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タンパク質のネタを続ける。我が記憶が正しければ、「タンパク質が足りないよ」のCMソングがテレビで流れていたのは、1964年の東京オリンピック開催頃のことだった。1964年。敗戦から19年後。日本は経済的にも立ち直りつつあり、付随して食の面では「餓死」だの「栄養失調」だの、そんなネガティブワードは縁遠くなっていたはずながら、その食の中身は、、、?少なくとも、私が生まれて育った、岡山県東南部にある、特別に貧しくはなくても決して豊かとは言えない草深い村の当時の食生活は、あくまで「米」が主で、味噌汁などの汁物や煮浸しとかの野菜料理、そしてイワシに代表される大衆魚をシンプルに焼いた魚料理もろもろ、つまり「おかず」とされていた品々は従。ぶっちゃけ、ビンボーだったのだよ、、、あれやこれや理屈を並べても、日本は。1960年代前半は現在のように東京一極集中ではなかったから、食生活面でも、こんな我が故郷みたいな地域は多かったのではないか。それから約60年経った2020年代。食生活は当時とは信じられないくらいに量も質も豊かになった。なのに、である。日本人のタンパク質摂取量は、いっときは増えたものの、現在では「タンパク質が足りないよ」のCMが流れていた頃に戻っていると言うのだ。原因の1つに、世代全般に根付くダイエット思考があるのだそう。もっとも、「ダイエット中でもタンパク質は絶対に減らしてならない」と、信頼できる栄養書なら明記している。1960年代の「タンパク質が足りないよ」も2020年代の「タンパク質は足りないよ」も、究極のところは同じ。正しい情報を得ているか、いないか、なんだよ。写真は、記事にあらわした1964年東京オリンピックの陸上100メートル走で金メダルをとったボブ・ヘイズ(ソースは産経新聞)。彼の豪快な走りを社内食堂のテレビで見ていて、「やつらと俺ら(日本人)とでは食い物が違うからなあ」と溜息をつきつつ食べていた秋刀魚定食に目を落としたと書いた某雑誌記者。気持ち、わかるよ。
2024.06.19
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現在、高タンパク質商品って、ブームなん?牛乳やヨーグルトなどの乳製品をはじめ、他でも「タンパク質強化」を歌った商品のデモを立て続けに打診され、ふと思った。振り返れば、「タンパク質が足りないよ」なんてCMもあったなあ、、、67歳の私が子どもだった頃、すなわち60年くらい前に。もっとも、当時と現在とでは社会情勢も違うし、引いて引いて引いては食生活も違うし、当然、タンパク質の位置付けも違うわよなあ。ううむ?1960年代がとらえたタンパク質と、2020年代がとらえたタンパク質は、どう異なるのだろう?写真は、記事中に登場した「タンパク質が足りないよ」のCMに出演した、コメディアンでありミュージシャンであり俳優であった、谷啓(Wikipedia).
2024.06.19
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昨日は、京都府南部にある某店でH社の粉末だしのデモ。メニューは、旬でもあるキュウリを同社商品で揉み込んで作る、浅漬け。味そのものは大好物。「あっさり」「そんなにしょっぱくない」「サラダ風」。そうなんだよね、昭和に生きた私からすれば「漬物なんやろ? この味、ちょい頼りないんとちゃうかな」と感じる味が、特に若い世代や子どもたちに大受け。つまり、私たちの世代が覚えている漬物は、「重い」の、「塩辛い」の、時に「臭い」が定番だった。こういうの、現在では流行らないというか、そっぽを向かれるんだよね。これは、日本の食生活における漬物の立ち位置が変わったこととも無関係ではないと思う。ありていに述べれば、漬物は、かつてのように「ご飯のお供」ではなくなった。今や、お酒のつまみや、やっこのトッピングや、サンドイッチの具材にも使われる。この現実。今後の漬物業界の指針にもなろう。写真は、子なすの浅漬け(Wikipedia).
2024.06.17
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連続勤務の後の、いつもの張りなんですけれどね、これは。いつもであるからこそ、「ああ、こんなもんね」と、極めて冷静にかまえているが、今回はまことに辛い。だって、立っていたら、歩いている時でも、腰部と背部に違和感があるもの。無理して、シャンとしているような。2日連続勤務の2日目の午後、明らかに腰と背中にだるさを覚え、じんわりとした不快な痛みが。経営している治療院が定休日で、ゆえに日帰りツーリングに出かけている夫に、ダメ元で「可能なら、今日の現場に(ツーリングの)途中で寄って欲しい。そして、そのままバイクで連れて帰って。バスと電車を乗り継ぐ普通の方法なら、バスも電車も本数が少ないから時間がかかるし、座席に座れない可能性がある。もう一分一秒でも早く帰宅して横になりたいんだよ」とLINEで送ったら、即座に返信があり、私が定刻で退店すると同時に来てくれた。おかげで、本来よりずっと早く帰宅することができた。こんなにまでしてくれたのに、一夜明けた今日も、だるさを伴う背部から腰部にかけて「張ったような痛み」。これって、立ち仕事ゆえの職業病かね?写真は、京都府八幡市にある某大型スーパーの近くで撮ったもの。青い空と白い雲と緑。ごく当たり前の光景ながら、実は最高に幸せな光景。
2024.06.10
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6月最初の仕事は、とあるフルーツのデモ。ぶっちゃけ、デモの実施方法といい売上高といい、デモンストレーター側にとっては担当フルーツと同じくらいオイシイ案件。なぜなら、試食提供法は(フルーツを)小さく切るだけだし、売上もデモ日が台風だったなどのよほどの悪条件に見舞われない限り、そこそこの数字を示すことができるからだ。とは言え、やはり仕事は仕事。両手をあげて「楽ちんだぁー」というわけにはいかない面もある。売場ないしデモ光景の写真撮影である。くだんのフルーツの販売を仕切っている会社。試食も含めた宣伝には、デモ回数の関係もあり、当然ながら複数のエージェントを通す。この複数のエージェント。デモに対する考え方も、基本は同じだけれど、細部には微妙な違いがある。写真撮影の有無もその1つ。エージェントAは、「写真は撮れるようであれば撮って下さい」のスタンス。エージェントBは、「写真は必須。売場の写真を正面、右横、左横、そしてデモンストレーター自身も写ったデモ光景と買取のレシート、合計5枚をデモ日の昼休憩中に本部に送って下さい。さらにデモ終了後には、エプロンなどのデモ資材を返送した時に宅配業者からもらう伝票の写真も送って下さい」のスタンス。少し気がきく方なら容易に想像されるだろう、、、デモを実施しながらの写真撮影はけっこう難儀な作業だということを。しかも、エージェントによっては個人情報に非常にうるさいところがあり(この記事で述べているBエージェントではない。やはり写真撮影必須を義務付けている別のエージェント)、写真内に少しでもお客様の姿が仮に後ろ姿であっても不可として撮り直しを命じる。万が一なにかの拍子に写真が外部に漏れるとも限らないとの理由からだろうが、実際問題として、お客様が絶えない繁盛店の場合はお客様なしの現場写真を撮影するのは、限りなく不可能に近いですよ。そんなことやなにやで写真の撮り直しを何度もしていると、正直、肝心の宣伝販売の仕事に影響が出てくるんだよねえ。まして、自分のデモ風景は、その日に現場として入った先の店の従業員にお願いするしかないから、本当に気をつかう。皆が皆、喜んでスマホをいじってくれるわけではないし。恐らく、デモンストレーター体験がない人は、「スマホが普及した現在、写真なんて、すぐに撮れるじゃないの」と、思っているのだろう。夫は、「デモンストレーターの仕事は商品の宣伝と販売のはず。写真撮影などは売場を巡回するメーカー営業かエージェント営業がするもん。やのに、営業員の巡回費用を節約したくて末端のデモンストレーターに押し付けているんやろ。それはおかしい」と語る。プラス、レシートと宅配便伝票の写真まで要求するなんて!私たち、メーカーからもエージェントからも、よほど信用されない立場なんだね、、、。非正規雇用者、ズバリ、日雇いだから、仕方がない?写真は1番上の孫。昨日、6月4日が11回目の誕生日だった。中学受験に向けるハードな日々の、束の間のレクリェーション。
2024.06.05
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「座頭市と用心棒」(岡本喜八監督。1970年。日本)。お馴染み勝新の座頭市シリーズの中で、最大の観客数を動員、すなわち、1番ヒットした作品。三船敏郎をはじめ、嵐寛寿郎や若尾文子、岸田森など、豪華キャストが勢揃いしているのも魅力。(あらすじ)望むと望まざるにかかわらず、保身、あるいは立場上の事情から人を斬って(=殺めて)きた、市(座頭市)。そのことに疲れ、3年ぶりに、川がせせらぎ、梅の香りも豊かな、ある平和な村を訪れる。ところがその村。ヤクザと化した小仏一家に支配され、荒み切った空気が(村の)そこかしこに。市は、盲人独特の鋭いカンで異変に気付く。そんな彼の来訪を疎んじた小仏一家は、用心棒(三船敏郎)を雇う、、、。そこそこは楽しめたけれど、何と言うか、ストーリーの運びが今少しダラダラしている感が否めず、この映画の魅力は、やはり主演の勝新、そして日本を代表する俳優の1人である三船敏郎、さらに当代きっての美人女優の若尾文子、それぞれの体当たり演技だと思うのです。写真は、Yahooより。
2024.05.30
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「スクール・オブ・ロック」(2003年、アメリカ、リチャード・リンクレイター監督)。生活のためにニセ教師となった売れないロッカーと、名門小学校に通う、「大人の価値観で骨抜きにされた生徒たち」とが、ロックを通じて真のふれあいを体験し、共に変わっていく、コミカルにしてヒューマンな映画。作中、ロック・ファンならお馴染みの曲が多数流れ、それも観どころの1つ。(あらすじ)バンドをクビになった挙げ句、ルームメイトとその恋人に滞納した家賃を払わないのなら(部屋を)出ていくように言われた、ギタリストのデューイ。そんなある日、かかってきた1本の間違い電話から、ちゃっかり臨時教師になりすまして名門小学校へ。そこで見た生徒の姿は、大人たちが決めた規則にがんじがらめになっているせいか覇気がなく、表情も冴えない。音楽の授業で生徒たちに音楽の才能があることに気づいたデューイは、生徒たちにギターやキーボードを与え、演奏を教え、ロック魂までをも全身全霊で伝授する。生徒たちは、とまどいながらも、デューイの「熱い授業」に次第に惹かれていく、、、。主演のジャック・ブラックの体当たり演技と実際に演奏している生徒たちのパフォーマンスが素晴らしい!写真は、「シネマ・トゥデイ」より。
2024.05.30
