父が救急車で運ばれ、危篤状態になり、
母はその日のうちに施設へショートスティで入った。
そのまま、母は、父が亡くなったことも知らず、施設に居る。
今入っている施設は、意外と私の自宅から近く、
面会に行かなきゃ。と思っていたところ、
今の施設は、実家のある区と別のところで、
事情が事情だったので、受け入れてくださっただけで、
葬儀も終わり、落ち着いたら区内の施設へ変わって欲しいと言われたそうで。。
兄に無断で会いに行って、あとで問題起きても嫌だから、
兄と一緒に会いに行って来た。
母は声が大きかった(笑)
耳が遠いから仕方ないね。
施設内の人たちは知らない人ばかりで、話もしないらしい。
元々、人間関係苦手だったから、想定内。
なんでも残さず食べてる。元気だよ。と言っていた。
母と兄と私と3人で話している最中も、
施設の介護士さんがそば(後方)にいて、
万が一、母が興奮しても大丈夫なように、待機してくれていた。
他の(担当外)の施設の人も、みんなニコニコ笑顔で、
母の落ち着きは、施設の方々のおかげだな、と実感。
本当に頭が下がります。
父の事をとても心配していた。
ずっと会ってないよ。元気なの?と。
兄は「元気だよ」と答えていた。
今の母の状態(認知症)では、興奮してしまって、
手が付けられなくなるので、それは秘密にしてあるけど、
あんなに仲が悪かったのに、やっぱり心配なんだな。
救急車で運ばれてから会ってないんだもんね。心配だよね。
母は急に泣いたり(涙は出ない)、急に怒ったり、
元々そういう人だったので、今でもそうだった。
父の事を心配して泣いたり(涙は出ない)、
会いに来てくれて嬉しいと泣いたり(涙は出ない)、
知ってる人が誰も居ない、と怒ったり。
年をとるって、本当にこんなに悲しいものなのか。。。
という思いが、母が認知症になった後、ふつふつと沸いて来たけど、
だからこそ、楽しいを探して、普通に暮らして聞く事の大切さが身に染みる。
父も母も、幸せではなかったかもしれないけど、
苦労ばかりだったかもしれないけど、
確実に生きて、暮らして、私たち兄妹を育ててくれたのだ。
父と話もしなかった兄だけど、
いまだに金銭的に甘えている兄だけど、
(両親の預貯金を使う事ばかり言ってる)
兄弟がケンカせず暮らして行かねば、と思う。
遺産相続も、兄の言いなりになることで(たぶん私の相続分は兄に操作される)、
両親への感謝の気持ちと替えさせてもらおう、と思う。
母。。。
長生きしておくれ。
父の分まで。。。
86歳なら、けっこうすでに、長生きかもしれないけど(笑)
100歳まで生きておくれ(-人-)
また、会いに行くよ。
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