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春は、あけぼの。 やうやう白くなりゆく山ぎは 少し明りて紫だちたる雲の細くたなびきたる。 日の出前の東北道を走りながら枕草子の書き出しを思い出す。白と青紫のツートンカラーに彩られた山の稜線はまさに清少納言の言葉そのもので、私は絵画のような景色に目を奪われていた。しかし、この美しい国は、目に見えない放射性物質に汚染されつつあるのだ。 「そろそろですよ。」東京を出て6時間、運転していたボランティアのチーフから声がかかる。カーブを曲がった瞬間、目の前に広がる風景に私は言葉を失った。見渡す限りの瓦礫の大地。木造の家は粉々になり、折れた柱や、割れた壁が積み重なっている。自動車はぺしゃんこに潰れているものもあれば、裏返しにひっくり返っているものもある。テレビで見ていた筈なのに、被害状況を知っていた筈なのに、私は何も分かっていなかったのだ。 家を、人間を、生活を、想い出を、歴史を飲み込んだ海は嘘のように静かで、日差しは暖かく鳥はさえずり、破壊された街がなければ悪夢の中の出来事にしか思えない。 津波が襲ってくる様を見ていた方の話を聞いた。普段青い海だった場所が干上がって真茶色になり、その数分後、津波がやってきた。天気の良い日だったのに海の方角が一面真っ白に曇っている。よく見るとそれは津波から巻き起こす水煙だった。「津波の音ってどんなだと思いますか?建物や木が折れていく、バキバキバキという本当に嫌な音なんですよ。」自宅より少し下に住んでいたご両親の家は津波に飲まれた。両親を連れて高台の公民館に避難した。電気もガスも水も無い寒い夜。空は「今までに見た事もないほどに澄んだ、憎らしいほどの星空」だったという。 瓦礫の中をとぼとぼ歩く女性に出会った。ボランティアのチーフが女性に話しかけた。彼女の家は流され、小学生の子供とは今離れ離れで暮らさざるを得ず、知り合いの家に身を寄せている。肩身の狭い生活。何か仕事がしたいのだが、仕事が無く、自分の社会的存在意義を問う毎日が続いているという。「あたし、なんで生きているんだろう。死んだほうが良かったのに。」 私は女性にかける言葉を必死に探したが、結局最後まで、何も言う事ができなかった。「頑張って下さい」と言う事さえも、無礼なことに感じてしまう。彼女の悲しみの深さの前に、言葉はあまりに無力だった。 津波で一階部分がヘドロで埋まった被災者の家を片付けに行った。「何をしたらいいのでしょうか?」と聞くと、「それさえ分かりません。考えてください」と言われた。家の中を見て納得した。確かに、何から始めたらいいのか、どこから手を付けたらいいのか、分からない。 気を取り直し、厚く堆積したヘドロをスコップで掬っていく。ヘドロに含まれた割れガラスがジャリジャリと嫌な音を立てる。バケツが一杯になると外に捨てに行く。硬く干からびたヘドロを崩していると、カニの死骸がたくさん出てくる。津波が奪ったのは人間の命だけではなかった。 作業を進める中、突然カニの死骸が動き出し、私は思わず悲鳴を上げそうになった。なんと、生きていたのだ。その日出てきたたくさんのカニの中で、4匹だけ生きているものを見つけた。身動きも取れない硬いヘドロの中、一ヶ月以上もの間、辛うじて命を繋いでいた小さなカニ。皆が作業の手を止め、カニを見に来る。最後まで生きることを諦めなかったカニは、復興への象徴にも見えた。こんな小さなカニだって、必死に頑張ってきたのだ。私たちも負けてはいられない。 気が遠くなりそうな作業量。だが、皆で一緒に働いていると、心強い。会話の中では笑いも起きる。被災者の方自身からも冗談が出る。笑いが起きれば、また力が湧く。一日ボランティアの私が帰った後、被災者の方はまた自分たちだけで作業を続けていかなければならない。せめてこの時間だけは、明るい気分で過ごしていただければ、と思う。そして私が帰った後は、誰か別の人が。そうやって、少しでも多くの被災者に、少しでも長く、少しでも多くの人達が力を貸してくれたら。 「日本が一つになるいいチャンスだ」というようなことを、何不自由なく暮らしている私がいう資格は無い。その言葉を発する権利がある人がいるとすれば、それは苦しみを乗り越えた人だけだ。しかし、辛い苦しみの先に、それを乗り越えた喜びと自信を。泣き顔を笑顔に。電気は節約しても、笑顔を節約する必要は無い。被災地を拠点に笑顔が世界に広がっていくことを、切に願わずにはいられなかった。 命の儚さと、命の強さと、二つを同時に感じた一日。今このとき、自分に命があるんだ、という事を痛感した一日。命ある者は、自分達に課せられた使命を果たす義務がある。次の世代を担う者たちのため、より良き世界を作るために。復興への援助、被災者の心のケア、次世代エネルギー問題、考えるべきこと、やるべきことはたくさんある。命ある限り、私たちは未来を見据え、進んでいかなければならない。皆で力を合わせれば、きっと。『この大地を畏れ敬え。 それは おまえたちの先祖により 与えられたものではなく、 おまえたちの子孫から 預かっているものだから。』 (ケニヤの諺)
2011年04月17日

