに腐ってやがる。 何処までもお役所仕事で辟易するわ!
Sep 12, 2020
コメント(0)
STRAY SHEEP (アートブック盤 CD+DVD+アートブック) [ 米津玄師 ]【楽天ブックス限定先着特典】STRAY SHEEP (おまもり盤 CD+ボックス+キーホルダー) (クリアファイル) [ 米津玄師 ]【楽天ブックス限定先着特典】STRAY SHEEP (通常盤) (クリアファイル) [ 米津玄師 ]【楽天ブックス限定先着特典】STRAY SHEEP (アートブック盤 CD+DVD+アートブック) (クリアファイル) [ 米津玄師 ]気になっていた、米津玄師のNewアルバム。発売前にしゅんに、「お父さん、俺1,500円出すから一緒に買わない?」と背中を押されて買いました。個人的には『馬と鹿』をじっくり聴きたくて…発売当日に届いて、最初は流して聴いていた。印象に残ったのは、「パプリカ」や「まちがいさがし」そセルフカバー。これらはアレンジが素晴らしくて、全く新しい曲としての印象を受けた。「パプリカ」は笛や三味線をいれることで、どこか懐かしい日本の風景が浮かぶような曲に様変わりしていた。「まちがいさがし」はどうしても、”菅田将暉”のイメージが強く残るが、彼の歌う力強い印象からこの楽曲が一変、アコギをアクセントに入れることにより、優しさに溢れる全く違う印象の曲に様変わりしていた。ざっと、聞き流してから2回目は歌詞やその曲の音造りに注目して噛み締めるように聴き返した。全般的な印象は確かに収録曲のラインナップを見ると”ベストアルバム”の印象は否めないが、このアルバムはそれをあっさり覆すかのように1つの物語を読み終えたようなそんなトータルバランスを考えたアルバムなんだという印象を強く受けた。何処か物悲しく、そして時には力強くそんなドラマを想像するようなアルバムだった。音造りとしては『本当にこの人は音楽を楽しんでいるんだ』という印象が強く、ありとあらゆる色んなジャンルをMIXして、それはいつかどこかで聴いたことのある馴染みのある音楽…俺らオッサン世代には昭和の懐メロにも通じるようなそんな印象だった。『Lemon』の爆発的なヒットで、一気にメジャーになった米津。どうしても、商業ベースという企業の思惑もあるのだろうけど、毎回それを覆すように全く違った印象を受ける楽曲をリリースするところは凄い。また、本当に楽曲が盛り上がるところで、上手くキャッチーな歌詞がハマるように作りこまれているからか、1曲1曲深く心に刻まれる。その辺りの上手さは秀逸だ。そんな意味でもこのアルバムの存在価値は大きい。既に初出荷が80万枚を超えているという報道もあり、ミリオンが約束されたアルバム。恐らく、今年の売り上げNo.1になることは間違いない。広い世代で米津玄師が受け入れられているのも頷ける作品だった。最後に、このうだるような暑さに一服の清涼感を与える…そんな印象を受ける楽曲を紹介しておく…『海の幽霊』
Aug 15, 2020
コメント(0)
約半月ぶりの更新です。ここ最近の暑さでくたばっている…と言うか直射日光を浴びると死の恐怖すら感じる、殺人的な暑さ!ホント、コロナと言い異常事態ですね。きっと、自分勝手な”人間”達が自然破壊等を繰り返して、地球の逆鱗に触れたんじゃないかと…先の見えないコロナにも、人間が試されているような気がしてなりません。とは言え、人間は生きて行かなきゃなんない。バカなこの国の指導者たちのお陰で、混迷するこの国の現状。責任逃れしかしない上、国民感情を無視した多額の税金の投入...私利私欲のために強引に踏み切ったGo to…今動くと、批判の的だからと言って出てこない安倍…こんな非常事態なのに臨時国会も開かない、国民を無視した与党の対応…全然意見の見えてこない野党…正直こんな奴らにこの国を任せておいていいのか?今こそ、抜本的にこの国のシステムを見直さないといけない気がする。この現状は紛れもなく”非常事態”。もう、経済も破綻しかけている現状…この現状を打破してくれる救世主は現れるのか?もう、国民一人一人が小さな声を上げ、それを集めて大きな力で国を動かさないといけない気がする…
Aug 15, 2020
コメント(0)
昨日は誕生日でした。相変わらず、仕事に追いまくられ何の変哲もない1日...(;^_^Aもう、51だよなぁ~色んな事を考えさせられる。残り時間が短いって焦りが募るばかりなんだけど。早く生活の基盤作らなきゃ!
Jul 31, 2020
コメント(0)
コロナの影響は仕事にかなり影響していた。正直、普通の営業じゃ成果なんて全然挙げられなかった。緊急事態宣言が解除後、少しは状況が変わったが、劇的な変化もなく、正直手を拱いていた。で、考えたことは…『形振り構ってられない!』ってこと。実行したのはプライドも捨て、今まで働いた職場に頭を下げて営業を掛けた。結果的にそれは直ぐに成果が出た。でも、どうしても躊躇していた元職場があった。それは約10年前に初めて介護業界で仕事をするきっかけになった会社。その会社は当時、創業間際で俺が最初の営業マンだった。その会社はヘルパーの資格は持っていたものの、業界の仕組みなど全く分かっていなかった俺に1から教えてくれた。特にお世話になったのは10歳年下の上司で、この方が業界に精通したかなりの切れ者。最初は二人で営業回りや新しい施設の立ち上げを通じて、沢山のことをその方から学んだ。その時間は確かに忙しかったが、本当に楽しくて毎日ワクワクしていた。10歳年下の上司とは言え、人しての器が違い過ぎると痛感したのもこの方だった。営業を回りながらも冗談を交えながら、色んな事を教えて頂いた。営業的にも優秀な方で、市場分析能力、戦略の立て方、攻めどころを把握し手上で引き際の潔さやどんな相手にも物おじせず、自分の主張は一切曲げず、自分の意見は通すところなどは絶対真似できないと痛感させられた。恐らく、長年営業の仕事をして色んな営業マンには出会ってきたが、ここまでバランスの取れた絶対に勝てない、いや、並ぶところにまでもすら届かないと思った人は居なかった。こういう人が会社を動かしていくんだと思ったし、俺は残念ながら歯車の一つでしか出来ないと思ったくらいだった。だが、その時間も終焉を迎える。ジョブローテーションで俺の次に入ってきた営業マンと職場を交換した際に、俺はそいつに迷惑を掛けないように、幾つか取れそうな案件を用意して引き継いだが、そいつが居た場所はそいつが荒らしていたとも言えるくらい、評判を落としていた。結局俺はその立て直しからの作業となった為、当然実績は挙げれない日が続いたが、対照的にそいつは俺が段取りしていた案件で実績を挙げていた。ある日、俺を嫌っていた常務から呼び出されて、数字を突き付けられて、営業失格の烙印を押された上で新しくできた施設のヘルパーとしての辞令を出された。屈辱的で、当然俺がやったプロセスなんかは見てくれない。結局、言い訳もできず、上司からもそのことをドラスティックに言われたため、喧嘩別れ的に退職を決意した。最終日、退職の手続きを済ませたら、常務から「創業時から頑張ってくれました」と心無い文言を言われたので、無言で会社を出た。それを上司が外まで追いかけてきてくれて、「今まで本当にありがとうございました」と言われて、固く握手された。複雑な気持ちだったが、上司にお世話になった数々のことは否めなかったし、そこで俺も「ありがとうございました」と言うのが精一杯で別れてしまった。俺はそれがずっと心のどこかで引っかかっていた。もう一度あの上司と一緒に仕事をしたいと思ったが、それは叶わない夢。でも、何か恩返しをしたいとずっと思い続けていた。で、今の仕事に就いて、この会社なら自信をもってもう一度上司と会えるんじゃないかと思っていたがやはり別れ方が良くなかったと心のどこかで蟠りを持っていた。しかし、今はそうも言ってられない状況。元の会社は創業時から順調に実績を重ねて、今や大阪市内に事務所を構える立派な会社になっている。更に、俺が昔電話を機主変したときに電話帳を移行したら何故か元上司の電話番号が消えていた。俺は元の職場に手がかりを見つけようと訪問したが、ダメで、当時勤めていた仲の良かった人たちのlineが残っている人に片っ端から連絡したが結局、元上司には繋がらなかった。で、諦めて本社の代表電話番号に玉砕覚悟で電話したが、手応えは無く、半ば門前払いだった。その時、俺は悪あがきで元上司の部下でしたと伝えていたのが、唯一の頼みの綱だった。だが、電話した翌日、元上司から携帯にショートメールが届いた。そこには、日時を指定してあって、元上司から電話を掛けてくれるという内容だった。当日、俺は電話を待った。掛かってきた懐かしい声。直ぐに何か空白の時間が埋まり、仕事の話をしつつ、少しだけ元上司に感謝の言葉を言って会う約束を取り付けた。で、その日が連休前の日だった。私はうちの上司と同行訪問して、指定された場所に伺った。我々は待ち合わせ時間より少し早く行き、元上司を待った。時間になり、元上司の姿を見たら当時と何も変わっていなかった。先ずは簡単な挨拶をした後、上司からプレゼンをしてもらい、そのご意見交換した。元上司から聞いた提案はうちにとって上出来すぎるほどの好条件。本当に有難かった。その後、元上司は当時の思い出話をうちの上司の前で話し始めた。奈良の施設の立ち上げ時に二人で1日多いときは200㎞位走りまわった話や、元上司の娘さんとうちの息子が偶然同い年だったので、仕事の合間に子育ての話をしたことや、うちの娘が当時写真に移る際、必ずしていたピースサインの話など、俺が忘れているような話までしてくれた。で、極めつけは俺が残していった最後に在籍した職場で見つけた俺の名刺を今でも大事に持っていてくれたこと。それを聞いた時は、正直涙がこぼれそうになった。その話をした上で、元上司は俺のことをずっと気にしていたと言ってくれ、会社が創成期で人を大事にしていなかったことを常務と反省しているとまで言われた。俺は「与えられた環境で、実績を付けれなかった俺の実力不足です。それは仕方ないと思ってます。」と言ったところ、「今考えても、あの環境で実績を挙げれなかったのは当然だと思っているし、自分でも無理だと思う」とまで言って頂いた上で謝罪された。俺は社交辞令だったとしても、その言葉で救われた気がした。それと同時に、『やっぱりこの人には敵わないや』って痛感した。その後、会社を出て、元上司が見送りに出てきてくれて、挨拶をして帰ろうとしたとき、再び呼び止められて、「〇〇さん、タバコ行きません?」と懐かしい言葉を聞いて、それから少し喫煙所で二人で思い出話を話した。
Jul 26, 2020
コメント(0)
嫁から離婚を切り出されてあれから2ヶ月が経とうとしている。俺の口座から嫁に関わる支払いを移管したりはしているが、一向に進まない家の売却。結局、お互い纏まった資金が無ければ家を出れないのに嫁は家の売却については及び腰。こちらから、不動産屋からの情報も絶えず教えているが、交渉の席に着こうとはしない。俺も事が事だけに、これ以上揉めたくないからあまり煮え切らない嫁を攻めることはしなかったがもう、2ヶ月経っているのに全然進展しないから流石に苛立った。俺が家に居たら、あからさまに「この家に居たらイライラする」とか直接俺には言わず、子供達に言ってるようにして、俺に聞こえるように言うし、俺が同じ部屋にいると能面のような顔で、無視する。それならば、家の売却の話を進めて、早く解散すればいい。それに、俺も家に帰ってもそんな嫁の姿を見なければいけないから、出来るだけ自分の部屋で過ごすようにはしていても苛立つし、仕事のストレスも相まってここ最近は身体に蚯蚓腫れが頻繁に出てかゆみが襲う。しかも、定期受診で糖尿病内科に行ったら数値が上がっていて、主治医から家でのストレスが指摘された。このままでは仕事にも支障をきたすし、正直身体が悲鳴を上げている。限界を超えているので、我慢できなくなって、嫁に話を切り出した。家を売却して推定手元にお互い残る具体的な金額を以前から示している。その話をしたら、先日嫁は取り敢えず借りて、その金額を渡すと言っていたが、俺が提示した額は結構纏まった金額。週4日、しかも半日しか働いていないパートの嫁に金を貸してくれる銀行なんて無い。それなのに同じことを言うので、「どこの銀行が信用のないお前に金を貸すんや?」と言うと「お兄ちゃんに…」嫁から出た甘え。そりゃ、嫁の兄は億万長者。それ位の金は何とも思わないだろう。しかし、嫁には前にも言ったが、金銭が発生するなら絶対に身内なんだからこの離婚問題に介入してくる筈。相手が億万長者なら優秀な弁護士を立てられて、俺がボロボロにされて終わり。それは以前にも嫁に説明した。しかし、嫁は「そんなことないわ」と言うので「悪いけど、それは甘えや。自分で何とかしようと思わないの?」「身内だから放っておくわけないやろ?しかもお金が発生するんやぞ!」「だから俺は不動産屋からの提案を教えたよね?」「売却が決まったら手付金を貰って3ヶ月の猶予を貰える。」「不動産屋も買い手が付いているから、それなりの条件は出すだろう」「そりゃ、子供のことを考えるとこの家を離れるのは可哀想と思うのは分かる」「でも、俺はいつまでお前の夢物語に付き合わなあかんねん?」「もう2ヶ月何も進んでいない」「しかも、離婚を切り出したのはお前」「俺は今まで言わなかったが、離婚を切り出してから入った5月の俺の給料を全部支払いに使って『そんなんもう無いわ』と当たり前のように言った言葉が信じられなかった。離婚を切り出したのがお前で、何でそんなことを平気な顔をして言えるのかって。」「常識疑ったわ」「俺は離婚が決まってからストレスに感じてたんじゃない。お前は数年前から俺が居るとずっと、鬱陶しい顔をしていた。その事は分かっていたよ。俺は正直この家に居場所は無いと思っていた。」「何か言うと、常に『金無い、金無い』って言ってたよな?」「それも苦痛で、いつしか俺は家計を一切手を付けず、少ない小遣いだけ貰って、自腹切っていた」「俺の部屋のクーラーが去年壊れても、家計は使わなかった。レンジを買い替えたのも俺がポイントをやりくりして買ったもの」「それでも、俺からは”離婚”は切り出さないって心に決めていた。」「それは俺が自律神経失調症になったことでお前に苦労掛けたことが否めないから」「でも、お前は”離婚”を切り出した。離婚って色んな事を清算しないといけないんちゃうか?」「俺も我慢の限界で、体が悲鳴を挙げている」「それなら、もっと具体的な金額で分割してそれを払うとかの提案が出来んか?」「悪いけど、お前はやっぱり”お嬢様”なんだよ」俺はもう感情を抑えきれなかった。そしたら、昨日嫁は金が用意できたから何処口座に入れたらいいと言い出した。昨日は日曜日。金融機関が閉まっているのに、どうせ親かお兄さんから借りたのだろうと思ったけどもう、面倒なので俺は敢えて詮索しなかった。