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一昨日は、京都府南部の長岡京市(都が奈良から京都に移るまでの期間、暫定的に都とされた地だ)で仕事。担当は、ここ数年ブームになっている、質の高い睡眠機能をも加えた乳酸菌飲料。お客さんの数は多く、したがってざわついて空気も乾燥しやすかったはずなのに、アレルギー性の喘息症状が一度も現れなかったのは幸い。こういう日もある。振り返れば、父方の祖母は生まれてこのかた、病気らしい病気をしないまま若くして嫁ぎ、10人の子を産み(成人したのは8人)、88歳で亡くなる2日前まで、毎日クワをかついで畑に行き、元気に野良仕事にいそしんでいた。ある日の夕方、「どうも寒気がする」と、珍しく早くに床に着き、そのまま逝った、、、まるで、木が静かに倒れるように。こういう亡くなり方、実はとても幸せではないかと思う。写真は、阪急長岡京駅近くのアゼリア通りで写したもの。
2024.05.27
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一昨日は2年前に大腸がんの手術を受けた夫の定期検診日。異常なし(すなわち転移もなし)。ただ小さなポリープが1つ出来ていて、内視鏡により除去することになった。術後も術前と同じように生活している夫。仕事をして、趣味の土いじり(園芸、苔玉、プチ盆栽その他)をして、毎朝ウォーキングをして、酒の肴にもなる大好きな漬物をてずから漬けて、専門学校在籍時の友人たちと一泊程度の旅行をして、アクションものやチャンバラ系のDVDを観て。考えてみれば、病気は自分のカラダとココロが発するメッセージ。だとしたら、道連れ。なだめたり、すかしたり、時に教えられたり、時に互いに誤魔化し合いしながら人生を歩む相棒だ。写真は、近所の人が「もうずっとほったらかしで。よかったらもらって下さい」と持ってきてくれた松の盆栽を夫が自己流で手入れし、流木や苔や石などを使って作った箱庭。
2024.05.23
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今日は、よ◯葉ネタをしつこく引っ張るのではなく、そこから派生した、あるテーマ(課題と置き換えてもいい)について書いてみようと思う。私たちデモンストレーターが関西でよ◯葉商品を宣伝販売する時には、商品の品質、特に味をPRすると同時に、産地である「北海道」を前面に押し出すのが、一般的なパターン。なぜなら、関西人、いや北海道以外の地に住む人間の大半にとって、「北海道」はある種のブランドだからである。これを、よ◯葉がお膝元(北海道)でとらえられているのと同じイメージ(高価ながらそれ相応の風味)を地元の京都で持つS味食品の商品を北海道で宣伝販売するとしたら、、、やはり担当デモンストレーターは味覚と共に「京都」をセールストークの中でプッシュすることだろう。「京都」もまた京都人以外の人にとってはブランドなのだ。北海道や京都以外にも、ブランドになりうる地域は、県にしろまちにしろ、さらに国にしろ、存在する。ブランド理由は、風景だったり歴史だったりその地の特産品だったり、ここ数年では意図的に作り出されたご当地キャラクターだったり。反面、ブランドになることが難しい地域もある。とは言え、悲観することはない。行政と観光をはじめとする民間企業や個人事業主、さらに最も重要な構成員である地域の住民ががっちりスクラムを組めば、活路は開けるはず。そして、このことは、この国の将来にとっても、絶対に有益なはず。何せ、SNSで、「日本の中心は東京。(だから)東京に住むか、東京出身者以外の人間は、皆イナカモノ」と堂々と投稿する人間と、それに賛同するオモロイ輩もおり、ぶっちゃけ、そんな人が現在の「東京一極集中=地方過疎化問題」を招いている一端を担っているんだからねえ。写真は、よ◯葉のバターと北海道産のあずきを使った、あんバターパン。近所のパン屋で買ったものだ。
2024.05.22
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よ◯葉ネタを続けよう。前回、「函館を旅していて、関西ではその価格の高さゆえにやや特殊な見方をされている北海道発のよ◯葉乳業の商品が、ここ北海道ではお膝元の強みもあってか、道民の人たちに自然に溶け込んでいることに気がついた」旨を書いた。旅から帰った後、北海道に住んでいる複数の人にこの感想について尋ねたところ、「よ◯葉商品は、それなりのお値段ながら、そのお値段に応じた味と品質」ととらえられているのが、一般的だとか。ははーん、関西で言うなら、S味食品みたいな感じなのかな。S味食品。つゆや中華だしやポン酢などを発売している京都発のメーカーで、全国、もちろん札幌にも支社がある(ついでに海外にもあり)。このS味食品。いずれの商品価格も、そこいらの同商品の倍近く。でも風味は抜群なので、根強い固定ファンがいる(ここいら、私はここの商品を幾度となく宣伝販売しているから、よく知っているつもり)。そもそも、S味食品の公式ホームページに、「(S味の品は)お高いけれど、やっぱり美味しい」をコンセプトにしていると書いてあるからねえ。時代は変わる。社会も変わる。その中で生きる人も変わる。それでも、企業方針として、ぶれないと言うか絶対に変えてはいけない部分もあるわけで。そこをしっかりと認識するのが、企業トップに課せられた永遠の義務だと思う。写真は、帰省時に撮った函館の海。函館到着時は小雨で肌寒かったのに、帰る時は快晴だった。
2024.05.21
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(注)昨日に書き、保存しておいた記事。ちょうど1週間前の今日、私は北海道南部の港町の1つ函館で観光第一日目を満喫していたわけだが、早くもその時点で気づいたことがある。北海道に本社を置く、牛乳やチーズ、ヨーグルト、バターなどを生産販売するよ○葉乳業の、お膝元での強さを。少なくとも、我がホームグラウンドの関西に比べると、ずっと市民生活に浸透し、根付いているのではないか。関西では、よ○葉の商品は、「味がそれなりなら、お値段もそれなり」と、多分にセレブなイメージでとらえられていて(よ○葉商品を長年にわたって数多く宣伝販売してきた私は、このことを肌で感じている)、取り扱っていない、あるいは取り扱っていてもバター以外は少量というスーパーチェーンも少なくない。それが、お膝元ではどうだろう。偶然かも知れないけれど、スーパーはもとより、コンビニや個人店にいたるまで、よ○葉の商品は自然なおもむき、すなわち「当たり前」感を持って、店に置かれていた。恐らく、当のよ○葉自体も、長期的には全国をそんな状態に持っていきたいのだろう。この春から、滋賀県民の生活の拠り所とも言える庶民派スーパー平○堂で盛んにデモンストレーションを繰り広げるようになったことからも、その思惑はうかがえる。ただ、ブランドイメージは壊したくない、と言うか、断じて壊してはいけない。となると、販路拡大のためには、まず、ほとんどの大衆を納得させるだけのマーケティングコンセプトを設定しなければならない。よ○葉の場合、今回の一連のデモ商品は高タンパク系食品であることから連想して、それ(マーケティングコンセプト)は、「適度なタンパク質摂取によって得られる末永い健康」ではないのか。確かに、少なからざる数のシニアがアウトドア活動やスポーツジムのマシーンなどを通して筋力を鍛えている現状を前にすれば、その筋力増強に欠かせないタンパク質摂取は、幅広く受容される凡庸性あるコンセプトと言えるだろう。写真は、五稜郭の庭を散歩していた鴨さん。ご存知だろうか? 鳥にとっても筋肉はとても大事で、特に胸には全体の筋肉量の4分のIまでが集中していると言う。
2024.05.15
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もう1週間になるんだね、函館ぶらり1人旅に出かけて。いや、楽しかった、SNS上で何年もやりとりしている方々にもお会い出来て。ここいら、少しずつ話していこう。さて!函館に行ってあらためて感じたこと。函館観光は、昔はともかく現在では、かなりの確率で、新撰組副隊長だった土方歳三人気に支えられているのではないか。剣の達人であるばかりでなく、頭も切れ、かつイケメン。しかも悲劇的な最後をとげた。この背景だけで既に物語性じゅうぶんだよね。特に女性には大受けするタイプの内容。で、そういう女性層をも読者として取り込みたい作家先生たちが、各自の想像力と創造力を駆使して、「燃えよ剣」などの土方歳三を主人公に据えた小説をたくさん書き、幾つかは映画化ドラマ化漫画化もされた。結果、ますます新撰組ないし土方歳三の名が知れ渡ったわけだ。函館市内のあちらこちら、時にワインのラベルにすら見かけた、この写真(実際の土方歳三。Public domain.函館にいた頃に写されたとか)。じっと見ているうちに思った。これが例えば新撰組隊長の近藤勇だったら、ギャルもオバさまも含めた女性たちが、こんなに函館に押し寄せるようになったかどうか。時代や社会の一面をあらわす「人気」なるもの。これが、人口の半分を示す女性が作り上げることがある事実を、世の人はもっと知っておかねばならない。
2024.05.14
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ブログにも書いた通り、行く先々の現場で我がデモンストレーションを見て興味を抱き、この仕事をしたいと望む人には、原則、販売や営業体験者限定でデモンストレーター派遣会社を紹介しているが、畑違いの職業の人に紹介することもないわけではない。先日は、コロナ前までお笑い業界にいたと語るお客さんを紹介した。何でも才能に限界を感じてくらがえを考えてたところへコロナが直撃して仕事を失い、様々なバイトで糊口をしのんでいるうち、どうせなら今までの芸人生活で培ったものをいかした仕事がしたいと思うようになったのだとか。「前々からデモンストレーターは気になっていたのだけれど、今日、おねえさん(私のこと)のデモを見ていていよいよとピンときて。私、やってみたいです」。いいねえ。人を笑わせ喜ばせ、ステージという垣根を超えて共感し合い、そのことで双方参加の「一体空間」を作る芸人のスキルは、デモンストレーター業務でも必ず活きる!数年後、彼女は業界有数の名物デモンストレーターになっていることだろう。写真は3人の孫。
2024.05.03
