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何度かこのブログでも書いているが、息子たちはワイン用ブドウを栽培して近くのワイナリーでワインを作っている。(委託醸造ではなく、施設を借りて自分達で仕込んでいる)自分の畑を開墾して6年、やっと自然栽培の土壌ができあがりつつあり、化学肥料や化学農薬は使わず、可能な限り農薬を使わない自然派ワインを目指している。農薬を使わないということは、病気や虫との攻防戦ということであり、手間がかかる上に収量も少なくて、私は何度も心の中で、「こんなことやっていて、本当に食べていけるのか?」と呟いたものである。そんな気持ちの一端は、右の「家族」のカテゴリーの記事で時々書いてきた。(「生き物としての人間」など)おかげさまで、年々収穫できるブドウも増え、木の成長に従って良質なブドウもとれるようになり、何よりも、息子に言わせれば「畑の虫たちの繁殖や、草を含めた土壌環境のバランスがとれてきた」らしくて、最初の頃のような「葡萄にとっての害虫の大発生」などはなくなり、たくさんの昆虫類や雑草がお互いに折り合っている状態になってきつつあるらしい。しかし、ウサギ(葡萄の若木を齧る)、エゾシカ(葡萄の芽が好物)アライグマ、スズメバチ、鳥類(収穫間際の美味しくなった葡萄をムシャムシャ)羆(当然ぶどうは大好き、何より人間を襲う)などなど、畑周辺に出没する動物たちとの攻防戦は相変わらずであるが。動物たちだって、無農薬の葡萄は美味しいに決まっているしね。さて、今日はワインの醸造には欠かせない「亜硫酸塩(酸化防止剤)」が本当のテーマである。ワインの醸造過程には、どうしても酸化防止剤が欠かせないようである。息子のワインにも少量の酸化防止剤は使用していて、ラベルには「補糖や清澄剤などの使用はせず、総亜硫酸使用量は15ppm」などと明記している。これがどのようなことか私も全く知らなかったのだが、息子に言わせれば「ギリギリまで使用を抑えている」らしい。「補糖や清澄剤」も市販されている多くのワインは当然のようで、使っていない方が少ないらしい。それによるワインの違いがいかようなものか、残念ながら私には飲んでみてもよくわからないのだが…。これが、息子には特に「亜硫酸塩」が使われているかどうかは、少し飲んだらすぐわかるそうなのだ。亜硫酸塩を使う時も、誰かに頼んで扱ってもらっているという。アレルギーのように、体が反応するらしい。それを聞いてハッと思い出したことがある。息子たちがまだ小学生、多分長男は3~4年生、次男は1~2年生の頃、家族で「樽前山」を登山したことがある。とても天気が良い日で、洞爺湖も太平洋も一望できて喜びながら、頂上のドーム周辺を歩いていた。ドームには噴火口があり、今でも噴煙が上がっている。きっと、登山口には注意事項が書いてあったはずだし、立ち入り禁止区域もあったのかもしれないが、少なくても私達の歩いている所に立ち入り禁止の札はなかった。(あったら、絶対に行っていないはず)長男と夫は先を歩き、私と幼い次男は少し遅れて歩いていた。私は、風向きのせいか火山性ガスが発する強い硫黄の匂いを感じて、あわてて次男にタオルでマスクをさせた。先に歩いている夫に「ガスに気をつけてー!」と叫んだのだが、時すでに遅く、ガスを吸い込んでしまった長男はしゃがみこんで咳をしていたのだ。帰宅してからも長男の咳は断続的に続き、心配になって病院に行った。診断結果は「喘息」である。それまで喘息の気配など露ほどもなかったので驚いた私は、「一度ガスを吸っただけで喘息になるのですか」と聞いた。医師は淡々と「そういうこともあります」と言った。治るかどうかはわからないし、一生付き合う可能性もあるという。ショックであった。火山性ガスに無防備だった自分達の無知を呪い、「私は次男にすぐにマスクをさせたのに、気付かなかった夫が悪い」と思ったこともある。夜になると苦しそうに咳込む長男の背をさすりながら、これからずっとこんな一生なのかと切なくなったものである。しかし、本当にありがたいことに、激しい喘息発作は少しずつ軽減し、多分1年くらい過ぎたころには、その症状は見られなくなった。やがて年月とともに、そんなことがあったということさえ記憶のかなたとなっていた。それが、「亜硫酸塩には敏感なんだ」という息子の言葉に、ハッと思いだされたのだ。息子にその話をすると、「ああ、そんなことあったね。確かに火山のガスは亜硫酸ガスだし」と納得していた。喘息の症状はなくなったものの、亜硫酸に敏感な体質は残ったようなのだ。そのせいもあって、息子は他のワインの亜硫酸塩の使用程度はわかるようなのだ。「そんな体質は僕だけではなくて、結構いるようだよ。 ワインを飲んで頭が痛くなる人は多いけれど、 きっと自分にワインは合わないと思ってるのだろうし」。あの時火山性ガスを吸い込んだことが、今の息子の仕事の役になっているとするなら、まさに「怪我の功名」と言えるだろう。蛇足であるが、ワインの添加物や産地の表示は他の食品よりは甘くて、「国産ワイン」と言っても、その内容は外国から仕入れた濃縮ブドウジュースがほとんどということもあるらしい。今、ネットでワインの表示について書いてあるものを探したら、下記があった。国産ワインの表示について (日本ワイナリー協会)この自主表示基準でも、添加物の詳細や産地表示は「~を表示することができる」などと書いてあり、つまりは表示しなくても問題ないということだろう。うーん、最近有名レストランの「偽装表示」が非難されているが、ワインについてはちゃんと表示しなくても問題ないということか。これって、問題じゃないのかな?
