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私の描いた絵
2013年05月12日
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昭和40年代はペットショップ等なく雑種だった。キャットフード等勿論ない。ねこまんまと言ってご飯に味噌汁をかけた物や人間が食べ残した魚の骨等だった。 中学生の頃、庭に猫がいたのでエサをやっていたら、そのまま家に居着いた。最初のうちは応接椅子の下に隠れて様子を伺っていた。母親が子猫を見て「器量良しだね」と言ったので、その時初めてその意味を知った。 小さな時は好奇心旺盛だ。指を動かしただけで飛びついてくる。腹をわしづかみにすると爪を立てて噛み付いてくる。力の加減を知らないので、私の手の甲はミミズ腫れになった。 やがて、一年が経つと、うちの猫(オス)が庭で交尾しているのを見た。だが、性の知識が乏しかったのでその時は、理解出来なかった。ある日、朝起きて茶の間に行くと猫がテレビのラジオ体操を首をキョロキョロ動かして見てたなんて事もある。 大人になったら落ち着いてきて食べるか寝るかのどちらかだったが、毎日食事をとった後、口の回りを舐め回し、それから体を丹念に舐めた。猫は皆をいるだけで和ませ、夫婦喧嘩は無くなった。 お互い干渉しなかったので、約10年で向こうから寄って来たのは2回だけ。朝出勤し昼は殆どいなく夜帰って来る。外で喧嘩をし、顔に傷をつけ耳が少し欠けて帰ってきたこともある。 猫は私に似た。とろんとした目つき、小心者な性格。高校を卒業して私が家にいなくなると、猫は家に余り寄り付かなくなり、他の家で体を洗ってもらうなどお世話になっていたらしい。因みにうちの猫には名前が無かった。家の近所にはうちの猫そっくりの猫が増えた。近所から苦情など出ない良き時代の話である。
2013年01月31日
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韓流ブームになって久しい。それ以前はまだ依然として在日韓国人への差別が色濃く残っていたのではあるまいか。 戦後の日本人を勇気づけてくれた在日は力道山、白井義男。女子バレーのジャンボ白井、相撲の玉の海、俳優の松田勇作、歌手の和田アキ子、西城秀樹、にしきのあきら等とりわけ芸能界、スポーツ界に多い。差別の無い実力の世界という事もあるだろう。 彼らは興行が上手く、人を楽しませるコツを掴んでいる。直情的で熱く純粋で、時に品があり歴史的重みを感じさせる。サッカーは熱くパッションがあり前へ前へと突っ走る。酒の飲み方も半端じゃない。生活に知恵がある。 そういう在日に私は畏敬の念を表せずにいられない。
2013年01月31日
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いいもの発見!はちみつ通りアイドルDVDショップ 近所にえらく太った猫がいる。まるまると太った虎猫だ。腹が今にも地面につかんばかんばかりだ。奴は、おもむろに俺の足に顔をすりすりしてくる。俺はお返しに奴の両脇を抱え「たかい たかい」をしてやるが、奴はあまり楽しくなさそうだ。しばらく、奴はなすがままにされている。その内に重い体をのっそりと動かし、いつもの日課であるパトロールに出かけるのだ。 「ハワイのスモウ・レスラー」 ハワイに行った時、これまた太った猫と遭遇した。そいつは、休憩所の日陰に薄目を開け寝そべっていた。 俺が食べかけのハンバーガーを差し出すと、そいつは礼も言わずにゆっくりと口を開け、あっという間に平らげた。 それから、また同じ場所に戻り、ハワイの心地良い風を受けながら、横になり眠りについた。あいつは毎日、こうやって食べ物を観光客からもらってるから、こんなに太ったのだろう。それにしても得な野郎だ
2013年01月30日
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アジアに長いこといると髪がのびる。当然、床屋に行く。概して料金が安い。日本円で200円位からだろうか。バンコクでの初めての床屋は、小さな路地の薄汚れた店だった。ガイドブックの会話集から必要な単語を引っ張り出し、メモに書いてドギマギして行ったが難なく終わった。当時、エイズが流行っていた事もあり、カミソリの刃を替えなかった事に一抹の不安を覚えた。マレーシア・ペナン島の床屋では笑いの連続だった。言葉もろくに通じてもいないのにだ。終わって、ふと鏡に映る自分を見ると表情が良て髪がよく見える。、髪型だけ良ければいいという物じゃないと思った。それは、バリ島でもそうだった。バリ人はお喋り好きだ。マニュアル通りに髪を切るのではなく、アートとしてその人に合う髪型を創造していく感じ。ネパールでは「もう少し料金を上乗せしてくれ」と泣きそうな顔で懇願された。バリ島は当然という感じで料金を請求してくるそうして床屋を後にし、私は各国のビザの取得の為の写真を撮りに行く。おわり
2013年01月27日
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