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その2までアップロードした【PTAの次年度役員を、楽しく選出する法】ですが、書くときにあまりたくさん時間がとれないので、いったんアップしたものを、随時修正していく方式をとらせてください。そこで、読んでくださった方にお願いです。つたないコラムを苦労して読んでいただいた暁には、わかりにくい、まわりくどい、単にくどい、その他もろもろのフィードバックを、コメントの形でいただけると幸いです。せっかくのご苦労が、すこしでも報われるようにお答えしたいと思います。1人で書くと、どうしても独りよがりの独善になってしまうものですし。あとで読むと、表現がきついなぁ…と我ながら恥ずかしくなったり(笑)そういうわけで実は、すでに何度か修正してしまっていますので、あしからずご了承ください。今週末は山中湖に移動しますので、週明けにまた続きをアップします。しばらくは、今浮かんでいる考えを、とりあえずどんどんアップいきますので、よろしかったらちょっぴり、お付き合いくださいませ~。
2007.04.20
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というわけで、続きです。「押し付け商法」のデメリット「推薦委員」の仕事の中で、一番嫌がられる部分、それは「誰もが嫌がる仕事を、誰かに押し付けなくちゃならない、引き受けてもらわねばならない」という部分です。しかし…この「押し付け商法」には、いくつかの明らかなデメリットがあります。「嫌な仕事を押し付けられた」人が、よい仕事をしてくれるでしょうか?わが身を振り返っても分かる通り、「嫌々する仕事」には、たいした成果は期待できません。やはり、「喜んで」「進んで」「覚悟して」引き受けた仕事でなくては、「よい成果」はついてきません。その人の能力次第ではありますが、【その1】の最後でも述べたとおり、「委員」さんはそもそも、「できる範囲のお仕事をすればいい」のです。しかし、その人なりの「できる範囲」、最高の成果を上げていただくには、その人の「意思」が、不可欠なのです。つまり、PTA会員として、本部役員さんに「よい仕事」を期待するならば、「本人の意思」を無視することは、本来、ナンセンスなことなのです。「押し付け商法」のデメリットは、もうひとつあります。自分もいやだと思っている仕事を押し付けてくる人に、好意を抱くことができますか?言うまでもないのですが、頼む本人も「いやだ、めんどくさいしやりたくない」と思っていることが明らかな仕事を、わざわざ自分に押し付けに来る人に、好意を抱く人はいません。むしろ、極端な話、嫌悪や憎悪…を抱くと考えたほうが、ありそうな話です。それまでの良好な人間関係に、ヒビが入ってしまう恐れすらあります。だんだん、見えてきたでしょうか?そうです、「推薦委員」のお仕事は、営業セールスの仕事に似ています。しかし今時、「営業セールス」だからと言って「売り逃げ」してしまうのでは、その人ばかりでなく、商品や会社全体までも、信用を失ってしまう時代です。では、どうやって「本人の意思」で、本部役員という重責を引き受けてもらうのでしょうか?「役員」は、善意のボランティア。引き受けてくださる人に感謝し、その人を尊敬すること。「泣き落とし」ではなく、「本人の意思で」引き受けるとしたら。それには「あなたの能力を見込んで」という、まっとうな理由も必要です。しかしそれだけでは、足りません。「本部役員」という仕事は、他の委員に比べて、「能力があるから」だけではすまされない、あまりにも責任が重い仕事だからです。「推薦委員」の仕事の、物品販売と違う点が、ここにはあります。「本部役員」の仕事は、無報酬です。空いた自分の時間と、もてる資源・能力を供出して行う、「子供たちのために」「PTA会員のために」「学校のために」行うボランティアです。普通の労働賃金に換算したら、いくらになるのでしょうか…仕事内容を細かく聞いていくと、もしかしたら、普通のパートより、ずっと高給を支払うべきだ、と思わざるを得ないほど、質量ともにすばらしいお仕事をなさっている、かもしれませんね。「お金をもらったら、とてもこんな仕事はできない」とおっしゃった会長さんもいました。「善意のボランティアだから、完璧にできなくても許される。完璧にやろうなんて絶対に無理だから、そんなこと考えちゃダメ。」という意味です。あくまで善意でやっていただくのですから、本来「やらない」ことで非難を受ける筋合いのものではありません。そんな大変な仕事を、善意で引き受けてくださる人に対して、感謝・尊敬の念がわくのは、当然の成り行きです。…えーと、わきませんか?ここではとりあえず、「わく」ことにしておきますね。そうでないと、話が進みませんから。相手に伝えるべきこと、その方法「人は見た目」云々、という本が流行りましたが、気持ちのよいコミュニケーションには、「見た目」も非常に大切です。にこやかな笑顔、しかし礼儀正しい距離と態度を保ちます。このような態度で、以下のようなメッセージを伝えます。・「あなたにお願いしたい」という意志を持つ人が、いること。 推薦委員その人の意志とは別です。あなた自身が相手を好ましく思い、お願いしたいと思っている場合は、そう伝えてもいいですが、そう思っていないのなら、自分の意見を伝えることは控えます。 ・しかし同時に、相手の意志を尊重し、最終選択権が相手にあること。 推薦委員に自分の運命を決め付けられたら、傷つきますよね。・それら2つがお互いを縛りあうことなく、ニュートラルな関係であること。 要するに、自分も相手も対等な関係であることを、確認しておきます。相手には断る権利があり、こちらにはお願いする権利があります。その2つの折り合いをどうつけるか、そこが問題なんですね。言葉も同様に、あなたとその相手の間の関係にふさわしいような、相手を尊重していることが伝わるような言葉とイントネーションを選んで、自分らしく自然体で話します。わざとらしい言葉遣いだと、「真心がこもってない。本心で言っていない」というメッセージが伝わってしまいます。伝える言葉や表情、方法、タイミングは、伝える人、伝えられる相手、その場の状況によって変わりますから、各自工夫してください。いちばん大切なのは、「あなたの気持ち」です。「推薦用紙を集計したら、あなたの名前が挙がりましたので、ご意向を伺いに参りました」「もちろん、受けていただくかどうかは、実際に仕事をすることになる○○さんが決めることです」「どうしても、ということであれば、断ってくださっても、もちろん、いいんですよ」「なにかご事情がありましたら、できたら今お伺いして、委員会に持ち帰って報告しておきます」もうひとつ、「楽しく」推薦委員を務めるための、相手との会話のコツ…らしきものがあるのですが、また後述します。