2013年10月30日
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私はタバコは苦手である。ヘビースモーカーであった夫と結婚して以来、私は間接喫煙者ともいえた。当時は、タバコにさほどの嫌悪感は抱いておらず、(というより、タバコを厭がっていたら、結婚もできず仕事もできなかったし)好きなものなんだから仕方がない、と思っていた。ところが、自宅で、職場でタバコの煙を浴び続けた結果、私の内部の閾値を越えてしまったのか、十数年前からタバコの煙に対して過敏になってきた。最初は息苦しさを感じるようになり、タバコのにおいに敏感になり、今ではタバコのにおいは感じなくても、たばこ成分が空中を漂っている場所に行くと咳が出るようになっている。そんな私にとっては、私がタバコに敏感になるにつれ、喫煙者が非喫煙者に気を使うようになり、分煙が進み、やがて全面禁煙の場所が増えるようになったことは大変ありがたいことだった。ヘビースモーカーであった夫は、以前は「意地でもやめない」という感じだったが、椎間板ヘルニアで入院した時、喫煙ルームにすら行けない状態が続いたことを契機に、私も驚くほどキッパリと喫煙をやめてくれた。ありがたい時代になったものよと、私は心から喜んでいる。しかし、社会が喫煙者いじめのような状況を呈してきた昨今は、私は強い違和感を覚えるようになっている。雨の日でも玄関先でタバコを吸っているような人を見ると、本当に気の毒だと思う。飛行機も最近はフライト中は禁煙のようだし、飲食店も禁煙の店が増えているような気がする。(あまり気にしていないので、実態はよくわからないが)たとえば、コーヒーが大好きな人が、コーヒーの香りが体に悪いからと言われるようになり、コーヒーをどこで飲もうかと神経を使わなくてはならないとしたらどうだろう。昨日も、市内でジャズコンサートがあり、その帰りに友人とレストランに入ったのだが、そこは喫煙ルームと禁煙ルームが別れていて、喫煙ルームの近くにあるトイレに行く時、私は思わずむせ込んだ。しかし、むせたってほんの一瞬である。その近くにいる喫煙者の人たちをちらりと見て、安心してタバコを吸いコーヒーを飲める場所は、タバコが好きな人には必要だよなと思った。タバコは体に悪いとは言っても、好きなものを楽しむためにかほどに気を使い、肩身を狭くし、時には長時間の我慢を強いられては、そちらの方でストレスが増幅して体に悪いんじゃないかと。そんなことからタバコの増税発言について話題になったが、「日本人は、なんだかちょっとステレオタイプになってるよね。 タバコを吸い続けていたって長生きの人だっているしね。 二者択一で世論が向かう方にドドーッと行ってしまう風潮はなんだか怖いね」などと話したりした。そんなことがあったので、今朝、話題の小宮山発言はどんな感じで、その反応はどうなのかとネットでいくつか読んでみた。私は、小宮山さんは割合冷静に物事を考える人のように思っていたので、その発言も前後の話の流れをしっかり見なければよくわからないと思っていたのだが、ネットで見る限り、彼女のタバコに対する姿勢は『筋金入り』というよりは、ちょっとバランスを欠いているように思った。さらに、そんな自説を「個人的意見というよりは、厚生労働省を代表して申し述べた意見です」と言っているのは、ちょっとずるいというような気さえした。厚生労働省の人たちだって、みんながそのように考えているわけでもあるまいに。そんな後に、武田邦彦先生のブログを見て、なんだか胸がすっきりした。これも1つの考え方ではあるが、私はとっても納得したので、ここにご紹介しておく。日本人が大人になるチャンス・・・タバコ増税日本人が大人になるチャンス・・・タバコの危険性 (平成23年9月6日)
2011年09月07日
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さきほど、近くのスーパーに「生筋子」を目的に行ってきた。今朝のチラシで、「秋生鮭筋子、100g250円」とあったので、これは買いに行かなくちゃと思ったのだ。今が旬の生筋子も、今までグラム300円を切ったことがなかったので、これは買う人が殺到するだろうと思い、開店5分後に店内に入った。ところが!!!すでにそのコーナーには、買い物かごにいくつもの筋子のパックを入れた人が待ち構えている。特売品には、「おひとり様○パック限り」というものも多いのだが、これは数量限定ではないようだ。とにかく、そのような人が何人もコーナー前に陣取って、次に商品が出てくるのを待っている。「まいったなー」と思いながらも、それらの強そうなおばさん達の後方に待っていた。やがて、若いおにいちゃんが「すみませーん、ちょっと通して下さい」と、生筋子のパックを並べたトレーを掲げてやってきた。すると、なんと、そのトレーに直接手が伸びて・・。売り場にそのトレーが置かれた時には、すでに二パックのみ。本当に幸いなことに、私はおばさんの背後から手を伸ばして、一パックだけゲットできた。本当は、そのおばさん(といっても、私と同世代だろう)のかごの中に重なっているパックを一つくらいかすめてしまいたい気分だったが、私のプライドがそれは許さず、一パックだけで満足することにした。あの人たち、なんだか殺気立っていたなあ。ひょっとすると、商売のために必要なんだろうか。家庭だけで食べるには多すぎる分量だったもの。知人同士なのか、「まだこれじゃあ足りない」なんて言っていたっけ。どんな事情があるのかわからないが、ちょっと情けなくなってしまった。本当なら私も、二パックくらい買いたいと思っていたんだけど・・。今頃は、あのお買い得商品は売り切れたんじゃあないだろうか。ちなみに、我が家ではイクラが好きなのは私と長男家族。夫は中性脂肪が高いので、嫌いではないけれど最近は避けている。次男は、酒飲みのくせに小さいころからあまりイクラや筋子は好きではない。というわけで、近年は「イクラ大好き!」の孫たちのために作っているようなものだ。さて、イクラづくりを始めようかな。