どこまでも広がる真青な大海原。突如水面から黒い切っ先が突出し鮮やかな切れ味を見せつけ海を裂いていく。長さ2メートルにもなる鋭い刃。オスのシャチの巨大な背ビレだ。次の瞬間、頭頂部に空いた鼻腔から高らかに上がる白い噴気。シャチの呼気から感じる生臭い匂いは彼が飲み込んだ大量の魚のものかそれとも最近仕留めたイルカのものなのだろうか…私は憧れの生きもの、シャチと出会う為北海道を旅した。朝6時に港を出港して2時間半。10頭を超える群れに出逢った。数頭のオス、メス、そして1頭の子供だ。追跡が始まった。シャチにストレスを与えないよう、後ろから距離をとってついていく。艶やかに黒光りする巨体が悠然と海の中を滑りまわる。美しさと気迫を兼ね備えたその姿に恍惚となる。まだ幼い子供は片時も母親から離れず一緒に泳ぐ。尻尾や胸ビレで何度も海面を叩くのは遊んでいるのだろうか。何とも微笑ましい。どれだけ見ていても飽きない。午後少し日が傾いて来た頃それは突然始まった。イシイルカの群れをシャチが追い始めたのだ。パニックになるイシイルカが我々のボートを盾にするつもりなのかこちらに向かってくる。ボートの下を白い腹を見せながら一瞬で潜り抜けるイシイルカ。そのスピードに瞠目する。しかし縦横無尽に泳ぎ回るイシイルカを横目にシャチは全く慌てた様子もない。イシイルカに振り切られたかのように見えてもなぜかしばらくするとまたぴたりと後ろについている。イシイルカの上げる水飛沫は独特で、その形が雄鶏の尻尾に似ていることからrooster tailと呼ばれている。体が小さいせいか、ストロークは早く、必死に泳ぐイシイルカの飛沫が連続で上がっている。そのすぐ後ろから長く黒い背びれが忽然と現れ、噴気をあげるとまた沈んでいく。一見ゆっくり泳いでいるようにしか見えないが、どうしてもイシイルカはシャチを振り切ることはできないようだ。小型のイルカとは言えどイシイルカの体重は100キロをゆうに超える。シャチはそれを多い時は数頭も丸呑みにしてしまうと言う。何度も何度も全身に鳥肌が立つ。必死に逃げ惑うイシイルカと対照的に余裕綽綽なシャチ態度に背筋が凍る思いだ。止めを刺す決定的な瞬間は残念ながら確認できなかった。しかし王者の狩りを見ることができた私はその幸せに震えが止まらなかった。翌日。今度はミンククジラを追いかけているシャチを見つけた。なぜかその時だけミンククジラを大きく取り巻くように何頭ものシャチが現れた。全部で15頭程はいただろうか。突然、黒い巨大な塊が海面から突き出た。シャチがミンククジラの上に馬乗りになったのだろう。上から覆い被さって窒息させるのはシャチが大型のクジラを仕留めるときの常套手段だ。遠くて詳細は分からなかったが、その後、ミンククジラが浮上することはなかった。そしてシャチ達はまた何事もなかったかのように悠然と泳ぎ続ける。海の生態系の頂点に君臨するシャチにとってはたとえ巨大なクジラであっても一介の獲物、彼らの腹を満たす肉の塊に過ぎないのだ。その残忍ささえ悔しいまでに美しい。「自由」憧れや羨望の気持ちを抱きながら使うこの言葉がこれほどまでに当てはまる生きものを、私は他に知らない。全世界の海を住処とし海生哺乳類随一のスピードと知能を誇り普く全ての海の生きもの達を統べし絶対王者。「自分に由来」と書いて「自由」。彼らは傲慢な迄に自分自身のみに由来する。彼らに足りないものは何もない。彼らを束縛するもは何もない。「自由」という概念を見事に具現化したもの。それがシャチ。自由であることは美しい。彼らが限りなく美しいのは彼らが限りなく自由だからだ。そんなことを考えながら過ぎていく至福の時間。
2009年10月02日
「Tlingit族としての名前が欲しい」カナダ・ユーコン準州に暮らすKeith(クリンギット族のインディアン)のもとを訪れるのは今回で3回目。私は旅に先立ち、Keithに自分の想いをぶつけた。そしてKeithは、私の無謀なリクエストを快く了承してくれた。飛行機のドアが開いた瞬間、空気が変わる。東京から詰められてきた機内の空気は、まるでヘタりかけたバッテリーのようにヘナヘナにぬるくなっている。そこに、急激に流れ込む冷涼な空気。胸いっぱいに吸い込むと、五臓六腑に真新しい血が一瞬で流れ込んでいくように、気持ちが、心が、溶け、同時に震え上がる。ようやく帰ってきた、というのが一番近い感覚だろうか。空港のガラス越し、Keithが大きく手を振っていた。遠くからでも分かる満面の笑みは、47歳とはとても思えない少年のような表情だ。私は高く右手を上げ、ガッツポーズで応えた。ここにはいつ来ても、私の訪問を心待ちにし、温かく迎えてくれる男がいる。そう、やはり私はこの場所に「帰って」きたのだ。2年ぶりの再会。駆け寄ってきて私の手を包むKeithの手は相変わらず骨太でデカい。握り締めると硬く、一瞬で皮の厚さを感じる。幾多のトーテムポールを彫り上げ、同時に、幾多の動物達を仕留めてきた男の手だ。握るだけでこれだけ色々なイメージを湧かせてくれる手を、私は他に知らない。話は尽きない。そして、私は待っていた。彼が私にどんな名前を用意してくれているのかを。しかし、事はそう簡単には運ばなかった。Keithによると、計画は2年がかりだという。来年、Keithの一族がホストとなって行うPotlatch(パーティー)がある。Potlatchでは、死者を悼み、同時に、新しく生まれた者に名前を与える。来年のものは、昨年亡くなったKeithの叔父と叔母を弔うPotlatchで、100人以上が集まる予定。そこで集めたお金で二人の墓標を立てるという。そのPotlatchに私が捧げものをし、そのお返しとしてTlingit族としての名前を貰う、という仕組みだそうだ。捧げるものは肉。今回の旅の目的は、前回同様、狩りだ。仕留めた獲物を献上し、一族の仲間入りをする。ハードルが高い分、「名前をもらう」ということにそれだけの重みがあることも感じ、嬉しさが膨らむ。しかし私がこれまで仕留めたことがあるのは、罠で獲ったSnow Shoe Hare(ウサギ)と、ライフルで撃ったPtarmigan(雷鳥)のみ。前回の旅では、野宿しながらDall's Sheepを3日かけて追ったが、苦汁を飲まされる結果となった。狩りの難しさは身をもって体験している。Keithは、Mountain Goat(シロイワヤギ)を狙おうと言う。白く長い毛並みの毛皮は貴重で、肉もとても旨いらしい。しかし、断崖絶壁を苦もなく行き来きしながら高山の岩場に暮らし、最も狩るのが難しいと言われているそうだ。Keith自身、まだ自分で仕留めたことがない。目指すは今年の夏、KeithがMountain Goatの姿をを何度も見たというMt.Montana。3日間ほど山に篭る装備を整え、ピックアップに乗り込んだ。Highwayを走りながらも獲物が気になり、ずっと山肌を見つめる。すると、高いところに白い点を二つ見つけ、すぐにKeithに報告した。Keithは一目で「確かにあれはMountain Goatだ」と断言。岩陰からも別のMountain Goatが出てきて、親子らしき2頭が2組と、離れてもう1頭の、合計5頭を確認した。この時期、メスは集まり子供たちと過ごし、オスは単独行動をしているという。メスや子供を撃つわけにはいかない。私たちは1頭だけ離れたオスに狙いを定めることにした。入念に荷造りをしたキャンプ道具は全てピックアップに置いていき、日帰りでアタックをかけることとなった。Highway沿いの、比較的登りやすそうな場所から登坂を開始した。風がこちらから獲物側に吹いている。音も匂いも気付かれやすい状況のため、音を立てないように細心の注意を払いながら登る。しかし、砂礫の上に岩が乗ったガレ場が多く、大きな石がガラガラと落ちていく。何度か休憩を挟みながらどんどん高度を上げていく。斜度はきつく、常に三点支持を心がけるが、折角掴んだ岩がボロッと砕けたり、油断も隙もない。下を見た途端に恐怖が襲う。落ちたら冗談では済まされない。下手したら死ぬ。怖さを振り切り、Mountain Goatに近寄ることだけに集中する。上り始めて1時間もすると、Keithが次々と痕跡を発見していく。獣道、糞、見張り場所、岩にこびりついた毛、よくまぁこんなに見つけるものだと感心しながら後をついていく。2時間が経過、ようやくMountain Goatが狙える高度にまでたどり着いた。Highwayから800メートル近くを一気に直登し、標高は1500メートル程度だ。そこからジリジリと獲物に近づいていく。連なる尾根と谷をトラバースしていくのは、直登よりもよっぽど難しく、何度も迂回を余儀なくされた。いよいよ近づいてくると、可能な限り身を低くして進む。そしてようやくKeithが標的を捉えた。すぐに近寄り、恐る恐る岩の陰から覗くと、確かに崖の先端に、それはいた。陽の光を浴び、純白の毛並みが輝いている。しかし、撃つには遠い。一旦崖を数十メートル下り、大きく迂回して次の谷を超え、尾根の稜線から再び覗く。間にもう一つ尾根がある。まだ遠い。立ち上がると向こうに気付かれてしまう。Mountain Goatはこちらを向いている時もあるが、落ち着いた様子でまた草を食んでいたりもする。再び大きく迂回ルートをとって近づくべきか、失敗を覚悟でここから撃つべきか。その時、Keithは大胆な指示を出した。「這って尾根を越えろ。」幸い、目の前に一本の木が立っていた。「この木の陰になるように進め。 決して素早く動かず、ナマケモノのようにノロノロと。 常に這いつくばって。」軍隊経験のない私が体験する始めての匍匐前進。Keithは双眼鏡でMountain Goatの動きを凝視している。小さく短い口笛1回が「止まれ」2回が「また進め」だ。結局口笛は一度も鳴らず、私はたった5メートルほどの距離を移動するのに数分かけ、木の根元に身を潜めた。こんなに緊張したのは久しぶりだ。先に尾根を越えた私がライフルを受け取り、その後Keithも蜘蛛のような四速歩行で尾根を越えてきた。谷間を横切り、再び尾根からゆっくり顔を出す。まだ私たちとMountain Goatの間には尾根があった。しかしこれ以上近づいてはさすがに気付かれてしまうだろうということで、ライフルを渡された。スコープを覗き、標的を探すが、見える範囲がとても狭く、慣れない作業に手間取る。銃身の先端のほうに大きめの石をそっと置き、枕のようにした。完全に腹ばいになり、体を安定させる。そしてようやく、頭を下げて草を食べている白い体に照準を合わせた。狙うのは肺。肺を撃てば、出血が肺に溜まり窒息死する。確実で、苦しむ時間も短時間で済むという。前足の付け根のすぐ後ろ。胴体を三等分して、下から三分の一の部分を、真横から打ち抜かなくてはならない。Keithが距離測定器で距離を測り始めた。尾根の他の部分は距離が出るのに、なぜかMountain Goatの場所は測れない。結局、目測で350ヤード(300メートルあまり)くらいだろう、ということになった。離れた場所から狙うときは、距離は特に重要で、ライフルの仰角を微妙に変える必要がある。Keithは正確な距離を割り出せないことに不安を抱いていた。安全ロックを外し、息を潜めて引き金を引く瞬間を待つ。Keithが「撃て」とささやく。しかし、私の位置からは微妙に岩が邪魔となっている。引き金を引くのを躊躇しているうちに、標的は岩陰へと消えてしまった。Keithが「この隙に、急いでもう一つ尾根を越えよう」と言い出した。確かにそのほうが当たる確率は上がる。狩に出るのは2年ぶり、しかも今回は練習も全くしていないという状態で、この長距離弾を命中させるのはあまりに難しい、という判断だ。確かに正しい。でも、私はこれ以上動くとMountain Goatにどうやっても気付かれてしまう気がしてならず、また、近づいたとしても、慣れないライフルの照準を合わせるのにまた手間取ってしまい、チャンスを逃す危険性も高いと考えた。そして、Keithに伝えた。「ここで撃ちたい。」結局、Keithは私の意思を尊重してくれた。自分も仕留めたことがない獲物を撃つチャンスを譲ってくれ、しかも素人の我儘を聞いてくれたのだ。私はその特別の厚意に感謝して、再び意識を標的に集中させた。どれだけの時間が過ぎただろうか。辛抱強く待っていると、再びMountain Goatが岩陰から姿を現した。Keithが再び囁いた。「今だ。」息をしていたかどうかも分からない。私の意識は照準器の中心にある、真っ白な体に吸い込まれていった。音が遠ざかり、冷えた空気の重みを全身に感じる。気付かないうちに引き金を引いていた。ライフルの台座を当てていた肩に強い衝撃が走り、耳をつんざくような発砲音が山間にこだまとなって響き渡った。そして、遠くのMountain Goatはきびすを返すと走りだした。
2009年09月02日