「推薦委員」が「本部役員」をお願いする時の条件私のいた「推薦委員会」は、今までの慣例に従って、本格的活動の前に、当時の本部役員さんのお話を、大まかにヒアリングしました。そこでどうやら、「本部役員」に不可欠な要素は、このようなものらしい、と感じました。・時間的にも肉体的にも精神的にも、「なんで自分が」なんて思っててはできない。少しでも「奉仕しよう」という気がないと、やってられないお仕事である。・しかし同時に、生きた人間相手のお仕事なので、「ここまでやればいい」という客観的な基準がなく、「そこそこ」という自分なりの境界線がないと、燃え尽きてしまう。・少ない人数で、効果的な活動をし、すべてのPTA会員を「それなりに」納得させる(全員を大満足させることは不可能です)には、「本部役員」内部での結束・助け合い・思いやり・和が、たいへん重要である。---------------------------さて、尻切れトンボで申し訳ありませんが、またあとでまとめるときに、加筆訂正するつもりです。下書きをいきなり書くなんてと、憤慨された方、ごめんなさい。でもそうしないと、いつまでたっても、書かないので…(笑)では、また、次に続きます。
2007.04.18
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PTA関連の行事が続く、4月です。初めての保護者会では、恒例・恐怖!の「クラス委員決め」があります。…息詰まる沈黙、重苦しいイヤ~な空気は、誰しも経験するところでしょう。でも、クラス委員ぐらいだったらいい。全校をまとめる立場の、いわゆる「本部役員」を選出するお仕事、というものがあります。このお役目をする委員さん、うちの学校では「推薦委員」と言っていましたが、このお仕事ほど、嫌がられているものはありません。なぜって、大変なことが明白で、誰もが嫌がる「本部役員」のお仕事を、誰かに引き受けてもらうのが、「推薦委員」のお仕事だからです。私は昨年までの2年間、この「推薦委員」のお仕事をしていました。それまで、幼稚園での「本部役員」経験はありましたが、園での「本部役員」選出は園側が全権を担っていて、私たちには何の苦労も負担もありませんでした。(クラス幹事はやはり、クラスでの互選だったので、若干の譲り合いはありましたが…)小学校のPTAはどうなっているのか、予備知識はほとんどゼロ、からのスタートでした。その私が、「推薦委員」の仕事をしてみて、どう思ったか?結論から言うと、とても「楽しんで」仕事をすることができました。もちろん、人にも恵まれていました。しかし、他の小中学校の方とお話をしたりして、一般的に「推薦委員」というものが、大変つらいお仕事だと思われているらしい、それには、ある法則があるらしい、ということに気付きました。そこで、「楽しんで」「推薦委員をこなす」or「役員選出をする」ための、私なりのノウハウを公開しよう、と思い立ちました。この記事を読んでいただいて、悩み苦しむ委員さんが1人でも減ったら、とてもうれしいです。-------------------------------「推薦委員」の仕事内容と、位置づけ学校により違いがあるので、最初に私の経験した「推薦委員」の仕事内容と、PTA規約上の位置づけを、書いておく必要があるかもしれません。まず、我が校の場合、次年度の本部役員は「投票」ではなく、「推薦」によって選出します。PTA会員(管理職の校長先生を除く、教職員と保護者)全員を対象に、11月上旬に「推薦用紙」を配布します。「推薦用紙」には無記名で3人の名前を記入し、PTA会員全員それぞれの名入り封筒に封入してもらったものを、締切日に回収し、その後、非公開で集計します。ここで推薦された方たちの名簿を元に、推薦委員が対象者を直接、家庭訪問し、候補者を絞り込み、内諾をいただくまで、活動は続きます。これが、私の経験した「推薦委員」の主な活動です。我が校のPTA会則の規約上は、他の各種委員会と異なり、各種委員会の三役で構成される「三役会」を経ないで、「本部役員」の直接管轄を受ける「本部役員推薦委員会」という名称になっています。これは、各種委員会(推薦委員会を含む)の三役で構成される「三役会」の議論・採決を経ずに、「本部役員」の許可さえあれば、「本部役員推薦委員会」が単独で動けることを示しています。これは、私が考える「推薦委員」が「楽しくお仕事をする」ことのためには、大変に重要なポイントです。理由は、後述します。「委員」になったら、こういう心構えでいよう!「委員」であっても、「権利」と「義務」は、他のメンバーと同等である。「推薦委員」に限らず、「クラス委員」でも、「習い事の幹事」でも、考え方は同じです。よく「委員」になったから、他の人に指示・命令しなくてはならない、とか、「委員」は、「他の人よりたくさんの」仕事と責任を負わなくてはならない、とか、思い込んで、ユーウツになる方がいらっしゃいます。その必要は、ぜ~んぜん、ありません!!!そもそも「委員」とは、 その学校や団体で行いたい、と思うお仕事・行事などを、 全員ですると、人数が多すぎる、とか、 やろうと思っても、事情でできない人がいる、とかで、全員の中から、数人にお願いして、「代わりに」「善意で」やってもらう。それが、「委員」さんなのです。だから…他のメンバーにできないことは、「委員」さんにも、できなくていい。「委員」だからと言って、他の人より優れていなくてはならない、なんてことはありません。「他の人と同じくらい」貢献できれば十分、なのです。現実には、人によって得意不得意がありますから、それぞれの得意分野で貢献できればいい、と考えます。また、こう考えてくると、「委員」だからと言って、他のメンバーの責任まで負う必要はない。「委員」も「他のメンバー」も、その学校・団体の中では、平等の権利と義務を持っています。「委員」であっても、PTA会費は同額納めるし、「習い事の幹事」であっても、子供の月謝が安くなるわけではありません。必要に応じて交通費・通信費などが支払われるかもしれませんが、それはお手伝いしてくださったことへのささやかな代償であって、「特別な便宜」が図られるわけではないのです。ましてや、子供の成績が上乗せされる、なんてことは絶対にありません(笑)反対に、「委員」だから休日返上して「働かなくてはならない」なんてこともありません。「みんなの代わりに」「善意で」していただいている、のですから。できない時は、できない、と断ればよいのです。他のメンバーの方と同じく。「委員」であっても、「PTA会員」としての「権利」と「義務」は、他のメンバーの方たちのそれと、なんら変わりがないのです。---------------------------------------ここまで、お分かりいただけたかどうか…とりあえず、今日はここまで。