Jul 20, 2020
コメント(0)
離婚が決まってから、子供達とこれまでよりよく話すようになった。 特に反抗期真っただ中のももと話が出来ることは大きかった。 ももは数年前からMMD(ミクミクダンス)っていう、初音ミクなどのキャラクターを3Dで音楽に合わせてダンスさせるという、ソフトでアニメーションの作成にハマっている。 何処でこの情報を見つけたのか?4年生位の時、「私もPCが欲しい」と言い出したので、最初に古いVistaのOSが入ったノートPCを与えたが直ぐに、「重くて使い物にならない」って言いだして、そこで何をしたいかを聞いて、私が当時使っていたWindows10のノートPCを与えたところ、想像以上の動画を作って見せてきて、それには正直驚いた。 でも、ももはそれが凄いことだとは全然思ってなくて、ただ、ネットに落ちている他人が作ったものを組み合わせているだけと言う。 で、最近そのことについて色々話した。 「確かに他人が作ったものを組み合わせているだけかもしれないけど、出来上がった作品は唯一無二で、世の中には存在しないものを作り出しているんだよね?それはディレクターであって、立派なクリエーターだと俺は思うよ。その才能をお父さんはこれからも伸ばして欲しいな」 と言ったら、ももの表情は一変して明るく、照れくさそうに笑っていた。 「お父さんは頭の中にあるイメージを形にして見せれる人って凄いなって思うんだ。残念ながらお父さんにはその才能はない。でも、中高生の時、当時はPVが世の中に出始めた頃で、お父さんも音楽を聴いたら頭の中で明確なイメージの映像を作れることは出来たんだけど、当時はそれを形にする術を見つけられなくて、諦めたんだ。本当は映像を作る監督になりたかったって思いも有ったけど、誰にも言えなくてね…」 そう言うと、ももは「そうなん?」と少し興味を示した。 「うん。今の時代、PCは勿論、YouTubeもあるし、そんな環境は整っていて羨ましい位。でも、残念ながら、今のお父さんには昔出来たその能力的なものが、年取ったせいか?昔みたいに鮮明な映像では頭の中に現れないんだ。だから、今の時期にそういうことをしっかり身に着けて、将来的にはそういうことを仕事に出来るようになったら幸せじゃないのかな?」 と言ったら、あくまでもこれは趣味として楽しんでいるだけと言い張るもも。そんな大それたことじゃないと言う。 「じゃぁ~お父さんが例えばブログとかその作品を見てもらえるような環境を作ってあげるから、そこに作品への想いとかコメントを付けて試しに反響を見てみたら?もしかしたら、人生変わるかもよぉ~」 と言っても頑なに趣味の領域。私は普通の会社に就職して、趣味でやれたらいいと言う。 最近作ったももの作品を見せて貰ったけど、明らかに最初の頃よりレベルが段違いにUPしていた。 音楽に合わせて踊るキャラクターやその衣装、背景、カメラアングル…どれを取っても1つの作品として立派にその音楽の世界観が表現されている。 正直、趣味の領域で終わったら勿体ない。俺は結局、明確に本当にやりたかったことが今の仕事なのか?って後悔しても今更始まらないと思って、いつの頃か妥協してしまった。だから、ももにはそういう後悔はさせたくないって思ったんだけど、娘は誰かに似て頑固だから… でも、ももは… 「やっぱり、お父さんとは血の繋がった親子だよね!」 って言ってくれたことが、涙が出るほど嬉しかった。
Jul 9, 2020
コメント(0)
6月に入り、コロナの影響も少しずつ社会が緩和し始めたのと比例して、仕事も忙しくなりつつある。 俺は営業だから、コロナ騒ぎ関係なく外回りの営業をしてたから環境は大きく変わらないけど、停滞していた社会が動き出したのは肌で日々感じる。 確かに、コロナの影響は否めず、これまで考えなかったようなことを沢山考えて、理論武装。 なので、これまで経験したことのない位めっちゃ頭使ってる。 しかし、俺も50歳。昔のようなキレは悲しいかな低下しているのは実感。 ま、でも、この歳で役職も何の肩書が付いていない、今の環境って、結構身軽でその忙しさを楽しんでいる自分がいる。 『あ、ある意味俺、精神的なMなのかも?』 って自分で思って笑っている自分を客観的に見てる。 これも”年の功”なのかな? 『肩書』 これって、俺若い時から好きじゃないんだよねぇ~ 大学を卒業して最初に入った会社では2年目に”係長”って肩書が付いていた。 でも俺、上司に 「肩書のない名刺作っていいですか?」 って言って、肩書のない名刺を仕事で使ってた。 上司は 「海外で仕事をするときは肩書のない名刺だと仕事がやりにくいから、肩書のある名刺は絶対作れ!どうしてもって言うなら、2種類作れ!」 って言われたから、2種類の名刺を持っていた。 当時は24歳。 正直、俺は4流大学を出て入った会社は某上場企業の子会社で、高学歴の面々がゴロゴロ居た。その環境が窮屈で最初は劣等感を感じずには居られなかった。 でも、すんなり2年目に”係長”って肩書が付いた。俺の中では、『誰でも簡単に上がれるんだ』位にしか思ってなかったので、それを上司の前で口にしたとき怒られた。( ´艸`) ただ、”会社”という環境に身を置いてみて、”年功序列”で上に挙がった奴、”天下り”をしてきた上の奴、そんな奴がゴロゴロいる環境で、 『絶対、実力でのし上がってやる!』って、闘志むき出しだったかも? 話を戻すと肩書は俺が仕事上、当時の俺には”邪魔”なものだった。 向上心がある奴がなんで?って思うだろうが、実際、24歳の若造が客先と話す相手は決まって、年上の方。中には肩書のない方もいる。案外、肩書のない方に限って、その仕事のキーマンであったりとかする場合が往々にして多かった。恐らく、そういう方は実力の余り”出る杭は打たれた”方ってパターンが想像できた。 俺の考えはそういう人を相手に、24歳の若造が”係長”の肩書付けた名刺を配って、印象が良い筈があるわけないって実感した。 実際、「お幾つですか?お若いのに係長なんですね?」って言われたこともあった。 それって、俺にとっては営業として致命的だと思った。どう考えても、相手は「こんな若造が係長だって!お手並み拝見…」位にしか受け取られない。 なので、肩書の無い名刺が当時の俺にとっては必須アイテムだった。 じゃ~”肩書のある名刺”はどう使ったかって? 合コンで女の子に配ってました...( ´艸`)
Jun 27, 2020
コメント(0)
仕事はコロナの影響が少し落ち着いてきた兆しが見えだしたのに合わせて、毎日忙しい日々を送ってます。ただ、その忙しさも確かに肉体的にはしんどいこともあるのですが、『やっと、普通の営業ができる!』とワクワクしている自分が居ます...(;^ω^)うちの会社は出先で仕事する者は私も含めて、出勤&退勤はlineで報告する形を取っているんです。出先には事務所もないし、出勤する義務(そもそも、出勤するところが)は無いから、貸与されたクルマで直行直帰スタイルなので、通勤電車のストレスから解放されたことも大きいです。勿論、自己管理能力が問われますが、それは結果にも自ずと現れる気がするので、気は緩められません。また、会議も早くからzoomを利用してました。今の会社の働き方はとても自分に合っているんです。だから、少々忙しくても、家に仕事を持ち帰ってもあまり苦になりません。コロナ騒動で、恐らく今後色んな働き方のスタイルが変わるような気がします。基本、営業なので客先に出向かないと仕事は出来ないですが、最低限の無駄は省いてくれている今のスタイルに感謝しています。
Jun 21, 2020
コメント(0)
一昨日、会社の本部に行ってコロナの抗体検査を受けてきた。 結果は… 『陰性❣』 一安心! 4月から転職して、普通に仕事していて、電車に乗ったりもしていたから正直、心配だった。 でも、何か安心した。 ま、それにしても無料で受けさせてくれた今の会社に”感謝”
Jun 11, 2020
コメント(0)
今朝は早朝から旧居留地での撮影会のお誘いが有りましたので、朝?深夜1時に起きてしまった俺はそのまま、旧居留地へGo!Instagramに関東の方はイタリア街で撮影されているのを見て、羨ましいなぁ~と思っていたら関西の156仲間の方が旧居留地で撮影された写真を見て『俺も行きたい~!!』って、思っていたら今回お誘いを頂きました。静まり返った街に156はバエル!?その後はいつもの朝練会場へ移動!芦有に156集結です!!今回集まったのは10台!遠路はるばる、富山から参加の昨年のカート大会優勝者のあの方も約1年振りにお会いしました。で、料金所入ってすぐのところで集結していると、偶々通りかかった奈良の156乗りの方を”拉致”( ´艸`)芦有に初めて来られたそうなのですが、やはり156乗りはそういうのに”感じる”ものが有るんでしょうか?ある意味『NewType』なのか?(≧▽≦)しかし、展望台駐車場は我々が登った時はそれほどでもなかったですが、少し駄弁ってるとあっという間に色んな所から様々なクルマが集結!フェラーリ、マクラーレン、ランボルギーニのような超高級車から、新旧揃ったポルシェ、コルベットなどのアメ車、あ、コブラも居たな。ロータスとかマニアックな旧車等、さながら”大人のスーパーカーショー”でした。だって、我々が出る頃には駐車場溢れかえってましたもん!途中、”国家権力”の白黒パンダが見回りに来てましたが、お咎めなし。ここに集っていた方たちは空ぶかしなどする方もほとんど居らず、マナーの良い方たちでした。あぁ~今日も楽しかった!今日も楽しい時間を過ごさせて頂き、皆さん有難うございました。本当に皆さんはやっぱ、素敵な『アルフィスタ』です!
Jun 7, 2020
コメント(0)
緊急事態宣言が明けて、仕事が段々忙しくなってきた。昨日は朝一のお客様からの電話に始まり、二か所の駐車場の契約やら、億越え確実のM&Aの話とか、22歳の同じ営業の女の子のフォロー…etcまぁ~ホント忙しくてあちこちから電話は掛かってくるは、lineは入るは、メールも入るはと自分を見失うくらい忙しかった。なので、全然事務処理なんて出来なくて、家に帰ってやろうとしたら、激しい頭痛が…😢なので、11時くらいにいつのまにか寝てて、3時過ぎに起きて仕事してた。確かにしんどいけど、久しぶりに仕事で億越えの話が出来て、めっちゃ頭使うけど、そのことにワクワクしている俺はやっぱ、”変態”なのか?...(;^ω^)しかし、昨日は暑かったぁ~流石にいきなり30度越えはやめてくれぇ~ただでさえ、思考能力が低下しているのに暑さが追い打ちをかける!50歳のオッサン奮闘してますが、体力の衰えは否めない…( ;∀;)まぁ~でも、自分のキャパをoverするような仕事はあかんわな~多少、忌々しい過去の記憶が蘇るが、仕事自体にストレスは感じてないから大丈夫…か?ま、昔と違うのは相手をリスペクト出来る自分が居る。やっぱ、『餅は餅屋…』って素直に思うし、自分のスキルの限界も昔と違って見極めている。仕事上で、『喧嘩上等!』『出る杭?打てるもんなら打ってみろ!』くらいに思っていた、キレッツ、キレだったあの頃とは違う。それって、やっぱ、”歳を重ねた”ってことなんだろうなぁ~って最近しみじみ思う。今まで苦労したけど、”ちょっとは”無駄ではなかったんだと…信じてもいいよネ❕
Jun 5, 2020
コメント(0)
昨日は6月1日でした。何か、一気に街が動き出した感じです。クルマも交通量が増え、街にも人が戻ってきた。4月から昼間は普通に仕事していた俺にとって、その光景は未だ”やや怖い!”第二波、第三波、起きませんように…
Jun 2, 2020
コメント(0)
4月に受けた車検の時に、某ショップで指摘されたカムカバーパッキンからのオイル漏れ等を誤魔化す為、オイルを5W-40から、10Wー40に変えて約2か月経過しました。オイル漏れはあれから治まっている感じ。4月にエンジンのアンダーカバーが割れて、そのままにしているけど、オイルが垂れた形跡もない。それに、大きな違いはマフラーから出るカーボンだ。いつも、満タンに給油して少なくなってきたタイミングで、給油と同時に洗車してきたが、びっくりするほど今は治まっている。リヤバンパーなんて真っ黒で、洗車するときは一番最後に拭き取っていたけど、多少は汚れる程度までに落ち着いた。156の集まりで知り合った整備士の方から、JTSの標準オイルは10W-50と聞いて、俺は10W-40と勘違いしてたなって思ったくらいだったんだけど、やっぱり、燃焼の関係で5W-40は柔らか過ぎるんだと実感しました。「エンジンが回らなくなるから、5W-40がいいよ!」確かにそうかもしれません。だけど、本当に車を”維持”していく上では、本当に大事なものは何か?と言う事が少し自分ながらに分かった気がしました。alfa romeo156はデビューからもう、20年も経過したクルマです。確かに、”走り”を求める考え方もそうかもしれませんが、俺は少しでもコンディションを維持して少しでも長く乗っていきたいと思ってます。それほど、この車に惚れました。本当にalfaの”毒牙”にやられていると思います。( ´艸`)だから、俺は”現状維持”かもしれませんが、このクルマを大切に乗ろうと思ってます。人それぞれ、クルマを楽しむ術は沢山あると思います。それはきっと、人それぞれの”価値観の違い”だと思ってます。ただ単に、街乗りするだけで、『楽しい❣』って思えるクルマなんて素敵だと思いません?今まで12台のクルマを乗り継いできましたが、俺をそこまで思わせるクルマは正直、コイツが初めてなんです。リスク承知で、お金が無いからヤフオクで安いワゴンを探していて偶々見つけたこのalfa。30万円程で落札して、『まぁ~aldaなら壊れてもしゃ~ないから…』的な感覚で乗り始めましたが、このクルマの魅力に取りつかれた素敵な方々に出逢わせくれたきっかけも作ってくれたし、ただ単にクルマだけの魅力だけではなく、そこに集う人達との繋がりまで与えてくれたこのクルマには本当に感謝しています。本当にこのクルマの魅力って”理屈”じゃ語れないんだよね!『アルフィスタ』素敵ないい名です...
