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2年前、渡独に際して、ここでこんな日記を書いた。「『はやく言葉を覚えて何らかのビザに書き換えられるようにならないと、この国にはいられないよ!』と自分のおしりをたたくもの目的のひとつ?彼を信用してないって意味じゃなく、外国でも、自分の足で立ってる、って思えるように、せめてもの(くだらない)プライドだ。」「彼に頼れば頼るほど、自分のドイツでの人生はますます狭まってくることも予想できる。だから余計に、自分に厳しくありたい、依存しないでも生きていけるっていう自信が欲しい・・・自分自身の喜びが(彼だけでなく)この国にある、って思えるようになりたい。」あれから二年。ドイツでグラスアーティストとしてのビザを取得することが出来ました。。ここでやっとまだスタート地点、大事なのはこれから、とはわかっているけど、希望かなって自力でビザ取ることができた、しかも自分のライフワークで、と思うと、正直、感無量です・・・(涙)。私にも、国に認めてもらえることがあったんだ~私だって出来ることがあるんだ役立たずじゃないんだ~、ってほっとする気持ち。目的があって独り身で、自分が行きたくて行ったオーストラリアの時とは違い、来た目的はただひとつ、「彼」のみだったドイツ。だからこそ、怖くもあった。結婚でビザを得るよりまず、自力でビザが取れるようになりたい、というのは、このまま外国で仕事も得られずライフワークも持てず、一生相手におぶさって生きていくしかないってこともあり得る・・・、とびびっていた私の、ささやかな意地と夢でもあった。長年の友人に、「好きだからやってたんだろうけどさ、ガラスやっててよかったね。ガラスがんねねちゃんにいろんなものを運んできてくれるね。」と言われて目からウロコが落ちた。「私が」ガラスのために道を切り開いている、というよりも、ほんとまさしく、「ガラスのおかげで」私の道が少しずつ切り開かれている感じ・・・。短くまとめてしまえば、自分の道にものすごく悩んで、いろいろ挑戦しては壁にぶち当たって、精神的にはそれなりに辛い2年間だった。迷って違う方向を向こうとしたり、かなりじたばたしたけれども、からまわっているうちに何かを巻き取ったのか、そのすべてが少しずつつながりを持って、結果的に引っ張られるように本来の道、自分自身が本当に望んでいた道へと戻ってきた、というのも考えてみれば不思議だ。この2年で辛かったのは、努力してたのは、私だけじゃない。私の彼も、彼の道でなかなか思うように行かず、私なんか、自分だったら気が狂いそー・・・と思うような努力をしていた。(そんな中で、私のサポートもしてくれていたのだから本当に頭が下がる。。)その彼の努力もまた実った。しかも私の道が開けたのと彼の道が開けたのが、なんと同じ日だった(笑)!今彼は、勤務しながら会社の援助で二つ目のマスターをやっている。お互いいちばん辛い時を支えあって乗り越えてきたこの相手、お互いが自分の道を追求しながらも、手をつないで助け合って歩いていけることがありがたく、また嬉しい。。ほんというと、ドイツに来る前は、これほどまでに大変だとは、想像してなかったよ(苦笑)。私も彼も、今はまだひとつのステップ踏み出したばかり。これからもふたりでまた一歩一歩階段をのぼっていけるよう、がんばります。彼よ、いつもほんとうにありがとう。
2008年08月29日
皆様、またまたお久しぶりです。私が入っているアマチュアオーケストラのコンサートがありました。私にとっては、ここで初のコンサート!むかーしやっていたバイオリン。以前から、いつかまたアマチュアオケで弾きたいなー、と思っていたけれど、言葉がわからないうちはムリだろう・・・とも思っていた。キンチョーしながらも、よし!やるぞ!と決意した時は、なんだかひとつ殻をやぶったような気分だった。まともにバイオリンを弾くのは、実に8年ぶり。見学時に、まんまと参加させられて、おかげでとても楽しかったけれど、突然混じっていって、初見で弾くのはきびしかった。。ドイツ語も難しいなあ。基本的な音楽用語からしてまるでわからず、(なので、どう尋ねたらいいかもわからず)最初なんか、曲の始めの指揮者のカウントすら、どこでどう入るのかわからなかった(苦笑)。参加を決めた時、自転車で通えるように、リュック型のバイオリンケースカバーを買った。これしょって通うんだーうふふーって、気分は小学一年生。コンサートはすごくよかった。他都市のオケとの合同演奏会で、エキストラも入り、普段練習している時の倍の人数だったのだけど、まあ、荘厳なこと、綺麗なこと、ことにソロの美しいこと美しいこと・・・・。合同リハーサルで初めてソロも皆入った合奏をして、初めて聴くソロに、心がしんとしてなんだか涙が出そうになった。同じバイオリニストでも、舞台での演奏聞くよりも、身近で(もしくは同じグループで)聴くほうが、感動の度合いが高いのはなぜだろう。(親近感のせい?)祖母に電話でオーケストラの話をしたら、「お仲間に入れて下すったの?寛容ね。普段おけいこしない人もさっと入れてくれるなんて。」と感心された。くうううう・・・。でもほんとそのとおり(苦笑)。最後の楽譜を受け取ってからあまり日がなく、「コンサートに乗るのは私にはムリです」と初めは言った私に、オケの皆さんは、「楽しいだろ?楽しければいいのいいの。別にプロじゃないんだから。もう頭数に入れてるから。」とゴキゲンな返事だった。皆さん、ドイツ語もバイオリンもへたっぴな私をとっても親切に助けてくれる。いつもどうもありがとう~。。皆で合奏するのは気持ちいい。年齢も言葉の違いも超えて、みんな一体となってる感がする。曲を作り上げる一員となっていることで、「自分の居場所」を実感する。練習も、夢中になると時間を忘れて没頭する。がりがり練習してて、おなかすいたな・・・とか、外が暗くなってきたな・・・とかふと我に返る感じが好きだ。一日の間にこういう充実した時間があるっていいもんだなあ。大人になっても自分を楽しませられる趣味を持てたのはシアワセです。子供のころはあーんなに練習しなかったのにね(笑)。ところで、楽天ブログ共々、ここで使っているメールアドレスのほうも、ずーっとログインしていなかったので、アカウントが削除されてしまっていました。。(今はまた復活)もしこの間にメール下さった方がいましたら、ごめんなさい、読めていません。。もしもそうなっていたら、大変失礼致しました。ご一報下さい。
2008年05月26日
今回の日本滞在が長い理由は、もちろん祖母の為もあるけれど、もうひとつは、懲りずにまたガラス。帰国中、ガラスの講座に通っています。私が今までやってきたのは「吹きガラス」だけど、これだとやれる場所がものすごく限られる。今住んでる所では設備のある場所がないものね。趣味でやることも出来ない。たとえ工房があったとしても、ドイツ人のポストを奪う「外国人」がそこで職を得られるかというと、かなりの狭き門、というか運次第。それで目をつけたのが「バーナーワーク」。卓上バーナーでガラスを熔かして造形する技法。これなら家でもひとりでも出来る♪日本で持ってるんです、このバーナー一式。学生時代は、バーナーワークのバイトをしていたの。モノはどうあれ、「ガラスを熔かして」成形するのが好きだったんだろうと思う。私が学生だった頃、日本で主流だったのは、やわらかい日本製のガラスと、火力の弱いエアバーナー。とんぼ玉とかね。ところが、一歩国外に出ると、主流なのは、火力の強い酸素バーナー。私はこれは、ネオン管を曲げたりつなげたりすることぐらいにしか、使ったことがなかった。(要は、なにもできない。)これをきちんと習いたい!と思ったけれど、ドイツのガラス専門学校は、私を受け入れてくれなかった。志願者が多い年で、私が「外国人」で「経験者」だったからだそうだ。なにくそ。そんなことでくじけてたまるか。でももし入ってたら、2,3年間彼とまた遠距離になってたから、入れてくれなかったこともめぐりあわせ?まあよかったのかな・・・?そんなわけで、日本での講座通いです。酸素バーナーワークを習ってます。すごいよ、日本は。ドイツじゃ、「プロ」を養成する為の学校でなきゃ、こんなことみっちり教えてくれる所ないもんね。せっかくなので、根に持ってるわけじゃないけれど、ドイツのガラス学校では習えない技法を教われる講座を選びました。主にアクセサリーを作ってます。もちろんたったの3ヶ月では、基礎の基礎ぐらいしか出来ないだろう。でもせめて今はとっかかりだけでもね。いくら吹きガラスより軽設備とはいえ、ガスボンベや酸素ボンベを持ち込むこの設備が、ドイツでこの先いったい持てるのかどうか、まだわからない。(とりあえず、今住んでる所では無理。)技術もさることながら、先生から得られるその業界の情報、材料の特性や、入手先、書籍や道具の話などが、とっても貴重。先生には、吹きとバーナーという技法の違いはあれど、お互い昔関連会社で働いていた、という経歴もあり(びっくり!)、なんだか勝手に親近感を抱いている。久々のバーナーワークは、これまたとっても楽しい。細かい細工のちいさなもの作るのも、いいなあ。作ったもの簡単に持ち運べるし(笑)。あたりまえだけど、ガラスの特性からして、今まで扱っていた吹きやエアバーナー用のガラスとは違い、なんじゃこりゃ!と目からウロコの日々。吹きガラスの業界とは、また違った独自の業界・コミュニティを今更のように知って、刺激的。やってはみるもんだなあ。同じガラスとはいっても、自分がここではズブの素人で何も知らない事を思い知る。新しい世界が目の前に広がる。バーナー講座の部屋の横では、吹きガラス講座が開講されていて、私のガラス学校時代の同級生が教えている。おお、すごいぞ!出世したわね!自分の講座が終わった後、吹き場で皆が吹いてるのを見るのも、またたのしい。始めたばかりの人たちが、いっしょうけんめいやっているのを見ると、初心がよみがえって、ガラスの動きにわくわくする。(人のだけど。)それともうひとつ、ガラス関連で。オーストラリアからガラス収入が得られることになった。ガラスと言うか、デザイン。私が昔オーストラリアの工房で、自分のサインで作っていたモノを、工房商品にしたい、という打診があったのだ。ひとつ作られるごとに、私にお金が入るのだという。願ったりかなったりの申し入れです。自分の作ったモノを気に入ってくれて、工房の商品にしたい、なんて言ってくれること自体が、もう嬉しい。黙って作られても、私わからないのに、こういうことをきちんと言ってくれて、想像以上の金額を提示してくれて、わざわざ海外送金してくれるということにもびっくりした。すごいなあ。ありがたいことです。色の指定や手順の説明などをしていて、これまた、自分で吹いていた時のシュミレーションに没頭し、恍惚となってしまった(笑)。くー。出来る事なら自分の手で吹きたいが。ここは、私の手から離れて海の向こうに飛び立って行く私の分身に、夢を馳せて送り出そう。気に入って買ってくれて、大事にしてくれる人が、この先もたくさん出来るといいな。まるで子だくさんの姑気分?
2008年02月26日
皆様こんにちは。お久しぶりです。私は現在日本にいます♪3月末まで、3ヶ月弱の日本滞在です。 年末に実家の祖母が乳癌の手術をすることになり、それをきっかけに帰国を決めました。 「癌」と聞いた時はあたまがまっしろになったけれど、幸い転移もなく、術後の経過もよく、術後2日目にして「いつもの祖母」だったそう。産婦人科医の自分の弟に、「80過ぎて乳癌になるなんて若い。」とほめられて?いた祖母。それでも手術前はやはり不安だったようで、祖母の見た夢の話を電話で妹づてに聞いた。 「仏壇で仏様に手術の報告をして、『取った乳房は仏様に捧げます』と言ったら、『(そんなものは)いらない。』って言われた夢を見たんだって。」 悪いんだけど、笑ってしまう。。 ただ、一度寝付いたら、忘れっぽさが増した上に、ほうけたようになってしまった。いつもぼんやり「心ここにあらず」な感じ。年明けに私が帰国した時はその状態だった。 無理もない。自分の編み物教室を持っていて、10月まで外に出て働いていた人が(毎日ではないが)、今は、日中はうちでひとり、刺激もなく話す相手もなく、傷が癒えても、やることなく、ベッドでうとうとしてる日々。 そんなわけで、私は帰った次の日から、つきっきりで「おばあちゃん係」になった。介護が必要なほどの相手ではないけど、一緒にあさごはんたべて、一緒にひるごはんたべて、一緒にお茶飲んで、おしゃべりして、とにかく時間の許す限り話し相手になる。私が飽きてくると、本を朗読したり、高校の歴史の教科書なんかを音読して(祖母、歴史大好き)聞いてもらったりする。恥ずかしながら、読めない漢字を教えてもらったり。。そんなことしつつ、帰国してから読んだ本も20冊を超えた。おふろも一緒に入って、体が乾燥してかゆくなる祖母の為に、湯上りの全身にボディミルクを塗る。 最初は、「お茶のまない?」と誘っても、キッチンまで出てくることすら面倒そうで、「(ベッドに)持ってきてもらおうかしら」と言っていた祖母も、今では、すぐに起き上がって、いそいそ出てきてくれる。起きていられる時間も長くなってきて、腕を上げるリハビリの為に、せんたくもの干しやとりこみを手伝ってくれる。おふろでも、私の背中を流してくれる。 2,3週間たったあたりで、仕事が遅くて普段めったに祖母に会わない私の妹が、夜中にトイレに起きた祖母とばったり会ったそうで、「おばあちゃん、最近たましい戻ってきた。」と言ってくれた。 前は夜中トイレに起きた祖母と会った途端、「もう何がなんだかわからなくなっちゃった」と言われたそうで、「突然そう言われても、こっちも何がなんだかわからない」とドイツにいた私に報告のメールをくれた妹だけど、今は夜中に会っても、ふつうの会話が成り立っている、と。 最近は、更にしっかりしてきたぞ。家でのリハビリ(物干し?)の効果あってか、先週の病院でも、もうリハビリセンターには来なくてよいと言われた。編み物教室の生徒さんも入れ替わり立ち替わりお見舞いに来てくれ、祖母も教室に復帰する気マンマンだ。心配なのでしばらくは、私も一緒に付いて行くつもりでいるけれど。必要としてくれる人たちが外にいるのはありがたいことだ。楽しみがあって意欲があるのはうれしいことだ。前述の祖母の弟も、「あと怖いのはボケだけだから、教室は続けたほうがいい。周りに迷惑かけても行け。みんなに嫌がられても行け。」と言っていた。(笑うとこじゃないが、笑った。。) 祖母を「刺激」するよう努めていたつもりでいたけれど、刺激されてたのは、むしろ私。祖母、もともと言葉の使い方、言うことが面白い人ではあったけど、こうやってずっと一緒にいると、よくもまあこんなにネタが、と思うほど、毎日おもしろい(笑)。あんまり面白いので「おばあちゃん語録」をつけるようになった。今年の手帳に、初めて「ほぼ日手帳」を使い始めたのだけれど、1日1ページたっぷり書ける手帳には、祖母の名言が増えてゆく。 第三者が聞いて面白いかどうかはわからないけれど、少しここで紹介。。 病院の帰りに、改装されたばかりの近所のデニーズに行った時、祖母、あたりをみまわして。「なんだか浦島太郎になった気分。あそこに座ってる人も、この世の人じゃないみたい。」ただ単に、「ここらではちょっとめずらしいこぎれいな」ママさんグループでしたが。動脈瘤で亡くなった人の話になった時の祖母の台詞。「動脈瘤は・・・・。静(脈)のほうなら、てれてれてれと流れているけど、動(脈)のほうだと、わっしょいわっしょいと勢いよく流れてるでしょ。」血の流れに「わっしょいわっしょい」って・・・? おふろにて、ドイツではおふろじゃなくてシャワーなんでしょ、○○○くん(私の彼)は大きいから、入るなら長いゆぶねじゃないとね、と言う祖母の次なるセリフ。「じゃないと、足を三つ折りにしないとね。」「どうやってみっつに折るんだよ?!」と爆笑しつつ尋ねたら、「そう。だからどうやって折るかと思って。」としゃあしゃあと。。 夕食時、父(祖母の息子)が母に愛を示して、「この人とは一心同体だから」と祖母に言うと、祖母、母に向かって、「お気の毒ね。」 しばらく日本を離れていた間に、友人たちが大勢出産していて、顔を見に「赤ちゃんめぐり」をしている私に。「人の赤ちゃんばかり見てないで、あなたもこしらえなさい。」「って○○○くんに言っておきなさい。」突っ込みどころ満載。 おばーちゃん、最高です(笑)。 祖母が癌になってなかったら、この時期にこんな長く帰ってなかった。帰った時も、いつもみたいに自分の楽しみばかり優先して、こんなに祖母と一緒にはいなかっただろう。普段会えない分、うんとうんとおばあちゃん孝行しておくんだ。「おばあちゃんが死んじゃうかも・・・」と一度は考えてしまったおかげで、大事に至らなかったことが余計に有難く、なんでもない祖母とのやりとりがまた、涙が出るほど有難い。 長生きしてね。おばあちゃん、大好きよ。
2008年02月22日