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(注)昨日に書いた記事。今日から5月。すなわち、一年のうちの半分近くは過ぎてしまったことになる。今さらながら時間(とき)が経つ速さを感じる、と言うか、その速さ自体が加齢と共に増しているようで、切なさも実感する。ところで、仕事に行く先々で、その店のパートさんとかお客さんの中で、わがデモンストレーションを見てこの業界に興味を持つ人がいたら、販売や営業の体験を持つ人に限り、登録派遣会社4社のうちの2社を紹介している。何人かは登録してくれて、活躍中(私は自分の名前は明かさないが、彼女たちが派遣会社に問い合わせた時点で「この店でコレコレを売っていたデモンストレーターさんに紹介された」とその人が言うと、自然とわかるみたいだ。くだんの派遣会社2社からはどちらも「ご紹介ありがとう」のお礼メールが届いた)。3月最終週と4月第1週。喘息と花粉症で目一杯苦しんだ。それを、サプリなり食事なり生活習慣なりで対応できる情報も欲しくてSNSに書き込んだら「喘息にしろ花粉症にしろ、よほどでない限り命にかかわるわけじゃないでしょ。重篤な病を抱えている私にしてみれば大した病気じゃないよ。しんどがっているのが、笑えてくるね」云々と揶揄してきた輩がおり、正論であるだけに我がメンタルはダメージを受け、肝心の症状も苦しさに拍車が。「そいつ、そんな発言をして、もしかして、ココロをやられているんとちゃうか。病気の軽度重度に関わらず、虫歯でも何でも、病気はしんどいもんや」と怒った、がんを患った夫。そうだよね、、、。喘息も花粉症も主治医に話した結果、処方してくれた新薬が幸い我がカラダにフィットしたみたいで症状がおさまったけれど、暖かくなると、今度は恒例(?)のアトピーが始まった。もっとも、こちらは、医者もクスリもなしの塩浴療法でほとんど改善し、今後もそうだろう。だとしても、いつまで仕事が出来るかなー。冴えない人生を送ってきた私が、初めて、その冴えない人生体験をも商売上のネタに出来るデモンストレーター業に出会い、自己肯定感が持てた。しかも、デモンストレーターの世界。状況に応じて融通がきくし、仮に失敗してもリカバリーOK。つまり、良く言えば寛容、悪く言えばルーズなのだか、ここは日本に根強く残っている悪しき慣習である「減点主義」への抗議も含め、良い方を取ろう。ともあれ、歩んできた人生の体験そのものを活かすことが出来るデモンストレーター、シニアにピッタリな仕事ですよ。主に体力的な理由でだんだん仕事が出来なくなりつつある私にとって、やる気のある人にデモンストレーターの魅力を紹介し、デモンストレーターになってもらうことは、ある意味で「お礼奉公」であり、仕事への「挽歌」。別に9回裏の大逆転を狙っているんじゃない。デモンストレーターという仕事を、正当に、もっと皆に知って欲しいのだ。写真は、3人の孫。
2024.05.02
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「お箸の持ち方と育ちネタ」第2弾。前我が投稿にコメントを下さった方々へのレスにも書いたが、刺し箸などの不快な箸の使い方をするのではなく単に持ち方がオカシイ、すなわちお箸を「正しく」持てない人は、最近では実は少なくないのではないか。事実、わが町京都の某カルチャーセンターの講座には「お箸教室」なるものがあり、(講座が)ずっと続いているからには、それなりの需要があるということだ。この箸の持ち方云々の議論は、小学校で教員をしている娘がいつぞやつぶやいた「鉛筆をうまく持てない子どもが増えている」現象と無関係でない気がする。箸の持ち方が正常から外れていても余程ひどくはない限り食べ物を口に運べるように、鉛筆を自己流で持っても字や数字が書けないわけではないのだけれど、まあ、姿勢も不自然になるし、結果、肩や腕その他の身体器官に負担を与える可能性が高いからと、問題視されるのだろう。とは言え、箸や鉛筆の持ち方、その一点だけを取り上げて人の育ちをジャッジするのは、あまりにも短縮的な発想だと思う。一説によると、外国ではフォーマルな場以外はそんなことは全く問題にされないとか(筆記用具を変な握り方で扱う大統領もいる)。日本だけが「型」にこだわるのだ、、、良い意味でも悪い意味でも。20年来の試食販売の仕事で、さまざまな土地でさまざまな職業の、かつ置かれた環境や辿ってきた背景もおのおの異にする人々に接してきた私。自分なりに判断した「育ちの悪い人」はこんな人だ。「自分だけが得をしたい人」。試食はタダ。自分の懐は痛まない。よって、それをゲットするために他人を利用し、時に押しのけるあさましい行動をする人は、現実にいる。着飾ったマダムにもいる。搾取だブルジョアジーだ階級だ何だと、ひところのサヨク学生崩れのインテリにもいる。何より、現在の政治家や一部の企業トップ。「育ちの悪い人」が、やけに多くないか?結局、出自だの家柄だの親の社会的地位や経済力だの学歴だのマナーだの教養だの、そういう付属品ではなく、その人が持つ人間性そのもので「育ち」がわかるのではないかな。
2024.04.28
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この仕事を始めて丸20年。つくづく感じたのは、我が育ちの悪さ。まあ、水呑み百姓の子孫だからなー。いや、水呑み百姓を軽んじているんではないよ。かの白州次郎氏も戦中は都内の奥地で農業を営み、自ら「水呑み百姓」と語っていた。農は、国家の基本だしね。その水呑み百姓の次男に生まれた父は百姓を嫌って宮大工に弟子入り。父と結婚した母も落ちぶれた地主の娘で、本当は職業婦人になりたかった祖母の意向で、「手に職を」ということになり、戦時中の看護婦不足から急きょ設けられた看護学校速成科に行って(この速成科、800人の志願者のうち合格したのはわずか15人だったそうな。狭き門だったんだ)。私が育ちが悪いなあと感じたのは、都会に出てきてから。まず、箸をちゃんと持てない。不器用なせいもあるんだけれど、「お箸の持ち方、おかしいね。あんた、どんな育ち方したの?」。はあ。父も母も、生きていくのに一生懸命でした。土日もぶっとうしで働き、その金で、冷蔵庫とか車とか扇風機とか、買い、子どもに教育をつけたので、、、まあ、言い訳になるんでしょうなあ、、、箸の持ち方の躾をしなかったのは。でも、刺し箸とかねぶり箸とか渡し箸とか、その他いろいろ、他人が不快に感じる箸の使い方をしたことはない。ただ、持ち方がおかしいだけ。姉も私も不器用だからね。ちなみに、「箸の持ち方がおかしい。あんた、どんな育ち方をしたの?」と言った女。我がアルバイト期間が終了する頃には、「マチコさん、ずっとここにいて。週に⚪︎回でもいいから、バイトして」と。お箸の持ち方なんて、他人に不快な思いをさせなかったらどうでもいいことだし、その前にその一件を持って人間をジャッジしてしまうなんて、恐ろしいことだよ。育ちがいいって、具体的に、どういうこと?
2024.04.27
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振り返れば、私が中学2年から3年にあがる春休みの頃、ラジオからよく流れていた曲の1つが、カントリー歌手ジョー・サウスが作詞作曲し、同じくカントリー歌手リン・アンダーソン(女性)が歌った、「ローズ・ガーデン」だった。(抄訳)ごめんなさい。安息の日々を約束したわけじゃないの。陽が照っている時も少しは雨が降る。あなたにローズ・ガーデン(永遠の繁栄を意味する)を約束したわけじゃないの。(略)一緒に人生を歩んで、2人とも出来るうちに楽しい時を分かち合いましょうよ。なかなか意味深な歌詞の上、メロディ的にもカントリー・ジャンルに属しながらポップ・フィーリングも満点の軽快なこの歌、「日本ではカントリーは流行らない」とのジンクスを、見事に覆した。さて。ガーデンの話題が出たついでに。ガーデン、いわゆる庭がないなりにプランターや鉢でさまざまな草花を育てて楽しんでいる我が家。考えてみたら、バラを栽培しようと思ったことは一度もない。バラだけではない。蘭もぼたんも百合も。これは、仮に庭があっても変わらないと思う。咲かせてみたい花は、農家であった父方の伯父宅の庭先で揺れていた百日草とか、自宅の庭に学研の雑誌「科学」の付録についていた種を撒いて思いがけず大きくなったヒマワリとか、通っていた小学校の花壇に所狭しと咲いていたマツバボタンとか、そういう、どこか日向くさくい「庶民的」(?)な花ばかり。見ていると、郷愁を感じ、ほっこりするんだな。面白いものである。写真は、リン・アンダーソン(wikipediaより)
2024.04.26
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函館1人旅を機会に、仕事でも使うリュックサックを新調することにした。ホテルでの洗濯を考えれば衣類は最低限でよいし、土産は夫への地酒くらいなので、リュックサックだけで十分なのだ(韓国1人旅もそうだったな)。それに、仕事では、リュックサックの他に、鍋なども含め調理器具一式を入れた重いキャリーケースを引いていくことが多いから、プライベートではきょくりょく身軽にいきたい。振り返れば、いま使っているリュックサックは2010年の秋に買ったもの。実直にして寡黙かつ剛健に、よく働いてくれたものだ。
2024.04.25
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4月20日21日と、大阪府北部の百貨店で新潟米の販売。悲しいほど売れなかったね、、、なんて、どちらの日も片手では十分の数だし、その購入されたお客様も(2日間合わせて)全員がノン・リピーター、すなわち、試食され、味その他を気に入った結果、初めてお買い上げ下さった方々だったから、まあそんなに悲観することもないか。宣伝販売は、一般の例では、後々じんわりきいてくるものだからねえ。その宣伝販売の仕事を始めて丸20年になるが、記憶する限り、百貨店でお客さんに(商品の)値段のことを口にされることは非常に少なかったのに、昨年頃からとみに増えた。こんなところにも、この国の現状を感じる。そうなのだ。日本は、ゆっくりと沈んでいっている。
2024.04.23
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(注)昨日に書いた記事。今日、4月16日は、夫の誕生日。奇しくも、あのチャップリンと同日である。写真は、夫が作った苔玉とミニ盆栽の数々。これらを見るにつけ、一昨年の秋に夫が大腸がんの手術を受ける近日に漏らした言葉が、ふと蘇る。「生きていること自体が辛くなるほど痛い」。そう。がん特有のかの痛みである。がん細胞は、かくも夫の身体を蝕んでいた。聞いた私は、「西洋医学であれ漢方であれ療術であれアーユルヴェーダであれ、どんな療法でもいいから夫の痛みを取り除いて欲しい。そして、再び大好きな土いじりや草木と戯れる日々を送らせてあげたい」と、切に願ったものだ。10時間半に及ぶ手術の後はダブルオストメイトとなり、その装着をめぐってのトラブル(皮膚のかぶれや便漏れなど)はちょくちょくあったけれど、がんそのものは転移も再発もすることなく、他に困った症状があらわれるわけでもなく、仕事も続けているし、がん罹患前とほぼ変わらぬ日常を取り戻している。メンタル面も、ストーマに慣れないうちこそ「.こんなカラダになってもうて」と、時折り愚痴をこぼしていたが、ストーマ専門の看護師に相談したりオストメイトたちの会合に参加したりしているうちに「どうこう言うてもコイツ(ストーマ)と一生つきおうていかなあかんのやな。そしたら、ちっとでもおもしろおかしく暮らさな」と、考えが変わり、ずいぶんと前向きになった。現在、仕事の合間には、自宅のガレージで、特に松を使っての苔玉やミニ盆栽作り、花作り、野菜作りを楽しんでいる。我が家には土のある庭がないため、花と野菜はプランター及び鉢を使っての栽培に限られるが、それでも心より楽しんでいる様(さま)が、見ている側にも伝わってくる。考えれば、がんに限らず、持病と共に生涯を歩まねばならない環境にいる人は、病気の重篤さは関係なく多いのではないか。肉体の病気ばかりではない。精神の病気もそうだ。仕事仲間に気分の変動が極端に激しい病気を患うご主人を持つ人がいて、彼女は、ぶっちゃけ離婚もよぎったが(なぜなら、ご主人、気分がハイな時は殿様か何かにでもなったみたいにエラそうにしたり散財したりして周囲の人間を困らせ、敵を作り、彼女はその尻拭いに追われていたからなのだ。反対にご主人の気分がダウンした時はある危険に怯え、気が休まる時がなかったと語った)、「気分が安定している時は、本当に子煩悩な優しい人。子どもたちから父親を奪ってはいけない」と、踏みとどまったそうな。そのこともあり、また幸いにもご主人の症状に合う薬とめぐりあい、服用を欠かさないことでご主人の症状も安定し、家族仲良く過ごすことが出来ているとか。病気と共存。これは、長寿社会の課題の一つかも知れない。
