路傍 〜メインは「桜隊原爆忌」

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2012年02月29日
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カテゴリ: 桜隊原爆忌

4 「熱い」虫の息で水浴び=広岩近広
≪記事≫
          (毎日新聞 2012年2月28日 大阪朝刊)

 その年の夏、18歳だった彼女は映画の一場面のような光景を脳裏にとどめた。67年も昔のことだが、まるで昨日の出来事のように、くっきりと記憶のスクリーンに映し出せる。

 月が高く昇った半夜、寺の裏手にある井戸端で、痩せた男が水浴びをしていた。井戸につるべを落とし、くみあげた水を頭からかぶる。時間が止まったように鈍い動作の後、やがて男は動かなくなった。

 移動演劇「珊瑚(さんご)座」の女優だった諸岡千恵子さん(84)は振り返る。

 「大変よ、劇団の人が水浴びをしている、と言われて庭に出たのです。丸山定夫さんでした。井戸端に座りこんで動かないので、どうしたのですかと聞くと、体が熱くてかなわないので、水浴びをしているんだよ、と消えるような声で言われたのを覚えています」

 広島湾に浮かぶ宮島の存光寺で水浴びをしていた丸山定夫は、爆心地から約750メートルの堀川町の寮で被爆した。寮は壊滅し、丸山が率いた桜隊の8人も、爆風と熱線と放射線に襲われた。諸岡さんら珊瑚座の座員は存光寺に疎開したうえで、8月2日から地方巡演に出ていて無事だった。

 8月10日、存光寺に丸山メモが届いた。<タイビにいる。れんらくたのむ。ガン>。紙切れに鉛筆で刻んだ筆跡は本人に違いなく、丸山の愛称は「ガンさん」で通っていた。タイビは鯛尾収容所とみられた。

 丸山メモが届くのを待っていたかのように、桜隊の2人が東京から存光寺に駆けつけた。演出家の八田元夫と事務長の槇村浩吉である。2人は召集された男優を補充するために帰京していた。



 2人は存光寺を後にして鯛尾収容所に向かうが、丸山は国民学校の収容所に移っていた。2階の教室で毛布にくるまり、虫の息だった。このときの様子を、八田は著書「ガンマ線の臨終」(未来社)に記している。

 <外傷は首、背、手、足、八、九ヵ所、裂傷だけで火傷は見当たらないが、首のあたりをしたたかに打っているらしい(略)「このままでは死ぬぞ、と這(は)い出た」「火の追いかけて来ないところへたどり着いて、そのまま倒れてしまったんだね」(略)頬は燃えるように熱い。話す言葉が途切れ途切れになってくる>

 12日、丸山は存光寺に運び込まれた。丸山を診た医師の言葉を、諸岡さんは覚えている。

 「だいぶガスを吸っておられるので、お気をつけてください」

 目に見えない放射線の正体が定かでなかった一時期、市民の間でも「悪いガス」がささやかれた。

 だが、丸山が弱り切った体で水浴びを続けたのは「悪いガス」のせいではなく、ひとえに放射線の影響による。原爆放射線は名優の全身をほてらせ、体内の細胞を壊しつくそうとしていた。(次回は3月6日に掲載)

毎日新聞連載04PHO





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最終更新日  2012年05月31日 14時48分28秒
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