May 31, 2020
コメント(0)
昨日会社で営業車を貰いました。その車が、mira e:Sでした。そう、あのエコカーとして登場したヤツです。うちの会社の営業車は基本中古車。なので、車種もバラバラ。でも、どうせ”足”なんだから、中古で十分だし、新車をリースするより全然いいんじゃない?で、営業車なのに、何故かボディカラーは”黒”…( ̄▽ ̄;)しかも、ドアノブがゴールドって!内装も本物かどうか分からんMOMOのステアリングになってました。( ´艸`)ホイールも社外品履いてたし…( ̄▽ ̄;)ただ、驚いたことに、うちのalfaより全然いいナビが付いてました。引き取って帰りに約60㎞程、高速も含めて乗りましたが、案外いい!ま、頑張って踏み込んでも制限速度若干+αしか出ませんでしたが…( ̄▽ ̄;)でも、こいつに付いてたアイドリングストップ昨日は、意外にスタート時の違和感を感じなかった。俺、昔乗ったアイドリングストップの付いた車で、気に入らんかったから…なので、街乗りなんて全然OK!何か、良いおもちゃを貰った子供のような気分です~( ´艸`)
May 30, 2020
コメント(0)
最近、ずっと朝4時ごろに目覚めるから、今の時期の早朝の静けさや澄んだ空気、そして少し冷たい風が好き。仕事、家の問題、親のこと...現実は問題山積みで、四面楚歌の俺だけど、何かホッと一息付けて自分に戻れるささやかな時間。ちょっと、空を見上げて、深呼吸してリセット!でも…『生きているんだ‼』と感じられるだけ、昔とは全然違う今の俺の精神状態。強くなったのか?ま、今は前を向くだけ。さて、今日も頑張りますかぁ~
May 28, 2020
コメント(0)
悲しい事件が起きてしまいました。木村 花さんの死…度々、今まで言われてきたSNS等の誹謗中傷。私も同じ経験がある。まさに、このブログで誹謗中傷を受けたことがあるし、顔の分かる高校時代の奴らからもSNSで馬鹿にされた。このブログで誹謗中傷を受けたときは本当に怖かった。とある日記に書きこまれた、心無いコメント。ここは俺にとって、言葉に出来ない心の叫びを吐き出す場。それを全面的に否定されるものだった。当然、誰がアクセスするかもしれないところに、そんなことを書く奴が間違いだと言われればそうかもしれない。だけど、自分にはここがもう20年近くも書き綴っている場なので、長年読んで下さる方も居るしリアルに逢ったことがないけど、温かい言葉を掛けて下さる方もいる。俺は正直弱い人間。その言葉に励まされて生きてきたことも事実だし、いろんな意見に共感できる喜びを知ったからここでしか繋がっていない人達との関係を断つことは嫌だった。最初は日々のアクセスが増えるのが嬉しかった。だが、既にアクセスは累計170万アクセスも超えていて、今では日記を書けば1日1,000アクセス前後、書かなくても500アクセス前後はある。ある意味、ここは大きくなり過ぎたのかもしれない。だから、そう言うリスクもあるのは分かっている。ならば、コメント欄の書き込みを禁止することも考えたが、やはり昔馴染みの方からのコメントは欲しい。それって、誹謗中傷に恐れながらすることなのかな?と正直思ったこともある。SNSで俺のことを馬鹿にして、晒しものにしていた奴らとは縁を切った。周囲からは「どうして?そこまでしなくても?」と言われたが、その人達も誹謗中傷を受けた側の気持ちは分かっていないと思った。最近の日記にも書いたように、その人の苦しみ何かやっぱり、その人にしか分からないものがある。だから、今回の木村 花さんの場合は想像を絶するものだと思う。毎日、数百件の誹謗中傷を受けていたら、誰だっておかしくなる。しかも、未だ彼女は22歳。幾ら、著名人だとは言え、それは余りにも辛いことだと思う。少し前、きゃりーぱみゅぱみゅさんが政治的な発言をしたとき、「お前が政治を語るな!」などと言っている輩が居た。今回の件で、彼女もコメントしているように、芸能人だって一人の人間なんです。だが、政治家は別!その職に携わって、この国の行方背負う責任を負っている。その責任があるから、間違った方向に行けば、世論は反応して当然!それは、誹謗中傷とは違う。今回の一連のコロナ騒動での後手後手の対応、それに乗じて黒川検事長の定年延長問題。この国を私物化し用としている奴らは許せない!言葉には”言霊”と言って魂が宿っていると思う。時には言葉は人を幸せにすることもあるが、凶器になることだってある。そのことを少しでも多くの人に今一度理解して欲しい…改めて、木村 花さんのご冥福をお祈りいたします。
May 25, 2020
コメント(0)
数年振りにももと二人でデートしてきました。ここ数年はももが反抗期で一緒に出掛けてもくれませんでしたが、今回の1件でももの気持ちが少し弱っていると感じたので、数日前、仕事の昼休みで入った営業再開したポムの樹で食べたオムライスの画像をももに送ったら、「食べたぁ~い!」って返信が帰ってきました。俺にしてはまさかのリアクション。で、週末土日でももの都合を聞いて今日出掛けることにしました。超久しぶりにももと二人でクルマに乗ったら、ももはやや緊張気味。出来るだけ、話をして今までと変わらないように接してやりました。ポムの樹に着くと、ソーシャルディスタンスのせいで座席制限があるので、少し店外で待ちました。ももは沢山あるオムライスのバリエーションに驚いて、結構悩んでました…( ´艸`)「私、優柔不断やねん」と言うので、「その優柔不断も俺譲りやな!」って、お互い笑ってました。ももは最近食欲ないって言ってたので気になっていたけど、シッカリ完食!クルマの中でその理由はやっぱり離婚?ってきいたら、それもあるって言ってたので正直、気になってました。で、そのあと、ちょっとだけ、気分転換に六甲山に登って、景色を見ながらマスクを外して深呼吸!久し振りに、ももの屈託のない笑顔が見れて幸せな気分になりました。
May 24, 2020
コメント(0)
離婚問題発覚後、子供達は俺に対して普通に接してくれている。でも、無理してんのかなぁ~なんてことも思いながら…土曜日の朝、リビングでぼんやりしていると、子供達が各々の部屋から降りてきたので他愛のない話をいつも通りした。丁度、嫁もシフト変更で仕事に行っていたので、子供達をゆっくり話せた。休日の当たり前のような日常...もう、気軽にできないことなんだろうなぁ~って思うと、確かに辛い。でも、俺も明るい未来を信じて、前を向こう!
May 24, 2020
コメント(0)
給料日だった。今後の生活も気になるので、未だ受け取ってないメインバンクの通帳やカードを返してもらおうとしたら、「今月の給料はすでに支払いに使って、何も残ってないよ」と当たり前のように言った。『離婚を切り出した奴がどこまで厚かましいねん!』と思ったが、金のことでもめたくないし、精神的にしんどいので声を荒げず、嫁に家の売却をどうするかと問うと、未だ義理の兄に話していないという。俺も子供たちのことがあるから、無理強いはしないけど、こんなことは言いたくないが、俺も将来のことを見据えて、纏まった金が欲しいし、新しい生活の基盤を作るためにはある程度の金が要るからと言うと嫁は「お母さんの抗ガン治療が半年続くから今は離婚のことを知られたくない」と言い出す。『事情は分かるけど、何処まで自分勝手なんや!』と思ったが、私も疲れているので、「俺は出ていかないといけない、でもお金は無い。どうしたらいいの?」と聞くと、「家のローンだって500万位しか払ってないやん!」という言葉に流石に我慢できなかった。ここに住んで15年ローンを支払い続けて、そんなわけはないし、俺が詳細は調べなかったが概算で見積もっても15年で1200万円は支払っている計算だった。「そんなに言うのなら、俺は平日行けないから銀行に行って調べてよ」って言うと、「だって、ローンを支払ってない期間も有ったし…」と言い出した。そんなことは初耳だし、確かにローンの支払いは俺が昔銀行に行ってローンの延長をできる期間を最長まで伸ばしてもらったことは有って、月々の返済額は下げて貰ったけど、支払ってない記憶はない。「そんなことないやん!」って言うと、「取り敢えず、お金が要るなら給付金持っていったらええやん」といつ入ってくるかも分からない給付金のことを言い出し、「今、鳥焼いてるときにそんなこと言われても…」とか、自分勝手な言い訳をしだしたので、「自分がカードの口座変更するから晩御飯は適当にカップラーメンでも食べてって言うのになんやねん!」とキレて、残務作業も有ったから自分の部屋に籠った。それから1時間位して嫁が泣きながら、「ごめん。私も一杯一杯やねん...」と言って、今までの支払いを計算したらやはり1200万円ほどあったと言ってきた。もう、嫁がいくら泣いて訴えてきても俺には何も響かった。
May 21, 2020
コメント(0)
プライベートは正直、八方塞がりで無茶苦茶だけど、仕事をしているときは自分らしさ忘れずに仕事に没頭している。本当に今の仕事に出会ったことが、今の俺にとって唯一の”救い”。しかし、家に戻れば否が応でも現実に引き戻されて、山積した問題の多さに逃げ出したくなる。1つ1う解決しないといけないとは頭で思っていても、”現実逃避”したいのか?中々手を付けられずにいる。『ゴールが見えかけては遠のく...』親のこと、家の事...もう、そんな無限ループがここ何年も続いていて、一人で抱えて、一杯一杯になったらメンタルが崩れ抗うつ剤の頓服投入...そんなことで良いのかな…正直、うんざりしているけど、悲しいかな、こうして生きながらえている。でも、確かに、昔よりは随分強くなった。それは実感している。クソみたいなお袋は散々手を煩わして、勝手にボケやがって…体裁だけを繕い、そのお袋にいい顔をして満足しているクソみたいな弟は相変わらず何もしない。正直、これが”肉親”だと思うとヘドが出る。俺が去年の夏ごろからちゃんと睡眠がとれないのも、そんなことがあるからなのかな…『俺の人生って何なのか?』そんな事、自問自答しても実際何も解決しない。深夜にふと目が覚めて、静かな夜に音楽を聴いたり、見もしないTVを付けて、物思いに耽って現実逃避している僅かな時間が、結局心地よくて、自分が自分でいられる時間なのか…ある意味、その僅かな時間で自分を取り戻しているのか…結局、俺”愛情”に飢えてるんだよね...本当の”愛情”って俺が求めていいのか?もう一度、そんな機会がやってくるのか?人の温かさに触れて、その優しさで包んでもらいたい…
May 20, 2020
コメント(0)
昨日は別居の為の家を探しに出掛けてました。突き付けられる現実…安月給で、養育費支払うとやっぱり厳しい…ただ、2軒目に回った不動産屋さんの営業の25歳のお兄さんが良い人で、親身になってこちらの条件に合う物件を色々探してくれました。仕事とは言え、親身になってくれた対応が心に浸みました。俺、やっぱ弱ってるな…で、帰宅後、嫁と話し合いました。出来るだけ冷静を保って、言い争いにならないように心掛けて話し合いました。今の家の査定も取敢えず1社出たのでそのことも話し、幸いオーバーローンにはならず、売買差益である程度の纏まったお金が手元に入ることも伝えました。しかし、嫁はこの家にやはり拘りがあり、手放したくない様子。だが、私もこの先のことを考えたら纏まったお金は欲しいのでそこは退かなかったら、嫁は「お兄ちゃんに買って貰おうかな…」と。完全に忘れた!義理の兄は某食品メーカーの役員で、東京のタワーマンションに住んでいて、しかも、高級なタワーマンションをここ数年で売買しながら転々としているような方。今は確か都内のウォーターフロントに住んでいる。今まで余りそういう素振りを見せなかったけど、先日も久し振りに自分のクルマが欲しくなったからとポルシェのカイエンを新車でポンとキャッシュで買っちゃうような方。息子が数年前に沖縄旅行に連れて行ってもらって、豪遊させてもらったらしいし、息子が言うには資産は軽く億越えだとか…( ̄▽ ̄;)要は別世界の方。仕事の話をしたら、熱く語るような、”島耕作”を地で行くような方。正直、格の違いを見せられてた。昔、東京に行った時に嫁と食事に誘って頂いたが、バツイチだがしっかりと女性を連れて来て独身生活を謳歌しているような方だ。だから、『買って貰う』と言う話は現実味を帯びている。しかし、この方が離婚問題に介入されて弁護士でも立てられたら、俺なんかけちょんけちょんにされそう!また、悩みが増えたな…ま、とは言え、俺が取敢えず別居することで話は落ち着いた。それだけでも”成果”かな…
May 18, 2020
コメント(2)
もう、この家に俺の”居場所”は無い…その思いは消せなかった。家に居ても、落ち着かない状態は長い間感じてたけど、嫁の言葉でそれを決定的なものにした。そこで出た俺の結論は…『別居』これしかなかった。離婚は取り敢えず、子供のこともあるからよく話し合わないといけないし、自分の”居場所”を確保しようと思った。午前中、病院と整骨院に行って帰ってきたら、嫁は居なかった。なので、丁度いい機会だと思って、子供達に別居することを話した。しゅんは、『勝手にすれば...』って感じだった。ももは、俺の話を真剣に聞いてくれて、ボロボロ泣きながら、「お父さんの気持ちはよく分かるよ。だから止められない…」と言ってくれた。ももには、何度も「いくら離れ離れになっても、俺はもものお父さんだし、絶対に忘れないから。 いつでも困ったら相談に乗るし、いつでも迎えに来るし…」必死でももを安心させようといっぱい話したが、俺も涙を堪えきれなかった。ももはここ2年位反抗期が始まって、俺を避けていたが、やっぱり心の根の優しいところは小さな時のもものままだった。それが分かっただけでも嬉しかった。俺が別居を決断した理由はもう一つある。それは会社のクルマを近所の駐車場に置くために、近々契約するつもりだった。今、それも危ういので、急いだんだ。色んな事が目まぐるしく動き出して、頭が混乱しているけど、何とか乗り切ろう...