2024.04.17
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先週末は忍者の里、甲賀。水曜日は大阪府は千里中央。そして今日は高槻(大阪府)で、明日は滋賀県中部にある守山に行く。まあ、こんな生活もあと少しだな。連休明けの函館1人旅の後は、平日は育バァをすべく常にスタンバイしておくので。それにしても思うのだ。仕事で行く先々。これが観光とかハイキングとかのプライベートだったら、さぞ楽しいだろうなあと。実際、いわゆる歴女の友人と湖北(滋賀県北部)地方を旅したことがあるが、仕事で訪れるのとは印象が全然違っていて、とても面白かった。先日の甲賀行きだって、仕事がからんでくるから「近江鉄道、ちょっと乗るだけやのに(運賃が)高いなあ」だの「1時間に2本しか通っていないなんて。バスも極端に便が少ないし」だの、いろいろ文句が出てくるわけで、仮に史跡巡りで行っていたら「乗客数が少ない田舎の電車やバスってこんなもんでしょ。それに鉄道やバスも田んぼや畑や森の中をしこしこと一生懸命に走ってくれている。カワイイやないの」となり、他には不満など浮かばないのではないか。リタイアしたら、現役時代に仕事で訪れたあの町この町その町をまわり、「ここでこんなことがあったなあ」と懐かしさにひたることが、我が夢の1つだったんだけれど。写真は、千里中央駅。のんびりとした風景。
2024.04.13
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昨日の現場は、忍者の里、滋賀県甲賀にある店で、担当は、タンパク質を強化した商品。事前に渡された(担当商品の)資料に目を通していたところ、高血圧の治療で通っていた、以前のかかりつけ医の言葉が蘇った。「良質のタンパク質をとると塩分摂取の減少につながるため、高血圧の予防に効果が期待できることが知られている」事実ならこれはセールストークに盛り込むことが出来るわいと、信憑性を確かめるべくネット検索をかけ、医療専門職に就く複数の親戚にも直接に尋ねたところ、科学的な裏付けがとれた。当日、お客様との会話の中でさりげなくアピールしたところ、大受け。「そうなん。タンパク質にはそんな働きがあるん」「ウチも全員、血圧がヤバいからなあ。エエことは皆いちおうやってみんと」「味も悪くないし、これなら毎日とれる。それで健康にも良いのなら」話題と評判を呼び、価格はお世辞にも買い求めしやすいものではないのに、売上結果はほぼ完売。購入、そして非購入でも試食トライして下さったお客様に感謝すると同時に、いかに高血圧に悩んでいる方が多いか、あらためて知った思いだった。このように、自身の病歴や生活歴をも、扱いようでは商売口上に出来るのが、宣伝販売の仕事の良さ。そう言えば、10年ほど前、鉄分ドリンクのデモでこちらの貧血体験の話をしたら「あー、おばちゃん、私、今その症状で悩んでいるんですぅ」と、多くの女性が商品を買ってくれた。となれば、この1週間さんざん苦しめられた喘息と花粉症も、いつか仕事に役立つ時がくるのだろうか。写真は、現場に近い駅の1つ、水口城南駅で見た桜。
2024.04.09
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(注)4月6日のFBにアップしたテキスト。さて、明日は忍者で知られる滋賀県は甲賀に、仕事で訪れます。楽しみ😊季節の変わり目ゆえか。喘息と花粉症に苦しんだこの1週間。かかりつけの医師が処方した新しい薬を服用してだいぶ楽に。こういう、自分、ないし家族の病歴や、時に環境や嗜好をも知ってくれているホームドクター、絶対に必要だね。同時に想ったよ。「喘息とか花粉症とか、重篤な病気を抱えている私にすれば、大した病気じゃない。だって、あなた、いちおう日常生活が出来て、仕事にも行けるんだから」と、面と向かい合って告げる人の心理。そりゃ、がんなり脳梗塞なり心臓疾患なり、イノチに差し障る病気に罹患した人にとっては、そうなんだろ。余命宣告だの苦しい検査だのリハビリだのないことではあるし(夫ががんを患ったから、ここいらはね!)それを百も承知で、心では言い返したかった。「患者さん本人が患者さんの症状に対して苦しい。そのことが1番大切でしょ」。病人同士でマウントを取り合うなんて!やめようよ!
2024.04.09
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季節の変わり目と関係ある?このところ、昨年秋に診断されたアレルギー性喘息がひどくなってきた。パターンは同じ。夜中、あるいは明け方に目が覚め、咳き込み始める。普通の咳ではない。ゼイゼイ、ピーピーと音がするのは、まあいいとして、その激しさ。ひどい時には嘔吐するほど。呼吸困難も伴い、すごく苦しいんだな。咳するたびに、腰に響き、尿が漏れる。日中にはおこらないから仕事には直接には差し障りはないんだが、睡眠不足になるし、何より体力を消耗する(咳ってしんどいよ)。今日、呼吸器内科の定期診断で、医師にそのことを訴え、新たな薬を増やしてもらった。症状が楽になるのは嬉しいけれど、「ん? これって根本的な解決じゃないよね?」と思いつつ、苦しさから逃れたく、目先にしがみつく。
2024.04.05
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4月は節目の季節。新しくナニカをスタートされた方も多かろう。その1つが就労とか?実際、流通、運輸、販売、介護、医療など、業界の各方面で人手不足が問題となっており、わけても運輸に関しては仕事がら公共交通機関を利用して販売の最前線に赴く私は、まさに肌でそのことを感じる日々なのだ。例えば、運転士だけでなく、駅の職員も減っている。大阪モノレールや阪急線沿いの駅、すなわち極めて都会の駅ですら、時間帯によっては無人のところが増えているのが現実。この状況の打開策の1つとして、政府はシニア労働の活性化を提唱し、また一般に第二の定年と言われる65歳以降も働きたいシニアもいるのだが、、、。私の親しい友人Aさん(65歳)の実話である。リタイアしたご主人(70歳)と2人暮らしの彼女は、贅沢をしなければ何とか暮らしていけそうな年金額と預貯金があるため、働く気はなかったけれど、諸々の理由から「70歳までは、週に2日か3日くらい、何時間か働いて収入を得ようか」と考えるようになった。そこで、ネット上のシニア求人サイトに登録。これはと思うところには応募するようになった。「ところがね、応募ボタンを押しても、翌日には不採用が届いているの。理由は書いていない。あれって、面接前にAIがふるいをかけているんとちゃうかな。求人条件には年齢不問と書いていても、実際は年齢制限をもうけて」。うーん? そうかも知れないね。採用側は60代前半はともかく後半以降になると、本音の部分では?シニアと一括りにしても、実際には個人差が大きいもの。70歳を超えていても、毎日標高450メートルくらいの大文字山に登るほど体力がある人もいるしね。だから、採用する側は、年齢などのような表面的な条件だけで一律に足切りをするのでなく、その人に直に会っていただきたいね(もっとも時間的な事情はあるのだろう)。ついでに、職を求めるシニアの方々。案外と駅や店の掲示板や紙の求人誌その他のアナログ系ツールを使う方が、採用率は高いかも。ほら、求人広告を見たと電話をする時点で、「自分」を見てもらえるでしょ。
2024.04.03
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物価上昇は止まるところを知らない。それと明らかに関連があるだろう。販売商品にもよるが、私たちデモンストレーターがデモをすることによって売り上げる金額も、全般的に以前よりは減少気味。その前に、試飲も試食も、かつてのように数多く出なくなり、したがって一部の店舗では頻繁に見られた祭りめいた賑わい光景も、すっかりなりをひそめた。「まだまだマスクをしている人が多いからとちゃうかなあ」と、仕事仲間の1人。「お客さんの身になってみれば、わざわざマスクを外してまで試食するの、そりゃメンドイで」。確かに。もっとも、特に新商品をデモする時などは、まずは試食してもらわないことには、仕事にならないんだよなあ、、、私たちの目的は試食(試飲)宣伝販売なんだから。2週間ほど前にデモを担当した三ツ矢サイダーみたいな商品なら、味はもちろん知名度の面でもほとんどの人が知っているから、試飲数や試食数は、極端な話、業務に差し障りはないんだが。とは言え、マスクをするのはお客さんの自由だしなあ、、、。ところが、先だってのみりんの宣伝販売では、お客さん自らがマスクを外して試食を求める事態がおこった。原因は匂い。試食メニューはタケノコご飯で、幸いにもデモ場所に電源があったため、下準備だけ店のバックヤードですませ実際の炊飯はデモ場所でおこなうことが出来たのだが、炊き上がる途中から早くも「いい匂いがするなあ。何を作っているんだろう。早く食べたいなあ」と、子どもたちを中心にお客さんの方で寄ってきてくれたのだ。炊飯終了の合図が鳴り、炊飯器の蓋を開けるや、人々がワッ。香りからして美味しそうな試食品を前にしては、マスクを外す手間など何でもない。デモ場所での調理は、2010年頃から、主にお客さんの安全を理由に暫定的に減ってきている。実際にアブナイしね、小さな子どもや大人でもマナーがなっていない人は、まだ鍋の中でじゅうじゅう音を立てている肉やグツグツ煮立っているシチューなんかに平気に手を出してくるから。で、何かアクシデントがあった場合、責任は販売側に課せられるので、デモ場所を貸す店としても慎重にならざるを得ないのだ。ただ、満足のいく売上は、売り場で煮炊きしてこそ、だよ。匂いも美味しさのうちだからね。匂い。この要素、コロナが明けて宣伝販売が復活した現在、もう一度見直されてよい。写真は、堀川桜まつりでの真ん中と末の孫。2人が持つ綿菓子も、匂いに惹かれて欲しがったのだ。匂いの力はあなどれない。
2024.04.02
