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2016年9月19日 21:16「現代語訳 開目抄(下)」を読んでいる。法華経第一の思想は明解だな。念仏宗では「法華経は教えが深すぎて、民衆の能力では理解できない」などとされているという。禅宗では「法華経の文字は月をさす指のようなもの。文字よりも仏の心を理解することが大事」などとされているという。理解する能力が低すぎるのか、理解する能力が高すぎるのか。2つの主張は矛盾している。真言宗では「真言があるから法華経よりも上」という。真言が法華経よりも大事であるというのは仏の主張だろうか。
2016年09月19日
2016年8月13日 20:55小説「新・人間革命」 清新 五十人は苦しい時、現実から逃れたいと思ってしまう。「西方浄土」に生まれたいというような気持ちを、人間はもともと持っているから、悪い意味での諦めを促す念仏思想に同調してしまうのだろう。異世界転生ラノベとかな。本来、現実が厳しいほど地道な一歩が求められるはずだ。でも、自分も低血圧症の異常疲労(低血糖からきていたと思われる)があったときは本当につらかった。地道でありたい。地道地道。
2016年08月13日
2016年7月25日 16:13教学の夏!大白蓮華7月号の「生死一大事血脈抄」講義。実に明解だな。なぜ法華経が大事であるかと言えば、それは虚空会があるからだ。虚空会で、釈迦・多宝の両仏は、上行菩薩にあとをゆずる。上行菩薩は日蓮大聖人だ。仏法は真実だ。法華経はただの物語ではなく現実だ。ならば、上行菩薩がどこかに出現しなくてはおかしい。真実だから。その上行菩薩が日蓮大聖人だ。釈迦・多宝から血脈を受けた日蓮大聖人を、釈迦・多宝と同じように大事にするのは当然だ。と、なるわけだな。実に明解。ただ、日蓮宗ではこういった考え方を説かない。日蓮正宗の抜け殻みたいなもんだから(日蓮大聖人にあとを託された日興上人が日蓮宗を出て、新たに立ち上げたのが日蓮正宗)。しかし、日蓮正宗も、経文の通りに広宣流布を進める創価学会を破壊しようとした。これは現代の提婆達多とも言える行いであり、僭称増上慢の現れと言える。破和合僧には厳罰があると経文にある。こうやって整理すると実にわかりやすいな。入会しろ!
2016年07月25日
2016年5月25日 21:19池田SGI会長とガルブレイス博士との対談から。「人間自身が、葛藤を繰り返し、瞬間瞬間、心が移ろう、矛盾をはらんだ不確実な存在であると、認識することが大切だと思います。したがって、その人間を高め、成長を図っていくことが、常に的確な判断をしていくうえで、極めて大事であると考えます」成長、訓練、実践、その勇気だな。真に確実なのは。可能な限り苦手な訓練を避けてきたが、退院してから、これではいかんと思うようになった。「人間の生命には、本来、汲めども尽きぬ英知の泉が具わっており、その泉を掘り当て、汲み上げていく方途を、仏法は教えています。この生命の法則に根差して、自身の可能性を開いていくことを、私どもは人間革命と呼んでいます」やはり、仏法だな。
2016年05月25日
2015年4月26日 8:01今日は選挙や。あとは言わなくてもわかりますよね。名誉会長の「光の言葉 幸福の曲」どんな喜びも 満足も、それだけでは、時とともに色あせるゆえに、「幸福」は 「向上」のなかにある。たえず「よりよくなっていく」 自分自身の戦いにある。「戦い続ける」 「前進し続ける」人生にある。ゲームで強くなるのも楽しいが、現実はほとんど「向上」してないからな。現実において「よりよくなっていく」ことだ。ゲームは現実のなかにある。現実の一部だ。小さなものより、大きなものが優先されるのは当然だ。自分自身のために。さらに大きなまわりの人々のために。さらに大きな世界のために。現実に「戦い続ける」「前進し続ける」人生が幸福なのだろう。安倍「憲法24条が同性婚を禁止」 ←ウソだったことが判明 [転載禁止]©2ch.net現実に合わせて解釈すればいいって、わかってるくせに。そもそも性とは何だ?両性というなら2つしかないのか?生物の始祖は両性具有だった。【速報】ドローン放射脳おじさんのブログがヤバい [転載禁止]©2ch.net爆笑したわ。真面目なバカ。好感度あるな。やらせじゃないよね?「押切蓮介」先生がオタサーの姫を描いた読み切り「サークルクラッシャーズ」をWEBで公開 [転載禁止]©2ch.net面白い……。単行本買ってやるか。日本猿で二度見して笑った。
2015年04月26日
2014年11月26日 23:23SEIKYO online (聖教新聞社):広宣譜6「新・人間革命」から。宗門の難癖はひどいもんだ。そもそも、信心に関する指導を難癖をつけるために読むというのは、自分には学ぶものはないとおごっているか、はじめから創価学会を邪教と認識しているかのどちらかだ。お前らは邪教から供養をもらってたのか。返す気もないのか。池田先生の指導がむずかしすぎたのかもな。漢字が多いから。俺も漢字は苦手だから気持ちはわかる。しかし、人の上に立つものが、それではいかん。
2014年11月26日
2014年9月22日 18:47創価同窓の集いのスピーチに感動する。「私が創価学会の第3代会長に就任したのは、32歳でした。もともと医者から、30歳まで生きられないと言われていた病弱な体でしたし、学会の会長職は、師匠である戸田城聖先生も7年にして逝去された激務です。ですから、就任の日に妻は「きょうは、わが家のお葬式」と言いました」「妻が初めて赤飯を用意してくれたのは、就任8周年の5月の3日です。全身全霊で生き切った悪戦苦闘の連続の30代に、私たちは今日の発展の因を刻みました」「(趙文富先生の若人への激励に)「青年は、自分をもとに、他人のために生きようと苦悩した時にこそ、力が湧き、人間として生まれた真の幸福を感じるのである」」「(ある朝鮮通信使の、日本の友への手紙)あなたとは国が異なり、遠く万里を離れ、山海が隔てています。しかし、私たちは、心は通い合っています」そういえば、ちょっと昔にネトウヨが、朝鮮通信使(?)がニワトリをどうたらとか言っていたな。まあ、どうでもいいか。
2014年09月22日
2014年9月14日 11:42 今日の聖教新聞、「光の言葉 幸福の曲」を読んだ。「長寿社会とは 競争よりも協調が 効率よりも ゆとりが 物の豊かさよりも 心の豊かさが 求められる時代である」俺自身も、長寿社会への備えをしていかなくてはいけないと思った。
2014年09月14日
2014年5月27日 21:18 SEIKYO online (聖教新聞社):名誉会長の中国初訪問40周年 青年部訪中団 北京へ「 一行は北京空港に到着後、中国人民抗日戦争記念館を訪問。戦争の犠牲者を追悼し、献花を行った。 同記念館は、日中戦争の発端となった盧溝橋事件(37年)が起きた地のそばに立つ。 李宗遠副館長との懇談で橋元団長は、名誉会長が青年に、「日中関係が友好的に進展していくための前提条件は、申すまでもなく、『正しい歴史認識』です」と伝えていることを紹介。不戦の決意を新たに、友好の新時代を築いていきたいと述べた。」日本は、もっと歴史教育をやった方がいいな。保守派は、祖先の罪をなかったことにしたいのだろう。しかし、今時、平然と人を殺していたような旧軍人を、自分の祖先と思う人の方が少ないだろう。「12歳の少年の国」なんだよ。少年犯罪だな。祖先を絶対視することはない。「12歳の少年」なのだから。そして、犯罪はさばかないといけない。犯罪をさばかないものは、犯罪者と同じと見られる。
2014年05月27日
2014年3月7日 22:36 『聖教新聞』から(久しぶりだな)。サイフェルト博士 ここがとても大切な点だと思うのですが、死は生命の一部であって、若い世代の人たちに対しても、その点を肯定的な意味合いをもって、真摯に伝えるべきです。「死」を忘れた人は、「生」を充実させることも忘れます。我々はテレビを見に生まれてきたのでしょうか。人の悪口を言うために生まれてきたのでしょうか。戦争をするために生まれてきたのでしょうか。そんなことはないはずです。「死」を直視する人は、寸暇を惜しんで自分を磨き続けるはずです。池田SGI会長 大事な点ですね。私はかつて、アメリカのハーバード大学で、「21世紀文明と大乗仏教」と題して講演しました。その論点として、近代社会は死の問題から目をそらし、生のプラスイメージに対して、死は悪であり無であり、不条理であり暗である等々、あまりにもマイナスイメージで捉えてきたことを指摘しました。しかし、「死を忘れた文明」は、必然的に真の生命の尊厳性を忘れさせ、物質的豊かさや富が全てであると暴走させ、人間の倫理観や道徳観を極端に弱めてしまった。20世紀が「メガ・デス(大量死)の世紀」となってしまったのは、そうした現代文明の延長線上の帰結といえるのではないでしょうか。何より、死の問題に真正面から取り組み、生命観、死生観を確立することこそ、21世紀の最大の課題です。前にも申し上げたように、仏法においては、死とは次の生への充電期間のようなものであり、決して「忌むべきこと」ではないと教えています。信仰の透徹したところ、「生も喜び」「死も喜び」であると説き明かしているのです。「「死を忘れた文明」は、必然的に真の生命の尊厳性を忘れさせ、物質的豊かさや富が全てであると暴走させ、人間の倫理観や道徳観を極端に弱めてしまった。」はい。まったく、その通りとしか……。20代のころなんて、死を意識したことさえなかった。今だって、死について考えられているかどうかあやしいが。まぁ、釈尊の時代から、人間のテーマなのかもな。「「死」を忘れた人は、「生」を充実させることも忘れます。我々はテレビを見に生まれてきたのでしょうか。人の悪口を言うために生まれてきたのでしょうか。戦争をするために生まれてきたのでしょうか。」あわわわ……。