2009年09月08日
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とうもろこしは絶品、千歳市鈴木農園
2008年08月08日
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苫小牧の食肉製造加工会社「ミートホープ」に関する食肉偽装や賞味期限切れの食品横流しなど杜撰な食品管理の実態には、毎日毎日唖然とするばかりなのだが、同時に不思議でならないことがある。お肉の味って、そんなにわからないものなのだろうか。正直なところ、私はあまり「牛肉」を食べないし、ひき肉も「牛肉入り」よりも「豚」の方が好き。冷凍コロッケも子ども達のお弁当を作っていた頃には時々利用していたが、今では全く買うことがない。しかし、偽装ひき肉が使われた食品は沢山あるだろうから、私も知らずに食べていたのだろう。消費者の立場に立った「生協」ですらもだまされていたらしいが、それほど他の業者との品質の違いがわからなかったというのが、とても不思議だ。さらに今朝は、ミート社 雨水で肉解凍か 食品衛生法違反の疑い 工場の床清掃用(北海道新聞 06/28 07:15)で、またまたビックリ。こんな杜撰な食品管理で、よくも食中毒などにつながらなかったものだ。お肉って、火を通せば相当変なものでも大丈夫だってことなのかな。
2007年06月28日
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この数日、松岡利勝農相の「光熱水費」が話題になっている。「またまたでました・・」という感じで呆れながらニュースを見ているのだが、今回の騒動で一番ビックリしたのは、一本5000円の水(ペットボトル)があるということ。松岡事務所がこれを常用して健康管理をしているかどうかはともかく、少なくてもニーズがあるから商品があるわけで・・。どんな方たちが飲用しているのだろう。そういえば、テレビを見ていたら、追求された松岡大臣が、「今どき、水道の水を飲んでいる人がいるのですか?」なんて言っていたっけ。悪いけど、私、水道水を飲んでますよ。北海道のここらあたりの水道の水は、美味しいんです。同じ北海道でも、まずいところもありますけどね。そういえば、二十年以上前の夏、大阪に行った時、いつもの通り水道の水を飲んで、思わず吐き出したことがある。生ぬるいし、何よりとても不味かった。あの頃はまだ、ペットボトルの水はさほど一般的でもなかったから、生の水道の水ではなくて、沸かしてお茶で飲んだりするようなことを聞いたような気がする。都会の人たちは気の毒だなーと思ったことを思い出す。だから、今では「水道の水」を飲む人がいないというのも、本当なのだろうか。挙句の果てに、5000円のミネラルウォーター???どんな水なのでしょうか。興味はあるが、そんな高価な水を買って飲もうとは思わないけど・・。飲んでいらっしゃる人がいらっしゃったら、その価値を教えていただけたら幸いです。松岡農相 新たな疑惑「光熱水費」 年間500万円計上 3月9日 毎日新聞はっきり言って、この人、頭が悪すぎる。こんな大臣をかばう価値があるんだろうか。【追記】上記の日記を書いてから、他の方のブログ「けっこう高いぞ阿蘇の天然水」を見て、5000円の水の正体判明。有機ゲルマニウム水 のようだ。説明が色々書いてあるが、いくら体に良い物でも過剰摂取に問題はないのだろうか。「過ぎたるは及ばざるがごとし」ですよ。松岡さん、飲みすぎたんじゃないの?(笑)
2007年03月13日
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息子夫婦が、札幌雪まつりのさとランド会場で遊んでから、午後4時頃にやってきた。彼らが来る時は、楽しさ半分、お疲れ半分である。夕食は、彼らのリクエストでシャブシャブ。本州ではシャブシャブといえば「牛肉」なのだろうが、我が家では「ラム肉」がメインである。以前は、価格の上から「冷凍肉」がほとんどだったが、最近は保存技術が上がったのか、生肉も冷凍肉と違いのない価格で手に入るようになった。やはり、生ラム肉の方が美味しい。北海道でも羊は生産しているはずだが、お手ごろ価格のものはみんな外国産。本日のお肉はオーストラリア産であった。一緒に用意した「豚肉」も、外国産だった・・。(産地を忘れた・・)できるだけ「国内産」を購入しようと思ってはいるのだが、沢山買う時は、やはり「低価格」のものに目が行ってしまう。(ただし、「アメリカ産」と「中国産」だけは、どんなに安くても避けている。)夫婦二人では「鍋料理」などはほとんどしないので、みんなが集まった時はどうしてもこのようなものになる。孫達も、最近は自分で肉を入れて「シャブシャブ・・」と肉の色の変わり具合を確かめて食べるようになった。毎回、見るたびに変化する子どもの様子は、本当に面白い。
2007年02月10日
