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ずいぶん、ご無沙汰しておりました。
いろんなセミナー、集会に参加して いっぱい感動して帰ってきました。
それを少し整理して、みなさんにシェアしたいと思っていたら ずるずると日にちが経っていました。
今日から、一つずつご紹介したいと思います。(ほんのさわりですか)
今日は、9月7日にキャンパスプラザ京都で行なわれた 吉福伸逸さん講演会のことについてお話したいと思います。
吉福さんは日本に初めてニューエイジ、ニューサイエンス、
トランスパーソナル心理学などの分野を体系的に紹介した、
著述家、翻訳家、セラピストです。
早稲田大学文学部を中退し、ボストンのバークレー音楽院へ留学。
ジャズ・ベーシストとして活躍後、カリフォルニア大学バークレー校にて 東洋思想やサンスクリットを学び、日本で(株)C+Fコミュニケーションズ、
(有)C+F研究所を創設されました。1989年以降、ハワイ在住。
今回の講演は「人生のターニングポイント」というテーマだったのですが、
ハワイから到着したばかりの吉福さんは、時差のためか、ものすごい眠気で、
なかなか集中できない状態でしたが、とても興味深いお話をしてくださいました。
「異文化に触れることは、それ自体でセラピーである」 というところから話が始まりました。
今回の講演会を主催した「イーストウエスト対話センター」の 村川治彦さんは、吉福さんにこうアドヴァイスされてアメリカに渡ったそうです。
イーストウエスト対話センターについて
こちらをどうぞ → http://www.east-westdialogue.org/
講演では、以下のようなトピックがありました。 (話はあちこちに飛んでいましたが、私なりにまとめました)
○日本の団塊世代とアメリカのベビーブーマー世代の違い
○現代の日本には、かつての元服式のような「通過儀礼」がないこと
○誰にでもある人生の転換点
○変化について
○個人の自由の問題
○許すということ
○統合失調症と人間存在
○3つのパーソナリティー(胎児・生きている間・死後)
ざっとこんな感じです。
私の感想としては、
すごく共感できるところと、なかなか理解できないところが 入り混じっていました。
でも、吉福さんの飾らず、嘘をつかない人間的な魅力を感じました。
いくつか印象に残った点をあげると
○変化についてのお話では
人には計り知れない保守性があること。
エッジ(限界)を超えようとするパーソナリティーの変革はとても難しい。
なぜなら、文化は人類に根本的な変化を求めていないから。
R.D.レインは「人は気づきが深まっていけばいくほど、
最も自らを愛する者が罰しに来る」と言っている。
○個人の自由
種としての人類には種の保存という意識がある。
それは、ユングのいう、アーキタイプ 個人の根底にある集合意識
人間には、そのため根源的不安というものがあり
これを利用した現代社会の文化装置がたくさんある。
○統合失調症の人たちが、文化の中で生きていくことで
現代の停滞を超えていくことができるのではないか。
「病気」「障害」の定義がどんどん細かくなることで
「正常」との境界線が狭くなっていっている。
(会場からは最近の「アスペルガー」「ADHD」「学習障害」など
発達障害名が次々にでき、そういう子どもたちに精神薬が投与される
ことを危惧する発言があった)
講演会の話はここまで。
「境界を越える対話」(日本トランスパーソナル学界講演集)という本の中で 吉福さんは、次のように話されています。
「個人にとってトランスパーソナルという意識、無意識の領域というものは
一種の倍音のような存在なのではないかと考えることができると思います。
もし、倍音のもととなる「C(ド)」というパーソナリティ、個人、私というものが
しっかりと音を出していなければ、上の倍音は良い共鳴をしません。
ですから、いくらさまざまな倍音を体験したからといっても、その根の基音
というものに立ち返って、しっかり耳を傾けない限り、上の音は浮き草や
根無し草のように非常に虚しい存在になってしまう。
そういった意味で、トランスパーソナルは、まずパーソナルな事柄に始まり
やはり、パーソナルな出来事として終わると、ぼくは理解しています。」
(以上150Pより引用)
吉福さんのお話は、類的存在としての人類が、
徹底的に個を見つめることから
新しい段階(トランスパーソナル)に入っていくことを
伝えてくれているように思います。
難解ですが、ケン・ウィルバーの本にも挑戦しようと思います