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夫の中学時代の同級生が、渋谷のクラブ「amate-raxi」にてイベントを主催するということで誘われて行ってきました。せっかくなので早めに出かけてブラブラすることに。家を出ると裏の公園でカメラをかまえる方がいて小さな池に狙いを定めていたのですが、そこにはカワセミの姿が!他にデジカメで撮影されていた男性が「さっきからずっといるんだよ」と教えてくれました。私も一度だけ、この裏の公園でカワセミを見かけたことがありますが夫は通勤途中に何度か出会っているそうで、今の時期、頑張ればかなりの確率でお目にかかれそうです。新宿で中央線から山手線に乗り換え、原宿で下車。お目当ては原宿駅の真向かいにある「モノコムサ」。 カワイイ!モノコムサ&おしりかじり虫のコラボレートを雑誌で知った私は、渋谷へ出かける時に絶対に寄ろうと決めていました。正直、モノコムサはどうでも良いが「おしりかじり虫」はスルーできない。「非常にくだらん」という方もいらっしゃると思いますが、私にはメチャメチャツボな「おしりかじり虫」。曲自体もイケてます。ヘッドフォンを通すとよく判りますがオシャレな楽曲なのです。 店頭ディスプレイ。2メートルの「おしりかじり虫ツリー」もありましたよ。私が「モノコムサ」で手に入れたもの。 カワE~~~!!我が家のおしりかじり虫(シジミ)も参上。黒いおしりかじり虫は「モノコムサ」のオリジナルです。ピンクのポーチは「かじりギャル」。下まつ毛が特徴です。それでもって、渋谷にはおしりかじり虫の総本山があるではないですか。 NHK。私は「おしりかじり虫」グッズ目当て。夫は大好きな朝の連続ドラマ「ちりとてちん」の情報集め。 大喜びの夫。私はもうずっと視聴していませんが、一度観だすとハマってしまうのは理解できます。 特にこの人が好きらしい。誰だかサッパリわからないのですが、夫はキャアキャア騒いでいました。そして食堂のメニューでこんなものを見つけて さば寿司?とにかくキャアキャア騒いでいました(夫が)。色んな場所で「どーもくん」を見かけました。そして、どーもくんのお友達で「うさじい」は認知していたのですが、 この黄色い子・・・ 胴長、短足。これって・・・「イタチではなかろうか????」ウズウズして案内係のお姉さんに訊いてみました。「たーちゃんと言います。イタチですよ」おお!やはりそうでしたか。フェレットと暮らす私にとってイタチは他人ではありません。公の場でのイタチの登場回数は極端に少ないので嬉しい。「ガンバ」に出てくるイタチは悪者だった記憶がありますし。スタジオパークには懐かしいパネルがいっぱい。 こんなのとか こんなのも。あ~、子供の頃を思い出すわ。一週間後に迫りました。 司会の方々のメッセージ。 ・・・・・・・・・。他にも出場歌手の方々の直筆メッセージが寄せられていました。写真を沢山撮ったのですが、載せてよいものか。やめておきます。(中居さん載せてしまいましたが)「スタジオパーク」で手に入れたもの。 たーちゃんのキーホルダーもネ。この後、向いのCCレモンホール前で一休みしたのですが よく慣れた子です。石段に腰掛けていた私たちのすぐ背後にも。手を伸ばせば触れてしまえそうな至近距離のスズメさんは初めて。いつもおこぼれをもらっているのでしょうね。真ん丸でした。
Dec 23, 2007
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爽やかな秋晴れでお散歩日和。今日は私の出身である相模原市を歩くことにしました。最寄の豊田駅から中央線で9:12発。八王子でJR横浜線に乗り換え9:19発。古淵駅に到着したのは9:41でした。久し振りの横浜線車内から見る風景は懐かしいものばかり。学生の時は相模原から淵野辺まで乗車し、そこから学バスで通っていました。古淵駅はアルバイトをしていた場所。14年ぶりに古淵駅で下車して、バイトをしていた当時のルートでお店まで歩きました。途中見つけたもの。 八王子道というらしい。八王子方面へ向かう人が通ったので八王子道。そのままですね。国道16号より一本手前(駅寄り)の道です。そして国道沿いへ出て、クリスマスとお年玉の時期だけ働いていた懐かしのバイト先。 今となっては店舗数も増えましたが・・私がバイトをしていた当時はあまり無く、その年のクリスマスシーズンには全店舗の中で売り上げ世界一を達成したということです(本当かな?)。国道沿いを横浜方面へ歩きます。左手に相模原南警察署が見えてきたら、歩道橋を渡って対岸へ。 歩道橋の上から(横浜方向)。相変わらず交通量が多いですね。警察署の前なので、この後ろ側には立派なオービスがありました。歩道橋を渡るとすぐ「相模原慰霊塔参道」があります。太平洋戦争の戦没者を祀る相模原市の施設。この参道は約500mだそうです。 左右は車道です。 木々に覆われた静かな道。少し手前までは、普通に住宅が建っています。前日まで雨が降っていたので、たっぷり水を含んだ腐葉土のにおいが左右から立ちこめます。湿気が多いせいか、ひときわ涼しい場所でした。 塔が見えてきました。 太平洋諸島で亡くなった方々の数が記されています。すぐ脇には「相模原慰霊塔の沿革」が記された碑がありました。昭和18年、陸軍によって「忠霊塔」が建てられ、終戦後の27年からは相模原町が管理し、塔の中には遺品や名簿が納められているそうです。相模原は戦前から軍都計画が持ち上がったため、陸軍の施設が多くありました。陸軍士官学校、演習場、通信学校などがあった南部地域、今でも「米軍相模総合補給廠」として相模原から矢部へ続く広大な土地も戦時中は造兵廠や研究所でした。市が管理をする立派な慰霊塔があるのは当然かも知れません。 慰霊の気持ちで手を合わせます。敷地内には様々な慰霊碑が立ち並んでいます。 近衛師団電信第一部隊慰霊碑その中でひときわ新しい歌碑が目につきました。さくら咲く頃は 還れるかも知れぬむなしく過ぎし 六十年の歳月裏には「平成17年靖国神社献詠歌選 作 永田芳子」とありました。そして今年の2月に相模原市の戦没者慰霊会によって建てられた碑であるということも彫られていました。心の奥まで直に響く、悲しい歌でした。
Nov 12, 2007
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