2014年03月07日
2014年2月1日 16:03SEIKYO online (聖教新聞社):正義25「会長本仏論」ちょっと教義を学べば、そんなことにはならないとわかるはずだ。そんな難癖をつけていた宗門が、後に「法主は本仏と同等」などと言い出すのだから、あきれる。思っていることしか口に出ない、ということだ。「謗法を容認している」祭りに出ただけで「謗法」。狂っているな。大石寺の総代が、神社の氏子総代をしていた宗門。これは宗門からしたら「地域友好」なのか。要するに、教義を知らない。自分の宗教の教義すら知らない。出家とはいえ、今や完全な世襲だから。勉強する必要がないわけだ。で、やることは難癖をつけるだけ。
2014年02月01日
2014年1月26日 21:59今日掲載された池田SGI会長の記念提言がすごい。感動する。「この大いなる挑戦を展望するにあたって思い起こされるのは、20世紀を代表する歴史家のアーノルド・J・トインビー博士が述べていた、「われわれは、歴史を繰りかえさせる運命づけられているのではありません。つまりわれわれ自身の努力を通じて、われわれの順番において何らかの新しい、先例のない変化を歴史に与える道がわれわれには開かれている」との言葉です。ここで言う、「何らかの新しい、先例のない変化を歴史に与える道」とは何か――。私は、一人一人の人間の立場に約して、人々のため、社会のため、未来のために、自分にしかできない価値を創造し続ける挑戦として提起したい。」まさに、伝統は革新から生まれる。革新とは、一人一人の努力と挑戦のことだ。
2014年01月26日
2013年11月30日 22:57 「聖教新聞」の社説から。「当初、特定の結社を弾圧するために作られた治安維持法は、政府に不都合なことを「話し合う」だけで罪に問い、日本本土のみで約7万人が検挙された。この治安維持法と不敬罪により牧口・戸田の両師も入獄。牧口会長は73歳で獄死し、戦前の学会は崩壊する。池田名誉会長は先日の各部代表者会議のメッセージでもこの殉教に触れ、「最も強く、最も崇高な学会精神の極意です」と力説した。」治安維持法で、約7万人が検挙されたというのは凄まじいな。我々は、生まれたときからアメリカ人のような(つもりの)顔をしているが、実際は北朝鮮人の方が近いといえる。また、真実をさらしてしまった……。でも、おれ自身はアメリカ人の方が近い気もする。「マイリトルポニー」が、面白く感じるから。友情を大切にしよう!(アメリカ人っぽい)
2013年11月30日
2013年10月13日 14:36「大白蓮華」8月号を(いまさら)読んでいる。「池田名誉会長講義 勝利の経典「御書」に学ぶ」より。「確かな生死観を持って生きることが、人生を深く豊かにします。「本有の生死」から見れば、死は一つの方便の姿です。よりよき「生」のための「死」です。」なぜ「生」は絶えないのか。なぜ「死」は必ず訪れるのか。つまり、これは「法則」だからだな。
2013年10月13日
2013年5月4日 22:31「名字の言」より。「牧口初代会長が『人生地理学』を発刊したのは1903年。軍国主義に傾斜する日本にあって、軍事的競争、政治的競争、経済的競争の時代から「人道的競争」の時代へ転換することを訴えた。その先見は、110年後の今に輝きを放つ」「何のために競うか。その目的次第で競争は善にも悪にもなる。自分の利益のみを求める競争は対立を生み、それが国対国ならば戦争さえ引き起こす。牧口初代会長は競争が何のためかを問い、利己主義の争いから「自他共の幸福」を目指す競い合いへ、競争の質を変えることを提唱したのだ」何のための競争か。競争の質が問題であるという。自分がやった競争で一番、虚しかったのは、ネトゲの長時間プレイとアイテム集め競争です。戦争が憎い。戦争は人を狂わせてしまう。現代も、戦争を引きずっている。人を狂わした、その原因が、日本にあるというのは悲しいことだ。日本はやはり、謝り続けないといけないな。「足元を見られる」とか言ってる場合ではないw戦争とは、それほどの重大事だろう。もちろん、外交的に、本当に足元を見られていいというのではない。そこは話が別だ。過去の日本と、今の日本を、我々自身も混同しているのかもな。過去の日本は野蛮でした。でも、今はそんなことないよ。と、それだけ言えばいいものを、ややこしくなっている。過去の日本は悪くない。今の日本も悪い。話がこじれている。話は変わるが、中国包囲網というから何をやるのか本気で心配してたが、普通の外交だったなw今さら中国相手に軍拡競争するのかと思ったわ。外交を進めるのはいいことだ。しかし、靖国は厳しいな。これが日本の文化です、といえば、それまでだが。まぁ、そんなに伝統のある文化ではないんだが。江戸時代よりも浅いしwしかし、そうなら、なおのこと被害国に対して説明がいるな。あ、でも、国内に対しても説明がお下手でしたよね……。いりくんだことをやろうとするわりに説明が下手。困ったもんだ。
2013年05月04日
2013年4月7日 10:13 「聖教新聞」で日曜に掲載される「世界の知性は語る」が、いつも素晴らしいんよ。世界の宗教研究者や学者のほうが、学会員よりも教義に詳しいもんで、申し訳ないやら嬉しいやら。とても勉強になる。「一般に理解されている仏教の宿業(カルマ)の概念には、自らの置かれた現状を定めとして受け入れるという、消極的なイメージがあります。しかし、宿命転換論には人間一人一人の責任を喚起していく力があります。」宿業(運命のようなもの)が「過去の因」によって決まるなら、「現在の因」によって未来は決まる。つまり、「定め」は同時に「定めではない」。「そこには、未来は、他の誰かによって決定されるものではなく、自らの責任と行動によって開かれるものである、との力強いメッセージがあります。そして、その責任とは、たとえ自らが最悪な環境に置かれても、決して手放してはならないものです。そうした強い責任の意識こそが、真の変革の源となり、未来の発展の力となるのです。」「自分は、宿業からは逃げられない」ということは、逆に「宿業は、自分からは逃げられない」ということ。手放す意味がないのだから「手放さない」。その責任の自覚が「真の変革の源」になる。
2013年04月07日
2013年3月25日 18:24 「新・人間革命 勇将24」より。「ハンセン病と診断され、「ライ予防法」によって療養所に入れられると、社会とは隔絶された生活が続くのである。また、1940年には「国民優生法」が公布され、国民素質の向上を目的に、遺伝性の病にかかった人は、生殖機能を失わせる手術等受けられることが定められた。ハンセン病は、遺伝性が確認されていないにもかかわらず、その対象とされ、しかも、事実上、手術等を強制されたのである。」「優秀な強い兵士を育成し、軍事大国をつくろうという考えももとでは、人間は国家のための手段でしかない。そこでは、優れた兵士を確保することが大切であり、病にかかった人や体の不自由な人は、世の中の片隅に追いやられてしまう。また、経済の発展を第一義とし、経済大国を目指す国家では、経済的繁栄に寄与する人が大事な人材とされる。結局、利潤追求への貢献を尺度にして、人間が計測され、裁断されることを余儀なくされる。軍事大国であれ、経済大国であれ、人間を手段かする限り、その国家の目的に貢献できない人は排斥されていくことになる。万人が平等に尊重される国家、社会を築くには、決して人間を手段化するのではなく、人びとの生命を最高価値とした国づくりがなされなければならない。生命の尊厳という理念に基づく国家、社会の建設である。」指導者には哲学が求められるな。そこまで「優生」にこだわったところで、本当に強くなるわけではないっていう。「強さの定義」がないから。体が大きいほど強いというなら、恐竜が一番、強いことになる。そこまで大きくなくていいというなら、どこまで大きければいいのかという定義だな。定義ができたとしても、それは「今の状況における定義」であって、普遍的なものではない。むしろ、特化させすぎたことで状況の変化に対応できず、簡単に滅んでしまうようになる。なら、多様性こそが強さともいえる。遺伝子の優生にこだわることは、理性万能主義(もちろん、理性的ではない)ともいえる。革新よりも革新的だ。「日本に保守なし」といわれるわけだ。保守派のいない国は、政治的に安定しないのだろうか。
2013年03月25日