2007.04.16
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先日、NHKでグーゴルの特集番組がありました。全部を見てはいませんが、グーゴルがどんな世界を作り出し、その世界で生きている人々は何をしているのかを、映し出していました。中でも、「検索結果が操作されたのではないか?」…ある会社のホームページがある日突然、ランキング1位から、ランキング外に、つまり「検索結果に表示されなくなったことによって、売り上げに致命的なダメージを受けた」として訴訟を起こした件が、印象に残りました。訴えられたグーゴル側の言い分は、「その会社のホームページには価値がないと判断した」もっともだと思いました。グーゴルには、あるホームページについて「価値がない」と判断する自由があります。同時に私にも、「グーゴルは、私にとって価値があるか?」を判断する自由があります。そして私は、結論を下します。「グーゴルは、私たちと同じような人間が運営している、数ある企業の中の一企業であって、決して絶対的な存在ではない」インターネットは開けた世界であると共に、狭く閉じた世界でもあります。ひとたびアップロードされたものは、世界中からアクセスできますし、こちらからも世界中にアクセスできます。反面、どんなに価値があると思われるものでも、どこかの誰かがアップロードしてくれなければ、インターネットの世界では存在しないのと同じです。試しに、自分にとって価値があると思われる単語を、グーゴルで検索してみてください。友人の名前、大好きなもの、何でも。検索結果は、今インターネット上に存在するものの中から、グーゴルがリサーチし、価値を判断して順位をつけたものです。もちろん、私自身のランキングとは一致しません。しかし仮に、私の大好きなものが検索結果にまったくヒットしなかったとしても、この世に存在しないわけでも、無価値だというわけでもありません。同じ意味で、「インターネットで何でも調べられる」という文章は、正しくもあり、間違いでもあります。インターネット上の文章は、必ず誰かが書いてくれたものであって、絶対・客観的な真実とは程遠いものです。書いた人がその内容に責任を負うのであって、いつも正しいのは「その人が書いた」という事実だけです。誰も書かない真実、というものは、いつでも存在する。所詮、インターネットは「世間の噂話」とそんなに変わらない。だから、信じるのも信じないのも自由。「書いた人を、信じるか?」これが、私の基準です。信じると決めるのは、私の責任。「100パーセント信じられる人」を、あなたは知っていますか?…ここまで考えると、私はどのホームページにも、「絶対」の内容を求めていないことに気付きました。私自身が、「絶対」と言える人間ではないから。「人生、ぼちぼち」芋たこなんきん(NHK朝ドラのせりふより)
2007.02.02
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NHK総合「生活ホットモーニング」で「バリデーション」という言葉を知りました。観察してみると、どうもコーチングで使うスキルと、かなり共通する部分がありそう。ちなみに公認日本バリデーション協会ホームページによると、バリデーションとは認知症のある人に心から共感し、寄り添うことによってその人自身を理解し、介護者自身も豊かになるという超コミュニケーション法らしい。実際に見た番組では、介護施設の職員が、今までは…困ったことを言う人を、なだめたり、時には嘘をついたりして、介護が円滑にいくよう対処していた。バリデーションを使うと…そういう人の言うことを、まずとことん聞いて、共感する。視覚や聴覚が衰えている人も多いので、肌で触れ合って安心させる。ということをやっていた。それでも事実と違うことを言い続けて、実際には存在しない状況を「ある」と言い、「それを変えて欲しい」と言ってきかない人に、どう対処するか、職員の方が悩む姿が映されていた。「相手の言うことをきく」=「相手の言い分を事実と認めること」?すると、「相手を1人の人間として尊重し、うそをつかない」という基本方針と矛盾する。…そう悩んでいらしたのです。ここで、声を大にして言いたい!…全国のコーチの皆さん、ぜひご一緒に!「相手の言うことを聞く」 と 「相手の言い分を事実と認める」は、イコールじゃありませんっ!!…ぜえぜえ。解説します。相手が、「これはAだ」と言いました。…現実には、これはAじゃなくて、Bだったとします。このとき、「相手の言うことを聞く」にはどうするか?簡単です。文字通り、「相手の言うこと」 を 「聞けばいい」 のです。つまり、「相手の言うこと」=「これはAだ」「聞く」=耳を傾けて、「相手の言うこと」=「相手の言っている事実」を、そのまま受け止める。 「相手が『これはAだ』と言っている」現実を、実際に起こったこととして、受け止めるのです。「これはAだ」という言い分を、そのまま認める必要は、全然ないんですよ。これは、実際に試してみれば、すぐわかります。相手「これはAだ」自分「これはAだと思ったんですね」相手の方が、「これはA」だと思うのは、自由でしょう?「これはAじゃないと思う」と言わなくてはならないのは、他に害が及ぶときです。その時でも、いったん「Aだと思ったんですね」と受けとめることは必要です。「相手の言うことを聞く」ことで、何が得られるのか?ひっくり返せば、「自分の言い分を聞いてもらう」ことで、どんないいことがあるのか?…「言うことを聞いてくれる相手がいる」だけで、どんなにうれしいか。私は、数日前のブログに書きました。何も賛成したり、反対してくれなくてもいいんです。ただ、聞いてくれるだけでいいんです。いったん聞いてくれたら、そのあと相手がどう思おうと、とにかく後の話。極端に言えば「私には関係がない」のです。最初はとにかく、私の言い分を聞いてほしいんです!…わかっていただけましたか???相手にとっての真実と、私にとっての真実は、たいてい違う。だから、相手がAだと言っても、私にはBかもしれない。このケースでは事実、そうなんですよね。よく考えたら、よくあることじゃありません?ですから…介護施設のみなさ~ん!!!悩まないでください!応援してます!がんばってくださいっっっ!!!
