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2010年01月22日
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なんだかよくわからないタイトルになりましたが…(しかも長いね~!)

『杜子春』は、いわずと知れた芥川龍之介が子どものために書き下ろした名作。
この世に嫌気が差し、仙人に弟子入り志願をした杜子春は「どんなことがあっても声を出してはならん」といわれます。ありとあらゆる誘惑や苦痛に耐えてそれを守りますが、最後の最後、地獄の責め苦に苦しむ母の姿に、ついに「おかあさん」と声を上げてしまい、すべておじゃんに…。仙人は「おまえがもしこれを見ても声を上げないようならば、殺してしまおうと思った」と杜子春につげ、人間としてまっとうに生きるように、と桃の花に囲まれた小さな家と畑を与えて消えていきます。

ところで、これには中国の『杜子春伝』という原作があるそうです。
こちらでは、杜子春は母の姿にも声を上げませんが、女に転生して子を産み、その子が夫に石臼に叩きつけられて殺されるのを見てついに声を上げます(怖いなあ、中国伝奇…)。仙人は実は感情のない人間を材料に仙薬を作ろうとしており、
「そなたは、喜・怒・哀・懼・悪・欲については、すべて忘れ去ったが、愛だけは忘れられなかった。仙人の才能は得がたいものだ」
と子への愛に負けて声を上げた杜子春に激怒し、下界に追いやってしまいます。

芥川の『杜子春』のテーマは親への愛、原作『杜子春伝』のテーマは仙人修行の厳しさだといわれています。

ところで何で私が『杜子春』の話を書き始めたかというと、数日前にぽんぽんが『杜子春』を読みながら、

とつぶやいたのです。
「どこが?」
と聞いたら、なんで母親が苦しむ場面で声を上げてしまったのかがわからない、と。
「だって、夢なんでしょう?」
「…」

最近、入院生活が長引いている父や、やはり年老いた母を見るにつれ、とても切ない気持ちになることが多いのです。この世界が夢で、両親も夢で、私の身体も夢で、何の意味もないと頭がわかっていても、その、夢の身体が泣くのです。どんなに神様を信じようと思っても、世界はない、身体はない、と思っても、そんなつらさを赦しても、やっぱり涙が出るのです。杜子春もこのリアルさに負けたんだな、と思うと、なんとも言えない共感を感じてしまいました。

『杜子春』は発表当時、同世代の作家に「あまりにありきたりの道徳観を押し付けている」と酷評されたり、「少年少女向けのものであれば当然だろう」と肯定されたり、いろいろな反響を及ぼしたようです。わたしが今ちょっと読んだ方の作品論では、芥川自身が俗世を離れ純粋な芸術の世界で生きられたら、という自らの欲求に疑問を呈する形で、杜子春に俗世を選ばせたのではないかと書かれていました。

でもわたしは、この日記を書こうとしているうちに、なんとなく芥川が「愛(love)」について語りたかったのではないかという気がしてきました。

原作『杜子春伝』の中でてくる「愛」という言葉は「love」に対応する言葉でなく、情愛、とか愛執とかに対応する言葉です。杜子春が仙人に求められたのは「無」なのでしょう。

非人間的になることで人間の業から逃れる、ということでしょうか。
しかしこれはとてもつらい…。人間はやっぱりどこかで「love」を分かち合いたいのだろうと思います。「love」と「情」を混同して「love」まで否定すると、とても不安になるような気がします、っていうか、わたしはなります。ACIMでは、夢の世界が消え去って「無」になるのではなく「love」だけが在ったのだという気づきが残ります。


芥川がこどもたちに向けて『杜子春伝』の何かを変容させて伝えたい衝動をもったとしたら、それは作品に対する酷評にあるような「親を大事にするのはいいことです」みたいな「ありきたりの道徳観」ではなく、杜子春に「無」ではなく「love」を選ばせることだったのではないかな…とふと妄想しています。「love」が母親への情で表現されることで求道の妨げとなる「愛執」と重なってしまうので混沌としてしまうのですが、芥川は、ことに少年少女に向けた作品をものすという自分の中のもっともピュアな部分に向き合う過程で、世界が「無」であるという感覚に無意識に耐えられなかったのではないかと思うのです。

だからこそ、仙人が杜子春に与えた家が桃に囲まれたユ-トピア(=桃源郷)だったのではないかな、なんて…。

まあ、妄想なんですけどね…。
(でも書いちゃった…)





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最終更新日  2010年01月22日 20時53分15秒
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