2013年2月22日 16:53 「聖教新聞」(20日付)の「読む=生きるチカラ」がよかった。翻訳家・児童文学者の清水眞砂子さんへのインタビュー。「まず、子どもには「人間への信頼感」が得られる読書が大切ということですね。子どもは特に主人公との一体感を強く持って読みますから、最後は報われる作品に触れるのは意味があると思います。この「生きることへの肯定感」は、子どもに限らず、誰もが最終的に求めているものではないでしょうか。」うむ。すばらしい。「楽観主義」が大事ってことね。若いときの富野御大に読ませてあげたいwww「その上で「心を耕す」読書が必要だと思います。例えば心が豊かになるとは、どういうことでしょうか。心の豊かさと、心の平穏とは必ずしイコールにはなりません。自分の心に鍬を打ち込み、善も悪も美しさも醜さも掘り起こして、白日の下にさらす。そして自分の多様な内面性に気付くことが大切だと思います。エリ・ヴィーゼルの『夜』には、ナチスによる残虐非道が描かれています。これを読むと、極限状態に置かれたら、親を見捨ててさえ平気でいるかもしれない心が、自分にもあることに気付かされます。」「ところで、ぜひ申し上げておきたいのは、コンプライアンス(法令順守)という言葉の語源は〈服従〉ということ。最近、ルールとモラル(倫理)の混同が起こっているように思います。アンネ・フランクをかくまうことや杉原千畝の〈命のビザ〉発行などの人道行為は、当時の〈ルール違反〉ではあっても、モラルに反することではなかったはずです。」ルールを守っても、モラルに反することは悪いと。保守派の論者が、しっかり法律を守りながら、他国の人を蔑視してたりするとがっくりするんだよな。「(読書の効用について)読書で賢くなるとは限りませんが、つらいことや迷いに直面した時、良い本と出あえば大きな助けになります。読書には時間と空間を超えて、人と人をつなぐ力がありますね。接した学生の中に、例えば親子の不和に悩んでいたら、それは自分だけの不幸と思い込んでいる人が大勢いました。でも〈子殺し・親殺し〉ですら、古代ギリシャの昔から文学のテーマとしてありふれたものですから、それらを読めば不用な孤立感に苦しまずに済むわけです。 いじめや自殺の問題への処方箋として、読書を挙げる大人が、あまりにも少な過ぎます。エレナー・エスティスの『百まいのドレス』は、いじめの構造と心理を見事に描いた名作です。当事者も、そばで何もできないでいる子も、読めば良き一歩が踏み出せるのではないでしょうか。数年前、ある新聞に〈きょう手にした本を読むまでは、私を救うのは愛だけだと思っていた〉という趣旨の短歌が載っていました。こんなふうに多くの若い方が気付いてくれたら、すてきですよね。」本は、現実への架け橋である(名言)。
2013年02月22日
2013年2月18日 22:10「聖教新聞」(今日付)の「本部幹部会で紹介された名誉会長の指針」がよかったな!ゲーテの話。元気が出る。『「人間よ 気高くあれ」ちょっとしたことで落ちこんだり、すぐにくたびれて、だらけたり、意気地なしになったりしてはいけない。〈気高くあれ! グッと胸を張れ!〉――これがゲーテの心でありました。』『「進んで人を助け善であれ!」』『「正しいことを つねにうむことを知らずおこなえ」ゲーテの訴えは、仏法者の行動とも、深く響きあっている。』『私たちは、「常楽我浄」の生命哲学の旗を高く掲げたい。生き生きと、若々しく進もうではないか! ――そう呼びかけるゲーテの声が、私の胸に響いてならない。結びに、懐かしいゲーテの詩の一節を朗読して、御礼のあいさつといたします。「わたしはいつも人間のよろこびを謳う ただしい道をそれぬかぎり/人間は実にうつくしく/永遠に人間は偉大である」悲しみの道ではなく、喜びの道を、そして正しい道を、まっすぐ進むのだ。そしてまた――「臆することなく起って進め、/世の人々はためらい惑うとも。/気高いものが明知と勇気をもって事にあたれば、/すべてのことは成就するのだ」』
2013年02月18日
2013年2月11日 14:15 「随筆 我らの勝利の大道 94」から。「私と妻が共に、草創の高等部の頃から見守ってきたリーダーがいる。彼女は、戦前に韓・朝鮮半島から強制連行された父と、長崎で被爆した日本人の母との間に生まれた。幼い頃から、理不尽な差別を受けるだけでなく、被爆二世として身体の不調にも苦しめられてきた。絶望と不安の淵にあった十代の乙女に、親友が「お題目あげな! 命の底から元気になるから、やりな!」と信心を勧めてくれた。「自分も変われるかもしれない」と入会を決意。枯れ果てた命に瑞々しいエネルギーがみなぎってくるような歓喜を覚えたという。大聖人は、「妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり」(同九四七ページ)と仰せである。この「蘇生」の大功力を生命に湛えながら、彼女は学会活動に邁進した。良き伴侶と出会い、原爆症も乗り越えて、二人のお子さんを出産した。その後、戸田先生が「原水爆禁止宣言」を発表された神奈川・横浜に移転。苦しんできたからこそ、人の痛みのわかる自分に成長をと誓い、この地で誠実に平和の連帯を広げてきたのである。このほど、お嬢さんが、韓国の名門大学の大学院で最優秀の成績を収めて頑張っているとの、喜びの報告も届けてくれた。一人の母の物語である。ここには「生命の尊厳」も、「人間の平等」も、何と見事に体現されていることか。」母の力は太陽の力である。やっと「聖教新聞」らしいことが書けた。
2013年02月11日
2013年2月5日 22:15 「信仰とは、不信、すなわち揺らぐ心との精神の闘争である。〈自分など、幸せになれないのではないか。何もできやしないのだ〉といった心の迷い、弱さを打ち破り、胸中の妙法を涌現させ、絶対的確信を打ち立てる戦いであるといってよい。 」( 新・人間革命 法旗52 )「右翼団体の構成員が、朝日新聞で銃を乱射したりするのも「信仰」だからだ。」(きょうの『聖教新聞』と『公明新聞』 - 楽天ブログ(Blog))ぷえ……。つまり、朝日新聞で銃を乱射した右翼団体の構成員は、本心では自分の信念や思想を「信じきれなかった」のではないか。だから、絶望して凶行に走った。自分は正しい。間違いないという信念を持ったものが、殺人などするだろうか?
2013年02月05日
2012年1月27日 22:38 「SGIの日」記念提言がすごい。すばらしい。釈尊は「生まれを問うことなかれ。行いを問え」と、過去世の罪業によって現世での境遇が決まるといった運命論的な世界観を批判する一方で、「火は実にあらゆる薪から生ずる」との譬えを通し、どんな人にも尊極な生命が内在しているがゆえに、人間は根源的に平等であると同時に、無限の可能性を発揮していく道が開かれていることを強調しました。運命論的な世界観は、差別をする側に良心の痛みどころか、疑問に思う契機すら与えないために、人権軽視による悲劇の横行を許す温床となります。また差別される側にとっても、〈自分が本来、かげないのない存在である〉との自覚が生まれる芽を摘んでしまい、〈どれだけ努力しても無駄で意味がない〉とのあきらめをもたらす原因となるものです。こうした〈過去による現在の呪縛〉は、あらゆる人々に対して――差別される側はもとより、差別をする側に対しても、「生命の尊厳」の土台を蝕むだけに、釈尊にとって到底放置できるものではなかった。ゆえに釈尊は、「生まれを問うことなかれ。行いを問え」と呼びかけ、「因」と「果」の関係は必ずしも固定的ではなく、〈今この瞬間の行為(または一念)〉が新たな「因」となり、それによって全く別の「果」が生じる可能性が開かれるのであり、人間の尊貴はあくまで現在の行為で問うべきと説いたのです。それに加えて仏法では、縁起の法理が説かれ、全てのものが互いに影響を与え合う中で存在するという相依性の連関を踏まえるべきことを強調しています。つまり、瞬間瞬間で変化しゆく「因」と「果」が、相依性の連関を通じて、他の存在にもさまざまな影響を及ぼしていくのであり、〈今この瞬間の行為〉が自分だけでなく、周囲や社会にプラスの価値をもたらす変革の連鎖を起こすことができる。その生命の偉大な力用は、釈尊が「火は実にあらゆる薪から生ずる」との道理によって示そうとしたように、どんな人にも内在しているのです。これはもう、(救いのないアニメを作るぐらいなら)皆、創価学会に入会した方がいい。
2013年01月27日
2012年12月19日 19:47ファイッ!「議員の核廃絶への情熱のこもった語り口は、兄のジョン・F・ケネディ大統領を彷彿とさせた。 伸一は、大統領の要請を受け、一九六三年(昭和三十八年)の二月に、ワシントンで会見することが決まっていた。大統領は、全面核戦争にさえなりかねなかった、一触即発の“キューバ危機”を経験している。その大統領と、戸田城聖の「原水爆禁止宣言」の精神を実現するために、核問題を中心に徹して話し合うつもりであったのである。 対話――それは、人間の心の扉を開く魂の打ち合いであり、良心の共鳴音を生み出すことができる生命の音楽である。 」(『新・人間革命』法旗14)「ジョン・F・ケネディ大統領と山本伸一の会見は、直前になって、日本の政権政党の大物といわれる政治家から横槍が入った。 やむなく伸一は、会見を白紙に戻した。 彼は、“いつの日か、お会いできることがあれば”と思っていたが、一九六三年(昭和三十八年)十一月、ケネディ大統領は、四十六歳の若さで凶弾に倒れたのである。 」(『新・人間革命』法旗15)なにやってんだよっ!?すみっこの島国の「公僕」がっ!!今考えると、これ政治絡みというか、宗教絡みの横やり……?