May 17, 2020
コメント(0)
帰宅後、嫁と喧嘩。今回は子供たちがいる前で、嫁の口から『離婚』という言葉が出てきた。嫁に俺の思いは分からない。何度話しても、俺の言葉に自分の主張を重ねてきて、一向に聞く素振りを見せない。お互いの主張は平行線。見兼ねたしゆんが話に割って入る。俺はそれで少し冷静になれて、今まで話さなかった心の内を子供たちがいる前で話した。しゅんは黙って俺の話を聞いてくれた。しゅんは、「これから、こういう話をするとき俺を間に入れてくれ…」正直その言葉に救われた。俺は病気になった原因、俺が過去にやってきた仕事のこと、辞めた理由、そして子供たちへの思いを淡々と話した。しゅんは薄っすら、涙を浮かべて、「なんでもっと早く言ってくれなかったん?」と言った。俺は、『こいつ、成長したな…』と心の底から嬉しかった。ももは最初は「目が痒い…」と涙を堪えていたが、俺がももへの思いをちゃんと伝えたら、ポロポロと涙をこぼした。もう、正直、嫁との関係修復は無理かもしれない。でも、そんなことはもういい。子ども達が、俺を受け入れてくれて、ちゃんと俺の話を聞いてくれただけでも幸せだった。何か清々しいくらいの達成感と安堵に包まれ、幸せな気分になった。子ども達に、「俺は正直お前たちが誇れるような、親父じゃない。はっきり言って”親”失格だと思う。でも、お前たちを思う気持は誰にも負けない。俺はお前たちが俺のような苦しみを味わってほしくないんだ。少なからずとも、俺の血を受継ぐお前たちがそうならないかといつも危惧している。しゅんもももも、若い頃の俺の性格に似ている。嬉しい反面、怖くもあるんだ。しゅんの怖いもの知らずの性格。正直、俺の若い時以上。それは、豪快なじいちゃん(嫁のお父さん)の血が更に加わっているのかもしれない。きっと、これから将来、男だから社会に出て沢山の壁にぶち当たるだろう。俺は馬鹿だから正面からぶつかっていった。俺の仕事スケールが大きくなるほど、そのステージが上がる毎にその壁はとてつもなく大きなものになって結局、自分を過信していた俺は越えられなかった。だから、しゅんには必ず逃げ道を作っていてほしい。逃げていいんだ。その時自分を見失わないでほしい。ももは本当に俺が15歳くらいから18歳くらいの時に持っていた感性に凄く似ているものを持っている。俺は当時、自分が表現したいことを形にするすべを見つけられなくて、断念した。ももは今の時代って言う事もあるけど、今やっている動画の作成の世界観はももにしか出来ない唯一無二の素敵な感性。それを形に出来てちゃんと表現できることは本当に素晴らしいことなんだ。ももは未だ12歳。そんな歳で、心の中にあるものを視覚的に伝える術をもうすでに身に着けてることはとても凄いことなんだ。だから今後もその感性を伸ばして欲しい。悲しいかな俺はそれが羨ましいと思っても、この歳になったら、当時持っていた感性も消えてしまって、表現したいけど今の俺じゃできないんだ。ももが今やっていることは十分自分の仕事としてやっていける可能性は持っている。だから、その感性を大事にして欲しい。」そんな思いを子供たちにちゃんと自分言葉で伝えた。俺、何か自分の中で凄い達成感だった。嫁との喧嘩で始まり、子ども達に思いを伝えた、時間は約4時間。気が付いたらあっという間に過ぎていた。そんな俺の思いを伝えだした頃、嫁は聞きたくなかったのか?知らぬ間に部屋を出て行っていた。きっと、どんなに話し合っても嫁とはもう交わる点は恐らくない。嫁に言いたいことも分かるが、俺の言い分を嫁は全く聞こうとしない。正直、もう疲れた...例え離婚しても、俺は今の想いを子供たちに伝えられただけで幸せ。ホント、子ども達が俺の話を漏らさず、しっかり受け止めてくれたことが嬉しかった。『ありがとう』
May 15, 2020
コメント(2)
このド派手な時計…年甲斐もなくヤフオクで安かったので、思わずポチっちゃいました。(;^ω^)この時計は数年前に発売された、G-SHOCKのアイアンマンモデル。当時、一目惚れでした。でも、海外モデルだったので、気が付いた時には売ってなくて、ヤフオクで物色していたけど、高騰してたので、断念してました。俺は普段使いするから、中古でOK❣何か、力みなぎってきたぁ~( ´艸`)早速、仕事に付けていこうとしたら、しゅんに「その格好に合わん!」と突っ込まれながらも、衝動を抑えきれず、仕事でも使ってます。新品なら↓CASIO カシオ G-SHOCK Gショック ジーショック GA-110CS-4A海外モデル 腕時計 メンズ 時計 防水 カジュアル アナログ アナデジ クレイジーカラーズ 赤 金 レッド ゴールド ビックフェイス 商品到着後レビューを書いて3年保証 誕生日 男性 父の日 ギフト プレゼント中古なら↓【中古】CASIO カシオ G-SHOCK GA-110CS アイアンマン 赤 金[240010284500]
May 14, 2020
コメント(0)
GWはゴミ屋敷と化した、実家の片付けで終わった。その時出てきた、中学から高校時代の約3年間付き合った彼女がくれた手紙の山。何通あるのか?ちゃんと数えてないけど、相当数出てきた。多分、俺が彼女のことを忘れられなくて、捨てられなかったんだと思う。彼女との出会いは中学二年生の時だった。同じクラスになって、教室に生徒のフルネームが書かれた大きな貼り紙を何となく見ていると、当時流行っていた漫画のタイトルと同じ名前を見つけた。どんな子だろうって、見ると小柄な可愛い女の子だった。それから、何となく彼女を意識していたが、中々接点もなくて...そんな日々が続いて迎えたバレンタインデー。まさかと思ったけど、その彼女からチョコレートを貰った。ちゃんと、「ありがとう」を言う前に彼女は照れていたのか?走り去った。で、友人たちにも「絶対告白しろ!」って後押しされて、ホワイトデーにお返しして、彼女と付き合いが始まった。高校へ進学の時、お互い担任から言われた、合格圏の高校は違っていたけど、二人でちょうど中間のレベルにあった高校を受験して、それが叶い同じ高校に入学した。しかし、彼女は高校で学年1位2位を争うような”可愛い子”と称され、中学の卒業アルバムを見た他校の男子からも家に電話が掛かってくるほど注目が集まっていた。彼女はバレー部、そして俺は陸上部に入り、過ごしていたけど、それぞれの友人との関係が楽しくなっていたことと、彼女が有名になるほど何か俺の手の届かないところに行ってしまったような感じもあって結局、高2で別れてしまった。チラッと何通か読んだけど、その時の思いが溢れる手紙だった。メールも携帯もスマホもない時代の話...手紙のやり取り何て、今じゃ考えられなかったけど、何かあの時代はあの時代で、素敵な時間だったんだなぁ~って思った。今じゃ、lineや色んなコミュニケーションツールで繋がりあえる時代。思いを手紙に託すなんて、今の時代じゃ”ダサい”のかもしれないけど、思いを文章に託すって当時はそれしかすべがなかったとはいえ、そのエネルギーは凄いものだったんだろうなぁ~ってしみじみ思った。同時に俺が当時、カメラにハマっていたこともあり、彼女の写真も出てきた。今見返しても、俺には勿体ないくらいの素敵な彼女でした...
May 11, 2020
コメント(0)
この自粛ムードのGWを利用して、ゴミ屋敷と化した実家の片付けをしている。実家は俺が20歳のころに引っ越したからもう、約30年になる。俺は大学卒業後、働きだして徐々に忙しくなり始めて、25歳の時には全国時には海外まで出張に行くほど多忙だった。そんな中、うちの両親ときたら夜遅くまでTVを見て騒いでいた。それが、かなりストレスで、当時はそこそこ年収もあったので、親には黙って一人暮らしを画策していた。そんな時に阪神大震災があり、実家は三宮だったので半壊の判断が出て、約半年住めなかった。その間、俺は会社から独身寮を与えられ、家を出た。震災後、仕事の忙しさは更に増し、お袋が度々帰ってこいと連絡があったが、絶対に嫌だった。独房のような独身寮の部屋だったけど、実家に帰るよりはずっとマシだった。震災後、食料品などを大量に購入して避難所生活をしている両親に毎週末大渋滞の中、クルマで片道7,8時間掛けて持って行っていたが、何度か行ったときにお袋から、「あんたに私らの苦しみは分からへん!」と罵倒されたことが、苛立ち、更に両親との溝を深めたからだ。当時、俺の中では葛藤があった。大好きな神戸の街がこんな状況なのに、俺は少し離れた大阪で何事も無かったような日常が当たり前のような場所に居ても良いのか?本当は仕事を辞めて、ボランティアでいいので神戸で何か自分で出来ることを見つけてやりたかった。しかし、弟も当時春から社会人だったが、家族全員で反対した大学時代に過ごした個人経営のバイト先にそのまま就職したし、親父の店は同じく半壊だったから開店できないし、まともな収入源を持っているのは俺だけだったのでそれに踏み切れなかった。俺は結婚するまでの約4年間、独身寮で暮らした。結局、震災から実家では生活をしていない。実家は弟も仕事のベースが出来て出ていき、両親だけ住んでいた。結婚して、子供が出来たくらいから度々実家に行っていたが、物が捨てれないのか、部屋の中に物が溢れていて、俺が使っていた部屋はゴミ置き場のように物を隠すように使われていた。で、約5年前に親父が大動脈解離で倒れ入院生活を送り出して、お袋が一人なのでゴミ屋敷化は加速しTVに出てくるところまではいかないが、業者を呼ぶか悩んでしまうレベルまでのゴミ屋敷となった。お袋も圧迫骨折を繰り返して、病院と施設を行ったり来たりして、約2年前から実家には誰も住んでいない。しかし、いつお袋が退院するか分からなかったので、空家賃を払い続けていた。だが、俺がこれまで金策に走り回っていたが、唯一の親父の保険金も底をつき、自営業だった両親は国民年金しかないため、仕方なく3月にお袋の生活保護の申請を出した。それで、役所から言われたのが、実家の処分。お袋の認知も進んでいるので、実家での一人暮らしは出来ないだろうから、半年を目途に実家を処分して施設に入れるよう勧められたからだ。実際、家族総出で片付けに行っているが、一向に先が見えない状態。お袋は死ぬまで俺に迷惑をかけるつもりだ。負の遺産ばかり残しやがって、当の本人は金に汚いから還付金詐欺に騙されて、ただでさえ金が無いのにキャッシュカードを渡して、馬鹿だから暗証番号を教えて、口座からゴッソリ金を抜かれてから俺に泣きついてくるし…自分は好き勝手して、ボケやがって!おまけに弟は『忙しい、忙しい』と言って一切何もしないくせに、親父の葬儀では費用が高いと、一銭も出してないのに言いやがる。今回の実家の処分の件も話したが、一切手伝おうとしない。正直、俺はお袋が早く死ねばいいのにと心から思っている…
May 6, 2020
コメント(0)
今回のコロナ問題。言いたくないけど、トップに立つ奴の不甲斐なさが露呈している。こういう非常事態に毅然とした態度で、早い対応を取らなければ、被害は広がる一方!現に沢山の方が亡くなっているこの現状を見ても、自分を正当化するために馬鹿丸出しのあんな小さな”不良品のアベノマスク”着けて、人前に出る。完全に国民をなめているとしか思えない!前にも書いたが、そもそも春節の時に大量の中国人を入国させて私腹を肥やそうとしたことが、大きな過ち。その結果、亡くならくてもよかった人の命が、たくさん奪われた。これは明らかに、『人災』だ。それに比べ、本当に頑張っている自治体のリーダは自分たちがやれる範囲で実家りやろうとしている。大阪の吉村知事はじめ、いち早く給付金の10万円を配ろうと努力している小さな市町村もあるし、今、ここで求められるのは本当の意味での『リーダーの資質』それは上に立つ奴の気構えではっきりわかる。判断能力、危機管理能力、そういったものが問われる立場の人間がホント何やってんだ!会社もそうでしょ!上に行くほど、ギャランティは上がるが同時に責任は重くなる。それが世の常。会社はその責任の重さに合わせてギャランティが決まるんじゃ?じゃ~思えらは何なん?選挙の時だけペコペコしやがって!高い税金を搾取して、高い給料もらって、国会議員の皆さんは何とも思わないんだろうね。だって、自分の腹は痛まないんだもん!特に与党のお前ら、世襲でなった安倍晋三以下国民に頭下げて回れや!もういい加減、世襲制度何て甘えた政治家は辞めさせたら?毎日、毎日安倍の下らん演説見るたびにヘドが出るわ!