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昨年1年、悩み続けてきた、「気力」と「体力」が一致しないという、ワークバランスの問題。このほど、あっけなく解決した。娘婿が自営を辞めて勤め人となったのに加え、孫の急病時に近くにいることもあってフォローしてくれていた娘婿のお母さんが、骨折でそれが難しくなったのだ。末の孫はまだ5歳。あと2年くらいは、ハプニングが生じた時には、娘夫婦が働いている平日にヘルプにまわるべくスタンバイしておく人がいるわなあ、、、。4月いっぱいは現在のペースで何とか仕事をし、5月の連休明けに北海道に1人旅した後は、当面土日祝だけ仕事をしよう。それで、しばらく様子を見て、また状況が変わるとか体力面で自信がついたら、派遣会社やエージェンシーにその旨つたえて仕事を増やしてもらおう。私たちの身分は日雇い。すなわちフリーランサー。いざという際の補償は薄いぶん、こういうライフスタイルの変化に応じてフレキシブルに働ける良さがある。定年もないし。それと、地域に特定されないことも嬉しい。この仕事、仮に九州や北海道に越しても、そこに店がある限りは出来るのだからね。
2024.03.28
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先だっての記事で、バスドライバーなど運輸業界の人手不足と我がデモンストレーター業界の人手不足は高い確率で共通点があると書いた。その1つが、ズバリ、現場に携わる者の高齢化。その前に、デモンストレーターがどんなに人が足りないか、あくまで私の例ではあるが、端的に述べよう。四捨五入したら70歳の婆さん(私)。なのに、ほぼ毎日仕事依頼が来て、時には1日に5件くらい打診されることがある。これは、デモンストレーター派遣会社4社を掛け持ちしている関係もあるのかも知れないと思いきや、今日日のデモンストレーターはほとんどが数社に登録=掛け持ちしているから、他の仕事仲間も同じだわなあ。こうなった大きな原因は、コロナ禍のもと試食販売がなくなり、年齢的にまだまだ転職出来る可能性が高い40代50代のデモンストレーターが別の仕事に就いてしまい、コロナが明けて試食販売が復活した後も元のデモンストレーター界に戻って来ないからなんだよね。そういう人は言う。「何かあったら仕事がなくなり、そのことに対して何の保証もないデモンストレーターなんて、やってられへん」(雇用形態が業務委託になっているデモンストレーターはその限りではない。実質的にはフリーランサー=自営業なので、今回の疫禍では保証の対象となった。1番気の毒だったのは、同じフリーランサーでありながら雇用形態が給与所得の人たち)。確かに。ただ、私も含めた還暦以降のデモンストレーターは、諸般の理由もあって簡単には別の仕事に移ることが難しかったため、好むと好まざるをかかわらずデモンストレーター業界にとどまらずを得なかった。結果、デモンストレーターの年齢が全般に高くなったのだ。コロナ後に今度はメーカーから次々と来る業務依頼。仕事にあぶれていた私たち高齢デモンストレーターは嬉しい反面、それらにひとつひとつこたえていたら体力がついていけない年齢になった。ところで、ここでメーカーと私たちの橋渡しをするエージェンシーや派遣会社は考えないといけないのではないか。「比較的に若いデモンストレーターがまたやろうという気にならないのはなぜなのか」と。ぶっちゃけ。人手不足解消の意味合いもあり、デモンストレーターのギャラはコロナ前より上がり、付随する条件もよくなった。にもかかわらず、相変わらず求人募集に応募してくるのは、デモンストレーター経験のある、比較的に高年、せいぜい年配の人が大半。つまり、若い人を惹きつける魅力がないことにもっと危機感を抱かねばならないのに、当座の対応策として、デモンストレーターが足りなかったら単に募集したらいいと考えているエージェンシーや派遣会社が少なくない。デモンストレーター業界最大の問題、いや、他の運輸でも介護でも流通でも、いま人手不足にあえいでいる業界の最大の問題は、これだね。
2024.03.19
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一昨日の3月12日は、大阪は門真市にある、近畿一円でチェーン展開している某スーパーで長芋のデモ。太平洋側を中心に午前中は大雨をも記録した日で、当然ながらお客様数は限りがあったが、試食メニューの長芋の塩焼きは大好評で、試食数を考えるとよく売れた。ところで、この門真市。京都市内の我家から、近くはないにしろ、さりとてそんなに遠い距離でない位置にあるのに、朝6時40分に家を出た(仕事開始は9時半)。理由は、現場の最寄駅からのバスの関係。過疎地でなくてもドライバー不足などの理由で全般にバスの便は減っており、こんなところにも世相が見える。では、なぜ、ドライバー不足なのか。これ、実は、私たちデモンストレーター不足とも多分に共通している面があるのね。次回で詳しく述べよう。写真は、当日の現場近くの写真。
2024.03.19
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あと10日くらいで67回目のバースデイを迎えるのだけれど、ぶっちゃけ、66歳になった昨年頃からとみに仕事に関する「気力」と「体力」のチグハグ感が増し、両方のバランスをとるのに苦しんだ1年間だった。「キモチはもっと仕事をしたいし、出来る自信もあるし、状況的にもその方がいい。ところが、いざ仕事現場に立ってみるとカラダがいうことをきかないから、日にちも含め、労働を縮小せざるをえない」。まあ、はたの方々は、「行かなくてはならないところがあるから○ケ防止にもなるよ。そう思うたら?」とか「幅広く人と会う業務は社会勉強も兼ねているよ。勉強させてもらってお金ももらえて、愚痴たれたらアカン」とか「定年もなく、心身の健康をキープしていれば、70歳を過ぎても80歳を過ぎても働ける。ええやん。頑張り」とか、いろいろとアドバイスを下さるんだが、うーん、残念ながら、我がシニアライフとしてのワークバランスが確立出来ているとは未だ言いがたい。ただ、これだけはわかっている。「今日は大阪府のA店、明日は奈良県のB店、明後日は滋賀県のC店に行ってね」と、仕事発注元に依頼と指示をされる、こんな駒みたいな日々をいつまでも送っていてはいけない。イスラエルの大物スパイだったウォルフガング・ロッツの職業体験記を読んでから、一段とそう感じるようになった。ちなみに、ロッツが著書に掲載していた「スパイ適正診断」を試してみたところ、私は「普通並みで、ほとんどの人がそう。身を入れて勤めれば、まずまずのスパイにはなれようぞ」なるオコタエ。これは、スパイ業務の実際の内容から推察して、資格や明確な専門性を要するのでなければ他の大半の仕事にも当たっているだろう。そう! 私は、平凡でどこにでもいる、だけど働き続ける必要があるおばちゃん。おばちゃんは、まだ当分のあいだ、試行錯誤しないといけないみたいだ。
2024.03.12
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プライバシーがあるから輪郭だけ書こう。親しくなった某店のパートさんに、こう打ち明けられたことがある。「何のかんの言っても大学は行くにこしたことはないね。だって、うちの会社(そのスーパーをチェーン展開している企業)も、大卒は最初は現場にいてもやがて本社や支社の管理部門に行くのに、高卒はずっと現場やもん。最高でも現場の偉いさん。つまり、退職金も含めて収入が違ってくる。同じような業界は他にも多いと思う。やから、私、子どもにはそんな思いをさせたくなくて(パートを)頑張ってんねん。大学の学費のため、稼がにゃ」。ふうむ、、、。現場体験が乏しい、でも学歴はある人が、まさしくカネを生み出しているはずの現場を仕切る。ここがオカシイのだが、この構造は土地の所有による上下関係が始まった頃から変わらないね、、、。現場の人に教育システムがもっとあるといいね。理論を知るといつもこなしている実務も違ってくるし。そして、学歴や性別には関係なく、管理職への道を開く。理論と実務。この2つが備われば、鬼に金棒。学歴「だけ」より、経験「だけ」より、ずっと強いでしょ。
2024.03.07
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確定申告を済ませた後に感じる、あの独特の解放感と高揚感といったらない。「終わった。終わったよ! まだ陽は明るいけれど、さあ、乾杯しようや」と、毎年、愛用酒器にいいちこ(これしか飲めない)とレモン水をたっぷりと入れ、好きな音楽をバックに昼酒としゃれ込む。ああ幸せだなあと、酒を流し込む喉を震わせながら、心より思う。これは、きっと、苦手なことを終えた後だからこそ味わえる感覚なのね。代金支払い書や領収書などをめくり、計算し、所定書類(企業でいうなら借貸対照表と損益計算書にあたいするのか)に書き込み続けていると、目がチカチカしてくる。当然ながら「じゃまくさい(面倒くさい)なあ」「やりたくないなあ」となり、そのうち、数字の「2」がアヒルの首に、「3」が耳たぶに、「8」が雪だるまに見えてきたりする。結局は私、事務は、工場のライン作業ほどではないけれど(あれは出来ない。絶対に出来ない。学生時代に印刷工場でアルバイトをして身にしみた)、苦手な部類に入るのだろうな。もっとも、大得意な人もいて、経理OLのベテランである友人の子どもさんは、親戚の店の会計面を年に何度か整理してあげ、もちろん確定申告書作成もヘルプ(ちなみに副業可の会社に勤めている)。店の経営者である親戚からは「帳簿をつけたりするの、じゃまくそうてかなんワ。でも、税理士に頼むと高くつくし、そもそも税理士を頼むほどの商売でもない。〇〇ちゃん(友人の子どもさんの名)がやってくれて、ホンマありがたい」と感謝され、相応の報酬ももらっている。特技と職業キャリアをいかした副業。いいね。
2024.03.07
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デモンストレーターになって2年目、すなわち「駆け出し」と呼ばれていた頃、主に大阪中部から北部のスーパーやデパートで広く見かけた、黒眼鏡の試食魔がいた。デモを実施していると、黒眼鏡をかけ、カートにヘルメットを乗せた30代から40代の中肉中背の男がいつのまにかスウッと寄ってきて、半端ない量の試食品をただガツガツと食べていくのだ。「少しココロをやられている。刺激せん方がエエよ」と店の人。なんでも、毎朝バイクで「出勤」し、行動可能な範囲内にあるスーパーやデパートの試食をすることを「仕事」としている人物なのだと言う。それでも、某大手メーカーの専属デモンストレーターだった同業のおばちゃん(当時50代後半か、せいぜい60代前半)が、ある時、男に尋ねた。「あんた、トシ、幾つや?」「42」食べながらボソリと答えた彼を「まだ若いがな! こんなことするトシかいな!」と、おばちゃんは一喝。説教モードに転じた。「ちゃんと仕事をし! 42やったら幾らでも(仕事は)ある」。あれから20年経った現在、あらためて感じるのだ。試食魔と販売員との、こういうやり取りは大阪ならでは、だとね。ちなみに、くだんの男は、そのおばちゃんに説教された後も数年間は相変わらずの試食魔として見かけたが、やがて姿が消えてしまった。亡くなったのか? いや、おばちゃんの説教に従って「ちゃんとした」仕事に就いたのか?