失敗だ。Keithの厚意を無駄にし、そして、来年名前を貰うという夢も、潰えたのだ。体中からガックリと力が抜けた。Keithになんと言って謝ったらいいのだろうか。しかし、Keithは双眼鏡でMountain Goatの動きを追い続けている。私も逃げていくMountain Goatの姿にもう一度視線を移した。すると、動きが何かおかしい。素早く逃げ去ればいいのに、ゆっくりと歩いている。後足が痙攣しているようにも見える。そしてとうとう座り込んだ。驚いたことに、2年ぶりに撃った初めての銃弾は、350ヤードも先の標的を射抜いていたのだ。いぶかしげにMountain Goatを見つめていた私に、ようやく双眼鏡から目を離したKeithが声を掛けてくれた。「おめでとう。よくやった!」固く交わした握手は、Tlingitとしての第一段階の終了証のように思えた。私は笑っていたのだろうか。それとも、その重責に表情を硬くしていたのだろうか。複雑な思いが交錯する。命を獲った喜びと、命を獲った悲しみ。それは動揺にも似ていた。頭では分かっている。食べるために命を獲ることは、正しいことなのだ。しかしこの感情はなんなのだろう。神々しく輝く純白の美を、私は一つ、この世から消し去ったのだ。「追ってはいけない。死を迎える時間が必要だからしばらく待とう」とKeithが言った。手負いの状態で刺激すると最後の力を振り絞って逃げ去り、結局は回収できないという現実的な理由もあるのだが、私には、それは死にゆくものへの最後の敬意と思われてならなかった。座り込んだMountain Goatは、こちらに顔を向け警戒していたが、やがて頭を上げ、正面を見つめた。同じように私も顔を上げてみると、そこには、美しい雲がたなびき、高く連なる山々の麓に黄色く色づき始めた森、その下には青々とした湖が静かに横たわっていた。生涯最後の景色を、どんな気持ちで見つめているのだろうか。命を奪うものへの憎しみ、天寿を全うできなかった怒りは、最期の瞬間まで渦巻くものなのだろうか。それとも、この景色のように静かに澄み切ったが心で満たされるのか。どこまでも広がる雄大な景色を見ながら、不思議と湧いてくる涙を私は必死にこらえた。私の感傷など、この景色の中でなんの意味も持たず、それを超越したところに、本当に大切なものが存在しているように感じたから。しばらくしてから、我々は仕留めた獲物を回収しに向かった。Keithは万が一、Mountain Goatが逃げ出したときのため、もう一発、弾をこめた。180ヤードまで近づくと、なんと、再び頭を上げてこちらを見ていることに気がついた。そして150ヤード。驚いたことにヨロヨロと立ち上がるとゆっくりと歩き出した。私は一発で仕留めてあげられなかったこと、余計な苦しみを与えてしまった事に、本当に申し訳ない気分で一杯だった。再び轟音が響き、Mountain Goatは岩棚の上を真っ逆さまにと転落していった。Keithがとどめの一発を撃ち込んだのだ。しかし、岩棚の突端、足を踏ん張ってすっくと立ち上がると、こちらを一度見て、岩棚の向こうへと消えた。消えた姿を探し回ったがなかなか見つからない。ずっと下に降りていったKeithが口笛を吹き、私を呼んだ。どうやら、何百メートルも下まで、転落していたらしい。必死にKeithの元へと向かった。気ばかりが焦り、足がもつれる。できるだけ早く降りたいが、転落しては元も子もない。もどかしい時間だった。途中、岩場に転々と残る血痕を見つけた。ドロリとした濃い血だった。私はその血を少し指に掬って舐めた。なぜだか分からない。岩場を転げ落ちたMountain Goatの痛みを私も味わいたかったのかもしれない。 ようやく出会えたMountain Goatは思ったより大きく、ふくよかな体をしていた。折れてなくなってしまった右の角が岩場を転落し続けた衝撃を物語る。私は手袋を外し、首に、顔に触れた。暖かい。ふかふかの毛皮に鼻を埋め、思い切り吸い込むと、土の匂い、しかもどこか懐かしい匂いがした。思い起こすと、田んぼの匂いだということに気付いた。太陽と土と草の香りだ。Keithがショックなことを教えてくれた。実は、メスだったのだ。しかし、オスばかり撃ってはバランスが悪く、たまにはメスも撃つ必要があるのだと慰めてくれた。私が申し訳ない、と言うと、それは命を与えてくれたものに対して言ってはいけないことだ、と諌められた。「これは最早ただの肉だ。」確かにその通りなのだが。体を裏返すと、銃痕があった。あばらは折れ、内臓からは血が少しずつドクンドクンと吹き出していた。私は目を疑った。彼女がKeithに撃たれ岩棚を転げ落ちながらも、踏み留まり、毅然と立ち上がった姿が確かに目に焼きついていたから。こんな重症を負いながらなぜそんなことが可能だったのか。凄まじい力。命とはそんなに強いものなのか。私の命も、果たして彼女と同じだけ力を持っているのだろうか。抱えようとしてみたが、全く持ち上がるような重さではなかった。一体何キロあったのだろうか。Keithによると、100キロは下らないという。足場の悪い急な坂で、獲物を抱えて運ぶのは不可能だ。山の裾まで転がして落とすことにした。背中を押すと、勢いを増しながら転がり落ちていく。首が、足が、有り得ない方向にぐにゃりぐにゃりと曲がりながら物凄いスピードだ。その姿を見ているのはとても辛く、途中、大きな岩に頭が激突すると、思わず「痛っ!」と声が出てしまう。しかし、これはもう、ただの肉なのだ。殺した以上、私はこれを運び、皆に振舞う義務がある。他に選択肢がない以上、突き落とし続けるしかない。私は何度も何度も、岩棚に引っかかって止まったMountain Goatの背を押した。次第に斜度が緩くなり、これ以上転がして落とすことができない場所まで来たため、内臓を取り出して軽くすることになった。ナイフを、仰向けにした胴体の胸骨の最上部あたりから入れ、慎重に下腹部に向かって裂いていく。肛門まで切ると、中心線から左右へと皮を剥いでいき、腹部の肉を大きく露出させた。次に、胸骨の最下部からあばらの一番下の骨に沿って、肉と内臓の隙間に右側だけナイフを入れていく。肛門付近まで開腹した状態で右側の前後の足を持ち上げると、内臓が一気に地面に溢れる。大方の内臓は摘出したが、あばらの内側にはまだ色々な器官が残っていた。Keithは「全ての内臓は背骨にくっついている」という。背骨付近にナイフを沿わせて、更に掻き出す。それでも出ない部分は、肛門からナイフを入れ、直腸を切り抜き、胴体側から腸の先端を引き抜き、作業は終了した。山の裾野の平坦な部分は鬱蒼とした針葉樹の森となっていて、先ほどよりは軽くなったとはいえ、まだ重量のある体を引きずりながら進む作業は苦痛だ。「狩をするまでは楽しみ、そこからは労働が始まる。」というKeithの言葉が身に沁みた。ようやく降り立ったHighway。見上げると既にどっぷりと暮れた空に一面の星が煌いていた。家に戻ると、Keithの彼女のDonnaも合流し、「今日、狩が成功することは、最初から分かっていたわ!」と狩の成功を抱き合って喜んでくれた。血だらけの服を着たままの我々に、彼女が言った言葉が「You guys stink! Good, though!」これほど暖かい言葉があるだろうか。こうして、私にとって非常に意味の深い、長く濃い一日が終わった。体は疲れ果てていたが、心地よい。酷使した体は「道具」としての体。動物を解体するナイフの切れ味がすぐに落ちてしまうように、握力は萎え、膝はガタガタになる。腰も痛い。でも、それはとても正しい気がする。人間の体は、日々の糧を得、充足を得るための「道具」に過ぎないことを思う。道具は、磨り減る。いくらメンテナンスを繰り返しても、いずれは壊れる。この体もまた然り。願わくば、道具としての私の体が、何かの役に立ち、壊れて解体された暁には、きちんと再利用され、自然に帰りますように。そして、今日私が初めて仕留めたMountain Goatの体もまた、皆に幸せをもたらしてくれるよう、きちんと利用させてもらわなくてはならない。狩はまだ、終わってはいないのだ。
2009年09月02日
日本円にして、2,800円弱。 それが、その命の値段だった。 年末年始を、私はアフリカで過ごした。 歓迎の為に催してくれた宴で、 1頭のヤギが犠牲となった。 宴は、家畜市でヤギを選ぶところから始まった。 「オスよりメスが旨い」と彼らは言う。 私が出した条件は、妊娠していないものを選ぶこと。 この時期の市場は活況を呈しており、 ぎっしりと立ち並ぶ人々と家畜たちを掻き分けながら、 私たちは、肉付きのいい、一頭の若いメスを選んだ。 必死に抵抗するヤギの首に縄をかけ、 角を掴んで引きずり、 市場を抜け出した。 ピックアップの荷台に押し上げると 私も共に荷台に乗り込んだ。 腹を減らしたドライバーは、 舗装などしていない 石ころだらけの悪路をものともせず、 猛スピードで川原を目指す。 揺れる荷台の上、 最初は角を振り回し 鳴き叫んでいたヤギは、 やがて運命を受け入れたのか、 次第に静かになり、 遂に倒れるように座り込んだ。 私は、 達観したヤギの 妙に横に長い瞳を見つめながら、 もうすぐ掻き切られるはずの 柔らかい喉をさすっていた。 ヤギは時折 私の目を見据え、 大きく息を震わせては また目をつぶり、 そして、たまに糞をした。 私の掌の中に 命があり、 同時に死があった。 1時間近く走っただろうか。 川原をドスドスと跳ねながら 走っていた車が止まった。 大きなイチジクの木の下には 丈の短い雑草が生え揃った 草床が広がり、 そのすぐ脇には清らかな水が流れ、 ヤギを捌くにはうってつけの場所だった。 ヤギが猛然と暴れだした。 末期のあがきか。 苦労して荷台から下ろし、 縄で四つ足を括り 横倒しにする。 喉を掻き切るのは最年長者の役目、という。 ヤギの命を絶つ覚悟を決め、 その時を待っていた私は 少し拍子抜けの気分にもなったが、 現地のしきたりには逆らえない。 年長者は顎の下に手を差し込むと、 ヤギの頭を大きく後ろに反らせた。 一閃。 この世のもの思えない叫び声が響き、 むき出しの喉から大量の鮮血がほとばしる。 ナイフは喉を縦に首の付け根まで 一気に割り裂き、 更に露わになった太い頚椎に もう一度突き立てられた。 私は跳ね上がろうとする胴体を 懸命に押さえつけていた。 血しぶきが飛んで来るが、 離す訳にはいかない。 ここで怯んでは 死に逝くものがあまりに哀れであり、 離れていく精魂に無礼だと感じていた。 私は持てる限りの力を込め、 断末魔の痙攣を圧した。 ビクンビクンと震える体は 次第に動かなくなっていき、 気道からシューシューと漏れる 呼吸音も聞こえなくなってきた。 目が合った。 そこにはもう苦悶の表情はなかった。 一方的な力関係で、 正当な手段とは言えないかもしれないが、 とにかく、彼女の命は 私たちの為に捧げられたことを知った。 ここからは、私もナイフを持つことを許された。 四肢の膝上にナイフを当て、 クルリと一周させて毛皮に切れ目を入れる。 後足は、そこからそれぞれ内腿の部分を肛門まで、 前足は首の下まで切り裂く。 そして肛門から首の下までを縦に切り裂く。 あとは、肉から皮を引き剥がしていくだけ。 脂肪層と皮の間に丁寧にナイフを当て、 皮に脂肪が残らないように気をつけて切れ目を入れていく。 ある程度切れ目が深くなると、 ナイフではなく、手を使ったほうが便利だ。 皮を片手で引っ張りながら あばらに沿って背骨の方へと手刀を突っ込んでいく。 さっきまで命の宿っていたヤギの体内は 驚くほどに熱い。 しかし今や、不思議と血は全く出ない。 バリバリと音を立て、 面白いように一気に皮が剥がれていく。 果たして人間の皮も 同じように剥ぐことができれのだろうか? そんな疑問が ふと、頭をよぎった。 ある程度皮を剥がしたところで 後足二本をロープで括り、 二人がかりで体を持ち上げ、 一人が木に上って ヤギを逆さに吊るした。 皮を完全に剥ぐと 内臓を取り出していく。 ここからは私にはよく分からない領分だ。 彼らは食べられる臓器、食べられない臓器を 手際よく選り分けていった。 地面に ドンと捨てられた臓器があった。 早速犬が寄ってくる。 食い破られた膜の中から、 二匹の胎児が出てきた。 実はメスは妊娠していたのだ。 一度に三つの命が 私の為に屠られた事を知った。 内臓の処理が終わると、 あばら肉を肋骨ごと切り取り、 前足を切り分け、 背肉を取り、 後足を切り分ける。 最後に首を落とした。 頭も煮込み料理にするが、 眼球は食べない。 ナイフで眼球を抉り出し、 解体の大方の作業は終了した。 喉に、最初にナイフが突き立てられてから 30分弱。 市場で出会った白いヤギは、 真っ赤な肉塊の山と、 一枚の毛皮へと姿を変えた。 その間に、 女達は嬉々として 薪を拾い集め、 火を起こしていた。 皆良く食べ、 よく笑った。 私も貪るように食べた。 こんなに旨い肉を食べたのは 久しぶりだ。 食べ切れなかった肉は、 街に来ていた巡礼者達にふるまわれた。 ヤギは私たちの腹を満たし、 そして心を満たし、 私たちの一部となった。 ヤギを捌きながら、 私は感じていた。 身を捧げてくれる者に対し、 捧げられる側は、 決して怯んではいけない。 するべき時に、 するべき事を、 迷わずにやりぬく。 これができない者は、 身を捧げられる資格がない。 これができなくては、 捧げられた身と一体になれない。 身を捧げられたら、 決意と信念を以て 迷わず切り裂き、 喰らいつき、飲み込むのだ。 1頭のヤギが、 命を投じて私に与えてくれもの。 それは、 血であり、肉であり、覚悟であった。 太陽が沈み始め、 饗宴の時も終わろうとしていた。 地面に放り出されていた 眼球が目にとまり、 私は驚きを覚えた。 草食動物特有、 横長の長方形だった瞳孔が開き、 私の瞳同様、円い。 瞳はどんな動物でも、 本来は等しく円いものである、ということは 何故か私をひどく感動させた。 その時。 ゴロンと転がった眼球の向こう、 アフリカの荒涼とした大地から 巨大な円い月が昇り始めた。 私は眼球と月を交互に眺めながら、 理解した。 ヤギは、 肉は私に食われても、 その精魂は、 より大いなるものに還っていったのだ。 いずれ、私も、還るものへと。
2009年02月15日
ビーチクリーンの翌日、大潮の干潮に合わせて磯遊びに行きました。ムラサキウニ、本当に美味しかった!ウニって海栗って書くんですね。その通り、いがぐりボーズでした。そして、なんとなんと、タコを素手でGET!(くろが左手に持ってるやつね)自分でもびっくりしました。茹でておいしくいただきました。母ちゃんは石ころだの貝殻だの、たくさん拾って上機嫌。そしてなんと、母ちゃんがお弁当のサンドイッチを頬張ろうとした瞬間、まさにその瞬間、サンドイッチをトンビにかっさらわれました。始めて見ましたトンビの技。何が起きたのか、一瞬過ぎて分かりませんでした。いやぁ、すごいです。トンビ。タコ持ってかれなくって良かったです。
2008年05月10日
龍介が旅に出ました。海岸線を歩きながら、ビーチクリーンをして、そのうち日本を一周する壮大な計画のようですが、とりあえずはその第一歩、今回は三浦半島を歩きました。お手製のリアカーを引っ張りながら。興味ある方は、龍介のブログも見てみてください。なのでちょっと一緒に歩いてみました。ゴミ拾い、う~ん、難しい。そんなに「いい事してます!」的にいい子ちゃんなくろでもないですし。波乗りしてるほうが楽しそうだし。でも、まぁ、嫌じゃない。ま、誰かがやったほうがいいのは確かだし、たまには俺もやろうかな、みたいな。捨てられたゴミも、意図的に捨てたものじゃないかもしれんし。意外に夢中になったりもして。海見てるだけでも楽しいし、野宿も楽しいし、一緒に歩いて良かったです。海、山、誰の場所でもない = 自分の場所でもある。って意識が、ない人が多いのかもしれませんね。誰も自分の部屋には吸殻捨てませんもんね。でも、意外に、「ご苦労さま」って言ってきてくれる人が多かったり。「このゴミもいいですかぁ」なんて拾ったゴミ持ってきてくれる人もいたり。そんな人には、思わず二人で「ありがとうございます」って言っちゃったりするのは、なんかいい感じです。ま、ビーチクリーンをしている龍介を見てちょっと周りのゴミを拾ったりする人がいるだけでも、龍介がビーチクリーンをしている時間だけでも、周りの人がゴミを捨てなかったりするだけでも、意味があるんだと思います。明日ってか今日、5月11日(日)は、龍介が横浜FMにちょいと生出演するみたいです。We love SHONANという番組、午後1時くらいから、聞ける人は聞いてみてくださいねー。
2008年05月10日