May 5, 2020
コメント(0)
Stay Home皆さんはどうお過ごしですか?家に籠っていても、ストレス溜まるし~で、昨日の夕方、今年初の”一人ビアガーデン”を開催しました~( ´艸`)急遽、思い立ったので、あては家にあったストック食糧。…(;^ω^)で、その中でもおススメはこれ↓スモーク牡蠣のオイル漬けです!最近、業スーにはまってて、何か気になるものをチョイスして買ってます。これもその一つ。牡蠣がいい感じにスモークされていて、臭みは全くなく、牡蠣が苦手な人でも全然いけると思います。それに、アウトドアでも気軽に食べれるし、お洒落でしょ?( ´艸`)このシリーズはホタテもあって、これもおススメです❣これで、確か200円前後でしたからコスパ最高!!旦那さんや彼氏に、これをさらに移し替えて出したら、きっと、出来るヤツ!って思われるんじゃないかな?酒のあてにこれを出されたら、個人的には思っちゃいます。で、スイッチが入って、『今夜は飲むぞ!』ってモードが発動!で、これを準備。↓少し前にも紹介したかな?去年の夏、奄美大島へ行った時に見つけて買ったお酒。炭酸で割るのがおススメだけど、昨夜はあえてストレートで原酒の味わいを楽しみました。やばい位美味過ぎて、残ってたお酒全部飲んじゃった…ネットでも帰るけど、どうせなら現地に行って買いたい!!!でも、今年の夏も暑いみたいだから、少し涼しいときに行きたいなぁ~お陰で、この後爆睡したのは言うまでもありません…(;^ω^)素敵な家呑みを満喫できましたぁ~果実酒 奄美たんかん酒 黒糖焼酎で仕込んだたんかんのお酒 12度/720ml 箱入 ギフト 母の日 父の日
May 3, 2020
コメント(0)
昨日、先週、営業の新人教育の一環で同行した22歳の女の子からlineが入っていた。どうやら、私と同行訪問した先から紹介の連絡があり、無料体験までこじつけたようだ。それが、自分のことの様に嬉しかったんだよね。実は元々、彼女の教育についての会議に私も新人ながら参加させてもらっていた。で、彼女を見る立場の管理者が余りにも不甲斐無かった。色々ヒントをその管理者に出してみたが、糠に釘状態。私は越権行為だとは分かっていたけど、そう上司に断って、「私に暫く彼女の教育担当をやらせてください」と、申し出たが、上司からはそれは出来ないと言われていた。ただ、その会議では結論が出ず、翌日もう一度同じメンバーで集まって会議をしてそこで決まった内容をその次の会議で彼女も同席して発表するというスケジュールになっていた。しかし、翌日もその管理者は不甲斐なさを露呈。実はその日の昼にその管理者から私に彼女の教育方針について教えて欲しいとlineが入っていたのでそいつが会議の席で言う内容の答えを求めてきたとはすぐに分かったけど、丁寧に自分なりの考えをまとめて、まぁまぁ長文の返信をしたが、その返信は全く理解していない内容だったので、再度更に長い長文で返したが、やはり、頓珍漢な答えが返ってきていた。それなのに、結局私がアドバイスをした内容を少しも振れずに発言して撃沈していた。結局、上司も遂に堪忍袋の緒が切れて、「もういい、彼女を呼んでこい!」と言って彼女を会議の席に呼んだ。しかし、そういう席には不慣れな彼女が緊張しているのは直ぐに分かった。で、結局、上司から「申し訳ないけど三日間お願いいたします」と言うことで、俺が彼女と同行して、営業を教えることになった。彼女の前職は看護師で、営業は未経験。思い切ったキャリアチェンジだった。だから、同時期にしかも同時仕事で入社した縁もあって、担当エリアは違うけどフォローしてやらないとって、思っていたら、研修期間の三日目で彼女からlineを教えて欲しいと言われそれからやり取りを続けてきた。私が彼女のお父さんと同い年と言うことも有ってか?彼女は私には包み隠さず話してくれていた。で、彼女からその管理者が彼女の看護師の肩書を客先に「彼女は看護師ですから、内科的な質問にも答えれます」と紹介したことで悩んでいた。この管理者完全に彼女の肩書をはき違えてると思って、直ぐに上司にそれを報告をして私は陰から対応していた。そんなことも有り、彼女はその管理者には疑心暗鬼になっていた。新人が入って怖いのはG.Wを迎えること。長期の休みでモチベーションが下がることは勿論、最悪辞めてしまう。会議の席でもそのことを管理者に話したが、全然ピンと来ていなかった。lineのやり取りをしていて、彼女は真面目でとても前向きな子だと思っていた。その管理者に私も不甲斐無いと感じていたので、彼女に電話して実際の営業場面を想定して幾つかやり取りのパターンを教えたら、「目から鱗が落ちました!すぐに実践します!」と言うくらい感の良い子で、前向きな子だった。で、実際一緒に営業に回っても、彼女は率先して営業はするし、私がその場面を見て改善点をその都度伝えると、メモを取り、直ぐに次の訪問先で実践していた。だから、彼女のポテンシャルの高さ感じていた。それが、立った二日で結果が出るとは。勿論、営業なんて運もある。だから、その確率を高まるためにどれだけ、訪問するかもカギだし、話しの組み立ても相手の出方を見ながら都度臨機応変に対応しなければならない。その為には自分の中の”引き出し”をいかに持っているかが大事なことだけど、そんなことは口で教えられるものでもなくて、その人の感性や経験を積み重ねて出来ることだし、そういう意味では難しい。通常、営業の新人なんて3カ月の期間を見て、そこで実績を付けれれれば御の字。でも、大抵実績を残せないのが現実。それを彼女はいとも簡単にやってのけた。しかも、彼女のlineには、私が同行したお陰だから、私の実力ではありませんと言える謙虚な姿勢。でも、嬉しかったのは、嬉しかったみたいでそのメッセージは喜びで満ち溢れていた。私は早速、そのことを上司に報告して、「彼女に会ったら褒めてやって下さい」と伝えたら、「褒めちぎっておきます」と返ってきた。上司も私よりもずっと若いが、そういう点は理解してくれる粋な人。ホント、今の会社に転職して良かった!って心の底から思う。そういうことが、毎日の様に出逢うからあるから、若い人たちからいい刺激を貰って毎日仕事が楽しい。50歳を迎えて、ここまで大きく環境が変わるなんて思っていなかったから、俺はただ今まで『無駄に生かされている』としか思ってなかった。『One team』去年、ラグビーワールドカップで注目された言葉。ボールを持った選手が倒されても、自分を犠牲にしながら、仲間にボールを繋いでいくあの姿を見て、何か熱いものを感じた。でも、今の会社はその言葉が似合う、一人が倒れても尚且つボールを繋いで前に進もうとするようなあのラグビーのような力を持った若い会社。本当に『One Team』と言う言葉が似合う会社だ。50歳にして、自分を奮い立たせてくれてた今の会社に本当に感謝。私は今私にできることを”黒子”に徹して職務を全うしようと思う。
Apr 29, 2020
コメント(0)
このブログを読んで頂いている、昔馴染みの方はご存じだと思うが、自律神経失調症を患って、もう20年経ちます。そのきっかけは明確な理由があり、未だその『呪縛』から解放されません。今回、転職して少し前向きになれた気がして、改めて今一度その『呪縛』から解き放たれるよう、ここで振り返ろうと思います。何か今なら、自分が変われそうな気がして…※内容はとても暗い話です。苦手な方はスルーして下さい。m(_ _)m私が自律神経失調症を発症したのは、明確な原因が有るんです。大学を卒業して入った会社で同僚だった先輩の死と震災で高槻の独身寮に住んでいた頃に大変可愛がって頂いた副本部長の死が悔んでも悔やみきれなくて…もしかしたら、私が救えたかもしれない二つの命…その悔やんでも悔やみきれない後悔を未だに引きずっている。それは私の思い上がりかもしれないけど…先輩はとても自信家で後から配属された私のことをライバル視していて、結構強く当たられていました。しかし、別の部署の課長がその先輩の姿を見て、俺に「彼と同じタイプの人間を俺は見てきた。そいつは結局、自ら死を選んだ」「彼も同じタイプの人間でもろい人間だから、同じ結果が見えている」とある時ハッキリ私に言ったんです。それ以来ずっとその言葉が私に刻まれていたのですが、実際どうしたらよいのか分からず過ごしていたある日、その先輩が無断欠勤して失踪しました。数日間見つからず、先輩が次に戻ってきたときはあの自信に溢れていた姿は微塵も感じられず、ほぼ廃人同様となっていました。直ぐにその先輩は故郷の岡山の実家で自宅療養することになったのですが、時より私だけに電話が掛かってくるようになりました。その電話ではいつも決まって弱弱しい声で「俺もうクビやろ?」と毎回同じことを私に言って来ました。その度に私は「大丈夫ですから、今はゆっくり休んでいてください」と伝えていて、そのことは直属の課長にも都度報告してましたが、その課長は「相手にするな」と言い放ったんです。そんな先輩とのやり取りも徐々に無くなっていた頃、突然、会社にその先輩が交通事故で亡くなったとの連絡が入りました。勿論、岡山まで行って葬儀に参列しました。私は遺影を見ると感情が抑え切れず、人目をはばからず私は号泣してました。しかし、その時どうしても腑に落ちない点が一つありました。それは私と同じくクルマ好きだった先輩の愛車が傷一つなくガレージに有りました。おかしいとは思ってましたが、総務からは先輩の母親のクルマで事故にあったと聞いていました。それから、1,2年経ったとき先輩の居た東京の営業所に行った時、先輩の上司代わりだった部長から、「会社は隠しているが、あいつは母親のクルマで出掛けてとある橋から投身自殺をした」と教えられました。それを聞いた時、私は愕然としたのと同時にもう少し何か出来ることは無かったのか?と自問自答を繰り返していました。しかし、『負の連鎖』はこれで終わりませんでした。先輩の死のことも、少し落ち着いたころ、課長から「仕事も落ち着いてきたので、お前そろそろ結婚しろ」と言われました。私も丁度、ウナギの寝床で隙間風が入るような独身寮から早く出たいと思い始めた矢先でしたので、結婚することにしました。しかし、嫁はパイプの太い取引先に在籍していたことも有り、披露宴をしても両方の会社のしがらみに巻き込まれそうだったので、それを避けるために、身内を連れてハワイで挙式して、披露宴は会費制の軽い感じの披露宴パーティーにすることにしました。勿論、高槻に居た約4年間ずっと、父親代わりだったような副本部長にも出席をお願いし、大変喜んで頂いて快く快諾してくれました。その副本部長は仕事は物凄く出来るのですが、酒癖が悪く、いつも、私と一緒に飲むときは必ず高槻まで送り届け、別れる際は副本部長の奥様に毎回電話を入れて何処で別れたかを報告してました。なので、披露宴パーティー当日も岡山の先輩に私が送って帰れないので、同様にしてほしいと伝えていました。しかし、翌朝その岡山の先輩から電話が入り、副本部長が家に帰ってないとの連絡を受けました。私はあれだけお願いしたのにと思ってましたが、悪い予感は当たり その日のうちに、岡山の先輩から連絡があり、副本部長が披露宴パーティーをしたホテルの近くの海で水死体で発見されたと言われました。私は岡山の先輩を責め立てましたが、当然何事も状況を替えれるわけでもなく、失意のまま出社しました。オフィスに入ると副本部長が座っていた席には大きな花が飾られており、それを見るのが辛くて職場を逃げ出そうと何度も思いました。勿論、葬儀には参列したのですが、奥様より「お顔を見てあげて下さい」と言われて棺を除いた瞬間、押さえていた感情が爆発してしまい、私一人泣き崩れました。葬儀が終わって暫くしてから、上司に連れられて、副本部長の自宅に伺い仏壇にお線香を挙げさせて貰い、奥様には私がちゃんといつも通りにしていたらこんなことにはならなかったと詫びました。奥様は私がこれまで副本部長が帰宅されるときに毎回電話していたことを有難く思っているし、副本部長も私の結婚を実の息子のように喜んでくれていたから自分を責めないで下さいと言って下さいました。しかし、私は僅かな間に身近に居た私が関わった人を二人も亡くしたことの罪悪感は誰にも言えませんから、苦しみました。そしてその弊害が不眠症となり、朝まで起きてそのまま出勤すると言う異常な日常を送ってました。その少し前から二人に抜けた穴を埋めるべく私達は日本全国出張に出ると言う激務の中、岡山の先輩も精神疾患となり、自宅療養することになり、岡山の先輩が復帰したときに不眠症で有ることを告白したところ、抗うつ剤を渡され一度飲んでみろと言われ、藁にもすがる気持ちで服用しました。確かに眠れたのですが、その代償は大きく、呂律が回らなくなってました。しかも、丁度その頃中国進出の話があり、その営業代表として私が抜擢されており、2回目の中国出張が決まって出発する寸前だったので、上司と相談してその時初めて心療内科を受診することになりました。1つ目の心療内科でぼろくそに言われて、二度と心療内科には行かないと思っていたのですが、神戸に良い病院があると言われて恐る恐る受診したら、その先生は私に何も聞かず、私の目の動きを確認しただけで、「今まで頑張ったね。もう安心していいよ」と優しく言葉を掛けられた瞬間、救われたと思ったのも同時にメンタルも崩壊しました。その後、直ぐに半年間の自宅療養生活が始まり、電車に乗れなくなったり、引きこもりになったり、夏の暑い日に、体温コントロールが出来なくなって布団をかぶって寝てたり…あの半年は悲惨だった。 その後、職場復帰するけど、出社して驚いたことが…当時勤めていた会社は某一部上場企業の子会社だった。なので、当然親会社からの天下りはあった。私が半年間休職している間にクーデター的なことが勃発して、それまでいた本部長クラスの方々が根こそぎ辞めさせられていて、上層部の顔ぶれがガラッと代わっていた。所属していた部署も同様で、私が入社してからずっとお世話になっていた本部長も例外ではなかった。私はその新しい本部長に病気のことがあって、目の敵にされた。