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うっかりしてました。先月6月で手術から9年経ちました。早いものですなぁ。もう9年か。変わらず旦那は元気です。5kgのお米、買って来てくれるようになりました(笑)私もね、力持ちが自慢だったけど、年齢的にもね(笑)足が相変わらず不調な事もありでね、ヨロヨロお米を抱えて歩いてるのを旦那が知って、米は俺が買ってくるよ、と。ありがたいありがたい。本当に元気です。最近、トイレにこもるっていうか、長いので、心配で聞いてみました。うん〇出る時、出る前の出るよの痛いじゃなく、出る時、痛い? と。すると、いや?(いいえ)。そうか、それなら良かった。父が大腸がんになる前、トイレがすげぇ長い、と兄が言ってたので、尿もストマ、便もストマになったら大変だよ、と心配してましたが、大丈夫なようです、良かった。かかりつけ医に、なにか体調不良あったら言ってよ、と言っておきました。トイレが長いのは、スマホ持ち込んでるからかな?(笑)
2022.07.01
8年前の明日18日手術だったんだなー。毎日元気にしてます(^▽^)/そりゃね、年齢重ねて、少し太ったし、髪も寂しくなって来たし、老眼とか入ったし、そういうことはありますよ。そりゃね。でも、病気したことなんて、嘘のような日常ですよ。検査に行かなくなったのは、少々不満に思ってたわたしだけど、私が会社の健康診断で、高血圧が判明し、毎月病院へ行くようになり、高血圧の怖さ、脳梗塞とかで、突然死んだり、半身不随になったり、そういう事を旦那にちょいちょい言うようになった。で、私のために旦那が買って来てくれた「血圧計」。旦那にも計ってみるように言い続け、今年に入ってから、やっと計るように。そしたらなんと!180あった私より高く、200近く行く日がある、と。なんやて~~!Σ(゚Д゚)の世界。かくして旦那も、GW明けから、私の通う病院へ行くようになりました。怖いね、全然元気に見えるけど、実は私より高血圧でした。かかりつけ医の先生は、若い時は外科医だったらしく、手術に関しても知識をお持ちだと思うので、安心ですね(*^-^*)と言うわけで、今はストマやパウチは慣れっこで、新しい付き合いの長い友達は、降圧剤になりました。8年。体調も年齢とともに変わりますね。 おもちゃ病院退院直後のエッさん
2021.06.17
手術した当時、調べたら、5年後の生存率は50%だった。6年がたち、旦那は仕事も家事も(笑)頑張っている。本当に嬉しい限りだ。でも最近は、夜のバイトを私が反対したにもかかわらず、始めてしまった。そのすぐ後から、寒がるようになり、あの頃と同じなのが心配だ。30度越えた猛暑がGWのころ、あった。エアコンを付けた私に、何も言わず(いつもだが)風を上向きに変えた。大丈夫なのかな~?再発、してないのかな~?検査、行けばいいのに。。。嫌なんだろうな。。。いつまで一緒にいられるか、私が先に逝くかもしれないしね。先は、わからない。一緒にご当地キャライベント、行けるうちに行こうね。パウチ交換も手慣れたもので、早いし。トイレタイムも、自分で申告できるようになったし。私も、出掛けた時は、トイレタイムを設けるようにしてるけど、前は、ギリギリになって、トイレ!とだけ言って消えちゃうし(笑)病気したのは不運だけど。なんとかかんとか、やっています。
2019.06.18
昨年、4年目の日記 → 手術から4年なにも変わってません。去年、ぼやいたこと、なんにも。職場に期待はしないほうが、幸せに暮らしていける( ̄∀ ̄;)さて、変わったことはひとつある。検査結果直後に、「病院で予約を入れてくれる」ではなくなり、自分で半年くらい経ったら、予約して来てください。に変わった。と言う事で、旦那は検査に行ってない。半年後じゃなくていいから、1年以内に行って、とお願いしたけど、とうとう1年経ってしまった。特に体調が悪いわけでもないらしく、面倒だしお金かかるしちょっと辛いしなんだと思う。あまり、行け行け言うとヘソ曲がりそうだから、私も1度しか言ってないのも悪いんだけど。。行きたくないほど辛いのかな?でも、旦那は「辛い」って言えない性格。言えれば、けっこうな「ガンのステージ」まで放置してない。言えばいいのに~。辛いって、言えばいいのに~。今も、本当は辛いけど、言えないでいるのかも。。と思う、時々疲れた顔を見ると、心配する。ただ、聞いても「大丈夫」と答えるだけ。言っちゃいなよ、ユー(;^ω^)異変を感じたら、言いなよ、ユー(´・∀・`) ノ遠慮は無用だよ、ユー( ̄∀ ̄)
2018.07.03
旦那がガンの手術をして、4年がたちました。当時、ネットで調べたときには、膀胱がんの5年後の生存率は50%。でも普通に元気に過ごしています。旦那の勤める職場の社長は、10年勤続している旦那に、有休休暇を10日しかくれず、私は不満でいっぱい。退院後、電話をかけて来た時も、「様子を探る」感でいっぱい。旦那は、社長が直々に電話をくれたことに喜んでいたけど。その後、職場復帰した旦那には、今まで10時間勤務だったのが、5時間に。社員も同じく10時間だったのが、8時間に。定時を短くした社長。私の想像ではあるけれど。。。労働基準局 とか そういうところから、注意をされたんだと思ってます。毎日10時間、勤続10年。なのに、社会保険に入れてないから。しかし!去年だっけ?従業員50名以下の職場では、規制緩和って言うの? されて、社会保険やそういった待遇面については、免除されることが決まってしまった。去年から、平均7時間勤務(日によって違う)に。そして、先週から8時間勤務になった旦那。社会保険加入免除が憎い、とさえ思う。社長は旦那に言ったそうだ。収入が増えて良かったなぁ待遇面はパートと同じで、社員と同じ勤務体制は、良かったなぁなんて言われていいものなのか?旦那はどう思ったんだか言わないけど、私は旦那に言った。社長はズルい人だと思ってたけど、やっぱりズルい人だね。でも、病気をして、障がい者になって、今の職場を辞めたら、と思うと、再就職は難しいのだろう。そこを、足元見られているような気がしてならない。私の不安や不満は続く。でも、救いなのは、旦那が気にしていない事。毎日普通に過ごしている。のんきで良かった(笑)私の不安や不満を癒しておくれ~!
2017.06.21
朝もはよから、携帯のアラーム。なんだ?なにを忘れないようにアラームしたん?見ると、旦那が 病院で検査 と。 そっか、半年ぶりの検査か。今日病院? と聞く。そうだね と言う返事。 癌再発疑惑から、3カ月おきの検査で、やっと半年後に、と言われて最初の検査。 最近の旦那は酒量が増え、茶の間で寝てしまう日が多かったのに、だから昨日は、ちゃんと、寝る、と言って寝たんだ。 なにもなく、無事検査が終わるといいね。いや、結果は一週間後で、今日は検査だけだからわかんないか~。 造影剤を入れてのレントゲン検査。なにかあっても、自分で望んだ検査、というような、承諾書を書く。気分が悪くなったりすることがあるらしい。 頑張れ旦那。検査は、行くのも面倒だし、検査自体ちょっと嫌だろうし、待ち時間やなんやら、本当に嫌だと思う。 頑張れ旦那。 なにもない、という安心を得るために。
2016.06.27
6月18日で3年。早い。そして旦那は元気。重い荷物も持ってくれるようになったし(笑) ストマと言う膀胱代わりの尿の排出口、少しだけサイズが変わったらしく、先日、パウチ(尿を溜めておく袋)を変えた旦那。手術が決まったころ、相当いろいろ調べ、ブログを書いていた方の日記にもそのような事、書いてあったので、少し不安そうな旦那に、 「あぁ、なんだかそうらしいね。ストマ君も落ち着いて来たって事じゃない?」 と言えた。何も知らず、ええーっΣ( ゚д゚) ってビックリしたら、旦那の不安は増幅するばかり。勉強しておいて良かった。 それ以外は、なにも変わらず、今年は結婚30年、という事もあって、いつもの年より、居酒屋さんへ出かけた。お店にいても、旦那は落ち着いて飲んでいる。前は、パウチが満タンになってないか、すごく気にしながら飲んでたけど。 慣れる、と言うのは、良い事だね~。 悪い場合もあるだろうけど。。。ブラック企業に居ながら、そんなもの、と慣れてしまい、体を壊す、ってことも、あるよね(´д`;) 旦那は一生、ストマ君と付き合っていかなければならないけど、私には、それを感じさせないほど、 元気です(´・∀・`) ノ
2016.06.13
旦那が手術して、丸2年たちました。普通に暮らしています。良かった良かった。 旦那の病気が発覚したとき、コプエルのエッさんも入院中で、もう旦那、エッさんに会えないまま、このまま。。。 なんて思いもよぎったけど、 癌再発の疑いが出た時も、また入院?と思ったけど。 再入院もせず、エッさんとも毎日遊んで(笑)、普通に暮らせていることに、感謝です。 ずっとこのまま。 この状態が、続くことを望んでいます。 また居酒屋行こうね