2007.01.26
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明けましておめでとうございます!今年もぼちぼち、よろしくお願い申し上げます。さて、もうひとつのブログにコーチングのことを書いたので、こちらにもアップしますね。…新しいマイコーチとの、年明け最初のセッション。自分に焦点を当て、思う存分自分のことだけを考え、話すことができる貴重な時間です。実は昨年、コーチをつけていなかった期間が、思いがけず長かった。久しぶりに受ける側に回って、「なんて楽しいの~!しかもなんで、こんなことに気付かなかったんだろう~!!」…自分がコーチのくせして、ばかみたい(笑)「…自分にはあたりまえすぎて気付かないようなことでも、他人にとってあたりまえでなかったら、それがその人の強みになるんですよ。○○さんにはこんなにたくさん、強みがあるじゃないですか。」普段、クライアントさんにお話しする機会の多いフレーズです。するとだいたい「はぁ」とか「へぇ~」とか、妙に感心されたりして。「いや別に私が偉いんじゃなくて、あなたが偉いと思うんだけど」と思ったり。まあそんなことが、「コーチやっててよかった理由その1」になるんだけど。…今日はほぼそのまんま、自分が言われてしまいました。笑うしかない。自分のことって、こうまで気付かないものでしょうか。あはははは~。だから、聞いてくれる人がいると、いいのよね。しかし、そろそろプロフェッショナル認定試験をまじめに考えなきゃなのに、コーチング受け始めの人と同じところで感心してて、どうする。…さて、また明日もがんばるか!
2007.01.10
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「指導力が低下した」「指導力が強まった」などとよく言います。…不思議だなぁと思いました。だって「指導力」という言葉が、具体的に何を表しているのか、今の私にはわかりませんから。ニュースを聞いて考えると、「指導力」=「その人の言うことを聞く」と、周囲の人が決めているかどうか ???考えれば考えるほど、わからなくなってきます。…人は何かを言い表す時、自分の視点・基準で、見聞きしたものごとを拾い上げます。拾い上げる時に「言葉」が選ばれ使われ、ものごとがその人なりに「定義」されます。「定義」されたものごとを、また自分なりに組み合わせ、判断した結果は、また「言葉=定義」を選んで、その人なりの表現で話されます。話された「言葉」は、「事実」ではないよね?人が使う「言葉」は、あくまでその人のもの。「私にとっての事実=言葉」は、自分で決められる!…そう考えたら、わくわくしてきました!
2006.12.22
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先日、子どもと一緒に、3人のお友達のところへ行って来ました。「これからも仲良く遊んで欲しいから、仲間はずれにしたり、命令ごっこでたたいたりをやめて欲しい」とお願いに行って来たのです。世間では、「いじめ」という言葉がよく使われています。今回のことも、「いじめられた」という言い方をする方がいらっしゃるかもしれません。しかし「いじめ」という言葉を使うことで、かえってそれぞれの子どもたちの心の動きや、そこに表れた行動をよく見ない・考えないで、半ば「自動的に」じゃあどうしましょう、一般的な対処法を…とあせって行動しようとする方が多いような気がします。今回の場合、息子はしばらく前から「入れてくれない」「貸してくれない」「命令された」「従わないとたたかれた」と、帰宅してから泣くことが、時々ありました。そして最近は、その頻度が増えてきていました。しかし同時に、彼らのことを「一番の友達」だと言い、これからも一緒に遊びたい、と訴えました。「そういうことはいやだ、とはっきり言いなさい」何度かそうアドバイスをしましたが、見るからに小さく腕力もなく、「いやだ」と言っても大した迫力をかもしださない彼の場合、言っても無駄なことは、ある意味明らかでした。注意してそれとなく観察すると、お友達はちょっとわがままを言うことを楽しむように、「来るな」「入れてやらない」とわが子に言い、彼の困った表情を引き起こしたのは自分の力だ、ということを楽しんでいるように見えました。けれどそれはただそれだけの話。お友達は、決して彼が嫌いなのではない。好きな相手への甘えが、エスカレートしているだけだ。…私には、そんな風に見えました。もちろん、観察している間にも、わが子は「いじめられた」と言って泣いています。しかしここですぐに、お友達に「どうしたの?」と聞いても、「ちょっと××してただけ」「だって○○だから」と自分の行動を正当化するだけです。どうしたらよいか、よく考えました。「まず、先生に相談しましょう」…今回は、学校での出来事ではありません。相談すると、かえって事を大きくすると思いました。第三者である先生から、事の次第を聞かされる親は、自分の子どもが…というショックと、先生に知られた…という二重のショックで、とてもいやな思いをするだろう、と思いました。そして、そんなショックをもたらした私を、心ならずも恨むのが自然だろう、と思いました。もう少し、考えました。…「直接」相手に伝えるのが、一番簡単で、確実だ。何を伝える?謝って欲しいのではありません。こういう時、「謝らされた」と思った側が、どんなに傷つくか。謝ってもらうのは、その人が心から「謝りたい」と思ったときだけで十分です。こちらから伝えたいのは、2つだけ。「これからも仲良く遊びたい」「相手も仲良くしようと思ってくれるなら、これからは、こちらのいやだと思うことをやめて欲しい」伝えました。どの子も、わが子と「これからも遊びたい」と思っていました。「これからも関係が続くのが当たり前」という気持ちの中で、いろいろな行動をしていました。でも、そうじゃない。自分たちの行動で、関係は変わるんだ。「明日からどうしたらいいですか、もう一緒に遊ばせないほうがいいですか」すぐに、そう心配してくださったおかあさまがいました。それは困る。「これからも仲良く遊んで欲しい」のですから。そう言うと、どの子も泣きました。泣いて、「ありがとう」と言っているように見えました。翌日から、どの子とも、暖かい関係が帰ってきました。本当に、ありがとう。息子は暖かい友情に囲まれて、幸せです。
2006.12.18