2012年12月19日
2012年12月4日 22:00 聖教新聞の「名字の言」から。「福沢諭吉が旅すがら、とある実験を試みた。向こうから人が来る。偉そうな態度で道を聞く。相手は、かしこまって丁重に答える。また向こうから人が来る。今度は物腰低く尋ねてみる。相手は横柄な態度に出る▼こちらの出方次第で、相手は伸びたり、縮んだり。まるでゴム人形のよう。困ったものだ、と諭吉は嘆く。「世間に圧制政府という説があるが、これは政府の圧制ではない、人民の方から圧制を招くのだ」と。『福翁自伝』に見える逸話だ▼ところで、昨今の政党・政治家の動きである。離れたり、くっついたり。政策も蜃気楼のように揺れ動く。こんな政治の動きを目にしたら、諭吉もさぞかし嘆くに違いない。政治にとって欠かせないことの一つ。それは「ほね(骨)」があるかどうかであろう▼「ほ」とは秀でたもののこと。「ね」とは根。もとの意味はすぐれた根っこのことである。つまり、地域に暮らす人々の声を、しっかり吸い上げる力をそなえているかどうか。政党・政治家を選ぶには、その点を見極めることも肝心だ。華々しい空中戦のような離合集散劇に、目を奪われてはなるまい▼選挙においては、政党・政治家の質が問われる。と同時に、私たち国民の選択眼も問われている。(裕)」福沢諭吉は、この俺が倒すっ!!偉大なる観念論者のおかげで、日本は大変なことになってるな。公明党を何としても勝たせたい。……が、俺には友人がいない!! 題目あげるか。ブログなどせずに。
2012年12月04日
2012年11月11日 21:489日付けの「名字の言」から。「(目の前のことしか見ない)チンパンジーは絶望しない」「それに対して(想像力のある)人間は容易に絶望してしまう。でも、絶望するのと同じ能力、その未来を想像するという能力があるから、人間は希望持てる。どんな過酷な状況の中でも」(『想像するちから』)人間は善いものを信じるように出来ているのだろう。
2012年11月11日
2012年11月11日 21:489日付けの「名字の言」から。「(目の前のことしか見ない)チンパンジーは絶望しない」「それに対して(想像力のある)人間は容易に絶望してしまう。でも、絶望するのと同じ能力、その未来を想像するという能力があるから、人間は希望持てる。どんな過酷な状況の中でも」(『想像するちから』)人間は善いものを信じるように出来ているのだろう。
2012年11月11日
2012年7月24日 21:48:56 本部幹部会で紹介された名誉会長の指針から。 「偉い人を見ては、私もああいう人になりたいものだと、常に自分より優れた人、よくできる友達を尊敬し、それを手本として勉強している人は、一歩一歩、向上発展しつつある人であります」 牧口先生は続けて、こう述べておられる。 「常に自分より良い人、偉い人を目標として、その人に及ばないことを恥じて、『人のできることを、自分にもできないことはない』という意気をもって勉強せねばなりません」 うーん、すばらしい。 良い意味での「楽天主義」でいくことである。何があろうと、最後は必ず勝つ」「私は、人々の役に立ち、両親にも喜んでもらえるような人に必ずなる」と、朗らかに、胸を張って進み続けることである。 良い「楽天主義」。オレも「楽天主義」だ! 21世紀の世界に、諸君が、大理想に生きる「人間の大王」として活躍しゆくことを、私は祈りたい。また、必ず、そうなることを私は確信している。
2012年07月24日
2012年7月23日 21:50:46 「粘り強く、前へ、前へと」 かくありたいものだ。「新・人間革命」 厚田32 山本伸一は、未来会のメンバー一人ひとりに、じっと視線を注ぎながら言葉をついだ。 「順風満帆に生きて、苦労もせずに、成功を収めた人などいません。失敗も、挫折もなく、人生の勝利者になった人もいません。泣く思いで苦労に耐え、何度も絶望の淵に立ちながら、粘り強く、前へ、前へと進んでいった人が、人生の勝利者になっているんです。 たとえ、失敗や敗北はあっても、絶対に腐ってはならない。いじけて、自らを卑しめることこそが敗北なんです。忍耐強い人が、最後に勝つ人なんです。その粘り強さを身につけていくための唱題であり、仏道修行であることを忘れないでください。 人生の勝利の栄冠は、信心を根本に、執念に執念を尽くし、粘って粘って粘り抜き、自分の決めた道を歩んでいった人の頭上に輝くことを宣言しておきます」 メンバーは、ほおを紅潮させ、瞳を輝かせて、伸一の指導に大きく頷いていた。 「七度倒れて八度起き上がるという、勇気ある人は即ち将来ある人である」(注) これは、創価の父・牧口常三郎と親交の深かった、北海道ゆかりの教育者である新渡戸稲造の箴言である。
2012年07月23日
2012年7月6日 23:09:59 『聖教新聞』(5、6日付)、ビンセント・ハーディング博士(アイリフ神学校名誉教授)のインタビューがよかった。 額に入れて飾りたいぐらいだ。 「戦争は、絶対に許されないテロ行為」としたうえで「戦争に限らず、闘いは、敗者によって未来の良き因がつくられ、良き結果が生み出されていく」という。 勝者は勝利に酔い、次の戦いも同じような戦略で勝てると思い込んでしまいます。(略) 一方、敗者は、その敗北の体験を深く見つめ、体験に学ぶことができます。 創価学会の戸田第2代会長は「地球民族主義」を提唱し、国家主義の弊害を鋭く見すえ、平和への思想を育んだ。 戦勝国となったアメリカは、国家主義の色彩をより強めながら、世界の大国へと発展しました。 しかし、キング(博士)は、そうした勝利の側にはくみしませんでした。 マーチン・ルーサー・キング博士は、その運動のなかで“アメリカよ、生まれ変われ”と叫び続けたという。 日本は、負けたことで得たものがあるな。 つぎに、宗教の政治参加について。 宗教が社会貢献あるいは社会参加を標榜するのであれば、その活動の目的は個人の救済のみでなく、健全な人間の共同体の建設にあるはずです。 そうであれば、宗教と政治の関わりを否定する声を恐れる必要などありません。 とりわけ、民主主義の社会においては、社会の方向性を決めるのは民衆であります。 その民衆から、特定のグループが除外されてよいものではありません。 政教一致(笑)。 菅直人さんとかに「どんな気分?」って聞いてみたい。ねぇ、どんな気分? 全ての人の生命の神性、あるいは仏性という善なる心の存在を認め合い、善の結び付きを強めていく。その分断を図ろうとする勢力とは、徹底して闘っていく。 そこにこそ、人間性豊かな社会の建設の源があると私は考えるのです。
2012年07月06日
2012年6月20日 21:21:04 「小説「新・人間革命」」(6月19日)より。 昭和三十年代、初めのこと。既成仏教各派が、創価学会への“改宗”を理由に、墓地使用を拒否するケースが相次いだ。 学会員の弘教によって、檀徒離れが進む既成仏教各派にとっては、檀徒を引き留める最後の砦が“墓”であったのである。それは、各派が、既に民衆を覚醒する活力を失い、もはや“葬式仏教”にすぎなくなっていることを証明する出来事でもあった。 烈風ありてこそ、新しき飛翔はある。 「葬式」でしか、人をつなぎ止められないなら、まさに「葬式仏教」だ。 それどころか、「死んだ者」が、善良な「生きた者」を苦しめるなら、「魔物」といわれても仕方がない。
2012年06月20日
2012年6月17日 17:57:17 欲望の過剰な追求を防ぎ、自他ともの幸福を追求する生き方への変革のため、伝統宗教にできることはなにか。ユニオン神学校名誉教授、ポール・ニッター博士へのインタビュー。 ニッター博士 富を持てるものが、持てない者に対し、影響力や支配力を行使する。それによって、社会に不公平のゆがみが生ずる――これは経済次元の問題です。しかし、より深く懸念すべきは“持てる人々”が、そうした不平等に痛みを覚えず、ゆがみを正そうともしないことです。このように、自らの利益の追求に走り、他者に対して、まったく盲目になってしまう姿のなかに、貪欲の病根があるのです。 その弊害は、経済の制度の改革だけでは克服することはできません。病根は人間の心の奥にあるからです。ゆえに、問題の真の解決には、宗教の英知の良薬が不可欠なのです。 伝統宗教は、この問題に対して共通の処方を持っております。自己中心から他者中心への、心の変革のすすめです。もちろん、他者中心といっても、それは、自我を滅せよ、と言うものではありません。他人への共感を忘れることなく自己を生きよ、と教えているのです。 ――池田SGI会長は、真の自我は、エゴイズムに囚われた“小我”ではなく、他社と同苦し、共感しゆく「開かれた人格」としての“大我”にある、と主張しております。 ニッター博士 西欧の思想の視点に立てば、貪欲は社会の構造と密接に関係するがゆえに、その克服のためには、まず、社会的なシステムの変革が必要である、と考えます。 しかし、仏教では、システムの変革の重要性を認めた上で、真の変革のためには、まず心の変革が大切である、と考えます。仏教がそうした視点に立てるのは、何よりも、人間とは、本来、欲望に支配される存在ではない、との人間の可能性に対する強き信があるからではないでしょうか。 私はまた、仏教が、人間は他社の福祉のために生きることによって、真の充足を得る存在である、と説くことにも、深い共感を覚えます。SGI会長が洞察されるように、まさに人間は、“大我”に生きる存在なのです。 西洋と東洋(仏法)の思想の違いが面白い。 力強く、自身から社会を変革していく必要があることについては同じだ。