めちゃめちゃお久しぶりです。ガラス工房での仕事も終わり、無事に戻ってきました。(というか、戻って来たのはもう随分前なのだけれど・・・。汗)湖あり川あり、観光には最適な、自然いっぱいのイナカ村で、リゾートバイトのような日々でした~。まずガラス。これはとっても勉強になった。ドイツにはやはりドイツ特有のやり方や道具がある。それらを実際に目の当たりにして、もう全てが新鮮で全てが興味深かった。ドイツ語のガラス用語もなにひとつ知らなかった私は、ノートとペンを常に持ち歩いて、道具の名前からモノの名前、指示の仕方や専門用語、目に入るもの全てを書き留めて覚えていった。お昼ごはん時に同僚に「さっき作ってたの、名前なんだっけ?」と聞いては、「んねねはなんでも書いてるんだ。」「んじゃ、この『ハーブパン』も書いとけ。わっはっは。」などとからかわれたり。。職場がガラスのミュージアムだったのも有難かった。なにしろそこらじゅうに、ガラス屋や工房の歴史から、窯の構造から、ガラスの原料から、ガラスにかかわる事柄について、説明書きや図解や資料が展示されている。それをその場で読みこなすドイツ語力のなかった私は、(ほんとはいけないんだろうけど)それらをこっそり写真に撮って、家でノートに書き写して、辞書を引き引き読んでいった。その後、それらの解説をまとめたミュージアムの本がある事を知り、ミュージアムのショップに買いに行った。ところがレジでその本を出すと、ショップのおばさんと、たまたま彼女と話をしていたミュージアムの大ボスが、「その本は差し上げます。働きに来てくれたお礼に。」と、お金を受け取らず、プレゼントしてくれた。ううう~、どうもありがとうございます・・。時間がかかってもがんばって読みます。勉強しますー。吹いている人はお客さんに手順などを説明する。(私の仕事はその吹いている人のアシスト)最初はそれも聞いててもさっぱりわからなかったけれど、何と言っているのか後で教えてもらったり、「こういうふうに言うんだ・・・」と、聞きながら少しずつ理解していった。またお客さんがいろいろと質問をしてきて、ボスがそれに答えるのを聞きながら学んだことも多かった。こっちに戻ってから、仲良くさせてもらっている私のガラスの母校の職員に、体験談やミュージアムの解説で学んだ事などを、メールのやりとりで報告した。非常に博学な人で、彼女のコメントで私も初めて知る事が多く、知りたさと喜んでもらえる嬉しさで、どんどん送った。彼女のほうも新たな情報に大コーフン。「これをガラス史の授業に使わせて頂いても宜しいですか?他の先生方にもコピーしてお見せしたいです。」と申し出てもらえたのも嬉しかった。もちろんですとも!お使いください。母校の役に立てるなんて、後輩たちにドイツのガラス史を教えてもらえるなんて、なんて光栄!ミュージアムでもらった本を読んで、もっと細かい正確な情報で、お手伝い出来るよう頑張ろう。ただ、向こうでひとつ辛かったのは、私が主にアシストする相手が、自己愛性人格障害な人だった事だ。決して悪い人ではなく、むしろ機嫌のいいときは楽しい人なのだが、人の悪口、裏表のある態度、他人への共感の欠如、対人関係における相手の不当利用、自分への特別感や過剰な賞賛の渇求、などがなかなかキョーレツだった。自分の意見に異を唱えられることを嫌い、無条件に従うことを要求される。「モラハラ」とか「自己愛性人格障害」とか、名前は聞いたことあったけど、ほんとにいるんだ・・・・というのもひとつの勉強だった?かもしれない。その時はストレスでそれどころじゃなかったけど。その彼女が、私にガラスを吹かせないようあれこれ理由を作り、「このガラスは私が!作ったんだから」と、ミュージアムのイベントの利益を着服しようとした時があった。それを私が指摘したときの彼女の態度が、もうやるせなかった。「こんな人とはもう働けない。信用も出来ない。」とボスに直談判したところ、ボスの返事に驚いた。「実は、自分たちも彼女には問題を抱えているんだ。彼女、ここから去るべきなんじゃないか。一度きちんと彼女と話をしなければ。きっかけをくれてありがとう。」くっ、クビにする気?!?!更にボスが言うには、「正直言って、彼女よりも君のほうが上手い。彼女もそれを分かっていて、脅威を感じているんだ。アシスタントの方が上手いっていうのは、彼女にとって愉快な事じゃないからね。だから君には吹かせない。ボッシーな態度を取って、自分の方が上だ!というのを誇示しようとしているんだと思う。 」私が来る前にも、彼女に解雇を言い渡して揉めたことがあること、私の前に来ていたアシスタントが、経験は浅いものの才能のある人で、彼女が脅威をおぼえたのか嫉妬を感じたのか、そのアシスタントのこともやはり不当に扱っていたことを聞かされた。それらの話は、彼女にそれまで聞かされていた話とは180度違うものだった。いろいろあったけれど、いよいよこれで仕事納め、皆さんお世話になりました、という日、ボスに、・私の吹きの実力を高く評価していること・今後もまた私に来てもらいたいと思っていること・その際はアシスタントとしてではなく、 プロのブローアーとして正規の報酬を支払うということを提示された。びっくりした。私、見込まれたのか・・・。嬉しかった。「・・・ドイツ語もっともっと勉強してきます。」といった私に、「いや、お前はよくやってるよ。」とボスは言った。いつも私のドイツ語の間違いや理解出来なさをあげつらってたボスなのに。。嬉しかった。 良くも悪くもものすごく刺激的な日々でした。いい経験が出来ました。彼と離れ離れでいる間に、いろいろと考えることも多く、戻って来た時は、本当に本当に嬉しくて幸せだった。まあ、自然は豊かだけど、最寄のスーパーまでちゃりで30分、というド田舎だったからねえ(笑)。戻って来てしばらくは、スーパーも病院もデパートもなんでも近くにあって、バスも電車もあってどこにでもひとりで行ける、ということすら嬉しかった。ドイツに来て最初の一年は、自分が無力で役立たずな人間に思えてしょうがなくて、どうすることもできないのに、落ち込んだりカリカリすることも多かったけれど、工房から戻ってきてからは、憑き物が落ちたようにすっきりした。今の状況自体は別に何も変わってないけれど、本当に工房にまた行けるかどうか、先のことなんてわからないけれど、ドイツ人と肩を並べて、その中でも認めてもらえた、というのが自分の中で大きかったように思う。また、腰を落ち着けてドイツ語の勉強再開しました。仕事があるわけでもなし、子供がいるわけでもなし、勉強ぐらいしっかり頑張らないとね。。1年目に比べて、今はすごく楽しいです♪
2007年11月04日
ドイツに来て丸一年たった。あっという間でなんかコワイ。一年が過ぎるのって、年々早くなってきてる気がする。まあ、5歳の頃の1年は人生の5分の1だけど、30歳の1年は30分の1だから、実際自分にとっての1年の割合は年々短くなってるんだろうけどな。。半年通った今の学校も今日で終了となり、中級クラスを終えた。わー、ぱちぱち。なんかちょっとした達成感。。この一年の変化。筋肉が落ちて贅肉がついた。(まずそれか?!)髪が腰のへんまで伸びた。今まで鋼鉄の肌を誇っていたのに、こっちの乾燥と硬水にやられ、敏感肌になった。(せっけんづくりにチカラが入る。)まあでも、最大の変化はドイツ語を少し覚えたことだろうか。来たときは、ドイツ語、ほんとに何もわかんなくて、メニューを見ても何も読めず、一から全部説明してもらったり、バスの表示も分からず「ドアを開けるにはここ」ってボタンがわからなくて、(だいたい、自分でバスのドアを開けられる、という発想がナイ。)「降ります!開けてくださーい!」と必死で叫んでたり、電車の駅の表示が読めなくて、大雨で電車が止まったのにそれがわからず、来ない電車を待ってオロオロしたりしてた。だいぶたってからだ、街なかの記号に、「旅行代理店」とか「クリーニング屋」とかって意味があるのがわかったのって。以前、うちに帰る電車で、日本語の話し声に気づいた。誰か日本の人がこの車両にいるんだなー、と思い、特に気に留めずにそのまま本を読んでいた。けど、その話し声がなんか妙。女の人の声で、ずーーっとしゃべってるんだけど、相手の声が聞こえないの。顔を上げて車内を見回すと、なんと、日本人なんか車内に一人もいない。(私以外)話し声がどこからするのかもわからない。あれー??とますます気になって、隣の車両も覗き込むけど、やっぱり日本人はいない。私、こんなにハッキリ日本語の幻聴が聞こえるほど、日本語が恋しかったのだろうか??自覚症状もなかったとは恐ろしい・・・と、どきどきしていたら、向こうのほうで背中を向けて座っていた10代の白人の女の子が、電話を切り、あの日本語と同じ声で、今度はドイツ語で、一緒にいた白人の女の子とおしゃべりしながら、電車を降りて行った。びっくりした。(失礼ながら)まじまじと目で追ってしまった。「どう見ても日本人じゃない」外見の人が、日本人のように綺麗な日本語をしゃべってると、びっくりしちゃうもんなんだな、声だけ聞いてると、日本人かと思って何も感じないけど、外見で人を見ちゃうもんなんだなー、と改めて思った。日本にいた頃だから相当前だけど、テレビで、オランダの大学の日本語学科や日本語学校の特集をやっていた。これがおもしろくて。日本語学校の上級クラスの人たちに、「のどから○が出る」という札を見せて、○の中にひとつ漢字を入れてください、というのがあった。そこで「金」と書いた人が。「どうして『金』なんですか?」という日本語での質問に、「あくまでも単なる願望です。金が吐けたらいいな、と。」と、見事な日本語で答えていて(しかも早口)、うお?!と思った。更には「金が吐けたらどうしますか?」という問いに、「そしたらそれ拾ってビール買って飲む!そしたらまた吐くね。悪循環ね(笑)。」と。うますぎる・・・。それと、大学の日本語学科の生徒に1から10まで「本」で数を数えてもらう、というのがあった。「いっぽん、にほん、さんぼん・・・」考え考えだけど正しくすすみ、「ななほん・・・はっぽん・・」と来たところで、「きゅうぽん。(えっちがう?)くーぽん!(えっこれもちがった?)ここのぽん!!」とやってくれた。難易度グレードアップしてる気がするんだけど。。でもこれって外国人には難しいだろうねえ。彼もかなりはやい段階で日本語の数の数え方を習ってきたけど、もーアタマをかかえていたっけ。「ついたち、ふつか、みっか・・20日は、はつかだけど、30日は、さんじゅうにち。」とかさ。規則性を教えてくれ、と泣きつかれたけど、こればっかりは覚えるしかないのよ。。私だってドイツに来たばかりの頃は、文法のあまりの複雑さに、こんな言語を考えなしに(文法を、って意味ね)しゃべっている人間の気が知れない・・・私ぜったいムリ!と思ったもんね。ひとっつも意味のわからない、洪水のように耳に入ってくる雑音を、一単語、一単語、覚えていかないと、これが理解できるようにはならないのか、と考えると気が遠くなるような気がした。むずかしいのはおんなじおんなじ。さて、いよいよお引越しです。来週からオシゴト。いきなりネイティブ世界のリングに上がる気分。。(戦いか?)けっこうナーバスになってます。きっと最初はまわりにいっぱい迷惑かけちゃうんだろうなあ。。泣いても笑ってもほんの数ヶ月。充実したものとなるよう、がんばってきまっす。ちょっと大きくなれるといいな。・・・むこうのネット環境やいかに?
2007年06月30日
怒涛の一週間が終わり、吹きガラス工房のアシスタント職が私に本決まりになり、就労ビザの手続きを終えた。初めてボスと電話するときは、ボスと!電話で!はじめて!しかもどどどどいつごで?!?!と大キンチョー、景気付けにビールでも飲んでおいて勢いでかけようか・・・とか頭をよぎった。「だいじょうぶ。ドイツ語しゃべれるドイツ人だって、面識のない社長と初めて電話で話せって言われたらそりゃ緊張する。」って言われたけど、全然はげましにならないし・・・。今のビザ切れるまでに日もないし、今週中に手続きに来れるか?と言われ、金曜日、4時半起きで長距離電車に乗って、工房へ出向いた。手続きは超面倒で(住民登録がからんだので複雑になった)外人局、金曜日は12時半で閉まるのに、書類が全部整って、滑り込んだのは12時25分。文字通りギリギリだった。。でも受理されてよかった~。今はビザ待ちです。仕事は7月から。予定では3ヶ月間だけど、後に続く人の予定にもよる。午後はお仕事を見学させてもらい、ついでにちゃっかりお手伝いさせてもらった。職場はミュージアムの一角にある、赤レンガづくりのガラス工房。工房の中央が一段高くなっていて、そこで働き、まわりはお客さんが360度、壁に展示されてる歴史や解説ともども、歩きながら、吹いてる所を見れるようになっている。ミュージアムのガイドの方々が、団体を連れてやってきて、そのたびに一から吹きの実演をしている。昔、ガラス工場に初めて面接に行った時に、中を案内され、やはり一段高くなっている吹き場で(下から火を焚くので)、「ここは『舞台』と呼びます。舞台に上がったら俺達のショーの始まりです。」と言われて血が騒いだのを思い出した。ガラスが溶けて黄色くまぶしい高温の炉が懐かしかった。前日は緊張と興奮でほとんど眠れなかったけど、なんとかなって嬉しかった。皆さんいい人たちでほんとにありがたかった。数ヶ月前、夜行電車に11時間揺られてガラス学校の見学に行く時、「んねねはひとりで行ける。大丈夫!」と私の彼はついて来てくれなかった。その時はまだぜんっぜんドイツ語しゃべれなかったから、行くのは行けたって、なんにもわかんないに決まってるじゃん・・・ってうらめしく思った。でも行ってみたら、ひとりだったこそ、の結果になって、ひとりで行って大きな収穫を得た自分自身が誇らしかった。それと、彼とドイツ語のみで話しはじめてからは、パーティーに行っても、以前は私と英語でしゃべってた友達に、彼が、「んねねもうドイツ語わかるから。ドイツ語で話してやって。」と、親ライオンのごとく、私を奈落の底に突き落とした。そうはいっても普通の人が普通にべらべらしゃべってることなんて、さっぱりわかんないんだけどね。それでもとつとつとでも、カタコトでも、私もドイツ語だけでなんとかしようと必死になった。今回遠くの工房にひとりで行って、ボスや社員の人たちに会って、(ドイツ語できなかったら英語でもいい、と前から言われてはいたけど)結局なんとかドイツ語だけで通して、「なんだ、ドイツ語うまいじゃないか。」といわれたり、ミュージアムの大ボスに「ドイツ語は話せますか?」と英語で聞かれて、工房のボスが「いやー、彼女ドイツ語で大丈夫だよ。」と横から言われたりして、(実際はもちろん全部なんてわかんなかったし、向こうが思ってたほどひどくはなかった、っていうお世辞だろうが。)ちょっと嬉しくなった。突き放されたと思ったけど、ガラス学校にもひとりで行った自信があったから、ドイツ語修行?させられたから、今回の私もだいじょうぶだったんだなあ、いっぱいうらめしく思ったりしたけど、彼のお陰で今の私があるんだ、としみじみ彼に感謝した。そう伝えると、彼はまっすぐ私を見て、「んねねはもう、ドイツで『赤ちゃん』なんかじゃないよ。ひとりで何でも出来るんだよ。」と言った。(事実かどうかはともあれ)涙が出そうに嬉しかった・・・。去年ドイツに来てからは、ドイツ語の勉強に集中した。学校を結局4ヶ月スキップした。全てはドイツ語がキー、ドイツ語はやく覚えよう、そしたらきっと道が開ける、それでいつかはオシゴトできるようになりたい、と自分で自分のお尻たたいて頑張ってたのが、今報われた気がする・・・。人から見れば、これくらいでそんなに喜んでるなんておおげさな、ってくらい小さなことかもしれない。でも私に取っては、ささやかながらも大きな第一歩。一年前は、たった一年後に自分が(短期とはいえ)就労ビザを取っていることなんて、しかもドイツでガラスの職に就けるなんて、全く想像できなかった。1年前、オーストラリアにまだいる頃、渡独について思うことをここに書いた。依存しないでも生きていけるっていう自信が欲しい、早く言葉を覚えて次のビザを自力で取れないと、この国には居られないよ、とお尻を叩く、彼に頼れば頼るほど、自分のドイツでの人生はますます狭まってくることも予想できる、早く赤ちゃん卒業できるようになりたい、仕事だっていずれは欲しい、等々。気づけばそれを着実にクリアしている。。とはいえ、机にかじりついて文法を叩き込む、大人数の予備校系の学校で勉強していたのもあり、文法能力だけでスキップしてしまったせいもあり、私はクラスのレベルのわりには、会話がものすごく弱い。仕事終わって戻ってきたら、もう一度中級を、会話中心の違う学校でやるわ。それでZMP(中級統一試験)を受けたい。学校は続けて、来年か再来年にはZOP(上級統一試験)にも受かるようになりたいなあ。。今回は運あって、吹きガラスのお仕事に就けて、就労ビザを世話してもらうことができたけど、吹きガラスの「仕事」は今回が最後になるだろうな、って気がする。私の住む街には吹き場がないので、今回みたいな単身赴任ならともかく、これをきちんと仕事にするのはここでは不可能。こまぎれの仕事では一生アシスタント止まりだし、体力・筋力や腕だって、落ちては(苦労して)少し盛り返し、の繰り返しになって自分も辛い。今回は、この仕事がまっとう出来れば、ドイツでの職歴と経験になる、彼に頼らずともドイツで社会に出て自力で生活出来た、と自信になる、就労ビザを得ることができた、って自信になる、今までやってきたことがドイツでも通用する、って自信になる、と思って(願って)いる。これは自分自身のささやかな「自信」の為。今まで出来ないことばかり見て、私はここではダメだダメだとぐずぐず言ってたけど、少しでも自分に自信がついたら、逆にすっぱり諦めがついて、全身で次の道に進める気がする。吹きを辞めること自体はかまわないの。早いか遅いかが違うだけで。体力的に、もともと女が長く出来るものではないとわかってて始めた仕事。(昔は、年とったら教育機関で働けたら、とか安易に思ってた。)スポーツみたいなモノだね。吹きガラスは無理でも、それを叩き台にして、ガラスの勉強は続けたい。「やる機会がもうない」というのは、今が転機、ってことかな、と思う。新しい事に目を向けて、また積み上げてくチャンスだとも思う。努力なしにすぐできることなら私だけじゃなく誰でも出来る、後から来る人たちにもどんどんまくられる、でも時間をかけて準備したことなら身につくかな、将来長く続けられるかな・・・と思う。方向転換しても、10年後20年後には、何か結果を出せてるといいな。自分にもっと大きな自信が持てたら、一生楽しめる自分の世界を作れたら、と思う。階段を上ってくような人生を作っていけるといいな。まずはお仕事、精一杯がんばりまっす。いっぱい勉強してきます。私を支えて助けてくれた方々、応援してくれた皆さん、どうもありがとうございました。
2007年06月03日
なんと、吹きガラスのお仕事の話を持ちかけて頂けました。他の州に行かなければなりませんが、数ヶ月間の短期の仕事。魅力的です。長期だったら、この町を離れてしか働けないとしたら、先々を考えると、とても決断できなかったと思うけども、初めから期限が決まっている、この職での仕事が、まさかあるとは思ってもいなかった。しかもまさか自分に声をかけられるとは。数ヶ月前にじたばたして、いろんな方々にコンタクトを取りまくった事で、こんな展開になるとは、全く想像もしなかった。この国で職歴と経験が欲しい、自己実現がしたい、自力で何かを切り開いて、ドイツ人と対等に何かを成し遂げて、自分に自信が欲しい・・・・とは常々思うこと。これがドイツでの職歴と経験になったら、なんて嬉しいことだろう。これをやる事で、自分に自信が少しはつくだろうか。とはいえ時期的に、それは私のビザの書き換えの時期。良く言えば、ちょうど語学学校が終了する時だが、学生ビザを取る以外に、私がドイツに続けて滞在できる道はない。このお仕事うけたくても、学生ビザがなければバイトも出来ない。けれども、語学学生用の安い健康保険を申し込むには、学校をきちんと申し込んで「学生」の身分でいなければ。そしてこの「保険」と「学校の証明」がないと、当然学生ビザは下りない。・・・せっかくのお話なのに、これじゃ無理だ。。とはいえ、ガラスの仕事、ドイツ人でもものすごく厳しくて、ここじゃガラスは全く無理、だと諦めてたので、口コミなどで短期の仕事とかもあるもんなんだ・・・、私声かけてもらえたんだ・・・ということが、とてもとても嬉しかった。今回は無理でも、なんだかもうそれだけでも満足。どうもありがとうございます。・・・ところがなんと。会社の方が乗り気になって下さったようで、「ビザと保険はこちらが手配する。住むところも負担する。」という連絡が!!!マジですか???正規のビザ出してもらえるの?私に??私の仕事の為に?もともとビザがあることが条件のバイト程度のものだろうと思っていたのが、まさかビザのサポートを提示してもらえるとは。。まだどうなることかは全然わかりません。話ははじまったばかり。ドイツ語がまだろくに出来ないのもコワイ。こんなんでもだいじょぶなんだろうか??会社が頑張っても、外国人には労働ビザが下りないことも多々あるドイツ。これにかけてダメだったら、かえって大変な目に合うこともあるかもしれない。(滞在権の危機とか?)でもダメでなんぼ。試しにかけてみようと思います。私を覚えていて、声をかけてくださった方、会社のボスの方、ほんとうに感謝です。(例えダメだとしてもね)
2007年05月25日

すごいものを見つけてしまいました。アウトドアショップのショーウィンドウが、春のピクニック風のディスプレイに変わり、そこで目に入ったモノ。携帯用箸。まんなかで二つに分解できる二継式。商品名は、その名も「和武器」。なんで・・・・?更に「自然環境を考え、折れたバットを再利用し、先端部を作っています。」と書いてある。環境問題に熱いドイツ人はこういうのに惹かれるのかしら?私はむしろ引きぎみだが。思わず店に入って商品をチェックしてしまった。どこぞの国の会社がこういうあやしい和モノ商品を作っているのだ?と思ったら、正真正銘の「日本製」だった。うっそ。。日本人でこういうもの(しかもこの命名)を思いつくとは、逆にあっぱれです。ちなみにお値段は25ユーロ(4000円ちょっと)でした。しかし商品説明にも裏の取り扱い説明文にも、どこにもドイツ語表記が見当たらなかった。「箸」と書かれていなければ、この風貌では私もとても「箸」とは気付けない気がするが、ドイツ人、表記なしでこれをどう見る??