当時は『パワハラ』って言葉が無かったので、そんなことがまかり通った。ある時、課長に呼び出され、本部長と3人で話をした。転勤の話だった。東京か岡山の2択だった。私は当然、営業から離れたくなかったので、東京を選択した。しかし課長は強引に岡山を推してきた。その課長というのは自殺した先輩から電話が掛かってきたときに「相手にするな」といった張本人。結局、そいつの一言で私は岡山に行くことになった。それは、営業から外されることを意味した。私にとってそれは屈辱的なことだった。岡山に行った私はさらに壮絶なパワハラにあった。更に子会社への転属、そこで待っていたのは、日雇いのおっさんがするような力仕事。これまでのプライドをズタズタにされるどころか、パートのおばはんにでさえ馬鹿にされる日々だった。結局、辞める羽目になるんだけど、発端になった課長のお陰で私はその後の人生を大きく狂わされたと今でも思っていて、『一人殺してもいい』って言われたら、こいつっていうほど、未だに恨んでる心の狭い男です。その後、転職したけど病気が完治するわけでもなく、転職を繰り返すとブラック企業にしか出会わない負のスパイラルにはまった気がして、生きる望みすらなくして、いつしか、『俺はただ無駄に生かされているだけ…』って思ってた。昔は通勤で朝、駅のホームに立っているとき、『楽になりたい…』と思い、電車に飛び込もうという思考が湧いてきたこともあったけど、結局そんな勇気はなかった。『生かされていることが辛い…』自分で死を選べないなら、不慮の事故に出も巻き込まれてとも思ったこともあった。そして、いつしか人と関わるのですら、嫌というか、うまく入り込めない時期もあった。高校時代から付き合いのあった奴も俺が病気に甘えていると言って、馬鹿にしていた。だから、そういう奴とは関係をゴッソリ断ち切った。それも”逃げ”かもしれない…よく言われるのが、「病気に逃げてばっかりいて…あなたはまだ恵まれている。世の中にはもっと大変な人が一杯いる」それって、健常者だから言えることだと思うんだよね。また、言い訳に聞こえるのかもしれないけど、病気になったことしかわからないという意味はその人のによって、環境も心理状態も違うから各々違うと思う。だから、私は同じ苦しみを持つ人の心の根っこの部分は尊重する。何度か自分を押し殺して、病気に甘えているという奴とも付き合おうとして無理した時期もあったけど、結局、苦しくなって、心無い言葉にまたメンタルが左右されるくらいなら、無理して付き合わなくてもいいと思った。「お前のことを思って言っている…」という奴に限って、自分の持論を展開して、相手の言葉を拾おうとはしない。悩みを持っている人の心の闇の深さは計り知れない。だから、相談を受けたら持論を展開せずに、言いたいことを言わしてあげるように聞き役に徹する。そうすることで、その相手が楽ななるならとも思うし、その人が何かその状態から脱出してくれるヒントをつかんでくれたらって思う。結局、そこから這い上がらるのも自分次第。誰も助けられない。環境を変えるには、自分を信じて行動を起こすしかないし…私は大学時代にバイト先で、働きが良かったからスカウトされた。そりゃ、勝手知ったるで、それも良かったのかもしれない。でも、一人の社員のおじさんが、私に行ってくれた言葉が心に刺さり、そこには就職しなかった。そのおじさんが言った言葉は「男だったらこんなところに甘えずに億単位の金を動かす男になれ!」その言葉が私を後押しして、私を就職活動に向かわせた。で、実際就職して2年が経過したとき、担当していた商材がとあるヒット商品採用されて個人売り上げは1億を超えた。それは自分で一から手掛けた仕事だった。その実績が評価されて、ほかの部署に移った後も個人売り上げは伸ばし続け、最終的には個人売り上げが年間3億を超えていた。それが20代後半のこと。当時の会社の売り上げが100億円前後で推移していたので、自分がその約3%を担っていることを自負していた。当然、将来的なプランも30代前半には課長まで昇り詰め、最低でも最後は部長まで昇格して年収1000万円プレイヤーを目指していた。出張は多く、日本国中を飛び回っていた。東京出張は朝一の新幹線で出て、最終で帰ってくるということを繰り返し、時には山形や鹿児島でも日帰りで行って仕事をしていた。海外にも台湾や韓国、中国にも行った。次第に任される仕事も大きくなり、役員から直接会社の命運を左右されるようなプロジェクトにも参加していった。30代までは本当に自信に満ち溢れていた。『営業力は誰にも負けない!』そんな自負もあったから、自殺した先輩にも目を付けられた。病気になってからも数年は『あのステージにもう一度戻りたい…』という思いもあった。だが、現実は前途した通り。一度、そのステージから降りたら、そんな簡単には戻れない。それはこの20年で嫌と言うほど分かった。4月から転職した会社の環境は本当にとても良い。毎日仕事に行くのが楽しいくらい。それだけ、関わる人には恵まれている。若い会社だから、中心は30代前半の人達。決して、大きなお金を動かせる訳じゃないけど、そんなことはどうでもいいし、肩書もいらない。私は黒子に徹しようと思った。新しい拠点のオープンのための準備や新規開拓、それに同期で入社した22歳の女の子の教育係。今の私には十分すぎるステージ。主役はあくまでも若い人たちでいい。私は年を取り過ぎた。だけど、毎日若い人たちにいい刺激を貰っている。とても有難いことだ。思ったんだ、私は上を目指すのではなく、いつまでも現場主義で、プレーヤーに徹したいって。管理職はそれに適した人が居るし、私はその器がない。何か今のポジションにいて、大学卒業して社会に出たばかりのワクワク感が今蘇ってきた。忘れたものを取り戻させてくれた気がした。だから、私にできること、それは経験と知識。それを最大限に活かして、貢献出来たらッて思える。今の会社は本当に"one team"って言葉がよく似合う、素敵な会社だ。そして、腐っていた私に少しだけでも、前向きな思考にさせてくれた人達に感謝…
Apr 26, 2020
コメント(2)
昨日は午前中に5月半ばに開設予定の拠点周辺を視察。午後から家に戻って、初テレワーク。お気に入りのBGMを聴きながら、のんびり仕事を…って思っていたら、手掛けていた仕事のやり取りのlineが同時多発的に入ってきて、結構遅くまでその対応に追われた。本当のテレワークの目的は営業で使う表の作成がメインだったのに…😢お気に入りのBGM…結局全然耳に入ってこなかった!おまけにトラブルも勃発。テレワークって優雅に仕事できるんじゃないの?…(;^ω^)まぁ~実力を過信して、自ら仕事量を増やしている俺が悪いんですけどネ!おまけに、今日から二日間、西エリアで新人の教育に就くため、朝7時には家に出ないといけないのにこんな時間(現在午前4時)まで変にテンション上がって眠れぬ俺…( ;∀;)
Apr 23, 2020
コメント(0)
実は4月から転職した職場で働いている。古くからのお付き合いがある方は、「またかよ…」とお思いでしょう。年明けから、親の金銭問題と理不尽なことばかり言われる職場にかなり疲弊しておりました。2月に入って、自分自身でもメンタル面の崩壊が始まりつつあり『ヤバい』と感じて、主治医に相談しに行った。主治医は診察を終え、「取敢えず仕事を休みなさい」と言って、2週間自宅療養の診断書を書いてくれた。翌日それを職場に持って行き、偉そうに言われて自宅療養開始。しかし、療養中、『結局、元の職場に戻ったら何も変わんないんじゃ?』と言う思いが湧いてきて、退職を決意した。主治医が診断書を書いてくれたのはこれで2回目。もう、主治医との付き合いは20年に及ぶが、最初に受診した時以来の2回目の診断書。この約20年間、俺自身が苦しくて泣きついても、主治医は絶対に自宅療養の診断書は書かなかった。しかも、今回は私から書いて欲しいと申し出たわけではなく、主治医自らの指示。この事を考えると、私にとってかなり危険な状態だったんだなと言うことが分かり、退職することを決意した。ただ、退職を決めて自宅で過ごしていたとき、コロナ騒動が勃発。主治医からも、騒動がこれほど大きくなっていない段階で「出来るだけ早く仕事を決めなさい、この騒ぎはきっと深刻なものになる」と真顔で言われたので、離職票が届かないことも有って、自宅に居ながらネットで転職活動を熱心に行った。幾つも面接に臨み、中々自分の思うような会社が見つからなかった中、今の会社に出逢った。面接をしてくれた面接官二人は、明らかに私より年下。しかし、このお二人の面接の仕方が何か自分にとって心地よく感じ、今まで面接の中で自分のことを素直にさらけ出せて、『この人たちと仕事をしたい』と思わせてくれるような面接だった。面接から6日後、内定通知を頂いた時は飛び上がって喜んだ。で、4月1日から入社。緊張した面持ちで会社に入ったが、最初の印象は職員の皆さんが穏やかで、笑顔溢れる職場だという印象を受けた。実は面接をしてくれた方は本部長で、実質実働部隊のNo.1的なポジションの方で、もう一人の方もNo.2の方だった。お二人とも30代前半なのに、そのポジションを驕ることなく、全ての方に目を配っている。特に本部長は直ぐに私を誘って「○○さん、タバコ吸うでしょ?行きましょう!」と言って、喫煙所に誘ってくれて、採用に至った経緯などを教えて下さった。その話では、面接後すぐに決めてくれたと聞かされた。私のことを系列の別会社に話したところ、「そんな人材ならうちが欲しい」と言われたそうだが、本部長はそれを蹴って私を採ってくれたとのこと。ただ、グループ企業なのでこの先、どうなるかは分からないと告げられたが、私にとってはとても有り難い話だった。で、その本部長は喫煙所にきた全ての人、例えば送迎のドライバーの年配のおっちゃんに至るまで他愛ない話を自らして気を配られていた。『この人スゲーな』と正直思った。自分のポジションを一切ひけらかす様子はなく、事務所でも事務員の女性にいじられて笑っている。しかし、会議に私も参加させて頂いた際、占めるとこは占めるという面もしっかり持たれたとてもバランス感覚の優れた方だと思った。正直、完敗だと思った。と同時に入ったばかりの私に対しても積極的に意見を取り上げてくれるという面もあり、日に日に『この会社で俺の出来ることは全力を挙げてやろう』と言う思いが高まってきた。私が採用された職種は広報・営業の担当。実は今の会社にはこれまで営業部門が無く、純粋な営業職として採用するのは初めての試みだった。なので、営業職の経験がある私の意見も率先して聞いてくれる体制がある。それだけにやり甲斐がある仕事。何か長年眠っていた仕事に向き合う姿勢やものの考え方が日々蘇ってくるのを実感している。それと、実習期間として4月一杯担当エリアの管理者と一緒に回ることが有るのだが、またこの責任者が良い人ばかり。誰も一人そのポジションに驕ることなく、仕事に真剣に向き合っていて、しかも私にアドバイスを求めてくれて、真摯に仕事に向き合っている。それに、グループ会社の方と同行した際、業務委託で契約している方が付きに半分しか働いていないのにたった1年で市場を的確に分析をして、考え方もしっかりしている方に出逢った。その方も30代前半。正直、営業能力は負けたと思った。これまで、約10年この業界で仕事をしているが、負けを認めた人はたった一人だった。それは最初にこの業界に入った時に、出逢った上司。当時はその人はやはり若く、私よりも10歳くらい離れていたが、責任感が強くこの業界を知らない私に1から色んなことを教えてくれた。この人の市場分析能力や営業戦略の立て方はピカイチだった。しかし、その人と匹敵するような方がグループ会社に居た。改めて、ここの会社ってスゲーと思った。それに私と同じ日に入職した22歳の女性が居た。彼女は元看護士で、今回初めてそのキャリアを捨てて営業職に就く。彼女は未だ若いが至って真面目で、勉強熱心。本部での研修は3日間で、私は東エリアの担当、彼女は西エリアの担当だったので、その三日間しか一緒に過ごさなかったが、彼女は営業のことを教えて欲しいと言って、私とlineしてほしいと申し出てきた。因みに、彼女のお父さんとは同い年だった…( ̄▽ ̄;)俺にもこんな立派な娘が居てもおかしくない年齢になったんだなって実感した。で、彼女とは毎日のようにlineのやり取りをしていた。本当に彼女は勉強熱心で、物凄い長文で質問などが毎日のように帰ってきた。私もそれに分かり易くかみ砕いて同じく長文で返していた。ある時、営業の方針を決める会議の議題として、彼女の教育方法を話し合うことになった。その時の彼女の教育担当である管理者もその会議に出ていたが、こいつがお粗末過ぎた。全然危機感が無い。その上、付け焼刃の答えばかり出すので、私は「私の立場で越権行為は十分理解していますが、彼女の教育をさせて下さい」と申し出た。それまでのやり取りで、彼女から私と一緒に営業を回って勉強したいと申し出があったことも伝えた。しかし、本部長からは今の職務を全うしてほしいとの答えだった。だが、翌日にもう一度メンバーで集まって、彼女の教育方針についてその管理者のプランを聞くことになった。会議後彼女の教育担当の管理者が、私に彼女の教育方針について相談したいと言って電話を掛けてきた。しかし、相変わらず緊張感のない様子でホンマに分かってんのかこいつ?って感じだった。翌日もラインがその管理者から入ってきて、具体的に彼女の教育方針について教えて欲しいと有ったので、結構な長文で返したがその返信の答えも曖昧だったので、更に事細かくかみ砕いて更に長いラインを送り返した。こいつは会議で答える答えを俺に求めているんだなって直ぐに分かったけど、先日本部長にそいつに当分任せると言うことを言われていたので、それが分かっていてもこいつに託すしかなかった。で、2回目の会議始まったが、冒頭からそいつは本部長の質問にちゃんと答えられず撃沈した。本当は2回目の会議での決定事項を3回目の会議で彼女に伝えようと言うことだったが、そいつの曖昧な答えに本部長の堪忍袋が切れて、彼女からも直接意見を聞くことになった。