2015.08.31
前回の日記で、来週検査と書いてしまったけれど、来月の間違いでしたm(__)mということで、4月なかば、CT検査をしました。翌週、結果発表。 どこに癌があるのか、やっぱりわからず。尿検査の結果もレベル2だそうです。 レベル2とは、だれでも癌細胞は発生していて、体が(白血球なのかなんなのか、わからないけど)退治していて、そのくらいはよくあることなんだそうで。 つまり、早急に手術とかの心配はないそうです。良かった良かった。ただし、様子を見るということで、検査は半年ごとになったばかりなのに、また、2カ月ごとになってしまいましたけど。でも、癌が再発決定ではなくて良かった良かった。 今年はゴールデンウィークの並びが久しぶりに良いし、もうお金も底を尽きかけているので、人生最後の旅をしよう、と思っていたけれど、旦那の病気がどうなるかわからず、なんの計画も予約もできず、しかしながら、結果は良好になったから、近場でどこかへ行こうと思います。 人生、たまには楽しみがないと、やってられません( ̄∀ ̄*) ご心配をおかけしましたm(__)mなんとか大丈夫なようです。まだまだ、経過を見るってことだけれど。 もう来なくていいよ、癌細胞ー!ヾ(*`Д´)ノ
2015.04.27
2月の検査の時、旦那は 「癌が再発したようなので、MRI受けてください」 と言われた。 なんじゃてぇぇぇー!Σ( ゚д゚) 尿検査で癌の細胞が検出されたらしい。どこに再発したのか、場所を特定するためのMRIなんだって。 翌週、MRIを受け、さらに翌週、結果を聞きに病院へ。どこにあるか、わかりませんでした、と先生。 なにぃぃぃー!Σ( ゚д゚) という事で、来週、内視鏡検査しましょう、と先生。結果、わかりませんでした、とのこと。 1カ月がかりで、検査、面談、検査、面談を毎週繰り返し、結果、わかりません。なんだって。。。結果がはっきりするまで、日記には書けないな、と思ってたけど、書いちゃいました( ̄∀ ̄;) こうなると。。。。定期検査が間違ってたんじゃね?と思い、旦那に言ったら。。 定期検査の時の尿検査がレベル5で、5って言うのは、癌があるってことで、内視鏡の時はレベル3だったんだって。あるかもしれない、って感じ??初期状態、って感じ?? と旦那は言った。。。 疑わしい事は疑わしいのか~。来週、またCT検査を受けるそうですわ。 毎週、検査・面談(結果報告)で、疲れちゃうよ(´д`;)とにかく、今は頑張って、どうなのかはっきりさせないとね。 ところで。。。私の父も、50歳のとき、胃癌になり、手術しましたよ。胃を半分、切りました。あれから35年。旦那の癌再発疑惑浮上からちょうど1カ月後の3月初め。父がデイサービスの施設で、血便を出し、介護士さんが急いで病院へ連れて行ってくださいました。おしめをしなければならないほどの出血で、貧血を起こし、体力も低下していて、詳しい検査は来週、落ち着いてから、という事で、今週初めに、兄から父の手術が20日に決まった、とメールが来て。 35年前の父の手術の時、兄は立ち会っていなくて、母が骨折した時も、兄はかわいそうだから、と手術はしてなくて。初めての手術立ち合いは不安だろうと、私も立ち会う事にしました。 んで、昨日。兄から電話が来た。 手術のための麻酔の同意書に、お父様がサインなさらないので来てください、と病院から呼び出され、仕事を早退して駆けつけると、 なんで、おれはこんなとこにいるんだなんで、手術しなきゃいけないんだ手術なんかしない と兄の代理サインを騒いで妨害。だから、手術はしないことになったよ。病院も退院してくれってさ。と、なんだか心で泣いてる、って感じでした。血便垂れ流し状態で家に戻されても、どうしたらいいんだ、と、嘆いていました。。。 まぁね、85歳になって、手術って恐いと思うよ~。あと何年生きられるか、っていう年齢で、手術したくないのはわかるよ~。だけど、今現在、血便垂れ流し状態で、将来的に転移して、体中痛くなって、そんな父を心配して、手術の手続き進めてた兄。情けないやら腹立つやらで、心で泣くさ~。 そんな、ここ1カ月でした。
2015.03.19
むしのしらせを感じた事、ある?私、ある(´・∀・`) ノそれで若い時はむしのしらせとか、わかんなくて、○○なのー?実は~××だったりしてー(≧∀≦)なんて言う冗談がホントになり、人に嫌な思いをさせてしまったりしてたのよ(´д`;)だから、こうだったら面白いのに~ とか、実はこうなんじゃないの~? とか、思ったことはなるべく口にしないようにしてるのだけど( ̄∀ ̄;)たまに、言っちゃう( ̄∀ ̄;)でね、調べようとしたけど、わからなくて。いつごろだったのか。普通にね、ホント普通に、ポロっと、落としたの。お茶碗を。ガチャーーーン!とかの衝撃なんてなかった。ポロッと落として、ポトンと落ちた、って感じに。それが、アータ!!お茶碗、真っ二つ!!きれいに真ん中から真っ二つ!!半年くらいたったころだと思う。旦那が体調不良を訴えた。もうこの年だから(苦笑)そのこと覚えてなくて、あれよあれよという間に旦那は入院して手術して。。。その後、お茶碗の事思い出して調べたけど、いつだったか。。。あ~、これもむしのしらせだったのかなー。気付かなくてごめんね、旦那ぁ~、って。てっきり、私に何かあると思ってたのに。。。にしても。。。私ってすごくね?って思っちゃてる私も居る( ̄∀ ̄*)
2014.06.30
旦那の手術から、今日で丸1年。旦那はなんにも言わないけれど、いろいろ大変だったろうな。。。去年の今日は、私も4時に起きて、6時に病院へ行ったんだっけ?病院には、12時間居たんだ。手術は8時間。旦那は元気です(´・∀・`) ノ障害者になり、いろいろと不便な生活ながら、1年経って、不便にもだいぶ慣れたみたいです。健康にも気を付けてるみたいで。肉・魚介類ばかり好んで食べてたけど、自分でナスやブロッコリーなんか買って来て、炒めたり茹でたりして、お酒のツマミにしてます。ナス。ブロッコリー。私が高くて買えないものなのよ( ̄∀ ̄*)でも、自分で買って来て、自分で調理してくれるから助かります(´・∀・`) ノ時間はたっぷりあるしね~( ̄∀ ̄*)5時間しか働かせてもらえないからね~( ̄∀ ̄*)働き過ぎは良くないし、肉や魚介類に偏るのも良くない。旦那は今まで、その両方やって来たのだから、今の生活を良しとしなければ。私はいまだ、タバコをやめる決意が付かず、昨日買って来てしまいました( ̄m ̄*)ププッ旦那が高い野菜買って来ても、「はいよ( ̄∀ ̄)」って笑顔でお金を渡せるよう、他のところで節約しなきゃ。なにより、旦那が元気で暮らせることが大事な事なんだから(*ゝω・)
2014.06.18
旦那が仕事に復帰して3カ月たちました。10月の2回目の検査も、何事もなく異常なしでした。仕事を始めてから、体力も戻り元気に過ごしています。 元気過ぎるくらいです(笑) 10時間勤務、夜バイト。家にはほとんどいなかったのに、病気をして手術をして、勤務時間が5時間になり、ヒマを持て余しているようで( ̄∀ ̄*) 駅に置いてある無料のバイト情報誌を旦那が持ち帰って来たとき、まだいいよ。働かないで。無理しないで。と止めました。もちろん、収入が激減して、入院をしたことで、毎日3食ご飯が出され、いろんなおかずを食べ、今までの野菜炒め生活がやりづらくなりました( ̄∀ ̄*) 前は黙って食べてくれていたけど、 また野菜炒め~Σ( ゚д゚) って感じで、日曜日にスーパーで買い物をして、余程でなければそれで1週間過ごしていたけど、間に、買い物をしなければならなくなり、出費も若干増えています。旦那のパウチ代は、区役所に障害者手帳を申請したことにより、有難いことに補助金(給付書が来て、買う時にお店に提出)があり、入院時にやめたタバコの代金がそのままパウチ代にシフトした形で、旦那のお小遣いから出してもらっています。足りなければ私に言うってことで。 ヒマを持て余した旦那は、家の片づけをしています( ̄∀ ̄*)仕事から帰ると、散らかしっぱなしだった棚とか机とかが綺麗になってます( ̄∀ ̄*) どこになにがあるか、全く分からなくなりました(≧∀≦) ごちゃごちゃした棚や机(パソコン台)の上が綺麗になるたび、なにやら代わりの小さな棚が増え、旦那自身もどこに何があるか分からず(笑)、無駄遣いとか、訳分かんないとか、不満は言えず(笑)、元気に過ごしてくれている方が嬉しいです( *´艸‘) 来年、旦那の方が収入が少なくなるかと思うのだけど、私の扶養に入るのは、男として嫌だろうな、と思い、私はどうしようかと思っています。私が配偶者特別控除の域を超えなければ、収入は足りない。けど、域を超えれば、超えた分、税金や健保の支払いなどで消えて行く。。やっぱ、調整して(サービス早出&残業)した方が懸命なのかもしれない。 夏になったら、手術から丸1年たって、旦那の就業時間が増えるかもしれないし、とりあえず、調整はしておこうと決めました。 オトコのプライドは、面倒くさいのぉ~( ̄∀ ̄)