2007年05月12日

週末に、近くの巨大公園に行って来ました。ドイツは政府が4年に一度、一つの州に、公園を作るために、多額のお金を順繰りに支給するそうで(Buga)、この公園はそのプロジェクトがこの州の番になったときに作られた物。これがめちゃめちゃ広い!!お花畑から、子供の広場から、芝生の原っぱから、池(湖並み)まであって、ヒツジややぎなんかの家畜もいる。お花の大好きなお母さんが私に、あれこれ花の名前を教えてくれる。が。「ほら見て、んねね、あの花は『継母ちゃん(Stiefmuetterchen)』っていうのよ!」(パンジーだった。模様が顔に見えるから「いつも見られてるよ!」という意味合いらしいが、すごい命名。笑)「ほら、『ライオンの歯(Loewenzahn))』(たんぽぽ)よ!」(葉っぱの形がね。英語でもライオンの歯だねえ。)「あれは『千のかわいいちゃん(Tausendschoenchen)』よ!」(稚拙な日本語ですいません。。デージーだった。花弁が多いから??)・・・と、教えられて、いちいち意味を考えてると、おもしろいものが多い。忘れな草はドイツ語でもそのまま、「私を忘れないで(Vergissmeinnicht)」だった。ちなみにこれは標準ドイツ語ではなく、南ドイツの方言での「私を忘れないで」が、そのまま名前になったものらしい。いちいち長い名前だけど、意味から考えると、短くても未知の単語、よりは覚えやすいのかも。。大学時代、農村調査実習で訪ねた、花を作ってる農家のおじさんが、「同じ花でも和名より外国語名で出荷したほうが高く売れるんだけどな、名前が覚えられないんだ。」ってこぼしてたのを思い出す・・・(笑)。公園の、桜だかさくらんぼの木の一種とチューリップ。色のコントラストが綺麗で思わずパチリ。 チューリップ畑。今の時期この公園はこれが目玉。「それで、んねね、日本の桜は白だけなの?」とお母さんに聞かれて、ぐっとつまる。「・・・あれは日本人にしてみたら、白じゃなくてピンクなの。」と言ってみるが、「ピンクっていったらこの色でしょ。(笑)」と彼が指した木は、濃いピンクの八重桜。なんと「日本の桜」という札がこれにかかっていた。そうだけども、そうだけども、これじゃないのよちがうのよ・・・。彼らは、桜が日本人にとって特別なものだと頭では理解していても、彼らにとっては満開の桜も、私達ほどの意味を持たない。(桜じゃなくても満開な花は同じようにキレイ~って感じね。笑)まあねえ、いくらきれいきれいって見ても、桜に対する感じ方や思い入れは、私と彼らでは全く違うんでしょうね。。そういや、どっかの外国人の、どうして日本で桜がそんなにもてはやされるのか、さっぱりわからない。色もうすくてインパクトに欠ける。もっと綺麗な花はたくさんあるのに。っていう意見を以前何かで読んだことがある。私たちにとっては桜って、視覚的な美しさからでなく(それもあるが)、春到来、とか、入学式・物事の始まり、新しい出会い、とかいろんな心躍るイメージに結びついてる花だからこそ、これほどまでに愛されてるのかもしれないね。私も花自体はもっとスキなものがいろいろあっても、やっぱり桜は特別です!去年行った山寺での桜。去年は日本の桜を見せたくて、というか自分が桜を見たくて、その時期に合わせて帰国した。4月に関東でがっつり桜を見たあと、GWに山形に行ったら、たまたまその年、その地域はその時期が桜が見ごろではからずとも2度、時差アリで楽しめた♪しかも雪山がバックだった・・・。山形の5月ってドイツより寒いのかも。。
2007年04月25日
皆様、またまたお久しぶりです。私は元気にやっております。少し前に、旅行がてらイギリスに、吹きガラスのアシスタントに行って来ました。オーストラリアでの元同僚が、今イギリスの大学で働いていて(制作活動)、私はそのお手伝い。生徒さんにアシストしてもらっての制作では、なかなか思うようにいかなかったという彼女、一緒に働き慣れた私が来て、とっても喜んでくれました。私も吹き場で働くのはすんごい久しぶりで楽しかった。自分の吹き時間ももらえて感謝感激・・・。でもけっこう忘れてたぞ(苦笑)。イギリスで一番印象に残ったのは、物価の高さ!大学のそばのスーパーでお昼に、コンビニによくあるような、サンドイッチ二切れのパックと、小さいジュース買って、しめて千円。え??って感じ。ロンドンのこじゃれたカフェとかじゃないのよ、スーパーよ!こだわりの手作りサンドイッチ屋じゃないのよ、パックのサンドイッチよ~!ウワサには聞いてたけど、ほんとに高いのねえ。。うけたのは私の日本の祖母。「イギリス、高かったよ~。」と電話で話したところ、「きっと不況なんでしょう。属国がなくなったから。」とのたもうた。おっおばあちゃん、どこで時が止まってるんでしょう・・・。「属国」ってすごいな。。週末にはロンドン散策してきました。「こてこての『観光客』になりたい」という私の希望で、参加したのがフリーツアー。ベルリン発の会社の無料(チップ制)の散歩ガイドツアーなんだけど、友達がベルリンに来た時一緒に参加してみたら、これがすんごいよかったの。毎日開催、予約不用、時間に集合場所に行けばいいというだけのカンタンさ。今はロンドンにもあるということで、ロンドンの歴史から、名所のウラ話まで、丸ごとロンドンを楽しんできました♪帰る前は、ブリティッシュパブで、ビールにフィッシュ&チップス。お約束でしょ(笑)。実は大学時代、2月のロンドンに、航空券の安さにつられて、旅行に行ったことがあった。あの時は、寒い、薄暗い、天気悪い、食べ物が不味い、空も町も灰色、更に、旅行直前にテロ事件、滞在中に狂牛病騒ぎ勃発、と(その時期そこに居たおかげで私は日本では献血できないらしい。)けっこう鬱々としたイメージがついて、これがヨーロッパならもう一生行かなくても別にいいや、くらいに思ってた。(まさかそのヨーロッパに住むことになるとは思ってなかったけど)友達がいる今を逃したら、イギリスなんてほんとに一生行かないだろう、と思って行ったけど、季節でこうも違うものか!と思うくらい美しかった。季節と第一印象ってほんと大事・・・。さてドイツに戻って。というか時間はさかのぼるけれど、この数ヶ月私は、ドイツのガラス事情、マイスター制度、教育システム、就職事情について調べまくっていた。なにしろ私、ドイツのシステム・事情を知らなすぎ。特にガラスみたいなマイナーな専門分野のことになると、ドイツ人に聞いてもわかりません。(ハローワークみたいなとこ行っても誰も知らなかった。)どこで誰に聞けばいいのかもわかりません。大体、最初はドイツ語でのガラス用語もわからなかったので、ネット検索かけてもなかなかヒットしなかった。ドイツの手工業界にはゲゼレ、その上にマイスターという特殊な資格があり、3年間の実地訓練・学校での理論、試験を経て初めて資格が取れ、職に就ける。逆に言うと、この資格なしにはドイツ人、職人にはなれない。パン職人・お菓子職人などのマイスター制度については、ネットで日本語でもけっこうヒットするけれど(絶対数が多いのだろう)、ガラス業界についの情報は皆無。最初は大苦戦したけれど、ガラスはまただいぶ違った教育システムがあることが分かった。近くに工房がひとつもないことは最初からわかっていたので、ガラスで働きたい!というわけでもなく、情報集めてどうするの?っていうのも、自分でもよくわからなかったけれど、とにかく調べたかった。最終的には、ドイツのガラス界の中枢、チェコとの国境付近にある南ドイツのガラス村の学校を訪ねた。夜行電車でひとり、11時間かけて行きました。つーかその時間にびっくり。ほんとに国内??(イギリス行くほうが安くて早かった!)最後に乗り換えた電車は、車両一両、アジア人がめずらしいのか、行きかう人の視線を感じる、という、超田舎のちいさな村だった。ドイツの職人教育は、現場(会社・工房)での実地訓練が不可欠で、労働許可が必要になる為、今はこの目的の外国人にはビザはほとんど下りない。例え下りても、その後ドイツでその職に就く道は、かなり閉ざされている。なにしろドイツ人ですら職がないご時世なので、職場が「君採るよ」と言ってくれても、なぜ外国人を採る必要があるのか、と外人局がなかなか労働許可(ビザ)を出さない。ドイツでの職人留学の手配をしてくれる機関が日本にあるのだけれど、これも、今のドイツの事情の波に押され、去年から休止になったそうだ。ネットや雑誌で紹介されるドイツで職人になった方は、ほとんどがドイツ人配偶者がいて、ビザに問題がなかった、という方だった。ところが、ガラスには、ふたつの道があることがわかった。ひとつは同じように、研修制で労働ビザが必要な道、もうひとつは、学校のみで理論・実地をすべてやる道、後者には「ゲスト」という立場で、外国人留学生を受け入れるシステムもある。ただ「ゲスト」として入ると理論や試験を受けなくてよい代わりに、学費がかかり、卒業してもゲゼレ(職人資格)が取れない。この学校がすごかった・・・。500年のガラスの歴史のあるドイツ。100年の歴史のある学校。(日本の学校は一番古くて20数年。)日本のアート寄りのガラス学校と違い、その専門職につくことを想定して教育する学校なので、とにかく設備が企業並みにスゴイ!ちょっと、コレ、日本で働いてた時の下請け加工会社にあったよ、つか学校でこんな設備、見たことないよ!コレは会社でも見たことないよ~!今こんなのあるの??ってのの連続。。大変勉強になりました。使わせてもらったわけじゃないが。しかも公立なので、学費・材料費はタダ。学生は自由に練習に使えるという、壁面いっぱいにどわ~っとストックされてるお高い材料を見ながら、私、日本のガラス学校で勉強する為に何年かけて何百万稼いだっけ・・・ドイツのワカモノたち、しあわせよっ!!と腹の底から吠えたい気分だった。でもね、こんなにがっつりみっちり教育されても、ドイツ人でも就職ないんです。しかもドイツは教育と職業が直結しているので、ガラスがダメで違う職に就くならば、またその違う分野で、学校から入りなおさないといけない。会社が教育してくれる日本みたいに、つぶしが効かない。更に、日本だったら学校卒業して就職せずに、アーティストとして独立しよう~、自分の工房作っちゃおう~ということも可能だけれど、法律でがんじがらめのドイツでは、それがものすごく難しい。実際、多くの若者たち(卒業生)が、職が見つからず、まったく違う分野に流れたり、専門を変えて学校に残ったりしてた。まあ、ガラス学校出てもガラス職につく人が少ないのは、日本の学校でも同じなのかな・・・・。聞くこと見るもの全てが新鮮で興味深かったけれども、(帰りの電車で、聞いたことをひとりレポートにしてた。)目が釘付けになったのが、生徒さんの作品のひとつ、酸素バーナーでのアクセサリー。アメリカから広まった、インサイドアウトという新しい技法だった。(写真で示したかったけど、勝手にリンクしちゃまずいんだろうな・・・。もし興味のある方は、是非「インサイドアウト バーナー」などで検索して見てください。すごーくキレイですよ!)私が学生だった頃は、インサイドアウトは日本ではまだ普及していなかった。その後ちょっと興味は持ったものの、私もいまだにやり方は知らない。これをここでは教えるのかと尋ねたら、学校で教えたのではなく、自力で研究してインサイドアウトの作り方を解明した生徒がいたのだという返事だったが。吹きとは違い、一人でも家でも出来る、バーナーワークは、以前から関心があった。とはいえ今までは、それで何がやりたい、というのがピンと来なかったが、インサイドアウトを手にした時、これだこれだ!このインサイドアウトをやってみたい!と心が躍った。設備も材料も好きに使え、なおかつ人脈が出来るなら、ここで一人暮らしして、2,3年くらい学校に通うのもアリかも、と何を血迷ったか思ったが、あいにく、というか、幸い?、外国人の経験者への空席はなかった。まだ言葉も不自由で、収入もない苦学生なのに、趣味にひとり暴走して貯金をつぎ込んではいかんよな。。でもひとり決心。独学で出来る人がいるなら、時間はかかってもひとりでも学べる。(幸い、基礎はある。)今は家の中で道具を設置できる環境じゃないけれど、定住の際にはバーナーとガスボンベ・酸素ボンベ、絶対買うぞ・・・。新しい方向へ、ガラスへの夢が膨らみました。やっぱり火が好きだなあ~。いろいろ調べる過程で様々な分野でほんとうに多くの人にお世話になり、個人的なことを打ち明けあうほどに親しくなった人も数人いた。(そこで知った、未知の職人生活、学生生活のウラ事情もありがたかった。)面識もないのにいきなりメールを送りつけて、質問をさせてもらった人がほとんどで、失礼だよな~私・・・と恐縮したけれど、皆さん、一人残らず、親切に丁寧なお返事を下さった。ほんとうにほんとうにありがたいです。何をするにもとにかくドイツ語がキー!とも思い知った。少し出来て助かった部分も多いけど、あまり出来なくて大変だったことも多い。ドイツ語の勉強、やっぱり重要。。イギリスから戻り、ドイツ語も新クラスが始まりました。中級2、一般ドイツ語コースの最後のクラス、でもある。まだこんなに出来ないのに、もうそんななんだ・・・。学校も、もう8ヶ月になるんだなあ。あっという間でなんかコワイ。まだぜーんぜんドイツ語難しいよ。。前の日記では辛口に泣かされた話をしたけれど、あれから、きっぱり家ではドイツ語のみに切り替えて、ドイツ人のパーティーなどでも、もう英語は一切使っていない。普通の人たちが普通にわいわい言ってることは、理解度も断片的、もしくはさっぱり??だったり、私のしゃべりも、超スロー&間違いだらけではあるけれど、周りの協力もあり、すこーしずつ口慣れしてきてはいる、気がする・・・。もっと慣れろ~、もっと慣れろ~~~。「やっぱり時間が解決してくれる部分もあるよ。」と既に数年暮らして体験談?を語ってくれた人もいて。ダメダメドイツ語でも辛抱強く相手してくれたり、支えてくれる、励ましてくれる周りの皆がありがたい。一般コースは終わっても、学校は続けるつもりでいます。言葉が出来ないことそのものよりも、わからないということから萎縮しちゃうのが辛いのよね・・・。今何か動きたい!と思って、いろいろ調べまくったのも、もしかしたらそんな今の自分を打ち破りたかったのかもしれない。ことばって大事。これが出来なかったら、いつまでたっても私は誰かを頼り、誰かにおぶさった状態のまま、生きていくことになる、ともしみじみ感じる。私は、二人で並んで共に歩んでいける人間になりたいよ。誰かの人生にのっかって、おぶさったまま一生行くのはコワイ。なりたい自分になるためにも、夢を持ってがんばりまっす。
2007年04月22日
月末のテストがまたありました。もう1ヶ月たつの?日がたつのが早すぎてコワイ。今回は、合格点に0,5点足りなかったワタシ。。あらら、と思ってたら、それでも私はクラスで2番だと知って驚いた。テストが難しすぎなのか、生徒が出来なすぎなのか・・・。学校を合計4か月分スキップしてしまい、出来ない感いっぱいで入ったこのクラスだけど、ここまで来れたとは感無量です。(合格点に達してないけど。)2ヶ月後には皆に追いつきたい、と以前の日記で書いたけれど、しゃべる能力はまわりと比べるとまだ低め。。こちらの人と結婚して長く住んでいる日本人の友達と久々に会った時、私が家でドイツ語で話しているかと聞かれ、まだ英語が多いと言ったところ、「このままだと、留学したのに日本人とばかりつるんで、結局英語話せず終わる日本人留学生と同じだよ。」と言われ、家に帰って泣きました。。彼女の言うことは実にもっとも。悪気があってのセリフじゃなく、ドイツ語もっともっとしゃべりなよ!じゃないと覚えないよ!と、はっぱをかけてくれているのは分かる。練習できる環境にいるのに、ドイツ語を徹底しない私が怠け者なんだけど、違う部分で自分なりにはかなり努力していたつもりだったので、こう言われたのはこたえました・・・。でもこういうくやしさ?をバネにできればいいんだよね。実際、ほんとにもうちょっと危機感持たないと、ついつい居心地いい言語に流れてしまう。ありがとう○○ちゃん、と思えるように、これからは心を入れ替えて、もっと「しゃべるドイツ語」、頑張ります!