2024.03.04
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「こんな人生もあるのだ」。名前は忘れたけれど、某映画評論家が1973年公開の映画「パピヨン」のレビュー冒頭に書いた言葉。これを、そのまま、この本の冒頭に私的に捧げたい。終戦翌年の1946年8月末期に群馬県に生まれた、著者、加村一馬氏。都市、田舎を問わず、その日その日を生き延びることが精一杯だったあの時代、加村氏は頻繁に親、特に父親の虐待に見舞われた。毎食が「茶碗一杯の雑穀飯のみ」によるひもじさに耐えかね、きょうだいも含める他の家族の食べ物に手を出しただけで、今なら警察沙汰になるであろうほどの「お仕置き」を受けたのだ。「このままでは(親に)殺される」。危機を感じた一馬少年は、中学2年の夏、家にあった干し芋を学生カバンに入れ、あと、醤油、塩、ナタ、ナイフ、スコップ、砥石、マッチをたずさえ、家出。絶対に見つからない場所、すなわち、彼が社会科の授業で習っていた、山深い箇所にある鉱山の洞窟跡へと向かう。その途中、耳慣れた声が。可愛がっていた飼犬のシロが、家を去った一馬少年を慕い、微かな匂いを頼りに追って来たのだ。一馬少年は、シロを抱きしめ、「俺とお前はずっと一緒だ」(このシーンはウルウルもの)と感涙にむせぶ。やがて住めそうな洞窟を見つけ、望んだ2人(?)の生活が始まる、、、。テレビドラマにもなった、このノンフィクション。読んでいて、皮肉にも彼を虐待した父親に生活の中でいろいろと見せてもらったり、時に教えてもらったりしたことが、そのサバイバルライフを助けたことに気づかされた(昆虫や小動物の捕まえ方とか食べ方とか、枯れ木や藁を集めてねぐらを作る方法とか、焚き火のための着火剤代わりに松脂を使うとか)。人間関係の基本である両親の愛を得られなかった一馬少年は、かつて「お腹がすくより、猪に襲われるより、人間が怖い」と語っていたが、オカでの軽犯罪で捕まった後、諸々あって「1人じゃない」と実感し、現在では施設でブルーベリーを栽培している。その一馬少年こと令和の時代では加村翁の半世紀であり、サバイバル実話記。サバイバルの実務もイラスト付きで公開している。
2024.02.24
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先週末の土曜日は滋賀県中部にある24時間営業の総合スーパーで機能食のデモ。昨年からSNS上でも話題になっている、調理法も見た目も限りなくインスタントものに近いながら、肝心の味や栄養素もおろそかにしていない。つまり、簡単に作れるけれど、カラダのこともちゃんと考えている食品(だから機能食なのだ)。着眼点は素晴らしいものの、願わくは、もう少し買い求めやすい価格ならなあ、、、。さて、先だってのブログの続きである。記事内で、「一般に高齢者は薄味を好むとされているし、現実にもそれはあらわれているが、生物的には加齢と共に"みらい"という舌上で味を感じる機能が衰えてくるので、本来なら濃い味を求めるようになるはず。なのにそうならないのは、これまでの"高齢者は薄味好き"という刷り込みが世間に浸透し、高齢者がそれを実行しているうちに、刷り込まれたその味に慣れてくるからなのではないか」と書いた。この推測。人間心理をつかさどる諸々の観点から、こと日本人に関する限りはかなりの確率で当たっていると感じる。同調圧力が強く、「和」を大切にする日本人は、本音の部分では少数派でいることを恐れている人が大半ゆえ、結果として多くの事柄が「多数派が支持している事柄こそが正しい」となるからだ。もっとも、だとしたら、次の織田信長の有名なエピソードはどうとらえる?織田信長が倒した敵の大将、三好義嗣の料理番であった坪内某。彼の腕の良さを家来に聞かされた信長はさっそく料理を作らせた。味が気に入ればこちらの料理番として召しかかえようと思ったのだ。坪内某が作った料理を一口食べた信長は、しかし、「水くさい(薄い)」と激怒。坪内某を殺そうとした。そこを坪内某は「もう一度作らせて下さい」と懇願。果たして、2度目はうまくいった。信長は上機嫌で、坪内某が作った焼き物も吸い物も全部平らげたのだ。1度目の時と、何が違ったのか?塩気である。坪内某が1度目に作った料理は、京風の薄味。本来つかえていた三好家は京にいた将軍家のまつりごとの一部を担当することもあった影響で、食生活もあっさりと上品な味付けだった。ところが、信長は自ら先頭に立って戦(いくさ)に出かけるだけあって運動量が半端ではなく、したがって汗も多く流していたためか、カラダは塩分を求め、田舎風の濃味が好きだったのだ。高齢になると薄味を好むとされる理由の1つに、この運動量の低下もあげられるのでは?スポーツジムに通ったり毎日のように低山登山をしたりする活発な高齢者も今日日では少なくないが、全般的には若年層の方がよく活動する。当然、汗の消費量も多く、塩分は小まめに補給せにゃなあ。ただ、塩分にせよ糖分にせよ脂質にせよ、何事も摂りすぎはよくない。写真は織田信長(Public Domain)。一説によると、尾張の郷土料理の焼き味噌をはじめとする、しょっぱくて濃い食べ物が大好きで、1日に40gもの塩分を摂っていたそう。
2024.02.21
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この日曜日の2月11日(建国記念日。祝日だ!)は、大阪府と奈良県の境目にある某市のスーパーで、煮卵のデモ。かなり苦戦したものの、完売した。「やったぁ」と、自分で自分をほめてやったね(自画自賛?)。もっとも、その3日前の木曜日にも、奈良県に近い場所にある京都府内のスーパーで同じ内容のデモを行い、同じくしんどい思いをしつつ、「在庫は定番に2個だけ」の結果を得ていた。つまり、売上の面では、両店舗はほとんど変わらなかったわけだ。とは言え、試食されたお客様の反応はかなり違った。その1つが、塩分に対する感知度である。日曜日の店舗をA店、木曜日の店舗をB店とする。A店のメイン客層は、家族ないし20代30代40代の単身者(店の隣に大学があることと関連しているかも)。B店のメイン客層は、単身のお年寄り。B店でデモをしていてお客様に度々言われた「しょっぱいねえ(またはからいねえ)」の声は、ここA店では、見事なまでに聞かれなかった。ううむ、、、。これって、メイン客層の年齢と関係ある?一般に、人間(ひと)は加齢と比例して薄味を好むようになると、いつの頃からかまことしややかに言われており、現実にも塩気やこってり風味などの濃味を敬遠するお年寄りは多い。ところが、舌上で味を感じるみらいなる機能は高年になると衰えてくるので、生物的本能からすると、むしろはっきりとした味(=濃味)を求める傾向が出てくるという。それなのに、実際は逆。ここで、またもや「ううむ」なのである。この矛盾した実態は、もしかするの、ある種の刷り込みの結果なのかしら、、、「人は年齢を経ると高血圧など何かしらの生活習慣病になりやすい→その原因の1つに塩分や脂分の摂り過ぎがある→よって食事の味付けはあっさりと薄く」となり、それを実行しているうちに舌が慣れて味をキャッチする脳も納得する、という一連の流れで。となれば、そもそもはアタマで食事をしているわけだから、トレーニング次第で人間は味覚をコントロール出来るようになる?ううむ、、、。ますますわからなくなってきたところへ、戦国時代の武将、織田信長の有名な逸話を思い出した(続く)。写真は、フリー素材の煮卵のイラスト。ラーメン屋においてあるような、黄身の部分をとろーりとしっとりと仕上げた煮卵を作るには、ちょっとしたコツが必要だ。
2024.02.15
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ちょうど1週間前の今日は、滋賀県中部の近江八幡市にある大型店で、焼き芋のデモ。大盛況で、面白いほど売れた。焼き芋自体のデモは初めてだが、その原材料であるさつまいものデモは何度か体験している。試食品は、レモン煮だったり、薩摩汁だったり、そして今回と同じ焼き芋だったり。焼き芋の場合はトースターを使ったものだ。さつまいもをアルミホイルで巻き、片方15分、もう片方も15分、計30分かけてじっくりと焼く。簡単だし、本当にホクホクに仕上がるのだが、いかんせん30分に1本の割でしか焼き上がらないから、試食を求めるお客さんに十分な数を提供できないわなあ。プラス、次から次へと芋を焼き続けるためにはトースターは常に作動していなければならず、その点もちょっと不安だった、、、ほら、トースターって長時間使っていると、発火する危険も、頻度は少ないながら、ないことはないんだよね、、、。そこへいくと、スーパーやコンビニ内に設置してある専用焼き芋機でお店の人が焼いてくれたのを一口大に切って味をみていただくというのは、試食効率と安全性、どちらの面からもヨイわけだ。何といっても、専用機で焼いた焼き芋は風味が違う。香りや食感も含め、真実、芋本来の素朴な美味を堪能できる(もっとも、それだからこその専用機なんだし)。ふと、気がついた。「キッチンカーでまわっていた焼き芋屋さんが減った」と。そう、ちょうど、スーパーやコンビニが焼き芋販売をスタートさせた頃からだ。まあ、販売場所もあるんだろうけれど、キッチンカーの焼き芋とスーパーやコンビニの焼き芋は、味はともかく、価格は違うからねえ、、、スーパーもコンビニも200円台が一般的だもの。販売形式は異なれど、焼き芋を好む人間の嗜好と味覚は変わらない。だいたい人の舌なんて、基本的に保守的なものだ。それを前提に、「お芋、お芋、みんな大好き、お芋」は、永遠なんである。写真は、当日の現場の所在地であったJR近江八幡駅の階段にえがかれたイラスト。近江八幡の観光名物の1つ「水郷めぐり」もしっかりとPRされている。
2024.02.10
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自身の銀行員生活を赤裸々にえがいた「はみ出し銀行マン」シリーズを書いた横田濱夫氏は、著書内で、こう書いている。「野菜じゃないけど、あるんだよね、銀行員にも旬が」ううむ、、、旬ねえ、、、。「働き盛り」という言葉もあるからなるほどとも感じないでもないが、「いや、どうこう言っても人間とトマトやキュウリを同じにしてはいけないぞ。だって旬を過ぎても萎れたり枯れたり腐ったりはしないからねえ」とも思ったり。ただ、これだけは確か。仕事内容を量の面だけでとらえたら、自身の「盛り」を越えれば、こなせるタスクの数は次第に減っていく。反面、仕事内容を質の面でとらえたら?「盛り」は、さほど関係ないでしょう? 特に、専門技術や対人を要する業務はね。段取り、慣れ、気配り、カン。プラス、総合的な人間力。ここにシニアが働き続けるキイがある気がする。写真は、奈良県は大和郡山市にある商店街。アーケードの屋根に書いてあるように、心と心の真のふれあいがさりげなく出来るのも、シニア世代の強みだ。