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日経夕刊のコラムに、「ところ変われば」というのがあります。12月9日(土)付の記事は、「家を継ぐのは末娘」…タイ・チェンマイの習慣でした。「長男や長女は先に家を出て行く。長い間、親の面倒を見なくちゃいけない末っ子に相続させるのが自然」「娘に面倒を見てもらいたいのは、いずこも同じ(…ん?そう?)」「男性は結婚すると妻の実家に引っ越すことが多い」「残った末娘が夫を迎え、同居する両親の面倒を見る慣習が定着した」ということらしい。もっとも以前は夫婦別姓が当たり前だった山間部でも、別姓を認めない法律が浸透して、妻が夫の苗字を名乗るようになり、「妻の社会的地位が低下し、娘への相続も少なくなってきた」のだそうです。見出しは普段、私が日本の習慣と思っていることと、まったく反対のお話のような気がしたけれど。なんだか、どっかで聞いたことのあるお話が、ところどころで混ざってるような…ちなみに日本の夫婦同姓はウィキペディアによると、明治31年の民法成立以来。それ以前の明治9年には、武家社会にならい、なんと夫婦別姓の法律が成立していたらしい。もっと以前の徳川時代には、農民・町民が氏を使うことはできなかった。それが、明治時代に平民の氏の使用が許可され、戸籍を整えるために義務化され、…という流れのようです。「日本伝統」という言葉もそうですが、「当たり前」と思い込んでいることが、実は当たり前じゃないことがよくある。…ということを、改めて思い出させてくれた記事でした。
2006.12.09
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今日は、同じママコーチということで、3人の魅力的な女性たちと、久々においしいランチをしてきました。「コーチ」という共通の名前はあるけれど、個々のスタンスは違う。それが面白くもあり、興味深くもあり。しかし一方でそれが、まだ「コーチングって何?」という時代に、疑問や誤解(「コーチはみ~んなこんなもの?」)を産むのかもしれない、とも感じました。コーチも人間。他の職業と同じく、自分に合う・合わないが、必ずあります。感覚だったり、価値観だったり。味見?しないと、わからないことも多くあります。直接、メールや、電話や、対面で、お話してみてください。出会ってしばらくしてから、ようやく、合わないことを悟る場合もあります。それは失敗じゃなくて、貴重な経験。欲しいものは、あきらめないで。どこへでも、探しに行きましょう!…なかったら?「自分で作る」そう、チャンスは自分で取りに行けるもの。今日のランチで、改めて感じました。
2006.12.04
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誰かを責めても、罰しても、きっとうまくいかないでしょう。みんなから責められた人は、きっと苦しくなる。苦しくなった人が、生まれ変わったように行動を変えた、なんて話は、あんまり聞かない。環境が、あるでしょう。今までの歴史が、あるでしょう。何か言い分が、あるでしょう。原因と責任は違う。原因がわかったら、その責任は誰かにある。その人には、責任を自覚してもらって、きちんと謝ってもらうべきだ。…そうじゃなくて!みんなで一緒に考える。あなたの問題は、私の問題でもあるから。立場が逆転することだって、ないとは言えない。悪者を作って「悪くない」と思う側の皆で攻撃するより、同じ仲間としてその人と対話するほうが、私は好きです。み~んな「自分が正しい」って思うのが、当たり前だから。自分の行動の責任は、自分にあるのだから。人の行動をこちらから変えるなんてことは、たぶんできない。自分の行動を変えることすら、大変なんだから!自分にできることを、できる範囲でやる。それでいいんだと思います。
2006.11.29
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星の輝きに、きらめく音がついていたなんて!…何かがあふれて、思わず体中が熱くなり、涙がこみ上げてきました。私は車を運転します。その時々で、違う局のラジオを聴きます。今日はNHK-AMでした。聞いたのは、インタビューの本当に最後の1~2分。インタビューされていたのは、弾むような美しい声の、中途聴覚障害者の女性。…きっとインタビュアーの質問は、彼女に分かるように通訳されていたのでしょう。ワンテンポ遅れて出てくる答えはしかし、ちっとも不自由ではありませんでした。心もとない記憶をもとに、少し書いてみますね。Q.耳が不自由になってから、聞こえてくるようになった音ってなんですか?A.空に輝く星を見ると、あの輝きの音の素晴らしさ、あれが今まで聞こえなかったなんて、…Q.なるほど。…あのまたたきの音が聞こえたら、どんなに…そしてインタビュアーの方は確かに一言、唐突に「ごめんね」とおっしゃいました。その前後は、礼儀正しい紳士の会話だったのに。話しかけに答える時、彼女はまず、無邪気な笑い声をたてました。「うふふふ」「ははは」の混ざったような、透明なソプラノの笑い声に続いて、お話の声。ワンテンポ遅れて、転がるような声が、生き生きと語りだします。…大きなショックを受けました。最初は、なぜだかわかりませんでした。考えてみました。星のまたたきにふさわしい音を想像するなんて、そんなこと、考えたことなかった。想像してみたら…こんな美しい音を、今まで知らなかったなんて。そういう音の世界があったことも、自分がその世界を知らなかったことも、驚きでした。もうひとつ。彼女の話し方が、あまりに無邪気で楽しそうだった。普通、私たちはインタビューされると、それに応じて「大人」の受け答えをしようとします。コーチングでいうと、「ペーシング」=相手のペースに合わせる。それが、コミュニケーションをスムーズにし、お互いの信頼関係を生み、パワーを生み出すと説明されています。けれど彼女は耳が不自由な分、相手の声のトーンなどというものからは、全く自由でした。もちろんインタビュアーの表情や空気などは、伝わっていたでしょう。しかし、彼女の声の明るさ、張り、トーン。すべてがあまりにも、自由でした。その自由な明るさ、無邪気さ、力強さが、私の中の何かを、大きく揺さぶったのです。インタビュアーの唐突な「ごめんね」は、そんな何かに突き動かされて、思わず出てしまった。そんな風に聞こえました。相手を気にするばかりが、大事じゃないんですね。自分が明るく輝いていること、それが周囲を明るく照らす。そんなこともあるんですね。NHKラジオのサイトで確認してみました。松森果林さんという方でした。 今日も元気でわくわくラジオ本当に、ありがとう。感謝します。あなたの前向きな人生を、心から応援しています。
2006.11.28
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毎月1回、青山にある授乳服のお店「モーハウス」で、無料スポットコーチングをしています。今日は帰り道、久しぶりに近くの国連大学ギャラリーへ。毎回、いかに自分の想像を超えた悲惨な状況に置かれた人々が、同じ地球上で今も必死に生きようとしているのか、を思い知らされることになります。それは同時に、自分の今の状況を、いやでも再確認させられることになります。よく「目指せ!世界一」とか、「プールつき邸宅」とか、素敵な夢のお話をうかがう機会も少なくないのだけれど…私はいつも、こういう世界を視野に入れていたい。○○で一番、という言葉には最近、違和感を覚えるようになりました。一番でスポットライトを浴びている人の影で、たくさんの2番以下の人がひしめいていると思うと…なんだか落ち着かないのです。私はたぶん、「みんな一緒」が好きなんです。
2006.11.21