2007年03月05日
今のクラスではパレスチナ人君がなかなかキョーレツです。存在感薄いし、無口なのだけど、たまーに口にすることに大きなカルチャーショックを覚える。「未来の科学技術に期待することは?」の質問に「兵隊なしの戦争。」と答える彼。タイムマシン、空飛ぶ車、とか言ってる私たちとは発想の次元が違う・・・。あるとき、このパレスチナ人君が立ち上がった拍子に、後の席に座っていた人の、机の上の電子辞書にぶつかり、落としてしまった。ガシャン!と音がして、電池のフタが外れた。それを見た彼が咄嗟に言ったことは「境界線を越えてたお前が悪い。」実はこれはアラビア語でつぶやいたのだけれど、他のアラブ人生徒が「今ヤツはこう言った。」とドイツ語に訳してしまい、辞書の持ち主は激怒。(まあ、そりゃそうだ。)す、すごい・・・。しかもその発想。小学校だか中学校だか忘れたけど、そういえば国語の教科書に、アラブ人は謝らない、って内容の話があったのを思い出した。(それがメインの話じゃないが。)著者がアラブの国でアラブ人に何かを尋ねたところ、言われた答えが間違っていた。後で「間違ってましたよ。」とかなんとか言ったところ、「あなたが間違ったことを聞いたのです。」だったか「あなたの記憶が間違っている。」だったか、責任転嫁された。それを聞いて、普通なら怒るとこだろうが、その時自分は、ああ、アラビア人だなー、と思った、とかいう話。(アラブ人って、皆こうなのか??)まあ、謝らない人はどこにだっている。私がオーストラリアで一時一緒に住んでいた大家のおばさんも強烈だった。私のパソコンのコードに足を取られて、彼女がつまづいて、お茶を私と電子辞書にぶちまけたことがあったのだ。その時の彼女の一言。「もっと気をつけなさいよ!」え?私??私はずぶ濡れ、床もテーブルもびしょびしょ、電子辞書はもちろん昇天したが、謝罪の言葉はなく、片付ける素振りもなく、私があわあわ辞書と格闘したり片付けてる間、彼女はソファにどっかり座ってTVを見ていた。(悪気ナシ。)この時は彼女のセリフと態度にあんまりびっくりして、咄嗟には怒りすら湧かなかった。後になって、ああ言えばよかった、こうすればよかった、って思うものなのよね~。。(この人とは結局、こういう些細なことが積もっていって、喧嘩別れで退去する形になって永久に別れた。)ああ、こんなこと思い出しちゃったわよ。「外国に住んでると、びっくりするようなことがあっても、日本じゃないんだからしょうがない、って思うしかないこともいろいろあるよ。」と言っていた友人がいたけれど。いろんな人がいるのはどこも一緒だけど、国じゃなくて人による!と思っていたけれど、パレスチナ人クラスメイトを見ていると、もしかしてお国柄って相当あるのかも・・・思ったりもする。かと思ったら、今日は、前のパレスチナ人君と同じ状況で、他人の辞書を落としたレバノン人君が、きちんと謝り、自分で落とした物を拾っていた。ううむ、アラブ人でも彼は謝る・・・。謝ることに驚いている、偏見のカタマリな自分に気付いた日でした。
2007年03月02日
新しい学校に通って1ヶ月目が終わった時、抜き打ちでテストがあった。というか、抜き打ちではなく、毎月、月の終わりに1ヶ月分の範囲のテスト、というのがこの学校のやり方らしく、前から通っていた何人かの生徒は知っていたようだけど、私、そんなの全然知らなかった!ちなみに3ヶ月毎にもテストがある。これは私も知っていた。そっちは本気のテストで、エッセイや口頭試験などもあり、点が達しなかったらクラス上がれないらしい。今回のテスト(月々のテスト)は、ただの力試し。これで落とされる、ということはないらしく、忘れてることいっぱいあるけど、安心?して挑んだのだけれど。結果はまあまあだった。すごく良いというでもなく、悪いというでもなく、なんとか合格圏内、という程度・・・。でもちょっと驚いたのが、べらべらだなーといつも思ってた生徒たちが、テストではめちゃめちゃ悪い点だったり、案外してたこと。私はしゃべれないほうだけど、文法や作文はしゃべれないわりにはわりとまともらしいと知って、なんだか不思議な気持ちがした。なんで彼ら、文法アナだらけでもこんなにしゃべれるのかなあ。なんで私はこんなにしゃべれないのかなあ。。いかにも「日本人の外国語」って感じ(苦笑)。「テストがあった。」とこの答案を、ドイツの普通の学校の先生をしている年配の方に見せたところ、どーれどれ見せて、と笑いながら受け取ったものの、読んでいくうちに真面目な顔になってきて、「こんな難しいことやるの?これはうちの学校の国語(ドイツ語)の教師に見せたい。これはドイツ人でも難しいよ。大学出てる人ならまだしも。外国人が中級でここまでやるのか・・・。」との感想をもらい、あ、なんだそうなんだ難しいんだ、じゃそこそこでも落ち込むことないんだ、合格点な私はスゴイ、と楽観的に思ってしまった。(でも習った内容なんですけどね・・・。)とは言え、ネイティブにこう言われたことは、けっこう驚きだった。何も、この学校が特別難しいことを要求したのではなく、この内容はどこの学校でも通る道。しかもまだレベルはそこそこ。一通り学校終えた人って、更にドイツの大学とか行っちゃう人って、すんごいハイレベルなドイツ語の勉強クリアしてるんだな~、と改めて思って尊敬の念が湧いた。ドイツ人の習うドイツ語と外国人の習うドイツ語の差なんだろう。大体、母国語ってそんなちゃんと文法習わないもんな。大学進学に必要な、外国人向けのドイツ語の試験って、ドイツ人が受けたら70%は落ちると聞いている(これってほんとか??)。英語同様、テスト結果とコミュニケーション能力はまた別モノだけどね。。私だって日本語ぺらぺらだ(と思ってる)けど、日本語の文法なんて知らん。日本語学習者のお手伝いをしたときは、おおうこんなの説明できん!の連続だった。見たことないけど、私も日本語能力検定1級とか受けたら、ぼろぼろだったりするんだろう、きっと。習うより慣れろ、とも言うが、「文法を勉強しないのは遠回りだ。」と以前言われたことがある。確かに、ネイティブが言葉を覚える過程には、既に膨大な年月の「慣れ」が下地にあるわけで、それがあるからこそ、細かい文法を知らなくても、感覚的にわかるのよね。大人になってから外国人が同じプロセスで言葉を覚えようとしても、その文法ルールを経験のみで自分で積み上げて行くのには、更に膨大な年月がかかるだろう。だからきっと最初にすみずみまで説明される「文法」知識が有効なわけで。私の教科書の例文や練習問題だって、文法事項に徹底しているあまり、(会話で使える文、とかじゃなくてね)「こんな複雑でヘンな言い方、誰もしない!」と言われることしばしば・・・(笑)。もっともそんな複雑なのは、例え読んでわかっても、私は使えませんが。。ちなみに上記の先生は、同じ学校の先生や、同じ敷地内の高校の先生に見せるため、後日ほんとに私の答案をコピーしていった。(私のおバカな間違い答えもお天道様の下に?!はずかしー。)高校の卒業試験よりも難しい、となおもぶつぶつ言いながら・・・。
2007年02月11日
ちょっと古い話題ですが。先月ヨーロッパを襲った暴風雨キュリル(Kyrill)。何十人も人が死んだり、大きな被害が出たようだが、私はその頃、お夕寝をしてしまって、二重窓に囲まれたあったかいおうちで、惨事も知らずに平和な時を過ごしていた。ところで、このキュリルという名前。なんと、実在の人物がお金を払って、風に「自分の」名前をつけてもらうのだそう。ちなみにこの「キュリル」は、3人の娘たちが、父・キュリルの誕生日にお金を出し合って贈ったものだそうだ。その金額約30万円。30万払って風に自分の名をつけたい心理はいまいちわからんが、「気象史に永遠に残る」とかいうところだろうか。暴風雨にじゃなく、「風」に、リストにある順番待ちの名前がつくそうで、今回の惨事を引き起こした暴風雨が「キュリル」で、有名になってしまったのはたまたまだろうけれど。(本人としてはこれは嬉しいことなのだろうか?)以前は高気圧には男性の名前、低気圧には女性の名前がつけられていたそうだが、「なぜ男が常に『高』なのだ!!」というフェミニストの抗議により、今は、高・低気圧共に、男女交互につけられているそうだ。おもしろい。アメリカのハリケーンはアルファベット順に女性名がつくと聞いたな。律儀に順につけてっても、XとかQとか難しそう。3順目くらいにはネタ切れしないのかね。私は「キュリル」が男性の、人間の名前だということも判別できなかったよ。人の名前とか、土地の名前とか、固有名詞とか、苦手。「名前」とわからず、しょっちゅう辞書ひいてしまい(もちろんみつからない)、学校の課題の例題に出てくる名前も性別が判別できず、女性名で思いっきり「彼が・・・」と言ったりするのも日常茶飯事。話とびまくり。
2007年02月09日
今のクラスには何人か中東出身の人たちがいる。イスラエル、パレスチナ、レバノン。どれも私には偏見もないくらい未知の国。レバノンに関してはどこにあるのかすら知らなかった。学生時代、歴史や地理をあまり真面目に勉強せず、例え日本にいても、ものすごーく社会情勢に疎い・関心の低い私は、これらの国がどれほど難しい関係にあるかを、よくわかっていなかった。「外国人が自分の国に対して持っている偏見は?」と授業中に聞かれたときに、イスラエル人の子が「邪悪な国だと思われてる。」と言ったのに、あはは、と笑ってしまい、他に誰も笑わないその雰囲気に、小さくなった。家に帰ってネットで、去年のイスラエル・レバノン間の戦争や、パレスチナ問題の詳細、ユダヤ人を多く抱えるアメリカがバックについていて、例え筋の通らない内容でもイスラエルに有利なように事が運ばれる・・・ということを今更ながら知り、全然笑えない「偏見」だったことを今更知って、ひゃ~、と思った。先生がイスラエル人のその答えを聞いて、「ほんとに邪悪か?実際はどうだ?」と尋ねたのに対し、「ほんとう。僕もそうだ。」と笑って答えたのは、もしかしたら同じクラスにレバノン人・パレスチナ人がいることを思っての処世術だったのかもしれない。隣り合った国同士、あのあたりはいろいろ難しいのね・・・。今同じクラスで机を並べているのは、どんな気持ちがするのだろう。ちなみに「子供の肥満」についての記事を読んで、それぞれの国の食生活事情を話し合うことになった時、パレスチナ人の子が「パレスチナには肥満の子供はいない。食べる暇がないからだ。」と言った時は皆どっと沸いた。「どうしてヒマがないんだ?」の問いに「皆戦争するのに忙しいから。」と答えたけれど、このときは皆げらげら笑った。ほんとにいろんな国があるよ。カースト制度のある国で育ったクラスメイト、一夫多妻制の中で育ったクラスメイト、戦争や貧困の中で育ったクラスメイト、今は同じ国で、おんなじように机を並べていても、それぞれのバックグラウンドの違いを考えると不思議な気持ちになる。今更ながら、勉強になります。
2007年02月03日
新しい学校に行き始めて2週間たちました。私が今までネットや人の噂などで聞いていたこの学校に通っていた人の声は、「とにかく厳しい」「スパルタ」「今でも学校の駅を通ると、登校拒否ぎみの気分が蘇ってくる。」などという、きっついもの。それでもここを選んだのは、学費が格段に安かったから。そしてなにより「ここで一番力が付いた」という話をよく聞いたから。そうそうついていけないことは覚悟していたので、授業が始まって実に難しい状況に陥っても、それほどショックは受けなかった。クラスを見渡して、みんなすごいな~・・・と、ひとごとみたいに感心したり。全体的に私は遅れていたけれど、歴然と劣っていたのは語彙力、そして会話力(聞くほうも話すほうも)だった。2ヶ月分スキップしてしまったから、その分が足りないと考えて、2ヵ月後にはみんなと同レベルになれるように頑張ろう、今はみんなより出来なくてもあたりまえだ、と思い、死に物狂いで勉強しだした。授業でさらっとやった、たかだか2、3ページの長文を、家に帰って、単語を調べ隅々まで理解するのに、3、4時間かかる。音読能力がないので練習に、それを「理解しながら」読み上げようとすると、慣れない単語を発音するほうに意識がいってしまって、意味が頭に入って来ず、わかったと思えるまで音読してみたら、一回ひととおり読むだけで1時間以上かかった。慣れだ、慣れ、と思ってそれを繰り返しても、3回目の音読でもまだ40分かかる、という、朝になりそうな作業。しかもこれは課題のほんの一部で、まだまだやることがある。とにかく書かせる宿題が多く、思う以上に時間がかかる。現在形の動詞を過去形にして作文する宿題では、過去形だけでなく、他の活用でも作文して、声に出して練習しておく。(授業では宿題の課題だけでなく、違う活用、名詞形、形容詞形などを、抜き打ちでばんばんあてられるの恐ろしい。しかもけっこう皆答えられるのがもっと恐ろしい。)私の電子辞書では対応できないマニアックな単語も出たりするので、そこだけは独独辞書をひく。当然一発で理解できないので、説明に出てくる単語をまた引いたり、めんどくさい。知らない単語は抜き出さないで、文章ごと何度も音読する。動詞の活用だけは、小さいカードに書き連ねていって、いつもポケットに入れておいて、電車の中などで覚える。毎日60個前後の不規則動詞が出される。消化スピードより、授業の進むスピードのほうがはるかに速く、ちっとも覚えられてる気がしないけど、気を落とさずにとにかくやる。全部覚えられなくても慣れればきっとラクになる、やらなきゃ慣れない、と心を抹殺。平日は、睡眠時間を取るだけで精一杯、な日々だけれども、これは力がつくだろうな、という手ごたえがある。ある時、家で宿題を添削してもらっていたところ、「正直言って、先月のんねねからは、この課題が出来るとは想像もできなかった。」と言われた。まだ2週間よ??「うん。でも進歩してるのがわかる。」すごくうれしかった・・・。出来てなきゃ困る宿題が出来たことを褒められて、喜んでるんだからレベル低いけど、でもでもやっぱりうれしい。出来なくてもそれなりに、出来た小さなことがモチベーションになっていくのね。今のクラスは大学進学準備中の人が多く、総じてモチベーションが高くて、いい刺激になっています。ドイツ語学習期間は同じらしいのに、皆すごくよく出来る。なんであんなに語彙力あるのか、なんであんなに話せるのか。毎日、数限定で新聞が配られるのだけれど、皆我も我もと手を伸ばすのが、私には信じられん。私が新聞もらったって、ナベ敷きくらいにしか使えません・・・。周りと比べて出来なくても、以前の自分と比べて進歩してるならよしとしよう。追いつく前にクラス落とされそうな気もするが、それでもまたよし。こつこつやってればきっといつか、ああこんな課題でひいひい言ってたんだなー、と自分で笑える日が来るだろう。がんばりまっす。
2007年01月13日
久々の日記です。皆さんお元気ですか?もうすくお正月ですね!クリスマスは12月に入るなり大盛り上がりだったドイツも、お正月となると何もないよう。クリスマスは家族にとても楽しませてもらったので、お正月はわたくしめが、お正月料理をちょっとは作って、しめやかにもう一祝いいきましょう。あ~、お雑煮食べたいな~。所詮、自分の為??しばらく学校を中断して自主トレの日々でしたが、、来年から通う語学学校のクラス分けテスト受けて来ました。中盤体調を崩して、学校を延長するのをやめたので、学校には正味4ヶ月しか行っていません。これからまた再開するにあたって、ウワサで聞くスパルタ学校を選んでしまって、申し込みに行く前からもうびくびくしていた。「レベルが高く、他の学校からそこに移ると、大抵それまでよりひとつ下のレベルのクラスに下げられます。」とかなんとかいう話を聞いたときは、けっこうどよーんとした気分になった。今まで、がんばって早く前に進もう進もう、早く初級を終えよう終えよう、と思ってたけど(経済的な理由)これ以上下げられたらまた1からになってしまう。。なんかもういいや、1から鍛えなおしてもらおう、そんなに厳しくやってくれるなら、という気持ちにもなるわけで。そしたら期待を裏切って、テスト後指定されたクラスは中級だった。マジですか?中級って7、8ヶ月初級で勉強しないと進めないって思ってたけど。おたく評価厳しいんじゃなかったの?私入っていいんですか?自習でもこの門をくぐり抜けられたとは感涙。わーいわーい!高飛びできてうれしい~♪と最初はヨロコビの波が来たけれど、次は不安の高波がざぶーんと来た。授業についていけないんじゃないか、ドイツ語での授業久しぶりだし。クラスメートとロクに話も出来ないんじゃないか、他人のしゃべりに慣れてないし。中級は独独辞書以外使用不可、とここに通ってた人が前言ってた、そんな辞書、私にひけるわけがない、などなどなどなど・・・。自習中心だったツケっていうのは自分でも感じているわけで、そのどれもがきっと起こるだろうけれど、まあ起こってから考えよう。逃げては通れない道だしな・・・。ここんとこしばらくのんびりしすぎた。来年は心を入れ替えて勉強します。学校は1月2日からです。はやっ。どうぞ皆さん、良いお年を過ごし下さい。一足早いですが、来年も宜しくお願いします。
2006年12月29日
ご無沙汰してました。皆さんお元気ですか?私はここ1ヶ月ほど体調を崩していました・・・。風邪をひき、熱は下がったのに体調が一向によくならず、病院に行っても相変わらず、めまいや吐き気や倦怠感で寝たり起きたりを繰り返していました。というか、昏々と一日の大半を眠り続けて、自分でも、これは一体何??と不安になっていました。思い当たったのが、一ヶ月前から処方を変えて飲み始めた漢方薬!生理痛対策で、ここ半年ほど漢方薬を飲み続けているのですが、先月、それが違う処方のお薬になったんですね。考えてみたら、薬を変えた週に風邪を引き始め、そこからずっと体調を崩している。風邪が長引いている、と思っていたけど、もしかしたら薬が合わなくて体調を崩したのではないか・・・とふと思い立ち、クスリ断ち(なんかヘンな響き)をしてみることにしました。こうやって書くとコワイものみたいだけれど、漢方薬はなかなか偉大だったのですよ~。生理痛をはじめ、微々たるものではありながらも、あちこち弱いところがあった私。今までずっと生理痛には痛み止め、こっちが悪い時はこの薬、あっちが弱いときはあの薬、と西洋医学のお薬を、その都度個々の症状に合わせて飲んでいた。それが、日本帰国時に漢方薬局に行ってみたところ、それらの症状が全て同じ原因から来ていることを指摘されたのだ。(平たく言うと冷えとそれによって起こる血液循環の悪さ。)「ここが弱いと、こういう症状も起こるのですよ、こういうこともありますよ。」というのが笑えるくらい全部あてはまっていた。驚いたことに、肉体面だけでなく精神面も。実際、漢方を飲み始めて体調は改善されつつある。慢性的な生理痛持ちなので、全くなくなるとまでは行かないが、痛み止めの量はひところに比べてだいぶ減った。体調が整ってきたので調子に乗って、もっといいのないかな~、他のも試したいな~、と、処方を変えてもらったのが悪かったか?ほんとに漢方薬のせいかどうかはわからないけれど、止めて二日目の今日は、体調万全とは言わないまでも、わりと調子がいい。ちょっとしばらくこれで様子をみよう。これから先はどうしようかなあ・・・。もとに戻してもらって続けるか、また別な処方にするか、止めてみるか。日本から送ってもらっているで面倒なのと、保険が効かないのでかなり高額(月2万円前後)、というのが難点。目に見えてめざましい変化が!というほどのものでもないので、どれだけ続けたらいいものなのか、判断出来ないのも難しい~。
2006年11月13日