2024.02.06
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私がまだ高校生から大学生だった頃、テロ組織による企業爆破事件が連続しておこり、その容疑者の1人とされていたS・Kらしき男性がこのほど亡くなったニュースは、本題をそれたある別の面でも、我々の口をあんぐり開けさせるにじゅうぶんなものだった。それは、彼が健康保険証はもちろん、銀行口座など、あらゆる身分証明書はいっさいなしで、某工務店にて、数十年も住み込み作業員として働いていたこと。私の友人は、「一昔前前ならともかく、現在の日本でもそんなことが出来るんや」と驚いていたけれど、個人的にはさもありなんと思うね。というのは、チラシ配りやイベント・スタッフその他の単発ものの仕事はまさにそうだし、私たちデモンストレーターの労働実態も、実はそれに近いのだ。日雇いだからね、身分は。ぶっちゃけ「人足」がそろえばいいんだよ、と内心で思っている雇用主もいないわけではない。実際、私は4社のデモンストレーター派遣会社に登録しているが、面接時に身分証明書の提示を要求したのは、そのうちの1社だけだった。残りは、履歴書と、お互いに必要な事項を確認し合うだけで終わり。ネットで応募可能な現在では、履歴書提出や対面面接さえ不要な派遣会社やエージェンシーもあるのではないか。この世には、常に労働力が足りない業界や職種が存在する。そういう世界の求人は最近では主にネットで行われ、仮に自分はアナログでもスマホを持つまわりから情報をキャッチすることは出来る。「毎日、あそこに◯時にいれば、現場に行く車が来る。ギャラはその日払いだ」との仲間からの口コミを頼りに、実際にその場所へ決まった時間に赴いてみればなるほどそれらしき車が現れて責任者みたいな人間が降りてきた、なる話は時折り聞く。で、責任者であろう人間は、いちおう集まった者たちを(目で)選別するのだが、中に「どうもコイツは」と感じたり、「ちょいとワケありそうやな」と思う面相があっても「ま、エエか。今日1日ぶんの仕事さえしてくれたら。こっちは人がおれへんさかい」と、そのまま現場に連れて行くケースは、少なくないのだそうな。何ともイージーというか、ゆるいというか。とは言え、このイージーでゆるい雇用が許される世界は、犯罪者ではなくても事情によりどうしても身分を明かせない境遇にいる人たちにとって、必要不可欠なのではないか。最後のセイフティネットとなることもあり得る。
2024.02.02
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1月23日の火曜日は、兵庫県伊丹市にある某駅前店で、人参ジュースのデモ。現場に向かう行きの電車内は、通勤時間帯にあたることもあって、満員も満員、すし詰めだった。四方八方から押されたり引っ張られたり。ほんの少しの身動きすら取れず、痛さと息苦しさで、現場に着く前に既にへたばってしまいそう。もっとも、会社員時代は毎朝こんな有様だったんだよね。このことだけでも、あの頃は体力があったのだなあと、つくづく思った次第。それにしても、コロナ禍を機会に「ラッシュアワーよけ」の意味あいからも注目されたテレワークが、いざコロナが明けてみれば当初に予想されたほど浸透していないのは、なぜなのか?まあ我々のような小売販売業や医療福祉関係業の現場業務なら、どうこう言っても対人接客は欠かせないためテレワークは難しいだろうが、その業種とて、人事や総合的な経営企画や計数管理などの裏方作業は、かなりの部分でテレワーク化出来、したがって「痛勤」からも解放される人が多いと、個人的に感じる。写真は、当日の現場、阪急伊丹市から。
2024.01.31
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六条御息所ネタを続けよう。源氏物語の現代語訳を完結させた作家の瀬戸内寂聴氏は、ある対談で語っていた。「私は、源氏にゆかりがある女性の中で、実はこの六条御息所が1番好きなんです。あんな嫉妬深い女のどこがいいのと聞かれそうですが、人間的、あまりに人間的じゃありませんか」。確かに。嫉妬というと女性の専売特許みたいな感もあるが、どうしてどうして。男性も負けず劣らず、いや、女性以上に自分や自分の「内側」にいる者以外の存在への妬み嫉みは強い。それどころか、往々にして陰謀や策略に絡めた「チカラ」と結びつき、「外側」とされる者をぐうの音も出ないまでに打ちのめす。ここいらの陰湿さと残虐さは、並の女性には真似出来るものではない(まあ例外はあるけれどね)。人間、性別に関係なく、そして程度の差こそあれ、基本的には自分がかわいくて仕方ないイキモノ。このことを、作者の紫式部は「作家の勘」で知っていたのだろう、源氏と関わりを持つ女性の多くを、さらには当の源氏をも、最終的に出家させている。もっとも、はるか昔のやんごとなき方々も、ハイテク時代に生きる下々の我々と同じように煩悩に悩まされていたことを想うと、ホンマ、人間っていつの世にも考えることは変わらないのだなあ。絵は、上村松園えがいた六条御息所(Public Domain)。
2024.01.26
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先ごろ急逝した八代亜紀のラスト盤「想い出通り」(5曲入りのマキシシングル。実質ミニアルバム)に、「六条御息所の恋」という歌がおさめられている。タイトル通り、源氏物語の主人公である光源氏の恋人の1人であった六条御息所の源氏に対する狂おしくも切ない思いを、八代亜紀ならではのハスキーボイスで情緒ゆたかに歌い上げたものである。超絶イケメンにして、和歌や書や音楽などに秀で、さらに万人に好かれるキャラをも備えた光源氏は、当然ながら女性にもモテモテ。結果、女性遍歴を繰り返すこととなる。この六条御息所も源氏のとりこになった1人。ただ前東宮妃(前皇太子妃)ということもあってプライドの高い彼女は、源氏の前でなかなか自分の恋心をさらけ出せない。その抑えた心はやがて燃え盛る嫉妬の炎となり、ひいては生霊および死霊と化して、後に源氏が愛する夕顔や源氏の正妻の葵の上を呪い殺し、源氏の後妻の女三の宮にも取り憑くまでに。まあ一途な女性だったのだろうが、、、ううむ?それにしても、男と女のことは、今も昔もそんなに変わっていない気がする。ということは、人間はいつの時代にも基本的には同じで、源氏物語が読み継がれている理由もそこにあるのだろうね。写真は葛飾北斎が描いた六条御息所の画(Public Domain)。恋にのめり込んだ者の怖さと同時に、それゆえの哀れさをも感じさせる姿だね。
2024.01.26
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先だってのカップ飯での宣伝販売中におこった、ポット(エージェンシー送り込み)のトラブル。お湯を注いで作るカップ飯は、当然ながらそのお湯を沸かすポットなり鍋なりが正常に機能しないと試食品も作れないから、本当に困ってしまった。原因の1つは、やはり私が「不調の証拠になるかも」と撮った写真が示す通り、プラグ部分の錆びだろうね。同時に、ちょいとひっかかった。このポット、プラグの横に、2010年製造とあるシールが貼られているよね。つまり、14年前に(エージェンシーが)購入し、今日まで使われてきたものなのだ。ぶっちゃけ、そんなに古いポットを宣伝販売の現場で使うのもどうなんだろうなあ、、、と、少し首を傾げた次第。何かで、ポットに限らず電化製品の寿命、少なくとも搭載された性能をいかんなく発揮できるのは、長くて10年前後という記事を読んだことがあるので。それを考えたら、、、?まあ、メーカーもエージェンシーも派遣会社も企業である以上は利益を出さねばならず、経費の問題も避けては通れないんだろうけれど、割り切るところは割り切らないといけないと思うんだよ。写真は、当日現場の最寄駅であった野洲駅から、18時台に写したもの。雨混じりの粉雪がちらつき、寒い寒い、芯から凍る夕暮れだった。
2024.01.17
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(注)6年前の今日、書いた記事。10日からの「大阪は南港発・韓国は釜山着」のクルージング。行きの船内で日本人は私一人だったことは、書いたよね。おかげで、全くわからない韓国語が飛び交う中、望んでいた異邦人感覚を存分に味わうことが出来たのだが、それでも帰りの船内で食事どき、明らかに日本人が話す日本語を耳にした時、思わずそちらに歩み寄っていた。「あの、日本の方ですか? ここにお席をとらせてもらってかまいませんか? 行きは日本人は私一人だったんです」「ああ、どうぞどうぞ」。私たちの会話を聞きつけたのか。すぐに70代と思しき老婦人二人組がやって来た。「私たちもこのテーブルで食事をしていいですか?」さらに、数分後。「こちら、空いてます?」と、やはり高年の夫人。ああ、やはり、人は求め合うものなのねえ、、、仲間(ここでは日本人という国籍)を。姿形が同じモンゴリアンである韓国人と日本人の間ですらこうなのだから、見た目が違う人がほとんどであろう地、仮にアフリカの赤道直下の国を我々が訪れていたなら、その思いはもっと強くなったのではないかしら?いや、別に日本人でなくても、中国人でも韓国人でもモンゴル人でも、とにかくモンゴリアンの顔立ちを見かけたら、それだけで互いにものすごく親しみを感じるのではないかな。こうして想像してみると、広い世界の中で隣国通しガタガタもめているのがナンセンスであることが、よくわかる。さて、この仲間意識。ひいては、ノスタルジーに繋がると思う。ノスタルジー。これ、私たち宣伝販売界でも、実は売り込みの重要なファクトよ。続きを楽しみにしていてね。写真は釜山からの帰り、フェリーが関門海峡を通過する時に写した夜景。
2024.01.17