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コーチングを身内に使うのは、一番難しいとよく言われるけれど、私に関して言えば、恥ずかしながら、本当にその通り。…先週の私は、子供たちを怒鳴ってばかりだった。「早くやりなさい!」「もうやったの?」「まだなの?」「今、何時?」「もう、遅れるわよ!」…反省して今週は、少し変えてみた。いや違う。今朝は自分の身支度に追われて、怒鳴るタイミングを逃してしまっただけ。しまった、と思って、洗面所の鏡越しに子供たちを覗き込むと…な~んだ、ちゃんとやってるじゃない。ふ~う~…っと大きく、息をついてみた。そして、言ってみた。「今日は、いけそうだね」子供たちはゆったりと、朝食を食べた。それなのに、食べ終えるのがいつもより早いくらいだ。今までは、私が小言を言って、彼らの邪魔をしていたのだ…。たくさん怒鳴っていた先週よりも5分以上早く、子供たちは笑顔で「行ってきま~す!」と家を出て行った。拍子抜けとは、まさにこのこと。思い込みが、大きな邪魔をしていたんですね。明日も笑顔で送り出せますように。
2006.11.20
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娘は弦楽器を習っています。家で練習する時は、私が見ることが多いです。気になる点は、なるべくその場で指摘して、練習させます。すると…「どうしてこの弾き方が、いけないの?」せっかくいい気分で弾いてるのに、いちいちケチをつけられる。…彼女の顔に、ちゃ~んとそう書いてあります(笑)口とんがらせて言われた通りやっても、絶対にうまくなるわけがありません。だから、私が見ていないところでは元の木阿弥。仕事だなんだと見られない時に、「練習自分でやれるよね?」とやらせたら、さぼりまくりです。まずい!このままでは、今年の録音提出期限に間に合わない!…先日、「このままでは録音できないよ」とぐちぐち説教をいたしました。まったく、コーチらしからぬ振る舞いです(笑)案の定ここ数日、娘は悲壮な表情で、しぶしぶ練習をしていました。…今日は、週1回のレッスン日。いつもは他の曜日の、仲良しの同級生のお嬢ちゃんが、同じ課題曲を録音するので、「会えるように早くいらっしゃい」との先生のお達し。携帯ゲーム機仲間の息子も、大喜びでついてきました。教室に入った娘は、体中からあふれる喜びを隠し切れない様子。最初に、お友達が録音するところを静かに聴いていました。彼女は、毎日たくさん練習する、と聞いていますから(うちとはちょっと違って)弾きなれた安定した演奏に聞こえます。やっぱり、たくさん弾かせないとだめなんだよね…と親は反省モード。ところが娘は目をきらきらさせて、彼女の演奏を聞くのが本当にうれしそうです。そして、娘の番。今度はお友達が、椅子に座って聞いてくれます。うまくいくのかしらん…という親の心配をよそに、娘は大喜びモード。何度注意しても、口をとんがらせてなかなかやろうとしなかったことすべてを、今日は精力的にこなし…彼女の演奏は、今までで一番生き生きとしていて、本当に上手でした。私ったら…毎月1回のグループレッスンと、その前後での楽しいおしゃべり。同級生で同レベルという、連帯感や安心感。そこには、いじめや宿題はありません。みんな各自の課題がありながら、一緒に音を奏でる喜びを知っています。先生は、どうしたら彼女のモチベーションを引き出せるかを、よくご存知でした。「聞いてくれる誰かがいる喜び」「苦楽を共にする友人が、そこにいてくれるうれしさ」テクニックだけをあげつらって、できないことを責めるよりも、弾ける喜びを伝えたい。しみじみと感じた今日の日でした。
2006.11.16
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先日バスに乗ったら、20歳前後の女性3人組が乗ってきた。そのうち2人が離れて座っているのに、わざわざずーっと振り向いて、もう1人の一挙一投足を実況中継している。それがどうも変な感じ。離れて座っている女性は少しふくよかで、2人組とは明らかに違い、あんまりお化粧も服装も…という印象。そして2人組がいちいち実況するたびに、おどけてみせる。聞いているうちに、気分が滅入ってきた。2人組が、もう1人を徹底的にけなして、笑っているからだ。けなされているほうは、ただ力なく笑いながら、2人組と話すでもなく、延々と自分の用事をしている。けれど、けなされて茶々を入れられるたびに、少しずつリアクションをして、まるで機嫌をとっているようだ。どこかで見た。最近全然見てないけど、いつかバラエティ番組でお笑い芸人が、先輩タレントに突っ込まれて悪口言われ放題で、それでも愛想笑いを浮かべながら、惨めな一挙一投足をさらす、という場面だ。女性2人組の悪口はやまない。人のことをしつこくしつこくあげつらう前に、自分の仕事をしたらどうか。一度しかない貴重な人生を、人の揚げ足とりなんかにあんなに割くのは、あまりにももったいない。バカにされる女性の人生だって、あんな邪魔をされたくないはずだ。むかむかしてきたので、「あのう…」と話しかけようとしたが、鵜の目鷹の目で笑う相手に集中している2人組には、私の声は弱すぎて届かなかった。自分の勇気のなさを恥じた。愛想笑いの女性は、終点で並ぶ列の中でも、おどけた歩き方をしていた。彼女の心は、どうなっているんだろう…。2人組のあざ笑いセッションは、バスを降りても、まだまだやまなかった。他に、あれほど面白い楽しい話題を見つけることが、きっとできなかったのだろう。相手を思いやる会話、心が温まる会話を、彼女たちに少しでも体験してもらえる機会があれば、と心から思った。がんばらねば。
2006.11.15
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アサーティブネスのクラスを担当し始めて改めて、コーチングでこんなにアサーティブネスが役立つんだ…と感じる機会が増えています。アサーティブネス:相手も自分も尊重するコミュニケーション、スタンス、方法など現在、アサーティブジャパンというNPOもありますし、本屋さんでも書籍をたくさん目にすることができます。最近、注目の概念ですね~。もともと「人と違う意見を持つことは、けんかすることじゃないぞ」という信念を持つ私には、「アサーティブネス」という概念がわりと違和感なく、すっと入ってきました。もともとアサート(assert)=「自己主張」という意味なので、「他人も自分も尊重する自己主張の方法」などと訳されることが多いのですが、私自身は「自己主張の往復」=「コミュニケーション」と捉えています。「往復」ということは、自己主張をする人と、受け取る人がいる、ということ。だからこういうとき、どちらか一方の視野に限定されるイメージの「自己主張」という言葉は、「アサーティブネス」の説明には、あんまり使いたくないことが多いです。しかし、今回のクラスの準備で本を読み、周囲を注意して見回すと、意外にそう思っている人は多くないことに気付きました。「人と違う」=「対立」という構図です。それも決して間違いじゃないと思うけど、仮にいつもそうだと考えると、いつまでも人と対立していなくちゃならない。だって人は一人ひとり、違うもの。消耗するでしょう。私は吹奏楽やビッグバンドで、「みんな一緒」の楽しさ、尊さを味わいました。しかし同時に、「あなたの個性が必要なの」という場面も、数多くありました。「違うからこそ、そのおかげで、みんなが幸せを味わえる」経験。私には絶対できないことがある。あなたにも、あるかもしれない。でも、私にしか、できないこともあるらしい。あなたにも。シンプル、率直、穏やかな態度。あなたとの関係を、これからもお互いに、少しずつ心地よくしていきたい。単なるスキルではなく、そういう気持ちが、アサーティブネスの大事な部分じゃないかしら?…と思う今日この頃です。