物々交換で帽子をゲットしました!帽子作家の友達、"桜"が、くろに合う型と色を選び、サイズもぴったりに、すっごくかわいい帽子を編んでくれました。桜の帽子は、全て、一点もの、桜が一つ一つ、自分で編んだものです。素材は桜が選び抜いたヘンプ、ネパール産の毛糸です。ちぃちゃめのつばが桜の帽子のトレードマークで、いい感じです。実はこの物々交換、先にブツをあげたのはくろのほうでした。「桜」のデザインを二人で考え、それをハンコに彫ったのです。いやぁ、物々交換、楽しいです!センスや技術を駆使するのも楽しいし、なんといっても、誰かのために何かを作る喜び、誰かが自分のために何かを作ってくれる喜び、両方味わえて最高。幸せな時間です。やっぱ、一番大切なものってお金じゃ買えないもの。そして、さらに嬉しいことが!帽子の裏を見ると…"桜"のタグがっ!くろのハンコを、タグにしてくれたのです。タイの工場に、桜が自ら足を運び、特注でつくったタグ。これから"桜"ブランドの帽子の、新しいトレードマークになります!あーーー嬉しい!"桜"の帽子は、いろんなフェスティバルで桜自身が売っています。(先週末は代々木公園のアースデーに出店)興味ある人は、くろにメッセージ下さいねー。
2008年04月22日
「いい嫁でした」というのが口癖のおばあさんがいた。親父がボランティアで老人ホームの痴呆症のおばあさんの話し相手をしてあげていた時の話。事あるごとに「いい嫁でした」と感慨深くつぶやくおばあさん。親父は、おばあさんの息子さんは、よっぽどいいお嫁さんをもらったんだろうなぁと思っていたそうだ。しかし、老人ホームの職員に聞くと、実は、おばあさんにお嫁さんはいなかったという。それでも、おばあさんは、「いい嫁でした」という言葉ばかりを繰り返す。そこで親父は、はたと思いついたそうだ。実は、おばあさんが「いい嫁でした」と言っていたのは、自分の事を言っているのではないか。男尊女卑の激しかった明治・大正世代。厳しい仕事を強いられながら、ひたすら耐えるだけ。誰にも褒めてもらえなかった人生。そんな人生を、このおばあさんは送ってきたのではないか。人間、生涯は一回きり。辛い運命であっても、取り替えることはできない。でも、人間誰しも、自分の事を否定はしたくない。それが、辛い過去を振り返り、自分で自分の事を褒めてあげている、「いい嫁でした」という言葉となって現れたのではないか、というのが親父の解釈だ。もし、親父の解釈が当たっていたとすれば、おばあさんは、本当に、いいお嫁さんだったのだと思う。人生の最後に、自分の人生を肯定できることは、幸せだ。でも、おばあさん、本当は、愛する人に「いい嫁でした」と言って欲しかったんだろうなぁ。
2008年03月31日
親父が言ってた。「100点より、満点を取れ。」どういうことかというと、100点は、試験の結果。でも、たとえ試験の時点で100点取れなくても、間違えたところを見直して、なぜ間違えたかが分かったら、その時点で満点。すぐに100点を取ってしまうより、満点を取るヤツの方が、苦労の分だけ、物事がより身についている、という話。ま、当たってるかもです。
2008年03月31日
3年ぶり?に会った親父は、思ったより老けていなかった。俺にとって反面教師でありつづけた男、そして、俺のことを「冷たい息子」といい続けた男、それが俺の親父だ。75歳になる親父は、小説家になる夢を未だに追い続けている。これから全身全霊で、人生の集大成となる本を書くという。「俺は天才じゃない。 だから自分の体験に基づいたことしか書けない。 お前のことも書く。母さんのことも書く。 自分が、家族に対して感じてきたことを正直に書く。 お前や母さんが、読んだらショックだったり、 不快に思うであろうこともとことん書く。 それを言っておきたかったんだ。」親父は、俺に会いにきた理由をそう説明した。複雑な思いもあるが、嬉しかった。昔の記憶が蘇った。俺が高校一年生の時、親父が私小説を書いた。小説の中では、親父は愛妻家であり、お袋は親父のことをとことん愛し、俺は親の愛を一身に受け、親を愛する息子だった。現実から目を逸らし、世間体を気にし、作品を創る事と嘘をつくことがごちゃまぜになった吐き気を催す小説だった。俺は、高校の作文の授業で、その親父の小説の話を書いた。「夢を追い続け、遂に形にした父親を尊敬している。 いい作品だと感じた。」作文に感動した先生は、俺の作文をプリントにして色々な人に配った。小説の中に書かれた家族の姿が虚像であるのと同様、俺の作文も嘘の塊だった。ある意味、親父と俺は似た者同士だ。親父が全てをかなぐり捨て、綺麗なものも汚いものも全て作品の中でぶちまけた時、その時、初めて俺は親父の生き方を理解できるのかもしれない。親父の人生に残された時間はもう、そう長くはないだろう。頑張ってほしい。半端なものはもう書くなよな。正直、親父は嫌いだが、悔いのない作品を、親父なりの人生の全うを、見せてほしい。今は、素直に、そう思う。
2008年03月27日
横浜で見つけました!(バックはランドマークタワー)また今年も春がやってきました。やったぁ!!
2008年03月23日
しつこいようですが、シロクマではありません。「白い」クロクマです。えー、これも内輪です。ななえちゃんが描いてくれました。うれしかったぁ。白いクロクマの双子ちゃんです!うれしかったぁ。ありがとね!!!そして、Cafe マメヒコのみなさま、いつもいつも、ありがとうです!
2008年01月28日
こないだ、お誕生日会をしてもらった時のケーキです。分かる人だけ、分かってくれればいいです。さとちゃんとは、6年ぶりに一緒に誕生会しました。同じねずみ年、同じ1月21日生まれです。う~ん、感慨深い!!ホント、ありがとう!!!
2008年01月28日
北海道は小樽のコーイチん家に来ました。30年前に、北海道大学の物理学者が建てたドームハウスです。家全体が一辺1.8メートルの正三角形を組み合わせて作られています。薪ストーブだけで家全体がぽっかぽかになります。巨大な窓の向こうは冬の海が広がります。こんな風景の中で毎日暮らすってどんな気分なんでしょうか。で、コーイチに聞いてみたら、「チャンピオン!チャンピオン気分だ!ンオオオ!!!」ということでした。そして、今日はマイマザーの74回目の誕生日です。今、一緒に海を見ながらみかんを食べてます。かぁちゃん、お誕生日おめでとう!ずーっとずっと、長生きしてな。
2008年01月05日
夜景を見るとこんな感じ?六本木ヒルズ展望台からの夜景です。森美術館で開催中の「六本木クロッシング展」に行ってきました。新進気鋭の作家達の作品は斬新で面白かったです。(刺身魚拓とか)会期は14日までですが、機会があれば是非!
2008年01月03日
みなさま、あけましておめでとうございマウス。年男となった、くろでチュー。くろが年男になったということは、横井庄一さんが発見されてから、パンダのランラン・カンカンが日本に来てから、和田あき子が「あの鐘をならすのはあなた」を歌ってから、あさま山荘事件が起きてから、沖縄が日本に復帰してから、36年が経った、ということになります。あっという間の36年の気もするし、すごーく昔の気もするし。ま、今年もがんばっていきまっしょい!昨年は年間100日以上を海外で過ごしました。今年はどんな1年になるのか、楽しみです。大晦日は、「ハッスル」そして、「やれんのか2007!」初めて大晦日に生で格闘技を見に行きました。三崎、男でした。最高!柔道最高!では、今年もよろしくです!
2008年01月01日

週末、某所、某洞窟の、シークレットRAVEパーティーに行ってきました!すっごく、いい! 洞窟でした。岩の突起には全て細かくろうそくが灯され、ゆらゆらと揺らめいています。洞窟の天井には、平面のスクリーンでは表現できない、不思議に有機的な幾何学模様が映し出されます。脳内ドラッグ出まくりのビートに乗って、みんなでジャンベ叩きまくって、飛び跳ねて踊りまくって、朝までトリップでした!そして、翌日午後、フラフラと起きだしてまた洞窟に行ってみると・・・まだテンションぜんぜん下がってねーっ!!誰も帰ってねぇーっ!! 写真では光が明るすぎてぶっ飛んでますが、光の向こうは、まんま、真っ青な海です!サイコーな洞窟、サイコーなレイブ、オーガナイザーSEIGO、脱帽!Respectですっ!!!
2007年12月18日