2012年06月17日
2012年6月16日 20:49:23 『聖教新聞』の記事も取り上げたいんだが、時間が……。そもそも、このブログは、なんだよ……。 「池田大作全集115」の「東洋の哲学を語る」を読んだ。 すごい。 日本人は、東洋の哲学・思想を失ってはならんな。 でないと、独自のものだけど、なんだかよくわからない神道と、形骸化した仏教と、エセ西洋化しか残らないんじゃないか。 東洋哲学の精髄が「法華経」で、その流れを受け継ぐのが創価学会だな。 今から西洋のもので、東洋でも通じる思想・哲学を広めるというのも地道すぎるだろ。 いや、真面目な話、本当に。
2012年06月16日
2012年6月11日 11:43:22 池田先生とホセ・V・アブエバ氏(フィリピン カラヤアン大学学長)の対談を(「第三文明」7月号)読んでいる。 戦争というのは狂っている。国家神道(軍国主義)はカルトだな。 ネットでは、学会のことを“カルト”などと誹謗中傷する書き込みが目につく。 そう言うヤツほど怪しいんだよw 無批判に中傷できるのは、無批判に信じるのと同じだ。 結果として、過去に日本全体がカルトになったのだから、それはもっと身近なものだ。自らを知れと。池田SGI会長 当時の日本の青少年は、国家神道に基づいた軍国主義教育によって「神国日本」への愛国心をたたき込まれ、「滅私奉公」を教えられました。誤った教育ほど恐ろしいものはありません。 私も、戦時中、両親に黙って少年航空兵(予科練)に志願したことがありました。それを知った父は、猛反対しました。すでに四人が徴兵されていたので、これ以上、大切な子どもたちを失ってなるものか、という当然の気持ちからでしょう。父に厳しく叱責され、志願を断念しました。入隊していれば、おそらく特攻隊員だったでしょう。父のおかげで、私は命拾いしました。 この小さな事件より数年前のことですが、長兄が一時、中国大陸から戻ってきました。そのとき兄は、私にしみじみと語っていました。 「戦争は美談なんかじゃないぞ。日本軍は傲慢だ。あれでは中国の人々がかわいそうだ」 戦争が終わり、すべての価値観が崩壊して、ようやく国民は、国家権力が作り上げた虚構と、その悲劇の末路を目の当たりにすることになりました。 博士のご両親は、太平洋戦争の終結の間際、日本軍に捕らえられ、拷問されて亡くなられたと伺っております。 〈当時、十六歳の博士は、両親が囚われていた場所に行き、探し歩いた。そしてギンドゥルマンから二十キロ進んだところにあるバレンシアという町の丘の中腹で、変わり果てた亡骸を自ら発見した〉 日本軍の侵略による惨劇は、何度お詫びしても、許していただけるものではありません。
2012年06月11日
2012年6月7日 17:32:27 「第三文明」(6月号)の池田先生とホセ・V・アブエバ氏(フィリピン カラヤアン大学学長)の対談集を読んでいるなう。池田SGI会長 人間は多様です。それぞれが異なる個性を持ち、信条や意見もさまざまです。その現実を、リーダーは見極めながら調和させ、生かし、「価値」の方向へ、「善」の方向へと導いていかねばならない。 優れたリーダーシップがないところに、現代の「混迷」があるのではないでしょうか。 ファシズムは「権力の魔性」のリーダーシップです。人間を善と希望の方向へ導くのが「人間主義のリーダーシップ」です。 どんな小さなグループであっても、後者のリーダーシップを求めているのです。 すべては「人間」で決まります。優れた学問や理念や政策があったとしても、それだけで現実がうまく進むとはいえない。 そこに確固たるリーダーシップが絶対に必要な理由があります。それは教育でも、政治や経済でも同様です。 すべては「人間から出発し」「人間に帰着する」のです。 “リーダーにふさわしい「人」を得ることがなくても、機構や理念だけで、うまくいく”――そう錯覚したところから現在の混乱が生まれている。 人間主義のリーダーについた人は幸福です。権力や形式で押さえつけて従わせるのは真のリーダーシップではありません。それは蛮性や利己主義が生んだ権力の濫用です。 リーダーシップ。 橋下徹大阪市長は「ハシズム」なんて揶揄されているが、これからも立派なリーダーシップを発揮していってもらいたいですな。
2012年06月07日
2012年5月30日 21:24:04 最強の価値論「美・利・善」。 牧口先生の原点は「子どもの幸福」だった。 うむ、すごい。小説「新・人間革命」(『聖教新聞』5月29日付)人材城42 牧口常三郎の教育目的は、明快である。 「幸福が人生の目的であり、従って教育の目的でなければならぬ」(注)――教育思想家としての彼の眼差しは、早くから、子どもの幸福の実現という一点を見すえていた。 それは、苦学の少年期、そして、北海道の教員経験、さらに、東京・三笠尋常小学校などで、貧しい最下層の児童の現実を直視してきたことと深く関係していよう。 社会の歪みの影響をもろに受け、満足に学ぶこともできずに労働を強いられて、ぼろ切れのような人生を歩むことを余儀なくされた子どもたち。その子らに、幸福になっていくための力をつけさせたい――そこに、牧口の思いが、理想が、戦いがあったのである。 彼は、教育現場にあって、児童の就学率の上昇、教育環境の整備、学力の向上など、多くの実績を残した。また、半日学校制度や小学校長登用試験制度などを提唱し、教育制度の改革にも力を尽くしていった。 子どもの幸福を実現するための教育をめざした牧口にとって、「幸福とは何か」ということは、最大のテーマであった。彼は、それは「価値の獲得」にあるとした。では、価値とは何か――思索は、掘り下げられていく。 牧口は、新カント派の哲学者が確立した「真・善・美」という価値の分類に対して、「美・利・善」という尺度を示した。 「真」すなわち「真理」の探究は、よりよい生活を送るために知識を得るという手段的なものであり、それ自体は目的とはなり得ないとして、価値から外したのだ。 そして、「真」に代わって、「利」すなわち「利益」を加えた。生活苦に喘ぐ庶民の子らに接してきた牧口は、自身の経験のうえから、「利」の価値の大切さを痛感していたのであろう。彼は、「美醜・利害・善悪」を、価値判定の尺度としたのだ。画期的な、新たな価値論の提唱である。 牧口は「美」と「利」を個人的価値とし、社会的価値(公益)を「善」とし、個人と全体の調和、自他共の共栄を説いたのである。
2012年05月30日
2012年5月23日 19:19:15 月刊「潮」の6月号がおもしろい。 見所はたくさんあるが、田原総一朗さんと若手の論客、與那覇潤さんの対談『「中国化」する日本のこれから。』に注目しよう。「ガンダムエース」の6月号にも、富野御大と與那覇さんの対談があったからw 明治維新は「西洋化」ではなく、「中国化」(中央集権の下での自由化)だったという。なるほど。西洋を知らない人たちが「西洋化」できた謎が、これで解けたな。 その時代にも、本当に西洋を良く解釈して「西洋化」を試みた人々もいるのだろう。しかし、その流れが潰れると、「思想の空白」が生まれた。 その空白に入ったのが、「国家主義」「国学」「国家神道」だろう。 それが潰れると、再び「思想の空白」が生まれる。今度は、それまでの残滓に加え「社会主義」「共産主義」、そして我らが「創価学会」が広まる。 日本は本来、仏教国だったのだから、この中では「創価学会」を取るべきだ。学会の思想は、仏教数千年の本流でもあるからだ。 うむ。簡単だな。