2013.11.11
29日、通院日で、30日から職場復帰する、と言った旦那。じゃ、29日、病院の帰りに挨拶に行っておくといいよ、と私は言ったけど、本当はもっとゆっくり職場復帰して欲しかった。旦那の状態を旦那にわかってもらうため、歩いて40分かかる公園へ行き、8月1日からにした、と旦那に聞いた時、ほっとした( *´艸‘) で、旦那の仕事仲間は、仕事(動き)の遅い人と、仕事はできるけど、さぼりクセがあるイヤミ言いのふたり。私の知らない間に(笑)、女性のバイトがひとり入ってた。イヤミ言いの人に、いろいろ言われるんじゃないか、と心配してたけど、別に言われなかったよ、と報告をメールで受けて、ビックリした( ̄∀ ̄*) で、帰宅して旦那の6月・7月分の給料明細を見た。有給休暇を6月に使い、残りは7月分で、と言う話だったので、気になってた。 6月分は、ちょうど入院日が締日で、1日分引かれていた。7月は、有休10日で8時間勤務として計算されていた。半年勤めて、初めてもらえる有休分しか付いてない(゚Α゚|||)しかも、旦那は朝7時から5時までの勤務。休憩は1時間引かれるけど、実際は30分だけ。 何じゃ、この計算はっ!Σ( ゚д゚) と、愕然としていたら、旦那が言った。 なんかー、労働基準法でー、週25時間以上働いちゃいけないんだってー。だからー、復帰したらー、1日5時間、7時から13時半までの勤務だってー。 おかしいやろっっ!!ヾ(*`Д´)ノ 5.5時間じゃんヾ(*`Д´)ノ 今まで10時間拘束して、なにが5時間じゃっ!ヾ(*`Д´)ノ 週40時間と言うのは良く聞くけど、なんじゃい25時間て!ヾ(*`Д´)ノ と、非常に腹が立った。そりゃ、イヤミ言いの人も、社長に騙されてる事が明らかな旦那が気の毒で、イヤミも言えないよなぁ~、と納得した(笑) で、初日8月1日。私の不安をよそに、旦那は元気に出掛けて行った。多分。。。のろまさんとイヤミさんの配慮で、朝は忙しいので、11時から17時までの勤務になった。8月2日は、7時から13時までで、11時に休憩を取らせてくれたと言う。今まで7時に始まって、13時半までぶっ通しだった旦那。良かった、安心した、とメールした( *´艸`) 職場の人たちは、旦那を利用することばかり考えていたけど、さすがに気を遣ってくれているみたい( *´艸`) いつまで続くか、わからないけど( ̄∀ ̄*)まぁ、慣れたところで、事情を知ってるところで、復帰できて良かった。こんなに休まれては辞めてもらう、とかなって、仕事探しから始まったら、大変だったもん(´・∀・`) ノ
2013.08.05
ほぼ毎日、散歩を続け、体力づくりをしている旦那。まっ、私の命令なんだけど( ̄∀ ̄*) でね、通常?事務仕事の人は、3週間で職場に復帰するみたいで。でもね、旦那は立ち仕事。だから体力作りは必要不可欠、と思ったの。退院1カ月後から、短時間勤務とさせていただいて、1週間~2週間ごとに1時間延ばして、9月からは元通り勤務、って目論んでた。 ところが旦那は、退院後2週間で復帰を望み、心配する私に、 「大丈夫でしょ」 となんの根拠もなく、お気楽に言った。 だから。。。毎日散歩してると言うけど、片道ほんの15分くらい。途中、朝ご飯買ったりして、1時間くらいかかってるみたいだけど。 そんなんで、復帰して、仕事出来ますか!? って話。復帰したら短時間でも、ちゃんとしなきゃ。クタクタになって帰って来たとしても、仕事はちゃんとしなきゃ。と思うし、仕事仲間さんだって、1時間くらいしたら休憩、じゃ当て外れ。 で。。。( ̄∀ ̄*) 片道40分かかる遠くの公園まで、土曜日私も付き合って行って来ましたよ~(´・∀・‘) ノ土日は、散歩必ず付き合ってたんだけど。 やっと。やっと。旦那、自信を失ってくれました( ̄m ̄*)ププッ 30日から仕事する、と言っていて、29日に病院の帰り挨拶に行く、と。8月1日から復帰と言って来たらしいですわ( *´艸‘)この、2日延長、は貴重ですわ( *´艸‘) 退院翌日から散歩は始まり、最初は片道6分の近くの公園。それでも旦那は疲れて。。。で、その公園が、始めて行ったんだけど、なんの管理もしてなくて(笑)草ぼーぼー( ̄∀ ̄*) 旦那、虫に刺される(笑) で、それが悪化してね。腫れて。。皮膚科へ行け、と言い残し私は仕事へ出たんだけど、帰宅して皮膚科へ行ったか聞くと、 「明日行く」。 で、行ったらば、薬をもらって3日間飲んだけど、腫れが引かず。切開したら、血のかたまりが出たそうな。。。ネットで調べたら、アレルギー反応して、虫の毒が血を固めた、とある。 しかし、それは、動物病院のページ(≧∀≦)旦那は犬か、ネコか(≧∀≦) そんなこんなで、歯医者と皮膚科と通う日々( ̄m ̄*)ププッで、私の考えたリハビリ計画も思うように進まず。なにしろ、虫刺されが顔なんでね。大きなガーゼ貼られて、お風呂も最初は入れなくて。切ったから。 遠出ができず、お散歩はご近所。どうだろうねー。復帰して、あんまり頑張り過ぎても困るなー(笑) で、職場に挨拶に行ったときのお話は次回に(´・∀・`) ノ
2013.07.30
退院の希望を出した、と旦那が水曜日面会に行ったとき言った。看護師さんはそれに応えられないので、 先生に伝えておきます(´・∀・`) ノ でね、昨日面会に行ったとき、退院日どうなった? と聞いた。 え?言ってなかったっけ?明日だよ。 おいおい(`д´) 今日、退院します。いろいろとご心配をおかけしました(-人-)今日、だそうですわ。 100円ショップで買った扇子( *´艸`)病院へ行くとき、平日は5時頃、土日は2時頃着いていて。暑くなり、大変お世話になりました。去年、買ったのだけど、今年大活躍(笑)
2013.07.13
書いたつもりで書いてなかったので、書きます。 限度額適用認定証 というものが、ありましてね。5月に内視鏡手術で旦那が入院した時、詳しくはネットで、と先生に言われ、病気の事いろいろ検索しているとき、出ました(笑)さらに限度額適用認定証 で検索して、やっと意味がわかり( ̄∀ ̄*) 役所へ行き、障害者手帳について聞いたときに、これも聞いてみました。なにしろ役所仕事ですから( ̄∀ ̄*)、担当がはっきりと分かれ、認定証、手帳、年金と3つも窓口を回りました。入院をして手術となると、一度に支払う額が半端ねぇー、です。そこで、この認定証を申請して交付してもらえれば、年収に対して、限度額はここまで、と医療費を安く済ませます。これがまた(´д`;)。。。なんだっけ、うろ覚えだわ、2か月前だから。。旦那の年収は手取り150万くらい、なのに、年収1千万か800万(込み込み)かを超えて、初めて高収入と分けられる。 アンタ、800万と200万弱じゃ、生活全然違いますがなっ!! と思ったけど、まぁ仕方ない(´д`;)ちゃんと健康保険を滞りなく支払っていれば、あっさり交付されます(笑)これのおかげで、内視鏡手術の時、請求が14万円弱で、1万強、返金されました。んで、昨日6月分の請求が来て、8時間にも及ぶ大手術をしたにもかかわらず、請求は約15万円でした。え??内視鏡手術とさほど変わらんじゃん、とびっくりしたくらい( ̄∀ ̄*) 限度額適用認定証、おそるべし!(笑) もしも、ご家族や親せき友人が手術することになったら、是非、教えてあげてください(´・∀・‘) ノ もしも、緊急手術などで、交付が間に合わなくても、後から返金してもらえる 高額療養費支給制度 と言うものがあって、年収に対して払い過ぎた場合は、戻って来ますから安心してください。ただ。。。後支給ですから。。。役所仕事ですから( ̄∀ ̄*)2~3か月もかかり、生活が大変になりますから気を付けて(-人-) 7月分は退院時に請求が来ます。ネットで調べた時は、だいたい100万円で、3割負担だから30万。プラス食事代、差額ベッド代、などなど、と書かれていて、旦那、2人部屋入れられたし、50万くらいになるかな?と思っていたけど、病院の都合での2人部屋だったので、請求されてませんでした。良かったーー(〃▽〃) 50万と15万+7月分。全然違いまする( ̄∀ ̄*)
2013.07.11
