MY LEGEND DIARY

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2020.03.10
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1月17日、高木守道没
2月11日、野村克也没
NPBを代表する二塁手と捕手が相次いでこの世を去った。
​自チームが負けてガッツポーズ!​
前代未聞の蛮行で全国の中日ファンから顰蹙を買った反落合派の鬼畜・坂井克彦
しかし、15年以上現場を離れて現代野球に疎いのが致命的だった。
「あの人ね、ホント短気。だから試合中に俺ヤーメタ!だけは止めて欲しい」
落合前監督が懸念した不安材料は、開幕早々に炸裂。
試合中キレて采配放棄
序盤で野手を使いきった為、後半のチャンスで代打を出せず、投手をそのまま打たせ、スタンドから失笑を買う迷采配 しょんぼり
権藤投手コーチと試合中に揉める・・・
そして度重なる暴言・選手への個人批判には辟易していた。
当然ファン受けは最悪。
落合監督は嫌いな人も居たが、2007年にリーグ連覇を逃した時の挨拶で、その事をお詫びして頭を丸め、以降も通した。
高木は2012年いきなりオヤジギャグを飛ばして選手&ドアラをシラけさせ、
翌年のシーズン最終戦の退任挨拶では、ドーム全体から大ブーイングで、真っ青に・・・
​「落合では観客を呼べない」​
それが解任理由だったが、球団が地味な職人タイプの高木を散々持ち上げ、
プレゼント攻撃でゴマ擦ったにも拘わらず、観客動員は落合時代を下回ったという。
尤もその後復帰した“落合GM”は全く機能せず・・・
かなり批判したが、選手としては「2代目ミスター・ドラゴンズ」としてリスペクトしてる。
まぁ"監督としては草野球以下”だった。
昔、沖縄でサイン頼んだらシカトされたのもあるけど。

野村さんは相変わらず毒舌評論は健在も、去年辺りから明らかに衰えていたんで心配だったが、
ネットニュースで突然の訃報・・・
ただ、遺体をSNSに載せた団野村の感性には正直言って・・・
アメリカでは棺を開けて、遺体をオープンに公開する。
ブルーザー・ブロディ刺殺
デビッド・フォン・エリック急死
この時、週刊ゴングに青白い顔の遺体が載っていた。
ハーフの彼にとって“普通の事”かもしれないが、日本では・・・
数日後、2年前のお母様(沙知代)出棺直前の姿も載せた。

​戦後初の三冠王、当時パ・リーグ記録の52本塁打!​
南海ホークスの看板選手として大活躍された。
監督としても独自の理論を徹底的なデータ分析を駆使した名将
野村さんの薫陶を受けた選手達は、引退後も指導者として活躍。
古田・栗山・真中・高津は監督になり、稲葉は日本代表監督。石井はGM。
NPBや独立リーグでコーチに就かれてる方も居る。
(ミーティング中に居眠り&落書きしてたバカ息子は論外)。

個性的過ぎる奥様のお陰で南海&阪神を追われたが、周囲がどれだけ批判しても、野村さんは彼女を擁護。
「タレントのイメージが強いから、誤解してる人も多いが、主婦業も全てこなした」
2011年以降めっきり表舞台から姿を消し、最後も呆気なく旅立ったのだが、
彼女の死後、野村さんは一気に憔悴していった・・・

他球団を戦力外になった選手を巧みに起用する妙味は「野村再生工場」と呼ばれた。
開幕3連発 で当時無双の斎藤雅樹を叩きのめした小早川
40代ホームラン王・山崎辺りがそう。
豊富な資金力で国内FA選手、大物メジャーを毎年のように獲得する巨人を倒す姿は喝采モノ
“松井キラー”の遠山→右アンダーハンドの葛西→遠山の一人一殺継投!はまさに裏技 ウィンク
また数多くの“名言”も残した。
「王や長嶋がひまわりなら、俺は月見草」
「生涯一捕手」
「野村克也一野球=ゼロ」
「1年目には種をまき、2年目には水をやり、3年目には、花を咲かせましょう」
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
​​「野球に学び、野球を楽しむ」​​
番外編
「マー君、神の子、不思議な子!」
​「バッカじゃなかろかルンバ🎵」 ​​
御冥福をお祈り致します。





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Last updated  2020.03.10 20:38:53


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