今日学校に行ったら朝からいきなりテストがあった。初級の最後のクラスに移行する前日だったからかな。抜き打ちでやられたけど、私にしては、ひとりで勉強してたところが、身についているか、やり残していたところはないか、確認するのにいいテストだった。ありましたよ。こんなのどこにあった??という文法項目が~。気づいてよかった・・・。その項目の私の正解率3割。なぜその3割は分かったのか、逆に分からん。しかしそれ以外はよく出来た。やるじゃん、私!満足まんぞく♪つくづく思うが、私は自分がどんなに出来なくても、基本的には上は見ない。(落ち込むことはもちろんあるし、先の目標を掲げたりはするけれど。)その時々の自分に要求するレベルが低いというのか。上を見たらキリがないし。基本的には、どんなに底辺で蠢いていても、私よくやった!と思っている(笑)。山登りで言ったら、進むのに足元しか見ないで、ほんのふもとで、進んだ距離やそこからの展望を喜んでいる、感じだろうか。話が変わるけど、この心理テストを是非やってみてください。リンク先の方の日記で久しぶりに見かけて思い出しました。質問:ぱっと思いつく四字熟語ふたつを挙げてください。挙げました?答え:ひとつめの四字熟語:あなたの人生観ふたつめ:あなたの恋愛観だそうです。学生時代にこれをやった私の答えは「自画自賛」「自己満足」。友人や家族に「当たってる!!」とさんざん笑われたものでした。なんというか、超自分中心で、シアワセそーな結果だよ・・・。言い訳だけど、四字熟語というとどうしても、「自」で始まるものを連想してしまう、学生時代の思い出があるのです。高校時代の現代文のテストで「自○自○:○に漢字を入れ、四字熟語を作れ。」っていう問題があったんですね。自画自賛・自暴自棄・・・今思いつかないけどいろいろあったものの、「自分自身」と書いた同級生がバツをくらって、これがなぜダメなのか説明してくれ、と先生に詰め寄り、先生が理由を明確に答えられなかった、「でもとにかくそれは四字熟語ではないのだ」と言うのを興味深く見ていたのです。四字熟語って意外と難しいようで、大人になっても、これをやると、「春夏秋冬」など、四字熟語ではないものを挙げる人は多い。というか私の中での四字熟語の定義がほんとに正しいのかどうかもあやしいけど・・。なんてったって自画自賛ですから。そう、でも、さっぱりわからず先の見えない勉強をするにもこうやって、出来ることだけを喜んでいる自分を思い、たかが心理テストされど心理テスト、意外と当たってるのかもな、とふと思ったのでした。
2006年10月20日
この前クラスを移されてしまったインド人の同級生の話をしよう。彼はほんとーにネタの人だったので、いなくなって残念。。最初会った時、彼のしゃべりを聞いてびっくりした。なんて言ってるの??つか、これは何語????ぺろぺろぺろっ(ほんとにそう聞こえる)とすごい早さで何かをしゃべる彼。英語でもドイツ語でも、もちろん日本語でもない。。でも自信たっぷりにしゃべってるな。インド人は英語は話せると言うし、これは訛りの強い英語なのだろうか。とはじめ思ったが、英語じゃなかった。インド語??(ヒンディー語、というのか?)なんか自分も日本語で話してもいいかな~って気がしてくる。でも現地語でもなかった。他の人たちも先生も、ずっと彼の言ってることが分からずにいたけど、ほとんど想像の世界で会話を続けるうち、なんとなく意思の疎通が取れるようになってきた。(それも私の想像かもしれないけど。)彼のしゃべっていたのは、なんと最初からドイツ語だった。ドイツ人でも理解するのが難しい、超スピードと超訛ったドイツ語。なんでも、しゃべるほうは問題ないが(ほんとか?)、読み書きがあまり出来ないので学校に来ているそうだ。彼が休み時間に私に話しかけてくる。「ぺろぺろぺろぺろぱるげっせん?」(ほんとにそう聞こえた。)「『ぱるげっせん』ってなに?」(唯一聞き取れた言葉だけを聞いた。)「しらない。」「しらない、ってアンタ今言ったじゃないのよー!」結局わかった彼の「ぱるげっせん」は、「vergessen(フェアゲッセン。忘れる)」だった。理解できた自分にカンパイ。つか、それ以外はまったくわかんなかったけど。比較級の勉強をしていたとき、生徒達の身長を聞かれた。ちなみにその彼の身長は見たところ190センチちょっと。身長を聞かれた彼の答えは「1メートル162センチ。」・・・んなわけないだろー!女性サイズかい。もう一度答えさせられた、彼の次の答えは、「2メートル90センチ。」・・・今度は人間サイズじゃありませんでした。。
2006年09月24日
うちのクラスは盲目の新入生を迎えた。点字辞書らしい不思議な機械と(何かカチャカチャやると、点字が浮き上がってくる。)これまた不思議な形態の点字ノートを使っている。(平行を保つ金属板のようなものをあてがって、キリみたいな道具ですごい勢いで紙を突いていく。)見えないから当然と言えば当然なのかもしれないけど、学校指定の教科書も問題集も持ってはいない。皆が各自問題をやるときは、先生が一対一で口頭で問題を出していく。完全に、耳と口だけで授業を受けている。が、しっかり授業についていってる。恐らく家で勉強を補助してくれる人がいるのだろうけれど、それにしてもすごい。教科書が読めても落ちこぼれてしまう生徒が何人もいるというのに。。目以外の知覚がものすごく研ぎ澄まされているように感じる。「んねね、元気?今日は疲れてるの?なんかそんな感じ。」などと、授業中の声のトーンだけで察知し、音や声や空気の動きで、誰がどこにいるか敏感に察知して、誰にでも陽気に話しかける。目が見えても他人に鈍感で、特に社交的でもない私にしたら、これはほんとに尊敬に値する能力と性質だ。。彼が来てくれたおかげか、授業が随分変わった。新しいことに入る前に、いきなりやらせるのではなく、言葉で丁寧に説明していく授業になったし、プリントの問題を前ほど使用しなくなり、代わりにしゃべって慣れさせる機会が増えた気がする。先生自身2週間ほど前から、盲目の生徒が来る、どうやって授業しよう、と言っていたが、先生なりにいろいろ考えたのだなあ、という気がする。彼がドイツ語を勉強する目的は、彼の音楽の為。ドイツは音楽教育のレベルが高いらしく、母国で音大を出て、ドイツの音大を目指しに来ている人が大勢いる。彼の演奏も聴いてみたいものだな~。
2006年09月15日
ドイツ語のクラスが昨日で1ターム(教科書一冊)終わりました。あっという間だった!日がたつのがはやすぎて、なんかちょっとコワイ。教科書3冊でひととおりの文法事項を習う、らしい。当然、まだまだドイツ人同士の会話は理解できないけれど、この1タームで進歩したこと。最初来たとき、まっったく言葉での意思の疎通がはかれなかったおかあさんと、間違いだらけではあっても、(おかあさんの辛抱強さにより)とつとつと最低限の会話、日々の「今日ね、今日ね」系の簡単な話ができるようになった。最初来たときはまったく読めず理解できなかったメニューや商品のラベル、看板(何屋。とかいうの)が少しづつ理解できるようになってきた。TVや人の話は理解出来ないものの、聞き取れる単語、言い回しが増えてきた。最初ができなすぎだったので、今は日々習うことで、目に見えてわかることが増えてたのしい。そんなふうに思っていられるのも最初のうちだけだと思うので、今のうちに楽しんでおこう。さてさて、授業中の話。あなたの国の「象徴」は、という話題で、「富士山(ふじさん)」が出たのだけれど、先生が「フジサン?フジヤマじゃないの?日本語の『サン』って敬称でしょう?」と怪訝そうに聞いてきた。まあね。佐藤さん、とか、田中さん、とかね。それで思い出したのだが。うちの彼も一時同じように混同して、富士山を「フジサマ(富士様)」と呼んだことがあった。象徴だけに、すごい敬意を表しちゃったわね。。
2006年09月09日
前回、意気込みを書いておきながら、もう愚痴るのもなんですが。。今の先生の授業に不満はあったものの、既にクラスの皆で直談判して改善してもらったこともあり、良いほうへと考えよう、慣れてもきたし・・・と思っていたが、今日は大変がっかりした。宿題が、まだ全然習っていないことのオンパレードで、ちょっとびっくりしたのだ。今までもそういうことは多々あったけど、昨日のはすごかった。今日の授業で解説されるのだろうと思っていたけど、まったく触れなかった。クラスメイトに、宿題の範囲出ないね、と言ったところ、誰も宿題をやっていないことがわかり、またびっくりした。「だってやっても答え合わせも説明もないでしょう。」というのがやらない理由らしい。私は、家で宿題を見てもらえているので、今まで考えなかったけど、その環境にいるのがラッキーなんだな・・・、とふと思った。とにかく、今日のは私ひとりのカラ怒り。今の先生の授業は、最初にぶっつけ生徒に新しい文章をやらせて、「質問は?」と聞くところから始まる。新しい文法事項の説明も、その後。少人数制が売り?の学校だが、話す練習・習ったことを口にする機会はほとんどない。出てきた文で腑に落ちないところは全部質問しているのだけれど、先生にしてみると、私の質問は重箱の隅をつつくようなものらしく、「なんでって聞かれてもわからないわ。そういうものなのよ。」「んねねはいつも細かいことを気にする。それは次のタームで習うことだから。もうちょっと待って。」と、こないだついに言われてしまった・・・(泣)。だーって、細かいことか重要かどうかすら、わからないんだもーん。。ちょっと考え方を変えて勉強しようかな~、と思う。先生は絶対なのだと期待するからがっかりしちゃうわけで。先生に頼りすぎず、自習を中心にして、授業は質問と復習に使えば、もうちょっとすんなりいくかもしれない。先でやることが今の教科書に出てくるなら、先まで読んでおこうじゃないの。授業でしゃべる機会がないなら、家でもっともっとしゃべろうじゃないの。やっぱ勉強って自分でするものなのよね。。明日はテストです。決意を新たにした割には、ネットに長時間向かってしまったな。あの宿題の内容は、明日習うのかな~??
2006年09月07日
クラスメイトのひとりが授業についていけず、タームの切り替えでもなんでもない今日から、下のレベルのクラスに移された。途中から入ってレベルが合わなかったというならともかく、彼はこのクラスで最初から(ゼロから)ずっと一緒だった人。げげ。落とされるなんてこともあるのか・・・。ちょっと身がひきしまった。うちのクラスは始まって1ヶ月で先生が変わったのだけれど、そこから途端に難しくなった。勉強を始めて一ヶ月で、ものすごく限られた語彙しかなかった私たちは、それまでの先生の使う語彙や授業の進め方に慣れていて、新しい先生の、違う言い方での説明がさっぱり分からなかった。分からなくて尋ねても、その説明がまたわからない、先生のほうも、私たちのボキャブラリーの範囲がつかめず、どうすれば分かるように説明できるのかわからない、という悪循環に陥って、最初のころは皆ぐったり(苦笑)。また、最初の先生は、予備知識なしに授業に挑んでも、授業が終わる時にはやった部分には疑問がない、というくらい、素晴らしい授業をしてくれた。ところが新しい先生になってそうはいかなくなって、(これがフツーなんだろうけども・・・)授業についていけなくなる危機感から、私はそこで初めて予習というものをし始め、俄然勉強し始めた。授業そのものは最初の先生のがよかったけど、こういう点では、先生が変わってよかったのかも~。この週末、誕生パーティーに来てくれた前の先生が、「んねねの発音はとてもいい。外国人の訛りがほとんどない。」と言っていた、と後になって聞かされた。前にも自己紹介程度の簡単なセリフで、何度かドイツ人に言われたことはあったけれども、またまた~、お世辞をどうもありがとう♪くらいに思ってた。この先生も、最初の一ヶ月しか習っていないから、とても限られた語彙での話なんだろうけれど、それでも、先生が(陰で)そう言ってくれてたというのは、すごーく嬉しかった!実際は苦手な発音がいくつもあるのは、自分でよくわかっているのだけれども、大きな助けになってくれているのは、実はデジタルオーディオプレーヤーのマイク録音機能。授業で出てきた単語を、これに吹き込んでもらって聞いている。ビギナーには、こんなちょっとした褒め言葉が、大きな励みになったりするものね。。私もクラス落とされないよう気をつけて、これからもがんばりまっす。。
2006年09月04日

3週間ほど前に、週末を利用してドレスデンとその近郊に旅行に行って来ました。まず、エルプザントシュタインゲベアゲ(Elbsandsteingebirge)という、切り立った山頂に発見された古代のお城の遺跡に。まるで別世界です。これはドレスデン。ウワサには聞いていたけど、とっても綺麗な町だった!ドレスデンはちいさいプラハみたいだと聞いて、そっちも行ってみたくなった。って、プラハって外国よね??チェコよね?ドレスデンから電車で2時間くらいというけど、陸続きで気軽に外国に行ける感覚は、いまだ慣れない・・・。(まだどこも行ったことないけど。)あとマイセンの町。お高い陶磁器のメーカー・マイセン、という存在は知っていたけど、ティーカップいっこで30万円以上するのものもあり、予想以上の価格にくらくらした。。マイセンのミュージアムに行った時、たまたま日本人団体客の後を歩いていて、案内ツアーの説明アナウンスが日本語バージョンで聞けた。ラッキー♪作ってるとこ見るのがおもしろかったな。
2006年08月27日
先月語学学校のクラスで、朝ごはんに何を食べたか、聞かれたときの話。先月はいわゆる欧米からの生徒が多かったので、パンとコーヒー、とかコーンフレークにミルク、という、いかにも欧米の朝ごはん的な答えが多かった。私は普段、基本的に家を出る前は何も食べず、ぎりぎりまで寝ていて最小限の仕度で出かける、オヤジのよーな生活をしているので、「何も」と答えると、先生が、えー、と驚く。次にあてられた、同じくアジア出身の女の子は、たとえチコクをしても、朝ごはんはしっかりたっぷり食べる主義。「ええと、クロワッサンふたつとサラダとオムレツと・・・」と挙げていく。先生は彼女が何か勘違いしているのだと思ったらしく、さえぎって、「待って待って。『朝ごはん』よ。朝起きて、最初に食べるごはんよ。ほんとにそんなに食べるの?」と何かの間違いだろうと、訂正させようとする。彼女は、なにかおかしいのだろうかと、ちょっとひるみながらも、「ええ。それでクロワッサンふたつとサラダとオムレツとヨーグルトと果物とマンゴージュースと・・・」と正直にどんどん続く~更に続く~。朝からそんなに?!?!と驚く先生。「・・・そう。たくさん食べるのね。朝ごはんなのね。わかったわ。」と、気を取り直して次の、これまたアジア出身の生徒をあてると、「ライスとさかな。」朝からライスと魚?!?!とまたまた先生は仰天。そして次にあてられたヨーロピアンの生徒。「コーンフレークとミルク。」「よかった。フツーだ・・・。」とつぶやく先生。誰が何を食べてるかよりも、先生の反応を見てるのがいちばんおもしろかった。
2006年08月22日
皆様こんにちは。またまたお久しぶりです。前回の日記に温かいコメントを下さった皆さん、どうもありがとうございました。考えた末、家族のプライバシーやバックグラウンドには線引きをして、ペースは落ちますが続けてみることにしました。すっかり変えることも考えましたが、やはり残し、フリーページは少し書き換え、過去の日記で家族に触れている部分はいくらか削除しました。(それらの日記にコメントを下さっていた方々には、一緒に消してしまう形になって失礼しました。。)ガラスや恋愛の繋がりでリンクして下さった方々には、今後の日記は共通項を欠くものになるかもしれません。リンクをはずしたい、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、こちらの事情で内容が変わるので、その場合は受け入れますので、どうぞお気になさらないで下さい。ドイツでの生活にも少しづつ慣れ、友人も出来てきて、地道にドイツ語のお勉強の日々です。1年後にドイツ語の試験を受けることを目先の目標にしてみました。期限が無いだけに、ほっとくといろんな雑事にかまけて、だらだらしちゃいそうで・・・(笑)。やりたいこと、将来の夢がたくさんあります!今はまだ始まったばかりですが、一歩一歩頑張りまっす。今後はこのドイツでの新生活とお勉強についての日記になりそうです。ブランクがあったり迷いがあったりと、ふらふらしましたが、今後とも皆さんどうぞよろしくお願いします。ぺこり。
2006年08月20日
皆さんお久しぶりです。今は私はドイツで語学学校に通っています。タイトルどおり、ここでも今日もおてんき(笑)。気持ちのいいところです。日本では、実家で家族との生活を存分に楽しみ、彼は日本語学校に通い日本語の基礎を勉強し、彼と、友人達やいとこ・親戚一同にも会ってきて、こってこての日本旅行もあちこち楽しみました。今、このブログを今後どうしようか、正直迷っています。(プロフィールも書き換えてない~。)というのは、ブログを始めた動機が「ガラス」だったので、仕事を終えて、外に向かって日記を発信するモチベーションが下がってしまっている(ネタがない)、というのが最大の理由。それにつれて、私の彼に関することや、彼との日常を書いたものが増えたけれど、テーマが外れてこのまま恋愛ブログになってしまうことへの危惧。初めの頃に比べて悪質?な広告が驚くほど増えて、好意的なわけではない人の不特定多数のアクセスを改めて実感し、プライベートなネタを(特に私に関わる人とのことを)ここで綴るのに抵抗を感じてきた、というのが本音です。。テーマにこだわらず、これから普通の「日記」として、日々の喜びや楽しみや美味?を綴っていくことにするか、すっかり書き換えるか、それともお休みするか閉じるか、迷うところです。
2006年07月05日
映画「ヨコハマメリー」を観に行った。横浜・伊勢佐木町界隈で昔から、全身白塗りの厚化粧に白のドレスで有名だった謎の老婆、メリーさんについての映画だ。かつては米軍将校相手の売春婦として街角に立ち続けていた人だそう。一緒に観に行った友達の、旦那さんも、「知ってる。伝説の娼婦だ。」と言っていたらしい。私の妹も昔メリーさんを度々見かけていた人のひとり。新聞にこの映画の評論が載り、メリーさんが10年前に横浜から姿を消していたこと、去年故郷で亡くなっていたことを知った妹は、この映画を観に行き、「泣けた」と言って帰ってきて、私も興味を持っていた。正直私は、自分がメリーさんに会ったことあるかどうかすら、覚えてないくらいだけど。中島らもの「白いメリーさん」という本を読んだことがあって、あれ、こんなに有名なんだなー、くらいにしか思ってなかった。混んでるとは聞いてたけど、昼の12時に行けば、1時は無理でも3時の回は観れるだろうと思ってたら、それも甘かった・・・。12時に行って取れたのは5時からの回!!映画館は、メリーさんゆかりの地、伊勢佐木町だったのだけれど、妹が行ったときは始まる前に、支配人風の人が挨拶に立ち、この映画館にこんなに人が来たのは久しぶりとか、実は最近ちょっと経営が危うかったとか、メリーさんにこんな形で助けてもらうとは・・などと話していたらしい(笑)。映画は非常によかった。メリーさんを通して、横浜の町の歴史や人について語り継いでいきたかったという(と、ラジオで言っていたらしい。父談。)監督の思いは見事に当たったと思う。 メリーさんにケンカをふっかけたという元芸者のおばあさん、横浜の芸者というのは、もう今は彼女だけだそうで、そういう存在も私は知らなかったし、当時の、米軍兵士で賑わう伊勢佐木町や店の写真などが残っていることにも、ここ、こんなふうだったんだ、こんなところがあったんだ、と、感慨深かった。今はもう無くなっている場所が多く、メリーさん自身も亡くなり、映画の中でメインとなってメリーさんを語る、メリーさんを自分の母親のように気づかっていたシャンソン歌手、永登元次郎さんも、今はもう故人となってしまっていることも、涙をしぼられた一因だった。自分が病に侵され余命いくばくもないと知りながら、ラストで、メリーさんのいる施設を訪ね、メリーさんへのメッセージのこもった歌を歌う元次郎さん。うなずきながらじっとそれを聴く素顔のメリーさん。思い出すと涙が出てくる。今はもうどこにもいないのね・・・。妹と一緒に映画に行った友達の感想が、印象的だった。「とにかく、ラストシーンが・・・あぁ、あぁ、思い出すだけで胸が熱くなります。言葉では絶対言い表せません。隣で○○(私の妹)が号泣していました。わたしは、そのときウッときて鳥肌がゾォォォオオオッとたちました。メリーさんの、あの本物の美しい笑顔はずっと忘れられません私。焼き付いちゃいました。小学校のころメリーさんと出あってから十数年・・こんな展開になるとは夢にも思いませんでした。すごい体験をしました。 」映画館に来ていた人たちは、年配の人が多かった。きっとメリーさんや元次郎さんをもともと知っている人が多かったのだろうと思う。上演終了後、目をまっかにしてるおじさんやおばさんたちが。。知ってる人にはたまらない映画だと思う。ただ横浜以外でうけるかどうかはわからないな。だからかな、今はまだ伊勢佐木町と新宿の2箇所でしか上映してない。。毎日新聞ニュースから中村高寛監督へのインタビュー。映画の内容は、ここに載ってる「ヨコハマメリー公式サイト」の中の「解説」へ♪
2006年05月01日