早ければ、七夕の頃、と言われた退院が、伸びてます( ̄∀ ̄*)旦那、いらついてます。 と言うのも、旦那自身の体調が原因ではなく、看護師さんの 「不慣れ」 が原因だから。 今や癌は 「早期発見」 の時代。内視鏡手術で済んでしまう人がほとんどらしく、旦那のように 「膀胱全摘出」 → 「ストマ作成」 という大きな手術は数年ぶりとのこと。 パウチ交換 も、看護師さん達は初めてらしく、毎度毎度、交換するたび、横漏れしているそうで。幸い、旦那の入院した病院には、「ストマ専門看護師」(要資格)がいて、私は安心していたんだけど、退院がそろそろ見えてきたころ(私が熱出してた頃(笑))になって、初めて 「ストマ専門看護師(ET看護師)」さんに会えたそうな。。。いろいろと話を聞くと、今まで看護師さんがやっていたパウチ交換は、問題点ありありの交換で。。。まだ、退院は無理ですね、ということになったらしい。 先週末、また別の 「ストマ専門看護師(WOC看護師)」さんに会って、さらにパウチ交換についての「良い交換の仕方」を教えてもらい、旦那はますます、普通の看護師さんへの不信感がつのってしまった。。 やっぱり、同じパウチを使っているのに、ET看護師さんが交換すると、漏れはなく、WOC看護師さんは、別のパウチを用意してくれて、全く漏れがなく、そのまま、お風呂にも入れた、との事。 「プロだよ」 と旦那は感心していて、普通の看護師さんは「素人同然」と( ̄∀ ̄*)私は熱を出して、パウチ交換講習を受けられずにいたんだけど、いや~、受けられなくて良かった(〃▽〃)間違った交換法を教えられるところでしたわ( *´艸‘) この年になると、脳の柔軟性が衰え、最初に教えられたことが抜けきれず、別の、となると却って難しく感じたでしょう。 結局、私は、退院してから旦那に教えてもらうことになりました(笑) 土曜日、面会に行ったとき、とりあえず買っといて、と言われたもの、買いました。 ガーゼとサージカルテープ 家で交換する時、必要だから、と。それとこれは、まだいまいち私がどれか良くわからず、写真だけ撮って、旦那に写メし、確認してもらっただけで買ってないけど、(旦那も多分それだと思う、という事で退院してからの購入となった) 交換時の水分吸収用 チロチロとストマから尿が「染み出している」状態で(それは当たり前のこと)パウチの肌との接着面を石鹸で洗うので、どうしても水分流出。 こんなものを 「買っておいて」 なんて頼まれると、旦那はいらついているけど、 そろそろ退院なのかなぁ~、とちょっとウキウキしてしまいます( *´艸‘) なんだかんだ、お金がどんどん出て行くけど( ̄∀ ̄;)病院の請求書が来てないので、退院時に一括支払いのもよう。パウチも交換してすぐ漏れて、また交換。パウチ代、かかってんだろうなー( ̄∀ ̄;)無理やり入れられた2人部屋代もあるし( ̄∀ ̄;) 汗が止まらんわ~( ̄∀ ̄;;)
2013.07.09
熱を出し、病院へ1週間行けてないので、いまだ 「家族のパウチ交換講習」 が受けられません(´д`;)パウチ、と言うのは、いわば代用膀胱です。腎臓はおかげさまで助かり、腎臓から送られてくる尿をいったん小腸の一部から作ったストマに送り、ストマとは尿の出口。ストマから出てくる尿を一時保存する袋です。季節によって変わるけど、だいたい2時間目安でいっぱいになります。缶コーヒー1本分くらいの袋でしょうか。 最初は特に、小腸はまだ自分の事を小腸と思っていて(笑)粘液を出しています(便が腸にこびりつかないようにする大事な役目)。パウチの中がすぐ汚れる(濁る)らしいのです。交換も頻繁に行うようです。1日おきとか2日おきとか。 患者が体調を崩した時、家族が交換できるよう、講習を受けなければいけません。基本、患者が自分で行なう作業ですが、そういう時もあるという前提で。 大事な時に1週間も体調を崩し、申し訳なく思います。今週中に必ず受けてくださいと言われたとメールが旦那から来ました。てことは、来週退院か? 講習と言っても、仰々しい物ではなく、看護師さんが取り替えるのを、説明を受けながら勉強する、って感じらしいのだけど。旦那が言うには。。。「看護師さんによってやり方が違うし、時間も早い人と二人がかりで遅い事もある」じゃ、ひとりで早い人の替え方を参考にしろよ、と思ったけど、具合が悪い最中だったので、言葉にならず(苦笑) 今日はまだ、出勤はするけど、体もだるいし咳も出るので、病院への面会は遠慮したほうが、我が身にも病院関係者へも入院患者へも、配慮、と思います。 ギリギリになるけど、金曜日かな?講習は。 絶対、うん、絶対、年齢的な事も考慮して(笑)、1度聞いただけじゃ覚えられない、と思うけど(´・∀・‘) ノ
2013.07.03
旦那が、噂をしていたら(笑)、昨日4人部屋に移りました(´・∀・`) ノ 前回の、5月の連休の、内視鏡手術の後、いったん退院し、その後再手術と言われ、自血採血の帰り、区役所へ行ったのは、 障害者手帳障害者年金 について、教えていただくためでした。一応、ネットで下調べをしてから行ったのですが、やはり直接、質問をしながら聞いた方が、わかりやすかったです(´・∀・`) ノけっこう、相談に来てる人も居て、順番待ちでした。「障害者」と言う言葉にビビらすに、相談に行って良かったです。 一応、旦那には、「障害者って嫌かもしれないけど、震災とかあった時に、 なにか優先してもらえるかもしれない。 所得税や鉄道関係も、わずかだけど割引があるらしいから、 聞くだけでも聞きに行こう」と、やんわり言いました。 指定医、と言うものがありまして。幸い、旦那の入院した病院にいらっしゃいました。指定医(区役所で調べてくれました)に書類を記入してもらい、提出し、審査があり、障害者手帳が交付されます。申請から交付まで、1カ月くらい、かかるそうです。 旦那の体調も安定して来たので、書類はまだかね?とメールしてみました。(例の如く、言うのを忘れて( *´艸`)) 退院時、と旦那は言ったんだけど(メールで)退院直後から使えるように、あるいは、事故などで急に寝たきりになったり、そういう場合のために、家族が申請できるはず、と再度メール。 よくよく調べると、3×4センチの写真も一緒に提出、と。 撮ってませんでした。。。区役所では、指定医の書類、これが大事、と何度も念を押され、写真の事、言われたかどうかも、覚えてません( ̄∀ ̄*) 大失敗です(´・∀・`) ノ 先生に書いていただく書類は、区役所で事前に(入院前に)もらえました。しかしながら、写真がなくては。。。病院で、携帯で、撮ってもなぁ~(´・ω・`)という事で、申請はできずにいます。残念。 障害者年金 のほうは、と言うと、これがまた。。。(´д`;)説明してくれた役所の人も、アタフタとし、よくわかってない様子で。。。わかったことは、国民年金では、同じ状態(膀胱摘出)なのに、年金は支給されない、という事でした。厚生年金なら、少し支給されるらしいです。病気にかかった時点で、という事なので、例えば、何十年も会社勤めをし、退職して国民年金に加入後、病気になったらもらえない、って事なんだろうか?理不尽だなぁー(´д`;) ということで、手帳の申請は遅れ、年金ももらえない、ってことです(´・ω・`) 障害の等級としては、下の方です。4級だそうです。「サービス」としては、あまりありませんが、なにか、災害時に、救急車、優先して乗せてもらえたり、装具を支給してもらえたらいいな、と思ってます。
2013.06.26