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年に何度か、夫の手打ち蕎麦を食べに、職場の人たちがやってくる。「手打ち蕎麦」がメインではあるが、妻としてはそれだけで何もしないわけにもいかない。今回は、いつもの「天麩羅」ではなくて、作り置きのできるものを中心とした。天麩羅は揚げたてを出したいので、蕎麦を茹でたりするのと重なってしまい、やたら忙しいのである。というわけで、朝から「おでん、煮物」やサラダやオードブルの準備。来客は6人だったけれど、私はいつも「多すぎるほど」作ってしまう傾向がある。夕方、6時くらいから宴会が始まり、みんなが帰ったのは11時半過ぎ。その間の私は、「居酒屋のおばちゃん」である。オードブル関係は若い人たちに持って帰ってもらったが、予想以上に煮物関係は残ってしまった。これから数日は、これを食べて暮らすことになる。(19日朝/記)
2007年01月18日
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私は、回転寿司が好きである。気軽にあれこれと選べることが楽しいし、そこそこ美味しい。しかし、好きではあるけれど1~2ヶ月に一度程度だから、頻繁に行くというほどでもない。年末に、夫が札幌の「○○亭」という回転寿司が良いと聞いたそうで、今日は少し足を伸ばしてそこまで食べに行った。人気のお店で、けっこう待つこともあるらしいそうで、「待つ」ということの嫌いな夫は、夕食には少し早めの5時前に到着。チェーン店のようだが、広い駐車場に広い店内。それでも、家族連れなどで結構賑わっていた。夫婦二人だけなので待つこともなく、すんなりとカウンター席に。夫婦二人だと、一皿(たいてい二貫)を分け合って食べられるので、色々な種類を食べられるのも回転寿司の魅力である。一応ぐるぐる廻ってはいるけれど、ほとんどを「注文表」で頼むことになった。というのは、店内が広いせいか、廻ってくるほとんどが「少し時間が経過してます」という表情。それでも、握ってもらったものは結構満足できた。今までに他の店で食べたことがないものとしては、「イカのゆず塩」「筋子」「トロさんま」かな。「さんま」と「トロさんま」はどう違うのかわからないが、美味でした。「筋子」は、今まで他の店で見たことがなかったけれど、ちょっと考えたらなかったのが不思議。甘塩の筋子をご飯と一緒に食べたら絶品なのだから、握りにして美味しくないはずがない。「いくらの軍艦巻」よりも食べやすいし、私としては他の店でもメニューに入れて欲しい。「海老の頭の味噌汁」は、値段の割りに量が多くて大満足。私達は食べなかったけれど、軍艦巻系や揚げ物、デザートなど、メニューは豊富だったと思う。家族連れには良いお店だろう。安いものを選んで食べたというわけでもないが、もともと高額のネタよりもお安いネタが好きということもあり、支払いをしたら3000円にもならなかった。回転寿司は庶民の味方です。
2007年01月14日
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日記リンクしている「シャルドネさんの日記」で、アメリカの「遺伝子組み換え大豆」について知った。米国産遺伝子組み換え大豆、作付けの9割に 世界最大の大豆、トウモロコシ産地である米国で遺伝子組み換え作物の作付比率が上昇している。大豆は9割に迫り、トウモロコシも6割を上回った。農作業が省力化できるほか収穫量も上がるため、農家が次々と切り替えた。日本では消費者の抵抗が強く、中小食品メーカーを中心に原料の調達先を米国以外に拡大している。 米産の大豆とトウモロコシは9月後半から11月に収穫期を迎える。米農務省のまとめでは今年の大豆の作付面積約3031万ヘクタールのうち89%が遺伝子組み換え品。6年前(54%)に比べ21ポイント増えた。トウモロコシも25%から61%へと36ポイント拡大した。詳しくはシャルドネさんの日記をご覧いただきたいが、それを読んでいて、私もゾッとした。私には、遺伝子組み換え食品の是非について論評する知識も理解力もない。しかし、近年は「バイオテクノロジー」が最先端の夢の技術かのようなもてはやされぶりで、北海道の企業誘致や、大学や専門学校の注目学科のように見聞きすることがある。だから、ピン・ポイント的に「遺伝子組み換え食品反対」とは聞こえても、実は知らないうちに、私たちの周囲に浸透しているのではないかと感じていた。すべてが危ないものであるとまでは、私も思わない。しかし、シャルドネさんが指摘されているようなことも、十分予想されることだと思う。なぜ、生産者が遺伝子組み換え作物に飛びつくのか。手間がかからず生産性が上がるし、その分低価格となり、儲けられる食品だからだ。そして、それを消費者が喜んで食べるのはどうしてなのか。もちろん、低価格だからだ。植物でも動物でも生き物を育てるのは、手間がかかるものだ。その手間を省いたら、どこかでしっぺ返しがくると思った方が間違いはない。しっぺ返しが自分にくるだけならまだしも、無関係の人達まで巻き込むのが現代社会だ。私などは、遺伝子組み換え食品を食べて免疫力が低下したからといって、もうどうでも良いとも言える。しかし、そう言って私が、安価な食品を考えなしに食べていたら、その影響は孫子の代にまで及ぶかもしれない。今までは、目に付いた時には避ける程度だったが、これからはしっかり確認して納豆を買うようにしよう。《参考》バイオテクノロジーQ&A論文(遺伝子組み換え情報室)
2006年09月20日