「トラベル」の語源は「トラブル」だ、と言っていた友達がいたけれど、ほんとに、オーストラリア旅行中で非日常の中にいると(日常の中でも?)、びっくりするようなことがいろいろ起こった。終わってみればネタだけど、最中にいるときは、「ありえん!!」と憤慨するようなことも~。。エアーズロックには是非行きたいと思っていた私たち。あんな猛暑の砂漠に夏に行くなんてきちがいだ!という友人達の声に耳をふさぎ、(だって、今しかないんだもーん)旅行会社でもらってきたパンフレットを吟味して、旅の最後、ケアンズで一週間グレート・バリア・リーフを楽しんだ後で、いい日程のツアーを組み合わせて行くことに決めていた。ひとつがケアンズからアリススプリングスに行く(含エアーズロック)7日間のバスの片道ツアー、もうひとつがアリススプリングス-アデレードの3日間の片道バスツアー。ブリスベンで旅行会社に、これらのツアーを申し込みに行ったときのこと。こりゃびっくり!な目に合いました。まず、旅の計画を担当者に伝え、このふたつのツアーを申し込みたい旨を伝えた。すぐに担当の女性が、まず後者(アリススプリングス発のほう)のツアーに電話をし、「前金が必要になりますけど、申し込みますか?」と聞いてきた。申し込むために来たのだから、もちろんお願いした。料金はパンフレットに書いてあるとおりではなく、もう少し高かったが、それくらいのいいかげんさはよくあること。まあいい。前金を支払った。ところが~!担当者が、次に前者のツアーに(アリススプリングス着のほう)に問い合わせたら、「その日はない」という。もともと一週間に2度しか出てないツアーなのです。それを、日程合うのを選んで申し込みに来たわけだから、日が合うのが取れないなら意味がない。「じゃ、前のをキャンセルして、白紙に戻したい。」と言うと、「もう申し込んじゃったんだから、それは出来ない」というではないか。ということは。アリススプリングスから帰ることは出来るけど、アリススプリングスに行くことは出来ない、ということになりますな。・・・って言うか、行かなきゃ帰れないし。。唯一の道は、もっと早い日程でアリススプリングスに行くツアーを申し込むこと。これだと、ケアンズの海で一週間のんびりするはずが、砂漠に一週間閉じ込められるはめになる。ツアー会社に問い合わせ中の電話口を押さえて、「どうしますか?どうしますか?」とせかす担当者。「ほかに方法はないんですね?」「ないんです。」どうしようもない。それを申し込んだ。残りの金額を支払うために銀行に現金を引き出しに行って、戻ってくるまでに、ふたりとも、あたまが働いてきて、どんどん不愉快になっていった。戻ってもう一度、「この結果には我々は大変不満だ。どうして両方のツアーを確認してから取ることができなかったのか。アリススプリングスに長くいるよりも、ケアンズに長くいるはずだった。そうでなければ、せめてアデレードに早く発ちたい。ほんとうに他に方法はないのか。帰りのツアーの日程の変更もできないのか。」と、彼が交渉にあたる。担当者は「お気の毒ですけれど。だから最初のツアーに電話したときに、今申し込むかと聞いたでしょう。」と責任転嫁するではないか~。おいおい、プロのエージェントがどうして、行きと帰りとがそろわないと、取引が成り立たないことに初めから気づかないのか。。「後に申し込んだ、行きの分は、前金は払ってませんね。そっちをキャンセルして、行きはそのツアーでなく自分達で別の方法で、予定通りの日程でアリススプリングスに行きます。」「前金は、前のツアーだけでなく、手続き全般の前金なので、どちらもキャンセルも変更もできません。」そういうことは、最初に言っていただきたい。「キャンセル料金はいくらですか?もし小額だったらキャンセルします。」「330ドルです(3万円ちょっと)。今前金として250ドルいただいてますから、キャンセルするとしたら、あと80ドル余分に払っていただきます。」えっ、更に払うの??それはキャンセルするには大きすぎる金額です。。「アリススプリングスはいいところですよ。長くいてもじゅうぶん楽しめますよ!」と、彼女は更に別のツアーのパンフレットをくれたけど、そういう問題じゃないんですのよ。。その夜、ツアーの規約書を読んでいた彼は、また激怒。そこに明記されているキャンセル料金は330ドルではなく、なんと80ドルだったのだ。あら、4分の1以下・・・。不信感がつのって、明細書のほうもよく読んでみると。。私の名前を間違えて書かれている。行きのツアーの日付けが、「その日はない」と言われたほうの日程で明記されている。帰りのツアーの日付が、出発日と到着日が逆に書かれている。ツアーの内容に、担当者の説明と食い違う点がある。極めつけは、合計金額が間違っていて、余分にお金を取られている。す、すごい・・・。ここまでくるともうおかしくて笑ってしまった。これでも一応世界各国に展開している大会社。次に滞在した都市、ケアンズで、またこの旅行会社の支店に行きました。ここでの担当者はすべてきちんと対処してくれた。各ツアーに電話して、明細書の再確認をして書き直してくれ、帰りのツアーの日を変更して、アリススプリングスに長く滞在せずにアデレードに早く発てるよう手配してくれ、(なんだ、変更できるんじゃないか。)余計に支払ったお金を返してくれるよう手続きしてくれた。よかったあああ。ありがとう~!ここで無事に終わるかと思ったら、これがまた大間違いだった。。ツアーに参加し3日目の夜に無事にアリススプリングスにつき、宿にチェックインに行ったら、「宿泊費を払え」と請求された。。おおっと~。宿代ってツアーに込みでしょ?フツーは。「7日間のツアーを申し込んでるんです。宿泊費は既に払った金額に含まれてるはず。」「普通はそうだけど。でも、それが書かれた書類を持ってないじゃないの。」「そんなの、旅行会社に何も渡されてません。旅行会社が出したのはこれだけ、明細書だけです。」結局、その夜は保留のまま泊まり、翌朝、旅行会社に電話して、「この宿を確かに手配した」というファックスを宿に送ってもらった。これでまたまた不信感を増した彼が、次の朝から出る予定のエアーズロック行きについても尋ねたところ、これまたツアーバスに乗るチェックイン時の確認の紙が必要だとのこと。それだってもらってない。これまた急遽、書類をファックスで送ってもらうことになった。いやー、今までもたくさん「ありえん!」ってことはあったけど、ここまですごいのは初めてでした~。オーストラリア生活最後の最後でネタができました。。うれしくもないけど。なにはともあれ無事にツアー終了!なんだかんだといろいろあったけど、ツアーは楽しかった!それまでしてきたふたりきりの旅も楽しかったけど、ツアーでは、いろんな人に会えて、日本の人にも会い、人がいて、ならではの発見や楽しみもいっぱいあった。驚くような目にあっているのが、私たちだけじゃないのも知って、なかなか笑えた。(オイ。人の不幸を・・・)
2006年04月13日
皆さん、お久しぶりです。日本に帰国しました。旅行が終わりアデレードに戻ったときは、なんだかしみじみと、ああ、ホームスイートホームだ・・・と思ってしまった私。日本に帰るのが楽しみな反面、もうこの先いつアデレードに来るかわからない、ひょっとするともう来ることはないかもしれない、来てもその頃はもう誰もここにはいないかも知れない、と思うと、無性にさみしかった。最後に挨拶に行った彼の伯母さん夫婦のところでは、年もとって身体も悪い伯父さんが、「元気でな。もう会えるのはこれが最後になるかもしれんが。」と言うではないか。「そんなことないよ。もちろんまた会えるよ。ここはいつ来ても昔からちっとも変わらないんだ。」とつとめてあかるく、笑って言う彼。「家は変わらんがな、次来るときは、ワシはきっとあの木の下にいるよ。」という伯父さんのセリフには、彼も私ももう少しで泣きそうになった。アデレード、住んでいた場所、という愛着もあるけれど、やっぱり悲しいのは人との別れだ。それでもきっと、離れるのが悲しいと思えるような、楽しい思い出がたくさんできたのは、喜ぶべきことなのよね。。こーんなしみじみと悲しがっていた私だけど、友達と彼とに見送られ、(彼は渡豪時に取った往復チケットの帰りの便を書き換えたので、乗り継ぎが複雑で私が合わせるには高すぎ、違う便の旅だったのです。)オーストラリア大陸を飛び立ったその瞬間、気分はもう日本への期待に180度切り替わった。ゲンキン・・・。久々に戻った日本!うれしい~。しあわせ~。。おかーさんのご飯もおいしい~。慣れた場所に帰ってきたこの気分もいいけれど、初めて日本に来た彼の目を通して見る日本、というのが、新鮮でまたおもしろい。普段まったく目に入っていなかったモノについて質問されたりして、意外と知らない自分にも気づく。。家族に助けられてます(苦笑)。。車のナンバープレートの色の違い。(トラックでも、商業車と自家用車(?)では色が違うことを初めて知りました・・・。)横浜ベイブリッジの橋の上でのアナウンス。(車を停めて景色を眺める車に対しての警告、だった。そんなんあったのか。。)お寺の鐘はいつつくのか。(除夜の鐘以外の時にいつついてるのか、私も知らなかった。)ガソリンスタンドの、天井からぶら下がるタイプのノズルについて。(初めて見たらしい。そういわれてみれば外国で見なかったな。。狭い場所にあるガソリンスタンドは、面積節約?のためにこのタイプ、というのは知らなかった。)普通にあるものを驚かれて、へえ、と思ったりもする。カーナビに驚く。トイレの便座があったかいのに驚く。ウォッシュレットに驚く。電気カーペットに驚く。NHKが英語音声に変えられることに驚く。(これは私も驚いた。)彼も毎日冒険だけど、彼の目を通して、私も家族も日本再発見の日々です。今日は電車に乗って、はじめてのお買い物。オーストラリアでは買い物する時、レシートとお釣りを受け取ったら、お客のほうが「さんきゅー」と言う。こりゃ日本と逆だわね。にもかかわらず、おつりをもらって「アリガト」と言った彼。「いやいや、恐れ入ります。。」と恐縮する店員さん。それを見て何か間違ったかと困惑する彼・・・(笑)。「いらっしゃいませ、って言われたら、なんて答えればいいの?」と聞かれて、「何も答えないでいい。にっこりして。」と答えた私もどうなの、これはあってるの??余談だけど、知らない間に電車に「女性専用車両」が出来てるのを知って、私もあわてました。。えっ、ちょっと、この場所で乗りたくても、外国人でも彼はダメ??うっかり乗っちゃったらどうなるの??ってね。これはなに?痴漢対策?こんな短期間の不在で浦島太郎気分を味わうことになろうとは~。。
2006年03月24日
みなさんお久しぶりです。ブリスベンのネットカフェからです。アデレードから車でちょっとずつ北上して、一ヶ月でここまで来ました~。(のろいって?)都市中心の旅行というよりは、地方中心型の旅になってます。(だって都市、高いんだもん。。)しかも、何の見所もない(と普通思われる)イナカ町もまわってます。おかげで日本から持ってきたガイドブックはまったく役に立ちません。。が、おかげで野生動物にはどっさりあえました。カンガルー、ワラビー、ウォンバット、ゴアナ、ペンギン、ポッサム、ワライカワセミ、エキドナ(やまあらしというのか?)、フライングフォックス(もう、なんて言うのかわからない。。飛キツネ??キツネの顔したこうもり。)まだ会ってなくて、ぜひ見てみたいのが「歩くコアラ」!以前友達が見たと言っていたんだけど、ふたつあしで前かがみに立っていて、人の気配に驚いて、そのままにほんあしのまま、手で宙を掻くように逃げていった、んだそうだ。その動作をカラダで表現してくれた友達の、表現能力が素晴らしかったこともあり(ひらたくいうとおかしかった)、これは是非見てみたい、と常々思っているものよ。「会った動物たち」に関しては、また後で日記に書きたいと思ってます。地方の村を転々としていると、あちこちで見たものが、後になってつながってきたりしておもしろい。キャンベラが首都になる前に首都候補になった町、というのを読んで、あれ、あの町か、と思ったり。メルボルンのあるビクトリア州で昔起こったゴールドラッシュで、ビクトリアに入る中国人の船に課された多額の税金を避けるために、彼らははじめにサウスオーストラリアに上陸し、3週間かけて歩いてビクトリアに入ったという。その中国人大移動の記念碑を、サウスオーストラリアのちいさな村で見て、なんだろうコレ、と思っていたのが、ビクトリアに入ってつながった。今までなんの関心もなかったオーストラリアに、いまさらながら関心が沸いてます~。(これも後でまた日記に書きたいと思ってる・・・。)他の都市に行って、聞いてはいたけれど、日本人の多さに驚いた。というか、アジア人の多さに、というのか。街中で、歩いている人の半数以上がアジア人、というところもあったりして。そういう場所の何がいいって、「日本の食材が豊富」なこと♪うわあ~、アデレードにはないのに、ココにはやきそばがある!雪見大福がある!赤いきつねがある!あんぱんが、メロンパンがある!ショッピングセンターのフードコートに「日本のカレーライス」がある!ここにはラーメン屋があるうう~!ってな具合で。はぁぁ。素敵・・・。でもオーストラリアで今まで食べた中でいちばんおいしかったすし屋は、(って、全制覇したわけじゃないけど。。高級店はまず抜かす。)ブリスベンの町はずれ、Windsorにある、中国人経営の店だった(笑)。ベジタリアン寿司が充実してたのにも、彼は大満足。ベジタリアンの視点からしても、この店は「今までいちばんおいしかった」そうだ。しかもそのあとに「ごめんね。」と続けられた。別にいいのよ、日本人のすし屋が一番じゃなくても・・・(苦笑)。あ、そろそろ引き上げ時です。前の日記にたくさんいただいたコメントの返事を、まだ書いていないんですが、ごめんなさい。日本に戻ったら、ゆっくりお返事させてもらいます。今年の冬は異常に寒いそうですが、みなさん、がんばって乗り切ってくださいね!(私もこの暑さ、がんばって乗り切ります。。)
2006年02月18日
昨日バスルームの天井に、7センチくらいのクモがいるのを見つけた。きゃー、気持ち悪いー、と思って彼を呼んだ。呼ばれた彼はドアを開けて、私の言う方向をじっと見て、それから黙ってドアをぱたんと閉じて振り返り、「一体どうしたらいいんだ・・・。」と真剣そのものな顔で私に言った。彼はすごい虫ぎらい!私も虫は嫌いだし、クモも気持ち悪いと思うけど、「クモは悪い虫を食べてくれるんだから殺しちゃダメ。クモは足が8本あるんだから虫じゃないのよ。」(私は足が多ければ多いほど、イヤなんだが・・・。)という母に育てられたおかげで、家の中にクモがいても、走り回ったりしてないかぎり、それほど気にならない。7センチくらいのクモだったら、あまりめずらしくない。が。ここはオーストラリアだ。ここには毒蜘蛛がいっぱいいる。オーストラリア人はクモ大嫌いだし、クモと見たらすぐに殺す。毒もってるかもしれないから。うちのおかーさんの価値観は、ここでは通用しない(笑)。私は、毒蜘蛛とわかってるもの以外はあまり熱心には殺さないが、それでもやっぱりクモは気になるようになった。彼が虫嫌いなのは、見慣れてないから、のようだ。特に大きな虫は。ベルリンが、虫が住むのに寒すぎるのか?彼はゴキブリもオーストラリアに来るまで見たことがなかったと言うし、クモも、ちいさいのしかいないという。更に、寒い国で、ドアも窓もぴっちり閉まる家で育った彼には(これがフツーだよ。。本来。)あったかいアデレードの、風通しのよい、窓もドアも隙間風の通る家、締め切ってても虫が入ってくる家、というのはもう、信じられないらしい。オーストラリアに来て半年で、ドイツで1年間に見るよりはるかに多くの虫に、家にいるだけであった、という(笑)。でもこのアパートは、ここではかなりいいほうなんですけど・・・。話を戻して、バスルームのクモ。「どうしよう、あんな大きなクモ。殺虫剤もないし・・・。」とうろたえる彼。「いいよべつに。ほっとこうよ。そのうちどっか行くよ。(私たちのほうがもう出るし。)」と私。「冗談じゃない。あいつと一緒には暮らせない。あいつがいると思ったら、もうシャワーも浴びれないし、トイレもできない。寝ている間に寝室に入ってきたら、どうしたらいいんだ?!?!」・・・バスルームのドアの下にも隙間があるから、それはありえるわね。。「どこから入ってきたんだろうねえ。こんな大きなの。」「それを考えるのが一番コワイんだ!」ほうきを持ってきてそれで叩き落そうとする彼。格闘すること数分。決着はまだつかない。必死の形相の彼。くるっと振り向き肩をつかまれ(私見てるだけ)、泣きそうな顔で、「んねね。ドイツに住もうな。頼むから。」と懇願されましたわよ・・・。更にクモと格闘を続けながら、「ごめんな。悪いけどここはお前のじゃなくて僕達の家なんだ。僕はベジタリアンで、生き物を殺すのは好まないけど、勘弁してくれ。」と大真面目にクモに語りかけながら、ばしばしほうきをたたきつけ(先が柔らかいのでとどめがさせない)、おいまわし、殺虫剤がないので洗剤スプレーを吹きかける彼。最後にお亡くなりになったクモは脚を縮めてちっちゃくなっちゃってました。ごめんね。「日本に行ったらもっとでっかいクモが見れるし、地震も体験できるからね。」(彼、地震体験もなし。)と言って嫌がられました・・・。いつも読んで下さってる方、コメントしてくださってる皆さん、どうもありがとうございます。明日、いよいよ出発です。長らく日記の更新が出来なくなるかと思いますが、戻ってきた際には、また皆さんどうぞ宜しくお願いします。皆さんも、素敵な日々をお過ごしください!それでは行ってきまーす。
2006年01月14日
オーストラリアはアデレードしか知らない私。ここの人たちはのんびりしててフレンドリーな人が多く、知らない人からいやな目にあったことはほとんどない。初めてオーストラリアに来る前は、「アジア人差別が強い地域もあって、歩いてて生卵ぶつけられた人がいる。」と脅かされてて、びびってたけど、アジア人ということで差別を感じたことは一度もナイ。そんなことをシドニーで結婚した友達にメールでしたら、「韓国人の子で物ぶつけられたっていう実際の話を聞いたよ。アジア人と話すのを好まないで避ける人確かにいるし、弟が来たとき やっぱ差別あるんじゃないの、さげすまれた目で見られてるの感じるときがある といっていた。 私もある。(単に卑屈なだけ・・・?)あとさ、スーパーのレジとか、パートみたいな仕事にやたらとアジア人が多いと思わない?」と言っていてびっくりした。ここでそんなの感じたことない・・・(単に気づいてないだけ?)。スーパーのレジ??圧倒的に白人だが。。というか、外国人の絶対数が少ないのかな。ここ、イナカ町だし。この話を彼とした。彼は、人からは、アデレードのアンチ・アジアンの雰囲気は高まってきてる、って聞いたことあるそうだけど、アデレードで実際そういう体験をしたアジア人の話は今まで聞いたことはない、と言っていた。(だから私もないんだって。)どうしてかねえ、って聞いたときの彼のこたえ。「アデレードは小さい町だから。シドニーみたいに人口が多ければそれだけ社会問題の発生率も増えるでしょ。それに移民(外国人)は普通大都市を目指して来るものだから、シドニーの外国人はアデレードよりはるかに多いよ。アデレードでは郊外の外国人人口率は5%だ。外国人ってすごく少ない。うちの地域(シティから自転車で15分)でも2~5%。(そういわれてみれば、白人以外会ったことない。)シティセンターですら27%で、そのほとんどが留学生(短期滞在者)だよ。オーストラリアは移民の国だから、外国人には皆慣れてるけど、移民の押し寄せる場所では、前からいる人が快く思わなかったりするもんだよ。イギリス移民で始まったオーストラリアにドイツ人がどっと入ってきたときは、160年前だけど、ドイツ人差別が強かったんだ。でももう今は溶け込んで、差別はない。その次が戦後のフランス・イタリア・ギリシア人たちで、このころも彼らに対する差別は激しかった。けど今はもうない。60年~70年代から今度はアジア人とミドルイースタンがどっと入ってきて、まだ差別意識が残ってるんだろうけど、あと50年もしたら全然なくなると思う。その頃には今度はアフリカン移民ブームとかが来るのかもね。」へえ。そうでしたか・・・。っていうかアナタ詳しいわね。。シドニー、行きますわよ~!一体どんなとこなんだろ。あまりおどかさないでくれ。日曜の朝にアパートを引き払って、旅行に出発します。車で、メルボルン・キャンベラ・シドニー・ゴールドコースト・ケアンズ、と東海岸線を北上していって、大陸の真ん中のアリススプリングス・エアーズロックを通って(この部分はツアー)、アデレードに戻ってくる予定。約2ヶ月の旅行プラン。日本人の悲しい性か、正直、私は2ヶ月もの間職にもつかず、学校にも行かず、ただ旅行してる、ということにあせりと罪悪感があった。彼にはそんなのナイ。さすがドイツ人(笑)。数年前、家族でアデレードからシドニーまで3週間!かけて行って、「時間がたりなかった。」と言い切るくらいだ。そーんな休みの取れない日本のお勤め人には考えられん。。それを言うと、「でもね、こんな時間かけて旅行できるときなんて、この先の人生、そうそうないよ?今しか出来ないんだから、いろんなとこ行こうよ。」という。まあ、それはそうだ。今は準備と荷物のパッキングに追われています・・・。日本やドイツに送る荷物の多いこと多いこと。。ガラスと本が多い。重いッ!