沖縄に行くたびに会いに行く人がいます。農連市場のキクおばぁです。今年で81歳です。 毎日、朝5時から午後2時過ぎまで、きっちり働いています。市場で一番のチュラカーギー(美人)だとくろは思います。 キクおばぁは、ペルー生まれです。日本に帰ってきてからは、親戚中をたらい回しにされて子供の頃から重労働を強いられました。県民の3人に1人が亡くなったという沖縄戦を生き抜きました。女手一つで子供達を立派に育て上げました。キクおばぁの笑顔を見ていると、そんな厳しい人生を送ってきたのが信じられません。とっても強い人だから、人一倍苦労してきたから、だからあんなに優しい笑顔で笑っていられるのだと思います。初めてキクおばぁと仲良くなったのは、くろは一緒にマーミナー(本土の言葉では「もやし」)のヒゲむしりを手伝った時です。 巨大なバケツ一杯のマーミナー。27キロあります。二人で1時間以上かかってヒゲをむしりました。色々な話をしました。以来、キクおばぁは、くろの大切なおばぁになりました。 今回は、一杯350円の、市場の沖縄そばをおごってくれました。お金を払う、と言っても、絶対に受け取ってくれません。沖縄に行くと、必ずキクおばぁの顔を見に行きます。そして、キクおばぁに会うたびに、くろは、自分をリセットして、原点に立ち返る事ができます。おばぁ、ありがとうね。いつまでもいつまでも、元気でね。大好きだよ。
2007年12月17日

農連市場の自販機です。2段目、ちょっと変わった飲みものが売っています。よく見ると・・・なんじゃそれ?しかも50円かい。安っ!こちらは・・・お茶が出なかったときは、喜ぶべきなのでしょうか?落ち込むべきなのでしょうか?さすがは、てーげーなオバァたちが取り仕切る農連市場。設置されている自販機もすごいですね。つわものオバァたちの元気な高笑いが聞こえてきそう・・・。
2007年12月16日

沖縄で、くろが、ある意味一番ディープだと思っているのが「農連市場」です。沖縄中の野菜がここに集まります。那覇近郊だけでなく、遠くやんばるからも、オバァが自分で野菜を持ってきます。夜12時過ぎくらいから活気付き始め、朝8時くらいになると、もう人があまりいなくなります。70歳くらいまでの女性は、ここではオバァでなく、ネェネェ呼ばわりです。それぞれのオバァたちが、自分達のカラーを全開に出して野菜を売っています。農連市場は、とっても人間臭い市場です。建物はすべてバラックのようです。初めてこの市場を訪れたときは、とてもここが日本には見えませんでした。まるで、東南アジアの水上マーケットを見ているようでした。今も、古きよき沖縄の面影を色濃く残す、数少ない場所です。くろが沖縄を去った5年前は市場を全て取り壊し、マンションが建つ計画が進んでおり、図面までできていましたが、その後資金繰りの問題からプロジェクトは頓挫、今も農連市場は沖縄県民の胃袋を支えています。元気なオバァたちが活躍する姿を見ると、ほっとするし、自分の心の中にも力が湧いてきます。大好きな農連市場、いつまでも残って欲しいです。
2007年12月16日

沖縄に行くと必ず訪れる、大好きな場所です。沖縄北部やんばるに突き出した本部半島の先端。備瀬のフクギ並木の、並木の細い隙間から見える、きらめく美ら海が大好きです。備瀬の集落には、フクギの並木が碁盤の目のように並び、一軒一軒の家は、そのフクギに守られ、建っています。フクギのおかげで台風から免れ、子供達はフクギの葉っぱでぞうりを作って遊んで育っていきます。薄暗いフクギ並木を出た瞬間に照り付ける沖縄の太陽。そして、青い、青い、海と、その向こうに伊江島が浮かびます。何度訪れても、決して飽きることのない、大好きな、瞬間です。そして、尊敬する人との再会。沖縄、最高です。
2007年12月14日

沖縄の小学6年生120人に、特別授業をする機会をいただきました。こんなくろの拙い話を、みんな、目をキラキラさせながら、1時間、ずっと聞いてくれました。くろも、夢中で話しました。とても幸せな時間でした。みんな、本当にいい子だよ。ありがとう。いっぺーいっぺーにふぇーでーびたん。
2007年12月14日

コーイチ & あいちゃん君達の前途に、幸多からんことを!親友として心からお祈りしております。本当に、おめでとう。嬉しいよ。幸せにな。あー、どすこいどすこい!! っあー、こいこい!! コーイチの蒔く種が、世界中に花を咲かせますように!ドングリのイメージ、コーイチが新芽を愛でているイメージで彫らせていただきました。本当におめでとう!!
2007年12月14日
エチオピアに赴任した我らがテッピィが、ブログを開設しました!ぱちぱちぱちぱち!アフリカとキリスト教が融合し、更にはレゲエの神様の国、エチオピア。しかも、てっぴぃが暮らしているのは、世界遺産の街、ラリベラ。う~ん、面白いことになりました。てっぴぃの体当たりレポートにこれからも期待大ですっ!みんなもどんどんのぞいて、書き込みしてあげてください!っぁああ こいこいこい!!!http://ethiopia-lalibela.cocolog-nifty.com/blog/
2007年11月26日
カナダのチムシャン族の村で、Talking stickを見つけました。Talking stickは、インディアンの杖ですが、歩くための杖ではありません。インディアンが話し合いを開くとき、この杖が会場を回ります。杖を持った人が気が済むまで発言し、その人が話している間は、他の皆は全員、きちんと話を聞かなくてはなりません。そして発言が終わると、杖は次の人に手渡され、話し合いが進んでいきます。全員の意見をしっかりと出し合い、その意見にしっかりと耳を傾けるためのインディアンの知恵、それがTalking stickです。ワタリガラスやシャチ、サケや人間などが彫られているこのTalking stickは、ある父親から、息子へと受け継がれたものです。以下はTalking stickを息子に託した時の父親の言葉、亡くなる少し前に、父親が杖とともに息子に残した言葉です。<くろの訳>我々の祖先はとても大切な伝統を残してきた。知ってのとおり、我々の文化は口承文化であり、我々のおきて、Ayoux(分かりません、誰かどんな意味だかご存知ですか?)、我々の物語、そして進むべき道は、長老達、チーフたち、そして母系家族の話し合いで決められてきた。彼らはひたすら話し、もう何も言うべきことがなくなるまで話し、そして話し合いが終わったとき、道は定まり、我々は力を合わせて、正しいやり方で物事を推し進める。私がお前に託したいのは、その話し合いのために使う道具、我々が"Talking stick"と呼ぶようになった杖だ。わが息子よ、私はこの杖をお前にあげよう、私のTalking stickを。お前が世の中に出てきちんと話しをすることができるように。話すときはしっかり自分の順番を待ちなさい。そして思慮深く話しなさい。お前の、ひいおじいさん、ひいおばあさん、おじいさん、おばあさん、そしてお前の母親と私、特にお前の母親がお前に教えたことをいつもと思い起こしながら話すのだ。心と魂の中に、お前の愛と、我々の教えてきたことをいつも持っておきなさい。お前の話を聞いた人たちに、お前が私達みんなの想いを継ぐ者として話していることが伝わるように。お前がこの杖を使うことになり、この杖を握るとき、それは、私の手を握っているのと同じだ。お前の心の中にはいつも私がよみがえるだろう。そしていつの日か、お前もこの杖を、若き話し手に譲るときが来るだろう。そのとき、しっかりと伝えなくてはならない事がある。我々のおきて、真実、道を話すときは、大いなる責任と、大いなる必然性をもって話さなくてはならない。世界と同胞達に、我らチムシャン族の力と強さと知恵が伝わるように。さあ息子よ、この杖を、お前に託そう。<原文>Our ancestors have passed down a tradition to us that is very important. As you know ours is an oral culture, where our laws, Ayoux, our stories, and our business is determined by our elders, our Chiefs, and our Matriarchs conferring together. They talk and talk and talk until there is nothing left to say, and when the talking is done, the path is determined and collectively we move forward, the right way.What I want to give you is and instrument for that talking that we have come to call the Talking stick.My son, I give this to you, my talking stick, so you can go into the world and speak -speak in your turn, and when it is your turn speak wisely- remember always what your great grand parents, your grand parents, and your mother and I, especially your mother, has taught you.Carry your love and our teachings in your heart and your soul, let those who hear you know you speak with our authority.When you have occasion to use this talking stick, when you hold it, it will be like you are holding my hand, and you will remember me always.Some day you will give this stick to another young speaker, and whey you do, pass it with this understanding - that to speak our laws, our truth, our ways is to speak with great responsibility, and with great necessity, so that the world and your fellow humans will know the power, the strength, and the wisdom of the Tsimshian people.This talking stick is for you, my son.
2007年11月25日
今日、みつけた話。========メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。 メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。その魚はなんとも生きがいい。それを見たアメリカ人旅行者は、旅行者:「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」漁師:「そんなに長い時間じゃないよ」旅行者:「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。 おしいなあ」漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。旅行者:「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」漁師:「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。 戻ってきたら子どもと遊んで、 女房とシエスタして。 夜になったら友達と一杯やって、 ギターを弾いて、歌をうたって… ああ、これでもう一日終わりだね」すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。旅行者:「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、 きみにアドバイスしよう。 いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。 それであまった魚は売る。 お金が貯まったら大きな漁船を買う。 そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。 その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。 やがて大漁船団ができるまでね。 そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。 自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。 その頃にはきみはこのちっぽけな村を出て メキソコシティに引っ越し、 ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。 きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」漁師:「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」旅行者:「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」漁師:「それからどうなるの」旅行者:「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」と旅行者はにんまりと笑い、旅行者:「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」漁師:「それで?」旅行者:「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、 日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、 奥さんとシエスタして過ごして、 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、 歌をうたって過ごすんだ。 どうだい。すばらしいだろう。」
2007年11月07日

弟にして、親友にして、ちょっと(かなーり)尊敬しているてっぴぃが、本日、エチオピアに旅立ちました!エチオピアで、援助の水事業などを行っている現地事務所の所長としての3年任期の赴任です。がんばれ、我らがてっぴぃ!!!!ということで、皆で、成田空港まで見送りに行きました。りゅうちゃんと、つよしと、おかあさんと、皆でてっぴぃ活躍を祈りつつ、送り出しました!がんばれてっぴぃ!あかちくんが、すっごくいい言葉をてっぴぃに送りました。”Don't worry, Be Teppie!!”そう!その通り!!エチオピアで一人、色々と大変なこともあるとは思うけど、てっぴぃらしく、てっぴぃの信じたことを貫いてきてください。友の旅立ちに寄せ、くろも、ハンコを彫りました。ハンコも、てっぴぃと一緒にエチオピアに旅立ちました。幸運のハンコなので、いい運気をもたらしてくれるはずです。がんばれてっぴぃ!Be Teppie!!!あー、どすこいどすこいっ!あー、こいこいっ!!おまけ、おふくろを、大好きな奥日光の森に連れて行きました。紅葉は終わりかけてたけど、でも、今まで日光で見た中で、一番立派な雄鹿を見ることができました。おふくろに見せることができて、本当に良かった!かぁちゃん、またいつか行こうね!
2007年11月06日