本日2つ目の日記です。1つ目も病院での出来事ですが、旦那の病気についてではないので、是非是非、すくっと下にスクロールして、先に読んであげてください(´・∀・‘) ノこっちの日記は、少し重ためなので(苦笑) 手術して、3日間くらいは水さえも飲めない、と先生に言われてた。そんな状態の旦那に、まだ言うべきではない、と判断し、黙ってた。化学療法を行なう事。 黒:旦那 赤:私昨日21日、仕事を終え、面会に行ったとき、「水飲んでいいって言われた(´・∀・`) ノ」「良かったねー。やっと飲めるじゃん。500を2本買って冷蔵庫に入れてあるよ( ̄∀ ̄)」「うん。飲んだ(´・ω・`)」「美味かったかいのぉ( *´艸‘)」「たくさんは飲めなかった(´・ω・`)」などと会話をした。良かった良かった。とりあえず、良かった。 「今日、大変だったんだよ(´・ω・`)」 おっ!珍しいこともあるもんだ。旦那から話題を提出したぞ。 「なにかあったの?」「痛み止め(点滴)が、看護師さんが来た時に、無くなりそうですねって」「うんうん」「あとで持って来ますねって」「うんうん」「30分くらいして本当に少しになったけど、持って来るって言ってたから待ってた」「うん」「でも無くなっちゃって」「えっ?ナースコールしなかったの?」「したよっ。でも担当者が居ないからって。連絡取りますからって」「で?」「なかなか来なくて。またナースコールして」「うん」「とりあえず、普通の痛み止めを点滴してもらって」「あ、そうなんだ。良かったじゃん」「良くないよ。全然効かないんだよ」「そうなの?普通の頭痛薬と歯医者の痛み止めも違うもんね」「そんな感じ」「はぁ。なるほどぉ」「30分くらいしたら、手術後くらい痛くなって来てさ」「えっ!そんなに?」「すげぇ痛いんだよ」「そりゃ、大変だったねぇ」「痛みがひどくなってから、本当の痛み止め持って来たけど」「良かったじゃん」「しばらく痛みがおさまらなくてさー。30分くらいしてやっと効いて来たんだよ」「今は?痛いの? いつのこと?それ」「夕方。。。3時とか4時とか」「さっきじゃん!!」「うん。。今は効いてる」「さっき、先生たち来たから」「うん。来てたから、中に入るの待ってたんだよ」「先生にその事、言ったんだよ。こんなことあって、大変でした、って」「あー。。。そうなんだぁー。。。」「したっけ(そしたら)水は飲みましたか?土曜日から重湯始めます、って」「スルーされたのかい」「そうだよー。こっちは大変だったのにー」「スケジュールあるからね。何日目はこうで、何日目には退院て」「そうなのー?あんなに痛かったのに、スルーだよー」「完全に治ってなくても退院してもらうために、スケジュール守りたいんだよ」「治らなくて退院?」「普通そうだよ。日常生活が出来るようになれば、退院だよ」「なんだよー。退院したら治ってるんじゃないのかよー」 前回(内視鏡手術)も、同じ会話したデジャブ。。。 しばらく、沈黙が続き、私は言うつもりで行ったし、そんな話が出たので今だと思い、言った。 「化学療法の事、聞いてる?」「え?なに?化学なに?」「化学療法って言って、薬で治療を続けますって手術直後に先生に言われた」「聞いてないよ」「薬って言っても、飲み薬と点滴とあって、普通は点滴ってネットで調べた」 内視鏡手術の入院の時、先生に初めてお会いして、その時、奥さんにはまだ説明してないのでって小部屋に呼ばれた時も、説明はちゃんとしてもらったけど、詳しくはウェブでって感じで言われて。また、詳しくはウェブでって言われたから、自分でネットで調べた。 「点滴は3時間くらいで、入院を3~4日してそのあいだ、毎日投与するらしいよ」「え~っ。。。」「まだ調べたりなくて、良くはわかってないけど、それを何回か繰り返すみたい」「え~っ。。。」「先生にも、入退院を繰り返してもらう形になりますって言われたからそうだと思う」「なんだよ~。それ~」 と、言ったきり、旦那は目をつぶって何も話さなくなった。拒絶された。もう、この話は聞きたくないんだな、と思い、術中読み切れてなかった月刊マガジンを出し、読んだ。今、帰ると、電車が猛烈なラッシュなのだ。旦那はずっと目を閉じたまま。6時20分になったので、途中の喫煙所でタバコを吸えば、いくらかラッシュもゆるくなってるだろうから、私も旦那に声もかけず、帰って来た。 旦那にとって、辛い辛い1日になったな。。。だけど、元気が出て来て、また「治った」と思い込まれてから、まだ治療は続く、しかも化学療法。副作用の激しいらしい化学療法。人によってはなんともない人もいるらしいけど、旦那がそれに当てはまるか、辛い副作用が出るか、やってみないとわからない。そんな話をウキウキ気分の時にするほうが、残酷なんじゃないかと思って。 少し元気が出て来て、短い距離だけど歩くこともできて、水も飲めて。体は毎日少しずつ回復していくだろう。痛み止めの点滴なくなり事件がなければ、もっとスムーズに話を持って行けたけど。 さて、今日行ったら、旦那どんなだろう。機嫌、悪いか。良いか。もう2度と、化学療法の話は聞きたくないだろうな。 あとは、先生にお任せするしかないか。と思うのであります。 今朝私が検索して、何件も出て見てみた中から、これがわかりやすく書いてあったので、リンクOKかどうか、確認できなかったけど、載せておきます。 がん化学療法 Q&A
2013.06.22
ちなみに。。。手術当日の 「立ち会った記録」 は → コチラ 私は、前回の 「内視鏡手術」 のときもそうだったんだけど、旦那の事も心配だけど、自分の事も不安だった。手術前も、手術中も、私はどうしたらいいんだろう? って。 万 まん マン 万 万が一、同じような気持ちで検索して、ここにたどり着いた方のために、書いておこうかな?って思い、書きます。 当日は、特になにもしてあげることもなく、ただ患者のそばに居て、落ち込んでいれば励ましてあげて、普通にしてたら良いと思う。父が30年前に手術した時の母のように、思いっきり不安な歪んだ顔をしていたら、患者はもっと不安になる。実際、父は母の顔を見て、 「俺、死ぬのかな?」 って思ったって言ってたから。 手術中は、そりゃもう、もっともっと何もやることなくて、ただただ待つのみだから、本なり雑誌なり、スマホなり持ち込んで、余計な事を考えないで済むように、対策しましょ。 私の場合、旦那の病室(ベッド)に居られたので、カーテンを閉め切って、飲んだり食べたりできました。同室の患者さんの迷惑にならないように、音の出る食べ物はNGと考え、パンを持参。カップ麺はやめときましょう(´・∀・`) ノ(笑) ICUに入る時の 「ICUセット」 も友人のアドバイスのもと、作った。患者は数日(2~3日)間、水も飲めない状態なので、 リップクリーム飴(他の全摘手術をした人のブログに書いてあった)ポケットティッシュウェットティッシュ綿棒(鼻や耳が痒くなったとき使えるかな?と思い) タッパーに入れ、紙に「ICUセット」と書き、患者がしゃべれない状態でも、看護師さんが見て一目でわかるように貼った。 他に手術前に病院からの指示で、タオル、バスタオル、ティッシュは箱ティッシュ。それと、体の前面がパッと開くように、浴衣。 浴衣は準備してなくて、私が仕事中に旦那が病院の 「ぼったくり売店」 で購入。やっぱダサくて高くて、最悪~!まぁ、手術翌日から数日間着る物なので、汚れる可能性大。ダサくても良し( ̄∀ ̄*) 2度と着なくていいや、と思えるダサさが、「もったいない」と言う気持ちを抑制してくれる。それらをバッグに詰め、看護師さんに手術前にICUに入れてもらうようお願いしておく。 それと、病院、看護師さんによって、違ってくるとは思うけど、急に呼ばれたりするので、動きやすいかっこうで。私はいつも着ているGパンとチュニックを着て、スニーカーで行った。夏場で、病人は寒がりなのか、エアコンのスイッチも入ってなくて、チュニックなら、裾をバサバサすれば、空気が通る( ̄∀ ̄*) 待ち疲れたら仮眠もできるように、自分用にタオルも持参。よだれたらしてたら、まずいじゃん?( *´艸‘)手をサイドテーブルの上に置き、タオルを乗せ、顔を乗せる。手のしびれ予防も兼ねて( ̄∀ ̄*) そんな感じで、過ごしたよ。先生と看護師さんに委ね(ゆだね)、不安な気持ちは抑え、のんびり過ごすくらいの気持ちでのぞみましょうね(´・∀・‘) ノ そして、ちなみに。。。タイトルも検索しやすいように 単語を並べときました(´・∀・‘) ノ 私のブログなんて、だ~れも来ないとは、思うけどさっ!(笑)
2013.06.21
旦那の手術は8時から、と入院2日目の朝、メールが来た。長時間、一般的に早くて5時間、遅い人は10時間かかる、とネットで調べていたから、朝からだろうな、とは予想していたけど、8時かー。。って感じだった。 4時40分に目覚ましをセットして、病院には7時半に入った。前回の内視鏡手術のときは、旦那に12時に来て、と指定され、2時間も待ったので、30分前に行った( ̄∀ ̄*) ほぼ予定通りに旦那は8時半に手術室に入った。説明を受けたり、術着に着替えたりで、8時半だ。 手術室まで付き添ってくれた看護師さんが、とても明るく接してくれて、気が紛れた。ありがたかった。 病室に戻り、あとはひたすら待つだけ。少年ジャンプ、もらってきた月刊マガジン。朝刊。メトロ新聞。ジャンプとマガジンは、重いので前日に持ち込んでおいた。朝、100円ショップで買ったメンチロールとツナロールを食べ、ただただ、読みふけった。11時ごろ、読み疲れ、外に出て気晴らしするなら今だな、と思った。午後1時からはいつ手術が終わるかわからないので、外出禁止と言われていた。お昼を食べたら、タバコ吸いたくなるだろうな。だったら、今食べて外へ出るか、と思い、事前に買って凍らせておいたコロッケロールとクリームパンを食べようと思った。コロッケパンはまだ芯が冷たく、クリームパンを食べる。9時ごろ朝ご飯を病室で食べたので、あまりお腹が空いてない。クリームパンを食べ、新聞を読んでいたら、眠くなってしまった。