くろの旅

くろの旅

いのりの森

いのりの森


さむさが日に日に増してきました。
木々の葉っぱは、真っ赤に色づき、
やがてその色合いを少しずつ変えながら、
ひらひらと落ちていくものも、多くなりました。

大きなナラの木の幹にあいた洞から、小さなリスが、顔を出しました。
「ふぅ。今年もなんとか一年、暮らしてこられたなぁ。
タカには何度も襲われたし、人間の罠にもかかりそうになったりはしたけど、
いやぁ、本当に、良かった、良かった。」

リスは、ナラの木の根元に降りてくると、
落ち葉をかき分け、穴を掘り出しました。

「体もちっぽけで、弱わっちくって、何の取りえもないオイラだけど、
でもそんなオイラにだって、たった一つだけ、できることがあるのさ。」
そして、ほお袋に大切にしまっておいたドングリの実を、
穴にそっと入れ、言いました。

「それは、祈る事。」
リスは、ドングリに、優しく落ち葉をかぶせながら、語りかけます。
「このドングリが、やがて芽を出し、元気に育ち、
いつか森の皆に恵みを与えてくれますように」

そして、再び木をのぼり、洞の中へと、消えていきました。
雪解けの土の下から、鮮やかな緑の、ドングリの芽が顔を出し、
大きなナラの木に、育ってくれる事を、夢に見ながら。




さむさは次第に厳しさを増し、
空から白いものが、ひらひらと舞い降り始めました。
今年初めての、雪です。

突然、木立が大きく揺れ、枝に薄くつもった雪が、ぱさっと落ちました。
驚いた鳥たちが、一斉に、飛び去っていきました。

「おやおや、びっくりさせてしまってごめんなさい」
現れたのは若いメスのクマでした。

クマは、ナラの木を見上げて言いました。
「ドングリの実、河を上るサケ、鹿やウサギ、そして小さな生きものたち、
大きな体を持ってしまった私は、
自分が生きていくために、どれだけ多くの命を奪って来たのでしょう。
でも、それも仕方のない事。
そのおかげで、あなたがこの世に生まれる事ができるんですもの」
クマのおなかの中には、初めての赤ちゃんが息づいていたのです。

「まだ見ぬ坊や、よくお聞き。
これから、私も、あなたも、生きていくために
多くの命を犠牲にしていくことでしょう。
そうして奪った命を、再びよみがえらせる事はできないの。
私たちはそうやって生きていくしかない。
でも、ただ一つ、私たちにもできる事があるのよ。」
クマは、たおやかにふくらんだおなかに、手を添えました。

「それは、祈る事。」
おなかを優しくさすりながら、クマは言葉を続けました。
「この森が、これからも、私たちを生かしていってくれること、
そして、私たちの命を支えてくれる、様々な命たちをも、
共に生かしていってくれることを」

クマは、立ち上がり、
すっかり葉が落ちてしまった森の様子を、しばらく眺めていました。
そして、ゆっくりと、ナラの木の根の下にぽっかりとあいた、
小さなほら穴の中に、入っていきました。

「この森がとこしえに健やかでありますよう、
長い冬の間、あなたのために祈り続けるわ。」
クマは、体を丸めると、そっと目を閉じました。
すみれ咲くせせらぎのほとりを、生まれたばかりの赤ちゃんが
元気に駆け上がる姿を、夢に見ながら。





毎日降り積もる雪は、森を白一色に染め上げていきました。
ナラの木の周りも、たまにヤマガラが飛んで来たり、
鹿がちょっと顔をのぞかせるくらい。
生きものたちは、厳しい寒さを、
ねぐらにひっそりと身を隠し、耐え忍んでいます。

その冬で一番激しい吹雪の夜のことです。

吹きすさぶ雪煙の向こうから、
年老いた一頭のオオカミが、姿を現しました。
この森に残された、最後のオオカミです。

オオカミは、深いため息をつくと、つぶやきました。
「最愛の妻よ、長年連れ添ったお前を失い、
残された私はどうして生きていけばいいというのか」
オオカミの妻は、冬の初め、
毛皮目当ての猟師によって撃たれ、
その命を絶たれてしまったのです。

「猟師を襲ってかみ殺しても、お前が喜ぶとは思えん。
そもそも、もう私にはそんな力は残されてはいない。
だが、ただ一つ、まだ、お前のためにできる事がある。
ただ一つ、お前のためにやらなくてはならない事がある。」
オオカミは、毅然と空を仰ぎ見ました。