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かつては「炭都」として栄えた歌志内市は、現在人口5000人強の、全国一のミニ市である。町外れにあるかつての空知炭鉱の露天掘りの跡地が、今はワイン用のブドウ畑になっている。そのブドウ畑で「うたしないワインフェスティバルin太陽の丘」が開催されるというので、家族みんなで遊びに行った。かつての産炭地は、先日破産した夕張市をはじめとして、どこも大変な状況になっていると思う。歌志内市も、企業誘致などで頑張っているようだが、このご時世であるから苦労しているはずだ。そんな中でのこのフェスティバル、想像以上の大盛況であった。このワイン用ブドウ畑は、最初は市の直営だったのだが、現在は「株式会社歌志内太陽ファーム」という、パチンコの太陽グループの肝入りで出来た農業法人の経営。今、この日記を書くために太陽ファームのHPを探して読んだけれど、地元有志の「サポータークラブ」や、太陽グループの社員のボランティアチームなどが、今回のフェスティバルの運営はもとより、除草や収穫作業なども応援しているようだ。そのような大勢の人たちの「心意気」がどんどん広がっているのか、初のブドウ畑での開催(今までは、カムイ岳スキー場前の広場だった)は、想像以上の大盛況だった。飲み放題のワインは、ソムリエが注いでくれて雰囲気があるし、地元の人たちが作る「なんこ鍋」や「焼きそば」などなどや太陽ファームの関連会社、「レストラン・グランポルト」のシェフが作る、「エゾシカバーガー」や「函館海鮮カレー」はとても美味しかった。メニューが思った以上に豊富で、みんなで色々なものをつつきながら楽しめた。天気が良く、爽やかに暑い日だったので、ビールもジャンジャン売れていたようだ。(私はケチなので、アルコールは飲み放題ワインのみ)ワインたちも、まさに自分が生まれ育った畑で大勢の人に楽しんでもらえて、本望だろう。この農場で栽培する葡萄で醸造されるワインについてはこちら→うたしないワイン今回、「飲み放題」で大盤振る舞いされたのは、「2005年の赤」。私はワインの味はよくわからないが、好きな人は「美味しい!」と言っていた。羊をぶどうの枝を使って丸焼きにしたという「フレンチ・バーベキュー」は、最初はちょっと可哀想な気がして食べる気になれなかったのだが、次々と並ぶ人の列を見ていると、次第に気持ちが変化してきた。「人間って、本当に残酷なものだなあ」「でも人間の食べ物というものは、ここからスタートしているのだな」「ステーキだって、ソーセージだって、みんな命を奪って食べてるわけだ」「私たちのために命をささげてくれた羊たちのためにも、感謝して味わったほうがいいのかも」というわけで、残り少なくなってきた状態の時に、「間に合うかな・・」と心配しながら並び、幸いにも(?)いただくことができた。羊の肉は、北海道では「ジンギスカン」としてお馴染みである。だから、その味は予想通りのものであったが、「丸焼き」という形から切り取ったものを食べたのは初体験。でも、思い返せば私の子どものころは、鶏だって自分の家で飼っていたものをつぶして食べていた。私は、生きている鶏が殺されて羽をむしられ、解体されて肉になるのを見ているわけで、小さいころは鶏肉が食べられなかったことを思い出す。でも、今では食卓に上がる肉の第一位は鶏肉だ。羊の肉にしても、ジンギスカン料理がまだ一般的ではなかったころ、まだ雪の残る裏庭で、父と友人が羊を解体しているのをチラッと見たことがある。その肉も、私は食べることができなかった。そういえば、「馬肉」もあのころは食卓に上がることがあった。農家はどこでも農耕馬として馬を飼育していたので、怪我などで使い物にならなくなったら、殺されて貴重な食材となった。馬肉は自分の家だけでは食べきれないので、近所におすそ分けするのが常だった。そんなことを思い出しながら、羊さんの命をいただきました。三匹(だったと思う)の命は、フェスティバルに集まった多くの人たちの命になりました。ありがとうございます。成仏してくださいね。こんな気持ちになるのも、「丸焼き」での姿を見たからこそだ。人間は他の動植物の命を奪わなくては、生きていけない動物だったことを再確認した。話がちょっとそれたけれど、夕張市の破産は元産炭地には他人事ではないだろう。この太陽ファームが、歌志内の元気の元であり続けて欲しいと思う。
2006年07月09日
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私は、あまり食材にこだわる方ではないと思う。同じようなものなら価格の安いものを買うし、産地にもさほどのこだわりはない。野菜価格が高い時は、可能な限り実家の室(むろ)に備蓄してある「ジャガイモ、人参」でしのぐ。要するに、食べ物に関しては普通のケチな主婦だ。しかし、そんな私も多少はこだわることがある。☆お米は北海道産米せっかく北海道の農家が苦労して品質の良いお米を生産している。冷涼な北海道の農薬の使用料は、本州より低いともいう。価格だって、味だって、決して本州米に負けてはいないだろう。道民が道産米を食べないで、どうするのだ!昨年、農協など農業を応援すべき仕事をしている人たちの半数近くが、実は本州米を食べていたと知って、私は頭にきた。これからも私は、北海道米だけを食べ続けるだろう。関連サイト 北海道のお米☆アメリカ牛肉は食べないあのBSE騒動があってから、特にアメリカ産は決して買わない。安全性云々より、日米政府の姿勢へのささやかな抵抗。まあ、さほど牛肉を食べる必要もない食生活だし、たまに食べる時には、やはり国産(可能ならば北海道産)を奮発して、私なりの「ニッポン、頑張れ!」。☆ワインも北海道北海道では、「北海道産のぶどう」にこだわったワインが結構ある。一時期は、安くて私の口に合う「ドイツワイン」を買っていたけれど、ある時期から、自分で買う時は北海道産ぶどうのワインにしている。もちろん、他の人からいただくワインは、ありがたくいただいている。これもある理由から、結構ワインのお土産などいただくことがあるのだ。はっきり言って、やはり私はドイツワインが好きだけれど・・。北海道のワインはやはり世界的には発展途上なので、値段の割りに「うーん」ということもあるが、北海道の農業の可能性を信じて応援して行きたいと思う。野菜や果物に対しては、さほどのこだわりを持ってはいない。しかし、似たような価格ならば、できるだけ産地が近いものを買うようにしてはいるけど。