緊張した面持ちで話をする彼女の様子は見て取れた。しかし、管理者の奴は一向に打開策を出せず、遂に本部長から三日間だけ彼女を私に見てやってほしいということになった。まぁ~結果オーライってとこかなって思って、私は快く快諾した。しかし、その夜新たな問題が発覚!同行訪問を終え、その日同行した管理者と別れて、モスバーガーで残務処理を終えたので、彼女に今日は緊張してたよね?ってlineを入れたら、帰りの電車でビックリするような長文で返信が彼女から帰ってきた。読んでみると、会議に出てみんなが自分のことを気にしてくれていて有難いと思ったと言うこととやはり、教育担当の管理者が煮え切らないと思っていたことが綴られていた。しかし、それよりも驚いたのが、彼女の肩書のこと彼女の名刺には看護師と勿論書いてある。有ろうことか、彼女の教育担当者は彼女を客先に紹介する際に、「彼女は看護師ですから内科的な質問にもお答えできます」と紹介していて、実際に質問が来て困ったことや、客先によっては報告書に彼女の名前を明記してくれと言い出す客先も出てきたそうだった。それに対して彼女は管理者に「どう答えたらいいですか?」と質問したが、そいつは「自分で調べたらいいやん」と返したらしい。その内容に唖然として、彼女に「今電車の中だから降りたら電話して良いかな?」ってlineしたら、直ぐに「待ってます」と帰ってきた。私は事態を重く見て、彼女から貰ったlineをそのまま、私の直属の上司であるNo.2の方に転送して駅に着いて直ぐに彼女に電話を掛けた。彼女は想像していたよりは落ち着いていたが、やはり、その管理者には疑心暗鬼になっていた。彼女には電話で出来るだけ話を聞きだし、私からは彼女から質問のあった営業の方法を出来るだけ分かり易く、具体例を交えて教えた。すると彼女は「そんなことを教えてもらえなかったので目から鱗が落ちました。来週から早速実践します」と言ってくれた。で、彼女と電話を終え、lineをチェックしたら、No.2の上司より、「事態を重く受け止めてます。もう少し事前に彼女の教育方針を詰めておくべきでした」と帰ってきて、私に「今我々管理者が出来ることが有りますか?」と帰ってきたので、今の段階で私は西エリアの市場状況も分かりませんので、何とも言えませんが一つだけ言わせて頂くと、今すぐ彼女の教育担当の責任者を彼女から離してほしいと返信した。で、翌朝、改めて考えたプランをNo.2の直属の上司に報告した。すると暫くしてNo.2の上司から具体的な今後のプランと、彼女を今後見る管理者に周知させるという私の案を盛り込んでくれた彼女の教育プランを返信してくれた。まぁ~入職冒頭から色々有りますが、本当に自分を買ってくれていることが手に取るように分かるし毎日、毎日会社関係の出逢う人には刺激を貰ってますので、マジで毎日仕事に行くのが楽しくて仕方ありません。本当に転職して良かったとしみじみと日々感じてます。
Apr 22, 2020
コメント(0)
振り返り…親父が大動脈解離で救急搬送されたのが、約5年前。金銭管理は全て親父がしていたので、お袋は全くわからない状態。恐らく、親父は金遣いの荒いお袋に任せておけないと思っていたのか、カードすら作ってなかった。それが裏目に出て、親父の入院費や老健の費用捻出のため、俺は金策に走り回った。銀行は口座名義の人間が生存しているため、昨今の個人情報の管理という観点から、どの銀行もガードが堅い。『何でうちの金下すのに、頭下げて回らなあかんねん!』って思ったけど、ひっ迫する金の枯渇は怖かった。銀行によっても個々にその対応は違う上、親父が今一つ意思疎通できないため、銀行側もイレギュラーケースなのか対応はまちまち。それを一つずつ、紐解く様にやっていった。それでも、大した金額にならず、最後の砦であった保険会社にも何とか重度障害という名目で保険金を生前に出すことまでやり、お袋に渡していた。それに加えて、親父が経営していた店の廃業手続き、処分。次から次へと問題は日々山積。かと言って、お袋は何するわけでもなく、文句ばかり。おまけに、弟は「仕事が忙しい」との一点張りで、見向きもしない。あまりにもムカついたので、親父の病室で、お袋がいる前で、俺は「親父には悪いけど、親子の縁を切る!」と宣言して、暫く絶縁状態にしていた。1年位経った後、突然、お袋から電話が入り、「私、詐欺にあったかも…」と言う。「そんなこと知るか!」と、吐き捨て、放っておこうと思ったが、どうしても何の罪もない親父のことが気になったので再び関わることに…昔から金に汚いお袋は還付金詐欺にあっていた。馬鹿だから、目先の金に目が眩んで、家に訪ねてきた役所を名乗る奴に、「還付金があるので、通帳とカードと暗証番号が要ります」と言われ、馬鹿だからその通りにして、お袋の金が口座からゴッソリ無くなっていた。幸い、親父の保険金が入っていた口座は残っていたのだけが救いだった。直ぐに親父に逢いに行くと、親父は長い間の入院生活で認知も進行していた。それを目の当たりにした俺は、言葉が出なかった。大動脈解離後、急変して12時間にも及ぶ手術をして一命はとりとめたが、親父は左半身麻痺となった。それでも、俺の中で認識していた親父はもっと覇気があり、生命力は感じていたが、再び再会した時の親父はその姿が見る影もなかった。俺は自分のやり切れない気持ちから、離れていた時間の重みを痛感した。俺はそのことの懺悔もあり、再び両親と関わった。金策だけでなく、役所での手続きなど、正直なところどっちが仕事かわからない状態になっていた。一昨年の暮れから、親父が腸閉そくの疑いがあるということで、親父は再び最初に救急で運ばれた病院へ入院。そこで、大腸癌が発覚。不本意ではあったが、お袋と弟と相談して、親父にはこれ以上メスを入れるのは可哀想だから手術は受けない旨、医者に伝えたところ、「癌の場所が場所だけに、手術をしないと本人は苦しみますよ」と言われ、こちらの浅い知識で、モルヒネ投与ことなどを聞いたが、医者は首を縦に振らなかったので仕方なく手術をお願いした。医者も高齢で弱っている親父には手術に耐えれるかわからないという、矛盾したことを言い出し、医者の汚いリスクヘッジにはムカついたが、もう手立ては無かった。親父の手術は一応成功したが、リスクを回避したので、完全に癌は取り切れなかった。ここでも、また、医者のリスクヘッジを聞かされ、怒りしかなかった。親父の容体は暫く安定していたが、胃瘻への注入を再開したとたん、それが逆流して誤嚥性肺炎を発症。医者からは今残されている手立ては全てしたが、残るは国内で一番効くといわれている、抗生物質の投与しかないがどうするか聞かれ、高熱でうなされている親父の姿を見ていた俺はお願いするしかなかった。その翌日、気になったので、仕事終わりに見舞うと親父の病室が変わっていて、カーテンを開けると俺を見るや否や親父は「おー!」と言って反応した。前日まで苦しそうにしていた親父を見ていただけに、その劇的な回復ぶりに安堵するより、信じられなかった。親父の容体が安定したので、元居た老健に戻る話が出て、親父は老健併設の病院に転院。そこで、再び誤嚥性肺炎を発症する。ここの病院には以前にも何度か入院していたが、医療でのレベルが低いと感じていた俺は今度ばかりは覚悟した。これが最期だと思った俺は入院していたお袋を親父の元へ連れだした。弟にも連絡を取り、何年振りかに家族が揃った。お袋が必死に語りかけていたが、既に親父は大きな反応もなく、呼吸は苦しそうだった。その数日後、弟のところに病院から連絡があり、危篤状態なので病院に直ぐ来いという連絡があり私も仕事を中断して駆けつけた。一足早く駆けつけた弟から、その道中で電話が入り、親父が死んだと告げられた。電話口の弟は泣きじゃくっていた。俺は何処かで何もしてこなかった弟を許せていなかったので、泣きじゃくる弟の姿を見て親父の死を悲しむどころか、その姿を客観的にしか見れず、涙も出なかった。俺の心が狭いのか?と何度も自問自答したが、結局泣けなかった。葬儀を決める際、結局これも俺が喪主となるので、その役目となった。最初は家族葬で簡単に済ませようとしていたが、親戚の多い親父の兄弟のことを考えたら結局、それなりの葬儀となり、200万位掛かった。親父がお袋と結婚したのは養子縁組だった。お袋は長女で女三人兄弟だったし、祖父が眼鏡屋を経営していたので、その後継ぎとして結婚した。祖父母は俺が初孫だったから、溺愛してくれたが、親父はそれなりに苦労していたと思う。でも、親父は俺達にそんなことを結局死ぬまで一言も何も言わなかった。だから、最期位それ位してやっても、いや、それ位のことをしてあげなければと思った。だが、その費用を聞いた弟は一銭も出すことがないのに、「高い」と言ってきやがった。俺は当然、そんなことは聞く耳も持たず、葬儀を強行した。葬儀にはもう長年逢っていなかった、親父の沢山の親族が集まった。神奈川の叔父も車いすで駆けつけてくれた。結局、それ位の葬儀をしないと入りきれなかった。俺は喪主の挨拶で、「ご存じの方は多いかもしれませんが、親父は養子でした。でも、俺達にはその苦労を一切言わなかったし、見せませんでした。親父はご存じの通り、いつも明るく、冗談ばっかり言っていつも笑っていた。だから、今日は親父も天国から私に『笑ってろ!』って言ってると思います。皆さんも笑って送ってやってください」とちゃんと何を言ったか覚えてないけどそんな挨拶した。それでも、色々あり過ぎて、俺は葬儀でも泣けなかった。いや、親父の言いつけを守って、泣かなくてよかったのかも…でも、親父が無くなったからと言って、俺の忙しさは終わりではなかった。お袋は親父が病院や老健にいる期間、骨折で入院。その後、老健に入ったが、介護度が要支援になったからと言って老健を出されて、1週間ほど自宅で過ごした時、また圧迫骨折でもう約1年半入院している。親父の入院や手術、施設の費用を賄うだけでも大変だったのに、更にお袋までも…お袋には大きな保険が掛かっていることもなく、微々たる医療保険で金策していたが、それも枯渇。おまけに最後に入った病院では膝の手術もして、歩けるようになるからと医者に言われたが、そんなことは一切なく、未だに入院中。更に悪いことに、お袋の認知が進行して今や妄想が見えるようで、何を言っているか分からない程になった。そんな状況でも、相変わらず何もしない弟。余りにもムカついて、堪忍袋の緒が切れたので、弟にお袋が俺に今までしてきたことを事細かくlineに書いて、俺のお袋に対する恨み辛みを書いたうえで、せめて、病院の支払い位は行ってくれ、正直、俺はお袋が一日も早く死んでほしいとまで書いた。そこで、渋々弟は病院に行きだしたが、lineで当たり前のように入院費の請求をしてくるのは本当にムカつく。実家もそんな状態だから、ずーっと空家賃を支払い続け、お袋一人になったから、家賃の減免措置などまた、役所仕事が増えている。で、どうしようもなくなって、お袋の生活保護の申請を先日やっとした。あとは、お袋がごみ屋敷にした実家の処分。生活保護の申請をした際、半年を目途に実家を処分して、お袋は施設に入れましょうということになった。もう、俺を開放してくれ…この約5年、俺どれだけ色んなところに走り回ったか…実家のことが片付いたら、もう、俺は完全に親子の縁を切るからと言って、弟に投げようと思う。お袋が死んでも葬式には呼ばないでくれと言って…
Apr 19, 2020
コメント(0)
コロナで皆さん疲弊してますよね。マスクも出回らない、消毒用のアルコールもない…ただ、コロナの脅威から少しでも今自分に出来ることは何か?こんな私でも出来ることを考えてみました。アルコールの消毒薬の代用として、意外と知られてないかもしれない情報として家庭でも簡単にできる消毒薬の代用品が有ります。それはハイターなどの漂白剤を希釈(0.05%)して代用する方法です。これは厚生労働省も推奨している方法です。これで手指消毒をするのは、匂いがきついのでどうかと思いますが、机やドアノブを拭いたりすることは十分できます。元々、この方法は介護の現場などではノロ対策として、感染者の吐しゃ物などに振りかけて使用する方法として一般的な対策として知られてます。多分、今の現状ならハイターやブリーチはスーパーなどで手に入るものだと思います。しかし、これの情報で買い占めだけはくれぐれもやめて下さい。希釈して使えますから、買い占めなんて必要ないですから!情報として楽天市場で最安値で購入可能なリンクを貼っておきます。花王 ワイドハイター 詰替 720ml花王 ワイドハイター 詰替 720ml【エントリーでポイント10倍】花王 かんたんワイドハイター 詰替え720ml【2020/4/9 20時ー4/16 1時59分】花王 ハイター 小 600ml 017246花王販売[ハイターショウ/600ML]ハイター 小/600ml[生活用品・家電][トイレ用品・消臭剤][漂白剤]ロケット石鹸 衣料用ブリーチ 小 600ml/ ロケット石鹸【エントリーでポイント10倍】ナフコオリジナル Nキッチンブリーチ 600ml【2020/4/9 20時ー4/16 1時59分】ミツエイ 【1回のご注文につき20本まで】 キッチンブリーチ 台所用漂白剤 漂白/除菌/消臭 600ml私は今現在、会社の方針で介護施設などに強酸性水という消毒薬を無償で配布してます。(強酸性水は厚生労働省は今現在、推奨してませんが…( ̄▽ ̄;))そこで、やはり小さな施設などでは消毒薬が手に入らないので困っていると言うお話をよく伺います。その経験から、私にもできることは無いかと考えた結果です。幸い、このブログは毎日300~1000回前後のアクセスが有ります。少しでも、この情報が多くの方に届けばと思い、書きました。私にできることは小さいことかもしれませんが、何の手立ての無いコロナの脅威に少しでも打ち勝てる勇気が皆さんのところに届けばと思い、情報発信しました。こんな時期だから、『One Team』になって、皆さん一丸となって、コロナに打ち勝ちましょう!