秩父を歩いていたときのことです。夕方に入ったコンビニ、ヤ○ザキストア。気さくなレジのオバちゃんと(すみません、お姉さんですね)「あんたら、どこから歩いてきたの?」「どこまで歩くの?」「なんで歩いてんの?」なぁんて話をしているうちに、だんだん仲良くなってきて、だんだん日が暮れてきちゃいました。すると、だんだんお客さんが集まりだし、都会と違い、このへんの人たちは皆、知り合いなので、なんだかいい感じになってきました。そのコンビには、レジの横に「イートインコーナー」という、机とベンチがおいてある一角があり、地元の人たちのたまり場になっているようなのです。「今月の俳句」みたいな色紙も貼ってあり、「イートイン コーナー満席 年の暮れ」なぁんて俳句も貼ってあったりして、その俳句のまんまの状態になってしまいました。そして、んんん? ウィスキーのボトルがやおら出てきて、人数分の湯飲みも出てきて、カップラーメン用の湯沸しポットでお湯割がどんどん作られ、みんなに振舞われていきました。しかもボトルには、名前がマジックで書いてあります。それってボトルキープじゃん?え?ここってスナックじゃないでしょ?普通のコンビニでしょ?なぁんて疑問はどうでもよく、酔って語っていい気分!そのうち、コンビニのオーナーの大盤振る舞いが始まり、お手製の漬物や、山奥で釣ってきたヤマメの燻製、そして、取っておきのおつまみを頂きました。 揚げたての蜂の子です。キイロスズメバチの幼虫で、長さは3~4センチほど、その大きさにびっくりです。 味は、誇張なしに、とっっっっってもおいしく、成長段階の未熟な白い幼虫は濃厚な松の実を食べているように甘くコクがあり、もうすぐ成虫になろうとする段階の黒い幼虫は川海老のてんぷらを食べているようにサクサクといい歯ごたえでした。たまたま東京の大学から帰ってきたオーナーの息子さんも宴会に参加。 なんと、小学生のときのクリスマスプレゼントは…オーナーが撃ってきた鹿一頭だったそうです。いやーホントすごい!これぞホントのプレゼント、これぞホントの教育、というものではないでしょうか。ちょっと寄るだけのはずだったコンビニで、思いもかけない大宴会が始まり、次々と地元の色々な人が立ち寄って、色々な話を聞かせていってくれました。皆様も、秩父にお越しの際は、大野原駅近く、国道140号線沿いのコンビニ、ヤ○ザキストアに、是非是非お立ち寄りください。まちがいなく、日本一楽しいコンビニですっ!! 秩父、恐るべし!あー、どすこいどすこいっ!っあー、こいこいっ!
2007年11月05日

群馬を歩いているときのこと。石(庭石とかにする立派な石ね)の産地らしく、色々なところに石を売っているお店があります。巨大な石が、広大な敷地にごろごろしていて、壮観です。よく見ると、石には値段が貼ってあります。高さ2.5メートル、横幅1.8メートルほどのこの石の値段は・・・これって高い?安い?そりゃ、庭石ってどこかで買ってくるものだとは思ってたけど、改めて値札付で売られていると、なんだか新鮮な驚きを感じました。小っこい石は5000円くらいのもあったし、大きな石では75万円ってやつもありました。でも、やっぱり決めては大きさだけじゃないようで、同じサイズの石でもかなり値段が違ったりして、でも、なんとなく、「確かに、この石は高くても『買い』だな」なんて思っちゃったりして、歩いているうちに結構石を見る目が養われました。なんの役にも立ちそうにないけど・・・。更にびっくりしたのがこの看板。どーやって盗むんだよ、こんな重いもん!恐るべし群馬!あー、どすこいどすこいっ!っあー、こいこいっ!
2007年11月05日

週末、世界中を歩いて木を植えている環境活動家、コーイチ君と、種まきウォークに参加しました。コーイチ君一行は、群馬を出発し、11月11日に芝公園で行われる「土と平和の祭典」を目指して植樹や講演などをしながら歩いています。 皆で秩父の美しい山の中を歩き、皆でにぎったおにぎりを食べ、色々と語り合いながら歩くのは本当にいい時間でした。う~ん、なんか月並みな日記。でも、1日20キロ以上の行程を、サンダル履きでスタスタと歩いちゃうコーイチに脱帽でした。水筒の水がなくなると、勝手に民家の水道で、こっそり(ってか堂々と)水を入れちゃうコーイチには更に脱帽でした。くろが参加した初日の夜、とある公園で野宿しました。野宿だとは知らず、寝袋も何も持っていかなかったのですが、まぁ、なんとかなりました。びっくりな事に、その日はなんとコーイチのバースデー。コーイチはくろより一足先に36歳になりました。野宿していたのが昔のお城跡、ということもあり、兜をかぶせてハッピーバースデーの歌を皆で歌い、パン屋さんがコーイチのために焼いてくれたケーキを食べ、飯ごうで炊いたご飯と味噌汁と、マカロニサラダで誕生日を祝いました。こじんまりとしつつも暖かなパーティーでした。 それにしても36歳にしてこのヒッピーぶり、やっぱ真似できません。グレイトです。実は、コーイチの奥さんは妊娠中、大きなお腹を抱えながらも車で伴走し、炊き出しをし、野宿の場所を探し、苗木を運び、すごーーーーく大活躍をしています。すごーーーーーくよくできた奥さんです。しかも、今回のウォークには、更にもう一人妊婦が参加! と思ったら、あかちくん25才でした。 それってあまりにメタボっしょ。やばいよ、あかちくん。ってか、ヒゲのほうがやばいけどね。あー、どすこいどすこいっ!っあー、こいこいっ!
2007年11月05日

勢いで泳ぎすぎてへばっているバカ親子です・・・。みんなただのガキです。洞窟で野宿しました。つよしとてっぴぃ、なんかかっこよく見えるけど、ただの誤解です。でも、夜景は綺麗でした。朝、外から見るとこんな感じです。更に遠くから見ると、こんな感じ、崖の真ん中にある洞窟、分かりますか?おまけ江ノ島に不振な白い物体発見!ぐぐると・・・さすがは Google Earth!!さて、しばらくいなくなります。ブログもお休みです。(ってもともとそんな書いてないけど)一ヶ月ほどでもどります。みなさま、お元気で!またお会いできる日を楽しみに。
2007年09月10日

多摩川でバーベキューしました。20人の若者に混じり、73歳のおばあちゃん。短パンTシャツの若者達が次々と川に飛び込んでいく中、何を考えたのか、おばぁにしてはプチおしゃれな、スラックスにサマーニットの格好のまま、知らないうちに川に入ってきました。案の定、若者に泳ぎ方教えてました。案の定、年甲斐もなくバタフライしてました。案の定、めがね、川の中で落としました。必死で探してたので、息子が拾ってあげました。母ちゃん最高!アンタの息子で良かったぜ。俺も、73歳になってもアンタぐらいFunkyでいたいよ。追いつけるかな、がんばるぜ!
2007年08月25日

ユーコンに行くと、橋にはこんな看板が立っている。「整備はしていないので、 自己責任で渡ること」橋を渡りたくない人は、自分で浅瀬を探し、川に車を乗り入れてを渡る。それはそれで、リスクがある。もし、日本の橋にこんな看板が立っていたら、色々な人が目くじらを立てて建築者を責め、行政を責め、国を責めるだろう。でも、ユーコンの橋だろうが、横浜ベイブリッジだろうが、瀬戸大橋だろうが、どんな橋でも、本当は、渡るときには腹をくくらないといけないのだろう。どんな立派な橋でも、人間が造ったものである限り、いつかは崩れる。それこそが、世の理なのだ。
2007年08月16日
キャンプサイトのそばには、たくさんのグリズリー(ヒグマ)の足跡と糞があった。料理をしているとき、寝るとき、常にライフルは手の届くところにおいてある。Keithがキャンプサイトを離れるとき、自分の身をどう守るかを僕に教えてくれた。「まずは、慌てるな。 クマは急には襲ってはこない。 立ったままライフルを撃つな。 必ずひざまずいて撃て。 なるべくなら殺すな。 一発目は頭上すれすれを狙え。 撃ったらすぐに次の弾を装填しろ。 そしてゆっくりと動きを見守れ。 逃げないようで、あくまでも襲ってきそうだったら、 撃ち殺す覚悟を決めろ。 すぐには襲ってこない。 周囲を歩き回っているうちに体が真横を向く瞬間を待て。 脇の下のすぐ後ろを狙え。 そこに肺と心臓がある。 撃ったら追うな。 手負いのクマは危険極まりなく、しかもどこまでも逃げる。 追わなければ、少し逃げたところで倒れこみ、動けなくなる。 必ず、20分は待て。 クマがゆっくりと死を迎える時間を、 20分は与えてあげるんだ。 これは、全ての基本だ。 ムース、カリブー、ドールシープ、どの動物も変わらない。 撃ったら20分、 死を迎える時間を与えるんだ。」
2007年08月14日

Donnaです。くろが知っている限り、最もワイルドな女性の一人です。薬草や、食べられる植物のことは何でも知っています。ちょっと散歩して集めてきてくれたキノコは、本当に美味しく、コクがある味でした。Donnaはいつも裸足です。 靴を履くと足がとても気持ち悪いそうです。山の中、川の中、どこでも平気、一日中、裸足で過ごしています。そんなDonnaが、唯一、靴を履くときがあります。スーパーに買い物に行くときです。「公共の場では服と靴を着用しなくてはならない」というカナダの法律があるため、嫌でも履かざるを得ないんです。それでも、靴が大嫌いなDonnaは、車から降りて、駐車場を歩いている間はまだずっと裸足で、靴を手に持っています。自動ドアの目の前まで来ると、ちょっとため息をついてめんどくさそうに靴を履き、中に入ります。「筋金入り」ってこういうことを言うのだと思います。
2007年08月12日

Keithが「Free Store」に行こう、と言う。地域の人たちが不要なものを持ち寄り、必要なものを持っていく、Recycle Centerの事だった。広めの駐車場くらいのスペースにいくつかの小屋が建っている。通常のリサイクル小屋、 服の小屋、家電製品もろもろの小屋、 いくつかの「専門店」が存在する。地域の人たちが頻繁に利用し、かなり機能しているようだ。普通の人たちが、普通にできる、いいアイディアだと思った。ユーコンにはたくさんあるらしい。「先進国」ってなんだろう。
2007年08月12日