2012年05月21日
2012年5月7日 21:57:25 「聖教新聞」で、トインビー博士と池田SGI会長の対談が、特集されている。 世界の諸文明の興亡を研究したトインビー博士の言葉は明快だった。「文明はその基盤をなす宗教の質によって決まる」と。 対談は、文明に生気を与える宗教の役割をテーマに進んでいく。 シュペングラーの『西洋の没落』に記されたごとく、全世界的に普及した西欧文明は衰退しつつあった。その歴史的背景として、博士は、西欧の伝統宗教に取って代わる、(1)科学的進歩への信仰(2)ナショナリズム(国家主義)(3)共産主義という3つの“宗教”の台頭を指摘する。 その上で博士は、現代の諸悪として「貪欲」「戦争と社会的不公正」「人為的環境」の3点を挙げた。SGI会長は、その3点を仏法の説く「五陰世間」「衆生世間」「国土世間」と対比させ、その変革のためには一人一の内面の変革が求められていると訴える。 さらに、こうした諸課題に対して、人類が一体となって応戦していくことを可能にする宗教が必要であることが議論された。 「文明はその基盤をなす宗教の質によって決まる」 すばらしく明快だ。 現代の日本でも、同じようなことが起きているといえるか。 (良い面もあるが)“宗教”にはなり得なかった宗教の「共産主義」。過去に大きな失敗をした、国家主義的伝統(?)宗教の「国家神道」。 過去から現在の政治状況をみても、この2つの「宗教」が綱引きをしていたわけだ。 だが、どちらも「伝統宗教に取って代わる」とまではいかなかった。 「新しい種類の宗教」(トインビー博士)「一切の問題に、人類が一体となって取り組むのに役立つ宗教」(池田SGI会長)、「このような普遍的な宗教を見いだすことこそ、われわれの、最大の課題であると考えるのです」(同)。 もちろん既存の宗教も、このように協力をしていくべきという意味も含めて言っていることだ。 日本の歴史の「仏教崩壊」が(いろんな意味で)、問題の根本にはあるんだろうなぁ。 日蓮大聖人のいうことを聞いておれば……。
2012年05月07日
2012年4月30日 12:14:04 ちょっと前の「聖教新聞」だが、良いことが書いてあるので取り上げよう。心理学者ミハリー・チクセントミハイ博士のインタビュー記事だ。 人生の価値とは何かという。 ――博士にとって人生の意味とは何でしょうか。意義ある人生の証としての「宝」あるいは「価値」っとは何でしょうか。 博士 「人生の宝」すなわち「人生の価値」については、探求の余地が多く残されていると思います。そのうえで私は、次の3点を、全ての価値の基底となる要件と考えております。 一つは「信頼」です。私には、青年期を東欧の“鉄のカーテン”の中で過ごした体験があります。その時代、人々は、国家による秘密主義、閉鎖主義の犠牲となりました。ウソで固められた世界に住み、得ることができた知識といえば、全てがプロパガンダ(宣伝)にい汚れたものでした。そこで人々は、何も信頼できないという、深い喪失感に陥ってしまったのです。その体験をもとに、私は全てに優先するものは「信頼」という価値である、と考えるにいたったのです。 では「信頼」の回復のためには、何をすべきか。それは、勇気をもって信実を語りあうことです。その有効な手段となるものこそ詩なのです。詩は、真実をそのままに語り、人々に、真実を語る勇気を与える源となるものだからです。 真実、信頼――ですな。 つまらないアニメはつまらない、おもしろいアニメはおもしろい、という歪みのない清い心が大切だ。 民主党は、死ななくちゃいかんかもしれんね。俺が“死ね”と言ってるんじゃないw 真実が、どうかだ。 第二の価値は、SGI会長も重要視される「希望」です。人間は希望に生きる存在です。動物は、この価値をもつことはありません。 (略) 一方、人間には、未来を考える能力が備わっています。希望をもって未来へと向かう、ということです。もちろん、人によっては、厳しい局面に立たされた時、未来を否定的に考えることもあるでしょう。しかし、状況は好転しない、むしろ悪くなるばかりだ、と考えてしまったら、未来へと立ち向かう意欲は、まったく削がれてしまいます。未来どころか、今を意味あるものとして生きる意欲さえ、失ってしまうかもしれません。だからこそ、「希望」を選択すべきなのです。 その「希望」を選択できるか否かは、自らが置かれた“今”という状況に、いかに対処し、価値を見出していけるかどうか、という一点にあるのです。困難な状況に挑むことに生きがいを見いだし、それを充実した人生の糧としていけるかどうか、にあるといってもいいでしょう。私は、この「“今”を、よりよく生きようとする姿勢」こそが、第三の価値であり、他の一切の価値に優先するものと考えております。 困難な状況に挑むことに生きがいを見いだし、それを充実した人生の糧としていけるかどうか 困難なアニメに挑み、それを成長の糧、人生の糧にしていけるかどうか――。 博士 私にとって希望とは、この世に生きることには意味があるのだ、との強い信念の異名です。もう一つは、人間は孤立した存在ではなく、不可思議なシステム(法)に連なる存在である、との信仰の異名です。この信念、あるいは信仰こそが、私の希望の源です。それを気づかせてくれたのが、伝統的な世界宗教の智慧です。 これぞ宗教、って感じですな。 しかし、宇宙の創造と進化の神秘については、いまだ十分な解明がなされたとはいえません。私の希望は、こうした進化のプロセスを理解し、そのプロセスに参画し、進化の手助けをしていくことにあります。希望は、漠然とした未来にあるのではない。永遠に継続する進化のプロセスに“今”“ここで”参画しゆくなかにある、と私は考えるのです。 家族の健康、仕事の成功、勉学の増進、といった目標もまた、希望の一分となるものです。同時に、そうした当面の希望も、私たちが大いなる関係性のシステムに連なる存在である、との認識があってこそ、より価値のあるものとなってくるのです。そうした関係性のなかでこそ、人間の生きる意味も、また希望も、より確かなものとなっていく、といってもいいでしょう。 大いなる関係性のなかで――とは、仏教の「縁起」の思想に通じるものだろう。 逆に、私たちの希望を打ち砕いてしまうものは、人生には意味など存在しない、との虚無感です。そうなれば人間は、ものごとをよりよい方向に導いていこうなどとは考えなくなってしまうでしょう。 以下略。 「思想」によって、人生は変わってしまうと。つまり、「悪思想」は許しておけないことになる。ここに戦いが生じるわけですな。
2012年04月30日
2012年4月9日 12:38:06 わかった。 御書を勉強しなくてはダメだ(え、いまさら)。 でも、原文はむずかしいので、現代語訳を。「大白蓮華」3月号から、「報恩抄(3)」。 (弘法大師は、数々の奇跡を示したが、)そのうちの二、三を示しただけでも、このような偉大な徳がある。どうして、この人を信じないで、かえって阿鼻地獄に堕ちると言うのか。 答える。私も、あなたがおっしゃるような偉大な徳を尊敬し信じ申上げる。だだし、昔の人々も想像を絶する徳があったけれども、仏法の邪正はそれによって決まるものではない。 外道でも、ある人はガンジス河の水をおさめて12年間とどめ、ある人は大海の水を吸い干し、ある人は太陽や月を手に握り、ある人は釈迦族の人々を牛や羊にするなどのことをしたが、ますます大慢心を起こして、かえって生死の苦悩をもたらす業にしかならなかった。このことこそ天台が「名声と利益を期待し、邪見と執着を増す」と説明されていることにほかならない。(略) 弘法大師にどんな徳がおありであったとしても、法華経を内実のない教えと決めつけ、釈尊を無明に覆われた境涯にあると書かれた文は、智慧のある人なら用いることはない。(略) 弘法大師は、法華経を華厳経や大日経と対比して、「単なる内実のない言葉である」と言っている。しかも、仏の姿を現したという。このことも涅槃経には「魔が煩悩に満ちた身体を変えて、仏の姿を現し、我が正法を破壊するだろう」と予言されている。 弘法大師は、結果的に日本の仏法を破壊した1人ともいえるだろう。
2012年04月09日