「それは、祈る事。」
そして、吹雪に負けない大声で叫びました。
「私たちの味わった苦しみを、
もう二度と、我らの仲間が味わう事のないように。
そして、この森に再び命が満ちあふれ、
その命たちが、自分の定められた一生を
正しく全うできるように、我は祈らん。」

老いたオオカミは、大地に足を踏ん張り、息を大きく吸い込むと、
遠吠えを始めました。
容赦なく襲いかかる吹雪の中、
足元が凍り付き、のどが破れても、
オオカミは、力の限り、天に向かって吠え続けました。

やがて意識が遠のいてきました。
同時に、ふしぎと、怒りも悲しみも消えていきました。

オオカミは、次第に、夢を見始めていました。
美しく気高い、若いメスのオオカミと、初めて出会った朝、
新緑の森の中を、二頭でどこまでも走り続けた朝の事を。


翌朝、ナラの木に飛んで来た一羽のカケスが、
雪の上に倒れているオオカミを見つけました。
すこし開いた口元は、まるで微笑んでいるかのように見えましたが、
閉ざされたまぶたは、二度と開く事はありませんでした。



それからも、雪は毎日降り続けました。
リスは、ナラの木の洞の中で、
しっぽを体に巻き付け、寒さを耐え忍んでいました。
クマは、ほら穴の中で、うつらうつらしながら、
新しい命の鼓動を聞いていました。
死んだオオカミは、少しずつ、少しずつ、
銀世界の中に、埋もれていきました。

雪が、降りつもっていけばいくほど、
リスの、クマの、そしてオオカミの、祈りが、
森の中に、満ちていきました。




ある日の朝。

森に、柔らかな太陽の光が、差し込みました。
ナラの木の枝につもった雪が、少しだけとけ、
しずくが一滴、キラキラと光りながら、
枝先から落ちていきました。

そのしずくが落ちたところ、真っ白な雪の地面から、
何かヒクヒク動く黒いものが、のぞいています。
クマの鼻です。
しばらくの間、用心深く、外のにおいをかいでいましたが、
突然、大きく、雪が割れ、
あのメスのクマが、姿を現しました。

クマは、大きくのびをすると、
ほら穴の中を覗き込み、言いました。
「坊や、出ておいで。」
穴からおずおずと、小さな赤ちゃんが、出てきました。
「これが、あなたがこれから生きていく森よ。
さぁ、ごあいさつなさい」

赤ちゃんは、あたりをキョロキョロ見回すと、
ナラの木に、トコトコと近づいていきました。
そして、幹のにおいをかぐと、そっと木肌をなめました。
親子のクマは、しばらくの間、ひなたぼっこをして体を温めると、
連れ立って、森の奥へと消えていきました。


太陽の光は、ナラの木の洞のなかにも、差し込んでいきます。
あのリスが顔を出しました。
「いやぁ、ひさしぶりのおてんとうさまだなぁ、あぁ気持ちいい。」
リスは大あくびをしながら、あたりを見回しました。

「おや、あれはなんだろう」
一面、真っ白な雪の地面の上に、何か黒いものが、横たわっています。

「おお、オオカミだよ。死んでらぁ。
オオカミは恐くて苦手だったけど、でもこれで、この森最後のオオカミが
いなくなっちまったかと思うと、それはそれで、やっぱり寂しいもんだなぁ。」

雄々しく森を走り回っていたオオカミの姿を
思い起こしていたリスの目にとまったものがありました。

死んだオオカミの鼻の先、
太陽の光にやさしく照らされた場所は、
雪解けの地面が、少しだけのぞいていました。
そこに、うす緑色の芽が、顔を出していたのです。

秋の終わり、リスが落ち葉の下に埋めたあのドングリが、
固く凍った地面を割り、芽を出したのです。
木の上から見ると、まるでオオカミが、
若芽のにおいを、楽しんでいるようにも、
ちいさなドングリの生長を見守っているようにも、見えます。

「どうか、いっぱいドングリのなる、立派な木にそだってくれよ。」

リスの、今年最初の、祈りです。

「そして、今年も、どうか無事に、一年が過ごせますように。」

そよ風が吹き始めました。
小さなリスの祈りも、風に乗り、森の奥へと消えていきました。




春が、来たのです。




                       おしまい


はじめて書いてみたお話です。
ご意見、ご感想など、いただければ幸いです。
                         くろ


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