2006.11.11
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今週、新しいことをやってみました。やってみてどうだったか。…楽しい!!!時間に、余裕ができたから。気持ちに、余裕ができたから。やればできる、と小さな自信がついたから。…大げさに言うのも恥ずかしいのですが、毎日の夕食のお献立です。ほぼ1週間分、子供たちの給食献立表を見ながら、バッティングしないように献立を考えました。それを、まとめてお買い物。毎日、1日のだいたいのタイムスケジュールにしたがって(主婦はいろんな仕事を同時進行する人です)、お料理した。…たったそれだけなんです。こんな小さなことでも、できたらうれしいものですね。なんだか力がわいてきます。
2006.11.10
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久しぶりの書き込みですが、そんなことはお構いなしに始まってしまいます。さて今朝の日経新聞第二部、素敵なワンピースをすっきりと着こなした、現在第三子妊娠中の後藤久美子さん(いわゆるゴクミ)のインタビューが大きく出ていました。そこで見つけたゴクミ語録(古いな)。「どんなに欲しくても、似合わなかったり、コンプレックスを隠してくれないような服だったら、あきらめます」「…少しでも自分をきれいに見せて、自分を元気にしてくれる服しか選びません」選ぶ基準はあくまで「自分」。そりゃ気持ちいいよねぇ~。さっそく自分に聞いてみます。「これは私を元気にする?」
2006.11.09
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上の子供には、つい厳しく言ってしまう。下の子供は、つい甘やかせてしまう。よくあるお話。うちは年子なので本当は歳がごく近いにもかかわらず、昔からの、このよくあるパターンに、そのまま当てはまってしまうことが多いように思います。ある時、考えました。上の子の1年前、今の下の子に対するのと同じ態度だっただろうか?…冷静になってみると、全然違う気がします。上の子の1年前は、今の下の子と同い年だ、ということは…少し考えたら、確かにその通り。なのに、親の私の態度が全然違う。…これ、ちょっとおかしいんじゃないかしら?逆に、下の子に今、1つ下の妹や弟がいるとして。同じ態度で接するでしょうか?…相手の環境を変えて、観察してみると、思いがけないことに気づかされることがあります。…日々、発見!!!
2005.03.14
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苦手なタイプ、いますか?私はいます。…いえ最近は、そうでもなくなりつつあるかな。まあたとえば、理路整然と、細かい理屈を言う人。こちらが言ったことに対して、とりあえずのリアクションをもらえない人。正直、苦手でした。…でもこういう人って、ごちゃごちゃ考えるのめんどくさいなーという時、しっかり足元を見て考えてくれるので、とても頼りになります。頼りにしちゃう。得意なタイプ、いますか?…この人といるとリラックスできる、という人がいますね。とりあえず反応してくれる人。調子に乗ってくれる人。…でもこういう人と話していると、調子に乗りすぎていつのまにかとんでもない方向に行ってしまい、「しまった!」ということもあり。タイプは良し悪しではありません。優劣でもありません。個性です。持って生まれた素質なんです。素質だから、強みにもなるし弱みにもなる。表裏一体。相手のタイプを知って、付き合ってみませんか。p.s.実は今、私の担当しているクラスが「タイプ分け」なんです。
2005.03.03
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コーチングを知ると、すぐ出会う言葉に「聞く」があります。「よく聞く」ことが、コーチングの始めの一歩、と言われますが。「人の話を聞く」…これ皆さん、楽しいですか?…楽しくない、という方。どうしてでしょう?…では、身近にどなたか、親身になってあなたの話を聞いてくださる方が、今いらっしゃいますか?…分かりました。いらっしゃらないんでしたら、ちょっと実験してみましょう。難しいことじゃないんですよ。どなたかお1人、お相手を見つけてください。そして、その方に1分だけ、お時間をいただいてください。何をしてもらうか。あなたのお話の聞き役になっていただくのです。ただそれだけ。お話しているあなたの顔をやさしく見守って、「ふーん」「へえ」「なるほどー」「いいですねー」などと、相槌を打ってもらってください。内容についての議論は、とりあえず後回し。「だけどさ」「それって違うんじゃないの?」などという、否定的な相槌は厳禁です。とにかく「聞いてもらえばいい」んですからね。好きな食べ物の話。好きな番組の話。何でもいいです。あなたの好きなことについて、1分間、思いのたけを話してください。…1分後、あなたは何を感じましたか?これは、実験の価値があります。頼みにくかったら、始めに自分が聞き役になりましょう。相手の方の感想を、ぜひ聞いてみてください。
2005.02.07
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目標を、山にたとえることが、よくありますね。上手になりたい、うまくやりたい…etc.などを、山の頂上とすると、どうやったらそこに立てるか。を考える。1つの例をお話しましょう。実は娘が、楽器を習っています。曲を弾いている途中で間違えると、いつも泣いてふくれてしまいます。じゃ、ゆっくりさらってみようか。と言うと、ますます、まずいことに。ゆっくり弾きたいんじゃない、早く弾きたいんだ!と言いたいみたい。それじゃ、いつまでたっても山の頂上に立てないよ。…と、いつもならお説教するのですが、逆効果。で、今度はこちらから質問してみました。どうして泣きたくなっちゃうの? :弾けると思ったのに、弾けなかったから。じゃ、弾けるようになりたいんだ。 :うん。つまり、上手に弾けたら、××ちゃんの登りたい山の頂上に着くんだね? :うん。どうやったら、山の頂上に行けると思う? :山の下のほうを全部、ぐるぐる回って、どこか登れるところがないか、さがす。そうか。見つかると思う?…じゃ、登る時にはどうやって登る?…スコップで地面掘ったら、いいかなぁ? :そんなことして、登れるわけないじゃん!(笑)でもさ。山登りしたことない人だったら、そういうことするかもしれないよ。 :…。知らない道登って、崖から落っこちるかも。 :…。でもさ、××ちゃんには、その山に登ったことあるガイドさんがいるんだよ。分かる? :…。先生だよ! :(驚いた顔)だってさ、それが先生のお仕事なんだよ。知らない人が来て、どうやったら山に登れるか聞かれたら、親切に教えてあげる。一緒に登って欲しい、って言われたら、一緒に登る。そうしたら、みんな安心だよね。先生はそのためにいるんだから、山の頂上への道を聞かれたら、嬉しいんだよ。 :(ますます驚いた顔)いつも先生、山の頂上への行き方、一生懸命教えてくれてるよ。弾けない時はどうしたらいいって、いつもおっしゃってる? :…ゆっくり練習する。(はっとして)…さあ、練習するよ!!!たとえ話を使うと、自分だけの視点から解き放たれて、少し客観的に状況を見つめることができます。行き詰ったと感じた時に、どうぞ。