2006年01月22日
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9月20日の日記、「蕎麦の脱穀」で、私の実家で戦前・戦後に使用していた「唐箕(とうみ)」と「ブリンコ(唐竿:からさお)」について書いた。今、ネットで検索したら、これの写真を見つけたので、我家のものと似ているのをリンクしておく。興味のある方はごらん下さい。実家にあるものは、いずれも私の祖父の手作りであるから、若干写真とは違うのかもしれない。しかし、今見る限りでは、ほとんど同じである。さて、実家の小屋の奥にしまいこまれていたもう一つの農機具が、約35年ぶりに日の目を見ることになった。「足踏み脱穀機」である。(この写真をネットで探していたら、唐箕も唐竿も一緒に掲載されていた)実家にある脱穀機本体は購入したものだけれど、祖父はこれに木製のカバーを作っている。写真で作業風景を見たら想像できるかもしれないが、カバーをつけることで脱穀された穀物が飛散することを防ぐことと、作業する人が埃を吸わないようにということのようだ。どうしてこれが陽の目を見たかというと、昨日の日記で書いた息子が、農場の一角に「緑肥」も兼ねて麦を栽培したのだという。少量なので、昔ながらの農機具で脱穀したいのだという。私の両親等は呆れ顔で、「この時代に何をバカなことを・・」と笑いながら、結構嬉しそうに使い方を孫に教えていた。私自身、幼い頃に親達がこれを使っていたという記憶こそあるが、脱穀機を自分で足ふみするのは初体験だ。息子はこれらが残されていたことに感激しながら、これらの道具を軽トラックで持ち帰った。農場で働いている人の中でも、ただ一人だけがこれらの道具を使ったことがあるだけとのことで、無事に麦が脱穀されて、長男のいうところの「全て手作りのパン」が食べられるかどうかお楽しみである。(製粉だけは製粉会社に依頼するそうだが)長男は、自分でも農業を志して日々苦労の連続をしているため、農閑期にこれらの道具を工夫しながら手作りした曽祖父の偉大さを痛感したようだ。別に、私の祖父だけが特別に偉かったのではない。北海道の原野を開墾しての農業に取り組んだ人たちは、多かれ少なかれこのような工夫と努力を重ねてきたわけで、現代のものすごい機械も、その延長線上にあるのだ。農業の原点を、息子はこれらの道具を通して感じていることであろう。そしてまた、私自身が、息子によってそのことを教えられている。
2005年10月05日
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夫の仕事の関係と天気予報と相談した結果、今日しか蕎麦落としをする日がないとわかり、急遽蕎麦の脱穀作業日となった。朝6時、朝食前に実家に走り、刈り取って立ててあった蕎麦を、実家の家の前に広げて干す。午前中は、この蕎麦たちを時々ひっくり返しながら干さなくてはならないが、この作業は実家の両親に頼んで一旦帰宅する。本格的な作業は、午後からである。私は一足先に自転車で実家に行き、「ブリンコ」と呼ばれている棒の先に太い針金がついている道具で、蕎麦をバタンバタンと叩きつけて蕎麦の実を落とす。これが、なれないものには結構疲れる作業。その途中で夫もやってきて、作業に加わる。落とした蕎麦や葉っぱクズなどを集め、大きなふるいにかける。これで、茎や葉っぱなどの大きなものを除くのだが、これが終わっても蕎麦の実はゴミなどに埋もれた状態。その後でやっと「唐箕(とうみ)」という箱型の装置で蕎麦の実とゴミとを分別するのだ。昨年までは、父はこの唐箕の作業を自分でやりたがっていた。この道具は、私の祖父が60年以上も前に父と一緒に手作りした機械である。そのこともあって、父はこの道具を自分で扱いたかったのだろうと思う。しかし、年々父の体力も低下してきていて、今年はこの作業に入る前まで細々としたことを手伝ってくれていたのだが、それだけで疲れてしまった様子。母も、同様に疲労の色が見えたので、多少強引に「家で休んでいてちょうだい」と頼んだ。つまり、この「唐箕での分別作業」は、夫と私の二人だけの共同作業となった。几帳面な夫は、この作業も丁寧に蕎麦が落ちるのを見ながら行う。父は大ざっぱな性格の為、丁寧さより時間的に早く仕上げることをめざしていた。そのせいなのだろう、昨年までは選別したはずの蕎麦にゴミが混じっていることが多く、私は「唐箕」の性能のせいだと思っていたのだが、実は微妙な道具の扱い方の問題なのだと、今回のことで実感した。きれいに選別はされるのだが、時間はけっこうかかった。しかし、これをキチンとしておけば、次の「製粉作業」の時の手間が省けるわけだ。全ての作業が終了したのは、午後五時頃。結構、疲れた・・。それにしても、「食べ物」を口に入れるまでに、どれほどの人の手がかけられていることか。私達は「食品」になったものを「お金」と交換すると言う一手間で手に入れることが多いので、つい、その影に多くの人たちの努力があるということを忘れがちだが、「蕎麦」というたった一つの食べ物を、種まきから関わってみると人が生きるということの意味の重さを感じる。そんな意味でも「食育」は大事だと思うけれど、それを知っている大人がどんどん減少している現在、その困難さもまた痛感する。