珍味、ビーバーをいただきました。これ、尻尾です。焚き火に鍋をかけて、グツグツと数時間煮込みます。 食感はモチモチとしていて、100コラーゲン!!!といった感じです。かな~りウマいです。 肉も、遠火でじっくりと2~3時間焼きます。これは、かなりクセがありました。現地で言う「Strong」な感じです。 トナカイやヘラジカの角は、袋角になっているときは、先端はスポンジ状になっていて柔らかく、さきっちょだけは食べられるそうです。知りませんでした。 Keithに作り方を教えてもらったインディアンのパン、「Bannock」です。薄力粉 2カップベーキングパウダー 2さじブラウンシュガー 2さじ塩 2つまみをよく混ぜ、次に冷水を入れて、あまりゆるくならない程度に混ぜます。お好みでレーズン、ドライフルーツ、チーズなどを入れてもOK。フライパンに多めに油をいれ、揚げます。出来立ては本当においしいし、とても簡単です。是非お試しください。目からウロコだったのが、「Campfire Coffee」フィルターなしでもレギュラーコーヒーが淹れられます。 焚き火に鍋をかけ、沸騰したお湯にレギュラーコーヒーを多めに入れます。しばらく煮立てたところで火から下ろし、少しだけ水を入れると、コーヒーの粉がスーッと沈んでいきます。その上澄みをゆっくりとカップに注いで出来上がりです。アウトドアならではのコーヒーが楽しめます。お茶も、そのあたりに生えている草木を煎じてとてもおいしく、体にも良いお茶が淹れられます。 これは、「Spruce Bud Tea」トウヒの新芽を摘み取り、沸騰したお湯に入れます。 これは「Labrador Tea」葉っぱを煮出すのですが、花が咲いている時期には、花ごと入れてもいいそうです。 これは「Caribou Weed」鮮烈なスーッした香りがある葉を使います。Lablador Teaとミックスしてもいいそうです。 「Balsom」別名「Alpine Fir」(モミの一種?)の樹皮は、とても濃厚かつすっきりとした爽やかな香りのお茶が入ります。すごくおいしいです。体全体を浄化する効果があるそうです。 この時期、Balsomの幹には小さな瘤がたくさんできています。中は、樹液がたっぷり詰まっていて、指でつぶすと、すごい勢いでピューッと飛び出します。ものすごくいい香り、森の香りがします。ワセリンと混ぜて顔や手に塗るクリームにしたり、また、切り傷にはこの樹液を塗り、ムースの皮を貼っておくとバンソウコウ代わりになるそうです。傷が治ると、自動的に剥がれ落ちてくれるといいます。 これはキノコ、「Puff Ball」です。一見マッシュルームのようですが、食感はハンペンが一番近いです。 中が白いうちは食用、黄色くなると、液をしぼり、火傷に塗るといいそうです。 そこら中に咲き誇る「Fire Weed」は、文字通り、山火事などの跡に大発生する草です。火事でなくても、道路際や、森の少し開けたところなど、日当たりのいい場所にたくさん咲いています。新芽は赤い色をしています。まだ葉が開いていないものは、生でよし、茹でてよし、炒めてよし、一番手軽に手に入る野菜です。料理にはトウヒやモミなど針葉樹の薪は樹液(ヤニ)が多く、煤がたくさん出てにおいもつきます。ヤナギやハンノキなどの広葉樹の方がヤニが少なく、また燃えた後もいい炭になってくれているので、煮炊きには向いているそうです。雨の中で火をつけるには、乾燥した焚きつけが必要です。燃えやすいトウヒの、立ち枯れしている木を探し、幹に近い部分の濡れていない枝先を折って使えば大丈夫です。Keithと一緒にいると、本当に学ぶことばかりです。
2007年08月11日
翌日、僕たちは別の山を日帰りでアタックすることにした。Mt.Skukum、ふもとには金鉱があり、そこに働く男たちが毎日、ドールシープを目撃しているというのだ。最小限の荷物で、必死に登る。斜度は、場所によっては45度を超えていた。足場も悪く、軽く命がけの登山だった。酸素は薄く、すぐに息が切れる。「あそこまで上れば、この斜面を登りきるのだろう」そう思ってそのポイントまで進むと、必ずその先にまた延々と斜面が続いている。ちっぽけな自分。この急斜面を、ドールシープたちは軽々と駆け抜けていくのだ。自然の中で、人間とはどれだけ不器用な生きものなのだろう。標高差500メートルを一気に上った。山頂のあたりは、また比較的平らな草原が広がっていた。そして、遂に、出会うことができた。ドールシープだ。9頭の群れ、1頭はオスだ。キースがそのオスに狙いを定めた。銃声が響き渡り、群れが猛烈な勢いで走り始めた。そのしんがりを、キースが撃ち損ねたオスがつとめていた。軽々と走り去っていく群れを、僕は不思議と、ちょっとほっとした気分で見守っていた。
2007年08月08日

今回の狩りはハードだった。標高1000メートルにベースキャンプ、1300メートルに2次キャンプを張り、そこから、ドールシープがいる2000メートル付近まで登り、更にその高地で野宿をしながらのハンティングとなった。標高1000メートル 標高1300メートル 標高1500メートル 標高1800メートル 標高2000メートル 高地アタックの前のパッキング。気が引き締まる。700メートルを一気に直登するためには、荷物は少しでも軽いほうがいい。もし狩りが成功した場合は、更に数十キロの肉と毛皮が加わる。それを見越して、必要最小限の荷物をパッキングする。しかし、標高2000メートルで野宿をする、という、ただでさえハードルの高い行程に加え、ライフルは2キロ以上ある。体力と知力を全て使い切らないと、今回のハンティングを乗り切ることは難しそうだ。山を登っていくと、足元には可憐な高山植物たちが咲き誇っている。Forgetmenot 猛毒のトリカブトの仲間 夜は霜が降り、昼は容赦なく太陽が照り付け、冬は雪に閉ざされ、夏は乾燥する斜面。 この厳しい環境で生き抜くため、大きな植物はない。皆、岩の隙間に張り付くようにして必死に生きている。 2000メートルを超える山、Carbon Hillを登りきると、その上を構成しているのは、平らな草原、岩だらけのガレ場、そして万年雪だ。 雲は、僕たちの下から湧き出でる。 野宿でのLife lineとなるのが、シェルター、水、火、食料。これらが揃わないと、下手したら死ぬかもしれない。「水は心配ない。必ず見つかる」とKeithは言う。川もない、山のてっぺんで、本当に水は見つかるのだろうか。最初は不安に思ったが、確かに、万年雪から融けだした細い流れや水溜りが随所にあった。 川がなくても、雪が残っていれば、水はどうにかなるものだ、という事を学んだ。問題は火だった。低いハイマツのようなブッシュはあるが、枯れた枝を集めてきても煮炊きに十分な分量にはならない。Keithは見晴らしのいい場所に来るたびに双眼鏡であたりを見回している。あたりに大きな木は一本もない。実は、探しているのは"Claim post"。 金を掘りに来た採掘者たちが、「ここは俺がキープする」という事をClaimするための杭だ。長さは1メートル強、太さは12センチ角ほどだ。 昔は背負ってここまで運んだが、今はヘリコプターで落としていくらしい。数本を見つけ、苦労してキャンプサイトまで運ぶ。ノコギリで30センチほどに切り、更に斧で細かく割って薪を作った。そして、最後に食料。オートミール、バノック(インディアンのパン)などは持ってきているが、肉はない。ひたすらドールシープを探して歩くが、見つかるのは糞と足跡ばかりだ。結局、その日、ドールシープを見ることはなかった。Keithは「こんな事は初めてだ、一体どうしたのか」としきりに不審がっていた。肉が欲しい。肉が食べたい。チッチッチッと鳴く声が聞こえてきた。20メートルほど先の岩の上に何かが立っている。ホッキョクジリスだ。体長は30センチほどだろうか。 Keithが早速1匹を仕留めた。 ホッキョクジリスの巣穴のそばには、大きな穴があいているものが多くあった。ヒグマが掘った跡だ。 大きなヒグマも、この小さなジリスを必死に掘り出して命をつないでいるのだ。Keithはライチョウも一羽仕留めた。 結局この日、ドールシープは見つからなかったが、一食分の肉は、どうにか手に入れることができた。ホッキョクジリスは、なんとそのまま火にくべる。 黒焦げになったところを、焦げた毛を薪でそぎ落とす。 そして、ぶつ切りにして、ちょっと洗い、更に煮込む。 モチモチした食感で、とても美味しい肉だった。ジリスとライチョウは、特製ラーメンの具となった。 僕はスプーンを忘れたため、薪を削り、即席でスプーンを作った。これがなかなか上出来で、使い良く、重宝した。スプーンを忘れた、と気付いたときは一瞬動揺したが、まったくもって都会人の発想、スプーンごとき、なんとでもなるものだ。 夕暮れ時、霧の奥から、大きな影が現れた。ドールシープだろうか。よく見ると、それはトナカイの親子だった。「親子連れだ、撃つのはやめよう」Keithが言った。親子連れは、こちらを警戒しつつも、興味深そうに僕たちを眺めていた。そして、しばらくするとトントントントンと足踏みしながら、軽々と小走りで去っていった。カナダもアラスカも何度か行っているが、野生のトナカイは初めて見た。巨大な鹿が、その重さを感じさせないほどに軽快に走っていく。灰色と茶色の毛並みが、だんだん霧に包まれ、白黒になっていき、やがて見えなくなっていった。美しいシルエットを、僕は深く心に刻みこんだ。シェルターは、ビニールのシートと、ロープ、杖にしていた木の枝、その辺の岩、で、なんとか雨をしのげるものを作った。 案の定、雨が降り、狭いシートの下、更に自分たちの体を寝袋ごとビニールでくるみ、身動きできない夜を過ごした。 翌日、山を下りることにした。歩いている僕の足元からライチョウが飛び立った。慎重に狙いを定め、引き金を引いた。 弾は肩の辺りを撃ちぬいた。ライチョウがバタバタともがきながら、急斜面を転がり落ちていく。足元がどんどん崩れていくガレ場の斜面をなんとか走って、追いついた。ライチョウはまだジタバタしている。Keithが「首をひねって引っ張れ!」と叫んだ。言われたとおり、首を雑巾を絞るようにりひねり、そして思い切り引っ張った。グキリ、という嫌な音がした。ライチョウはそれでも瞬きを続けていたが、しばらくすると、白目をむいたまま動かなくなった。 また一つ、僕は命をいただいた。赤身の肉は引き締まっていて、力強い味がした。 旨かった。
2007年08月07日