2006年01月12日
あっついです。オーストラリアは真夏です。アデレードは夜はぐっと冷えて肌寒いけど、日中の日差しはハンパない。アデレードでアロマテラピーの学校に通っていて、人体の仕組みについて勉強した友達にずーいぶん前に聞いたこと。「黒人はメラニン色素が白人より多いので、皮膚癌になりやすい。」えっ、ほんと??逆だと思ってたんだけど・・・。だって本来、日差しの強い国ほど色素の濃い人が多いでしょ。サングラスみたいな効果があるんでないの??えー、うそだー、なんでなんでー、とずっと思っていたけど、確かめる術もなく、そのままになっていた。ところがその後、彼が学校で皮膚癌のことだか人体の何かだかをテーマにした授業を受けてきた。ついでなので、私のこの疑問を先生に聞いてくれるよう、頼んだ。彼が持ってきた結果。「黒人のほうが皮膚癌にはなりにくい。」はっはー。やりぃ!(何が?)オーストラリアの先住民、アボリジニは肌の色の濃い人種だ。(子供はなぜか金髪。大人になるにつれ、髪が黒くなる。不思議。)彼らこそが、もともとオーストラリアの風土に合った人種なのだなあ、という気がする。ヨーロッパやアジアから来た移民で成り立っているこの国は、ほんとはいれものと中身が合っていないんじゃないか、と思ったりもする。紫外線が日本の7倍、と強いオーストラリアでは、皮膚癌の危険性はかなり高い。彼の先生いわく「オーストラリアに住んでいる白人の3人にひとりは、皮膚癌の経験がある、もしくは皮膚癌になる。」・・・ってそりゃ高すぎじゃないの?!ほんと??彼が言うには、逆にヨーロッパに住んでいる黒人には、健康上の問題が出たりするらしい。ただでさえ日光が十分でないのに、肌が日光をブロックしてしまって、体内で作られるビタミンなんとかが欠乏するんだそうだ。(ヒトのカラダも光合成ね♪)また元ヨーロッパの植民地のアフリカ諸国で、そっちに住んでいるヨーロピアン(白人)にも、健康上問題が出るそう。日光をブロックできず吸収してしまう肌のせいで、これまた何かがやられて、子供が出来なくなったりする、らしい。(オーストラリアでもコレ起こるんじゃないか?)すいません、「ナントカ」とか「何か」とか、もう全部うろ覚えで。。アジア人はどこに位置づけられるのかな。白人よりなんだろうな、色的には。でも白人より、ブロック能力高いのかな。あまり深く考えたことのなかった肌の色。肌の色が違っても何も違いはない~、と思ってたけど、構造上、違いはあるのね。。適材適所(?)というのもあるのねー。うちの彼と比べると、私の肌の色はオリーブグリーンがかって見える。単独で見ると、そうは見えないんだけどな。ふつうの、日本人の肌色だ。黄色っぽいというならわかるが、なんなんだー、みどりって。
2006年01月08日
「The Joys of ENGRISH」という本を見つけた。日本で見つけたおもしろ英語の写真集。もちろん買った。友達にまで、誕生日プレゼントとして贈った。私にしちゃ、看板や商品に書いてある英語なんて飾りだと思って、意識して読んだこともなかったけど、こうやって集められて見ると、すごくおもしろい。一部紹介・・・。美容院の看板「HAIR DESIGN GUTS」「美容院・ガッツ!(根性)」と言いたいところなんだろうが、ぱっと見て思うのは「美容院・腸」です。駐車場の入り口の看板「PARK HERE!」「ここに停めろ!」たいへん押しが強いです。英会話教室のパンフレット「VERY FUCKING ENGLISH LESSON」・・・どうなんですか、これ。大変有名だけど薬屋の名前、「LOVE DRUGS」よく考えたら店の名前が既に、バイアグラか何かみたいですね。。トイレットペーパーの名前「Mercy(メルシー)」これもよく考えたら「ありがとう」という名のトイレ紙かー。旅行会社のパンフレット「Feel up」気分はアップ!うきうき!って言いたいのだろうけど、feel upの意味は「エッチな気分でカラダをまさぐる」とかそんなん。焼肉屋の看板。「You can enjoy cocking "jyu-jyu" your meat by yourself, as you like.」cookでなくてcockとは・・・。ちゃんと意味をなす文になってるわけじゃないけれど、コレのおかげで全ての文章が、「アナタの肉棒をご自分で、思いのままにこき楽しんでください。」というようなニュアンスに。。(下品な表現すみません。。)グラスに書いてある絵と文「I wonder why coffee tastes so good when you're naked with your family.」「ハダカで家族といる時は、どうしてこんなにコーヒーがおいしいんだろう」???ジャパングリッシュは、言いたいことはわかる、というものが多いけど、これに関してはもうさっぱりわかりません。。ダンボール箱に書いてある内容表示「BIG PERSON - BLACK」って、ちょっとちょっと。。大内歯科医の看板「OUCHI DENTAL CLINIC」何も間違ってはいないんだけど、「アウチ!歯科医」よ。痛そう・・・。お粗末さまでした。
2006年01月04日
あ~、なんだかあっという間にもう2006年なのね~。今年の大きな予定は、オーストラリア撤退、ドイツへ移動、だ。今年からドイツに、というのは2年前から予定しているけれど、残念ながら(?)、結婚しに、というわけではない(笑)。自分で保持できるビザで滞在して、最低一年は語学学校に通うつもりでいる。(いずれ)働けるようなガラス工房を探してもいるけど、工房のまったくない場所柄、こっちはかなりの苦戦。。昔から私は、「結婚は経済的にも精神的にも自立したオトナのするもの」という意識があった。ろくに言葉もわからない、住んだことのないドイツ、相手に依存した生活になるのは必須だ。そう思うと、初めから滞在権も生活の責任も相手に負ってもらう状況で行くよりは、当面自分で自分の面倒は見れるくらいの資金は準備しておいて、自分の責任で行って、「自分の世界」をまず作りたいのだ。いずれ結婚はするつもりだし、ビザの心配が出る前に結婚・・・ということもありうるけれど、初めからそれをアテにしたくない。「はやく言葉を覚えて何らかのビザに書き換えられるようにならないと、この国にはいられないよ!」と自分のおしりをたたくもの目的のひとつ?(ドイツではドイツ語学習のために取れる学生ビザは、基本的には一生の間に一年間だけと決まっている、らしい。)彼を信用してないって意味じゃなく、外国でも、自分の足で立ってる、って思えるように、せめてもの(くだらない)プライドだ。結婚する、と決めてるなら、この先もずっと一緒にいるんだから、別に結婚に急ぐことはない~。きっと私がもっと若くてもっとお金がなかったらこうは思わなかったかも。「お金の心配もビザの心配もしないでいい。」という彼に全面的に甘えたかも(笑)。なまじっか蓄えがあるので(そしてアネさんなので?)「けっ。甘く見ないでよ。自分で行くと決めたんだから、対等よ!!」と強がってるだけかもしれない。。あと言葉に問題がなかったらこうまで思わなかったろうな。これが一番大きいのだけれど。留学生など、外国ですぐに彼氏ができてしまうと、生活が彼氏一辺倒になってしまい、結果、気づくと現地に親しい友達は出来なかった、相手に頼ってしまい、自分で物事を処理できない生活を送ってしまっていた、ということが多い、と、何かで読んだことがある。私が怖いのはまさにこれだ~!(上記とは状況は違えど)言葉が不自由な状況で、その場所にいる目的が「彼」だけになると、何かあったとき、きっとものすごい孤独感を味わうことになるだろうと思う。だからこそ、「外との関わり」「自分の世界」がまず欲しいのだ。出来ることなら、仕事だっていずれは欲しい。オーストラリアにいて、英語も問題大ありで、それでもたくさんの友達が出来たこと、自分の得意分野で認めてもらえてご飯が食べれること、に、精神的にすごく救われた。無力な私だけど自分の世界がここにある、ここで生きていけるんだ、と感じることが出来た。ドイツじゃそうは行かないぞ。もっと言葉がわかんない。大きな赤ちゃん同然だよ。。いかんとは思いつつも、立ってる者は親でも使うこの性格、頼る人がいたら頼り切ってしまいそうよ~。。そして彼に頼れば頼るほど、自分のドイツでの人生はますます狭まってくることも予想できる。だから余計に、自分に厳しくありたい、依存しないでも生きていけるっていう自信が欲しい・・・自分自身の喜びがこの国にある、って思えるようになりたい、はやく赤ちゃん卒業できるようになりたいもんだ、って思ってしまうのだ。。(ごちゃごちゃ考えてないで、それならもっとドイツ語勉強しろ。ってね。)一方で彼のほうは、「友達も家族もいない、言葉もよくわからない外国に来るのは、ものすごく大変なことだと思う。言葉を覚えて、場所に慣れて、友達を作って、仕事を見つけて、っていうのにどれだけかかるかはんねね次第だ。それに関しては、僕にはどうしてやることも出来ない。僕に出来ることは、んねねをサポートしてあげることくらいしかないから。」と、全面的サポートを申し出る。つっぱねながらもその気持ちがうれしかったりもする・・・。さ~、どうなることかな~。今年もこつこつ地道に自分の土台を作っていきます。今年も一年、充実した幸せな年を作るぞっと♪これ抱負??
2006年01月02日

彼の伯母さん夫妻のところから、昨日帰ってきました。伯母さん夫婦の子供たちや孫たち、家族集まってのクリスマスでした。オーストラリアのクリスマス(ドイツ人ファミリーだけど)。毎年この時期は日本に帰っていた私には初めて~。食事の前にまず山のようなクルマエビ。それからバーベキューしたチキンや鮭と、いろんな種類のサラダ。最後にアイスクリームやフルーツサラダ。これらをテラスでいただきます♪外の気温は約40度。湿気がないので日陰は涼しく、それほど暑さはきつくない。とはいえ、あつあつのお食事や、ケーキみたいな乾いたデザートをいただく気分ではございません。。話には聞いていたけれど、オーストラリアのクリスマスの食事はシーフード・サラダがメイン、というのにも納得だわ~。25日には、祖母に誕生日のお祝いを言うのに、実家に電話しました。「もしもし、おばあちゃん?」と私が言うなり、「あらあ~!んねねちゃん、どうもありがとう~。」と言う祖母。私まだ何も言ってないよ・・・(笑)。うーん、写真が何もないな・・・。でもだって、クリスマス「らしい」クリスマスはここにはナイ。今年のでもないしオーストラリアでもないけど、去年ドイツで撮った、彼の実家のクリスマスツリーの写真を。。本物の木であかりもほんとのキャンドルの火。ぶら下がってるオーナメントは、手作りのものが多く、25年前にお母さんが何々で作った、彼が7歳のとき何々で作った、と、家族の「歴史」があるようです。写真にしてみるとまたキレイね~。。さーて、次はお正月ですね!こっちは日本が伝統を誇る?祭日だー。オーストラリアやドイツは正月は特に何も祝わないという。彼に日本の正月を見せてやりたいなあ。。
2005年12月28日

移動に向けて念のため、ノートパソコンに入っている写真のバックアップを取っておこうと、膨大な写真の整理を始めてしまった。その中に、アデレードで初めて見て衝撃を受けた「バジルシード」の写真が。イヤ。バジルシード自体はいいんです。日本でも見たことあります。でも、でも、コレ、なんてグロいの・・・。セントラルマーケットのフードコートの、ベトナム料理屋で買いました♪あまりの気持ち悪さに興味津々、思わず注文しましたが、中身は、バジルシードと寒天と海草、砂糖水です。味は、見た目ほどインパクトありません。っていうか、ただの砂糖水です。カエルの卵や藻が漂う濁った池の水・・・に見えるのは私だけ??