2005年09月20日
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実家の畑に蒔いた蕎麦が収穫期を迎えていた。これは夫の「手打ち蕎麦」のためのものである。実家の父は、前日「早く刈らなくては、蕎麦が落ちる」と気にしていたので、夫と私の都合上、1日に刈りとり作業をすることにしていた。・・・ところが・・私が出かけようとしていた10時頃、母からの電話。「お父さんが一人で蕎麦を刈っているんだけど・・」父は脳梗塞で何度も倒れている。幸い体の障害は残らず、「軽い失語症」程度の後遺症ではあるが、いつまた倒れても、コロッと逝ってもおかしくはない。だからこそ、今出来ることをやりたいという思いは強く、その上に、気になり始めたら気になってしょうがないという、老人特有の傾向性が強くなっている。だから、私たちが決めた「1日」までは、待ちきれなかったのであろう。しかし、北海道とは思えぬ蒸し暑い日に、一人であの蕎麦刈り作業をさせたら、父の体がとても心配である。しかし、一旦始めた以上「やめて!」といくら叫んでも、「いや、大丈夫だ!」と作業続行に決まっている。私は電話で叫んだ。「わかった。午後から私も一緒に刈るからと、今はやめさせてちょうだい」それからは、大急ぎで今日中に行く事にしているところを駆け回り、行けないところには、「明日伺います」と連絡し、汗だくで実家に着いたのが12時半。(なにせ、私は自転車で走るしかないから・・)この蕎麦は「夫の趣味としての蕎麦」なので、夫に無断で全部刈り取ってしまうのはまずいと思い、母からの電話があってすぐに夫にも電話を入れた。夫は「1日に刈るからって言え!」と言ったが、それで納まるなら苦労はしないのだ。「そんなこと言っても、もう止められないと思うから、私が午後から刈る」と言ったのだが、夫も「じゃあ、ヨロシク」と言う気にもなれなかったのか、午後から一緒に作業に加わることになった。というわけで、一息ついてから夫婦二人で蕎麦刈り・・のつもりだったが、やはり父も母も出てきてしまう。まあ、いいや。私たちの手伝いをしていて倒れたと言うことなら、さほど世間体も悪くないだろう。・・なんて、こんな時にも「世間体」が頭をよぎる自分に苦笑。はっきり言って、父や母の体はいつどうなってもおかしくはないのだ。心配なのは、その時にすばやい対処ができなかった時に、お互いに妙な罪悪感を抱くことや、他人に対しての言い訳がましいことが重なること。お互いに気をつけていた上で何が起きようと、それは「仕方がないこと」と割り切れる気がするのだ。それにしても、蒸し暑かった。私は汗腺があまり活発に働かないようで、すぐにのぼせた状態になってしまう。だから、結果的には汗をダラダラ流す83歳の父よりも、私の方が真っ赤な顔をしてフーフー喘いでしまい、父に「お前は少し休んでおれ」なんていわれる始末。・・・情け無い・・・それでも幸いだったのは、今年は台風などが直撃せず、蕎麦が倒れたり絡まったりしていなかったこと。つまり、とても刈りやすかったのだ。それに、雨風で蕎麦の実が落ちていないので、昨年の倍くらいの収穫が期待できそうだ。のぼせ状態でフラフラしながらも、父よりはずっと若いというプライドにかけて頑張り、何とか作業は終わらせた。実家で一休みしてから、自転車で20分の我家への道のりは、結構長かった。向かい風だったのだ。というわけで、久しぶりに体力を使った一日であった。【31日朝記す】
2005年08月30日
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「生きていて幸せだなあ」と思う瞬間の一つに、「美味しいものを食べる時」があるんじゃないだろうか。少なくても、私はそうだ。好物の一つが「イクラ」である。しかし、夫はコレステロールや中性脂肪が高いので、イクラなど魚卵類は身体に悪い。やはり同居人が食べられないものを食卓に並べるのは可哀想だから、こんなワガママな私でも一応遠慮してしまう。今年は鮭が豊漁なのか、「生筋子」が例年より安いような気がする。特売品に「生筋子」が並んでいると、イクラの醤油漬けを作って、「イクラ丼」をおなか一杯食べたい欲求に駆られてしまう。我家の息子達もイクラは大好物で、子ども達が家にいる頃は夫も健康体だったので、毎年イクラを作って食べていた。そのせいもあってか、この時期になるとどうしても「イクラが食べたいモード」になってしまうようだ。というわけで、買い物に行って「生筋子」が安ければ葛藤を繰り返すわけだが、結局今年は三回も作ってしまった。一回目は、来道した妹家族へのお土産のため。二回目は、長男家族のため。(二歳と四歳の孫も、イクラが大好物なのだ)この二回は、私は一応夫に遠慮して、味見をした程度で全部渡してしまった。しかし、その後「やっぱり少し取って置けばよかった・・」と、「もっと食べたかった・・」という不満が心を渦巻いていた。そして、とうとう数日前、なんと「100グラム150円」という、今までに見た中での最低価格を目にしてがまんが出来なくなった。今回は、誰に差し上げる予定もない。「私が食べるんだ!」という身勝手な決意に基づくイクラ作りであった。そして、夫不在の昼食メニューは「イクラ丼」にするぞと決めた。いつもは「残り物整理」の昼食が、俄然豪勢になってニンマリである。一人で美味しいものを食べても味気なく思う人もいるだろうが、幸いにも私は、美味しいものを独り占めしても幸せを感じられるのだ。(意地悪で食べさせないのではない。夫の身体のためであるし・・)しかし、夫とてこれは好物の一つ。今夜は、ホンの少しだけ味見をさせてあげようかな・・。お昼ごはんにイクラ丼を食べているなんて、間違っても口にしないように気をつけよう。
