路傍 〜メインは「桜隊原爆忌」

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2012年03月06日
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カテゴリ: 桜隊原爆忌

5 「生きろ」叫び続け…=広岩近広
≪記事≫
          (毎日新聞 2012年3月6日 大阪朝刊)

 <亡(ほろ)びるな 亡びるな 生きろ/起きろ 起きろ 起き得るかぎり/生き得る限り 生きろ 再び生を楽しめ>(詩「亡びるな」の冒頭)

 新劇の団十郎と呼ばれ、桜隊を率いた丸山定夫がこの詩を書いたのは23歳のときだった。

 それから21年後の1945(昭和20)年8月15日、丸山は宮島の存光寺でふせていた。急性原爆症で苦しむ姿は痛々しかった。

 丸山に食事を運んでいた珊瑚(さんご)座の女優、諸岡千恵子さんは枕元で声をかけた。

 「戦争が終わりましたよ、丸山さん」

 すると丸山は、か細い声で応じた。「脚本を検閲されずに、好きな芝居ができる世の中になったんだね、よかったねぇ」。声は途切れながらも、丸山は希望をつないだ。「この体を治して、いい芝居をやってみせるよ」

 このとき丸山は歯茎から血を出し、頭髪もかなり抜け落ちていた。



 丸山は演出家の八田元夫にうめくような声で言っている。

 「こんなにまでやられて、なぜ日本は手をあげなかったのだろう--」

 原爆により骨と化した5人の通夜は存光寺で営まれた。丸山は遺骨に手を合わせて震えていた。諸岡さんたちが隣室に引き取ると、丸山の号泣が夜の底を揺さぶった。

 このころ宮島では、運びこまれた重傷の被爆者が次々と亡くなっていた。「火葬場がないうえ、ひつぎの数も限られたので、亡くなった人は果物箱に折って入れるのです」。諸岡さんは18歳の夏を振り返る。「高く積まれた箱からは死臭が漂っていました」

 空腹にあえぐ諸岡さんが足をとられて、ふらふらっと箱の山に近づいたとき、地元の人から注意された。「だめよ。水が流れているでしょ、死体の水よ」。諸岡さんは思わず空を仰いだ。「人間は死んだら、水になるのだろうか」

 日付が8月16日に変わった。<生きろ>と胸のうちで何度も叫んだにちがいない丸山は、体力を使い切っていた。妻の骨を拾った槇村は「桜隊原爆忌の会」が作製したリーフレットに「丸山定夫の最期」を残した。

 <高熱は朝から続いているし、シャックリは病人を苦しめ続けていた。ガンさんには、庭にとび出して井戸で水をかぶるような体力は、最早(もはや)なかった。時に、耐え切れず、水を一口飲んでは噎(むせ)んで体力を消耗した。(略)女医さんが来てくれた。「ご臨終です」と云(い)って、時計を見ると午後九時三十分だった>

 享年44、丸山定夫の人生は永遠に幕を閉じた。(次回は13日に掲載)

毎日新聞連載05PHO





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最終更新日  2012年05月31日 14時49分35秒
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