タバコも別に吸いたくない。 そのまま、15分おきに携帯のアラームを利用して(マナーモード)、携帯を握りしめブルブル震わせながら、ウトウトした。 15時過ぎ、友人がメールをくれて、震わせてるだけの携帯が、「読む」と言う行動が加わったことで、眠気から脱出した。 500mlのペットボトルに水を入れ凍らせて、コーヒーを持参していたが、パンばかり食べていたので、ほぼ飲み干していた。トイレへ行き、売店前の自販機で飲み物を購入。なぜか、自販機で120円のものが、売店では126円で売っている。知らない人は売店で買ってしまうだろうな。。。 4時半ごろ。看護師さんが「今、無事に手術が終わりました」 と伝えに来てくれた。手術室の隣にある「回復室」と言う部屋で、術後の様子をみながら、麻酔が覚めるまで待機しますので、このままここで、お待ちください。と言われた。 前回の内視鏡手術は、良い予行練習となった。1時間くらいたったら、旦那はICUに入るのだな。顔を見て、帰ろう。と思った。 15分くらいして、看護師さんが来て、言った。「ご主人回復室へ移動して、先生も手術室から出ました。 手術室のインターホンで連絡をし、先生の説明を受けてください」事前に言われていたので、手術室へ向かい、言われた通りインターホンへ。 ちょっと緊張した。 担当の先生が(執刀医はベテランの先生らしい)摘出した膀胱を、トレーに乗せ、見せながら説明をする。父の手術の時、母が拒否したので私が臓器を確認し、説明を受けたので、2度目だ。 先生は旦那の膀胱を握り言った。「だいぶ固くなっています。(癌の)進行状態はけっこう行ってます」私は旦那の膀胱を見て、意外と小さいな、と思った。サヨナラ、旦那の膀胱。今までありがとう、と思った。今後、化学療法が必要と判断しましたので、今回の手術のあと、短期入院を何度かして、入退院を繰り返しながらになりますが、治療して行きます。 そうか。末期ではなかったけれど、化学療法が必要ということは、癌の進行はかなり行ってたんだな。と理解した。ありがとうございました、今後ともよろしくお願いします。と、ありきたりのお礼しか言えなかった。 6時過ぎ。。。病室でお待ちください、と言われ、まだかな、と待っていたら、看護師さんが来て、「術後の状態が良いので、ICUには入らず、2人部屋に入ります」と言われた。あっ、そうなんだ。入院する日も、午後からに回され、どうやら今病院はラッシュのようで。命の危険がない旦那は、ICUには入れないんだ、と思った。内心、大丈夫かなと不安になった。 6時半ごろになって、病室の移動を言われた。へっ!?ICUのセット(タオル、バスタオル、浴衣、ティッシュ、など)は作っていたけど、他の荷物はそのままで良い、と術前に言われていたので、あわてて全部をカバンに入れ、移動準備。部屋がどこかも言わないまま、看護師さんはよろしくと言い残し消える。とりあえずまとめとこう。ナースセンターに聞けばいいや、と。 2人部屋に案内され、荷物を棚やロッカーに移しはじめたら、看護師さんが来て、まもなくご主人が来ますから、早く終わらせてください、とせかされる。点滴をセットするひっかけ棒は、多分ベッドのそばに来るだろう。他に何かしらの機械が入るかもしれない、などと配置に悩んだ。そうこうしているうちに、担当の先生が来て言った。3日ほど、ここに居て、あとは普通の部屋に戻ります。 へっ!? じゃ、棚に入れなくて良かったじゃん!とガッカリ。 7時前になって、旦那が運ばれて来た。看護師さんが、準備するので外でお待ちください、と少し怒っている。あわてて、面会ルーム(ナースセンターの近くにソファーが並べられている一角)に。15分ほどして病室へ行くと、まだ準備中。さらに10分ほど待って、病室へ。やっと、旦那の顔をちゃんと見る。看護師さんに「ありがとうございます」と言うと、さっきとは打って変わって、優しい笑顔で、「もう、話しかけても大丈夫ですよ」と言われた。看護師さんも、早く機械取り付けなきゃ、とあせってたんだな、と理解した。 まだまだ、看護師さんが作業中に、話しかけてみる。「頑張ったね」旦那は小さな声で、「んー」とうなずいた。 看護師さんの作業が終わり、作業の邪魔になるかも、と思い、大きなかばんを廊下から見えるところに置いておいたので、奥へと移動したり、必要になりそうなICUセットとして作っておいたものを並べる。旦那の額の汗を拭いたり、飲み物買ってきたり、担当の先生を含め、3人の先生が入れ替わり立ち代わり来て、様子を見に来てあわただしい。 心配して来てくれてるんだな~、と思いありがたかった。 面会時間は8時まで。7時半になり、帰ることにした。また、いつまでも居ても、邪魔になるだけだろうし。旦那に 「じゃ、時間だから帰るね」と声を掛ける。旦那は小さな声で言った。 「ありがとう」 涙が出そうになるのをぐっとこらえ、「なんもしてねぇよ、ただ、待ってただけ。漫画読んでただけ」と、声を絞り出した。 帰路に着く。途中、喫煙所でタバコを吸いながら、携帯のコプエルコプちゃんの写真に報告。コプちゃんの写真を見たら、安心したのか、また涙が出そうになる。回りにはサラリーマンでいっぱい。談笑しながら、仕事の打ち合わせしながら、タバコを吸っている。ぐっとこらえ、ツイッターでつぶやき、もう1本吸って帰る。 家に着いたのは9時近く。ご飯は冷凍させておいたけど、おかずを作るのが嫌で、お弁当を買って帰る。便利な世の中になった。 31度の部屋に入り、一息つく。コプエルに報告しながら、部屋が28度になるまで待ち、シャワーを浴び、お弁当を食べ、あれこれと今日の事を考えながら、なかなか寝付けず、11時半ごろやっと寝た。
2013.06.19
記憶と言うものは、この年になると本当にあいまいで( ̄∀ ̄*)ブログ以外に日記を書いていないし、このブログも1度閉鎖してるしで、なかなか、旦那がいつから夜バイトをしていたのか、調べられなかったけど、今日、別手段で調べてみたらやっとわかった。 2008年7月でした。 2012年12月まで、という事は?4年と5ヵ月か~~~。 私の記憶では、5月、ゴールデンウィーク明けから、だったので、年 どころか 月 まで間違えて記憶されていて、ホント、がっかりです。 こういうこと、マジで良く覚えてたのになー、昔の私って( ̄∀ ̄*)最近では、髪を切ったのがいつで、どれくらいたったのかさえ、わからない。 その4年5ヵ月。私は何度も夜バイト、無理することない、と言い続けてた。夜バイトの給料は3万円くらいで、たまに4万円近くあったみたいだけど、その、たった4年5ヵ月。旦那は自分の小遣い欲しさで無理したせいで、体の一部を失うことになった。 と、私は思いたいの。 私のタバコ1日30本のせいか? とか、私へのストレスか? とか、家事の分担の負担か? とか、 いろいろと、告知をされたあと、考えちゃった。 だけど、それを旦那に言ったからって、癌は治らないし、負い目を感じて旦那に接しても、暗い家庭内になりそうだし、旦那もそんなこと言われても困るだろうな、と勝手に判断し、 そうだ!夜バイトでいつも疲れていたからだ と言うところに、私の中で落ち着かせた( ̄∀ ̄*) えぇ。。。逃げたのよね。現実から。 きっと、私のせいなのよ。 と、考えてしまって。また、考える。 もうやめよう。 再入院が近づくに連れ、もう、こんなこと、考えるのはやめよう、と。旦那は一言も、私を責めない。 だから。。。だから。。。 朝、サービス早出して、仕事が忙しかったり、雑用が朝だけでは終わらなかった時はサービス残業もして。今度は私が倒れるわけにはいかないのよ( ̄^ ̄)私は、旦那より先に死にたかった。だけどもう、どうなるかわからない。 旦那には、再発の可能性がないわけじゃないから。 旦那のために、元気で長生きしよう。肉体労働で、サービスが朝も夕方も重なった時はとても辛いけど、家事を負担させるのはやめよう。私こそ、無理しないで辛い時はサービスを減らし、たとえ、リストラの対象になったとしても、サービスは無理しないで、家事を頑張ろう。 前回の入院中、気付いたことがある。旦那が退院して来て、それは確信になった。 私もいつも疲れていて、旦那の顔を見ることがあまりなかった。話はしているけれど、顔を見て話していなかった。 TVを見ながら。。。新聞や漫画を読みながら。。。そんな風に、時間に追われ、ちゃんと顔を見て話していなかった。 退院してからは、顔を見て話をしようと心掛けた。けど、やっぱり疲れていると、余裕がなくなって、何かしながら話してた。 そう。そんなに無理するな。旦那の顔を見られないほど疲れてる時は無理するな。会話はしてるんだし。無理せず、普通に笑顔で一緒にいればいいじゃん。 って、また考え直したり(笑) だって、どうせ旦那、人の話聞いてないし(≧∀≦)