山に入った僕は、早速、恐怖の洗礼を受ける羽目になった。今まで見た事もないような大軍。しかもデカい。猛烈な蚊の襲撃を受けたのだ。 理由は分からないが、Keithは殆ど刺されない。Keithが平気でタンクトップでうろうろしている隣で僕は長袖長ズボンの完全装備だ。ちょっと立ち止まっただけであっという間に集まってくる。巨大な蚊柱の中心に立つ僕。視界を覆うは蚊、蚊、そして蚊。ここは蚊の王国なのだ。これだけの蚊を養えるだけの動物がこの森には存在している、という事なのだろうか。頭のてっぺんから、なんと足の裏まで、多いときは1日30ヶ所以上刺されただろう。特に集中したのはやはり顔だ。鼻の頭、頬骨など、出っ張っているところ、そしてなぜかこめかみに集中してくる。 これには本当に閉口した。見かねたKeithが「これを使え」とヤナギの枝を切ってきてくれた。ヤナギの枝先はよくしなり、枝先にはたくさん葉がついている。牛が尻尾で蝿を払うように僕はヤナギの枝をずっと振り続けた。 もうしばらくすると、噛まれると1ヶ月は痒さに苦しむと言われる恐怖のハエ「BlackFly」がわんさか出てくるという。もう、想像したくもない。ユーコンの夏は蚊酷すぎる。
2007年07月24日

"Hey, life is once. Ya, you gotta do what you wanna do."そんな言葉を、ストレートにたたきつけてくれた男に、僕は海を越えて、再び会いに行ってしまった。Keith Wolfe Smarch北米インディアン、クリンギット族のTotem pole carver。今やユーコンを代表する彫刻家の一人だ。そして僕にとっては、大自然の中で生きていく術を教えてくれる先達であり、狩りの師匠であり、彫刻の先生であり、かけがえのない友人、そして男としてちょっと憧れている存在でもある。去年の10月以来、9ヶ月ぶりの再会だ。太くたくましい腕、優しくも鋭い眼光、何も変わらないが、一つだけ変わったところがあった。額にできた、新しい縫い傷だ。そして、その傷こそが、今回僕がユーコンに再びやってきた理由でもあった。実はこの縫い傷、1週間前に行ったばかりの癌の手術の痕なのだ。先月Keithにもらったメールは、僕にとって大きな衝撃だった。"I just have found that I have cancer in my head."Keithが癌?しかも頭の中?万が一のことを考えると、僕はいてもたってもいられなかった。すぐに、無理やり仕事の都合をつけ、飛行機のチケットを手配した。しかし僕の心配をよそに、久しぶりに僕の手を握りしめたKeithの大きな手は、相変わらず万力のようだった。「幸い発見が早かったから大丈夫。 それより手術の入院のおかげで体が弱ってしまってね。 早く山に入らないと。 山に入ったほうが落ち着くし、体調も良くなるんだ。」僕が空港についたのは深夜1時を過ぎていたが、僕らは車を飛ばし、そのまま森に直行した。Keithはいつものようにトウヒの枝先を切り取ると地面に敷きつめ、手際よくLean Twoスタイルの寝床を作った。この時期、緯度の高いユーコンの夜は極端に短い。本当に暗くなるのは深夜2時から4時くらいまでの2時間くらいだ。明るさのせいか、再会の喜びからか、僕たちは時を忘れて語り合った。しばらく会っていない間お互いどう過ごしていたか、友人たちの近況、そしてこれからの人生、夢について。短い夜が明け、僕らはようやく眠りについた。今回の旅の目的は、高山に暮らす野生の羊、ドールシープの狩りだ。警戒心が強い上に視力も抜群に良く、仕留めるのはとても難しいが、肉は滅法ウマいらしい。本格的に山に入る前、Keithが僕に頼みごとをしてきた。抜糸だ。山の中、僕はアーミーナイフについている小さなハサミとピンセットで、Keithの額から出ている7本の糸を抜いた。この傷痕の下にKeithをしばらく苦しめた癌がいた。しかし、Keithは負けなかったのだ。最後の糸を抜くとともに、Keithは病の呪縛から解き放たれ、再び野性の中で生きる力を取り戻す。準備は整った。さあ、行こう。新しい旅が、これから始まる。
2007年07月18日
たま たま たま 展 が 開催中です。7月2日(月)~8日(日)12:00 ~ 19:00@逍遥(しょうよう)吹きガラス工房と雑貨のお店 にて目黒区駒場4-8-2 Fメゾン 東北沢駅徒歩5分 池ノ上駅徒歩6分 TEL:03-3455-0558マージャンがとっても強い川口剛君が本職のトンボ玉でがんばってます。涼しげなトンボ玉、体験もできますので、是非お友達をお誘いあわせの上、たまたまたま展へいってあげてくらはあい
2007年07月02日

富士山麓の夜です。数百人がキャンプインしているイベント、突然、漆黒の闇をぐるぐると舞う鬼火が。その正体はポイ。てっぴぃが回す!鎖の先の重りに灯油をしみこませ、火をつけて回してます。いろんな技が炸裂します。そして、コーイチも参加!エイッ!!ヤァッ!!!ウワァーーー アチチチッ!!!!!!!コーイチ炎上!!!シャツには大穴、髪の毛もスッゴイ燃えちゃってました。良い子はまねしないでね、ファイアーポイは危険だからね。
2007年05月28日

生まれて初めて、神輿を担ぎました。佐久間三丁目の神輿です。(一緒に参加したてっぴぃ)「男気」「粋」といった言葉が似合いそうな諸先輩方がワンサカいらっしゃり、そんなコミュニティーにちょっとでも参加できたのは本当に楽しかったです。(ちょっとコワかったこともありましたが…)江戸の文化、まだまだ廃ってはいません。祭りのピークは宮入り。もみくちゃになり、汗だくで、皆の気合も最高潮に達します。(これは宮入りの直前、 宮入のときは写真を撮るなんて到底無理でした)ホント、最高でした。この半纏が佐久間三丁目の男たちの誇りです。下は当然「締め込み」です!マジ、気合が入ります!
2007年05月20日
くろの趣味、「その辺の石コロを、 一番あり得なさそうなかたちに積み上げる バランス芸」です。いつでもどこでも手軽にできるし、タダだし、お勧めです。石を見極める、観察力、直観力、集中力、が養われ、何よりも「バランス感覚」が問われます。「バランス感覚」は、生きていく上で欠かせない重要な感覚だと思います。この世の中は全て「バランス」で出来上がっているからです。陰と陽、オスとメス、生と死、全宇宙の全てのものはバランスで成り立っていると思います。でもこの間、その考えを覆す事実を知りました。この世界は、バランスが崩れているからこそ存在している、というのです。(しばらく小難しい話なので適当に読み飛ばしてください)今から137億年前、宇宙の創生「ビッグバン」宇宙全体が、100億℃の100億倍のその1兆倍!もの高温に満たされていたといいます。そして、そのすさまじい「エネルギー」から、今の宇宙を形作る「物質」が生まれたのです。このとき生まれた物質とは、私たちの体をはじめ、宇宙の全ての物質を形作る極小の粒「粒子」です。そして、高エネルギーからは粒子と同じ数だけ「反粒子」というものが生まれます。粒子と反粒子はぶつかると消滅します。生まれたばかりの粒子と反粒子は、お互いにぶつかりあって次々と消滅していきました。でも、ちょっと不思議です。同じ数だけ生まれたはずの粒子と反粒子が全て打ち消しあえば、理論上、この世は存在しないはずです。なぜこの宇宙が存在しているかというと、粒子のほうが反粒子より少しだけ多く生まれたということになります。その理由はメカニズムは最先端の科学でも未だ解き明かされていません。ほんの少しのバランスの崩れがあったからこそこの宇宙は存在しているのです。そう思うと、全てが完璧なバランスで出来上がっていると思っていたこの世界が、急にバランスを欠いたようなものに見えてきます。自分の不完全さも、所詮宇宙が完璧でないんだから、許せてしまうような気になります。考えてみれば、全てがバランスして調和してしまえば、「変化」も生まれません。変化がない世の中って、面白くないですよねー。完全なバランスは、この世にあり得ない。バランスしたものは、いつかきっと崩れる。バランスをとりつつ、ちょっと崩すのが面白い。小さな石コロを積み上げながら、広大な宇宙に思いを馳せるのもなかなか乙なもんですよ。
2007年05月11日

「ウォォォォォォォォ!!!!」男子たるもの、パンツ一丁、由比ガ浜の海へ全力ダッシュ!ボディーサーフィンしている間は良かったのですが、上陸後は震え止まらず、やっぱり4月の海はまだ寒い!!We are 「湘南ウォーターボーイズ」!ジャンベ4コ大セッション&かおりんのポイ!海に向かって一人三線ライブ!岡野家の皆さん&Earthwalker Familyで衣張山登山!コーイチ、集合写真に間に合わず残念!そして伝授されたリュウちゃんの水道管ディジュ!ディジュリドゥーはオーストラリアの先住民族、アボリジニの伝統楽器で、本当はシロアリに喰われて空洞になった木を鳴らすのですが、とりあえず水道管で代用、これがイイ!マジでイイ!ということで、みんなでホームセンターにGO!色々な長さや太さの水道管を手当たり次第に試し吹き、そして工作室を1時間以上占拠、見事、各種音程ディジュリドゥー4本およびポイ2個が完成しました!ホームセンター「コーナン」の店員およびお客様の皆様、ご迷惑をおかけしました、スンマヘン!!!(でも皆の白い目もどこ吹く風で、 吹きまくっちゃいました。 あー楽しかった。 岡野兄弟、ヤバすぎです。 君たち、大船出入り禁止です。)
2007年04月30日

アースデーを終わって、人生語りながら、飲んでいるとき、オーブが出ました。くろの頭の上に曼荼羅が出てます。 でも、くろはspiritualな世界が分からないので、やっぱり、これもレンズの屈折率とか、水滴のせいとか、そういう風に考えてしまいます。Spiritualな世界を信じられたら、どんなに自分が楽になるだろうか、そう思いつつも、やっぱり自分の殻を破れずにいます。そんなことも、しょうがないです。
2007年04月26日
みんなさ、こんな笑顔、あり?本気で楽しい!楽しすぎる!!みんな最高!!!てっぴーと、やんしーと、わたるくんと、せたちゃんと、こーいちと、あかちくんと、りゅうちゃんと、あいちゃんと、そのこちゃんと、ろばーとと、くろと、みんなの笑顔が重なると、一人で笑うのの100兆メガ倍ぐらいにパワーが増幅されるね!最近、こんなして笑ってなかった。笑いすぎて腹いてぇー、歩きすぎて足いてぇー、たいこたたきすぎて手がいてぇー、すっげーいてぇーでもキモチイイィッッ!!!
2007年04月24日
ちょうど1年前のアースデーで、EarthwalkerのPaul Colemanが植えた月桂樹です。1年前のEarthday。くろにとってはとても大切な時間でした。色々なことを気づかせてくれる大切な仲間たちと出会い、新しい世界が広がりました。あれから1年、楽しい事もあったし、辛いこともありました。この月桂樹にとって、この1年はどんな1年だったんでしょうか。くろにはよく分かりませんが、でも、確かなことは、ちょっとだけ、月桂樹は背が高くなり、幹が太くなっている、ということです。そしてPaulは今パタゴニア、何考えて、何やってんのかなぁ・・・。
2007年04月24日
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