2005.02.06
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JAFのドライビング・シミュレーターに挑戦しました。もっと簡単かと思ったのに、初めて1,2秒で、つまり最初の交差点を右折する前に、完全に「車酔い」状態…(経験者の方、いらっしゃいますか?)なぜ、あんなにすぐ、ひどく酔ってしまうのか?謎です。あんなに酔ってしまってもおもしろかったのだから、酔わなかったらきっともっと、面白かったんでしょうね。フルブレーキングのシミュレーションもしました。赤信号を見てからブレーキを踏むまでの空走時間、つまり反射神経が鍵のようです。しかし今更、反射神経を強化するよりも、「この速さならどのくらいの車間距離が必要か」を自覚することで、普段の運転時に生かせるのだと思いました。教訓。何事も、やってみなくてはわからない。
2005.02.05
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あわてて用事を済ませて帰宅して、「…あー、あそこに行って、あれやってくればよかったのに」と、あとから悔しい思いすること、ありませんか?実は今日、いつもより早く家を出て、いつものスーパーに行きました。最寄なのですが、うちから1キロ。郵便局はうちから反対側に、やっぱり1キロ。今日は、郵便局にも用事があったのですが、いつもいつも行ったりきたりで、ものすごく不便。郵便局って、日本一支店が多い金融機関だ、と聞いたことがあるような。だったら探せば、スーパーの近くに絶対あるはずだよな。…ずーと、そう思っていました。そして。今日、見つけました。なーんだ、すぐ近くじゃん!余裕があるって、すてき。
2005.02.04
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今日はちょっと、生産的な時間の使い方をしよう。だって、私にはやりたいことがあるんだもの。それを普段、ちょっと忘れてるだけなのよね。思い出したら大丈夫、できるよね。
2005.02.03
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【以下の連載は終了いたしました】おかげさまで「高校教育資料」2006年冬号をもちまして、連載終了いたしました。ご協力いただいた方々、ありがとうございました。連載は終了しましたが、引き続き教育関係の方々のお役に立ちたいと願っていますので、関心をお持ちの方は、ご遠慮なくお問い合わせくださいね。(2006.03.06 07:02:20)実はこのたび、高校教諭向け小冊子(季刊)に、コーチング・コラムを連載することになりました。そこで、現場の高校教諭の方で、コーチングに興味をお持ちの方を募集いたします。昔から、教育には強い関心を持っていましたが、今回、その関心と現在の自分の仕事をリンクできることになり、大変に嬉しく思っています。しかし、私には教職の経験がありません。コラムの内容について、大体の考えはあるのですが、どうせ書くなら現場で使えるものにしたい。そのために、現場ではいったい何を必要としているのか、知りたいと思っています。ご希望の方に、無料コーチングをご提供いたします。予定人数は、5名程度。基本的には、簡単なオリエンテーションの後、無料で30分程度のセッション×2回、を考えています。セッションは、電話または、スカイプ(Skype)で行います。----*スカイプ : 無料インターネット電話ソフト。無料でダウンロードできる。ウィンドウズ・パソコンにインストールして利用。マイクとスピーカー(またはヘッドセット)を用意し、インターネットに接続すれば、世界中のスカイプ・ユーザーと、無料で好きなだけ通話できる。文字によるチャットも楽しめる。『スカイプ』Livedoorのホームページ http://skype.livedoor.com/ ----テーマは、高校教諭として困っていること、何とかしたいと思っていることなど。コーチングってなんだ?と思われた方は、ぜひこちらをお読みになってみてください。(私がCTPクラスコーチをしているコーチ・トゥエンティワンのQ&Aページです)コーチングとは何かについて、簡潔な説明があります。コーチには守秘義務がありますので、ご本人の許可なく、内容を他へ漏らすことはいたしません。また、コーチングの内容自体は、通常のクライアント様と正式に契約して行うものと、なんら質的に変わるものではありません。ご本人のご希望にもよりますが、基本的には「現状把握・ 質問によって気づきを促す・振り返り・目標の設定…」というような、通常のコーチングの流れに沿うものになります。ただし、今回の無料セッションは、まず上記の目的で実施しますので、扱うテーマをより一般化して、コラムで取り上げることがあります。また、ご本人の許可をいただければ、仮名扱いで、実際の例として取り上げる場合もあります。それとは別に、コーチングについて知りたいこと、またぜひコラムで取り上げて欲しいことなどありましたら、どんどん伺いたいと思います。日程その他は、改めてご相談させていただきます。また無料セッションの後、続けてコーチングを受けたい場合、改めてご相談に応じます。特にお申し出がなければ、2回で終了となります。コーチとしての私のプロフィールは、こちらです。詳細は、メールでお願いいたします。----現在のところ、私の高校時代の同級生が数名、実家方面で高校教諭をしていますので、そのうちの何人かには協力依頼をし、お返事をいただいています。ただ、当然年齢は私と同じですし、勤務校が実家のある地方に限られてしまうので、できればもっといろんな方のお話を伺いたいと思っています。ご協力をいただければ、大変嬉しいです。よろしくお願いいたします。
2005.02.02
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コーチングについてのあれこれを、こちらでまとめてアップしたいと思っています。ただいま準備中です。しばらくお待ちくださいね!
2005.02.01
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