2005年12月22日
私のオーストラリアでの仕事が終わりました。2年間、がんばったがんばった。今は、あー終わった、ゆっくりするんだー、という気持ちと、しみじみさみしい気持ちと半々。最後の一週間はもう最後だと思うと悲しかった。今年ずっと週末一緒に組んで働いていたブレンデンに、「んねね、1年間どうもありがとう。」と声をかけられたとき、涙がぽろり。ネッティに「あたしたちんねねが必要なのよ。来年もここに残ってよ。」と言われたとき、またぽろり。数ヶ月前からブレンデンやネッティは「行くなよ。来年もここに残れよ。」と言っていて、ふざけて「あたしがいないとさみしい?」と聞くと、「ああ、さみしくなるよ。」と素で言われ、ぐっと泣きそうになったりもしたものよ・・・。そんなことなんかをうちで彼に話すと、「それだけいい時間をんねねが過ごしたってことだよ。いい人たちに出会えたってことだよ。」と言われて、またまたぐっときたり。ほんと、人や環境にはとってもめぐまれました。ありがたいことです。。アデレード大好きだー!離れるのがさみしい~!って思うのも、場所というより「人」なのよね、きっと。Kちゃんから「2年間お疲れ様でした。」とメールが来ていた。「んねねさんに会えたから英語が分からないけど工房のみんなとも仲良くなれて工房のことも色々知ることができて私も工房でやってみたいなって思ったんだと思います。私と出会ってくれてありがとうございます!(>З<)チュ!オーストラリアで出会って本当私の心の糧でした。」と嬉しいことを言ってくれたKちゃん。ほっぺに「んねね おつかれサマ」とマジックで書いてほおを膨らませた自身のアップの写真が添付されていた。「鼻毛が目立ったので少し加工しておきました。」とハナのアナは黒く塗りつぶされて。わはは!あー、みんなのおかげであったかい気持ちでいっぱいです。
2005年12月21日
来年に向けて新しく採った人たちが発表された。私が面接に同席した日本人のMちゃんは、残念ながら落ちた。ボスが発表前に私にこっそり教えてくれたのだけど・・・。電話口で「泣かれてしまった。」というのを聞いてちょっと意外だった。失礼を承知で正直に言うが、彼女からは、あまり仕事への関心が感じられなかったので。。以前、まったく英語がわからなかった彼女に、ボスは、「受けるつもりなら、もっと前から来て学校に通って英語の勉強しておけ。その合間に工房に来て、どんなところか何をやってるか見たり、手伝いを経験したりしてみて、よく考えるといい。」とアドバイスした。それに従って、彼女は半年前からアデレード自体には来ているのだけれど、工房に見学や手伝いに来ることはついになく、仕事の後の飲みや食事、工房主宰の展覧会オープニングなどに誘っても、一度も来ることはなかった。以前アデレードに数ヶ月滞在していた日本人のKちゃんが、熱心に人の仕事を見たり、飛込みで手伝ったり、ガラスと関係ないよごれ仕事も自分からすすんでしたり、何でも喜んで参加して、みんなにかわいがられてたのを見ていたので、私は、どうしても彼女と比較してしまって、Mちゃんは仕事にも展覧会にも、一緒に働くことになるかもしれない仲間達にも、関心がないのだなあ・・・、というように映ってしまっていた。ボスも、無意識にMちゃんのことを、「んねねはこうだったけどなあ、」「Kはこんなことあんなことに熱心なのが見えたけどなあ」などと、他の「日本人」と比較してしまっているようだった。面接の際の彼女の受け答えで、彼女が工房の仕事内容をよく知らない、ということに気づいた私は、私のときは学校通ってても工房にも来てたのにー、彼女、半年もいるのにもったいないー、何やってたんだろう?何やるかよく知らないのにどうしてここで働きたいんだろう?と思ってしまっていた。彼女が落ちて泣いた、と聞いて、気の毒に、そうか知らなかった、そんなに入りたかったのか・・・、と思った。が。続くボスの言葉。。「○○○○ってオーストラリア人の男から、Mのことで電話があった。」「え??」「『なんでMを採らないんだよ!!!』って泣いて言われた。」「・・・(唖然)」・・・何考えてんですか、その男。面接よ。遊びじゃないのよ。そっか、だからMちゃん工房来るヒマなかったのか、新しい男の子といっしょにいるためなら、それは工房に入りたい(ビザが欲しい)だろう、ってつい思ってしまって、なんだか一気に不愉快な気持ちになった・・・。彼氏が出来て大事に思ってもらってるのはよかったね。でも。何が目的で受かりたいんだ??なにより、なんでボスが彼女の彼氏に、面接結果にいちゃもんつけられなきゃならないんだ??それを思い返すと腹立たしい。あほか。。知りたくもなかった彼女のウラ事情?が、この出来事で一気に露呈して、げんなりした。すいません、愚痴モードで・・・。読む人が読んだら、Mちゃんが誰だか特定できてしまうかもしれないけど、それでも書かずにはいられなかったー!彼女がダメだった決定的な理由は作品のスライドです。これは見て歴然の結果でした。アイデア・スキル共に、作品を作って売る、レベルにはまだまだ達していなかった。また余計なことを言うと、そんな簡単に受かるつもりでいることにちょっとびっくりした・・・。(ここに入るのはオーストラリア人でも難しい。)私のときは、ダメもとの気持ちだったけど、多分、日本人(私やSちゃん)が入れた、ってことで、「じゃ、私も入れるはず!」と、彼女の中の期待も大きかったのかもなあ。。Mちゃん、また再挑戦すればいいさ。今度はもう親御さんに頼らず、自分でお金ためて、英語もガラスももっとお勉強して、準備が出来たらおいでよ~。。来年入る人たちは4人。アデレードから一人、メルボルンから一人、アメリカから一人、カナダから一人。そのうち二人は二度目の挑戦者でした。どの人たちも、事前に見たスライドで、誰もが「こいつ通るな・・・」と思った人たち。予想どおりの結果でした。
2005年12月09日
先月始まった展覧会。最初に青いボウルが売れた。展覧会作品って実用向きじゃないし、値段も高いし、普通、あんまり売れるもんじゃない。びっくりした。売れてびっくりっていうのもヘンな話だけど(笑)。だってあのボウル、日本円で約4万円よ。。いったいナニモノが買うんだろう?大きいものが売れるのは家の広い大陸ならではだ。ははは。更に、新聞に載った。工房の、個々のアーティストが新聞やメディアで取り上げられるのは、めずらしいことではなく、私だけではない。でもなんか嬉しかったなー。写真、カラーだったし。「おかーさん、こっちの新聞に載りましたよー」って、母にメールしてしまった。吹きガラスを始めたばかりの頃の、落としても割れないいびつな、ぼてぼてのグラスが好きで、段々うまくなって、既製品のような形に近づいてくるにつれ、「だんだんつまんなくなってくるわねえ。」とのたもうた母。娘は既製品以上のモノも作れるようになりましたよー。(手がついただけか・・・?)次にワイングラスのペア「酔っ払ったぞ~い」「まあまあ。もっともっと」の二つが売れて、今日、「Come on. I know you want me..」が売れた。これは、買ってくれた人に会えた。「初日で見たときから惚れ込んでて、迷ってたんだけど、手元に届いてお金を払うのは、今でなく2月の展覧会終了後だ、と知ってそれなら買えるわ!買うわ!と決めた。」と話してくれ、「わあー、嬉しい!どうもありがとうございます!」という私に、「いえいえ、嬉しいのは私よ。こちらこそどうもありがとう。」と言ってくれた。それをにこにこ見ていた、仲介者のギャラリーマネージャーから、今回の展覧会、私の作品の評判がいいことを聞かされた。うれしいー。それ自分の耳で聞きたいよ~。今日たまたまギャラリーに行って、お客さんに会えてよかった♪実は私は今回、値段を低めに設定している(それでもいい値だけど。。)売れなかったら日本に持って帰ることになるから。割らずに郵送できる自信がないのです(苦笑)。まあ、うまく持って帰れたら、またいつかどっかで展覧会やろうかなあ。。その前に、こいつらでみんなで一杯飲んでから、帰国するんだ!(笑)仕事ネタついでにもうひとつ。昨日は工房の面接日だった。来年度入りたい人たち、すでに書類を出している人たちが、面接のためにオーストラリア全土から集まってきた。私は志望者のひとりの日本人の女の子に、面接時の通訳を頼まれていて、うまく仕事抜けられるよう、時計とにらめっこしながら働いていた。「もうすぐ来るの?彼女緊張してるだろうねー。」というネッティ。「うん。あたしもね。」「なんでアンタが?!?!(笑)」「だって通訳だよー!英語だよー!」「何言ってんの(笑)。んねねが落ちるわけじゃないからだいじょぶよ。」自分でなくひとさまの言葉だからこそ、余計に緊張するんだ!!彼女と話して、極力自力でがんばってもらって、どうしても困ったら私が説明する、という形でやることにした。そのほうがいい。もし工房に入れたらもう、英語わかってもわからなくても、自分でなんとかするしかないのよー。。結果。おもしろかった♪面接に居合わせる、なんて機会、めったにないもんなあ。この子はこういうことを考えてこんな作品作ってるのねー、こんな夢があるのねー、と、とっても興味深く聞いていた。さー、来年は誰が入ってくるのかな。楽しみたのしみ♪
2005年12月06日

同僚のベスの誕生日パーティーで、ワイナリーにランチに行ってきました。シティから車で45分くらい行ったところに、私達のお気に入りのワイナリーがある。(って、もうこのへんはワイナリーだらけだけど・・・)みわたす限りブドウ畑。季節には、散歩がてら、そこのワイナリーの畑のぶどうをつまみ食いして(こらっ!)歩いたっけ~。ここではブドウ畑に囲まれた丘の上、花でいっぱいの綺麗な庭で、おいしいランチやデザートを食べさせてくれる。そこのランチは、そのワイナリーで作ってるワインやオリーブオイル、オリーブがよく合うオープンサンド♪オリーブオイルをたらしたバゲットに、ここで作ってるオリーブのディップを塗って、チーズとハムを乗せて、ルッコラやレタスなんかのサラダ菜を乗せて、いただきまーす。シンプルだけどとってもうまい!オリーブオイルや野菜のおいしさも引き立ちます。これが大好きで、よく家でも休みの日のお昼ごはんに、真似してつくる。是非おためしあれ~♪お誕生日に際して、日本語でバースデーソングを歌わされた。ちゃんと!日本語の発音で歌いました♪「ハッピーバースデー、ディア べーすー」のべーすーが面白かったみたい。。ウクライナルーツのカナダ人の友達は、ウクライナ語とフランス語で歌い、お父さんがギリシア人の友達はギリシア語で歌った。おもしろいなー。
2005年12月04日

ゆうべは工房全部門のクリスマスパーティーでした。ビュッフェ形式、バーあり(飲み放題)、ライブバンドありのかなりちゃんとしたパーティーだった。食べて飲んでしゃべって踊って、楽しかったー♪昼間病院に行ったものの、膀胱炎が気になる私は、ビール2本しか飲まなかったけれど。カメラ持っていけばよかったなあ。ちなみに先週末もバーベキューパーティーだった。ボスの誕生日!ということで、ボスのうちで。「全身ワン・カラーの服装で来ること」と言われていて、集まった人たちの格好はそれはそれは面白いもんだった。ホストであるボスは全身むらさき(靴も!)、奥さんは全身きみどりだった。娘ちゃんは全身ピンク。そんな奇抜な色の服なんて持ってない私達は、私はダークグレー、彼はライトグレー、で赴いた。茶色カップル、みどりいろカップルもいたなー。ああ、これもカメラ持って行けばよかった!!もう今日はパーティー特集にしてしまおう。。写真のあるヤツで。ハロウィンパーティー♪オーストラリアにはハロウィンの習慣はないけれど、アメリカ人のブレンデンが、先月彼のうちでハロウィンパーティーをひらいた。左の人は作り物。右の人は生きてます。ゾンビだけど。墓石はスポンジにスプレーかけて作ったモノ。私は借り物のワライカワセミのアタマをかぶって行った。(ワライカワセミはオーストラリアの動物らしい)・・・ってこれ、ハロウィンっていうよりただの仮装だし。まあ、いっか。私がワライカワセミの頭をかぶったまま、くちばしの奥にコップを突っ込んで飲む姿がおかしい、と、撮られた写真。上くちばしはちゃんと、あーんと手で持ち上げて。女の子のほうは、クビを切られて血のりのついた死人の花嫁、男の人のほうは海賊で(手首のオウムが好き♪)、別々でこの格好で来たんだけど、非常にマッチした写真が撮れました(笑)。しかし、ハロウィンの習慣はないというのに、みんななんでこんなに仮装に慣れてるのー??
2005年12月03日
昨日は仕事の後、ブレンデンとブレンデンの彼女、うちの彼と私とで、日本食レストランにごはん食べに行った。「ダブル・デートだー。」と言うブレンデン。そりゃ、なんか響きがこっぱずかしいよ。。学生時代から付き合っている彼女を、アメリカに置いて、ひとりオーストラリアに来たブレンデン。この1年間遠距離してました。先週からその彼女が3ヶ月の休暇を彼と過ごしに、アデレードに来ている。かわいいんだわー、この彼女が!ちっちゃくってにこにこしてて、ブレンデンがどっからか調達してきた自転車に、よじのぼるように乗って、慣れない左車線を一生懸命走って、道に迷った、と電話をかけてくる(笑)。彼に会えるのが待ち遠しくて待ち遠しくて、3週間前からパッキング開始していたという。ブレンデン、1年間遠距離、がんばったねー。あと一年、またがんばってねー(笑)。考えてみれば、私の前に2年間ここで働いてたSちゃんも、日本の家に彼氏と猫を置いてきてたっけな。(しかも今また、彼氏を置いてシンガポールだよ。。)というか、私も遠距離だったよ、そういや。初めから覚悟が決まっててここに来るからかな、それとも期限がはっきり決まってるからかな、誰も遠距離恋愛に対して悲壮感がなかったな。遠距離だから関係を続けるのが大変、とかなんとか、そういうのは誰もなかった気がする。Sちゃんもうじき結婚するし、ブレンデン、ここではガラスに一途だし、私はこんなんだ。まあ、遠距離に不安がある、くらいだったら、誰も相手を置いてわざわざ外国くんだりまでして来ないでしょうね、きっと。。彼女が来る直前、ブレンデンは心待ちにしてたのはそりゃもちろんだけど、ちょっとナーバスにもなっていた。数週間の滞在なら彼女に集中してられるけど、数ヶ月だ。他に頼る人が誰もいないここに彼女が来たら、彼の生活はいろんな意味で変わる。週7で工房に来てる彼も、そう自分のことだけやってはいられない。彼の帰りを待ってる彼女をほうって、自分はいつも通り同僚達と仕事帰りに一杯~♪とはなかなかいかないだろうしねえ。実はこれは私も、彼が来る直前はそうだったので、その気持ちは察しがつく。「もうじきんねね、私達とはお別れね。さよ~なら~♪んねね~~~。。。」などともみんなに言われてたもんだ(苦笑)。でもまあフタをあけたら、案外全然ラクだったけど。仕事の後、皆と一杯飲んで帰ってるのは変わってない。でも、遅くなっても夕飯は極力うちで食べること、というのと、週に一日は必ず仕事休み取ること、というのは、彼が来てから意識して変えた。はためには、あんまり働かなくなったように見えるかもしれない。なんかこの意見、おっさんくさいな。。「専業主婦の新妻を家に待たせてる」男みたいだぞ。話が全然変わるけど、仕事話。工房ではガラス製品の修理の仕事も時々入る。こないだは、ガラスで出来たおんどりの置物を接着修理する仕事があった。カタマリガラスなんだけど、細いところがぽきっと割れてて。その後、そのおんどりの持ち主の女性からお礼状が来た。"Thanks so much for fixing my husband's cock."「主人のおんどりを直してくれてありがとう」だけど、「主人のアレを直してくれてありがとう」にかけてある・・・(汗)。(多分、日本ではこの二つ目の意味のほうが有名かと。。)下品なジョークだけど、皆大爆笑でした。
2005年11月24日
メルボルンから私の商品の大量の注文がきた。これについてボスと話し合った。時期的に難しいのよ・・・。。私がここで働く期間は、あと1ヶ月。注文をこなすのにぎりぎり、か。こなせても、ショップにおろす分までは手がまわらない。1月には私のビザも切れるので、たとえ工房に残って作っても収入を得るわけにはいかない。結局、ボスの提案で、「工房の仕事」としてチームを組んで作る、ことにした。正直、これは私の本意ではない。自分の名前をサインして売るからには、最初から最後まで自分で作りたいのだ、私は。チームを組んでつくる、ということは流れ作業形式。作る過程の一部だけを私がやることになる。模様(泡)をつける部分か、最後の成形か・・・。どちらの段階も自分でやりたいけど、チームではそれは無理。でもこうでもしないととても短期間にはこなせない。どうしようもない・・・。注文は嬉しいけど、複雑な心境。いくら自分のサインを入れて品物を売ることを許されているからといっても、私の品物はこの「工房の品物」。しかも「作品」じゃなくて「商品」だからね。こういうこともまあ、あるわねー。。その話とはずれるけど、こっちに来てちょっと驚いたことは、「商品」でなくて「作品」でも、必ずしもみんな、自分の作品を自分で作ってるわけではない、ってことだ。展覧会用の作品も「時間がない」「技術的に自分には無理」など様々な理由で、人に頼んで作ってもらう人は多い。もちろん、日本でもそういう人は多い、と思う。有名な人では、山野宏さんや、今は亡き藤田きょうへいさんの作品とかは、アシスタントや職人さんが作ったものだ、っていうのは知られている。美術系の人には、そのへんははっきり割り切っている人も多い。「表現したいもの」「この形を作りたい」というのがはっきりしていて、それを形にする技術(・時間?)が伴わなければ、注文してプロに作ってもらいます、というふうに。「この人はデザインの人」とわかっていれば、なるほど、で済むけど、実際自分でも吹く人、吹ける人だったりすると、「えっ、自分で作ってたんじゃなかったの??」と混乱する。今までは、あまり私の身近にはそういう人はいなかったので、最初はびっくりしたもんだ。このへんの定義はすごく人によるんだろうなー。いい悪いはもちろんないし、ここで線引き、っていうのもないけど、時々考えちゃうんだよね。。
2005年11月22日

工房隣接のギャラリーでやる2年に1度の展覧会、Biennialのオープニングが昨日あった。私達にとっては、ここでの仕事終了の記念?ともなる大きな展覧会。みんな、これに向けて頑張ってきた。オープニングに着る女の子達のドレスも半端なかった(笑)。作品見るより、みんなの衣装見てるほうがたのしかったかも・・・。オープニングにて、サウスオーストラリア州のPremier(県知事みたいなもの?)の挨拶。おえらいさん、どこ??み、見えない・・・。彼の挨拶の中で、私の作品が例に挙げられ、絶賛された。ちょっとかなりうれしかった。。私の作品は、私のパブ(笑)。ビールグラスとワイングラスをたくさん作った。"Come on! Drink me! I know you want me..."中も全部ガラスです。これを中心に置いて、"Cheers."この中指立ててるヤツは、面白半分で作ったものの、こんなの展覧会に出していいのか迷いました。。"Thanks, mate.""No, worries."「う~い、酔っ払ったぞぃ。」「まあまあ、もっともっと」 トクトクトク・・・これらのグラスたちを配置した。そして私のプロダクション(普段「私の商品」として作っているモノ)。直径40センチくらいのボウルです。普段はもうすこしこぶりのものを作っています。普段は一色使いですが、これは展覧会用ということで、同系色を2色重ねてます。底に、色が層になってるのが見えるかな・・・。なんか微妙だな。。もっと違いがわかりやすい色つかうべきだったかな。私のプロダクションは、どれもらせん状にアワを入れてます。アワ、好きです。時が止まって、封じ込められた一瞬、って感じがして。更に、青とアワの組み合わせは好きです。水の中みたいで。(これはピンクだけど)ここで見てくださった皆さん、どうもありがとうございます。オーストラリアでお世話になった皆、どうもありがとう~。ここでの仕事もあと一ヶ月!写真、一度にいくつも載せるのも成功しましたー。やり方教えてくださった皆さん、どうもありがとうございました。
2005年11月19日
仕事中、ひさびさにちょっと大きな火傷をした。出来たガラスを徐々に冷ます徐冷炉(500度)の扉の内側に、誤って腕を当ててしまった。「じゅうっ!」ってイヤな音がして、見たら腕の焼けたところがまっしろ。ちょっと深い火傷って、なぜかやきたてのときは、まっしろか黄色になる。そして焼いた直後しばらくは痛みはない。「冷やして、冷やして!」と皆に言われると、つい、なんでもないのよ~、みんな見ないで~、って気持ちになって、「だいじょうぶ、痛くないよ。(ほんと)」と言ってしまう。ほんとかどうか知らないけどよく言われること。「感覚のない怪我ほど、深い怪我ってことだ。その周辺の神経がやられるから、やってすぐは何も感じないんだ。すぐ痛くなる。はやく冷やせ。出来るだけ長く。」とはいえ仕事中。ちょっと冷やしちょっと冷やししながらやってたら、だんだん火傷した皮膚が、とけたプラスチックを貼り付けたみたいな形状になってきた。やばいなー、みずぶくれになるなー、と思ってたけど、その後の処置(荒療治)がよかったのか、腫れもひいて、みずもたまらず、おさまった。これで、くずれた皮膚をひっかかないように、下の皮膚が出来るまで大事にもたせられれば、カンペキです♪火傷・・・。考えてみれば、吹きガラス屋さんはいっぱいあるわね。。工場でさお払い(吹いた後のさお先についたガラスをはがねで払い落とす)をやってたときは、みーんな右腕ははねたガラスくずで細かい火傷だらけだった。私も右腕は今も数十の火傷痕がある。ああ、女の子なのに・・・。工場で一度、炉のそばにある煮えたぎった湯のはいった缶(溶けたガラス表面の泡をすくいとるさおが立ててある)を、自分の足にひっくり返して両足を火傷した同僚がいた。熱いっ!と、咄嗟に靴下を脱いだところ、足の皮膚がくつしたにくっついてべろっとはがれてしまった。あれはひどかった・・・。去年ブレンデンが、ブローパイプを上下逆につかんでしまって、手のひら全体を火傷したことがあった。手のひらを焼いたら働けない。ブレンデンはもう当分ダメだ(ひどい?)、と私は思い、本人もそう思ったらしい。ところがところが、それからすぐに冷やし続けること5時間!あんなにひどく焼いたのに、水ぶくれもなく、皮が固くなった程度で、彼は次の日仕事に復帰した。復帰したっていうか、通常どおりだ。すごい~!この治癒能力は今まで見た中でいちばんすごかった。普通はあれやったら1~2週間は仕事無理です!火傷は長く冷やせば冷やすほどいい、とは言うけど、ほんとなのね・・・。そこまで根気よく冷やしたことないけど。一日、てぬぐいを腕の火傷に巻いて、擦れないようしのいでいたけど、うちに帰ったら、誰かがいつか置いてってくれた個別包装ガーゼやテープ、包帯の類がたくさんあった。旅行に来ていろんなものを置いてってくれる人たち、ワーホリの子や留学生が帰国時に置いてってくれたり、そんなモノがぎょうさんあります。普段はもちろん、非常時にひじょうに助けられてます。このガーゼは誰だったっけ・・・。どうもありがとう~。私が去るときは、どこに何を置いていこうかなあ。。
2005年11月11日
ボスが日本から帰ってきた。かーなーり、たのしい旅だったもよう。一日、誰かしらをつかまえて、ボス、日本のことしゃべりまくってた。仕事終わってみたら、全員の作業机の上に、ちっちゃなまねきねことだるまがお土産に置いてあった。更に私の机には、貸した東京ガイドブック、そして「本どうもありがとう。これ、よかったら。」といわんばかりに武富士のティッシュが。。さすがボスの土産だ~・・・、と思っていたら、スタッフの一人がアタマに日本手ぬぐいをかぶって現れ、「これ、S(私の前にここで働いていて、今回日本でボスの案内役したSちゃん)から私にプレゼントだって、ボスからもらったの。これ日本語、なんて書いてあるの?」と聞かれた。広げて見ると、達筆な毛筆体ででっかく書かれたその日本語は、体 技 心その横に、戸塚区体育総会50周年記念会長 ○○○○(名前)と美しく書かれていた・・・。Sちゃん!こんなもの一体どこで手に入れたの??アナタ横浜市民でもないでしょーが!っつーか、こういうものを、プレゼントにするんじゃない!その横でまた別のスタッフが、「Sからは僕ももらったんだよ~ん♪」と、これまた武富士のティッシュを取り出した。Sちゃん・・・。そういえば、今年正月の帰国時Sちゃんに会ったときも、うちの彼に(彼はそのころドイツ)、と、日本らしいおみやげをいくつか、私に預けてくれ、その中にも武富士のティッシュがあったっけ。。「これ、道ばたでタダでもらえるんだよ!って、日本のよさをアピールしてね」と(笑)。ボスを笑えないわ。。っつーか、これはSちゃんの入れ知恵かい??
2005年11月07日
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