2013.06.14
旦那は病気になるまで、1日も休まず働いてました。仕事を辞めて次が決まるまでの間を除いて。ちょくちょく辞めて、ちょくちょく職場変わってたけど。 そんな旦那はバブル世代( ̄∀ ̄*) 普段は、日常に追われて、言うのを忘れてしまって。。。仕事中、気付いた時に旦那にメールして伝えた。その数、4回。 有給休暇があるはずだから、聞いてみて。 4回よ。もう、飽き飽きしちゃって(爆)もう、いいや、無収入でも( ̄∀ ̄*)なんて諦めてたら、やっと事務所に電話して聞いてくれて。(職場と事務所は離れています)とりあえず、6月分とることになった、と。 今回の入院は、3週間~1カ月。6月~7月にまたぐので、7月分は出勤してから残り日数で当てはめましょう、と、事務員さんに言われたから、それでいいです、と言ったよ、って。 全部で何日分、あるの? と聞いたら、 知らない( ̄∀ ̄*) って。 いや。。。多分、事務員さんは言ってる(笑)旦那が聞いてない(笑) まぁ、とにかく、4回も言い続けた甲斐があり、有給休暇が使えることになりました~(´・∀・`) ノ 良かった~~(´・∀・`) ノ 再入院が近づいてきました。親からもらった、五体満足な体と、そろそろオサラバです。 旦那、一緒に頑張ろうね(*^_^*) と、心の中でつぶやく私( ̄∀ ̄*)直接は、なんとなく恥ずかしい( *´艸`)
2013.06.13
30年前の、父の手術の時には、そういうもの、なかったような気がするけど、今は、手術のために、事前に自分の血を採っておいて手術で使うそうで。旦那の説明では、いまいち、よくわかりませんが。。。 なんたらが足りないので、2回目の採血は検査してから と言われたそうで。全然わかりません!!(笑) 鉄分とビタミンの薬は、事前に処方されていて。飲んでないの?と聞くと、ちょっとムッとした様子で、飲んでるよっ! と返って来た(笑) いわゆる、血が薄い、ってことかなぁ~?薬飲んでるのに~? Σ( ゚д゚)はっ! 食事が貧相ってことかっ!Σ( ゚д゚) 納得。。。( ̄∀ ̄*) 満漢全席でも、したろうか?( ̄∀ ̄*) 経済的、技術的、時間的、全てにおいて、無理( ̄∀ ̄*) なんとなくわかっているけど、ちゃんと調べてみた。 「血を作る食品」レバー、貝類、←私が食べられないので食卓に上がらず( *´艸‘)肉・魚・大豆なのどタンパク質←確かに少ない( *´艸‘)乳製品・たまご←旦那が好まない( *´艸‘)緑黄色野菜←確かに少ない( *´艸‘) さらに、納得( ̄∀ ̄*)
2013.05.30
時間がないので、要点だけ。 再手術、決定しました。小部屋に呼ばれ、先生からその旨、聞かされていた私は、 やっぱりか(゚Α゚|||) と思って冷静に受け止められました。 ただ、旦那に先生はこう言ったのです。 事前にご説明したように、再手術して、全摘出になります。 はぁぁぁー?Σ( ゚д゚) 事前に話してたの? 旦那に?じゃぁ、なぜ旦那はあんなにも、これで治った、と思い込んでたの?? 結論は。。。 旦那の、いつもの癖でございます。。。 人の話を聞いてない(爆) 困ったおじさんだなぁ~(;¬д¬)とほほ
2013.05.16
無事、大安の日に退院しました。もう、仕事に行ってます。痛み止めを飲まないと痛むらしいので、少し休んでほしかったんだけど。 本人は再手術の事を知らないみたいなので、またすぐ、今度は1カ月くらい休むことになるらしいから、出たかったら出ておいた方がいいかな?と思い、反対はしませんでした( ̄∀ ̄*) ただ、具合が悪かったり、疲れたら、帰って来ちゃいなよ、ユー。と( ̄∀ ̄*) コプエルゴンちゃんもお見舞いに( *´艸‘)さて、先生と再会するまで、旦那には楽しく過ごしてほしいです。 去年、やたら近場だけどおでかけしたのは、この病気の虫の知らせだったのかな?なんて思いました。いろんなとこ、行っておいて良かった。しばらくは、おでかけできないと思うから(*^_^*)
2013.05.13
毎日毎日、診察や療養で、生活にメリハリがないためか、お楽しみを設けてくれているんだね。 旦那は胃腸などの消化器系ではないので、常食という普通のメニューでなんでも食べられたんだって。カレーライスも出た、って喜んでた( *´艸‘) で、子どもの日にはちらしずし( *´艸‘) もうね、笑い飯のネタを思い出しちゃって、おかしくておかしくて、にやけながら食べたって( ̄∀ ̄*)あやめとこいのぼりのカード付き。 病院って、先生だけじゃない。看護師だけじゃない。こういうところでも、優しい心配りを感じます( *´艸‘)
2013.05.08
手術の予定は13時半からで、13時を過ぎたら術着に着替えて、麻酔を受ける予定だったのだけど、13時を過ぎても看護師さんが迎えに来なくて、13時20分ごろ、看護師さんが術着を持って来て、置いて行ってしまった。着替えて待っててって事じゃない?と言うと、旦那はあわてて着替えたけど、13時半を少し過ぎたころに迎えに来た。普通に歩いて、手術室のある階にエレベーターで行き、降りたところで「お待ちください」と言われたまま、旦那と私、放置される( ̄∀ ̄*) 5~6分してさきほどの看護師さんが来て、旦那を呼ぶ。 いよいよかっ!Σ( ゚д゚) 看護師さんは黙って、手のひらを私に見せた。来ないでください。 みたいな。手術室 と大きく表示された部屋とは反対側の部屋へ、旦那が入って行った。麻酔室かな?と思い、ベンチがあったので座った。なかなか、出て来ない。 麻酔、効かないのかな?Σ( ゚д゚) 量を増やしてショック症状出たらどうしよう(;¬д¬)なんて思いがよぎる。1時間待った。。。 遅すぎる(゚Α゚|||) なんかあったんじゃないか?(゚Α゚|||) 忍び足でその部屋の前まで行ってみる。 手術室 と手書きで書かれていた(゚Α゚|||) わわわわーーっ!!Σ( ゚д゚)手術は1時間から1時間半くらい、と聞かされていて、術後、簡単ですが説明しますから、病室に居てください、と先生に言われていた。急いで病室の旦那のベットの脇に立って待つ。しばらくして看護師さんが血圧計を持って現れた。 どうぞ、椅子にかけてお待ちください。まだ手術が終わったと言う報告、来てませんから(*^_^*) 優しい笑顔に救われる。朝9時に朝ご飯を食べ終わり、12時に病院へ入った。お腹減ったなぁ~。それよりも、喉乾いたなぁ~。 でも、いつ先生が手術終わったと、ご報告にきてくださるか、わからない。ベッドから離れられない。 そうこうしているうちに、喉の渇きが限界に達した。時計を見るともう16時半だ。 飴、なめよ( *´艸`) 飴を口に入れた途端、先生現るΣ( ゚д゚)実に、失礼だった。飴を口の中に入れたまま、飲み込めはしないけど、出す余裕もなく、先生が話し始めた。 思ったより、根が深く、相当限界まで削り落としました。しかしながら、腫瘍を全て取り除くことはできませんでした。先日の説明の通り、再手術することになります。 先生は、疲れているはず。1時間から1時間半の予定が、2時間半もかかったのだから。2時間半もかけて、限界まで、腫瘍を削ってくれたのだから。それで、残らず削れれば、疲れも少しは軽くなるのに、削っても削っても、まだ取りきれない。取りきれなかった事、家族(私)に言わなきゃならない。 心から、ありがとうございました、という言葉が出た。 午後からの、しかも遅れて始まって、さらに予定時間を過ぎて終わった手術。私は翌日、午前中だけ仕事に出る予定だったので、病室に戻った旦那は気にして、帰って良い、と言った。麻酔が切れて、これから痛みが襲って来るのに。。。 でも。。。(;¬д¬) まだしばらく、旦那のそばにいた。旦那が 「痛くなって来た」 と言った。そして、居ても看護師さんが来てくれるから、帰りなよ、と言う。 もしかして、意地っ張りの旦那は、私に 痛がる自分 を見られたくないのかもしれない。 そう思って、帰ることにした。ちょうどその時、看護師さんがふたり来て、私がとても邪魔な感じで、旦那の点滴を換えて行った。 やっぱ、ただ居るだけじゃ、邪魔だな(;¬д¬)じゃ、明日、来る、と言って帰った。 翌日は、職場で仕事をして、お昼を食べて病院へ直行した。旦那はまだいろんな管(くだ)でつながれていて、痛々しい。痛くて眠れなかった。 と言った。本当にあのタイミングで帰って良かったのか?と後悔した。けど、昨日の事をいまさら後悔しても、旦那の痛みが消えるわけじゃない。私は、私のできることは、明るく、普通に、旦那と接すること。話してるだけで辛そうなので、あまり長居してはいけないかな?また、看護の邪魔になるかな?と思い、また、さっさと帰った。 看護師さんの間で、 「あの奥さん、冷たいわね」 って言われてるかもと思いながら。。 翌日、早朝からメールが来た。 看護師さんに聞いたら、お菓子食っていいって。買って来て。 Vサインの絵文字付き(笑)はいはい(´・∀・`) ノ しばらくしてまたメールが来た。 来るとき、ペットボトルの水を買って来て。1リットルの水とカフェオレ追加。 元気が出て来たようなので、コプエルコプちゃんを連れて行くつもりで。水1リットルとは、たいそうな重さでござんすΣ( ゚д゚)だけど、頑張って連れてった(笑) まずは、隠れて当たりの様子を伺う(笑) カーテンも閉め切っていたし、誰も来ないので出てくる。 旦那も嬉しそうにコプエルコプちゃんを見る( *´艸`)1日で歩けるようになって、カーテン内をうろつく(笑)まだ、管でつながれているけど。 だいぶ元気が出て来てた( *´艸`)