2012年3月16日 20:55:26 14日付『聖教新聞』の企画「読む=生きるチカラ!」は、女優の吉行和子さんのインタビューだ。 最近、自分は、小説を書く真似事をして、改めて読むことの大切さを感じた次第。 (母、あぐりさんは)現在、104歳なんですよ。本を読む習慣を身に付けていると、歳を取ってからも楽しい時間が過ごせるということを、元気な母を目の当たりにしながら、つくづく思いますね。母は子どものころから読書が好きで、97歳で仕事を辞めてから“これで読書ができる!”って、うんと読んでるんです。(略) もちろん、幾つからでも本を読むのに遅くはないでしょうけど、付け焼刃ではなく、若いときから読書の面白さを知る人は幸せですよね。私も母から“今後、これで乗り切ればいい”と教わっているんです。 すげぇ! 若い人に薦めたい本などは。 金子兜太先生(俳人)と半藤一利さん(作家)の対談集『今、日本人に知ってもらいたいこと』(KKベストセラーズ)は、一度、読んでおいたほうがいいのではないかと思います。やはり、歴史を知らなければ、現代のこともわからないのですから。 今のままだと、日本は悪くなる一方だと思うんです。「人間」が変わらなければ、国もダメになってしまうから、私たちは少し変わっていかなきゃいけない。特に若い方は、読書を軽視しないで、しっかり頭を鍛えてほしいと思います。 例えば欧州の政治家は、よく本を読んだり演劇を見たりしているので、文化についても語ることができます。文化に触れず、ボキャブラリーが貧困なままだったら、実に、つまんない大人になってしまいますよね。 娯楽は、インターネットなど、本位外でも代わりはあるけれど、人間が考えたり成長したりする、きっかけとしての本の力って、もっと尊重すべきだと思います。若いときこそ背伸びして、関心が薄いことでも頑張って読書してほしいと思いますね。
2012年03月16日
2012年3月7日 20:09:21 3日付「聖教新聞」の企画「スタートライン」は、現役大学生小説家として知られる小説家の朝井リョウさんのインタビュー記事だ。 におう…、におうぜ…。 このにおいは、ガンダムAGEを面白くする、においだ!! はい。 「だけど、僕、たまたま小説を書いているだけで、本当に普通なんです(笑い)」 朝井さんは、大学で学びながら、ストリートダンスのサークルに参加し、時間を見つけては小説を書いていたという。 いいですね、健康的で。おっさんとは、違う生き物なのかな。 自分の経験では、運動しているときのほうが、文章が頭に湧いてくるような気がする。 とにかく、インドアな趣味の人ほど、健康には気をつけたいものです。 「青春時代って、忘れたくない“輝き”も、思い出したくない“痛み”や“傷”もたくさんありますよね。これって、どんなに時代や流行が変わっても、変わらないんです。輝いていても傷ついていても、人間が生きている姿って、それ自体が、なんかまぶしい。いろんな困難に悩む姿も、きっと客観的に見れば、美しい青春のワンシーンなんです。」 うむ。すばらしい。 物語の「源」になるのは、体験であると。御大も「経験が大事だ」とか言ってるな。 高校時代の小説とか、自分に書けるかなぁ……。やらかしてるからな……。 実は、小学生のころは、作文が大の苦手だったという。そこで姉にもらったアドバイスが「日記」を書くこと。 1日200文字って決めて日記を書き始めたんですけど、毎日何かが起こるわけではないから、書くことがなくて。だから、日記を埋めるために、見えたもの、聞こえてきたことなどを細かく書いていったんです。その時の表現は、いまだに生きてますよ(笑い)。 普段、生活の中で接する全ての出会いが、実は大切な宝物。だから、絵でも文章でも写真でも、なんでもいいから『記録』しておくことをおすすめします。いつか必ず、自分を支える、掛け替えのない財産になりますよ。 とにかく毎日書くことが基礎であると。 日記書くかな……
2012年03月07日
2012年2月15日 20:16:43 11日付「聖教新聞」の企画「突き抜ける 第2回」は、漫画「ドラゴン桜」の作者、三田紀房さんのインタビューだ。 この記事の中に、「ガンダムAGE」を面白くする“ヒント”があるに違いない! 「アニメを面白くするのは、簡単だ!」 僕の考えはシンプルで、基礎をおろそかにしないこと。それを極めていけば、目の前の全てのことは大概、解決できるというものです。 例えば、メジャーリーグのイチロー選手は、チームの中でいち早く球状に入り、柔軟からランニング、キャッチボール、守備練習などの基礎を繰り返し、ようやくフリーバッティングに臨む。“天才”というと特別な力を磨いているように思うが、意外にも日々、基礎を極めているということが重要なんです。 今、自分は(AGEを面白くするためのヒントを求めて)「ベストセラー小説の書き方」という本を読んでいるのだが、著者のディーン・R・クーンツ氏は、「生活のため、文字を書く仕事なら、気に食わなくても、ひたすら(料金分は誠実に)やった」などとある。 逆に、小説家の中には「作家性を殺したくない」という理由で仕事を選んでいるうちに、アルバイトが本業になった人もいるという。 とにかく「書く」こと「読む」ことが、小説などにおける「基礎」といえるだろう。 御大(富野監督)も、若いときはフリーの絵コンテ屋として「どこ(の製作現場)にでもいる男」と言われていたとか。初代以降のガンダムシリーズは「やりたくなかった仕事だった」ってさ。 これら芸術の「特殊な基礎」だけでなく、例えば「健康のために運動をする」「バランスのいい食事をとる」「早く寝る」などが、誰にでも当てはまる「基礎の基礎」といえる。 このような「基礎」の上に、「個性」や「発想」があるのだろう。 (基礎を固めて)「普通」に力を出せるようになっていったら、後は実力自体のレベルを上げ続けることです。 それには「逆転思考」がいい。 「成功」の反義語を考えた時に、「失敗」というよりは「挑戦しないこと」の方がしっくりくるように、物事を別角度から考えるクセをつけておくことですね。そうすると、既成の常識にしばられない、よいアイデアを生み出すことができる。 もう1つは、逆説的だけど「あえて臆病者になれ」と言いたい。これは「危機意識」をもつということ。ベンチャー企業を起こす場合、今の仕事をきれいさっぱり辞めた後に、企業に具体的な計画を練る人がいるけど、これではあまりに心配。会社をつくることが最終目標ではなく、そこでどんな成果を上げ、継続的に発展させられるかという筋道が示せて初めて起業できる。自分の力を見誤らないように「危機意識」を持つことは大切です。 失敗を恐れずに「挑戦」すること。その上で、目的のために「思考」すること――ともいえるか。 今回の記事をまとめると、「基礎」「収入」「挑戦」「思考」か。素晴らしく現実的なw 人生は、どこかの時点で、自分ではどうしようもない状況の中で挫折したり、大きな出来事に遭遇することがあります。いっときは、後ろ向きにならざるを得ないことがある。 でも、大きな変化の後には必ず、新たな創造があります。若い人たちには、それを傍観しているのではなく、新たな創造への挑戦に積極的に関わっていってほしいと思います。
2012年02月15日
2012年2月3日 21:06:49 今日の「名字の言」から。 どんな人のなかにも「仏の生命」がある――これが法華経のメッセージだ。しかし、これは難信難解(信じ難く理解し難い)。日蓮大聖人は例えば「観心本尊抄」の中で、そのことを繰り返し強調されている▼のみならず「汝之を信ぜば正法に非じ」(御書241ページ)とまで仰せである。“今あなたがこれを信じたら、正法にはなりません”と。法華経のすばらしさを宣揚しつつも、法華経の教えはたやすく信じられるものではない、ということだ▼その心は「軽信に陥るな。分かったつもりになってはならない」との戒め、と拝することもできるだろう。まことに、信仰の敵とは“懐疑”ではない。“軽信”なのだ。 「まことに、信仰の敵とは“懐疑”ではない。“軽信”なのだ」 なるほど。まったくだ。 「これって、ご利益あるかもぉ」とか言われると、「一旦、地獄に落ちろ」と言いたくなる。
2012年02月03日
