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2010年09月09日
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カテゴリ: Tao House
今日は「神の使者の勉強会の勉強会」の日。
(ややこしいですが、その辺は正確に、と聖霊に念押しされています)

さて、今日は女性が4人。
差し入れのお花にお茶にケーキにと、華やかな会になりましたが、わりとお題はディープでした。みんなでいろいろな話をしましたが、みなさん、何を持って帰ってくださったかな。

この会の面白さは、わたしが
「ここっ!ここが今日の肝だわっ!」
って思ってても、参加してる人は全然違うところを…往々にして、誰かの行った言葉の端っことかを、
「あっ!これだっ!」
と拾って自分の中に落とし込んで、

なんて言ってたりする。

そういうことを聞くたびに、ああ、この会は、学ぶ意志のある人たちの「場」なんだな、その意志が、必要な情報なり知識なりを集めてきて、必要な人に提供される、そういう「場」なんだな、と思うのです。

そういう意味では主催側は大変気楽で、毎回、お茶だお菓子だとそっちにばっかり気を配って、楽しくやってたりします(^^)


で、毎回私も、ああ、これが今回の収穫だったなと思い返すのですが、今回は、初めに書いたようにお題がとてもディープだったこともあって、終わってすぐには「今日はわたしは何を学ばせてもらったんだろう」というのが漠然としていたのですが、その後、ちょっとわたしにとっては、
「ああ、これか、これでわかった」
と思ったことがありました。

…なんかまだとりとめないです。でも、せっかく書き始めたので、自分の覚書として…。

会が終わった後、参加してくれた方からメールが来ました。
帰宅後連絡があって、聖霊の意志だと信じて努力してきたことが、結果的にうまくいかなかったのだそうです。今日の会でもそのテーマは形を変えて何度も出てきたような気がします。

「エゴの願望ではない、聖霊の意志だ」と、そう思ったからこそ進んだ道が進めなくなる。なにかが間違っているんだろうか、聖霊の意志を受け取り損ねたのだろうか、クリアしていないエゴが無意識に邪魔をしているんだろうか、そのエゴを聖霊に差し出されて赦すことを求められているんだろうか。

自分に対する、そして聖霊に対する不信感。



しかし、聖霊が差し出した結果があまりにも「自分の希望」とかけ離れているとき、それでもそのまま、自分と聖霊に対する不信感を抱いたまま、その道を進むというのはとても難しいことです。わたしたちの目はもともと見えていないのだから、先なんか見えたって見えなくたって同じだけど、やっぱりどこを歩いてるのかわからなければ不安になります。

もらったメールになんて返事をしようかな、と思いながら、わたしは主人の実家にむかいました。ちょっとカミングアウトになりますが、わたしは数年前から主人の実家との間に問題を抱えています。この問題がなかなか進展しない、「わたしが期待する奇跡」が起きない、つまり「エゴ的希望」がかなえられないと感じていました。そしてここに「わたしが期待する奇跡」が起きないのが聖霊の意志なら、それも仕方がないだろうとも思っていました。

同時期に、わたしは「わたしが期待する奇跡」を体験しました。病院の見解ではほぼ見込みがないと言われていた父が、それこそ奇跡的に回復し、退院後も低空飛行ながらそれなりに元気に暮らしています。

わたしは父も主人の実家の問題も、両方同じように聖霊に託したつもりなのに、なぜ片方には希望通りの奇跡が起きて、片方には起きないんだろう、ということをずっと疑問に思い続けていました。なんとなくわかった、と思う瞬間があっても、すぐになんだか、その理解がしゅーんとしてしまって、腑に落ちてないなあと思うことがたびたび。

主人の実家に着いて、メールの返事と自分の問題とを重ね合わせながら、義母と話をしていました。この問題で一番困っているのは実は義母だと頭では理解していながら、わたしは「この人はなにもわかっていない」と思っている自分に嫌気がさしていました。そうやってわたしは自分と義母を分離させている。



病床の父を見ているとき、わたしはほんとうに、切ないほど父がいとおしかったのです。権威主義者でみえっぱりで拝金主義者でそのくせいじけやすくてひがみやすくて、そんな父だけれど、それでもその奥に「神の子」としての、「兄弟」としての父を感じていたのだと思います。その結果、父はたまたま回復した。父の回復とわたしが聖霊を通じていやした父のパーツ(つまりわたしと父の共通項)が、たまたまおなじ回線のエゴでつながっていたからでしょう。

そういう気持ちで義母を、主人の実家全体を見られたことがないと、今日、残念ながらわたしは確信しました。わたしは主人と主人の実家の人たちを兄弟だと認めていないんだ。そう思った時に、「わたしがもし、主人や主人の実家の人たちを、心からいとおしいと、この人たちも自分の兄弟だと認めることができたら、それがわたしの、わたしをいやす、わたしのエゴを解体する奇跡なんだ」とようやく腑に落ちた気がします。そのエゴの回線が、主人の実家とのトラブルと同じ回線なら、そのトラブルはホログラフィックに修正され、回復されるかもしれません。その修正の結果がたまたま「わたしが期待する奇跡」とかぶるかもしれません。父のときはそうでした。でも、それは聖霊にしかわからないことです。

とにかく、わたしにとっての奇跡は、自分が愛せない兄弟たちを愛することができるようになること。これすら、いや、これこそ、自分の努力ではなく、聖霊によってなされる奇跡なんだなあと思いました。まず自分の内側に奇跡が起きないと外側に奇跡は絶対起きないし、内側に奇跡が起きれば、外側に奇跡が起きようが起きまいが、どっちでもいい(しばらくはエゴの残留物が苦悶するにしても)んだろうなと、そう思ったのです。

いただいたメールのお返事としてはぜんぜん的外れな気もしますが、でもこういう風に考えることができたのもそういうメールをいただいたからだし、勉強会で午前中からお昼をはさんで、お菓子やお茶と一緒にみんなでいろんなものをテーブルに広げて見てきたからだと思います。そのなかからわたしは、今日の自分に必要な情報をおいしくいただいたんだろうな、だから今日、こんなふうに自分に納得させることができたんだろうな、とおもうと、こんな素敵なお仕事はないなとニンマリするのです。






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最終更新日  2010年09月09日 23時20分16秒
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