2013.05.04
旦那が無事入院しました。4人部屋。差額代は1日約2,500円。予定では1週間~10日程度。早ければ5日間くらい、という説明を旦那は信じてます(笑) いきなり本人に「癌告知」をした先生なので、正直な、ハッキリした先生という印象を持って、入院日には仕事を休み、お会いしてきました。 第一印象は、優しい感じでした。もっとこう。。。僕はハッキリ言いますよ( ̄^ ̄)って感じなのかな?と思っていたので安心しました(笑) そしてどのくらいだろう?15~20分くらいかなぁ~?お話を聞きました。 やはり、旦那への説明は一部で。。。旦那は手術すれば治る。と思っていて、最後の診察(面談)の時に、退院後、通院になります、と言われガッカリしてた。 私は、そんなの当たり前じゃーん。手術もしない皮膚科だって、3カ月も通院したんだよ。と軽くあしらったりました( ̄∀ ̄*) 今回の、内視鏡による手術は、腫瘍の様子見と腫瘍の細胞を検査をするためのもの、という印象を受けました。つまり、内視鏡手術で腫瘍を取るけれど、おそらく全て取れるほど、旦那の腫瘍は良性とは思えず、細胞の組織を検査して、退院後の治療はそれによって変わってくる、と言うお話でした。 旦那の癌の進行は、おそらくT2レベルで、(一部ウロ覚えなので、このサイトを参考にさせていただきました → 膀胱がん)Ta~T1レベルならば内視鏡で取れるけれど、T2以上になると、再発のリスクが高く、膀胱の摘出もあり得る、というお話でした。ただ、旦那にはそこまで話していませんが、という事です。 つまり、膀胱を摘出してしまうと、腎臓から来た尿を溜めておく場所がなくなるので、膀胱の代わりになる袋、あるいは経路(ストーマ)を作り、そのための手術が必要になる、と言うお話です。 人工の袋や経路(ストーマ)では、尿意を感じられないので、定期的にトイレに行って、尿を捨てることになり、日常生活は今まで通り、というわけには行かなくなります。 という、実に重要なお話でした。 旦那には、先生とのお話の時間が長くなったので、初めて会うから、ハナっからのお話で長くなった、と言い訳しておきました(苦笑)実際、CTスキャンの画像、MRIの画像も見て、説明を受け、ウソは言ってません。ただ、全部言わなかっただけです( ̄∀ ̄*) うーーーーん。困った(;¬д¬) まぁ、内視鏡手術、細胞検査の結果、その可能性があるという段階なので、「覚悟だけはしておいてください」ということでしょうけど。 手術が無事に終わり、細胞検査も思ったよりは良く、術後の経過と再発防止、再発した場合の早期発見のための通院で済んでくれると良いのだけど。3~5年、通院するみたい(症状によって)まぁ、最初は早いですけど、1年くらいしたら、半年に1回くらいになるでしょう、って。 旦那、耐えられるかなぁ~? やっぱ、健康な事が1番幸せ、ですな( ̄∀ ̄)ノ
2013.04.30
事の初めは。。。 トイレが近い という事でした。仕事から帰宅直後にトイレに入り、便座カバーを濡らしてしまって、告白(笑) 我慢の限界だった。間に合わなかった。実は夜中も何度もトイレに行ってる。 私も5~6年前くらいから、トイレが近い、っていうか、冬場、寒いキッチンに立つと、急にトイレに行きたくなるので、私と同じ、年齢のせい、と思ってました。 それから約1カ月後、お花見を済ませた翌日。。。 血尿が出た。おしっこする時、痛みがある。 第2弾の告白。これにはビックリ!!痛みがあるなら、なぜもっと早く言わないーーヾ(*`Д´)ノって怒りさえ覚えましたが(笑)そこは冷静に、ネットで病院探し。旦那は仕事を休む事を 「罪」 のように感じているので、休まなくて済む、職場近くで6時ごろまでやってる病院を探しました。 その前に、 ここカラダ と言うサイトで症状チェック。病院でも質問されるような事を質問されます。問診の予行練習もできたような気がします。 病院へ行き、薬を処方されて、3日後、また病院へ。症状変わらず(血が止まらない)、違う薬を処方されました。 4日後、病院へ。症状変わらず、レントゲン撮影。影がある、という事で、設備の整った大きい病院へ行くよう、言われました。 最初にレントゲン撮ってなかったんだ、と初めて知りました(笑) 大きい病院へ行ったのは、初診から9日目。。。紹介状を持ち(ない場合は別途5千円かかります)、CTスキャンをしたそうです。動かないで と言われ、緊張したそうです(笑) そこで、やっと病名が判明しました。 病名は。。。 膀胱癌 そう、あの、松田優作さんが亡くなった病気です(゚Α゚|||)すごく、すっごく心配になりました。旦那に気付かれないよう、ネットで調べまくりました( *´艸`) ネットで調べた限りでは、わりとよくある病気で、松田優作さんは、撮影のため病院へ行かず、手遅れだったらしいです。 わりとよくある病気 つまり、先生も慣れてるわけで(笑)薬も研究されてるわけで。少し安心しましたが、でも癌。心配です。 肝臓から膀胱へ、あるいは膀胱から肝臓へ の影響が懸念されるので、さらに詳しい検査を受けてください、という事で、2日後、病院指定の検査センターへ行き、今度はMRIを受けました。 そして、5日後、検査結果の発表です。私は朝から心配で。。。肝臓か~。。。若い頃からめちゃくちゃお酒飲んでるし。。。血尿出た、と言った後も、飲んでるし。。。もしかして。。。。肝臓の癌が転移したんじゃねーのかい?(゚Α゚|||) って。。。 結果は。。。。肝臓はとても弱っているけど、癌は発見されなかった。という事で、安心しました(*^_^*)痛みを我慢し続けてたら、肝臓にも何かしらの病気が発症していたかもしれません。 でも、これは旦那の説明で。本当に本当の事を全て言っているかは不明です(笑)私を心配させないように、ウソついてるかもしれません(笑)だけど、旦那は多分ウソはつけないタチなので、ウソをつく、と言うより、全部しゃべらない、って言う方。入院期間は1週間くらい。と先生に言われた、と言ってたので、ひどく重い病気ではなかったようです。 だけど、癌は癌。 旦那は、退院すれば完治、と思っているフシがあり、退院後、最低1週間は仕事休んでほしい、と言いました。入院、手術は、ベッドの空きがないらしく、まだ先。父は、即入院・即手術だったので、急を要する状態ではない、と私は判断しました。 手術日から数えて、1カ月くらいは、自宅で療養して欲しいんだけどな~。旦那は、「休む事は罪」と思ってるからな~。病院が4時前に終わると、仕事に戻ってるんだもん。本来、4時までなのに。社員の一人が、旦那にタイムカードを頼んで、旦那に5時まで働かせてるのに。。なんで戻るんだろう。。。私なら、家に帰りますけどね( ̄∀ ̄*) パジャマを新調し、旅行用の歯ブラシセットも買い、入院前からお金がかかってます( ̄∀ ̄*)だけど、ここでケチっては、治るものも治らないような気がして、人目もあるし(笑)、パジャマはけっこう良い物を買いました!気に入ったパジャマで、良い気分で過ごして欲しいし( *´艸`) 今は、普段と変わりなく過ごしています。あんまり私が過剰に反応すると、旦那も不安になるだろうし。旦那も普通に仕事に行ってます。4日がかりで、めずらしく下書き保存してこの日記を書いてる間に、旦那がノンアルコールのビールを買ってきました( ̄∀ ̄*)痛み止めの薬を要求して、その薬を飲むために。ってことは、大好きなビールをあきらめるほど、痛いんだろうな。。おしっ〇をするときにすごく痛いそうで、普段はそんなには痛くないらしいです。って事は、少しは痛いんだろうな。。 長くなりましたが。。。こんな感じで、心配だけれどあまり普段と変わらず過ごしてます。読んだ方も、あまり気にせずに過ごしてください(´・∀・`) ノ
2013.04.11
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