2012年1月26日 17:59:51聖教新聞 2012年 1月23日 名字の言 “永世棋聖、敗れる”――今月14日の対局で、コンピューターの将棋ソフトが元トップ棋士の米長邦雄氏を破った。チェスに続き、将棋でもコンピューターは人間を追い抜いた、と話題になった▼この将棋ソフトは、可能性のある手順を“しらみつぶし”に読む。1秒間に約1800万手も計算できる。情報処理のスピードでは、到底、人間はかなわない▼しかし、人間には、コンピューターに真似のできない手の読み方があるといわれる。そのキーワードは「大局観」だ。プロ棋士の第一人者である羽生善治氏は言う。「『ここは攻めるべきか』『守るべきか』『長い勝負にした方が得か』などの方針は、『大局観』から生まれる。複雑な状況で判断を下す時は、この『大局観』で無駄な『読み』を省略でき、正確性が高まり思考が速くなる」(『大局観』角川書店)▼将棋の世界でいう「大局観」は、私たちの行動でいえば「人生観」「世界観」に通じるだろう。細かい情報を積み上げても、それをどう生かし、何のために使うかという哲学がなければ、情報は混乱を広げたり、悲劇さえ生む場合もある。現代の高度情報社会では、なおさらだ▼情報を「充実の人生」という価値に結びつける。私たちの信仰実践は、その力となる。(明) 要するに「宗教をやれ」ってことだよな。大局的にみて、人類の歴史の中で、宗教のない時代はない。それが分からないヤツは、ただの無知。 日本は、やや特殊なところもあるが、それでも宗教のあった時代のほうが、無い時代よりも長い。 日本で宗教=仏教が廃れたのは、色々な原因があるが、要するに聖職者の腐敗、堕落だろう。しかし、本来はそれに対し、国民の側から復興運動が起きなくてはいけなかった。 日本は「民主主義」が苦手な国なのだろう。もちろん、いつまでも「苦手」とは言っていられないが。
2012年01月26日
2012年1月9日 20:57:14 9日付の『聖教新聞』から、池田名誉会長の新連載「若き君へ――新時代の主役に語る」がはじまった。 第1回のテーマは「『大人になる』とは」。ガンダムのテーマにも近いものがあるな! え? またか? しかし、「大人になる」ための努力は、子どものころから死ぬまで続くものだろう。だれにでも、深くかかわるテーマだ。 悪逆なナチスから、子どもたちを守るために、命をかけて戦ったポーランドの大教育者コルチャック先生も「成熟した大人とは、何のために生き、人々とどのように関わり、また、人類の歴史にどのように関わるのかということを知っており、そして、そのことに依拠して行動する人である」と明言している。 要は一人の人間として、いかなる信念と哲学を持ち、いかなる行動をしていくかでしょう。 「公(おおやけ)に関わる」ということかな。また「誤りない正義を持つ」ともいえるだろうか。 (日蓮仏法の信心を貫き通した南条時光は)逆説的な言い方になるかもしれないが、若き日の誓いを、生涯、忘れなかったからこそ、信念の「大人」になったとも言える。ここに、大聖人が示された「大願」に生き抜く人生の強さがあり、深さがあります。 「大人になるのは、自分の限界を知ること」と言うこともあるが、それだけで終わると「人生を諦めろ」と聞こえかねない。「限界を知る」のは「限界を超えるため」ともいえないか。そのように考えれば、諦めではなく、成長を促しているように聞こえる。
2012年01月09日
2012年1月6日 20:35:22漫画「ONE PIECE(ワンピース)」記念。『聖教新聞』2012年1月5日付名字の言 漫画「ONE PIECE(ワンピース)」最新刊の初版発行部数が出版史上、最多記録の更新を続ける。子どもから大人まで、世代を超えて読まれている▼なぜ、ここまで人気を呼ぶのか? 社会ネットワークの分析を専門とする関西大学の安田雪教授は、「ワンピースの中心的なテーマが『仲間』だからではないでしょうか」と語る。「無縁」という言葉に象徴されるように、「人間と人間の絆」の再生は、社会の大きな課題。安田氏は、多くの人が“かけがえのない仲間がほしい”という思いを持っていることが人気の背景にある、と考察していた(『ルフィの仲間力』アスコム)▼英語の「レリジョン(宗教)」の語源は「再び結び付ける」。人と人とのつながりを取り戻す――それは、今まさに宗教の果たすべき使命だろう▼ただ、絆の再生は、旧習に縛られた古い社会を復活すればよいという単純な話ではない。社会的立場や学歴等を超え、よりよく生きたいと願う一個の人間として、結び合うことであろう。まさに私たちが、座談会をはじめ、日々、実践してきたことである▼胸襟を開き、何でも語り合う友の存在は、喜びを倍増させ、悲しみを半減させる。心と心を結ぶ挑戦を、本年も勇んで開始したい。(芯)
2012年01月06日
2011年9月17日 18:25:35 「国主が支配している国に生まれ合わせた以上は、身は幕府に随えられているようであるが、心まで随えられはしない。念仏は無間地獄、禅は天魔の所為であることは疑いない。ことに真言宗がこの日本の国土の大きな禍いである。大蒙古の調伏(祈祷によって怨敵・障魔を降伏させること)を真言師に仰せつけてはならない。もしこのような国家の大事を真言師が調伏するならば、いよいよ急いでこの国は滅びるであろう」(大白蓮華 2011年8月臨時増刊号) こんなこと書くと「また…」とか言われそうだけど、本当だから困る。 本来、日本は聖徳太子の時代から「仏教国」なんだから、正しい仏法に目覚めないといかんわ。
2011年09月17日
2011年8月28日 9:32:14 「歴史と文化の100万都市 韓国・水原市から 池田大作SGI会長に名誉市民称号」(聖教新聞) 以前、池田先生は「韓国、中国には1000年でも謝罪していかなくてはいけない」とか言われてたな。過去の大きな罪を謝罪する。そんな人間として当たり前のことをしていれば1000年なんてあっという間だろう。 よく「歴史問題、歴史問題」というが、実はあまり「歴史」は関係ないのでは。「マクロ的な歴史解釈」(神の目線)なんて研究家によって違うし。そもそも一般人は「歴史の専門家」でもなんでもない。 そうではなく「66年前の現実」に謝罪するべきではないかと。「66年前の現実」とは、みんな死んで、生きてる者も食うや食わずや。この政策的な失敗は何が原因なのか。 それに「侵略・支配を謝罪する」というのは思想的に正しい。どの国でも、どんな理由があっても、どんな時でも「侵略・支配」は否定されるべきだ。それこそ1000年、2000年後でも。それをしたものは“謝罪は免れない”ということであるべきだ。 そんなこともわからないから「侵略、支配は正しかった」なんていう。「侵略・支配」されたいのかw
2011年08月27日
2011年8月8日 22:04:41 「池上彰の宗教がわかれば世界が見える」を半分ほど読んだ。 わかった。 日本人は「仏教徒」だ。 もともと仏教は「学問」としての傾向が強い。 もちろん流派にもよるが。 しかし、日蓮仏法でも、法華経への「信」を強く説いてはいるが、実際に学ぶことは学問的だ。 また特徴としては「懐が広い」。 日本の神道であっても排斥せず、仏教の中に位置づけようとする。 対立もあるが、あの流派を学んだら、今度はこの流派を学ぼうということも多分にある。 ただ、それは「ゆるすぎる」という弱点でもある。 流派が増えすぎて、何が仏法なのかわからなくなっていった。 法華経第一ではじまった日本の仏法も、やれ新しい流派ができれば人々はそれになびいていく。 そんな姿が容易に想像できてしまう。 日蓮大聖人は、その「雑乱」を正そうと立宗の戦いを起こされた。 (法の)王がいるのに、その家臣が王を僭称するのを止めようとするのは当たり前のことだ。 しかし、日本人にその「真意」が伝わることなく今に至っていると。 日本の仏法者はすべからく日蓮大聖人が何を言わんとしたのか学んでほしい。 それが仏法の真髄であるはずだからだ。 とはいえ、日蓮宗にすら日蓮仏法が正しく伝わっていないのに「真意」を学ぶのは容易ではない。 大聖人から相伝を受けた日興上人が起こした日蓮正宗も、日顕(偽)法主のおかげでえらいことになった。 まさに「難信難解」。 仏法の真髄も甘くない。
2011年08月08日
2011年2月13日 21:03:37 『聖教新聞』今日付戸田平和研究所の国際会議への池田SGI会長のメッセージ 21世紀までの時代は、ともすれば“敵対する国にどう対峙するか”が、国家の外交方針を大きく左右してきたといえましょう。しかし現在の私たちが――どの国で生まれ、どの国で暮らそうと――直面しているのは、環境問題や貧困といったグローバルな脅威にほかならず、“いかに協力して共通の脅威に対処するか”に焦点を当てずして、世界の平和や安定はおろか、自国の安全や発展を継続的に確保することが難しくなっている状況にあります。 世界は思いのほか狭くて、人間は思っている以上に同じだった……と。
2011年02月13日
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