Apr 15, 2020
コメント(0)
昨今のコロナ騒ぎ。正直、色んな所で弊害が出ている。ろくな国策も出さずに、呑気に星野源さんの曲にコラボしてる場合か?しかも、許可なく!あの素晴らしい取り組みに水を差しやがって!完全に国民を馬鹿にするのもいい加減にしろ!!!!!そもそも、春節の時に既にコロナの猛威は分かっていたはずなのに、中国に忖度して、インバウンドの収益を守るために、日本への入国を許したお前の罪は大きすぎる!これだけ、今の日本が苦しむ根源を作ったのは国会議員のお前たち、とくにトップのお前の罪の大きさを思い知れ!その為に、何の罪もない人が犠牲になりこれだけの死者を出してもまだ分からないのか!?しかも、出してくる対策はしょうもないひと家庭当たり2枚のマスク配布だと?国民を馬鹿にするのもいい加減にしろ。しかもそれに、400億円以上の財源を投入するって、頭おかしいんか?どう考えても、マスクを供給するメーカーなど関係各所から莫大な政治献金が流れてるとしか思えない。こんな状況でも、てめえ達の私腹を肥やすために国民を犠牲にしやがって!なにが、stay homeだ!こんな状況でも外に出て、リスクを抱えながら働かないといけない人がいくらいると思う?7,8割の人との接触を避けろって、この国の経済活動を完全に止める気か?街を見て見ろ!お前らがろくな対策も取らないから、疲弊して中小企業や個人商店は閉店や廃業をせざる負えないところが沢山あるだろうが!その現状を、お前たち国会議員はちゃんと見てるのか?大人しい、国民に胡座をかきやがって、お前たちにはこの国を先導する資格なんてこれっぽっちも無いわ!プロスポーツ選手も、各方面で支援を考え、年俸の返還やクラウドファンディングを立ち上げて身銭を切っているのに、国会議員は誰一人、この期に及んでも給料の返還なんていう奴は一人もいない。それが全て物語っているわ!そもそも、お前らの給料は税金だと言うことを思い知れ!
Apr 14, 2020
コメント(0)
しゅんの16歳の誕生日でした。朝から家を出てて、色々買い物しながらホールのケーキを探していたけど、何故か見つからず家に帰ってそのことを言うと嫁に「もう要らんやん」と言う言葉に火が付いて、家の近所のエーデルワイスまで行ってみたら、やっぱりホールケーキが無くてお店の人に無理言って、メッセージプレートを作って頂きました。…( ̄▽ ̄;)そしたら、多分お店の人はまだ小さい子供を想像していたのか?プレートにくまさんなんか書いて下さって何か申し訳なくて…で、ローソク何本要りますかと聞かれて、「16本」と言いかけて、一袋でいいですと恥ずかしくなってしまいました。( ´艸`)家に帰って、しゅんをケーキを食べながら祝って、しゅんに「お前もバイクの免許が取れる歳になったなぁ~」って、言い出したら、しゅんが昔隼や最近ではninjaに乗りたいって言っていたのは知ってたけど昔のバイクが好きな友達の影響なのか?初期のCBRやNSRに興味があるって話に盛り上がってしまって俺が昔、しゅんが産まれた頃までNSRに乗っていたことなど話をしたら、しゅんも食いついてきて何か80’sバイクの話題で盛り上がって、当時のレース動画を見出して、もうずっと忘れていた俺が好きだった、レーサーのケビン・シュワンツの当時のアグレッシブな走りに痺れた話なんかを熱弁しちゃいました…( ´艸`)でも、こういう話がまさか一緒に出来る日が来るとは思っていなかったから、めっちゃ嬉しくて、嬉しくて!ホント、楽しい日になりました!改めて、16歳おめでとう!!Racers(volume 03) ケビン・シュワンツが駆ったRGV-Гヒストリー (San-ei mook)【中古】DVD ヤングマシン SUZUKI GSX-R25年史 600/750/1000 ケビン・シュワンツ+実録白バイ2005-2009全国大会
Apr 11, 2020
コメント(2)
子供たちのそれぞれの入学式でした。新しいステージへの挑戦!期待と不安の入り混じった、状況だと思うけど、身の丈に合ったことでいいから一歩、一歩確実に歩んでほしい。二人が玄関で並んでこの写真を撮らせてくれた時は二人とも照れ隠しか?嫌々だったけどオヤジは写真を撮りながら、感慨深かったよ!俺はお世辞にも立派な親じゃないけど、ここまで育ってくれたことを振り返って、涙が出そうだった。二人の前じゃ、照れくさいからそんな素振りは見せなかったけど、頭の中じゃ、走馬灯のように二人の成長の記録乗っメモリーが映画のように流れていたんだよなぁ~正直、しゅんは塾の先生に感化され、元々の志望校より2つもランクを上げて、本当に大丈夫か?落ちたら、こいつ躓くんじゃ?って不安にもなったけど、見事第一志望に合格。改めて、お前はもう俺なんかを軽く超えて凄い奴だと思った。俺、親バカだな…( ̄▽ ̄;)ももも幼稚園の時から「行きたくない」って泣いて困らせていたけど、小学校もどうにかこうにか嫌々ながらも登校拒否することなく通いきった。ももはやっぱり、幼い時から優しい子で、自分が前に立つようなことはしない子だったけど、塾に通いだしてからは少しずつ成績も上がって、今じゃ自ら「塾に行きたい」って言うようなところまで成長してくれた。ももは俺に似ないで言いメンタルの弱さが有るんだけど、ももなりに道を切り開いてきたよね。こいつはいつまでも俺が守ってやらなきゃ…って、幼い時から思っていたけど、段々成長してそんなことも段々必要としなくなったよね。君たちのオヤジは嬉しくて、一人部屋に籠ってこの日記を書きながら、嬉し涙を拭いている。俺は君たちにとって『反面教師』にしかなれないけど、それぞれのステージに上がって頑張れ!俺はいつでも君たちにエールを送り続けるから…
Apr 9, 2020
コメント(0)
alfa購入から約2年。2回目の車検でした。27日に受験し、マフラーの音量を測定されて、規定値が96dbに対して98㏈。通常の検査レーンでは反響しているからかもしれないので、新規レーンに行ってくれと言われ再測定したけど、やっぱり98㏈で落第しました。2dbなんて、誤差範囲やん!😢で、マフラーに以前買っておいたサイレンサー取り付けて再チャレンジ!年度末だから混んでいたけど、仕方がない。結局、午前中に受付を済ませたけど、新規レーンが一番混んでいて、午前中のラウンドには間に合わず、午後から再試験を受験。サイレンサー取り付け後、当てになるか分からないけど、スマホに騒音計のアプリを落として自分で測定したら、Max80㏈だった。なので、少し安心して受けたけど、結果は94㏈…( ̄▽ ̄;)ギリギリ受かりました。新しい車検証の手続きに窓口に行ったら、受付のお兄さんが、「合格おめでとうございます」って言ってくれたのが、お役所なのにと思って、ちょっと嬉しかった。(#^.^#)alfaを所有するって色々あるとは思ってましたが、2年間所有しても運転していて全く飽きないんですよね。むしろ、どんどんハマっていってます。やっぱり、御託に漏れず、『alfaの毒牙』にすっかりやられてます…( ´艸`)もう、17年落ちの古いクルマなので、いつまで維持できるか分かりませんが、体力と財力が続く限り維持したいと思ってます(^^♪
Mar 30, 2020
コメント(0)
今日はももの卒業式でした。会場はコロナウイルス対策で参加可能な家族は2名まで、マスク着用、下級生の参加は無し、座席間を1m開けたりと重々しい警戒ぶりでした。式では卒業生がひとことずつ6年間を振り返るストーリーを辿っていく場面が有り、ももが入学したときはあどけなかったなぁ~とか、二分の一成人式は風邪をひいて欠席だったなぁ~とか6年間のあゆみをしみじみと振り返ってました。ホント、あっという間に6年間が過ぎたなと改めて実感しました。一方、しゅんは公立高校の合格発表に出掛けてました。私立の受験と時と大違いで、試験問題の出題傾向が大きく変わったせいで帰宅したときは「落ちた、落ちた」と投げやりになっていたので心配でしたが、無事第一志望の高校に合格してました。塾の先生に自信を付けてもらって、当初志望していた高校よりも2ランクも上げて受験するのは無謀だと思ってましたが、見事合格して安堵しました。そんな訳で、今日はHappな日でした(^^♪
Mar 19, 2020
コメント(0)
野暮用で加古郡まで出掛けてました。用事を済ませると丁度お昼。土地勘もないので、ランチは何処にするかとググってみると、近くに評価の良いうどん屋さんがあることを発見!行ってみると、お店のその外まで出汁と天ぷらの良い香りが漂ってました。これは間違いない!と確信してお店に入ると店内は広いのですが、並んで待っている方々が…( ̄▽ ̄;)まぁ~時間もあるし、並ぶほど待つ人が居るなら間違いないと確信して待つこと約1時間。やっと、うどんにありつけました。オーダーしたのは天ころと呼ばれるお勧めのうどんに天麩羅が乗ったうどん。今日は気温が上がったので、冷たいうどんを頂きました。期待を膨らませて一口うどんを口に含むと、驚くほどコシの強いうどん。更に出汁が絡むと出汁の豊潤な味わい!マジでこんなうどん食べたことない!!!!本当に美味しいうどんでした。ちなみに天ころのころ(香露)とはかめで熟成させた出汁のことらしいです。お店の名前はうどん料理 いなみさんです。気になる方は是非♪
Mar 18, 2020
コメント(0)
『お受験対策』と言っても、クルマです。そう、うちのalfaも購入して2年経過し、1回目の車検を迎えます。ただ、問題が…( ̄▽ ̄;)11月に主治医のところにオイル交換とエレメント交換に行ったところ、カムカバーパッキンからのオイル漏れが発覚!!微量だし、既にタール状になっていることから早急ではなかったのだが、12月にオイルを補充したときに投入した添加剤が悪かったみたいで、それから結構激しく漏れてきた…( ;∀;)主治医には修理代(タイミングベルトと同時交換)は25万円は掛かると言われ、大蔵省と相談したが、今年の春は息子が高校入学、娘が中学入学が控えているため交渉決裂…(;´Д`)で、alfa友達から指南頂いた固めのオイルに交換してみた。先ずは、お受験対策の為、リヤタイヤのスペーサー外しから実施。その後、オイル交換。で、それが完了したら、エンジンカバー外して漏れたところをフキフキ。さて、どうなりますやら…交換後、約40㎞走行。一応、著しい漏れは見られなかったので、様子を見ます。まぁ~陸運局まで20㎞無いから直前で拭いて、エンジンカバー付けてたら通る?かも…(-。-)y-゜゜゜今回交換したオイルはこれ↓エンジンオイル 4L 10W-40 化学合成油HIVI TAKUMIモーターオイル 送料無料 HIGH QUALITYオイル交換にはこれ使ってます↓(Meltec)大自工業 手動式オイルチェンジャー 6L
Mar 13, 2020
コメント(0)
大変ご無沙汰しております。超久し振りの更新です。今日はしゅんの私学の受験日でした。朝から、怒りながらしゅんが腕時計の時間を合わせてないとか言って、嫁さんが俺の部屋に来たので、電波時計のG-SHOCKを貸してやりました。そんなこんなで、大丈夫か?って思いながら、リビングに降りていくと既にしゅんは家を出ており、声を掛けそびれました。そして、3時頃しゅんが帰ってきたので、「どうやった?出来たか?」って聞くと…「まぁ~高い金払って小テスト受けてきたみたいなもんや」って言いました。幾ら、私学と言えどもしゅんは塾の先生に感化されて、公立の志望校を当初より2つくらいランクを上げているから私学の滑り止めは重要なはず。なのに、この肝の座った自信はいったいどこから来るんだ?ビビりで臆病な俺には全く似ていない羨ましい性格。何でも今まで緊張したことは無いらしい。一体誰に似たのやら?普段でもゲームばっかりで殆ど勉強している様子もないし、こっちが心配するわ!
Feb 10, 2020
コメント(0)
全6437件 (6437件中 1-50件目)