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今日9月1日は、私のおじの命日です。おじといってもわたしのうまれる前に他界しています。
おじは、大阪の師範学校を卒業して陸軍に召集され、豊橋第一陸軍予備士官学校で第一期特別幹部候補生として教育を受けています。昭和20年6月予備士官学校卒。赴任先は中国軍管区(広島)でした。
そして、8月6日。原爆に被爆します。そして鳥取陸軍病院で亡くなったのが、昭和20年の今日、9月1日でした。終戦から17日後になります。
祖母は明治生まれです。祖父が亡くなったのは、私の父やおじが小学生のときだったそうです。それからの祖母の苦労は並大抵のものではなかったようです。必死に働いて、4人の子供のうち3人を師範学校に通わせました。おじを失った悲しみは祖母が90歳を過ぎてなくなるときまで心の奥深くあり続けたように思います。
おじは、師範学校を卒業してから、わずか一週間しか教壇に立てませんでした。すぐに召集されたからです。教師になる志半ばで、被爆、戦病死したおじ。享年22歳でした。どのような思いで死と向き合ったのか。その無念さを考えると、私の生ある限りおじのことは忘れまいと思います。今私が先生と呼ばれる仕事ができることの幸せも忘れてはならないと自戒するしだいです