2004年10月15日
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所用で空知方面に行った帰り道、以前から気になっていた三笠市の山崎ワイナリーに行った。家族だけでワイン用ブドウ栽培から醸造、販売までをやっているという、北海道では珍しいワイナリーということで、一度訪ねてみたいと思っていたのだ。三笠市郊外の小高い丘の上にある山崎ワイナリー。なだらかな斜面に広がるブドウ畑の広さを見て、これだけのブドウの世話を家族でしているなんて、本当に大変だろうとまず思った。丘の上の大きなログハウス風の直売所に着き、自動車から降りると北海道の広大な風景が360度広がっている。雨上がりの秋晴れに、爽やかな風が心地よく、この風景を見るためだけにもここに来た甲斐があるあると嬉しくなった。土日だけ開いていると聞いていた直売所には、山崎さんの奥さんとお嬢さんがいらっしゃった。早速ワインの試飲をお願いして、私は甘口の白が好きなので、バッカスの白をお願いする。運転手の夫はアルコールに弱いので、ほんの一口なめるだけ。私はワイン通ではないのでよくわからないけれど、とても爽やかで飲みやすい、私好みの味だった。大きな木のテーブルと椅子に腰掛けて、奥様と少しお話をしているうちに、ご主人の山崎さんも登場。たまたま農作業をお休みしていたところらしい。山崎さんは、この地で三代目の農家と言うことで、40代半ばでワイナリーへのチャレンジを決断したという。しかし、それからがご苦労の連続だったようだが、ご家族の協力と、山崎さんの熱い情熱と努力が、まさにワイナリーを開拓してきたようである。今年は気候にも恵まれ、良い葡萄が収穫できると期待していた矢先、あの風台風がブドウ畑をかき回していったという。葡萄の実が落ちることもダメージであるが、葉や茎が痛んでしまい、まだしがみついている葡萄にも栄養が回らないらしい。そのうえ、木が弱ると来年以降にも影響があるので、それが心配だとも。私も、実家が農業だったため、多少は農業の苦労が想像できる積りだ。まだワインだけでは食べていけないので、他の作物も作っていらっしゃるとか。「原料から醸造まで家族でつくるワインと、地元産食材を楽しめる場所を提供すること」が山崎さんの目標だという。山崎さんのお話を聞いていると、夢と熱意と緻密な計画による努力に、多くの人をひきつける人間的魅力があれば、どんなに困難と思える道も開かれるのではないか、と思うことが出来た。ご家族の指紋でデザインしたワイナリーのマークが、とても素敵だ。外国産のワインもいいけれど、このように努力している地元のワインを、ぜひ応援していきたい。ネットを検索したら、次のページも見つけましたので、ご参考に!http://hokkaido.yomiuri.co.jp/youyomi/mon/c_030616.htmhttp://www.welcome.city.sapporo.jp/feature/04_08/wine.html
2004年09月19日
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ウサギになったわけではありません。今日は朝からとても天気が良いので、郊外の山林に「ピョン採り」に行って来ました。「ピョン」と聞いて「アレだ!」とわかる人は、山菜取りが好きな人ではないでしょうか。「アズキナ、雪笹」とも言われるようですが、私の住む町では「ピョン」と呼ばれている山菜です。詳しくはhttp://www8.plala.or.jp/mi/umiyama/sansai.htmlを参照してください。なぜ「ピョン」と呼ばれているのかよくわからないが、林の中にピョン・ピョンと出てくるからだろうか?昨日までの雨の後のせいか、まだ小ぶりではあるけれどもあっちにもこっちにも「ここだよー!」と呼んでいるかのように、ピョンがおいでおいでをしている。エゾエンゴサクの可憐な水色の花や、エンレイソウの紫の花も、あちこちに咲き始めている。小鳥のさえずりを楽しみながらの山菜取りは、北国の春の大きな楽しみの一つ。子供たちが幼い頃は、休日の朝は山菜取りを兼ねて野山に走ったものだ。若い頃にはフルタイムで仕事をしていたこともあり、休日はゆっくり寝ていたいのが本音だったけれど、今となれば頑張って付き合っていて良かったと思う。山の中を歓声をあげて走り回っていた息子達の姿や声が、今でもありありと思い出される。同じ体験をしていなければ、「思い出」にもならないのだから。その後、ドライブがてら「支笏湖」に足を延ばした。残雪が縁取りをしたような樽前山、恵庭岳、風不死岳に囲まれた支笏湖は、湖水の透明度が高いこともあり、まさに「支笏湖ブルー」。私は海よりも湖の方が好きなのだが、数ある湖の中でも支笏湖が大好きである。周囲が深い原生林に囲まれていて、人工的なものに毒されていないし、凛とした厳しさと美しさが心をシャッキリとさせてくれる。天気も良く、湖にはボートや遊覧船が浮かんでいた。孫でも連れていたなら、迷わずにボートに乗るのだけれど、夫と二人ではちょっとその気にもなれないのがちょっぴり残念。ぼんやりと湖畔のベンチに二人で腰掛けて、名物の「揚げ芋」を食べて満足して帰宅したのである。
2004年05月05日
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