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昨日は大変だった。滋賀県中部の大型スーパーで、お湯を注ぐだけで出来上がりとうたうカップ飯のデモを担当したのだが、試食品作りに必須のポット(エージェンシー送り込み)がトラブり、思うように試食が出せなかったからだ。当然、売上はボロボロ。送り込みポットは国産の有名メーカーもの。にもかかわらず、なぜか第一回目からお湯がなかなか沸かず、「あれ?」と首をかしげたものだ。疑惑は2回目のお湯沸かしで決定的になった。ポット内の残量が少なくなったので水を足して再沸騰させたところ(温度は自動調節)、何分経っても赤ランプが「沸騰」ボタンの箇所に灯らない。第一回目に沸かしたお湯を保温していた時の「保温」ボタンのまま。つまり、差し込んだコンセントから電気がポット側に流れていないのだ。こういうケース、ポットでなくレンジでもグリル鍋でも、たまにあるのよ。大勢のデモンストレーターが、いろいろな店舗で、繰り返し使うからねえ、、、試食メニューによっては、それこそ1日中だ。使用頻度も多ければ宅配で移動することも多く、電化製品は繊細なだけに、ほんの少しのことでいたんでしまうのかも知れない。ただ、このようなアクシデントがあっても、ほとんどの店舗は、社員食堂や惣菜部門で使っている電化製品を貸してくれる。それが、昨日の現場はダメだと言う。「皆(店舗従業員)が使うものですし、わけてもポットは1つしかないのでね」。入店直後の挨拶の反応、及びその後の流れからして、この発言は同店の売場担当者の個人的な意地悪ではなく、おそらくそこの店舗ルールなのだろう。だとしても、ああ、困った、仕事が出来ないじゃないの!デモ担当商品はお湯がないと作れないんだから!まあ、デモと販売場所を提供している店舗側にすれば、「電化製品のトラブルはそちら(メーカー側)の責任であり、管轄。われわれが何故われわれの電化製品を貸さないといけないのか。本当に必要なら買うのがスジじゃなくて?」と、こんな発想になるのだろう。実際、私も、派遣会社が送ってきたレンジが故障していて、そこの家電売場で買ったことがあるもんね、、、もう20年近く前の話だけれど(レンジ代はもちろん派遣会社持ち)。再度。こんなわけで、昨日の売上はボロボロとは言え、私の責任ではないやね。派遣会社もエージェンシーもメーカーも「そんなわけなら仕方がありませんな」と納得してくれているし。写真は、問題のポットのマグネットタイプの差し込み部分。錆びているよね。電気がポットに来なかったのは、これが主な原因ではないかとみている。帰宅してネット検索をかけたら、「電気接点復活剤」なるスプレーがホームセンターで売られているのだそうだ。
2024.01.14
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真冬の、陽が差さない日にありがちな、鉛のように重く冷たい空。こんなもとでの寒気は強烈だね。しんから温まるものが欲しくなる。具体的には、汁物や鍋物、お粥や雑炊など。そのお粥(レトルトタイプ)を、1月6日7日と宣伝販売している最中、試食したある人に言われた。「味はいいんだけれど、この舌触りがちょっとね。はっきり言って、お粥を通り越して重湯みたい。こんなんは私自身はあまり好きじゃないんよ。もう少しお米感がある方がいい。いや、あくまで個人の好みなんで、おねえさん(私のこと)、気にせんといてな」。いえいえ。気にするどころか、貴重な、そして、現在の食品会社の盲点とも言うべき点をついてくださったと、感謝しておりますよ。なぜなら、商品を企画製造したメーカーからして、「甘い」「辛い」「酸っぱい」「苦い」「旨い」の五大味覚を含む他の感覚部分(実はヒトが「味」として脳にとらえる時、大きな役割を果たす部分である)は、ややもすれば、なおざりにしがちだからだ。それでも、匂いをつかさどる嗅覚や器への盛り付けで訴える視覚などは、相応に気にする。でも、今回の触覚(食感)はどうか?触覚(食感)。これは、こういうこと。うどんを飲む込むつるっと感。おかきをかじるパリパリ感。プリンを味わうなめらか感。ずばり、さきのお客様おっしゃる、舌触りだ(化粧品に例えたら、肌触りね)。この舌触りって、、、まだまだ重点とはとらえられていないんだよね、、、、。確かに、うどんにしろおかきにしろプリンにしろ、まずは「味」なんだが、そこには触覚(食感)も含まれていることを忘れてはならない。写真は、この7日に岸和田の現場を終えた後、夫への土産に買い求めた岸和田の地酒、三輪福。
2024.01.12
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2024年の初仕事は、1月6日7日の、大阪は岸和田市にあるローカルスーパーでの、中華風味のレトルトお粥。この手の試食作りは、最近ではレンジを使うことがほとんどだが、今回は湯煎方式で。恐らく、メーカーはレンジの送料とデモンストレーターにグリル鍋を持参させる際につける荷物手当を天秤にかけ、決めたのだろう。レトルト食品とくれば、「あらぁ簡単じゃないの。既に出来上がったものを温めて(お客様に)提供したらいいだけだから」との声が、どこからか聞こえてきそう。確かに当たっている。お粥に限らず、カレーでもシチューでも惣菜でもね。ただ、それなりの、いや、それがゆえの難しさもないわけではない。特に、湯煎方式はね。湯煎そのものはバックヤードの試食調理室か従業員休憩室で行う(売場で行うとお湯が跳ねて危険なため)。それをスープジャーに入れて売場に運び、試食カップに注いでお客様におすすめするのだが、デモ場所によっては近場から冷気が押し寄せてくることもあり、そんなケースではパッパッと試食が出ないと、いくらスープジャーに保温性があるといっても段々ぬるくなるし、そうなると風味も落ちるし(いくら冷めても美味しいとメーカーがうたっていても、実際はぬるいおかゆなんてマズいよね)。つまり、試食のタイミングに、けっこう気を使うのだ。今回、両日とも、デモ開始前に立てた売上目標を、紆余屈折ありながらも最終的には達成できた。いつもこう。どうこう言っても目標を達成できなかったことは、滅多にない。意識しなくても、そこに気持ちが集中していることに加え、そんな姿勢にお客様や店舗従業員さんの共感、さらに運をも呼び込んでいるのだろう。成せばなる、は本当だ。幾度となく繰り返す。私は、この仕事が大好きだ。写真は、仕事を終えた後に写したもの。この岸和田商店街を抜けたところに、今回の現場はある。
2024.01.09
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(注)6年前の2018年の明日、1月5日に書いた記事。昨日の続き。手がけたビジネスが成功し社会的には成功者だったもののプライベートでは好き放題に生き、奥さんや子どもたちからは心情的に見放されてしまった、同級生のお父さん。当然、家族仲も良いとは言えなかったのだが、だからこそ、彼女は早くから人生設計が立てられたと言う。「うちの両親みたいな家庭を持つのはごめんだとの思いが小学生の頃からあり、では、そうするためにはどうしたらいいか、子どもなりに考え、情報を集めていた」。彼女が得た答の一つが、自分もずっと収入を持ち続けること。「母が父にあんな仕打ちをされても我慢したのは、率直なところ、一人では生きていけなかったから。じゃ、旦那がいなくてもやっていける仕事を持ったらええねん」。こうなると、進学先や就職先も具体性を持って選ぶことが出来る。さらに、それに付随する諸々の要素(学費やどんな勉強をすればよいのか、など)、ひいては共働きを続けるための条件(配偶者となる人の職業や性格、物事への価値観、等々)も。すなわち、彼女は、不仲だった両親を反面教師として自分の人生をデザインしたわけだ。それも、現実をしっかり踏まえて。これって、エンディングノートのスピリットと重なるよ。彼女の話で、私が一番共感したのは、「母も、人生の節目に自分を見つめ直す機会をもうけたら、余生はかなり変わったと思う」との語り。「そりゃ母も含めたあの年代の人は、個人の好き嫌いに関係なく、親に見合いを強制された結果イヤとは言えず嫁いで、そのままきた人が珍しくない。そういうのも理解した上で、やはり、、、ね! 父も晩年はおとなしくなっていたし」。彼女は、病気で身体が不自由となった結果、特別養老院に入れられ一度も妻(同級生のお母さん)の面会を受けなかったお父さんも可哀想だけれど、それと同じくらい最後の最後までお父さんを許すことが出来なかったお母さんも可哀想だと顔を曇らせた。気持ちはとてもわかる。エンディングノートは、死に支度ではない。「人はいつか死ぬ」ことを意識した上で現実を見つめ、そうだからこそ出来る新たな「始まり」ノートであり、それは、自分ないし他人への「許し」ノートでもあるのでは?恨みながら、呪いながら、あの世に行きたい?
2024.01.04
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(注)6年前の、2018年の今日、書いた記事。昨日は、粉雪舞う中、我が家から片道40分弱かけ、ビブレ(ショッピングセンター)内にある大垣書店へ。エンディングノートを買いに出かけたのだ。こういう類いの書籍(書き込み形式ではあるが一応は書籍だ)は、それなりの規模を持つ書店でないと売っていないからねえ。「えーーーーっ、まだ還暦なのに、エンディングノート?」と驚く方。ご存知かな、エンディングノートの持つもう一つの意味を?それは、現実認識をした上での、新たな人生スタート。あくまで私見ながら、自分にとっての「良き死に方」を想定してこそ、そこに向けた日々をコントロールすることが出来るのでは?なぜなら、良き死に方は良き生き方にもつながるから。「いやぁー、良き死に方なんてないよ。うちの父親がいい例」。こう言い放ったのは、学生時代の同級生。「うちは父親が経営者で、そりゃ会社を発展させて金銭的には大いに潤ったけれど、父の最後は哀れなものよ。さんざん好き勝手してきたから引退後は母に疎まれ、病気をしてからはさっさと養老院に入れられて」ここに至るまでの過程が過程ゆえ、お母さんはただの一度も面会に行かなかったそうな。「私たち子どももねー、父のことは好きじゃなかった、、、ただ、弟は、親子間野の愛情とは違う分野で父と男同士で感じ合う面があったのか、、、父の晩年には、割と、、、ね!」。さあ、ここからが、良き死に方は良き生き方につながるとの具体例。次回をお楽しみに。
2024.01.04
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